FC2ブログ
ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄34
 二時間後、カナールの町。
 ルミナス達は衆目を集めながら町を闊歩していた。
 美青年一人に対し美女・美少女四人という比率は人通りが多く賑やかなこの町でも目立っている。
 その中の二人がやたらと薄汚れている事もまた一因であろうが。

 そんな中、薄汚れた人間の片割れ――海人がぽつりと口を開いた。

「……なあ、シリル嬢」

「なんですの?」

「いくらなんでも着替える間も与えてくれなかったのは少し酷いと思うんだが、どうだろう?」

 その言葉に、一番先頭を歩いていたルミナスの肩がぴくっと震えた。
 が、彼女は冷や汗を垂らしつつも振り返る事なく先頭を歩き続けた。
 
 その背中を追いながら、海人と同じく薄汚れたシリルは疲れきったような声音で海人の問いに答えた。

「同感ですわね。まるで仕事直後の冒険者のような酷い姿ですもの。
一応淑女である私としては、こうして町中を歩いているだけでも恥ずかしさで死にそうですわ」

 すん、とこれ見よがしに軽く鼻をすするシリル。
 その声に再びルミナスの肩が揺れるが、やはり振り向きはしなかった。

「しかもすぐ横でまともな格好で歩いているのがいるから、余計に目立つしな」

「ほとんどいじめですわね」

 その言葉を合図に、海人とシリルは同時に深い溜息を吐いた。
 まるで世を儚むかのような哀愁に満ちた吐息。
 聞く者が聞けば即座に演技だと分かるそれだが、御人好し過ぎる女性には効果抜群だった。

「だああああああああっ! 悪かったってば!
勢いでそのまま運んじゃったのは謝るから許してよ!」

 ルミナスは耐えきれなくなり、ついに振り向いて泣きを入れた。

 丁度少し大きめの広場に着いたところだったのでかなり目立ったが、
性悪二人組は他者の目線など気にもせず鷹揚に頷く。

「お姉さま、これからは気を付けてくださいませ」

「ま、このあたりで許してやるとしよう。それで、どこへ行く?」

 偉そうな二人組、特にやたら尊大な態度の男を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、
ルミナスは軽く瞑目してそれを堪えた。 

「……ガッシュさんのとこで肉買って、オングのとこで魚。他にも寄りたい所ある?」

「特にはないな。刹那達は?」

 振り向き、後ろについてきている護衛二人に声をかける海人。
 唐突に声をかけられたためか二人は一瞬戸惑っていたが、
少し考え込んだ後に目配せをすると、揃って横に首を振った。

「なら早速――おや?」

「おーっす、雁首揃えて何やってんだ?」

 片手を上げながら、獣人族のハーフである冒険者ゲイツ・クルーガーが歩み寄ってきた。
 
「買い物だ。お前こそそんな恰好で何やってるんだ?」

 ゲイツの姿を観察して、海人は首を傾げた。

 別段変な格好ではないのだが、今日のゲイツはやたらと軽装である。
 彼は常在戦場の考えからか、大概の場合愛用の大剣と軽装鎧を装備しているのだが、
今日は大きめのシャツとボトムだけで、白衣を着ている分海人の方が重装備にさえ見える。
 かといって、デート用にしてはみすぼらしい服装なのだ。
   
 が、そんな海人の疑問はすぐに解消された。

「俺も買い物だ。こないだの仕事が長引いたあげく武器が折れちまってな。
鎧もズタズタになっちまったし、靴も同じ……出費が本気で洒落にならねえ」

 そう言いつつ、懐から取り出した財布を開けて見せるゲイツ。
 中身は見事に空っぽで、彼の懐具合をひしひしと感じさせる。
 底に小さな穴が開いて空気が抜けているあたりなど、涙さえ誘われる。 

「予定より帰還が遅れているとは伺いましたが……何かあったのですか?」

 気遣うように、刹那が声をかける。
 その優しい声に涙を誘われつつ、ゲイツは事情を語り始めた。 

「……初めはただのゴブリンの群れ退治だったはずなんだよ。
なのに追いつめてる途中でアースドラゴンと鉢合わせて食われかけ、
どうにか逃げ切ったと思ったらデスウルフの群れに囲まれて、命からがら連中を倒した頃にはゴブリン達はとっくに散開してて、
仕方ねえからエサ撒いて集め直したらキングゴブリンまで混ざってやがって……」

 心底憔悴しているのか、ゲイツの言葉はだんだん小さくなっていった。
 その瞳にはうっすらと涙が滲み、仕事の労苦を漂わせている。

 それもそのはずで、彼の当初の仕事は面倒ではあるが、難度はさほど高くないはずのものだったのだ。
 だというのに、実際に仕事で遭遇した事態は高いなどという次元ではなかった。

 アースドラゴンは中位ドラゴンではあるが、中位最高の防御力ゆえにベテランの冒険者でも殺される事がある魔物。
 デスウルフは単独ではさほどでもないが、群れになれば小国の騎士団一部隊程度なら骨も残さず食らいつくす魔物。
 そしてキングゴブリンが混ざったゴブリンの群れは下手な人間の騎士団より統率力があり、尋常ではない厄介さになる。

 有り体に言って、今ゲイツがここで生きているだけでも尊敬に値する事である。

「――良く生きてたな」

「ああ、本気で自画自賛してえぐらいに奇跡的だ。ま、おかげでランクA昇格が確定したけどな。
細かい手続きやなんやかんやで正式な昇格は一月後ぐらいだろうけど」

「あら凄いじゃない。あんたの年齢でなれたのなんて、歴史上でもそう多くないでしょ?」

 ルミナスが素直に感心した様子で拍手しながらゲイツを褒め称える。
 他の四人も笑顔で拍手をしており、祝福の意思が伝わってきた。

「いんや、確か五十人ばかりいるはずだ。ま、ここ数十年なら片手で足りるだろうけどな。
一応オーガスト爺さんもなったのは三十路過ぎだし」

「それなら凄いではありませんか! かの《大いなる孤狼》よりも将来有望という事でしょう!?」

 ゲイツの言葉に、刹那が思わず大声を上げていた。
 《大いなる孤狼》オーガスト・フランベルはこの国史上最高の冒険者。
 世界的にも少し知識のある冒険者なら一度は名を聞く、そんな人物である。

