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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄5
 時刻は早朝。家の周りに小鳥が集まり、チュンチュンと数多くの鳴き声が聞こえる。
 昨日の朝とは違い今日の空は清々しいまでの快晴であるためか、鳥の声はかなり騒がしい。

 しかしまさに抜けるような、という表現が良く似合う蒼天は見る者に一瞬我を忘れさせる程に美しい。
 外に出かけるにはこれ以上に気持ちの良い日は無いと思わせる、晴々とした朝である。

「す~、す~……」

 ルミナスは窓越しの柔らかい朝の光を浴びながら、リビングのテーブルで気持ち良さそうに穏やかな寝息を立てていた。
 昨晩鍛錬が終わった後、水を飲んでから寝ようと思って居間まで来たはよかったが、
 コップを取り出して水を飲んでいる途中で部屋に戻るのが面倒になり、そのまま寝てしまったのである。

「ふう、さっぱりしたな」
 
 しばらくすると妙に晴れやかな顔で海人が入ってくる。
 彼は起きてすぐ石鹸とタオルを魔法で作り、昨日作成した水の残りを使って浴室で顔を洗ってきたのだ。
 昨日の男三人組相手の肉体強化のせいか若干体に筋肉痛があるが、彼はそれも気にならないほどにさっぱりした気分だった。
 やはり起きぬけに冷たい水で洗顔すると爽快感が違うらしい。

「おはよ~~」

 ルミナスが海人にテーブルに突っ伏したまま朝の挨拶をする。
 さすがは傭兵というべきか、彼女は海人が自分の部屋を出た段階で目が覚めていた。
 危険がないと判断しているせいか、かなり寝惚けているようではあるが。

「おはよう。今日の朝は何を食べる?」

「私は朝は基本的に果物だけよ~~」

 やたらと間延びした口調で顔も起こさず手を差し出す。
 どうやら果物を作ってよこせと言っているようだ。

「柿でもいいか?」

「う~ん、それも捨てがたいけど……え~っと、あの緑色で網目がある……」

「ああ、メロンか」

「そうそう、それ。それをお願い。 台所に包丁あるから切って持ってきて~~」

「わかった」

 呪文を詠唱すると、椅子の上に大きな六段重ねの箱に入った柿、テーブルの上にメロンが現れる。
 そしてメロンを台所に持って行き、種を除いて六等分に切り分けて皿に乗せ、ルミナスの右手の横に置く。

「いただきま~す」

 のっそりと顔を上げ、一緒に添えられたフォークには触れもせず、のそのそとメロンを掴んでそのまま食べる。
 当然手が汁塗れになるが、いまだ半分眠っている状態ではあまり気にならないらしい。

「んん~♪ 美味しい~~~!!」

 一口食べた途端、半目だった目が僅かに開き、今度は嬉しそうに目が細められた。
 それを食べ終えると次に手を伸ばす前に、手に付いた果汁を丁寧に舐め取り始める。

 ―――目を細め恍惚とした表情で丹念に己の手を舐めている彼女の姿は、
正常な男ならば確実に視線が釘付けになるほどの妖艶さがあり、男を誘っているようにも見えるほど官能的である。
 寝惚けているためにせよ、元から自覚がないにせよ、若い男の前とは思えない無防備さだ。

 が、そんな彼女の蟲惑的な姿を気にも留めず、海人は柿の箱を一つ空け、中身を確認してからそのうちの一つにかぶりつく。
 よく咀嚼し、じっくりと味を確かめてから飲み込む。

「うむ、特に異常はないな。美味い」

「ちょっと、何食べてる……あ、多く作ったの?」

 売るはずの物を食べ始めた海人を咎めようとして、寝惚けて彼が作った物をよく見ていなかったことに今更ながら気づく。

 箱の中の柿は今彼が食べている分を合わせると一箱に10個入っている。
 開けた一箱を除いても全部で50個あり、頼まれた分よりも明らかに多い。

「ああ、仮にも売り物だからな。万が一何かがあってはまずいだろう?」

「たしかにね。で、その開けた箱はどうすんの?」

 箱にはまだ9個も残っている。
 箱を開けてしまった以上今日の売り物にはならないが、彼一人で食べきれる量だとは思えない。

「どうもこうも……しばらくは日持ちするし、置いておくつもりだが?」

 海人は何を当たり前のことを、という表情で答え、柿をさらに一口齧る。
 もぐもぐと咀嚼しながら、やはり皮は剥かない方が好みだ、など取り留めの無い事を考えていると、

「あんた鬼ねっ!?」

「なぜだっ!?」

 突如発せられたルミナスからの理不尽な言われように、間髪入れず抗議する羽目になった。
 実は海人の今までの所業を振り返れば、反論の余地などなかったりするのだが。

「ほう……何故と聞きますか。こんな美味しそうな果物を目の前に置いておいて、食うなってのは鬼以外のなんだっつーのよ!?
我慢しきれるはずないじゃない!」

 ルミナスは海人の抗議にも構うことなく、今にも血の涙を流しそうな形相で詰め寄る。
 なんというか色々必死そうな態度であった。

「は……?」

 海人は当惑したかのように呆けた。

「この懐を寒風が吹き荒んでいる私に対してなんて惨い仕打ちをすんのよ!
こんなもん買ってたら生活費が数日で消えるわよ!?」

「いや、別に金を取るつもりはないが……」

「……お金をとるつもりはない?」

「うむ、まった……」

 くそんなつもりはない、と続けようとして――

「こ、このケダモノ!!」

 顔を真っ赤に赤面させたルミナスに怒鳴られた。

「なぜだっ!?」

「お金の代わりに体で払えなんて……私まだ清い体なのに!
ああ、お父さん、お母さん、あなたたちの娘はお金がないために体を売ります。
仕送りがなければお金でどうにでも出来たかもしれないのに……一生恨むぞ馬鹿夫婦がっ!!」

 まるでか弱い乙女にでもなったかのように身を縮こまらせたかと思えば、
拳を握ってズダンッ、と足を踏み鳴らし窓の外に向かって叫びだす。
 やはりまだ脳が寝惚けているのか、かなり思考回路が狂っているようだ。

 その後も独白が暴走し続け、せめて優しくして……とか、そんな大きいの入らないわ!? などだんだんきわどくなり始める。

 海人はこれだけの美貌で26まで清い体とは珍しいな、などと本人に聞かれたら惨殺確定な事を思いながら、

「あ~……とりあえず、落ち着け」

 早々に説得を諦め、魔力で強化した拳をルミナスの頭に振り下ろした。

 ズゴガッ!! という、とても人体から出た音とは思えない轟音と共にルミナスが床に沈む。

 殴られた箇所からは、ぷしゅ~、とほのかに煙が出ているうえ、
彼女自慢の黒翼がまるで潰されたゴキブリのようにピクピクと弱々しく動いている。

「君が何を考えたのかはともかく、何の代償も要求するつもりはない。
この際だから言っておくと、昨日君が出した交換条件はまったく意味がないぞ。
元々魔法で作れる食料は私が賄おうと思っていたからな」

 街中を歩けば十人中十人が振り返るほどの妙齢の美女に対し躊躇なく拳を振るった男は、
聞き分けのない子供を優しく諭すかのような口調で言った。

 足元で悶え苦しんでいるルミナスにさえ視線を向けなければまるで優しい教師のように見える。

「……あ、あんたね……あの威力で人のドタマぶん殴って聞こえてると思ってんの?」

 そう言って痛そうに頭を押さえ、恨めしげな視線を向けながら立ち上がる。

「いや、昨日の話だと凄腕の傭兵のようだし、私がぶん殴った程度では大して効かんだろうと思ったんだが」

「あのね……いくら強くても防御なんてのは、攻撃を避けるか威力を減らすかであって、
元々の体が飛び抜けて頑丈なわけじゃないのよ……?」

「なんだ、魔力で強化すれば並の剣撃など通じないぐらいの体なんだろうと思ってたんだが…」

 海人はこの世界の強者ならば、漫画のように腕で刃を止めたりも出来るんだろうと勝手に想像していた。
 ならば強者であるルミナスは反射的に魔力で肉体強化をするだろうから、多少痛がる程度だと考えていたのである。

