ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄33
 燦々と日光が降り注ぐ穏やかな昼下がり。
 広大な屋敷の中にも太陽の力は窓から惜しみなく注がれ、大半の部屋が明るく照らし出されている。
 この屋敷は部屋の大部分が使われてないにもかかわらず清掃は行き届いているため、
ほとんどの部屋では心地よい時間を満喫できるだろう。
 
 そんな中で、屋敷の主である天地海人は日光が差す筈もない地下室にいた。
 そろそろ帰ってくるであろう、大事な二人の友人を迎える準備をするために。

「――酒はたっぷり準備した、フルーツを始めとした食料関係も一応不備はなし……とりあえずはこんなところか」

 目の前にズラリと並べられた食料群を見渡し、海人は軽く頷いた。
 
 現在彼の目の前にある光景は、価値を知る者が見ればその瞬間に卒倒しかねないもの。 
 まるで安酒のようにぞんざいに並べられた酒は全て超の付く高級酒、
同様に並べられたフルーツもまた超高品質、横に置かれた米や穀類も負けず劣らずの質である。
 この薄暗い地下室は、食道楽には夢の楽園と言っても過言ではない。   

 それを事もなげに瞬時に作り上げたのが海人が操る魔法、創造魔法である。

 この魔法は幾つかの制約に引っかからなければ一度見た物全てを作り出せるという魔法だが、
ファンタジー全開なこの世界でさえ数百年に一人しか使い手が現れないという伝説の魔法だ。
 作れる物は極めて幅広く、制約にさえ引っかからなければ目の前の食料品などから小都市を消し飛ばしかねない爆弾までなんでもござれである。

 それを科学万能な世界において全科学者にとっての天災だの常識を破壊する怪物だの呼ばれ、
自衛のために一国を容易に滅ぼせるような物まで幾つか開発した事がある天才科学者が持っているわけだが、
海人という男は基本的に平穏な生活を望んでいるため、今のところ彼が原因不明でいつの間にか放り込まれたこの世界は無事である。

「さて、研究の続きでも――」

 海人がそう呟いて広大な地下室へと繋がる隠し扉に向かった瞬間、にわかに上の方が騒がしくなった。
 ドタドタと走り回る音が響き、女性の謝罪交じりの悲鳴と少女の怒声が聞こえてくる。
 
 その騒がしさに溜息を吐きつつも、海人の表情はどこか柔らかい。
 ほんの少し前までの命の気配のない屋敷に比べれば、今ぐらい騒がしい方が彼にとっては好ましかった。

 なにより騒ぎの音源であろう数日前住み込みが決まった姉妹は、騒がしさをマイナスと考えても非常に役に立ってくれている。
 
 海人は確かに創造魔法という便利な魔法が使えるが、それゆえに一般的に用いられている生活用の魔法が一切使えない。
 したがって調理用の火を調達するにはライターと薪が必要で、
夜に明かりが欲しければ万に一つもオーバーテクノロジーを晒さないために、蝋燭なりランプなりを作らなければならない。
 しかも創造魔法では肉や魚が作れないため、それらは別途入手しなければならないのだが、
ここから一番近い町でさえ海人の足ではぶっ続けで走っても片道数時間はかかってしまう。

 現在上で騒いでいると思しき姉妹はそれらの問題を見事に解決してくれているのである。
 
 怒鳴り声を上げつつ姉に拳を叩き込まんとしているであろう妹――宝蔵院雫は非常に気が利く。

 海人が基本属性魔法が使えない事を知った途端、一番の悩みの種であった調理を率先して請け負ってくれたし、
夕時を過ぎた頃にはちゃんと浴槽に程よい温度の湯船を張ってくれるようになった。
 少々サドの気が強い性格、特定条件下の殺戮狂など色々問題を抱えていたりはするが、基本的には十代前半なのによくできた娘である。
 
 謝りながら逃げ回っているであろう姉――宝蔵院刹那も良く働いてくれている。

 刹那は家事は行わないが、その代わりに肉や魚の調達を全て彼女が一手に請け負っている。
 屋敷の裏の森の奥に入って魔物の肉を狩り、同じく裏の激流の川に飛び込んで魚を捕まえ、と非常に活躍している。
 昨日などは朝食の時に海人が『そう言えば卵は買い行かんとな』と漏らしただけで、食事を終えるなり森に入って
グランバードという美味な卵を産む魔物を巣ごと狩って戻ってきた。 
 労苦を厭わない実に働き者な女性であり、彼女がいるおかげで現在この屋敷の食費は0に抑えられている。

 ここまでなら問題ないのだが、彼女にも欠点はある。
 
 刹那は家事力が壊滅的なのだ。
 掃除をすれば手を滑らせて花瓶を割り、洗濯をすれば絞るついでに勢い余って生地を千切ってしまう。
 唯一料理はそれなりにまともなのだが、材料を指定しておかないとどこから何を調達してきて放り込むか分からず、
調味料を三種類以上使えば確実に一種類は間違える。
 砂糖と塩などはまだ序の口で、どういうわけか味噌と醤油を入れ間違えさえする。
 そのため、刹那は家事全般において手伝い以上は許されていない。
  
 とはいえ、その程度は彼女の他の能力を考えれば微々たる欠点でもある。
 元々宝蔵院姉妹は護衛として雇われているので、家事は余技にすぎないのだから。
 
 そして、刹那は気配察知は不得手、器用さでも多種多様な暗器を使う妹に劣るのだが、純粋な戦闘能力においては数段上である。
 その差は大きく、年齢を差し引いても雫より刹那の方が強いと言える程だ。
 現に、部屋の外からは打撃音は聞こえてきても、物が壊れる音は聞こえてこない。
 手加減無しに打ち込まれる打撃全てを刹那は器用に受け流し、建物や備品に影響を与えないようにしているのだ。

 それゆえに、上で騒ぎが起きていても海人は泰然と構えていられる。

 とはいえ、少々騒がしすぎる事は間違いない。
 主目的の作業は終わっていたし、進めようとした研究も急いでも仕方のない内容ではあったが、海人は少し注意する事にした。

(……一応用心はしておかんとな)

 梯子を上り、上を塞いでいる板を少しずらして頭半分程をゆっくりと上に出す。
 やたらと騒々しくはあるが破壊音は聞こえてこない、いつも通りの音。
 そして甲高い怒声と女性の平均からすれば若干低めの悲鳴。
 それがこの場から少し遠くで聞こえる事を確認し、海人はすかさず地下を出た。