 Aランク昇格の時期だけとはいえそれを越えたのであれば、将来どれほど成長するか想像に難くない。
 刹那はそう思っていたのだが、周囲――特に当事者であるゲイツの反応は鈍かった。
 
「あー……ひょっとして、知らねえのか?」

「何をでしょう?」

 小首を傾げる刹那。
 普段凛としている彼女だが、時折見せるこういう仕草は妙に可愛らしい。

「んーっと、それに答える前に一つ聞きてえんだが、あんたはあの爺さんどう評価してる?」

「二度お会いしましたが、隙のない熟練した老冒険者ですね。大の酒好きのようですが、かなりの人格者でもあるかと」

「……なるほど。あの爺さん、まだ猫被ってやがんのか」

「どういう意味でしょう?」

「まず最初に言っておくけど、あのジジイの本性は、女見かけたら挨拶代わりに尻を撫でるようなエロジジイよ。
それどころか相手によっちゃ胸まで揉もうとしてきやがるし」 

 ルミナスがぎりぎりと歯を鳴らしながら、オーガストの実態を伝える。
 彼女も会うたびにセクハラされそうになる被害者なのだ。

 その怒り具合に気圧されながらも半信半疑な刹那だったが、
それを口にする前に彼女の妹が口を開いた。

「へえ~、年とって丸くなったのかと思ってたんですけど、未だに現役なんですかあのお爺さん。
となると、あの噂ってひょっとするとホントなのかな?」

「あ、シズクちゃんはあの爺さんの悪名知ってるの?」

「ええ。冒険者の間じゃそこそこ有名な噂ですし。
本来なら歴代最年少の十九歳でランクAに昇格できたかもしれないのに、女癖の悪さで三十三歳まで伸びたんですよね?
たしかエルガルド公爵家の令嬢に手を出して暗殺者差し向けられて、ほとぼり冷めるまで潜んでようとしたルクガイアでも伯爵家の令嬢に手を出して、
結局色んな国を転々と逃げ回った挙句ガーナブレストで女性騎士を口説いてる最中に王家管理の森への不法侵入で捕まったとか」

「ま、待て。それが事実なら、なぜ生きておられる?」

 刹那は半ば反射的に訊ねていた。

 雫が挙げた話が事実なら、捕まれば死は免れない。
 エルガルドもルクガイアもほぼ全ての貴族は生まれた時には婚約者が決まっている。
 そしてたとえ夫と死に別れようとも再婚相手を周囲に決められるか、はたまた残りの生涯を独身で過ごす事になる。
 行きずりの冒険者が手を出したりなど、間違いなく処刑は確定しているはずなのだ。

「そこがあの御老人の凄まじい悪運でな。
どの国もどこかと仲が悪かったんで、処刑するにしてもどこの国が、という問題になったんだそうだ。
捕まったガーナブレストは比較的大らかな国だし、捕まった理由も無知ゆえの不法侵入だったんで処刑するような理由はなかったようだが、
他国からこっちに身柄を引き渡せとやたらせっつかれて対応に困ったらしい。
保護するほどの理由もなく、かといってどこに引き渡しても禍根が残るという事でな。
が、そのうちにあの国の上層部で冒険者としての実力は高く、女癖以外の素行はさほど悪くないから、殺すのは損失だという話が出た。
そのおかげで最終的には一年以内に逃げ回った七か国全てで上位ドラゴンを一匹ずつ倒せば無罪放免という事になったんだそうだ」

 投げやりな口調でかなり簡潔に説明する海人。

 オーガストの武勇伝は言葉で言えば簡単そうにも思えるが、
実際は一流と呼ばれる冒険者が十度転生しても成しえないような偉業である。

 上位ドラゴンは個体数が少なく、しかも数十年に一度の産卵期以外は住処から動かないため放っておく分には害はあまりない。
 ただ、放っておけば次の世代には数が増え、人の住める場所が減ってしまう。
 そこで定期的に退治が行われるのだが、これが至難である。
 少し田舎の方に行けば今でも上位ドラゴン退治をしようとして滅亡した都市や国の話が数多く残されている程だ。

 なにしろ魔法学が未成熟だった時代は軍隊で挑んだところで犠牲者八割で済めば御の字、
場合によっては鱗に傷つける事すらできずブレスで全滅だったという怪物。
 現在退治の手法としてもっぱら用いられるのは遠距離から上位・最上位魔法を複数起動させての集中砲火だが、それでも耐えきる事がある。
 彼の魔物はその全身を常に特殊な粘液が覆っており、それが熱も電気も著しくカットしてしまい、その下の鱗は斬撃も衝撃も並大抵の威力では傷もつかないためだ。
 
 ――ただし、上位を含む全てのドラゴンには逆鱗という共通の弱点があり、そこを深く貫かれると死に至ってしまう。

 それはドラゴンの巨躯からすれば小さな部分であり、上位ドラゴンは一番脆いそこですら並の攻撃では傷も付かず、
ドラゴンは最優先でそこを守るため狙う事すら容易ではないが、弱点ではある。

 そのため、逆鱗を守りにくくなる接近戦で挑めば個人で挑んでも勝てる可能性はある。

 無論、そのためには尾の一撃で山を砕き、爪の一振りで上位の爆破魔法級の大穴を開けるような攻撃力から逃れ、
上位の風魔法ですらへこみもしない逆鱗を貫かなければならないわけだが、勝てる可能性は0ではない。  
 当然それを七度連続で掴み取る可能性も0ではないのだが、
 
(その決を下した連中は少し手の込んだ死刑ぐらいにしか思ってなかっただろうなぁ……) 

 非常識すぎる老人への畏怖に、海人は深く息を吐いた。
 自身の存在自体がある意味オーガストよりもはるかに非常識だという事は棚に上げつつ。
 
「本気ですげえのはそっからだけどな。実際にかかった期間は半年ちょい。
下準備する金はねえ、仲間もいねえ、そんな状況で籠手と鎧だけを身に着けて上位ドラゴン七匹狩っちまったんだと」

 どこまでも凄まじい先達の偉業に、ゲイツはもはや嘆息するしかなかった。
 本人からは一応自分より有望だと言われているが、生涯かかっても追いつける気がしないのである。

 なお、この話はスキャンダルを恐れた各国の隠蔽工作、そして流れた年月によって既に真実は表だっては伝わっていない。
 正確に伝わっているのは彼がその時期に七匹の上位ドラゴンを倒したという事実のみ。
 それでも隠蔽はしきれなかったのか、貴族の令嬢との悲恋話やらなにやらと形を変えた噂は色々あったりするのだが、
いずれも真実とは程遠い話ばかりである。