「いや、それぐらいは出来るけど」

「……十分頑丈じゃないか?」

「あんたのさっきの拳はそんなのとは比較にならない威力だって言ってんのよ。
一応強化さえしてりゃ私は並の騎士の剣ぐらい素手でも弾き返せるわよ。
ったく、基本もろくにできてない魔力ずくの攻撃……しかも素手であんな威力、普通でないわよ?」

 どうやら彼女が頑丈でないわけではなく、海人の拳の威力が洒落にならないレベルだったらしい。
 一般人に打っていたら頭部が無くなっていたのかもしれないな、と海人は内心反省する。

「ま、多分あの化け物じみた魔力量があるからあんな芸当が出来るんだろうけど……あれ? 
昨日の連中よく生きてたわね?」

 昨日海人に倒された3人組を思い出し、ルミナスはふと疑問を感じた。

 あの冒険者たちは彼女の見立てでは間違いなく三流、あるいはそれ以下であった。
 各一撃ずつとはいえ、男性最大の急所に膨大な魔力で強化された攻撃を入れられたのだから、ショック死していてもおかしくない。

 だが、彼らはかなりギリギリではあったものの命に別状はなさそうだったのだ。

「ああ、あれは焦ってたからろくに力を溜めないで打ったんだ。
感覚的には今の十分の一程度の威力だったと思う」

 海人がルミナスの疑問に簡潔に答えた。
 彼はあの時は動じていないように取り繕っていたが、内心はやや緊張していた。

 元の世界にいたとき彼は頻繁に狙われていたが、対処法の大半はまず目くらましなどをかまして全力で逃亡。
 その後に相手の本拠を調べ、降伏勧告無しで遠距離から有無を言わせず大火力の兵器で消し飛ばすという非人道的なもの。接近して戦った経験は一時的なものを含めてもかなり少ない。
 いかに理性では勝てる可能性が高いと判断していたとはいえ、多少の緊張は避けられなかった。

 その緊張に加え、魔力の扱いに慣れていないことも相まって、あの時の攻撃の威力はそんなに大したものではなかった。
 
 無論、ほぼ無防備な急所に打つ攻撃としてはあまりに強い威力ではあったが。

 が、いずれにせよ、

「ほう、つまりあの連中にぶち込んだやつの十倍の威力だと知っていて、私の頭に打撃を叩き込んだと……」

 この事実にはなんら変わりはない。
 海人は女性の頭に男相手の10倍以上の威力の一撃を入れたのである。

 ルミナスは頬を引きつらせながら、寒気を感じさせるジト目で睨みつけた。

「うっ……い、いやまあその、なんだ。
並の威力じゃ落ち着かないだろうし、君はあんな三流共とは比較にならんぐらいに強いんだろうと思ったからだ」

「……それにしたっていきなり拳はないでしょうが。他の方法を考えてよ。痛くない方法ね」

 ルミナスは半眼を一向に変えぬまま、なかなか無茶な要求をした。
 そもそも痛みも伴わずに落ち着きそうな暴走であれば、いかに海人といえど拳は使わなかっただろう。

「他の方法か……ふむ、ルミナス。君の羽根を一枚貰ってもいいか?
くすぐりならば痛くはないから大丈夫だろう」

 が、海人はルミナスの要求を真面目に考え、あっさりと案を一つ出した。
 ――その案の致命的な欠陥を失念してはいたが。

「くすぐりねぇ……いいけど、私にはあんま効かないわよ?」

 そう言ってルミナスは自分の翼から一枚羽根を抜いて手渡した。

「ほう、これは……」

 受け取った羽根を観察し、海人は軽く感嘆の息を漏らす。

 羽根の艶やかな黒の美しさもさることながら、手触りが非常に良い。
 羽毛一本一本に適度な硬さがあるというのに、肌に触れさせると当たりは柔らかい。
 一度彼女の翼に直接触れてみたいと思わせるほど、魅惑的な感触だった。

「ふふん、どうかしら私の羽根の感触は。なかなか気持ち良いでしょ?」

「ああ、今度直に翼を触らせてもらいたいぐらいだ」

「気が向いたら触らせたげるわ。それより、早く試してみたら? 
どうせ無駄だろうし、好きなだけ試していいわよ」

 ルミナスは余裕の表情で再びメロンを食べ始めた。
 海人が軽く羽根を首筋に触れさせても、まったく気にする様子はない。
 よほどくすぐりへの耐性に自信があるようだった。

 そんな彼女を、海人は妙に慣れた手つきでくすぐり始めた。




 ――そして数分後、ルミナスは激しく咳き込みながら己の迂闊さを深く悔やんでいた。

 くすぐり開始から一分もしないうちに、ルミナスは強制された激しい笑いによって椅子から転げ落ちた。
 転げ落ちても海人の手は止まらず、こちょこちょとくすぐり続けられ、彼女はすぐさま降参しようとした。
 
 が、降参しようにも、笑い声以外発する事の出来なくなった喉と、妙な痙攣を起こしている手足では不可能だった。
 なんとか自分を苦しめている己の羽根から逃れようとするも、まるで吸い付いたかのように彼女から離れない。
 いっそ海人を蹴りとばしてやろうかと考えるも、笑いのせいで力が入らない。

 まさに、逃れようのないくすぐり地獄であった。

 それでも噴出しそうになったメロンを気合と根性で飲み下していたのだから、大したものではあるが。

「効果はあったようだな。で、どうする? これなら痛くはないだろうが……」

 海人がルミナスの背中をさすりながら尋ねた。
 目の前の惨状の張本人の分際で、やたらとその手つきは優しい。

「まだ殴られた方がマシよっ! ……ゲェホッ、ゴホッ!」

「すまん、少しやりすぎたな。反応がよくてついつい楽しんでしまった」

「……あんた、絶対サディストでしょ」

 ルミナスは恨みがましい目で海人を見る。
 涙と痙攣で歪んでいた彼女の視界には、心底楽しそうな顔でくすぐり続ける彼の顔がはっきりと映っていた。

「どちらかと言えばな。
が、言い訳をさせてもらうと、今回は君の自信有り気な態度にタガが緩んだせいもあるぞ?」

 海人はそんな視線を意にも介さず、淡々と答えた。

「……う~、くすぐりには耐性があると思ってたのに!」

 椅子に座りなおし、行き場のない鬱憤を晴らすかのように、残っているメロンを引っつかみ乱暴にむしゃぶりつく。
 余裕をかましすぎたという自覚はあるため、彼女は海人の言葉に反論しづらかった。

「いやいや、かなり耐えた方だぞ。今まで私のくすぐりに三十秒以上耐えた人間は、片手で数えられるほどしかいない。
ちょっと本気を出してみようかと思ったほどだ」

「は……? あんた、あれで本気じゃ無かったっての!?」

 ルミナスは海人の何気ない言葉に思わず叫んだ。
 手を抜いてあれならば、本気を出したらどんな事になるのか想像も出来なかった。

「当然だ。本気を出していれば……」

 海人の言葉が途中で止まり、気まずげにルミナスから視線を逸らした。
 彼のこめかみ辺りからは、冷たい汗がタラリと流れていた。

「……本気を出していれば、なに?」

「冷静に考えるとくすぐりはまずかったな。危うく今日の配達に行けなくなるところだった。
いや、最後に踏み止まれて本当によかった」

 海人は今まで本気のくすぐりを使用した人間の末路を思い返し、しみじみと呟いた。

「ちょっとぉぉぉぉぉっ!? あんたそんな物騒な事やろうとしてたわけ!?
つーか踏み止まってなかったら私はどうなってたのよ!」

「さて、私は配達の準備を始めるが、君はゆっくり朝食をとってくれて構わないぞ。
急いで食べるのは健康に良くないからな」

「何事も無かったかのように準備を始めても誤魔化されないからね!?」

 ルミナスは残っているメロンを一気に貪り食い、テキパキと準備を始めた男に詰め寄った。
 海人も海人で、果汁と唾液にまみれた手で胸倉を掴もうとする彼女から逃れようとリビングを逃げ回り始めた。