 そして音のする方向へと歩いていくと、二人の声の内容がはっきりと聞こえ始めた。 

「せぇぇぇぇっかく時間かけて煮つけたのに何でああいう事しちゃうかなぁぁぁぁっ!?」

「くっ、だからさっきから悪かったと謝っているだろう!?」

「本気で悪いと思ってるならせめて一発思いっきりぶん殴らせてよ!
せっかく煮つけにピッタリな脂がたっぷり乗ったお魚だったのにぃぃぃぃぃっ!」

「殴られるのは仕方ないがその威力は却下だ!」

 大声を上げながら、凄まじい攻防を繰り広げる二人。

 雫は重力を無視したかのような動きで連続技を繰り出しているし、刹那はそれを全て両手で器用に無力化して捌いている。
 どちらの動きも実に華麗でまるで演武のようでさえあるが、雫の目には疑いようもない怒りがあり、
刹那の目にもそろそろ危なくなってきた焦りがある。
 
 さほど足を進めずしてその光景に出くわした海人は、淡々と言葉を紡いだ。 
 
「二人共、少し静かにしろ」

 威厳はあれども大きくはない声。 
 二人がまき散らしている騒音を考えれば聞き逃しておかしくない言葉であったが、刹那達は即座に動きを止めて頭を下げた。

「す、すいません――ほら、お姉ちゃんが素直に殴られないから」

「直撃受けたら間違いなく吹っ飛ぶだろうが! 拙者の体はまだしも屋敷が壊れるぞ!?」

 妹の言葉に即座に怒鳴り返す刹那。
 雫もそれに応戦しようとしたが、その前に海人が制した。 

「そこまで。で、今日の原因はなんだ?」

「……楽しみにしていた今日のお昼御飯が台無しにされまして」

「は?」

「今日はおひたしと煮魚で御飯にするつもりだったんですけど、どっかの馬鹿が火加減間違えて煮魚を焼き魚にしちゃったんですよ。
ちなみに完全に炭化してますんで、どーやっても食べられません」

 愛らしい顔をビキビキと引き攣らせ、雫は淡々と報告した。
 その語気は強く、隠しきれない炎のような激情が透けて見える。
 美味しそうに煮付けられ、食べられるのを楽しみにしていた物を一瞬で炭に変えられたのだから無理もないが。 

 とはいえ、雫も迂闊ではあった。
 席を外した際に念の為煮立たせすぎないよう刹那に火の番を頼んだのだが、彼女は肝心な事を言い忘れていた。
 ちょうど頃合いになったら火が消えるように持続時間を調整してあるから、再点火する必要はないという事を。
 
 それで気を利かせた刹那が再点火し、お約束のように癖で一番使い慣れた火の魔法――攻撃魔法を使い、
鍋ごと魚を燃やしてしまったのである。
  
「……仕方ないな。今日は塩焼きとおひたし、ついでに納豆でも食べるか?」

「おっ、納豆ですか。それはいいで――そういえば卵ないんでしたね」

「見事に無い。ま、昨日たっぷり食べたし、今日はなしでもいいだろ?」

 海人は肩を落とす雫の頭を撫でながら、昨日の食卓を思い出した。

 昨日の夕食は、見事に卵尽くしだった。
 定番の卵焼きは言うに及ばず、ゆで卵、目玉焼き、果てはとろろからデザートのパンケーキに至るまでたっぷりと卵を使った。
 
 そうなった切っ掛けはその日の昼食の卵焼き。
 初めは数が限られている事もあり卵を節約して使っていく予定だったのだが、それを食べ始めてから全員の気が変わった。
 なにせ、グランバードの卵は濃密な黄身の旨味が特徴の高級卵。
 普通の卵とは味の格が違い、どうせなら新鮮なうちに、と全会一致で夕食は卵料理大会になってしまったのだ。
 
 それで多めに取ってきていた卵を見事に使い切ってしまい、今日は卵が無いのである。  

「あの、拙者がまた狩って参りましょうか? 
昼食を台無しにしたのは紛れもなく拙者ですし……コツは掴みましたので、三十分もいただければ用意できると――」

 おずおずと進言する刹那。
 当然だが、彼女は自分のしでかしたこと自体は申し訳ないと思っていた。
 少しでも償いを、と言わんばかりに海人に真っ直ぐな視線を向けている。

「そこまでする必要はないさ。卵なしの納豆もあれはあれで美味いしな」

 ぽん、と刹那の頭の上に手を置く海人。

「そですね。からしはありますから、からし納豆にすれば十分美味しいでしょうし。
個人的には卵もあった方が好きなんですけど――今日は我慢しまーす」

 最後に姉に向かって舌を出し、雫は一足先に厨房へ歩き始めた。
 その後をゆったりと追いながら、海人はふと思いついた事を口に出した。

「今度屋敷の外で鶏でも飼うか? 世話は面倒かもしれんが、買いに行く手間も取りに行く手間も省ける」

「あ、いいですねー。実家でやってましたから、それぐらいだったらお姉ちゃんに任せられますし」

「それは問題ないが――何を飼うかがまた問題だな」

 刹那はそう言って考え込み始めた。
 
 この世界では、産卵用の鶏も種類が多い。
 味は良くても専門家でなければ飼育が難しい鶏もいるし、
美味い卵を産む代わりに週に一度しか卵を産まない鶏もいる。
 逆に味はそこそこだが適当なエサさえ与えておけば毎日二個ほど産む鶏もいる。
 そして、当然ながら全て価格が違う。

 飼うとしても色々考えなければならない事が多かった。

「ま、そこは追々考えよう、とりあえずは食事だ」





















 作り直した食事で行われた三人の昼食風景は穏やかなものだった。
 
 明るい日差しに包まれた和風の庭にござが敷かれ、その真ん中にちゃぶ台が置かれている。
 卓上にはそれぞれのおかずや味噌汁が並べられ、中心では大きな漬物入りの鉢がその存在を主張している。
 大食らいな姉妹の間には大きめの御櫃が置かれており、二人共満足できるだけの飯が入っている。
 
 刹那も雫も食べ方は上品でよく噛んでもいるのだが、速度は異様に早い。
 二人が山盛り御飯を三膳平らげる間に、海人がようやく半膳食べている程だ。
 時折雑談を挟みつつも、この三人の食事は比較的静かに進む。

 三人共箸使いが丁寧なため、食事が終わる事には全ての皿は綺麗になっていた。
 残っている物と言えば、鉢の中の漬物と魚の骨程度。
 他は米粒一つ残さず完璧に食べ尽くされていた。

 そうして三人が食後のお茶を楽しんでいた時、刹那がおずおずと口を開いた。  
 
「あ、あの、少々申し上げにくいのですが――刀の方はいつ頃に?」

「数日中にはシェリス嬢に話を通すつもりだが……やはり、早急に欲しいか?」

「は、はい。雫の小太刀の質は問題ないのですが、やはり長さが――」

 腰の得物を見て、刹那は言いよどんだ。
 刹那本来の武器は二本の打刀だが、現在そこにあるのは雫の小太刀を海人が創造魔法で複製した物。
 少し前に折れてしまった彼女の刀の臨時の代用品である。
 質は問題ないのだが、やはり長さの違いはいかんともしがたかった。