 唯一近いのは雫が言っていた冒険者の間で伝わるオーガストの悪名の噂話だが、
それすらも海人やゲイツが以前酒飲み話で本人から聞いた話に比べれば、えらいソフトな内容になっている。
 
「な、なんともまあ……」

 刹那は開いた口が塞がらなかった。
 戦った事は無いが、上位ドラゴンの凄まじさは口伝で聞いている。
 半年で七匹倒すなど、もはや冗談にしか聞こえない。
 それだけの偉業が女癖の悪さの後始末だったなど、もはや悪夢に等しい。

 なお、余談ではあるが、七匹のドラゴンを倒すまでオーガストには監視役として各国から暗殺者が付けられていた。
 そして、倒し終えるなりその内の一人――男装していた女性暗殺者を口説き落とした。
 どこまでも懲りるという事を知らない男だったのである。

「あれ? そういえばどうしてお姉ちゃんに手を出さなかったんでしょう?
身内の贔屓目抜いても相当な美人のはずですけど」

「……一応初対面の相手には自重もするのよ。
ただ、それなりに馴染んできたらいきなり尻撫でようとするから、セツナさんは気を付けた方が良いわ。
シズクちゃんは間違いなく対象外だから大丈夫だけどね」

「むう、女としては少し複雑です」

「後2、3年したら対象になるだろうからそんな事言えなくなるわよ。
気配の消し方なんか本気で性質悪いんだから」

「ま、女からすりゃ天敵――って、やべっ!?
わりい、俺これからスカーレットとデートなんだ! じゃあな!」

 ふと時計を見た瞬間、ゲイツは慌てて自分の家へと駆け出した。

 今日は彼の婚約者スカーレット・シャークウッドとのデートなのである。
 夕食はかなり高級なレストランなので、それなりの格好でなければ入れてもらえない。
 予約もかなり大変だったようなので、服装で入れませんでしたなどとなったら本気で怖い事になる。
  
 ゲイツは一秒でも早く準備を整えるため帰ってからの行動順序を考えながら町に消えていった。 

「ん~、デートかぁ……やっぱちょっと羨ましいわね」

 思わずそんな言葉を漏らすルミナス。
 彼女の場合年齢が彼氏いない歴とイコールなので、やはり幸せそうなカップルのデートには羨望がある。
 仕事の関係上もあり、当分は夢のまた夢だが。

「君の場合その気になれば男などいくらでも選べるだろ。
性別も問わなければすぐにでもベッドに連れ込みそうなのもそこにいるが」

 そう言ってシリルを指差す海人。
 喜んでルミナスの恋人に立候補する彼女だが、同性という事を抜きにしても色々問題がある。
 具体例としては今の人間をやめて久しそうな劣情に満ちた形相だ。
 
「そーゆー関係は嫌。もっとこう、心が繋がってるって感じの恋愛がしたいのよ」

「ふむ――まあ、それでもそのうち良い相手が見つかるだろ。
君のスペックならなびかない男など皆無に近いだろうし、必要なのは待つか探すかだけだ」

 ルミナスのちょっと年甲斐もない希望を、海人は笑う事もなく冷静に分析した。
 目の前の女性は尋常ではなく能力が高く性格も良いため、必要な相手さえ見つかれば振られる可能性は極めて低いと。 

「そうかしらね?」

「基本的に君は欠点が無いし、料理に関してはそれだけで付き合いたい動機になるレベルだ。
ま、本気になれば落とせない男はそういないだろうさ」

「ふふ、そんじゃ、その腕を振るうための材料を買いに行くとしますか」

 淡々とした、だが迷いのない海人の高評価に気を良くしながら、ルミナスは歩き始めた。
 その背中に一瞬一対の複雑そうな視線が刺さった事に気付かぬまま。

 


































 十数分後、五人はルミナス馴染の肉屋の前にやってきていた。
 少し分かりづらい立地ではあるが、安く良い肉が手に入るお値打ちな店である。 
 道幅の関係上大人数で来るべき店ではないのだが、刹那達への道案内を兼ねて全員でやってきていた。

「こんにちは、ガッシュさん」

「おう、今日は随分大勢だな。何が欲しいんだ?」

「ん~、久しぶりだしがっつりステーキでも食べたいかな。
厚さはいつもと同じぐらいで」

「ステーキか。それならお勧めはレスティア牛だな。
サーロインもフィレもすげえ良いトコが揃ってる」

「へえ――ちなみに値段は?」

「サーロイン一枚で大体五千ルンだな」

 そう言ってサーロイン肉の塊を指差すガッシュ。

 たっぷりと綺麗に入った霜降りの様子は脂っぽさをイメージさせるが、
レスティア牛は脂の後味が非常に軽快で、これだけの脂があってなお脂の旨味と肉の旨味がきっちりと両立する。
 それに塩コショウを軽く振ってステーキにした時の味たるや、老い先短い老人に家族が食べさせたら、そのまま昇天してしまったという都市伝説があるほど。

 確かに高いが、その質からすればむしろ安いとさえ言える値段設定。
 食道楽の貴族であれば、迷いもなく購入するであろう価格だ。
 
「高いわねぇ……もう少しまからない?」

 が、ルミナスは渋い顔をした。

 いくらコストパフォーマンスが良かろうと、値段が高い事には変わりがない。
 文字通り命を懸けて大金を稼いでいるだけの食道楽な庶民としては、もう少し安くしてほしいところだった。

「おいおい、これでも結構値引いてるぜ?」

「それは分かってるんだけどさぁ……ん~、どうしよっかな」

 腕を組み、唸るルミナス。

 ガッシュの言葉が事実であることは良く分かる。
 それこそ倍の値段でも買う人間がいそうなほどの肉なのだ。
 人脈と知識に乏しい田舎貴族辺りに上手く話を持ちかければ、三倍でも売れるかもしれない。
 