「逃げるなんて往生際が悪いわよ! ええい、捕まえたらお仕置きも追加! 
その根性叩きなおしてやるから覚悟しなさい!」

「断固として断る!」

 広くはない家の中でドタドタと鬼ごっこが始まった。
 身体能力で圧倒的に上回るルミナスに対し、海人は周囲の物を巧みに利用して逃げ回る。
 お互い物を壊さないようにしているとはいえ、なかなかいい勝負をしている。 
 双方共に目は真剣なのだが、どこか楽しそうである。

 あって数日とは思えぬほど仲の良い二人の、騒がしくも平和な朝の一幕であった。

















 結局捕まった海人が、お仕置きを受けながらもなんとか黙秘を貫いてから三時間後。
 二人はシェリスの屋敷から少し離れた森の中に着地し、荷物を下ろしていた。
 普通に飛行していれば二時間程度の距離であったが、あまり早く動くとぶら下げた荷に影響が出ないとも言い切れなかったため、
 海人はあえてルミナスに速度を落としてもらっていた。

「ふう……重くはないが、さすがに少し緊張したな」

 長時間持ち続けていた箱を見下ろして嘆息する。
 かさばると言っても歩いて運ぶ分には問題ないのだが、なにせ先程までいたのは高度数百メートルの上空である。
 一応箱はしっかりと縄でくくり、手を離さない限りは落ちないようにはなっていたが、ルミナスが旋回するたびに少し振り回されていた。
 重くないからといって握り方を緩めようものなら、ふとした拍子に地上へ真っ逆さまである。

「ま、しゃーないでしょ。売り物ぶら下げてんだから」

「まあな。さて、それでここからどれくらい歩くんだ?」

「もう見えてるわよ。ほら、あそこのでかい門の先がシェリスの屋敷よ」

 そう言って海人の後ろの方に見える白を基調としたいかにも貴族の住居らしい豪邸を指さす。
 門の奥に見える前庭は緑豊かで美しく、屋敷全体を取り囲んでいる塀も不思議と閉塞感を感じさせない。
 建物の中心近くの一部分が他の部分よりもかなり高くなっていて多少違和感がある事を考えても、
 見た目としては非常に開かれた明るい雰囲気の屋敷だ。

「ふむ、趣味のいい屋敷だな」

「明るくて綺麗な屋敷よね。無駄にゴテゴテしてないからくどくないし。
あ、オレルスさん、こんにちはー」

 門の前で直立不動で立っている老紳士に元気よく声をかける。
 それなりに交友があるのか、口調も態度もかなり親しげだ。

「これはルミナス様。よくいらっしゃいました。こちらの方が果物屋さんでございますか?」

「ええ、そうよ」

「初めまして、私は当屋敷の執事のオレルス・クランツと申します。
お名前を伺ってもよろしいですかな?」

 老紳士―――オレルスは慣れた動きで一礼し、名乗る。

 彼はオールバックに整えられた歴史を感じさせる白髪、年を感じさせないピンと伸びた背筋、
 そしてわずかな乱れも無いクラシックな衣服は清潔感はあれども高級感は無い。 
 まさに使用人の鑑のような人物である。

「海人 天地と申します。……それと一つだけ訂正を。
厳密には果物屋ではなく、調味料や野菜なども扱っております。
そちらはやや品物ごとの品質にばらつきがございますが……」

「おお、そうでしたか。これは失礼をいたしました。
失礼ついでと言ってはなんですが……その箱、一つ開けて味見していただけませんかな?」

「もちろんです。失礼ですがオレルス殿がお好きな箱をお開けになり、その中の一つを渡していただけますか?」

 万が一にもすり替えたのではないか、という疑惑を持たれない為に提案する。
 柿のサイズからすれば大きすぎて目の前ですり替えるのは無理があるのだが、使用人としては万全を期したいだろうと思っての配慮だ。

「ご理解いただきありがとうございます。では、これを全て食べていただけますか?」

「承知しました。……ふむ、味・食感共に問題なし、ですな」

 言われるまま柿を皮ごと丸齧りにし、種とヘタを除いて全て食べ切る。
 美味いには美味いが一日に二個も食べると飽きるな、などと贅沢な事を思いつつ。

「どうも失礼をいたしました」

「いえいえ、初めて訪れる人間を警戒するのは当然でしょう。
それと、注文より一箱多く持って参りましたので、開けた箱の残りはそこで息を潜めているお二人と一緒に御賞味ください」

「ほう……お気づきでしたか」

「ありゃ、よく分かったわね?」

 他にも何人かいるのは気付いてないみたいだけど、とは思いつつもルミナスは感心していた
 今隠れている人間は10人ほどいるが、全てを把握するのは彼女でも数秒かかった。
 ド素人の海人が2人も見つけたことは十二分に賞賛に値した。

「いや、実を言うと最初はまったく気がつかなかったんだがな……」

「だが……なんでしょうか?
よろしければ今後の参考に聞かせていただけるとありがたいのですが」

 困った顔で言い渋っている海人に、穏やかな口調で先を促す。
 海人は物腰柔らかくはあるが、真剣な老執事の表情に気まずげに頬をかき、

「そこの茂みの影に隠れている方の矢が一瞬光が当たって反射したもので……」

「リディア、後でお説教です。他には何かございましたか?」

 茂みが怯えたかのようにガサッ、と音を立てるが、視線も向けずに尋ねる。

「そこの木の陰で隠れている方は隠れる場所を変えるか、髪形を変えた方がよろしいでしょう。
風になびいた髪のせいで木の影のシルエットが変わっていました」

「サーシャ、あなたもリディアと一緒にお説教です」

ビクッと庭木の影のシルエットが変わり、忙しなく変化する。
動きからするとなにやら慌てて長い髪を纏めているようだ。

「まあこんなところです。ところで代金の方は……」

「ああ、失礼いたしました。
代金はシェリス様が直接お渡しになるとの仰せです。
お部屋までご案内いたしますので、ご足労願えますか?」

「わかりました」

 オレルスは海人の返事を聞き、鍵を使って門を開けた。
 二人が入ると同時に再び門を閉めて鍵をかけ、シェリスの待つ応接間へと案内し始めた。



















 オレルスに案内されて入った屋敷の内部は全体的に明るく、あまり重厚な雰囲気は無かった。
 単純に色彩だけで言えば、小さな子供が走り回っていても違和感がなさそうな色味である。
 それでいて計算し尽くされたかのようなデザインによって貴族の屋敷らしい気品は保たれており、
 かしこまった気分にならず、貴族の品位を体感出来るような見事な物だった。

 海人が感心しながら歩いていると、オレルスがゆっくりとある部屋の前で立ち止まった。

「こちらでございます」

 オレルスが開けている扉を抜け、二人が部屋に入る。

 部屋の中は極端に広くは無いが、閉塞感も感じない快適な広さ。
 内装は少々華美で、悪目立ちしない程度に美しいバラの絵柄が配されているが、
 家具・小物の巧みな選定と配置で全体として質素ではないが華美でもなく、かといって地味でもない絶妙な雰囲気を作り出している。

 そんな応接間でシェリスは二人を柔らかい笑顔で出迎えた。

「よくいらっしゃいました、カイトさん、ルミナスさん」

 彼女は昨日とは違い、豪奢というほどではないがやや華美なライトグリーンのドレスを纏っていた。
 昨日の服装よりも着慣れた印象があり、改めて貴族の令嬢なのだと感じさせるものがある。
 どことなく顔がやつれてはいるが。

「早速ですが、代金はいかほどお支払いすればよろしいですか?」

 二人に柔らかそうな皮のソファーをすすめ、二人が座ったのを見計らって切り出す。
 横に控えるオレルスに紅茶を人数分入れるよう指示し、優雅に両手を組み、海人の返答を待つ。