「だろうな。すまん、魔法で作れれば良かったんだが」

「いえとんでもない! こちらこそ大粒の宝石まで支給していただいたのに文句ばかりで申し訳ございません!」

 ちゃぶ台に叩き付けんばかりに頭を下げる刹那。
 
 刀こそ支給してもらえなかったが、刹那は大粒の宝石を支給されている。
 魔力の補充器としても増幅器としても優秀なそれは、魔法具として加工せずとも既に十分に高性能な武具である。
 並の戦士では一生かけても手に入れられないような物を貰ってさらに注文をつけるなど、あまりに見苦しい。 

 根が生真面目すぎる刹那は、本気でそう思っていた。

「いや、必要な物はちゃんと言ってくれた方がありがたい。
他にも必要な物があったら遠慮なく言ってくれ、絶対とは言えんが大概は作れると思うからな」

「そういえば、あらかじめ作れるかどうかって分からないんですか?」

「大まかには分かるんだが――細かい基準は本気で分からんのだ」

 雫の何気ない問いに、海人は頭を抱えた。

 この前創造魔法を使った際、刹那が持っていた刀は作れなかった。
 以前の経験で少なくとも機械系は分解経験がなければ駄目そうだとは思っていたため、刀が作れなかった事に驚きはない。
 彼女の刀を分解した事はないので、そこは予想の範囲内でしかない。
 元々、住人が増えた事で必要になった食料の補充のついでだったので、無駄な労力というわけでもない。

 問題は同じく駄目元で同時に作った刹那の衣服は作れてしまったという事だ。

 当然ながら、海人は刹那の服を詳細に検分したことなどない。
 半着と袴という彼女の服装の関係上、確実に海人の目に触れていない部分があるはずなのだ。
 だというのに、作れてしまった。
 
 考えられる原因としては、創造魔法が勝手に行う補正の関係。 
 海人は以前、微生物などの肉眼では捉えられていなかったはずのものを含めて物を作成した事がある。
 その時と同様に何らかの補正が働いた結果だとは思うのだが、その補正に関してはいくら考えても基準が分からない。
 
 大分前に既存の常識や理論で魔法という埒外の技術を考える事が間違いなのかもしれないと割り切ったつもりではいたが、
やはり研究者の性として完全には割り切れない。

 海人はもやもやとした苛立ちを飲み込み切れず、ただただ頭を悩ませるしかなかった。

「そんなに難しいんですか?」

「ああ、まるで法則が掴めん。生物不可で干物とかは無理なくせにそれから出る出汁は作れるとか、
細部まで知ってなければ作れないのかと思いきや刹那の服は作れたし、考えてみれば以前重箱を作った時も中の断面を見た物ではなかったし、
かと思えば刹那の刀は作れず、雫の小太刀も茎を見るまで作成できなかった。
制約は間違いなく存在し、補正も存在するはずなんだが、どんな基準でどの程度の許容範囲だかまるで分からん」

 ずーん、と落ち込む海人。
 真面目に考えれば考えるほど分からなくなるという状況がかなり堪えているらしい。

「ま、まあいいんじゃないですか? それでもそんなに不便は無さそうですし」

「……一応はな。大概の物は作れるし、作れない物も絶対不可欠というほどの物ではないからな。
刹那の刀に関しては材料作って新しく誰かに打ってもらうしかないわけだが」

「海人さんの作れる刀って綺麗で切れ味もそこそこ良かったですけど、あれじゃ鍔迫り合いは無理ですからねぇ……」

 そう言って溜息を吐く雫。
 刹那の刀が作れなかった際、海人は別の刀を数十本作り出した。
 それは元々海人の母が収集していた物であったが、刃落しをしておらず実用として使える物も多かった。

 なのでひょっとしたら代用になるかと思って作ったのだが、甘かった。
 
 強度に不安がある事は想定していたものの、よもや雫の小太刀に向かって刹那が軽く振り下ろしただけでへし折れるとは思わなかった。
 刹那曰く、使えない事はないが刃筋を通し損ねれば大概の武具には同じ事になるとの見立てらしい。
 拳で造作もなく岩を砕くような腕力でそれを前提とした武具に向かって振るわれれば、当然の話ではあるのだが。
 
(あっちでは名刀だったはずなんだがなぁ……)

 そんなことを思いながら海人がひっそりと溜息を吐いていると――雫が急に立ち上がった。
 その視線は普段よりも鋭く、北の方角に固定されている。
 そんな妹の様子を見て、刹那もすぐさま立ち上がった。

 明らかに警戒している二人に、海人は静かに問うた。 

「何があった?」

「この屋敷に向かって気配が二つ近づいてきてます。
まだ距離はありますけど、この速度だとすぐに到着しますね。
っていうか、片方の速度が尋常じゃなく速いです。
もう片方も相当早いのに、その倍近いですよこれ――って、あれ?」

 言葉の途中ではて、と首を傾げる雫。

 屋敷に凄まじい勢いで近づいていた気配が、急にその速度を殺した。
 初めはもう一つの気配が追いついてくるのを待つ事にしたのかと思ったのだが、
追いついてからも二つの気配は移動を再開しない。

 そうこうしているうちに、気配の一つが下の方へと移動する。
 飛翔魔法を解いたのかとも思ったが、やたらと降りる速度が速かった事からすると、叩き落とされたと考えた方が妥当だった。
 ただ、それにしては叩き落とした側は下にも下りず止めを刺すための殺気も出さず、かと言ってこちらへ来るわけでもなくそこに留まっている。 

 今一つ状況が想像できなかった雫がそれを海人に伝えると、堪えきれない、といったような苦笑が返ってきた。

「相変わらずだな――誰だかなんとなく予想がついた。
おそらく、そろそろ二人揃って同じ速度でこっちに移動を始めてるんじゃないか?
先程より速度は緩めにして」

「正解です。さっきほどじゃないですけど、そこそこ早い速度でこっちに来てま――あ、ひょっとして」

「ああ。準備が終わった頃に来るあたり、なんとも間が良いな。
悪いが、君らが出るとややこしくなりかねないんでここで待っててくれ。後で紹介するから」

 そう言うと、海人はやや急ぎ足で庭を後にした。

  






























 
 


 その少し前、とある二人の女性が海人の屋敷へと飛行していた。

 一人は艶やかで大きな漆黒の翼を背に生やす女性――ルミナス・アークライト。
 明朗快活を絵に描いたように華やかな顔立ちで、笑顔が実によく似合う。
 スタイルも究極とまでは言わないが、世の女性の大半が羨まずにはいられない程に整っている。
 世に名高い傭兵団《エアウォリアーズ》の一番隊隊長を務めるだけあり、戦闘能力も極めて高い。
 元同居人の怪物と比べれば憐れみたくなるほどではあるが、実は知力もそこらの貴族よりは高い。
 まさに美貌と文武を両立させた才媛である。