 だが、高い事もまた揺るぎない事実。
 どうしたものかと悩んでいると、不意に刹那が彼女の肩を軽く叩いた。
 
「どうかしたの?」

「少しお願いがあるのですが――詳しくはあちらの方で」

 そう言って、表通りに近い方を指す刹那。
 特に断る理由もなかったため、店主に一言断ってから全員で刹那についていくことにした。
 
 数十秒程歩き、店が視界から消えた辺りで、刹那の足が止まる。
 そこで、ルミナスがおもむろに問いかけた。 
 
「で、お願いって何?」

「よろしければ、拙者と交渉を代わっていただけませんか?」

「そりゃ構わないけど――大丈夫なの?」

 その問いかけを向けられ、海人は困った。

 刹那の経済観念が強いのは間違いないが、値切りが上手いかと言われると分からない。
 ここしばらく一緒に暮らした感想からするとあまり交渉に向いていそうには思えないのだが、
刹那は無根拠で申し出るような女性ではないという事も知っている。

 海人がどう答えたものか悩んでいると、雫が口を開いた。   

「問題ないですよ。お姉ちゃんは金勘定と戦闘だけは頼りになります」

「……んじゃ、お願いするわ」

「任されました。あ、その前に少し確認したいのですが――」

 そう言うと、刹那はルミナスに何やら耳打ちした。
 その内容に彼女は若干驚いていたようだったが、戸惑いながらも軽く頷いた。 
 その後刹那は数十秒間ルミナスと何やらコソコソと相談する。

 そして、相談が終わると刹那が先頭に立って店の前に戻った。

「おっ、作戦会議は終わったのか? つってもこっちもギリギリの値引きだからこれ以上は――」

「レスティア牛のサーロイン、それもその厚さで一枚五千は確かにお値打ちですね。
仰る通り、非常に頑張っておられるのが分かる値段設定です」

 ガッシュの言葉に被せるように、刹那は鷹揚に頷いた。
 基本的には凛とした女性なのでその仕草には威厳にも似た貫禄がある。
 そのためか、ガッシュは褒められた事に漠然とした誇らしさを感じた。

「お、おう、勿論だ。あんたらみたいな美人の姉ちゃん相手だったら頑張って値引きしなきゃ男がすたるからな」

「ありがとうございます。とはいえ、確かに頑張った価格だとは思いますが、この肉質からすれば平均では六千前後。
今日中に売り切らなければならない肉なら、もう少し値引けるのではないかと思うのですが……」

 刹那は考え込むかのように少し俯いた。
 しかしその目だけは店主に固定されており、反応をつぶさに観察している。
 
「……な、何の事だ?」

 若干どもりながらも、ガッシュはとぼけた。
 かなり痛い所を突かれはしたが、彼とてこの商売の盛んな街で長らく店を開いている男。
 それだけで大きく取り乱すほど未熟ではない。

 が、刹那は顔を上げ、穏やかで柔らかく、それでいて強い口調でさらに追いつめる。
 
「素晴らしい肉ですが、食べ頃は長く見積もっても今日の夜まででしょう?
この町は懐が温かい方が多いのかもしれませんが、夜までに全てを売り切れますか?」

「……そりゃあ無理だがな」

 ガッシュは肩を落としながら、渋々認めた。
 
 現在店頭に並んでいる肉は、数日前にその質の良さに魅せられて思わず仕入れすぎてしまった残り。
 色々と手を尽くしたにもかかわらず捌ききれず売れ残ってしまった肉だ。
 
 そして目の前の女性の言う通り、食べ頃は今日の深夜が限度。
 それを過ぎれば間違いなく風味が落ちてしまう。
 
 鋭い目利きをしている、と半ば感心していると、刹那が言葉を続けた。  
 
「となれば残った肉は味が落ちた状態で売らなければなりません。
そして、揃っている肉の質からすると店主殿は肉屋という職業に誇りを持っておられるはずです」

「そりゃ当然だろ。男が自分の職に誇り持たなくてどうすんだ」

 胸を張るでもなく、極自然にガッシュは答えていた。
 やるならば完璧な仕事を、それが彼の信条だった。

「高潔なお考えです。さて、おそらくはどう足掻いても確実に売れ残るであろう肉。
味が落ちたそれを今日と同じ値段で売る事を、貴方の誇りが許しますか?
いえ、それ以前にせっかく揃えた極上の肉の質が食べられる前に質が落ちてしまう事を許容できますか?」

「そうくるか……! だ、だが……」

 プライドをくすぐる言葉に、ガッシュが揺れる。

「ええ、明日になったとしても、あなたの誇りと天秤にかけたとしても現在の額から二割引きといったところでしょう――ですので、ここでお願いです。
サーロインとフィレ、表に出ている肉の半分を買いますので、一割引いていただきたい」

 ぴっ、と立てた人差し指をガッシュの目の前に突き出す刹那。
 その指の位置は彼の目を示した数字から決してそらす事を許さず、かつ圧迫感を与えない見事な間を保っている。

「ぐっ……し、しかし……」

「悪い取引ではないと思いますが?」

 慌てる事もなく、淡々と言葉を重ねる刹那。

 実際、さほど悪い条件ではない。
 高いせいで売れ残っている部位二種が半分も売れれば、今日の店仕舞いまでにはどうにか残りを売り切れる。
 一割引きという条件も、状況を考えれば商品価値を貶めるという程ではない。

 が、それでも彼は納得しきれなかった。

「……あんまり安売りはしたくねえ。せめてもう少し何か買ってくれ。それも一割引くから」

「……ふむ、店主殿の言葉もごもっとも。
ルミナス殿、他に何か欲しい肉はございますか?
それならば快く割り引いていただけるのですが」

「そ、それならアルドーレス牛のサーロインを同じ厚さで十枚かしらね。
一度食べ比べてみたかったし」

 やや引き攣った表情で、ルミナスはレスティア牛に比べて赤身が多いサーロイン肉を指差す。

 こちらも有名な牛肉で、霜降りのレスティア赤身のアルドーレスと並び称されている。
 前者は溶けるような触感と濃厚でありながら軽い脂の旨味、後者は柔らかくも噛み応えのある触感と肉汁の旨味が特徴の肉である。 

 その指名に、ガッシュは少し考え込んだ。

 この肉も高いので、一割引きにすると利益はかなり少なくなる。
 だが、これもまた値段が高いため売れ残りやすい。 
 先のリスクと利益の減少を天秤にかけた末に、ガッシュはぱんっと手を打ち鳴らした。