「そちらでお決めになってください」

 海人はオレルスが紅茶を淹れるのを横目で見ながら少し考え、敬語で答えた。
 彼らしからぬ口調だがオレルスのような固そうな使用人がいる手前、普段通りの口調で話すのは憚られたようだ。

「あら? どんな安値でも文句は言わないということですか?」

 安く買い叩いてもいいですか、と楽しそうに笑う。

「あなたは満足する額を支払うとおっしゃいました。
そしてなにより昨日あなたがルミナスを窘めた際の言葉があります。
少なくとも納めた品の価値を貶めるような真似はしますまい」

 海人は淡々と、確信を込めた口調で用意しておいた理由を語る。
 最大の理由はこの世界の物価がどれぐらいなのか今ひとつ把握できていないためだが、
それを言うわけにもいかないため昨日の内に考えておいた理由である。

 といってもこの理由も嘘ではなく、昨日の彼女の言動があればこそ大胆な事ができたのは事実だ。

「ふふっ、やはりあなたは賢い方ですね。
その通りです。良い品物にはそれに見合った値段をつける。
これは商人の基本ですが、私の曲げざる信念でもあります。
1個3000ルンで買いましょう。オレルス、12万ルン用意なさい」

「シェ、シェリス様、正気でございますか!?」

 オレルスは紅茶を淹れる手を止め、主を問いただした。
 彼の概念からすればありえないほど異常な価格なのだ。

「もちろんです。文句があるのならあなたも食べてごらんなさい。
おそらくカイトさんはあなた達への挨拶代わりに余分に持ってきてらっしゃるでしょう?」

 うろたえる使用人に視線すら向けず平然と応じ、見透かしたように海人に笑いかける。

「た、たしかにそうですが……!」

「私も食べたいし、皮を剥いて切り分けてこの場に持ってきなさい。迅速にね。
ああ、それとスカーレット料理長を呼びなさい。プロの意見も聞きたいから。
お金を用意するのはそれからでいいわ」

「シェリス様!」

「――オレルス。私は命じたわよ」

 声を大きくしたわけでも強い口調なわけでもないが、それでも人を圧倒する何かを感じさせる声で再度命じる。
 今のシェリスには年と外見に見合わぬ、人の上に立つ者に相応しい威厳と風格があった。

「か、かしこまりました……」

 気圧された老執事は渋々ながらといった口調ながらも、礼を失さぬ程度に手早く紅茶を全員に出し、
 すぐに柿を数個箱から取り出して、迅速に主の命を果たすべく部屋を退出していった。
















「オレルスさんかわいそ~」

「いいんですよ。あれぐらい言わなければ従わないでしょうから」

 ニヤニヤと軽く揶揄するような笑みを向けるルミナスを軽く受け流す。
 先程までの圧迫するような雰囲気は既に霧散し、普段の人をついつい安心させてしまうようなそれに戻っている。
 どうやら彼女は臨機応変に自分の纏う雰囲気をコントロールできるようだ。

「でもあの人が来るのか……さぁて、どうしよっかなぁ」

「何かあったんですか?」

 人の悪そうな笑みを浮かべたルミナスに、シェリスが怪訝そうな視線を向けた。

「ん~、今日のところは秘密……つーか、あんたなら知ってそうなもんだけど?」

「……ああ、なるほど。そういうことですか」

 数秒の思考の後、シェリスはルミナスの言葉の意味を察した。
 苦笑しながら紅茶を啜っていると、

「お、お待たせいたしました」

 年若い調理服を身に纏った人物を伴い、綺麗に切り分けられた柿が乗った皿を持ってオレルスが戻ってきた。
 その人物は背が高く勝気そうな赤毛の髪の女性で、余程急かされたのか少し息が切れている。

「仕事中呼び出して悪かったわね、スカーレット」

「シェリス様、いったいなんなんだい?」

 女性―――スカーレットは呼吸を見苦しくない程度に整え、呼び出された理由を尋ねる。
 彼女は今日のシェリスの夕食の仕込みのまっ最中だった。
 それはシェリスもよく分かっているため、普段であればわざわざ呼び出される事などありえないのだ。

「今日私がこの方から仕入れたその果物の味を見て、どの程度の価値か判断して欲しいのよ。
それによってお支払いする額も変わるかもしれないわ」

「へえ? シェリス様がわざわざ仕入れるって事は期待できそうだね。
あ、名乗りが遅れたけど、あたしはこの屋敷の料理長のスカーレット・シャークウッド。あんたは?」

「海人 天地だ。職業は……とりあえず当面は果物商人だな」

「変な自己紹介だねえ……ま、いいけどさ。そんじゃシェリス様、早速食べて見てもいいかい?」

「ええ、どうぞ」

「たしかこれはヒノクニの柿って果物だよね……へえ、こりゃ驚きだ! 珍しいってのもあるけど味に凄い気品がある!
王宮の料理のフルーツだってここまで上質じゃないよ」

 大きめの一切れを一口齧って飲み込み、目を見開いた。
 慌てるかのように残りを口に放り込み、より正確に味を分析しようとよく噛んでいる。

「やはりあなたもそう思うわよね」

 そう言って彼女は同じように横で味見していたオレルスを見ると、なにやら難しそうな顔で考え込んでいた。
 二人の評価に納得はできるが、それでもあの値段は……という表情で苦悩している。

「個人的には加熱するとか色々料理法を試してみたいね。
摩り下ろしてから凍らせてシャーベットにするのも美味しそうだ」

 そんな老執事の様子に気付かず、スカーレットは柿の調理法に思いを巡らせている。
 どうやらこの柿は彼女の料理人としての感性をかなり刺激したようだ。

「そうね。それで、いくらぐらいの価値があるとあなたは思う?」

 シェリスの問いに、スカーレットはしばし熟考する。

「ん~……そうさね、一個1400ルンってとこかね」

 悩んだ末、彼女は躊躇いがちに口に出した。
 態度からするとまだ少し決めきれていないようではあるが。

「あら、そんなもの?」

「う~ん、正直難しいんだよ。王宮のフルーツが同じぐらいのサイズで最高1200ルンなんで、それを基準にしたんだけど……」

 そこまで言って再び考え込む。
 なにせこの柿の品質は今まで彼女が口にした果物の中では間違いなくトップである。
 それゆえにいくらつけていいのか判断基準が難しいのだ。

「一定水準を超えれば味に対する価格は加速度的に上がっていくし、この品質の味の希少性も非常に高い。
さらに言えば切り分ける前の状態はパッと見では傷が一つも見当たらなかったわよ。
それを踏まえても変わらない?」

「……ああ、せいぜいが1500だね」

 しばらく迷った末、断言した。
 確かに美味いが、さすがにこれより上の額で買う気にはならなかった。

「そう、専門家の言葉ならそうなのでしょうね。
ではカイトさん、申し訳ありませんが40個で6万ルンでよろしいですか?」

「ええ、少々残念ですが特に問題ありません」

「ありがとうございます。ところで、お時間があるのでしたら少しお話を伺いたいんですが、よろしいですか?」

 シェリスの問いかけに、海人はルミナスに目線で構わないか訊ねた。
 彼に自力でルミナスの家に戻る手段が無い以上、ルミナスの都合に合わせなければならないのだ。

 海人の窺うような視線に彼女はしばし視線を宙に向け今日の予定を考え――静かに頷きを返した。

「大丈夫です」

「それは助かります。では、支払いはお帰りになる際でもかまいませんか?」

「はい」

「ありがとうございます。ではオレルス、カイトさんがお帰りになるまでに6万ルン用意しておきなさい」

「……はい、かしこまりました」

 ややホッとしたような表情でオレルスが部屋を退出していく。
 完全にドアが閉まり、彼が出て行ってから1分程経過してから海人が口を開いた。

「ふむ、食えない女性だな。金額は最初からの想定通りか?」

 彼は口調を普段のものに戻して興味深そうにシェリスを見る。

「はい、見事にピタリと当たりました。ふふっ、やはりあなたは最初から気付いてらしたんですね?
それと比べてオレルスは……あれでは交渉には向きませんねぇ……」

 楽しそうに海人に視線を返し、ついで残念そうにため息をつく。
 真面目で有能ではあるがあの老執事はいささか性格が真っ直ぐすぎる、と。

「それは少々酷じゃないか?
普通あの手の交渉術は買う側が品物を値切る時に使うものだ。
まあ私としては助かったんだが……もし私が文句を言っていたらどうするつもりだったんだ?」