 もう一人はどこか気品を漂わせる煌びやかな幼い容姿の持ち主――シリル・メルティ。
 その幼い顔立ちにはどこか気品が漂い、深い蒼の瞳は秘めたる意志の強さと気高さを感じさせる。
 が、その幼い容姿から二十歳という彼女の実年齢を推測できるものは皆無だろう。
 幼女趣味の男性にはたまらない女性であろうが、残念ながら彼女の目に映っている恋愛対象は唯一人。
 自分が副官を務めるルミナスその人のみである。 
 
 そんな二人は、グランベルズ帝国でついつい買い込んでしまったお土産を片手に、片や憮然と、片や頭を押さえて涙目で屋敷へと向かっていた。

「ったく、どーしてあんなしょうもない事で無駄な体力使わなきゃなんないのよ」

「うう……私を置いて一直線に向かわれるのですもの。ささやかな悪戯ぐらい見逃してほしいですわ」

 うるうると瞳を潤ませた顔を向けるシリル。
 それはなんとも保護欲をそそられる表情なのだが、ルミナスは頬をひきつらせて睨みつけた。 

「ほほう、せっかく止まってやった私の胸に顔埋めて揉みまくろうとした事がささやか?」

「それはもう我慢に我慢を重ねましたわ。お疑いでしたらそうでない場合を実演いたしますけど」

 げへへ、と笑いながら両手をわきわきと蠢かすシリル。
 せっかくの可愛らしい容姿も、その表情で全て台無しであった。

「次やったらカイトの防御壁で閉じ込めて、私達が美味しい食事をしてるのを丸一日横目で見させるからね。
そっから出ようとした場合はドタマぶち割ってやるから、その覚悟はしたうえでやんなさい」

「……うう、冷たいですわお姉さま」

 上司の目に本気の光を感じ、シリルは涙した。
 海人ならば仕方なく、ではなく楽しみながら協力するだろう。
 しかも根性の悪い性格ゆえにさらなる責苦を考えてルミナスに進言しかねない。

 とりあえず、当面はルミナスとのスキンシップを諦めざるをえなかった。

「毎度変態行為に及ぼうとする馬鹿を斬らないで済ましてんだから、十分温かいと思うけどね――あ、見えてきた見えてきた。
この屋敷来るのも久々だけど、元気してるかな?」

「まあ、引き篭もってらっしゃるでしょうから元気というかは微妙――って、あら?」

 シリルの言葉の途中で、屋敷から海人が出てきた。
 彼はそのまま門まで進むと、二人に向かって大きく腕を振った。

「感心感心。ちゃんと出迎えに来るあたり、相変わらずマメ……」

 うんうん、と満足気に頷きかけたシリルだったが、途中で言葉が止まった。
 そのまま微かに速度を緩めつつ、それとなくルミナスの近くに移動する。

「どうしたの?」

「出てくるのが早すぎますわ。殺気も碌に察知できないあの方が、どうやって私達が来た事を察知しましたの?
不在の間に何かあったのかも――」 

「や、分かんないけど考えすぎでしょ。
仮に物騒な事があったとしても、あの馬鹿が脅されて素直に従うと思う?」

 心配性なシリルの考えをルミナスは笑って否定した。
 
 海人という男は、仮に誰かに脅されても素直に従う可能性は低い。
 彼にとってどうにもならない致命的な近距離に相手がいるなら別だが、それ以外なら間違いなく逆襲して叩き潰す。
 さらに言えば、以前中級ドラゴンを粉々に吹っ飛ばした爆弾を適当にばらまきつつ防御魔法を多重展開すれば、並大抵の傭兵団は確実に全滅する。
 屋敷は間違いなく更地になるだろうが、創造魔法で建材調達が可能な事を考えれば気にはしないだろう。

 そして、現在海人の近くに人の気配はない。
 理由は分からないが、何らかの方法で自分達の接近を察知したと考えるのが妥当である。
 色々と常識外で秘密もやたら多い男なので、その程度の事は今更不思議でもなんでもない。

 シリルもそれに気付いたのか、少し考えた後に頷きを返しかけ――途中で止まった。

「――屋敷内部、庭の方に気配が二つありますわ。殺気は感じませんけれど」

「それだったらシェリスとローラさんじゃない? 
ローラさんがいるならもっと遠くでも余裕で察知するだろうから、理屈は通るわ。
別に私達は気配消してたわけじゃないしね」

「確かにそうなのですけれど――何か引っかかりますわ」
  
「……そんなに言うなら、警戒はしときましょっか」

 そう言ってルミナスはシリルに目配せすると、揃って速度を少し上げた。
 程なくして近くはなかった海人との距離が縮まり、二人は彼の前に降り立つ。 
 
「おかえり二人共。大会はどうだった?」

 軽く手を上げ、和やかに訊ねる海人。
 それに、ルミナスは嬉しそうに笑いながら答えた。

「私が一位でシリルが三位。二人揃って賞金獲得できたわ。
これ、あんた用のお土産ね」

 そう言ってシリルと一緒に土産袋を渡しつつ、別の袋から取り出した札束を見せるルミナス。

 二人が参加した大会は実力テストを兼ねた、彼女らの所属する傭兵団限定の物ではあったが、出された賞金の額は多かった。
 優勝者であるルミナスは当然ながら、シリルの賞金も一般的な一家の年収分はある。

「それは重畳。確か全員参加と言ってたから……なるほど、くじ運が良かったのか」

 海人は納得したように頷いた。
 
 以前シリルは全三部隊の副隊長の中ではどの間合いでも最強を誇ると聞いてはいたが、
流石に接近戦では隊長達にはまず勝てないと聞いていた。
 闘技場での大会という形式上接近戦を強いられたはずなので、普通に考えれば抽選で早期に隊長同士がぶつかって滑り込んだと考えるのが妥当であった。

 が、ルミナスは少し誇らしげに海人の言葉を否定した。

「違うわ。この子は三位決定戦でギリギリ第三部隊の隊長下したのよ。
かなり凄い事だから誉めてあげて」

 ぐいっ、とシリルの襟首を掴み、その頭を海人に差し出すルミナス。
 彼はどこか楽しそうに、差し出された頭を優しく撫でようとしたが、直前でその手をやんわりと払いのけられた。

「――生憎、カイトさんに褒められてもあまり嬉しくありませんわ。
ここはやはりお姉さまに頭を撫でていただきながらの添い寝、いえ、むしろ今から屋敷の部屋で女同士裸の付き合ぐぎゅっ!?」

 言葉の途中で飛びかかろうとしたシリルは、その直前にルミナスの手刀を打ち込まれた。
 シリルの足が地面から離れる直前に打ち込まれたそれは的確に喉笛に命中しており、彼女の余計な動きと発言を完全に封じた。
 聞き苦しい声でシリルが派手に急き込んでいると、海人が実に楽しそうに話しかけた。
 
「相変わらずだな。元気そうで何よりだ」

「そりゃあ活力は私らの職業にとっちゃ命綱だからね。で、そっちは私たちの留守中何かあった?」

 笑顔のままそれとなく腰を落としつつ屋敷へと視線を動かして、海人に問う。
 シリルも普段より弱めに放たれた手刀に咳き込んでいるフリをしつつ、微かに腰を落としている。
 どちらも何が起ころうと、即座に海人を抱えて逃げられる体勢である。