「――よし、分かった商談成立だ!」

 言うなり、肉を切り分け始めるガッシュ。
 この道三十年の彼は瞬く間に全てを切り分け、最後に秤で重さを調べ、金額を出した。
 重量感あふれる肉入りの袋を代金と引き換えにルミナスに手渡すと、
アッシュはどこか清々しい様子で笑みを浮かべた。
  
「ったく、厄介な姉ちゃんだが――ま、贔屓にしてくれや」

「はい。値引いた甲斐があったと思われる程度には利用すると思います」

 静かに一礼すると、刹那は店を後にした。
 あまりの手際に若干腰が引けている海人達を引き連れて。
  
































 一時間後、一行は大量の食糧を抱えながら町を闊歩していた。
 
「………………なんつーか、凄かったわねセツナさん」

「ガッシュさんが提示した額から更に値引いた人間なんて初めて見ましたわ。
しかも最後の最後まで手玉に取りっぱなしでしたし」

 シリルが畏怖すら込めた眼差しで刹那を見つめる。
 
 あの交渉は全てが予定通りに進んでいた。
 一割値引かせるという宣言を実行したこともだが、買う物も一切余分な物は買っていない。
 きっちりルミナスに頼まれた通りの分量だけを買っていた。

 ――そう、刹那はガッシュが最後に抵抗を示す事も、その内容さえも予想していた。

 その上で、ルミナス達の食べ比べをしてみたいという要望を満たす事に利用したのである。

「つーか、その後もでしょ。あれだけ値引かせて悪感情抱かせないって……」

 ルミナスの表情は既に畏怖を通り越して呆れに近くなっていた。

 刹那は魚屋でも見事に値切り、卵屋でも大量購入と引き換えではあるものの三割引きで高級卵を手に入れた。
 その際の話の進め方たるや、反論を許しつつも片っ端からやんわりと切り捨て、合意を得たうえで自分の狙い通りの額に引かせるという性質の悪さ。
 飴と鞭を使い分け、恨みに思う事すらさせず、後の関係への影響も残さなかったのである。
 
 宝蔵院刹那――彼女はまさに値切りの鬼であった。

「ここしばらくの日常を知ってる身からすると、本気で化かされてる気分なんだが」

「お姉ちゃんは値切りに関しちゃ凄いんですよ。未熟な商人相手だったらそれこそ原価ギリギリまで値切っちゃうんです」

 狐につままれたような顔をしている海人に解説する雫。

「というか――節約志向なのは知っているが、刹那はさほど物覚えは良くないはずだろう?」

「地域ごとの宿泊料金の相場と食べ物系の値段は良く覚えてるんですよ。
しかも肉に関してはかなり凄い目利きですし……我が姉ながら食い意地張りすぎですよねー」

「元はと言えばお前がたまには美味い物が食いたいと言うからだろうが」

「そこで料理店に行こうって考えない辺りケチなお姉ちゃんらしいよねー」

「下手な料理人よりお前の方が腕は上だろうが。
大体、今まで渡り歩いた国ではお前の満足しそうな店は全部それなりの服装が必須だったのを忘れたか?」

 そう言って軽く吐息を吐く刹那。
 雫は意外に舌が肥えているため、並大抵の店では満足しない。
 無駄金を使わないためには最高級の店で評判が良い店しかないが、そういう店は服装もそれなりの物を求められる。
 だが、流れの冒険者であった二人がそんな服を持ち歩けるはずもない。
 
 そのため、刹那は良い肉を安く買うための値切りを身につけたのである。
 残念ながら雫にはその才覚が、というか根本的な金銭感覚が無かったため、彼女がやるしかなかった。
 その過程で刹那は必要以上に出費にこだわるようになり、ケチと言われるまでに至ってしまったわけだが。

 そんなわりと苦労人な刹那の姿を、ルミナスは複雑そうな顔で見つめていた。 

(セツナさんって生活力あるわねぇ……しかも凄い美人だし)

 心の中で、感嘆の息を漏らすルミナス。

 初対面の時から思っていたことではあるが、刹那は羨みたくなる程に優れた容姿をしている。
 ポニーテールにまとめた黒髪はルミナス自慢の黒翼と同等に艶やかで美しく、その他もそれに負けず劣らずだ。
 顔立ちは近寄りがたいほどに凛々しく整っており、漆黒の瞳は飲み込まれそうなほどに美しい。
 欠点があるとすれば胸がかなり薄い事ぐらいであろうが、それでも女性らしい膨らみではある。  

 実のところ性質が違うだけでレベルとしてはルミナスの容姿も同等以上なのだが、
今一つ自覚に欠けるため本人はそれに気付いていなかった。
 ついでに言えば、厳密な意味での生活力なら値引きはできても家事が全滅、というか破滅的な刹那より、
値段交渉もそこそこ可能で家事全般、特に料理に関してはプロ並みのルミナスの方が圧倒的に上である。

 それが分からないルミナスが女として勝てるのは胸の大きさぐらいか、と自分のそれを見下ろして溜息を吐いていると、
横目でそれを見ていた海人が何事か考え始めた。

 そして数瞬思考に沈んだのち、思い切ったように口を開いた。

「……刹那。ちょっといいか?」

「はい、なんでしょうか?」

「余計かもしれんが、サラシはやめた方が良い。
君の巻き方だと戦いの動きに影響が出ているだろうし、将来的には形が悪くなる可能性もある。
その気があるならルミナス達にブラを選んでもらうといい。
仕事絡みだし、買う場合の代金は私が出すから遠慮はするな」

 大真面目な顔での海人の発言に、女性陣が一斉に噴いた。
 特に刹那の反応は顕著で、顔を赤面させ、舌も回らぬ状態でうろたえている。 

「な、な、ななな……!?」

「色々言いたいことはあるけど――とりあえず、サラシって何か教えてくれる?」

 頭痛を堪えつつも、ルミナスは海人に問いかけた。

 彼は決して女性に対する気遣いが出来ない男ではない。
 どうでもよさそうな態度をしつつも、ちゃんと一定の節度は守る。
 わざわざ口に出したという事はそれなりに大きな問題で、早めに言っておいた方が良いという証左。    
 ならば、ルミナスとしても協力しない理由はないし、それを先に片づけるべきだ。
 
 勿論後で余計な手間をめんどくさがって、今率直に口に出したであろう馬鹿者に説教はするつもりだが。

「この場合は、胸を白い布でぐるぐる巻きにして無理矢理押さえる方法の事だ。
刹那の場合は少し硬めの布を使ってかなりきつく巻いてそうだし、違和感が強いと思うんだが……」