「先程も言ったようにあなたは賢い方だと思いましたので、一度口に出した言葉は容易く違える事はないと判断いたしました。
あなたはあの程度の小さい儲けのために、後の取引に悪影響を及ぼしかねないような馬鹿な真似はなさらないでしょう?」

 二人のやり取りを聞き、スカーレットがなるほどそういうことか、と呟く。

「へ? どういうこと?」

 一人分かっていないルミナスが海人に尋ねた。

「ルミナス、もし初めに彼女が6万ルン払うと言っていた場合、執事殿はどういう反応をしたと思う?」

「そりゃ最初と同じ反応でしょ。あのサイズの果物に一個1500なんて凄い値段だもん」

「だが、先程彼はあっさりと納得して用意しに行っただろう?」

「そりゃあ先にあんな値段提示……あ! そうか!!」

 ルミナスがポン、と手を叩き理解した。

 要するにシェリスは最初から6万ルンかそれに近い額で買うつもりだったのだ。
 しかし、いかに高級フルーツといえど値段が高すぎるため、オレルスが素直に金を用意するとは思えなかった。
 そこで最初に予想の倍の値段をつけて驚かせた後、本来の値段に戻しこれぐらいならば、と納得させたのである。

 普段ルミナスも予備の武器を買う時にあえて最初に極端に安い値段で売れと言い、そこから交渉を始めて値切る事があるのだが、
 まさか買う値段を吊り上げるためにそういった手法を使うとは思ってもいなかったため、すぐには気がつかなかった。

「さらに言えば彼女が駄目押ししたな。プロの言葉となれば重みが違う。
が、先程の口ぶりだとあらかじめ打ち合わせしていたわけではないのか?」

「出来るのであればそうしましたけど……」

 シェリスはスカーレットを見て困ったように笑う。
 まるで可愛いが手のかかる子供を見るような表情である。

「あいにく、あたしゃそういう腹芸は苦手なんだ。言った値段は本当にそう思っただけだよ。
ところであんた、フルーツは他にも上質なのあるのかい?」

 スカーレットは軽く肩をすくめて海人の疑問を一蹴し、目を輝かせながら尋ねた。
 いまだかつて食べたことがない上質なフルーツは彼女の料理人魂をえらく刺激していたようである。

「それなりにたくさんある。シェリス嬢のご要望だからな、これから毎回違う種類の物を持ってくる」

「そりゃあ楽しみだ。他の食材なんかも良いやつ手に入らないかな?」

「調味料や野菜、穀物ならば良い物が用意できると思う。肉や魚介類は悪いが他を当たってくれ」

 今まで彼は様々な美味珍味を食べてきているが、創造魔法で作れるのは植物と非生命体のみ。
 残念なことに肉や魚は作れない。

「へえ……ねえ、ヒノクニの醤油って調味料は調達できるかい?」

「念の為確認するが、大豆を発酵させて一、二年熟成を行って作る黒い液体であってるか?」

 非常に馴染みのある、しかも昨夜使ったばかりの調味料の名が出たので軽く驚くが、
名前が同じで別の物である可能性も考慮し、確認する。

「そうだよ。やっぱない……」

「どの程度の量が欲しい?」

「あるの!? それじゃ一升頼む! あれって何に使っても大概良く合うから前から欲しかったんだよ!」

「わかった。今度来るときに持ってこよう。ああ、それと長い付き合いになりそうだし、お近づきの印にこれを差し上げよう」

 海人はスラックスのポケットから袋を取り出し、封を切ってスカーレットに手渡す。
 中身は干す事によって干からび、黒ずんだ橙色に変色した果物だ。

「ん? これはなんだい?」

「先程の物と異なる品種の柿を干した物だ。これはこれで美味いぞ」

 彼が手渡したのは干し柿である。
 今朝家で果物を作成した時に、こっそりポケットの中に一つだけ作っておいたのだ。
 創造魔法が作成した物が現れる場所をどの程度選べるのかという実験を兼ねて作った物で、
実は白衣のポケットなどにはまた別の物が入っていたりする。

「へえ? それじゃいただきます。……水分が無くなってる分甘さが強いね。
保存食用なんだろうけど、これはこれで悪くない。なるほど、干すってのもありか」

「あらあら、カイトさん?」

 考え込むスカーレットを他所に、海人に対してシェリスは妙に威圧感のある笑みを浮かべていた。
 彼のすぐ横ではルミナスも似たような表情になっている。

「なんだ?」

「昨日私が食べさせていただいた物の中に、それはありませんでしたが?」

 2人に気圧され腰が引けている彼に対し、シェリスはゆっくりと問いかける。
 その光景はまるで、猫がねずみを部屋の隅に追い詰めているかのようであった。

「これは果物には違いないが、加工品だからな。
まあ出さなくてもいいかと……ルミナス、なんだかわからんが謝るから殺さないでくれ」

 言葉の途中でルミナスが背後から海人の頭をゆっくりと両腕で抱きしめ始めた。
 豊かな彼女の胸が押し付けられており、彼女の細い腕が彼の頭をかき抱いている。

 これだけならばこの状況を羨ましがる男も多そうだが、ミシミシと骨がきしむ不吉な音と、
潰されるんじゃないかと慄く彼の表情を見て羨ましがる者はまずいないだろう。

「だめですよ、ルミナスさん?」

 徐々に締め付けが強くなってきたところでシェリスの声がやんわりと止めた。
 海人は縋りつくような視線で、ルミナスは睨みつけるような視線で彼女を見つめる。

「殺してしまっては食べられなくなってしまいます」

 その言葉と同時にパッと手が離れる。

「……礼を言うべきか、それとも私の命はそんなに軽いのかと嘆くべきか……」

 一応助けられたものの、あまりと言えばあまりな言葉に対応に困る海人。
 いかに大量かつ極上の物とはいえ、暗に食べ物より自分の命が軽いと言われた事に彼は悩まざるをえなかった。

「どちらでもお好きなように」

 彼女は貴族の令嬢らしく実に上品かつ美しく微笑んだが、
クスクスという笑い声と口元に手を当てている仕草を見ていると、海人には悪魔の嘲笑にしか見えない。

「まあいい。……ところで、私が何をした?」

「こういう場合、私達用にも用意するってのが人の道じゃないの?」

 言いながら事態がよく飲み込めていない海人の頬を両手で引っ張って伸ばす。
 が、思いのほか伸びなかったのが気に入らなかったのか、すぐにつまらなさそうに手を離した。
 
「そう言われてもな……それは一つだけ用意した物だから、もうないぞ」

 少しヒリヒリする頬を押さえながら不機嫌なルミナスに慎重に話す。
 僅かに腰が浮いているあたり、次は襲い掛かられたら逃げる気満々のようである。

 ……可能かどうかは別として。

「え~?」

「いや、思いっきり疑わしそうな目で見られても困るんだが……まあ、他の物ならあるが」

「やっぱあるんじゃない。とっとと出しなさい」

「言ってることが追い剥ぎみたいだぞ?」

 率直に思ったことを口に出す。
 たしかにルミナスの言っている事はカツアゲする不良のようだ。

「マジで追い剥がれたくないんならとっとと出しなさい?」

「了解。これとこれと……ああチョコレートもか。それに飴玉っと、これで全部だ」

 こめかみに井桁を浮かべてにこやかに笑うルミナスにお手上げのポーズをし、
海人は白衣を捲ってポケットの中身を出し始めた。

「やっぱりか。お仕置き中から白衣が少し膨らんで見えたからおかしいと思ったのよ。
まさか全部食べ物とは思わなかったけど……つーかよくこんなに入って形が崩れなかったわねその白衣」