「――ふ」

 武道の素養こそ無いものの神がかった観察力に恵まれた男は、二人の態度の意味をすぐに察し、笑みを零した。

 彼は久方ぶりに会った友人達が変わらず自分を案じてくれている事が、素直に嬉しかった。
 だが、同時に今回のそれが杞憂である事も知っているため、こぼれた笑みには若干複雑な感情が入り混じっている。 

 それをどう受け取ったのか、ルミナスの顔が若干むくれた。

「――むう、何よそれ?」

「いや、君らの気遣いがありがたくてな。確かに色々あったが、既に終わった事だ。
詳細な話はできないが、紹介ついでに事情をかいつまんで説明しよう」

 そう言うと海人は道すがら土産袋を近くの部屋に置きつつ、二人を庭へと案内した。

































 庭に案内され、お互いの紹介ついでに刹那達がこの屋敷に住み込む事になった経緯を大雑把に聞かされたルミナスは、
あからさまに唇を尖らせながら海人を睨みつけた。

「ふーん、要するに詳しい話は秘密だけど、実力はローラさんお墨付きの護衛が二人入ったと」

 不貞腐れたような口調で話を簡潔にまとめる。
 彼女の横ではシリルも不機嫌そうに海人を睨んでいる。
 どちらも良いとは言い難い態度だったが、それも無理はなかった。

 なにせ彼女らが聞かされた内容は、海人が真剣に秘匿していた創造魔法が経緯秘密で二人にバレたため護衛に雇い入れたという内容。
 後は二人共これまた秘密な若干の問題点を除けば人格・実力共に不足はないという事ぐらいである。
 納得するにはあまりにも情報が少なすぎる。

 赤の他人なら何とも思わなかっただろうが、二人にとって海人は大切な、家族にも等しい友人だ。
 それだけに、形容しがたい疎外感を感じずにはいられなかった。

 自然、二人の視線が詰問するような色を帯びるが、海人はすまなさそうに頭を下げるだけだった。
 
「すまん。二人の秘密に関する話が絡むから、これ以上はどうしても話せない」

「――別にいいわ。あんたが決めた以上私が口出すのも筋違いだし、二人共良い子っぽいしね」

 そう言って、ルミナスは溜息と共に追及を早々に諦めた。

 海人は一度決めたらまず譲らないというのも理由だが、それだけではない。
 
 先程からこちらを窺っている二人は、なんというか印象が非常に良い。
 どちらも今時珍しい、真っ直ぐな目をしている。
 少なくとも海人を利用してどうこう企む類の人間には見えない。
 横目で自分より人を見る目のあるシリルにも確認するが、彼女も賛成のようだった。

 ならば、海人に護衛がついた事自体は悪くない。
 むしろ喜ぶべき事である。

 そのはずなのだが―― 

(……な~んか、イライラすんのよねぇ)

 ルミナスはなぜかまったく喜べず、逆に苛立ちが募っていた。

 特に、刹那を見る時には腹の底から得体の知れない苛立たしさが込み上げてくる。
 
 視界の隅で立っているその姿には隙がなく、海人が相当な当たり籤を引いた事を示している。
 さりげなく海人を窺うその目も、仕事というよりは個人的に守りたいという意思を感じる。
 これなら余程の事が無い限り、彼の安全が脅かされる心配はないだろう。 

 だというのに、なぜか気に入らない。

 心配していた海人の安全がある程度確保できたというのに、形容しがたい苛立ちを感じる。   
 抑え込もうとしても、その思いは逆に強くなってしまう。

 そのせいか、らしくもない刺々しい言葉が出てしまった。

「で? 今日は再会祝いの宴会ついでに泊めてもらうつもりだったんだけど、帰った方が良いのかしら?
まだ付き合い浅いんだったら、しばらくは三人で親睦深める必要もあるんだろうし」

「は? ちょ、ちょっと待て。なんでそうなるんだ?
刹那達と親睦を深めるのはこの先いくらでもできるが、君らには仕事があるんだから君らを優先するに決まってるだろう?
だいたい、そろそろ二人共帰ってくるだろうと思ってたから、既に酒からフルーツまでどっさり用意してあるし、
泊まるだろうと思ってたからここ数日はどの部屋も念入りに清掃してあるんだぞ?
これで帰るとか言われると、本気で泣きたく――い、いや、勿論嫌なら無理にとは言えんのだが……」

 ルミナスの言葉に、海人はらしくもなく焦った顔になった。
 
 彼はルミナスの家を出る時に、彼女が屋敷に来た時は美味い物をたくさん用意して待っていると約束した。
 そのために、創造魔法の制約に引っかからない食物――動物系以外の食材をたっぷりと用意していたのだ。
 肉や魚は味と保存の問題があるため、二人が戻ってきてから買いに行くつもりだったが、それ以外は食べ物の不足はない。

 部屋もここ数日は特に念入りに清掃してあり、花瓶にも二人の好きな花を活けてある。
 どの部屋も毎日空気を入れ替えているため、間違いなく快適に過ごせるはずだ。

 こんな具合で、海人はここ数日それなりに二人を迎えるための準備に心を砕いていたのだ。
 これで今更帰ると言われると、かなり悲しいものがあった。

 珍しく縋るような海人の顔を見て、ルミナスは目を丸くし――ついで、嬉しそうに微笑んだ。

「ははっ、そっか――カイト。ちょっとこっち来て」

 こいこい、と手招きするルミナス。
 
 やや戸惑いながらも、海人はそれに素直に従う。
 そしてルミナスの前に立ったところで、唐突にその動きを封じられた。

 感極まったかのような、熱く柔らかい抱擁によって。

「……おーい、苦しいんだが」

 特に慌てた様子もなく、ルミナスを見下ろす海人。
 妙齢の美女に両腕ごと思いっきり抱きしめられるという状況でありながら、彼に動じる様子はなかった。
 少し苦しいのでさりげなく身を捩って拘束を緩めようとしたが、その瞬間より一層強い力で抱きしめられた。

「少しじっとしててってば――私、ちょっと不安になってたみたいなのよ」

「不安?」

「私らがいない間にいつのまにか知らない人間と暮らしてんだから、
そりゃあ少しは不安にもなるってもんでしょ?」

「――ああ、そういう事か。
あのな、どんだけ交友関係広げたところで、私の中の君の立ち位置が変わるわけじゃないぞ。
前も言ったが……例え何があろうが、大事な友達だ」

「そりゃ分かってるつもりだけど、それでも不安になるのはしょうがないじゃない。
あんただって分からないわけじゃないでしょ?」

 不貞腐れたような、それでいて若干申し訳なさそうな視線を向けるルミナス。

 だがその目は貴方に分からないはずがない、と何よりも雄弁に訴えかけている。

 理性で大丈夫だと分かっていても、不安になる事はある。
 まして、少し離れていた間に自分達の知らない人間と同居する事になっていたのだ。 
 その間に何があったのか、自分の居場所はまだ残っているのか、信用していてもどうしても若干の不安は出る。
 元々、ルミナスも海人と会ってからの期間自体は長くないだけに、尚の事。

 未だに亡き妻を愛し続けている海人ならば、それを理解できるはずだった。 

 親愛と恋愛の差はあるが、思いが深ければ深いほど些細な事で不安を招く事があるという点はどちらも共通の物なのだから。

「まあ、な。説得力はないかもしれんが一応言っておくと、
余程の事が無い限り私の中で君の立ち位置が悪く変わる事はありえないから、その点は心配はしなくていいぞ」

「はーい」 

 最後に少しきつく抱きしめ、ルミナスは海人を解放した。
 その顔は穏やかで、先程の不機嫌そうな表情の残滓は残っていなかった。 

「納得してもらえたようで何よりだ。
ところでシリル嬢、そこの二人が薄情にも拍手している事からして殺意がないのはわかるんだが、素で怖い。
なんというか、せっかく可愛らしい顔を色々台無しにする鬼神の表情はやめてほしいと願ってやまない。
食事系のご要望には可能な限り応えますので機嫌を直していただけないかと思う所存にございます」

 だんだん弱気になり、最後には言葉すら怪しくなる海人。

 理由は、先程ルミナスが抱きついてきてからのシリルの形相の変遷。
 最初は呆気にとられて可愛らしさがあったそれが、刻一刻と鬼気を増していく光景は色々凄かった。
 なまじ元が可愛らしい顔立ちなだけにギャップが凄まじい。
 
 着飾って社交界に放り込めば容易く場の主役を張れそうな美しい顔が、
上位ドラゴンも思わず道を譲りそうな恐ろしい顔へと変わっていく様は、当分夢に出そうである。

 それだけに、ほとんど芸と化しているシリルの顔の変化に思わず拍手を送っている護衛二人を呪わずにはいられなかった。
 元々シリルとの関係はこんなものだから手出しはしなくていいと話していた自分の自業自得だとは分かっていたが。
 
「うふふふふふふふふふふふ……心配せずとも友人同士の再会の抱擁に嫉妬するほど大人げなくありませんわ。
ちょっと足が滑る事はあるかもしれませんけれ――ど!」

 妙に気合の入った声と同時に、シリルの足が派手に滑った。
 土の地面で足が滑り、シリルの体が空中に投げ出される。
 咄嗟に踏み止まろうとした左足が地面を蹴るが、時既に遅くその力は全て前方にすっ飛んで行く力へと変わる。   
 まさに足を滑らせた時の典型的な流れの一つである。

 が、典型的な状況と比較するとおかしな点がいくつかある。

 まず、滑らせた足の跡。
 滑っていたわりには、かなり深く地面を抉っている。

 次に、滑った人間の反応。
 二階の階段の途中から落ちても足が地面に着く前に飛翔魔法で浮く女性が、あまりに見事にずっこけている。

 そしてなにより、焦ってしかるべき状況にもかかわらずシリルの顔には邪悪な笑みが張り付いており、
彼女の衝突地点は狙ったかのように海人の鳩尾である。

 が、事故であれ何であれ、海人にはこの近距離ですっ飛んでくる人間の頭突きを回避できるような反射神経の持ち合わせはない。
 このままではシリルの小さな頭部は、確実に海人の人体急所を抉るであろう。

 ――そう、そのままであれば。

 現実には海人の鳩尾に頭が突き刺さる直前に彼の腹の前に光の壁が現れ、シリルの頭はそれに衝突した。
 豪快な衝突音と共にシリルの体が地面へと落下する。
 余程強烈な衝撃だったのか、シリルはピクピクと痙攣するだけで動かない。

 海人はその有様を見下ろしながら、楽しげに語りかけた。 
 
「甘いな。君らがいない間に術式を改良し、前より発動時間を短くした。
ついでに言えば、あの程度の行動は予測済みだったからな。君が動く前に術式を起動していた。
なんにせよ、この戦法を思いついた時以来の勝利なわけだが――感慨深いな」

「――勝利? 甘いのは貴方ですわね」

 嘲るような声と共に、海人の足首ががっちりと握られた。

「ぬぐおっ!? あいだだだだだっ!?」

「何回あなたの障壁に衝突させられて痛い思いしたと思ってますの?
あの程度の事に何の対応もできないはずがありませんわ」

 ミシミシミシ、という音を立てて海人の足を握りながら、シリルは邪悪な笑みを浮かべる。

 言うまでもないことだが、シリルは気絶などしていなかった。 
 元々一流の武人であるし、何よりも同居中に幾度となく海人に同じ目にあわされている。
 防御壁出現の瞬間に足の爪先を地面に突き刺してブレーキをかける事など、彼女にとっては容易い。

 勝利を掴んだ感触を確認しつつ、シリルは海人にさらなる責苦を与えた。

「うぐおおおおっ!? 足が!? 足が砕けて肉が千切られる!?」

 抓られ始めた自身のふくらはぎから伝わる激痛に、海人は絶叫した。
 傍目にはそっと抓っているように見えるが、込められた力は足の肉をむしり取らんばかりに強い。
 振り払おうにも、海人の脚力ではシリルの腕はびくともしなかった。

「うふふふ……さあ、敗北宣言をなさい負け犬。
素直に泣いて謝ればふくらはぎに青痣が残る程度で済みま――なにをしてらっしゃいますの?」

 海人の足を掴んだまま起き上がろうとした瞬間、シリルの声が氷点下を下回った。
 
 彼女の頭上に海人の足が乗り、立ち上がる事を阻んでいる。
 その不埒で無礼な足は体重こそかけていないものの、そのままぐりぐりと彼女の頭を踏み躙っている。  
 戦場においても毎日櫛入れだけは欠かさぬようにしている、彼女自慢の絹糸の如き金髪ごと。
 
 一応の配慮はしていたらしく靴は脱いでいるが、土足にしても靴下越しにしても踏みつけられる側からすればたまったものではない。
 それどころか、人によっては靴下越しの方が腹立たしい可能性さえある。
 ましてシリルはれっきとした女性。海人の行為はまさに命を直接踏みにじるが如き蛮行である。 
 事実、声音とは対照的に彼女の瞳は噴火した火山の如き怒りの焔を宿している。

 が、それにも臆さず海人はシリルを見下ろしながら傲然と言い放った。

「は、はっはっは……この姿勢なら、負け犬がどちらかは明白だな?」

 足の痛みに全身を震えさせ脂汗を流し、瞳に涙をにじませながらも、海人は嘲笑った。
 起き上がろうとするシリルの頭を、いっそう強く踏み躙りながら。
 
「ふ、ふふ――良い覚悟ですわね。今日こそはその腐りきってひん曲がった根性叩き直してやりますわっ!」

 怒声と共にシリルは一気に立ち上がり、海人の足を引いて地面に引きずり倒した。














 ルミナスは悲鳴を上げる海人と高らかな哄笑を上げるシリルをのほほんと眺めていた。
 その表情には微塵も心配の色はなく、微笑ましそうな慈愛たっぷりの笑みが浮かんでいる。

「ん~、久しぶりなせいか派手にやってるわね~」

「ル、ルミナス殿、やはり止めた方が良いのでは……?」

 刹那は暢気に笑っているルミナスに恐々と尋ねた。

 現在、目の前ではかなりシュールで凄まじい光景が展開されていた。
 体つきにようやく女性らしさが出かかったばかりの美少女が、明らかに平均よりも高身長な美青年の足首を掴んで片手でぶん回している。  
 びったんびったんと海人がシリルに地面に叩き付けられる姿は、アンバランスすぎて現実感に乏しい程だ。

 一応前もって海人からシリルとの若干殺伐とした関係の事は聞かされていたため手を出さなかったが、やはり目の前の光景はやりすぎに見える。

 刹那の目から見ればシリルに欠片ほどの殺気もなく、叩きつける際にも一際柔らかい地面を選び、
足首を掴む握力は逃れる事は不可能ながらもせいぜい手の跡が残る程度の力、
と乱雑に暴虐を振るっているようでその実細心の注意を払って怪我をさせぬよう弄んでいる事が分かるのだが、
戦闘の素人である海人にそれは分かるはずもない。

 事実、彼はかなり切羽詰まった悲鳴を上げている。

 海人の怪我ではなく、二人の今後の関係を心配したがゆえの刹那の問いだったが、ルミナスは軽い調子で否定した。
 
「大丈夫大丈夫。同居してた時はほとんど毎日こんな感じだったし。
あれで二人とも楽しんでるのよ」

 心配そうにしている刹那に、優しく説明するルミナス。

 海人とシリルのやり取りは、知らずに見ると本気の喧嘩にしか見えないかもしれないが、
二人の事を知っている身からすればただのじゃれあいでしかないのだ。

「で、ですが――」

「大丈夫よ。あの通りカイトだって負けてないし――片方でも本気だったら心配する暇もないわ」

 そう言ってルミナスが指を差した先には、取っ組み合いを始めた二人の姿があった。

 ルミナス達が話している間に、海人はシリルにぶん回されながら風圧で浮いた彼女の髪の毛を掴み、強引に動きを止めていた。
、そして慌てて手を止めた彼女の首を掴み、そのまま子供の喧嘩のような取っ組み合いに持ち込んだのである。
 色々見苦しい喧嘩になってはいるのだが、それこそが二人とも本気でない証明だった。

 どちらも根本的に容赦がない性格なので、片方でも本気ならとうにケリがついている。
 止める暇があるような諍いをしている事自体、遊びだと言っているようなものである。 

 ついでに言えば、他人が海人と同じ事をやれば、頭を踏まれた段階でシリルは間違いなくぶち切れて再起不能にしている。
 海人も海人で他人にああいう理不尽な攻撃を向けられようものなら、殺しはせずとも倒れた瞬間に魔力砲で追撃している。

 呆れるほどにひねくれた形ではあるが、二人は非常に仲が良いのである。
 あまり海人と喧嘩しないルミナスからすれば、少し羨ましいほどに。

「ん~、言われてみると確かにどっちも楽しそうですね~。
二人共傷が残りそうな攻撃はしてませんし」

「そうそ。ほっといて大丈夫よ。それより、二人共ヒノクニ出身なのよね?」

「は、はい。それが何か?」

 急に話を向けられ、刹那は戸惑った。

 先程からルミナスは海人とは会話していたが、自分達には話を向けなかった。
 無視されていたのではなく切っ掛けが無かっただけではあるが、これが初めての普通の会話になるのである。
 
 彼女が表現しがたい緊張感に身を固くしていると、軽い口調の言葉が返ってきた。 
   
「ヒノクニ料理ってどんなのがあるか教えてくれない?
味噌汁とか御飯とかおひたしとかは知ってるんだけど……この大陸じゃまずお目にかからない料理とかある?
カイトから色々それっぽいの食べさせてもらったんだけど、あいつヒノクニ出身じゃないから、どれがヒノクニのだか分からないのよ」

 意外な問いに、刹那の思考が一瞬停止する。
 それをフォローするかのように、雫が口を開いた。

「ん~……色々ありますけど――お目にかからないって言ったらあれかな、お寿司。
しゃぶしゃぶとか他にもこっちじゃ滅多に食べられない料理はありますけど、一度も食べてないのはあれだけかも」

「しゃぶしゃぶはカイトに前作ってもらった事あるけど、お寿司ってのは初耳ね……そのお寿司って料理、作れる?」

「ちらしならそこそこ美味しい物を作れると思いますけど――握り寿司は無理ですね。
あれはまともに握れるようになるのに年単位の時間が必要ですから」

「ちらしって?」

「大雑把に言っちゃうと、甘めのお酢で味付けた御飯の上に甘い卵焼きとか酢締のお魚とかを細かく刻んで上に散りばめる料理ですね。
良い材料でちゃんと作れば美味しい料理です」

「へえ~、美味しそうね。この屋敷にある材料で作れるかしら?」

「ん~、作れない事はないですけど、できればちゃんと魚屋さんで魚を選んだ方が――」

「そんじゃ、これから買いに行かない?
どーせ、本当だったらカイト連れてカナールに肉とか魚買いに行くつもりだったし」

「へ? でも――」

 戸惑ったように、雫は取っ組み合いをしている二人を指差す。
 えらい大人げない子供じみた喧嘩をしている二人の喧嘩は、未だに終わる気配がない。
 強引に止めるにしても、引き離すのは苦労しそうだった。

「そっちも大丈夫よ。二人共、そこまで! 夕飯の材料の買い出し行くわよ!」

 周囲を震わせるかのような大声でルミナスが二人に呼びかける。
 が、耳に入っていないのか無視しているのか、二人共反応を返さなかった。

 自信満々だったルミナスの顔が、若干引き攣った。 

「え、えっと、まるで止まりませんけど……」

「ひ、久しぶりで興が乗りすぎてるみたいね――言っとくけどあと十秒しか待たないからね!」

 雫の控えめな言葉を冷や汗と共に流しつつ、ルミナスはもう一度さらに大きな声で呼びかけた。

 が、それにも反応は返らない。
 見事に空振っているルミナスにどう声をかけたものかと刹那達が悩んでいると、彼女はトン、と足を鳴らし始めた。  
 鳴る間隔は一秒ごとに一回。見事なまでに正確なリズムを保っている。

 五回を数えた時、ルミナスの顔にやたら凄味のある笑みが浮かんだ。
 それと同時に軽く肩を回して解し、二人の動きをつぶさに観察し始めた。
 
 七回目に達した時、彼女の両手が魔力の輝きを帯びた。
 右と左で光の強さが違い、明らかに右の方に大きな魔力が込められている。
 本来彼女ほどの武人なら込めた魔力を表に出さない事も可能なのだが、それをする気はないらしい。

 そして十回目。それが鳴った瞬間、ルミナスの体が霞んだ。

 ――直後、打撃音が鳴り響き、海人とシリルの体が崩れ落ちた。

 が、完全に地面に倒れこむ前に、ルミナスが二人の体を抱きとめる。
 そして二人を立たせて手を放し、その体が倒れる前に手で二人の服の汚れを叩き落とす。
 それは凄まじい速度でありながら叩き起こしはせず、だが確実に汚れは払うという絶妙な力加減であった。

 最後に海人が脱いだ靴を拾って履かせると、ルミナスは二人を両脇にがっしりと抱えた。
 
「それじゃ、行きましょっか?」

 ルミナスはそう言って呆気にとられている刹那達に微笑みかけ、背の翼をはためかせて一足先に飛び立った。
 その大きな羽ばたきの音で我に返った二人は、
 
「ん、ん~……なんていうか――」

「色々な意味で、凄い女性だな……」
 
 ルミナスの後を追いかけながら揃って冷や汗を垂らした。  

 

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
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[2010/09/12 23:08] | # [ 編集 ]

食は充実、創造魔法のナゾ深まる、そして宝蔵院姉妹とルミナス&シリル初会合
やはり料理だけでなく家事全般駄目だったようですね、刹那嬢。

納豆に卵、美味しいですね。でも食べきらないと味の劣化も速いんですよね卵入りは…薬味も入れてるのかな、ネギとか。納豆に何を加えるかで結構変わったものを入れる人もいますしね。

卵かー、玉子かけご飯もバリエーションあるよなあ…。でも外国の人って生卵を食べる習慣があまり無いんですよね。(半熟や温泉玉子は食べられる様です)ヒノクニは日本と似ているから生卵を食べる習慣が有るかも知れないけど、ルミナスやシリルは気持ち悪いって言うかも。

寿司、ちらしは確かに家庭でもつくれますしね、おまけに結構コストパフォーマンスも良いし。逆に握りは本当に職人芸と言うか腕次第で味が天地ほどの差がる事も有るからなあ…海人が回転寿司屋の寿司ロボット見たいのを創造魔法で作るか?寿司って言えば他にも「巻き寿司(細巻き・太巻き・手巻き)」「稲荷寿司」「なれずし(ふなずし他)」「押し寿司」等の種類が有りますし、地方の者なら「鯖寿司」や「めはり寿司」ってのも有りますね。鮒寿司は好き嫌いが激しいけど(自分は普通に食べます)、案外外国人でチーズが大丈夫な人は鮒寿司も大丈夫って人いるんですよね。

って何か食い物関係の感想文になってますね、別の事も書きます。

創造魔法、ますます「作れる、作れない」の基準が分からなくなって来ましたね。でも法則が分からない方が海人の探究心を刺激するので良いかも。

元の世界の名刀もこちらの世界ではモロイみたいで…まさか海人の母の目利きが悪くて実際は駄作だったとか言うオチじゃ無いですよね。早く刹那の腕に合った武器が手に入る事を祈ります。

さあ、カナールの街へレッツゴー…って女4人に男一人って目立つだろうなあ、おまけに全員美男美女だから…。
[2010/09/12 23:17] URL | 戸次 #Wjzbkqqg [ 編集 ]

初めてコメントします
ずっと、ROMだけしていました。hatchと申します。
いやーこの作品は面白いです。実は今回の更新を先週の水曜日から心待ちしていました。
日曜日の午前0時に更新を確認し、午前8時に確認し、中日VS横浜の中継時は(私は名古屋生まれの名古屋育ちでドラゴンズファンです)確認しませんでしたが、その後にも3回ほど更新を確認し、午後11時に更新を確認できたときは、今日の森野の先制スリーランの時のように嬉しかったです。
さて、それで一読した感想です。
ずいぶんとドタバタを抑制されましたね。てっきりカイトが気づく前に女性4人の邂逅があってと思いましたが、さすがにご自身がおっしゃっていたように、キャラの収拾がつかなくなりますよね。
ある意味納得です。
あと一つ、ここで寿司が出てきますか、素晴らしいです。私は食べ物ネタが好きです。
食べ物ネタが出てくる小説では古くはジェームスボンドがありますが、私は「白い国籍のスパイ」原題は「いつもキャビアがあるとは限らない」が好きです。
今後も楽しく読ませていただきます。更新ありがとうございました。
[2010/09/12 23:38] URL | hatch #a9BnDVZs [ 編集 ]


待ってました!
更新お疲れ様です

やっとあの4人が出会いましたねー
意外とみんな大人な対応でしたが
もっと修羅場になるかと思いましたけど、ちゃんと説明があればまあ、当然の結果と言えば当然の結果ですね

次回の更新も楽しみにしています
……ルミナスの知能って高いんだ
[2010/09/12 23:46] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


更新お疲れ様でした

これから始まる新章に期待がたかまりますね!
お忙しいかとはおもいますがこれからも頑張ってください、楽しみに待っています(笑)
[2010/09/12 23:50] URL | さとやん #6x2ZnSGE [ 編集 ]


更新おつかれさまです。

新章第一話は「あの二人が帰ってくる!」しかないと思ってましたので、出番があって何よりです。

次話はカナールとの事ですが、海人宅での料理ネタ(私はチラシより手巻きが合うなと思いました)やリフォーム後の海人宅の様子や仕掛けの描写に期待してます。

カナールのドタバタも楽しみですv-266
[2010/09/13 00:43] URL | ドラッカー #mQop/nM. [ 編集 ]


更新楽しみにしていました。久しぶりにシリルとルミナスが登場していてこれからどうなるか楽しみです。次回の更新も楽しみにしています。
[2010/09/13 03:07] URL | 死識 #- [ 編集 ]


嫉妬が出ましたねぇ。
今後恋愛関係も注目していきます。
今回削ったところは没ネタ行きでしょうか?
でしたら次の没ネタ更新が非常に楽しみです。

まだ無いでしょうけど修羅場を希望します。
[2010/09/13 12:29] URL | fuji #- [ 編集 ]


カイトはなぜ普通の名刀を刹那に渡したんですか?
スーパーカーボンとかなんかすごい素材の刀くらいカイト作ってそうな気がするんですがね?

これでもう6人に魔法ばれしましたね
しかも全員と仲が良くて良い人だけ
そろそろ異世界の事をばらす時ですかね?

もしばらす時が来たら.44マグナムや.500S&Wマグナム(wiki参照)をローラ女史に撃たせて驚いて涙目の女史がみたいです!!!
[2010/09/16 06:57] URL | 煉恋々 #h2YGRmSs [ 編集 ]


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