「はあ!? そんな事したら胸潰れて呼吸苦しくなるじゃない! 本当なの!?」

「は、はい。しっかり締めませんとずれてきますし、
かといってこの大陸の下着というのは、扇情的すぎましてあまり……」

「駄目! どうせ見せるわけじゃないんだからんな事気にしないの!」

 刹那のおずおずとした言葉を一刀両断するルミナス。
 戦闘において呼吸に影響が出るというのは、微弱でも致命的だ。
 海人の護衛だというのなら、尚更放置はしておけない。 

「そ、それに、しっかり固定しておきませんと戦闘においては邪魔ですので――」

「戦闘で派手に動いても平気なブラなんざいくらでもあるから、付いてきなさい!
カイトはしばらくそこで待ってて!」

「ル、ルミナス殿! お、お気持ちはありがたいですが拙者は海人殿の護衛――」

「シズクちゃん置いておきゃ大丈夫よ! それじゃ、二人共そこで待ってて!
シリル、行くわよ!」

 がしっと刹那の襟首を掴み、顎をしゃくるルミナス。
 彼女の忠実なる副官は海人から資金として二十万ほど受け取りつつ、舌なめずりをした。
 
「お任せを。サイズ選びから似合うデザインの選定まで、腕が鳴りますわ!」

「お、御二人共目が怖いのですが!? か、海人殿、お助けくだぁぁぁあああぁぁぁーーー!?」

 先程の値切りの鬼神と同一人物とは思えない程情けない悲鳴を引きずりながら、刹那の姿が遠ざかっていく。 
 その姿が完全に消えたところで、雫が海人に顔を向けた。  

「行っちゃいましたねー。どうします?」

「ただ待つのも何だしな。軽く甘い物でも食べるか?」

「あ、それだったらあそこのアイスクリームが食べてみたいです」 

 くいくい、と海人の袖を引っ張りながら、雫は歩き出した。

























 それから待つ事しばし。
 
 アイスクリームを食べ終えた雫は生クリームたっぷりのクレープを頬張っていた。
 その横では海人がバターと砂糖だけのシンプルなクレープをちびちび食べている。
 時折隙を見て海人のクレープに雫が齧りついているが、特に空腹感が無い彼は雫にデコピン一発入れるだけで許している。
 
 そんな傍目から見ると仲良し兄妹にしか見えない二人は、食べながらも和やかに談笑していた。
  
「にしても、サラシってそんなに駄目なんですか?
あたしはまだ胸膨らんでないから分かんないんですけど」

「正直私も分からんが、女性の胸の形状を考えれば、一定以上の大きさならかなり歪に潰す形になるはずだ。
慣れて気付かなくなっているのかもしれんが、違和感はそれなりに大きいはずだ。
とはいえ、サラシが気に入ってるなら無理にと言うつもりはなかったんだが――ルミナス達が暴走したからな」

「良い人達ですよねー。本人自覚無いんだから放っておいた方が楽なはずなのに」

「二人共面倒見が良いからな」

「そうみたいですねー。にしても、ちょっと遅すぎ……あれ?」

「ぶぎゃあああああっ!?」

 凄まじい絶叫と共に、なにやらずんぐりむっくりした物体が飛んできた。
 それは風を切り、周囲の喧騒を裂きながらみるみる広場へと近づいてくる。
 
 そして、程なくして広場の中央に着弾した。

 思いっきり石畳に叩き付けられたその生命体は、ぴくぴくと痙攣するばかりで動かない。
 が、最初騒いでいた広場の人間はその姿を確認するなり興味を失って一人また一人と人の流れに戻っていった。

 着弾地点の一番近くにいた海人と雫もまた、冷静だった。 
 クレープを食べ進めながら、老人と思しき生命体をなんとなく見下ろしている。
 
 やがて、意識が飛んでいたらしい生命体がよろよろと起き上がる。
 丸まっていたため分かりにくかったが、どうやらその生命体は筋骨隆々とした人間の老人らしかった。
 
 海人は見覚えのあるその姿に何でもなさそうに声をかける。 

「オーガスト老、今日は一体何をやらかしたんです?」

「まだ何もしておらん! ルミナス嬢ちゃんに挨拶しようとしたらいきなり殴り飛ばされたのじゃ!
今日はまだ覗きもスカート捲りもしとらんのに!」

 堂々と自分が性犯罪常習犯であると宣言するオーガスト。
 その姿は実に雄々しく、後ろめたさなど微塵も感じさせない。
 あまりに堂々としすぎているため、言葉の内容を聞き違いかと思いかねない程だ。

 思わず潔白を信じてしまいそうになるその叫びにも動じることなく、海人は淡々と見解を述べた。

「とりあえず原因としては、日頃の行いの悪さとタイミングの悪さですね。
おそらく、女性服の店の近くだったでしょう?」

「……そういえばそうじゃったな。という事はルミナス嬢ちゃんが試着で着替えを!?
しかもセツナ嬢ちゃんも一緒におったから――何としても覗かねぼぎゅっ!?」

 言い終わる前に走り出そうとしたオーガストが、突如現れた障壁に衝突した。

 鼻を押さえながら後ろによろめくと、丁度膝裏の部分に何かが当たり、そのままバランスを崩してその上に座ってしまう。
 その直後、オーガストの周囲全て黄色に輝く障壁が覆い、閉じ込められてしまった。
 よく見れば膝裏に当たったのも無属性魔法の障壁である。

 障壁一つ一つはさほど厚くないが、配置のせいで立ち上がる事は出来ず、
障壁と彼の体の隙間の大きさも非常に巧みで、ほとんど力を出せない状態にされている。

 あまりに見事な拘束に畏怖を覚えつつもオーガストが下手人と思しき男に顔を向けると、

「お気の毒ですが、足止めさせていただきます。見逃すとルミナスが怖そうですので」

 まるで悪びれた様子もなく、海人が宣言した。

 その横では雫が首を伸ばし、彼の手元のクレープ最後の一口をペロリと平らげていた。
 が、海人は怒るでもなくもきゅもきゅと嬉しそうに頬張る雫の頭を撫でてやる。
 その光景はまるで年の離れた兄に甘える妹と、ついつい甘やかしてしまう兄の様で実に微笑ましい。