「頑丈だからな。それにどれもこれも小さいから重さはそれほどではない」

 呆れた目を向けるルミナスに、淡々と応じる。

 もしも海人が食べ物ではなく凶器を持ち込んでいたらと考えれば、オレルスは致命的な失態をした事になるのだが、
あながち彼のミスとばかりも言い切れない。

 食べ物が入っていたポケットがある位置は、海人の白衣の背中の部分に付いている隠しポケットのような場所。
ほとんど正面からしか彼を見ていなかったオレルスからは死角になっていた。

 身体検査をしていればすぐ分かった事だが、そもそもこの屋敷ではある事情により滅多に来客に対する身体検査は行われない。
 行われる時もシェリスか屋敷内二位の権限を持つ人物からの命令がある時のみ、と厳命されているためオレルスが勝手に行う事は許されていないのだ。
 仮にオレルスが気が付いていたとしても、どうにもできなかった事は間違いない。

「カイトさん、これはなんなのでしょう?
濃厚な甘みに加え、この中のツルンとした食感がある種の快感なのですが」

 いつの間にかシェリスが食べ始めていた。
 食べた物に入っていた種をハンカチに吐き出して包んだ後、種だけを床に置かれたゴミ箱に捨てている。

「ああっ!? なんでいきなり勝手に食べてんのよ!?」

「早い者勝ちです。それで、これはいったい?」

 言い募るルミナスを軽くあしらい、重ねて尋ねた。

「ああ、それはあんぽ柿といって、同じく柿を干した物だ。ちと作り方が特殊だがな」

「それも柿を干した物なのかい!? まるで見た目が違うじゃないか!」

「製法も違うが、使っている柿の品種も違う。が、詳しく説明すると長くなるぞ?」

「……あんま厨房空けとくわけにはいかないからねぇ……」

 スカーレットは残念そうな顔で頭を抱えた。
 ドライフルーツも自作する彼女としては、目の前の瑞々しさを感じさせる特殊な干し方はぜひとも知りたい。
 だが、そのために仕事を放り出すわけにはいかなかった。

「ならば次の機会だな。そうそう、一つ参考までに言っておくと、今日納入した柿を干してもさっきの干し柿にはならん。干し柿用の柿は渋柿と言って、そのままでは渋くて食べられない物を使う」

「干したら渋さが抜けて甘くなるんですか?」

「厳密に言えば干すと渋みを感じないようになるだけだ。
渋柿は元々普通の柿より甘みが多いが、強烈過ぎる渋みで感じられないだけだからな」

「う~ん、ヒノクニの神秘だねえ……」

 しみじみとスカーレットが感銘を受ける。
 たしかに渋くて食えない物が干したら食べられるようになるというのは神秘的ではある。

「他にもこれなんか面白いと思うが……ルミナス、食べてみるか?」

 そう言って海人は少し紫がかった茶色の皮の物体を手にとって差し出す。

 しかし差し出された当人は気まずそうな顔をして手を伸ばさない。
 より正確に言えば手を伸ばそうとはしているのだが、恐る恐るというか、嫌々というか、いかにも気が進まない様子だ。

「え~っと……多分、芋……よねえ」

「正確には焼いた芋だ」

「焼いたにしたって芋単品って……せめてバターがないと」

「いいからまずは食べてみろ。文句はそれから聞く」

「いや、いくらなんでもそれは……」

「では、私がいただきますね。ルミナスさんはこちらのチョコレートをどうぞ」

 シェリスが渋るルミナスの手に自分の持っていたチョコレートを渡し、
海人の持っていた芋を横からひょいっと手に取った。

「いいの?」

「ええ、興味がありますので」

「それじゃありがたくいただくわね……ありゃチョコレートは普通ね。十分おいしいけど」

「ではいただきます。……あら、カイトさん?」

 シェリスは一口小さく皮ごと齧って味を確かめ、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「なにかね?」

「これも、昨日食べさせていただいておりませんが?」

「それは果物ではないからな。紛れもなく芋だ」

「あらあら……たしかに見た目も食感も芋ですが、こんな強烈な甘みのある芋は食べたことありませんよ?」

 満足げに微笑みながら冷めた芋を小さく一口齧り、味を確かめる。
 元の量が少ない事を考慮し、慎重にじっくりと味を分析している。

 この近隣諸国で栽培されている芋は甘みどころか味も素っ気もないもので、
貧しい家の子供達が育ち盛りのときに腹を膨らませるために食べる物でしかない。
 一応料理法も数多くあるが、少し貧しい家でも芋は食べずにパンを食べる、その程度の物でしかないのだ。

 このまま潰して裏漉しするだけでも良いデザートになるんじゃないか、と思えるような芋など彼女は想像したこともなかった。

「それは蜜芋という芋だ。言わずとも分かるだろうが、下手な果物よりよほど甘みが強い。
実にぴったりな名前だと思わんか?」

 先程から芋を握っている手を時折ペロペロと舐めているシェリスに笑いかけながら確認する。

「ええ、甘い蜜が芋の皮を破って溢れ出ていますし。
少々手がベタベタするのが気になりますが、美味しいです。
それに、食感も滑らかで喉に詰まるような感じがしません」

 あらかた蜜を舐め終えた手をハンカチで拭き、今度はそれで包みながら残り少ない芋を食べ始めた。

「んなっ!? それ甘いの!?」

「だから食べてみろと言ったんだ」

 人のことは素直に聞いた方がいいぞ、と付け加え、海人は驚いているルミナスを実に楽しそうに見やる。

 実はこの芋、甘い物があまり好きではない海人にしては珍しく好物と言ってよい部類に入る物である。
 だからこそ一番世話になっているルミナスに薦めたのだが、食べる前に拒否されてしまった。
 仕方ないとは思いつつも、ちょっぴり傷ついていたのである。

 そのため、今のルミナスの表情は少し胸がすく思いがしていた。
 変なところで微妙に心が狭く、根性悪な男である。

「シェ、シェリス、ちょっとだけ味見させてくれる?」

「あら? チョコレートと交換で納得したのではありませんでしたか?」

 恐る恐る頼むルミナスを意地悪く切り捨てた。
 ついでに見せ付けるように最後の一口をこれみよがしに大きく開けた口に入れ、必要以上に幸せそうな顔を作る。

「何も付けない芋が甘いなんて考えるはずないでしょうがぁぁぁぁぁ!!」

 もぐもぐと幸せそうな表情で咀嚼するシェリスに対し、ルミナスはありったけの声量で叫んだ。

 彼女は大家族すぎる家で育ったため、子供の頃から味も素っ気もない芋を頻繁に食わされてきた。
 それこそ将来の夢が毎日パンを食べられるようになりたい、となるほどに。

 そのため芋というものは味も素っ気もなく、
腹を膨らませるための物でしかないという先入観が強かったのだ。
 
 自業自得と言うのは少々酷だろう。

「まあそうですね。ですがそれはカイトさんを信じなかった貴女の責任でしょう。
私はカイトさんを信じたからこそこの素晴らしい口福を得ました。信じる気持ちって大事ですよねえ……」

「まったくだ。人を信じられない人間というのは悲しいな?」

 二人揃ってわざとらしく盛大なため息をついた。
 顔がニヤニヤと笑っているあたり、ルミナスをからかっているのは明白である。

「ぬがあああああああああっ!! この悪魔どもおおおおおおお!!!」

「ふむ、この飴は普通だね。そこらの市販品とさして変わらないみたいだ」

「……あの、スカーレットさん。さらっと流されるのは結構きついんですけど」

 一人年上の貫禄を漂わせてマイペースを貫いている女性の発言に、ルミナスは思いっきり気勢を削がれた。
 突発的な怒りを維持するのは意外に難しい。

「無くなっちまった以上どうしようもないじゃないか。また今度調達してきてもらうんだね」

「あううう……」

 スカーレットの容赦なき真っ当な言葉に、ルミナスは項垂れた。
 が、それと同時に彼女は海人に意味ありげな視線を向けている。

「わかったわかった。今度食べさせてやるから、そう睨むな」

「……可能な限り早くね」

 ルミナスは冷たい目で海人の顔を見やり、平坦な口調で言った。
 が、口の端が僅かに緩んでおり、内心を隠しきれていない。
 海人はなんとも可愛らしい年上の女性の態度に思わず苦笑してしまう。

「はいはい。……そうそう、スカーレット女士。少々下品だが、その飴を口から出して見てみろ。嫌なら構わんが」

「へ? いやそりゃいいけど……あれ?」

「先程と色が違いますね」

「変わり玉と言って色の違う飴を何重かに重ねて作る。それで舐めている間に色が変わるのさ」

 海人はあっさりと種明かし―――種というほどのものではないが―――をする。

 その言葉を聞き、スカーレットは確認のために舐めている飴を奥歯で割った。

「こりゃ面白いね。何層かに重ねるってのはいいアイデアだ。
味の違う物を重ねれば一粒でいろんな味が楽しめるわけだ。
ま、実際には味が混ざっちまうだろうけど……こういうのは子供が喜びそうだね」

 簡単に飴の層の状態を確認すると、そのまま口に放り込む。
 今度の休暇に作って近所の子供に配ってやるかなー、などと考えつつ。

「そうだな。ま、とりあえずこれで持ってきた物は品切れだ。
それなりに楽しんでもらえたかな?」

「ええ、存分に楽しませていただきました。
さて、そこで注文ですが……とりあえず明日はこのあんぽ柿というのも10個持ってきてください」

「承知した。後は?」

「そうですね……スカーレット、明日は父と母が来る日だったわね?」

「ええ、そうですけど……晩餐会のメニューはもう決まってますよ?」

 シェリスの言葉が発せられる前に釘を刺す。
 明日の晩餐会のデザートで、目の前のフルーツや明日仕入れる予定の果物を使うというのは悪い案ではないが、問題が大きい。
 晩餐会のメニューはコース式で、オードブルからデザートに至るまでの流れを計算してメニューを組み立ててある。
 デザートを変えるとなれば、全てのメニューに手を加えなければならない。
 もしも今からメニューを変えることになれば、今準備している物より完成度が低くなる事は避けられない。
 料理人の誇りにかけて、そんな事は許せなかった。

「それは分かっています。午後のお茶会があるでしょう?
明日仕入れる材料と、今日仕入れた柿。それで二品作って入れられない?」

「ああ……なるほど、そっちなら多少は捻じ込めます。公爵様からの指定もあるんで品数は減らせませんけど、
一つ一つの量を減らして二品入れることは可能です。勿論限度はありますがね」

 シェリスの返答に安堵し、不敵な笑みを浮かべる。
 お茶会で出される物は定番で量の調節も容易な茶菓子が多いため、品数を加える事は難しくない。
 が、柿の方はともかく明日入ってくるらしい材料を使い、シェリスやその両親の口に合う品を作るのは難しい。
 正確に言えば不満が出ない程度の品なら即席で作る自信もあるが、満足させる事が難しいのだ。

 が、そこは難しい、であって不可能ではない。
 己の腕を試すような主の提案に、スカーレットは挑戦心をかきたてられていた。

「そう、ではカイトさん。メロンを12個お願いいたします。
時間もない事ですし、彼女も思いつくまま試してみたくなるでしょうから」

 試すような目をスカーレットに向ける。

「い、いや……そんなこたないけど……」

「あら、貴女ほどの料理人が極上の素材を目の前にして試したくならないというのかしら。
明日持ってきてもらう物は今日と同等かそれ以上の素材よ?」

「うっ……」

 料理人としては魅力的すぎる言葉に、否定の言葉が無くなる。
 当然ながら彼女とてこれほどの食材ならば色々な調理法を試してみたくてたまらない。

 が、これ以上の果物となると、そのまま食べる以上に素材の味を生かすというのは非常に難しい。
 味がほぼ完成されているために、余計な手を加える事はかえって素材の良さを消す事になりかねないのだ。

 食材を無駄に浪費するつもりはまったくない。だが、数があっては多様な調理法を試してみたくなる。
 傑作が生まれる可能性もあるが、それ以上に失敗作が生まれる可能性が高くなる。
 素晴らしい食材がその真価を発揮することなく凡百の料理へと成り下がる可能性が。

 もちろん総合すればシェリスが材料にかけた金以上の成果を挙げる自信はある。
 が、全く尻込みしないというのは少し無理があった。

「あなたならば無駄に食材を浪費する事はない。私はそう思ってるのだけど?」

 シェリスはそんなスカーレットの葛藤を見透かすように、澄んだ眼差しで見つめた。
 その瞳には微塵の疑いもない、絶大な信頼が込められていた。

「……わかりました! 必ずや極上の一皿を作り上げて見せましょう!!
早速ですが、まだ仕込みが終わってないんで戻ってもいいですか?」

「ええ、急に呼び出して悪かったわね」

「いえ、それじゃ失礼します」

 スカーレットは一礼し、部屋を退出する。
 ドアが完全に閉まった瞬間、ドアの向こうから彼女が駆け足で調理場に戻っていく音が聞こえた。

 その足音を苦笑しながら聞きつつ、海人が口を開いた。

「では明日の注文はメロンを12個、あんぽ柿を10個。それに醤油一升でいいんだな?」

 彼は記憶力には自信があったが、念を入れて確認を行った。
 もし間違えた場合は最悪、この屋敷で作らなければならなくなってしまうのだ。
 万に一つどころか億に一つの間違いも避けたかった。

「はい。……ところでカイトさん。必要があれば問題によってはお力になれますよ?」

 シェリスは海人の確認に軽く頷き、ついで目に真剣な光を宿して前のめりの体勢になる。
 口調は柔らかいが、先程までとは雰囲気が一変していた。

「ん? どういう意味だ?」

 海人はその急激な変化の意味が分からず、問い返す。

「あなたはルミナスさんのところに居候しておられるのでしょう?
率直に申しますと、あの陸の孤島としか表現できない場所に居候するには相応の理由が必要なはずです。
例えば……誰かに命を狙われているとか」

 すうっと目が細まる。その目つきは相手の挙動の一挙手一投足も見逃すまいとするかのように鋭い。
 ごまかそうとしても確実に見抜いてやる、という意思がよく表れていた。

「……なるほど。そういえば昨日居候することになった経緯は話さなかったな」

「一応言っとくけど、私もまだ完全に話全部信じてるわけじゃないからね?」

「それは分かっている。だが実際私も何が起こっているのか分からん状態だからなあ……」

「あの、どういうことでしょう?」

 シェリスは緊張感のなさそうな2人の会話にやや毒気を抜かれ、少し気が抜けたような口調で尋ねる。

 彼女としては何かしらの深い事情があって居候しているものだと思い、
 上手くすれば海人に大きな貸しを作れるかもしれないと思っての言葉だったのだが、痛い所を突かれたような様子は全く見当たらない。

 やや肩透かしをくらった感があるものの、肩の力が抜けてちょうど良いと思い直し、言葉を待つ。

「いや、実はな……」

 海人は研究所で眠ってからルミナスに出会うまでの事を話せない要素を除いて詳しく説明し始めた。










 シェリスは海人の話が終わるとじっと彼の目を見て、

「……にわかには信じがたい話ですね」

 疑いを隠すことなく冷たい目を向けた。
 その冷たさは彼女の柔らかい印象を与える顔立ちも効果をなさないほどである。

「たしかにな。私が同じ内容を話されたら頭の中身を疑うか、はたまたよほど後ろめたい犯罪者だと思うだろう」

「私の場合はどちらかといえば頭の中身を疑っています。理屈で考えれば後者の方はありえないと思いますので」

「へ? どうして?」

「昨日見せられたスタンガンという道具があったでしょう?」

「あのおっそろしい武器?」

「はい。私の知る限り、あんな武器は存在を匂わせるような事件さえ起きていません。
仮にカイトさんが犯罪者だと仮定したとして、武器には程遠い形状、簡単に隠し持てる大きさ、そして必殺の威力、と理想的な条件がこれほど整った武器を、今まで暗殺に一度も用いていないなど考えられますか?」

「……なるほど、ね」

 ルミナスはシェリスの言葉に納得した。
 シェリスの情報網は数多ある人脈をフル活用して編み上げられた、近隣諸国最大のものである。
 情報収集をお家芸とする組織もその中には相当な数が組み込まれている。
 無論、いかに優れた情報網とはいえ限度はあるし、
 そもそも彼女の情報網は経済関係に特化しているため、軍事関係の情報収集能力は極端に高いわけではない。
 が、それでも下手な諜報機関よりは遥かに上をいく。
 暗殺という完全な隠蔽が難しい事件が、事後になっても彼女の耳に入らないことなどまずない。
 少なくとも、海人が犯罪者だと可能性は事実上消滅したと言える。

 かと言って安堵できるかというと、そうでもない。海人が狂人だという可能性はむしろ強まってしまった。

 ――そう思っていたために、ルミナスは次のシェリスの言葉には呆気に取られた。

「当然私としては彼の頭の中身を疑いたいのですが……残念ながらその可能性も低い。困ったものです」

 結局カイトさんの言う事を信じるしかないんですよねえ、と嘆息した。

「は?」

「あのですね……頭の中身がイカレているにしてはカイトさんは理性的すぎるんですよ。
そもそも、そんなトチ狂った人間が創造魔法に関する口止めに頭が回るとは思えません。
有り体に言って、あのスタンガンという道具と彼の魔法以外ではなんら異常はないんです。
むしろ普通の人間よりも健全な話ができていますね。この国の貴族の大半に見習わせたいほどに」

 シェリスは頭を抱えながら、呆けているルミナスに説明した。
 会って最初にこの話を聞かされていれば、シェリスは海人をイカレていると断じていただろうが、
今に至るまで全く海人に異常を感じなかった以上、その可能性は低いものと言わざるをえなかった。

「あ~、たしかにそうね」

「そういう理由でカイトさんがおっしゃった理由は二つとも当てはまらないと思ってます。
彼は正気でしょうし、犯罪者でもないでしょう。そして、嘘もついていないと思います」

「ふむ、信用していただけたようで何よ「後は隠し事の可能性ですね?」り……!?」

 海人はホッと一息つきかけたところへの、思わぬ追撃につい狼狽してしまった。
 致命的な失態に顔をしかめ、恨めしそうにシェリスに視線を向ける。

「ふふ、動揺なさいましたね」

 してやったりという表情で唇の端を軽く吊り上げる。

「……性格が悪いとよく言われないか?」

 海人は苦々しげな顔で頭を抱えた。
 安心しかけたところへの最大の追撃などという、古典的極まりない手段に引っかかったのが余程悔しいらしい。

「ええ、よく言われます。続けますが、おそらくあなたは一切嘘は話しておられないのでしょう。
魔法を使っていない場所に住んでいたというのもそうでしょう。
ただし……これはほぼ確信ですが、意図的に何か重要な要素を話しておられませんね?」

「…………」

 シェリスの言葉に、海人は迷わざるをえなかった。
 否定すればおそらくルミナスに真偽を問い詰められ、より頭の中身を疑われる内容を自白する羽目になる。
 肯定すれば問い詰められはしないかもしれないが、ルミナスの性格からして隠し事をされているというのはかなり気にするだろう。

 否定は最悪の結果につながり、肯定は恩を仇で返す事になりかねない。
 ある意味究極の二択で頭を悩ませていると、

「ったく……カイト、別に気にしなくていいわよ。隠し事がある事には気付いてたから」

「なに?」

「つーか、あんた結構分かりやすかったわよ。
最初に私に事情説明した時、かなり後ろめたそうだったもん。
それは分かった上で内容は聞かなかったし、居候を薦めたの。
だから今更気にする必要はないし、話す必要もない。わかった?」

「……わかった、ありがとう」

「ルミナスさんが納得されているのであれば、私が聞くのは無粋ですね。今日は諦めましょう」

 軽く肩をすくめ、思いのほかあっさりと追求をやめた。
 『今日は』と言っているあたり、諦めたわけではなさそうだが。

「いや、元々あんたが聞くのは無粋だと思うけど?」

「そこはそれ。情報収集は私の趣味ですから」

 ルミナスの冷たいツッコミに悪びれることなく答える。
 なんら罪悪感を持たない一番タチの悪い人間だ。

「説明できるだけの材料が揃えばいつか説明しよう」

「ええ、お願いします。代わりといってはなんですが、大概の事は協力いたしますよ。
これでもカイトさんのことはかなり気に入ってますので」

「では一つ聞きたいんだが、この近くで図書館はどこにある?」

「図書館ですか? う~ん、この国にはないんですよねぇ……」

「図書館がないのか!?」

「ええ、財務大臣が進言があっても無駄な物に掛ける金はない、と言って却下してしまうんです」

 シェリスは嘆かわしい、と声が聞こえてきそうなほど盛大な溜息をつく。
 彼女も国に図書館が無いという現状を快くは思っていないようだ。

「……本の知識は本の知識で大事な物だというのに……あえて言うが、それではこの国の未来は暗いぞ?」

「まったくですね。図書館が一つあるだけでどれだけ研究の開発速度が上がり、経費が削減できるか……
今はいちいち学者一人一人が必要な文献があるたび時間を掛けて取り寄せ、乏しい予算で購入しているんですよ? 無駄の極みとしか言いようがありません」

 海人の言葉に迷い無く同意し、シェリスは頭を抱えて国の現状を嘆く。
 実際にそのせいでこの国の魔法の術式や魔法関係の道具の研究は遅れに遅れている。

 数年かけてより効率的な術式を組み上げる事に成功した、と思えばすでに別の国で二年も前に発見されたものだったり、ある魔法具の増幅効果をさらに高める方法を発見した、と思えばやはり別の国で発見されていて、しかも当の研究者がそれを知るのは発見から数ヵ月後に最新の魔法具の加工技術書が届いた時だったりと、悲惨な事例も数多い。

 例に挙げた事例だけでも、品揃えの良い図書館一つで簡単に防げた事である。

 そのような現況に嫌気がさした研究者たちが国を捨てて他国で優秀な業績を上げたりする事も数多く、
 このままでは海人の言うようにこの国の未来が暗い事は明白だった。

「その財務大臣暗殺してでも変えた方がいいんじゃないか?」

「まったく同感です。石頭や頑固者ならともかく、単に親の跡目を継いだだけの無能なので始末に負えません。
まあ、それはひとまず置いておくとしまして……それで仕方ないので私は代わりにこの屋敷の図書室を充実させたんです。
創造魔法関係の文献もあそこにあることですし、御覧になってみますか?」

「ふむ、お願いできるか?」

「ええ、ぜひどうぞ。知識を求める方は大歓迎です。では、御案内いたしましょう」

 海人の言葉に満足そうに頷くとシェリスはゆっくりと優雅に立ち上がり、
 二人の先頭に立ってすでにこの部屋の窓から見えている図書室へと案内していった。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
くすぐりに悶えるルミナスを想像してみる・・・
くすぐりに悶え苦しむルミナス・・・ (ナイスッ!

いつか、海人のくすぐり拷問をする機会があるのか? 乞うご期待!!
(注意) 罷り間違っても 男 に対して実施してはいけない。

後、オレルスさんを含めた交渉内容が若干変更されているようです。自分的にこの変更に賛成です。
少しスマートになったような・・・

以後の続編(新6話と最新話)をお待ちしております。

>ギリギリ週末終わりに間に合いました。
じっくりと余裕をもって、納得のいく改訂作業を進めてください。
飽くまで九重十造様が必要と思われた部分だけを加筆or修正をしてくださいね。
迷っているのなら、「今週は残念ながら・・・」とメッセージを出すことも「最終手段」として考えてください。(飽くまで「最終手段」ですよっ!)
[2009/08/08 12:03] URL | Gfess #knJMDaPI [ 編集 ]

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[2019/01/30 19:47] | # [ 編集 ]


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