 だが、普通なら和みそうなその光景を見たオーガストは暴れた。
 
 今の自分は全世界の男の理想郷が間近にあると分かっていながらそこへ進むことができない。
 そんな悲劇を作り出している元凶である男が美少女を横に侍らせ、幸福を満喫している。
 暴れずにはいられない、何としてでもここを脱して理想郷へと特攻しなければならない、と。
 
 しかし、現実は無慈悲であった。
    
「む、無属性とはいえここまでの強度――さてはわしが飛ばされてきた時から準備しておったな!?」

 息を切らしながら海人を睨み付けるオーガスト。

 無属性魔法とはいえ、この障壁の強度は堅すぎる。
 力をほとんど出せないとはいえ、オーガストが暴れて壊せないとなると最低でも中位魔法級。
 発動時間を考えれば、あらかじめ魔法の術式を構築し、自分が動く瞬間を待ち構えていたとしか思えなかった。 

「御想像にお任せします。とりあえず全力尽くして足止めしておかないと私も巻き込まれかねないと思ったのは事実ですが」

 オーガストの問いに、海人は特に感慨もなさそうに答えた。

 実のところ、オーガストの推測は間違っていた。
 海人はその怪物的頭脳を持って開発した発動時間・魔力消費共に下位魔法、強度中位魔法という反則じみた魔法でオーガストの動きを封じたのである。
 オーガストを足止めしようと考えたのは、彼との話が終わる直前であった。

 とはいえ、そんな種明かしなど愚の骨頂なので、海人は白々しくとぼけていた。
 クッキーが焼き上がったばかりの屋台に視線が釘付けになっている雫に千ルン紙幣を握らせながら。

 ありがとうございまーす、と子供よろしく駆けていく雫の背中を眺めていると、
捕らえられた老冒険者が不意に静かになった。
 諦めたはずもない老人の方へ海人が顔を向けると、彼は呼吸を整えていた。
 その呼吸法は彼の鍛え抜かれた肉体を脈動させ、無駄な力みをみるみるうちに削っていく。
 
 そして、しばし深く規則正しい呼吸を続けた後、オーガストはカッと目を見開いた。
  
「この程度の障壁――――我が性欲の前では紙に等しいっ!」

 裂帛の気合いと共に、轟音が鳴り響いた。

 見ればオーガストは座ったまま強化した両腕を正面の壁に密着させ、衝撃を叩き込んでいる。
 力を出せぬ体勢にありながら、その一撃の威力は凄まじかった。
 強度で最高を誇る無属性魔法といえど中位魔法程度の障壁なら易々と打ち砕く、そんな威力だった。

 しかし―― 

「ば、馬鹿なぁぁぁっ!?」
 
 障壁はびくともしていなかった。
 ありえない、とオーガストがよくよく目を凝らすと、前方の壁の先が先程よりも見えにくくなっている。
 まるで、壁の厚さが倍になったかのように。
 それが意味する事を悟りオーガストが愕然としていると、 

「紙に等しい。なかなか上手い事を仰いますな。
一枚なら容易く破けても、重ねれば存外破れない――現状をよく把握してらっしゃる。
まあ、今回はもう一枚しか重ねていませんが」

 オーガストが力を溜めている間にもう一枚障壁を重ねていた男が、雫から差し出されたクッキーを齧りながら呟いた。

 元より、海人は最初の拘束程度でオーガストを止めきれるなど全く考えていなかった。
 一度目のそれはあくまで足止めにすぎず、その後もう一枚重ねるつもりだったのだ。
 二枚密着させるように重ねれば、一枚では中位魔法程度の強度でも上位魔法に一歩及ばない程度の強度になるのである。

 当然だが、海人は最初の段階で二枚重ねる事も出来た。
 それをしなかった理由は二つ。

 一つは自分の力をあまり大きく見せないため。

 最初に使った障壁の数は六つ。オーガストが腰かけた障壁は立方体状の物なので多少節約できたが、
それでも一般的な術式なら一つ十万、計六十万もの魔力を消費する行為。

 そしてオーガストがどこに攻撃するか分からない状況では全面を覆うしかなく、倍近い魔力が必要になる。
 海人の魔力からすればさしたる消費ではないが、百万を超える魔力を持っていると示すのは衆人環視の中ではあまり好ましくない。
 七十万程度なら魔力消費で気絶しない事を計算に入れても一流の魔法使い程度にしか認識されずに済む。

 そしてもう一つだが――純粋に、海人の趣味である。

 彼は必勝を確信した相手の歓喜を叩き潰す事に快感を覚える、サディズム溢れる青年なのである。
 
「これは酷すぎるじゃろ!? ただでさえ全力出せんというのに、さらに念を入れるなど!?
大体お主も男ならわしのこの湧き上がる衝動を理解できるはずじゃろうが!?」

「無論出来なくはありませんが――他人が見るのに協力する気はありません」

「男の仲間意識というものが無いのかお主は!?
ええいっ! こうなったらわしの全力を持って打ち破ってくれるわ!
エロに滾る猛々しき男の力――とくと目に焼きつけいっ!」

 叫びと共にオーガストの全身を膨大な魔力の輝きが包み、徐々に体内へと収斂していく。
 一切の無駄なく肉体強化へと回されたその魔力は全て体内へと収まり、肉体の力強さへと変わっていく。
 障壁のおかげで攻撃魔法が飛んでくる心配はないため、オーガストは存分に力を溜める事に専念できた。
 その状態で再び呼吸法を使い、力みを捨てる。

 そして再び目を見開き、障壁を破壊しようとした瞬間――彼は後ろの障壁に頭を打ち、地面に腰を打った。

「流石にその威力では破壊されるでしょうが――まあ、当たらなければ問題ありませんな」

 二枚目のクッキーを齧りながら、淡々と述べる白衣の悪魔。

 今回彼がやった事は、オーガストが腰かけていた立方体状の障壁の消去である。
 先程のオーガストの状態で力を溜めるには、どうしても臀部に力がかかる事になる。
 その力が最高に達した瞬間に座っている場所が唐突に消えれば、いかな達人と言えども体勢を崩してしまう。
 単に転んだだけであるためダメージは無いが、せっかく溜めた力は驚愕と空振りで霧散してしまっていた。
 
「どこまで鬼かお主!? 老い先短い老人にここまでの仕打ちをしたら、普通少しは罪悪感を抱かんか!?」

「放っておくとあと三十年は生きそうな人間は老い先短いとは言わないかと」

 老人の哀願をバッサリと切り捨てる海人。
 彼のやっている事は性犯罪防止という善行なのだが、口の端に浮かんだ笑みは犯罪者のそれに近かった。

 ――先程から無邪気なフリをしてオーガストの無力感を増大させて楽しんでいる雫の笑みも似たようなものだが。

 そんな性悪二人の行為にもめげず、伝説の冒険者が再び体を起こし脱出へと動き始めた瞬間――燃え尽きたかのように崩れ落ちた。
 
 はて、と直前まで彼が見ていた方向に海人が振り返ると、 

「お待たせ。期待通りに働いてくれたみたいね。ありがと」

 晴れやかな笑顔で、ルミナスが礼を言った。
 その後ろには一仕事した充実感に満ち溢れたシリルと、何やら憔悴している刹那がいる。

 何があったのか気にはなったが、とりあえず海人は言うべき事を言う事にした。

「礼はいらんが、挨拶しようとしただけで殴り飛ばすのはさすがにどうかと思うぞ?」

「……このエロジジイの挨拶よ?」

 疲れた様子で、ルミナスは呆れたような目を向けた。
 海人はその意味する事を瞬時に察し、オーガストから完全に視線を切った。
 とりあえず、効果時間が切れるまで放置しておかないと自分までとばっちりを食うと判断して。
 
「そ、そうか未遂で済んだようでなによりだ。それで刹那、良いのはあったか?」

「は、はい。付け心地も良くしっかり押さえられます」

 若干頬を赤らめつつもしっかり答える刹那。
 実際固定はサラシより少し甘いが、はるかに快適だった。
 それを男に言うのはかなり恥ずかしいものがあったが。

「それは何より。金は足りたか?」

「予備含めて幾つか買いましたら、これだけしか残りませんでしたわ」

「……ふむ、予想よりかかったようだが、まあいい。
それじゃ、そろそろ帰るとしようか」

 紙幣数枚しか残っていない残額を財布に入れると、海人は四人を引き連れて門の方へと歩き始めた。
 
 帰るまでの空の旅が、今回のような話の場合は面倒でもしっかり手順を踏まなければならないと、恐怖と共に叩き込まれる時間だと知る由もなく。
















テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
白衣の英雄34更新ご苦労様でした。
最初は海人&シリルのルミナス弄りから始まり、ゲイツ登場。どうやらエライ目にあっていた様で…装備品が殆どパーとは…スカーレットとデートはいいけど結婚が延び延びだと彼がボコボコにされないか心配。

若い頃のオーガストの”武勇伝”も出てきましたが…良くも悪くも変わらないですね。

刹那、漸く戦う事以外の取り柄が発覚。うーん、値切りが上手いとは意外だった、人が良さそうなので寧ろ騙されるタイプだと思っていました…って”宿泊料金の相場と食べ物系の値段”限定の可能性は有るのかな?サラシからブラにチェンジして少しは自分にも気を使う様になるのでしょうか?

カナールに来ているのにシェリスの所に顔を出さないのは…マズイのではと思ったのは自分だけで?

では、次回更新も頑張って下さい。
[2010/09/27 00:27] URL | 戸次 #Wjzbkqqg [ 編集 ]


更新お疲れ様です

毎度のことながら面白かったです!
この章は確かにこのまま進むならドタバタしそうですねー

ただ疑問に思ったんですけど、海人の説教?でオーガスト老ってロリ体系?もいけるようになったんじゃ?
雫はさすがに年齢の問題が引っかかるんですか?
それとも一緒にいるならやっぱり大きい方ということ?

そして、といってもオーガスト老話ですが
彼はいつもいつも力の使いどころを間違ってませんかね?(笑)
いや、実際は出会う場面がそういった場面ばかりという話ですけど
あの人の辞書に「懲りる」という文字はあるんですかね?
ないですね。聞く必要ありませんね、すみません(笑)

では、次回の更新も楽しみにしています
[2010/09/27 01:00] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


値切りの鬼とか…
着々とキャラ性が出てきてますね(笑)

にしてもオーガスト老は,相変わらずだし、シリル嬢は心なしか変態レベルがアップしてる気がするし,カイトたちは相変わらずS………だ,誰か癒し系はいないのか

あ,ゲイツか……次回も楽しみにしています
[2010/09/27 01:25] URL | さとやん #ao52Tjc2 [ 編集 ]


サラシをディスってんのかメ~ン?
[2010/09/27 12:47] URL |   #h0D/NfaY [ 編集 ]


しばらくはほのぼの路線ですかね?
シリアスも良いですが日常もグッドです

ルミナスとシリルはカイトの家に住むんですか?
もしそうならルミナス、シリル、刹那、雫とドタバタしてまた観察眼とか戦略の立て方がうまくなってみんな強くなりますね

そういえばカイトの両親はこの世界にいるんですか?
初めて両親の話が出た時はこっちに居るのかな?と思ったので

外伝的なのでカイトが来る前のみんなの話希望(カイト含む)
[2010/09/27 13:43] URL | 煉恋々 #h2YGRmSs [ 編集 ]

ヒロインが可愛い!
 ヒロインが翼人一人に魔人人間一人、吸血鬼二人とバリエーション豊かになってきましたね。後増えるとしたら、エルフとケモノ娘、竜娘でしょうか。精霊がいるならそれも可。
[2010/09/27 19:52] URL | sana #YjTMmlic [ 編集 ]


はじめましてこんばんはー

さすが海人はんや、大通りの真ん中で妙齢の女性に
サラシはやめてブラをつけろとか言うなんて、普通の男には無理やで・・・
(つーかよく殴られなかったなぁ)


[2010/09/28 06:01] URL | リファルス #- [ 編集 ]

最強!?
オーガスト老の最強逸話がまたでましたね…しかも上位ドラゴン七頭とは流石ですね。

しかし以前、作者さんが戦闘能力だけならローラがぶっちぎりだとおっしゃられたような気がするのですが、だとするとローラの強さは……
[2010/10/02 01:51] URL | にょる #szTeXD76 [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/10/07 12:58] | # [ 編集 ]


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://nemuiyon.blog72.fc2.com/tb.php/107-bc2b831b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

九重十造

Author:九重十造
FC2ブログへようこそ!



最新記事



カテゴリ



月別アーカイブ



最新コメント



最新トラックバック



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード