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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄6
 
 海人は屋敷の庭へと案内され、シェリスに図書室と紹介された建物を見て絶句していた。

 図書室と表現するにはあまりにも不釣合いな大きさ。

 緑の多い庭で異彩を放ちそうなのに、その大きさと塗装で外壁や他の建物と上手く溶け込んで違和感がほとんど無い。
 屋敷を外から見たときに建物の上の部分が見えていたが、屋敷の一部としか思っていなかったほどである。

 ルミナスは何度か来た事があるため驚いていなかったが、彼は柄にもなく呆気に取られてしまった。
 横でシェリスが悪戯に成功した子供のように楽しげに笑っている事にすら気がついていない。

「……これを図書室と呼ぶのか?」

 唖然としながらも確認する。

 彼らの目の前にあるのは屋敷の広い庭の半分を占める巨大な建物。
 造り自体は簡素なレンガの建物だが、なんと五階建てである。

 しかも中に入るとおびただしいほどの本棚にぎっしりと書籍が収められている。
 高さと広さを考えればおそらく並の図書館よりも遥かに多く書籍が揃っているだろう。

 さらには本棚ごとに分野の区分けがきっちりとされていて、魔法学、経済学、金融学、生物学…その他多数の分野が分かりやすいよう、本棚の横に貼られたプレートに書かれている。

「ええ、もし私が図書館を建てるのであればこれの倍の広さにして、地下も作りますから。
世界各国の書籍を集めるならこの建物ではとても収まりきりませんし、
実際、この中に収められている書籍は近隣数カ国の物しかありませんので」

 しれっ、とシェリスは言うが、この図書室を造るにあたって彼女は並々ならぬ労力を払っていた。
 そもそもこの国――シュッツブルグ王国という――は周囲を四つの強国に囲まれており、
この強国群がタチの悪い事に何らかの形でいがみ合っている。

 たとえば国の南に位置するガーナブレスト王国は、
建国から10年後に初代の王が東に位置するルクガイア王国の手の者に暗殺された。
 その報復として二代目の国王は時間を掛けて少しずつ王都に暗殺者を忍び込ませ、
数年後のある夜、都中に火をつけ数多の貴族を殺害したうえ、当時即位したばかりだったルクガイア王にも瀕死の重症を負わせた。
 以来、この両国間では頻繁に戦争が起こっている。

 また、北のグランベルズ帝国は、当時その国土を支配していた西のエルガルド王国の騎士団を半壊させて建国したという経緯がある。
 そのためエルガルドの恨みを買っているが、そもそもの原因は現グランベルズの民に課された異常な重税によるものであるため、グランベルズの方もエルガルドに根強い恨みを抱いている。

 他にも様々な形で四国間がいがみ合っており、その中心に位置するこの国は戦略的優位を得るために四国から幾度も侵略を受けている。
 有り体に言ってしまえばこの国の近隣国は全て敵国に等しい。
 ここ百年ほどは四国間が睨み合いと牽制を続けており、そのため侵略の頻度は減ったのだが、
そのぶん国が平和ボケしてかつて数多の侵略を退けた力はもう無くなっていると言われている。

 そんな状況下で近隣の国から様々な書籍を手に入れるのは並大抵ではない。
 書籍が流出するという事は同時にその国の知識の流出でもあるのだ。
 シェリスは数多ある厳しい規制を、合法非合法問わず様々な手段で潜り抜けて本を手に入れた。

 そうして完成したこの図書室。実は質・量共にこの世界有数の図書館となっていたりする。

「私が知る限り図書館でもここまで大きいのはそう多くはないがな…」

 そんな事を知る由もない海人はその威容に圧倒されるばかりである。
 が、科学者の性というべきか、それ以上にこの巨大な図書室にどれ程自分の知らない膨大な知識が収められているのかと思うと、久しぶりに少し胸が躍っていた。

「驚いていただけたようで何よりです。中の書籍は好きなだけ読んで下さって構いません。
ただ、持ち出しは厳禁です。読むのはこの中でお願いします」

「ああ、わかった」

「では私も読んでおきたい本が何冊かあるので、特に読みたい本があるのであれば今の内に聞いてください。
一応どこにどんな本があるかは大まかに把握してますので」

「ふむ……それでは魔法関係の本、そして医学、薬学関係の本はどこにある?
できれば動植物、それと魔物の図鑑、歴史・軍事関係の書物の場所も……」

「魔法関係の本は2階。そこの突き当たりの一角の本棚の右が医学、左が薬学関係です。残りの本は全て4階に揃っていたはずです。 
それと創造魔法関係の文献は隠し部屋に保管してありますが、今日お読みになりますか?」

「いや、今日はいい。ありがとう」

 淀みなく迅速に答えてくれたシェリスに礼を言い、海人はまず医学書関係の本棚へと向かうことにした。
 そしてルミナスは魔法の術式を覚えるため二階に、シェリスは三階へとそれぞれ向かっていった。








 図書館内は薄暗くはあるものの、清掃は丁寧に行われているようで、床に埃一つ落ちていない。
 凄まじい数の蔵書量にもかかわらず、所狭しと並んでいる本棚のどれにもうっすらとすら埃が積もった様子がないのは驚嘆に値するだろう。
 それら丁寧に整備された本棚の列に挟まれた空間で、海人は床に直に座りながら本を読んでいる。
 その周りには既に読み終えた医学書が山積みになっていた。

「……なるほど。普通の人間に特に違いはない、か」

 そう呟くと開いていた医学書を閉じ、また別の本を棚から取り出す。
 彼はこの世界の人間と自分の体の仕組みに違いはないかを確認していた。

 一通り医学書を読んだ限りでは特に外見から推測できる以上の違いは見当たらず、念を入れて薬学関係の本を読んでも、ルミナスのような飛翼族でもゲイツのような獣人族の血統でも、自分のような人間と同じ薬で同じ効果があると記されていた。

 色々と疑問は残るのだが、剛人族と呼ばれる普通の人間と全く変わらぬ外見で素の筋力が数倍の種族や、生まれながらに額に魔力増幅機関としての宝石を持つ輝石族。そして鉄皮族と呼ばれる文字通り素の状態で皮膚が鉄の強度を持つ種族まで存在し、他にも多数の未知の種族がいるのでは突っ込む気も起きない。

 そもそも今はこの世界での生活基盤を築くのが最優先事項であり、細かい事をいちいち考えている暇はないという事情もある。

 ――もっとも以前の自分であれば違っただろうが。

 と、海人は自嘲するように寂しげな微笑を浮かべて視線を宙に彷徨わせるが、それも数瞬。 

 気を取り直して彼は取り出した本を読み始め――もう一つ彼にとってあまり良くない事を完全に確信させられた。

「……医学のレベルが全然違うな」

 海人は溜息をつき『予想通りではあるが……』と嘆いた。
 この世界では昔彼の世界で猛威を振るっていた伝染病などの治療法が未だに見つかっていない。
 かかってしまえばほぼ確実に死に至る恐ろしい病として記されている。

 外科手術では消毒もされていないようであるため、手術が成功しても死に至る人間は多そうだ。
 総合すればこの世界の医学レベルは彼の世界の数百年以上前だという事になる。

 といってもこれはある意味仕方のないことでもある。

 なにせこの世界では多少の傷や軽い風邪は肉体強化に伴う自己治癒力の強化で簡単に治せてしまう。
 さすがに骨折以上の怪我はそれなりの処置を必要とするが、必要な機会が少ないとなれば医学の進歩が遅いのは当然といえば当然だ。

「重症の時は自分で治療するしかないか……」

 一応ではあるが、当然ながら彼は医師としての技術もある程度持っている。
 ただし免許は取っても仕事として医者をやっていたわけではないので、臨床経験が不足している。

 実際に使った事の少ない知識がどこまで役に立つかなど分かったものではないが、
それでもこの世界の医者に任せるよりはいくらかマシだと判断していた。

「幸い知っている薬は魔法で作れるはずだし、よほどの事がない限りは大丈夫か。
条件の整った住居さえ手に入れば、魔法で医療機械を作れるしな」

 そう結論を出し、海人は早めに金を稼いで人里離れた家なり屋敷なり買おうと心に決める。

 彼は既に先の生涯をこの世界で生きていく前提で計画を立て始めていた。

 とりあえず、今の状況が何者かによる壮大な茶番劇という可能性は消えている。
 創造魔法と肉体強化、ルミナスに連れられて飛んだ空から見えた雲や地平線、巨大極まりない鳥。
 他にも数多くある要素は、海人の知識をもってしても現段階では全てを用意する事は不可能。
 非現実的ではあるが、まだ別の世界に飛ばされたと考えた方がマシだった。

 しかし海人が元の世界に戻りたいかというと、そんな要素はほぼない。
 創造魔法で元の世界の道具は一通り用意できるはずなため、これといった不便はない。
 元の世界では彼の命や身柄を狙う者は星の数ほどいたが、こちらでは今のところ狙われる可能性は少ない。
 現在進めていた研究も、元の世界に戻るためにかかるであろう労力を考えれば、機械を作ってやり直したほうが早い。
 そして彼は十二年も前に失踪した両親が生きているとは思っておらず、両親の亡骸が発見されるとも思っていない。
 数少ない友人達ともそれほど深い付き合いというわけではなく、会って日が浅いルミナスの方がまだ親密でさえある。

 そして――――今の海人にとって何よりも大切な行事すら、元の世界に戻る必要はない。

 この世界に残る理由はあるが、元の世界に戻る理由は特に無かった。

「……そういえば、花をまだ決めてなかったな。まあ……まだ数日あるし、ゆっくり考えるか」

 海人はそう呟くと、山積みにしてある本を全て元通りの位置に戻し、
今度は魔法関係の本を調べるために2階へ上がった。






 さすがにファンタジーな世界と言うべきか、魔法関係の本の量は医学書などの比ではなかった。
 ワンフロア全てが魔法関係の書なのではないかと思うほどに、本のタイトルに魔法という言葉が含まれている物が多い。海人はとりあえず手近で目に付いた物から手当たり次第に読み漁っていた。

「まるでパズルだな」

 魔法の理論に関する本を読んで少し驚いた。
 魔法の術式とは魔力を通すとそれぞれ何らかの効果を発揮する図形や文字を組み合わせた物であると記されている。

 ただし、ただ単純に組み合わせれば良いという物でもないらしく、図形や文字によって一つの術式に使える個数が決まっていたり、はたまた組み合わせによっては全く別の効果を発揮したり、魔法として効果を発揮しなかったりとかなり複雑になっている。

 また魔法の歴史の本を読むと、毎年のように今までにない効果を発揮する図形や、
今まで以上に効率良く効果を発揮する組み合わせなどが見つかっていて世界的に魔法の術式の研究が盛んらしい。

 が、そのほぼ全てが基本属性の魔法で、海人のような特殊属性の魔法については研究がなされていない。
 数百年に一人しか使い手が現れないのでは無理もないが。

「となると、多少は研究されている無属性魔法について知識を放り込んだ方がいくらか有益か」

 ぼやきながら無属性魔法に関する文献を漁り始める。

 無属性魔法は誰にでも使えるという点と、発動時間が他の魔法に比べて圧倒的に短いという利点がある。
 しかし魔法の効果は魔力を固めて剣や盾などの形状に物質化させるという事に集約される。
 それでも防御に使用する分には他の魔法以上の能力を発揮する事もできるのだが、致命的な欠点が存在する。
 他の魔法に比べて術式が複雑、しかも魔力消費が他の魔法より桁違いに多いという点である。

 前者はともかく、後者は戦場での防御魔法の使用頻度を考えればあまりに過酷な欠点だ。
 そのため無属性魔法は一般的ではなく、研究もあまりされていないために術式の数も多くはない。

 それでも有事の際の手札が増えるのは悪い事ではないし、創造魔法よりは消費魔力が少ないため海人は真剣に頭に叩き込んでいく。
 いつどんな所でなにが役に立つか分からない、というのはホーンタイガーと遭遇した際に嫌というほど思い知らされていた。

 一通り頭に術式を叩き込んだ後、彼は何事か考え、幾つかの本を再確認した。
 確認の後、彼は考えを纏めるため熟考した。

 やがて結論を出すと彼は読んだ本を全て棚に戻し、
今度は魔法関係の道具に関する書籍を手に取って読み始める。

 本当に目を通しているのか疑いたくなるような速度であっという間に数冊読み終え、

「なるほど、ここでは宝石や貴金属は全般的にただの装飾品ではないのか。
……となると鉱石や金属に関する本も読んだ方がいいな」

 今まで読んだ本を全て元通り戸棚に戻し、今度は鉱物学などに関する本を読み漁る。

 先程読んでいた本には、ありとあらゆる宝石には魔法の効果を増幅させる効果があると記されていた。

 宝石は使用者の魔力をあらかじめ込めておくと、一種の増幅装置となって術者の魔法の効果を高めることができる。
 他にも溜めた魔力を術者の意思で引き出しての使用も可能だが、溜めた魔力を使い切ってしまうと増幅装置としての効果は失われてしまう。

 ちなみにこの世界で使われている魔法具というのは、主に宝石の増幅効果を利用したものであり、
現在市販されている最高級の魔法具でも宝石単独の効果が八割、他の部品のデザインとの組み合わせによる効果が二割といったところである。

 各宝石によって増幅する属性や率が違い、例えばルビーならば火の属性の効果を高め、ガーネットもルビーには劣るが火の属性を強化する。
 ブルーサファイアが水の属性を強化し、グリーンサファイアが風を強化する事から考えると、宝石の色の関係が深いのかもしれない。

 さらには宝石の大きさ、カッティングなどによっても増幅率が変化するため、研究していくと深そうな内容である。

 一方貴金属はそれで作った物に術式を刻み込み、必要な時に魔力を流し込む事によって
術式をわざわざ頭の中でイメージしなくても魔法を使えるようになる。

 ただし、この方法は金属の種類や純度によって流し込んだ魔力量に対してどれほどの効果が現れるかが激しく上下する。
 例えば現在最も効率が良いとされている純度の高い金の板に術式を刻み込んだ場合、普通に魔法を使った場合の半分程度の効果。
純度の低いものの場合はその半分以下。対して銀の板の場合は純度が高い物でも最大一割程度の効果しか出せない、とかなり差が激しい。

 無論どの場合も術式を覚えて普通に魔法を使った方が効果は高く、魔力の消費も少ないのだが、
貴金属を使った場合は魔力を流し込むだけで良いため、魔法を使う際に集中力を必要とせず、術式の維持に割く労力も不要という大きなメリットがある。

 こちらはあまり研究の余地のなさそうな内容ではあるが、鋼などを貴金属の代用に使えないかなどの試みはなされていて、多少は成果も出ている。
 この世界に無い合金も多く知っている身からすれば色々と試せる事の多そうな分野だ。
 
 そんな事を考えながら数多くの本を次々に読み漁っていると、

「カイト~、私いい加減飽きてきたんだけど」

 ルミナスが手に持っていた本を横に置きながら、ゲンナリとした声を掛けてきた。 
 なかなか頭に入らない術式を覚える作業に飽きがきたようだ。

「すまんがもう少しだけ我慢してくれ。これを読み終えれば後は歴史・軍事関係の本と植物図鑑、動物図鑑、魔物図鑑を読んで切り上げる」

「熱心ねぇ……しばらくそこで眠ってるから、起きる頃には終わらせててよ~~」

「うむ」

海人の返事よりも早く安らかな寝息をたて始めたルミナスを横目に、今まで以上の速度で本を読み始める。
あっという間にその時持っていた本を読み終え、彼は音を立てぬよう神経を使いつつ早足で四階へと上がっていった。











 海人が四階に上がりしばらくすると、シェリスが本を取りにやってきた。
 彼女は目当ての本を棚から取ろうとする直前で、凄まじい速度で本を読み終えていく海人に目を留めた。
 シェリスも仕事の関係上文献や報告書を読むのは速いが、彼の速度がその比ですらなかった事が彼女の興味を惹いたようだ。

 そして彼女は驚かせず邪魔にならない程度の音量で海人に声をかけた。

「凄まじい速度で読み漁ってますね。それで頭に入ってるんですか?」

「ああ。とりあえず当面必要な部分だけは確実に入れている。
私が独自に編み出した速読術を使っているのでな」

「……では問題です。やや重い風邪に効く薬草七つ答えてください」

 そう言って意地悪そうに笑いながら薬草図鑑を開く。
 まさか本当に頭に入ってはいないだろうと思っての行動だったが、

「クルストー、ラティアズ、ルッキーツ、メルティオス、ハバリカ、ザルスト、ポレンティス。
メルティオスとハバリカは合わせて煎じる事で鎮静剤にもなる。
ラティアズ、ルッキーツ、ポレンティスはまとめてすり潰して飲むと睡眠薬代わりにもなる」

 海人は今読んでいる動物図鑑から目を離さずに答えた。
 ちなみに後半の内容は薬学関係の本に記されていた内容である。

 シェリスは索引を引き、薬草の名前は何一つ違っていないのを確認して驚く。
 さらに近くにあった薬学の本を調べ、唖然とした。
 彼が語った内容には、なんの間違いも見当たらなかった。

「……ザ、ザルストの群生地は?」

「この国だとフォレスティアの森の川沿い周辺。ガーナブレストだとリグリース湖の周辺。
ガーナブレストで採取する場合はレミア・クライス・フォルディスト公爵の許可を取らなければならないそうだな。
もっとも許可を取らずとも公爵家出入りの商人の店で売っているらしいが」

「ドラゴンマスターがドラゴンを使役する際に必要な条件を全て述べよ!」

「まず使役するドラゴンと、一対一で戦う事。その戦いの過程で逆鱗に一撃入れる。
そして怒り狂ったドラゴンを動けなくなるまで叩きのめし、昏倒させる。
目覚めた際に鼻先に武器を突きつけてドラゴンを威圧し、相手が転がって腹を見せれば完了。
腹を見せなかった場合は同じ手順を腹を見せるまで繰り返し続ける。
ただし、現実的な条件として一日当たり数十人前の食料を平らげるドラゴンの食費を賄えなければならない。
さらにドラゴンの巨体が住まえるだけの土地もなくてはならない。
その条件のせいでドラゴンマスターの大半は国家の将軍クラスか、あるいは大規模な組織の上層部らしいな。
と言っても、そもそもドラゴンを殺さず叩きのめすような真似ができる人間は金も稼いでるから、
個人で使役している人間もいないわけではないらしいが」

「現在の風の魔法術式の父と呼ばれる人物の名前と功績を述べよ!!」

「オーカス・トレグスタン。120年前まで使用されていた飛翔系術式の基礎術式を根本から組み直し、
その当時使われていた飛翔系魔法の半分の魔力消費で倍の飛行時間という画期的な術式を組み上げた。
他にも風の攻撃魔法の強化用の図形の発見19、効率的な図形と文字の組み合わせ・配置法の発見34。
ただし、配置法の一部に関しては実際に発見したのは弟子のミリル・フローレンスではないかと言われているため、それは功績に入れるべきではないかもしれないな」

「化け物ですかあなたは!?」

 持っていた分厚い本をバンッと床に叩きつけるように放り投げ、叫ぶ。
 一切の淀みなく、しかも調べている図鑑から視線を動かしもせずに答える海人に叫ばずにはいられなかった。

「いきなり失礼だな君は!?」

「どこをどうすればこの短時間でこれだけの量の本の内容を覚えられるんですか!」

「いや、だから私独自の速読術で……そういえば気になってたんだが、
この二つの図鑑を比べると、こんな具合でメルチリアとメルティオスの絵が入れ替わっているんだが、どちらが間違っているんだ?」

 近くの本棚から二冊図鑑を取り出し、目当てのページを開いてシェリスに訊ねる。
 まだ彼女は何か言いたそうではあったが、海人に言われるまま図鑑を見比べ、深く溜息をついた。

「……この図鑑が間違っています。最新の図鑑でこの間違いとは嘆かわしいですね。出版元に文句をつけなければ……」

正しい方の図鑑を棚に戻し、間違っている方の図鑑の該当ページを折り曲げ、すぐに分かるように近くの何も置かれていない机の上に置く。

「メルティオスと効果が同じ薬草ならばともかく、メルチリアは毒草らしいからなあ……」

「まったくです。死人が出ていなければ良いのですが……」

「それは祈るしかないな。さて、後は歴史・軍事関係か」

「ああ、歴史書であればこの《オズワルドの歴史編纂書》が一番充実してます。軍事関係はここの近隣諸国の情報であれば《ルクガイアの伝統的軍隊》《ガーナブレスト進軍録》《エルガルド軍事教典》《グランベルズ帝国軍録》を読めばほぼ理解できるかと。
さらにこの《シュッツブルグ王国の危機》を読んでおくと今この国を取り巻く軍事情勢に関しては完璧でしょう」

 言いながら全部で6冊の本を海人の前にズシンズシンと積み重ねていく。
 たかが6冊というなかれ。その全てが大きな図鑑サイズなのだ。
 嫌がらせにしか思えないボリュームである。

「そこはかとなく悪意を感じるんだが」

「気のせいです。あ、分からないところがあれば教えますよ」

 ジト目で睨む海人に対し、シェリスは悪意の欠片も見当たらない笑みを浮かべて答えた。
 あまりに不自然な彼女の笑顔に海人は軽く嘆息し、

「……まあかまわんがな」

 目の前に積まれた書籍を手に取った。
 重量感溢れる本を開き、先程よりもはるかに速い速度でめくっていく。

 どうやらシェリスの地味な嫌がらせに少し意地になっているらしく、
目を見開いている彼女の表情を横目に見て、唇が僅かに吊り上っていた。

 その驚異的な速度ゆえに、海人は全ての書籍をほどなくして読み終える。
 それと同時に彼は呆気にとられているシェリスに対し笑みを向け、一つ提案をした。

「今読んだ本の内容以外にもいくつか質問をしていいか? 魔法学なども幾つか疑問点が残ったんでな」

「構いませんよ。そこそこ知識はありますので、多少ならお力になれると思います。
分からない事があるならば、分かるまで丁寧に説明して差し上げましょう」

 不敵に笑う海人に対して、シェリスは凄絶な笑顔と共に挑発を返した。





 

 一時間後、二人は隣接する席に座っていた。
 二人の前には十枚を超える紙が散らばり、大きめの机を占領している。
 海人はその中の一枚にペンでサラサラと魔法術式の文字を書きながら、シェリスに説明していた。

「と、まあこんな具合でこの配置法を用いた時はこれらの文字と図形が使えなくなるわけだ。理解できたか?」
「なるほど……ありがとうございます。よく理解できました。
カイトさん、教え方がお上手ですね」

「お褒めに与り光栄、と言いたいところだが、なぜ私が教える立場になってるんだ?」

「プライドに固執して使える者を使わないのは愚か者です。
どういうわけか今日書籍に目を通しただけで私の知識の上をいかれているのですから、使わぬ手はありません」

 シェリスは聞き様によっては情けなくも聞こえる言葉をあっさりと返した。
 
 実際、先程のシェリスの海人に対する挑戦は彼女の完敗で幕を下ろしていた。
 単純な暗記量もだが、記憶した内容に対する理解度は完全に次元が違っていた。
 
 今まで勉学に自分が費やした時間を考え、見も蓋もなく号泣したくなったが、彼女もさるもの。
 すぐさま頭を切り替えて上手く話の流れを誘導し、海人に自分が理解しきれていない事を解説させていた。

「やれやれ、やり込めたと思ったらこれか。油断ならんな、君は」

 海人は先程まで実に可愛らしく半泣きになっていたシェリスの顔を思い出し、嘆息した。
 む~む~、と呻く彼女にサド心を刺激されて楽しんでいたら、いつの間にか教師役として使われていた。
 
 ――――調子に乗って本来の目的を忘れかけていたため、都合が良くもあったのだが。

「褒め言葉と受け取っておきます。で、次の質問なのですが……」

「まあ待て。その前に、一つ取引をしないか?」

「……構いませんよ。なるほど、それが本題だったんですか」

 海人の言葉に、シェリスは笑みを消した。
 先程自分の自負心を造作もなく叩き壊した男を、臆する事なく見つめ返す。
 
「理解が早くて助かる。私が求める物は私に関する秘匿。
まあ、私が揉め事に巻き込まれる要素を極力排除してくれという事だ」

「なるほど。それによって私が得られるメリットは?」

「それはな……」

ニヤリと笑った海人の口から、交渉材料が語られる。
その瞬間、シェリスは驚愕に目を見開いた。 












 一時間後。ようやく起きたルミナスが大きな欠伸をしながら階段の方へと歩いていると、
シェリスと海人の会話が階段の上の方から聞こえてきた。
 
「ふふ、実に有意義な時間でした。
是非とも末永いお付き合いをお願いしたいものです」

「果物を卸す以上、どう足掻いても長い付き合いになると思うがな」

「あ、それで思い出しましたが、今日食べさせていただいた蜜芋というお芋。
あれも明日、今日と同じサイズかそれより小さい物を一つ持ってきていただけますか?」

「構わんが……なぜだ?」

「いえ、あまりに美味しかったので全て食べてしまいましたが、
スカーレットに味見させないことには値段が決められないので」

「そうか。いや、今日注文がなかったから、あまり好みではなかったのかと思ってたんだが」

「今日注文しなかったのは、食材としての応用範囲が広そうだったからですよ。
スカーレットにあれを何個か渡してしまうと、最悪明日のメニューが決まらなくなってしまいますから」

 その言葉と同時に、シェリスは階段の踊り場にいるルミナスを見つけた。
 同時に海人も気付き、軽く手を上げながら声を掛ける。 

「おはようルミナス。よく眠れたか?」

「ん、静かだからよく寝られたわ。今日はもういいの?」

「ああ。待たせてしまって悪かったな」

「気にしない気にしない。ところでさっきの芋の話聞こえてたんだけど……」
 
 三人は他愛もない話をしながら揃って階段を下り始めた。
 途中でシェリスが蜜芋の味の素晴らしさを殊更に強調してルミナスをからかったり、
そのせいで海人が帰ったらすぐに蜜芋を作る事を約束させられたりと、
静かではないが穏やかな雰囲気で、三人は会話を楽しんでいた。
 




 





 その後海人とルミナスはシェリスの屋敷を出てカナールの商店街に行き、
彼女から支払われた金で海人の当面の着替えも買い終え、二人は並んでのんびりと歩いていた。

 実を言えば着替えを買う必然性はなかったのだが、彼の住んでいた屋敷にあった服はほぼ全てかなりの高級品。
 大都市を歩くのであればともかく、こんな雑然とした庶民的な街では異彩を放ってしまう。
 そのため遠慮なく着倒せるような安めの服を何着か買う事にしたのである。

 ちなみに当人たちは気が付いていないが、服を選ぶ際に世話好きなルミナスが積極的に見立てていたため、周囲からは完璧にカップルだと勘違いされていた。

「それで、この後はどうする? 昨日言っていた武器屋にでも寄るのか?」

「今日はあそこ定休日なのよ。つーことで、後は魚買ってとっとと帰りましょうか」

「そうだな。焼き魚にして美味い物がいいだろう」

 そんな聞きようによっては同棲中の恋人か、新婚夫婦ともとれるような会話をしていると、

「お、お、お、お姉さまああああああああああああああああああっ!?」

 前方から大きな弓と矢筒を背負った金髪の少女が、両手に大きな袋をぶら下げて突進してきた。
 12、3歳程度のその小柄な体躯からはとても信じられない速度で、
短いスカートが捲れるのも構わず、哀れな通行人達を弾き飛ばしながら2人に突っ込んでくる。

「おわっ!? ……なんだ、シリルか」

「なんだじゃありませんわ! そ、その殿方はいったい!?
私というものがありながら浮気なんて酷いですわぁぁぁっ!!」

 少女――シリルは長いブロンドの髪を頭ごと振り回し、ヒステリックに言い募る。
 端から見ればその小柄な体に見合わぬ大弓と、普通の何倍も大きな矢筒が彼女の体と一緒に動いている様子は、その幼げな顔立ちと相まってややコミカル、あるいは可愛らしく見えるだろう。

「ふむ、ルミナスはそっちの趣味だったのか。ああ、気にするな。
性的嗜好は人それぞれだからな、自分が対象でなければ同性愛など私はなんとも思わん」

「盛大な誤解してんじゃないっ! つーか反論する暇もなく勝手に納得すんなぁっ!!」

 反論する間もなく生暖かく優しい目で見つめられたルミナスが激昂した。

「なんだ違うのか?」

「違うわよ! こいつと違って私はノーマル!」

「まあそれはひとまず置いておくとして……お嬢さん、そのとんでもない殺気を収めてくれんかね。正直腰が抜けそうなんだ」

 並の男ならそれだけで腰を抜かすほど強烈な殺気を放ち、ギロリと睨みつけるシリルに穏やかに言う。
 弱気な言葉とは裏腹にその顔に怯えは全く見られない。

 ――周囲の野次馬はその余波だけで散っているというのに。

「とてもそうは見えませんが?」

 己の殺気を受けて平然としている男を胡散臭そうに見やり、やや殺気を緩める。
 しかし腰を軽く落としているあたり、その分警戒が強まっているようだ。

「表情が変わりにくいだけだよ。見ての通り私は体もろくに鍛えていない一般人だ。
そんな弱者をいたぶるのが趣味なのかね?」

「……まあいいでしょう。で、あなたはどこのどちら様ですの? お姉さまとの関係は?」

 大仰に両手を広げ、敵意のないことをアピールする海人の鍛えられていない体つきを見て、ゆっくりと殺気を収めた。
 ただし、腰はいつでも動けるように落としたまま。

「私は海人 天地という。
ルミナスとの関係は、彼女の厚意でしばらく居候させてもらっているだけだ」

「さらっと答えますわね……私はシリル・メルティと申します。
傭兵団《エアウォリアーズ》第一部隊副隊長――お姉さまの部下ですわ」

 淀むことなく落ち着いた口調で話す海人に毒気を抜かれたのか、
 シリルはゆっくり体勢を元に戻し、姿勢を正して丁寧に自己紹介をした。

「……なるほど、ルミナスは本当に幹部級だったんだな」

「カイト? まさか……信じてなかったとか言わないでしょうね?」

 かなり引きつった表情で海人の顔を覗きこむ。
 返答次第では、と言わんばかりに右腕がうっすらと魔力で輝いている。

「――まあそれは置いといて」

「こらああああっ! 放しなさいシリル! この馬鹿男いっぺんぶん殴る!!」

「だ、だめですわお姉さま!! お姉さまの力で殴ってはこの方即死ですわよ!?
やるのならせめて人目のないところにしてくださいまし!!」

 あからさまに視線を逸らす海人に殴りかかろうとするルミナスを、シリルが必死で止めた。
 もっとも彼女の言葉からすると、案じているのは海人の命ではなくルミナスの外聞のようだが。

 そんな騒がしいやりとりに周囲に再び野次馬が集まり始めていた。

「どうせこいつの魔力量じゃ簡単に死にゃしないわよ! は・な・せ・えぇぇぇぇっ!!」

「シリル嬢。君は何か用があってここに来たのではないのか?」

 ルミナスが今にもシリルの拘束を振りほどこうとしているにもかかわらず、
海人は最初から全く変わらない冷静な声音で尋ねた。

「そんなこと言ってる場合ですの!? かかってるのはあなたの命ですのよ!?」

「なに、まさか猪突猛進の特攻馬鹿じゃあるまいし、仮にも傭兵団の一部隊を率いる人間がそこまで考えなしではなかろう?」

「うっ!?」

 痛いところを突かれ、やや勢いが弱まる。
 同時に傭兵、という言葉に反応し周囲の野次馬の視線がルミナスに集まり始めた。

「まあ仮にそこまでの考えなしだったとしても、武人の誇りがあれば私のような圧倒的弱者相手ならギリギリで踏みとどまるだろう」

「ううっ!?」

 暗に拳を振るえば弱い者いじめだと指摘され、さらに勢いが弱まった。
 しかも間の悪い事に野次馬の中に、傭兵としては非常に有名な彼女とシリルの正体に気づいた者が現れ始める。
 そしてそれに気が付いた海人が、周囲には悟られぬよう、かつルミナスには分かるよう唇の端を僅かに吊り上げて笑みを浮かべた。

「まして彼女はプライドが高そうだしな。怒ってはいても無抵抗な絶対的弱者に拳は振るわんさ」

「う……うががががっ!? ……ええい、わかったわよ! この根性根腐り男!!」

 ルミナスは両手を大仰に広げ、自分の無抵抗をアピールする海人に歯噛みしながらも、制裁を諦めた。

 このすまし顔を拳でぶち抜いたらどれほどすっきりするだろうかとは思うが、
もしやればこの根性悪が確実に大げさに吹き飛び、周囲の同情を集めて彼女への非難の視線に変える事は明白。

 今彼女にできる事は早めに諦めて周囲の野次馬を散らし、怒りを抑えるために頭を切り替える事だけだった。

 ――無論、怒りを忘れたわけではないため、何か機会があれば今抑えた分まで一気に噴出する事は確実だったが。

「あ、呆れて物も言えませんわね……」

 シリルはあっさりとルミナスを言葉で抑えてしまった海人に呆れ、同時に感心していた。
 戦闘能力はともかく、胆力は相当な物のようだと。

「それはそれとして、どういう用件なんだ? 場合によっては私が今夜から宿無しになるかもしれん」

 とりあえず彼にとっての一番の心配事を尋ねた。
 もし仕事関係で呼び出しに来たのであれば、その瞬間一ヶ月の居候の話は消えてなくなる。
 仮にルミナスが住んでいていいと言ったとしても、彼一人では買出しにすら行けないのだ。

「……いえ、今日はようやく動く気力が戻りましたので、お姉さまのところに遊びに来ただけです。
団長たちももうしばらくは仕事を受けないから、ゆっくり英気を養えとおっしゃってましたし」

「そんな事言ってたの?」

 不思議そうにシリルに訊ねる。
 前回の仕事が終わった直後、彼女は疲れきっていたため団長の話が全く耳に入っていなかった。
 しかもその後に行われた宴会には団長も副団長も参加しなかったため、聞き直す機会も無かったのだ。

「はあ、やっぱり上の空でしたか。
まあ単独でルクガイアの包囲網を突破した後でしたから無理もありませんけど……」

「思い出させないでよ。そんじゃもうしばらくはゆっくり休めるって事ね?」 

「ええ、それで遊びに行く手土産代わりに食材を買っていこうとしたら……忌々しいほどに仲睦まじく歩くお2人の姿が」

「気のせいだな」

 海人はやたらと禍々しい空気を漂わせ、再び殺気を放つ彼女を気にする事も無く即座に断言した。
 あまりの反応の速さとその落ち着きぶりに、シリルも一瞬呆気に取られる。

「……いや、たしかに気のせいだろうけど、即答されると微妙に腹立つんだけど?」

「即答できるほどに違うだろう」

「友人同士の仲睦まじさってのはあると思わない?」

「彼女が言ってる意味は違うだろう?」

 微妙に複雑な気分のルミナスが海人ににじり寄るが、彼は特に気にする様子もない。

「ええい! そこ、いちゃつくんじゃありません!
特にカイトさん! 気の無い素振りを見せてお姉さまの気を引こうなど、この私が許しません!!」

 が、それでも金髪少女のお気には召さなかったようだ。
 ビシッ、と人差し指を突きつけてフーッ! とまるで猫のような声で威嚇し始めた。

「そんな考えは徹頭徹尾全くないが」

「なっ!? そこまで断言するとは……! 
はっ……!? ま、まさか……すでに気を引く必要もないほどの仲だと言うんですの!?
既にお姉さまとは男女の関係で……く、口に出すのもはばかられるような淫らな関け……」

「落ち着きたまえ」

ズゴベシャッ! と凄まじい轟音を立てて、海人の鉄拳制裁がシリルを襲った。
今朝のルミナスの時よりも威力が跳ね上がっているのか、彼女は地面に頭をめり込ませてしまっている。
ジタバタと外に出ている体が元気に動いているあたり、しっかりと防御していたようだが。

「あ……あんたってホントに女相手でも容赦ないわね」

 ルミナスが畏怖を隠そうともせずに海人の顔を見る。

 実年齢はともかく、シリルの外見は掛け値無しの可憐な美少女である。
 色々な意味で普通は殴るにしても手加減をしてしまうはずなのに、彼は迷う事なく鉄拳を叩き込んだのだ。
 むしろ腰が引けない方がおかしい。

「……しまった、加減が上手くいかなかった。まさかこんな事になるとは……」

 が、ルミナスがよく見ると海人は若干悔恨の表情を浮かべていた。
 それを見て『一応手加減する気はあったんだ』と安心しかけたところで、

「これでは話が聞かせられん」

 外道な台詞に思わずこけた。
 何とか立ち上がって怒鳴りつけてやろうとした瞬間、

「な、なんてことするんですのぉぉぉぉぉぉっ!?」

 頭を地面から引き抜いたシリルの怒声にかき消された。
 童顔ながらも整っている顔は泥まみれになり、絹糸のような金髪も薄汚れ台無しになっている。、
 はっきり言って普通の人間ならばここまでやったら多少は罪悪感を持つだろう。

「暴走していたから落ち着かせようとしたんだが……逆効果だったか」

 ――この冷血男はそんな殊勝な物を抱かなかったようだが。

「あんな一撃普通は死にますわよ!? まさか永眠すれば永遠に落ち着くっていう意味ですの!?」

「いや、そんなつもりは無かったぞ。今朝ルミナスは寝惚けた状態で無事だったからな。
その第一の部下なら、あれぐらい大したことはなかろうと思っていたんだが……」

「……ふっ! その通りですわ。この私があの程度の一撃でダメージを負う事などありませんわ!」

 高笑いが聞こえてきそうなほど偉そうな態度で土にまみれた髪をかき上げ、その慎ましやかすぎる胸を張った。
 随分と単純な性格のようである。

「うむ、大したものだ。で、頭は冷えたかな?」

「……ええ、これ以上ないほどに。冷静に考えればやや純情に過ぎるお姉さまが、
この短期間に殿方と付き合って深い仲というのは考えられませんわね」

 シリルは軽く肩を竦めて断言した。
 馬鹿にしたようにも聞こえる部下の言葉に、ルミナスの頬が若干引き攣った。

「な~んか言い方が引っかかるけど……まあいいわ、とっとと魚買いに行きましょ」

「その必要はありませんわ。この袋の中身は先程買ってきた大量の魚と良さそうな肉ですので。
もっとも他の隊員がやってきた場合はさすがに足りないでしょうが」

「どうせ当分は来る元気なんかないでしょ」

「……そうですわね。それでは参りましょうか」

 シリルは上司の断言に、なにやら悟りきったような顔で頷き、一足先に飛翔する。
 そしてルミナスは海人に荷物を持たせ、すっかり慣れた様子で彼を背中から抱え上げた。

「お、お姉さま!? 何でそんな羨ましい事を……!!」

 それを見たシリルが甲高い声を上げ、魔法を解いて二人の前に着地した。
 そして敬愛する女性に半ば抱きつかれるような体勢になっている男を、憎々しげに睨みつけた。

「は? ……あ!? じ、実はこいつ飛翔魔法が使えないのよ。
それでしょうがないから私が運んでやってるの」

 ルミナスは初めはシリルが何を言っているのか分からなかったが、すぐに自身の失敗に気付いた。
 慌てながらもとりあえず最小限の事実だけを説明する。

「そ、そんな!? それならば私が運びますのでお姉さまは荷物を持ってください!」

 シリルは海人を強引にぶん取り、その胴体に抱きつくような体勢になる。
 まるで木にしがみついているコアラのようだったが、そのまま魔法で飛翔し始めると
今度はUFOキャッチャーが大きなぬいぐるみを捕まえてるかのように見える。

 いつ手が滑って落とされても不思議はなさそうな光景だ。

「念の為に言っておくが、わざと落とさんでくれよ?」

 海人は一応釘を刺しておくことにした。
 出会ったときの印象からすれば、彼女ならそれぐらいは嬉々としてやりそうに見えた。

「御安心を。お姉さまの目の前で殺す事だけはありませんわ」

「ルミナス、頼むから彼女から目を離さんでくれ。さすがにこんなしょうもない事で死ぬのは嫌だ」

「……了解」

 返答しつつ、海人の怯えを感じて意地悪げに笑っている部下に頭を抱える。

 ルミナスからすればシリルのニタニタと笑っている表情で、彼女が本気でないのは丸分かりだ。
 しかもシリルは単に海人を抱えるのではなく、念を入れて服を掴んでいる。
 強烈な鉄拳で地面に叩き込まれた仕返しで意地悪くからかっているのだ、と容易に分かる。
 殺意があるどころか、シリルにしてはかなり懐いている方だ。

 自覚があるのかないのかは分からないが、それを海人には一切悟らせない捻くれた部下に、
ルミナスは溜息を堪えられなかった。 










 家に戻った海人は台所で材料を袋から出して並べていた。

 ルミナスのリクエストで、昨日のメニューに焼き魚を加えて完全版を作ってほしいと言われたので、
本日も彼が料理を作る事になったのである。

 シリル提供の魚をざっと見たところ、見た目の特徴で自分の知識の中にある物はアジ、サバ、スズキ。
 残りは元の世界では見た事の無い魚なので、今日はサバを塩焼きにする事にする。

 それを決めると同時に、一緒に並んだ昨日買ってきた野菜を見て海人の頭にある考えが浮かんだ。

「ルミナス、今日のメニューは昨日と少し変えていいか?」

「具体的にはどう変わるの?」

「まず味噌汁の具を少し変える。焼きおにぎりは無し。
その代わり昨日買ってきた野菜で他に何品か作る。
全部食べ終えて足りなければおにぎりを焼く、という事でどうだ?」

「いいわよ。むしろ楽しみ」

「期待に沿えるよう頑張ろう」

 ルミナスの言葉に海人は何を作るか考え始める。
 漬物があり、味噌汁の具との兼ね合いもあるので数は多く作れない。
 ならばきっちり吟味した上で選び抜いた皿でなければならないだろう、と熟考している。

 考え込んでいる海人を横目に、ルミナスとシリルは椅子に座ってのんびりと会話していた。

「ところでお姉さま。おにぎり、味噌汁といえばヒノクニの基本料理ですが……よく材料が手に入りましたわね。
この国で味噌や米を取り扱っているお店は聞きませんけど……」

「カイトの持ち込み。家賃代わりよ。そこの果物もね」

「あら、こんな果物初めて見ますわ。一ついただいてもよろしいですか?」

 見覚えのない果物に興味を引かれ、シリルは一応尋ねつつ手を伸ばす。
 いまだかつて彼女の敬愛する上司は金が無いと愚痴りつつも、果物一つをケチるような事はなかったのだ。

 ――――そう、今までは。

「駄目」

「え?」

 予想外の制止に、シリルの手どころか体全体が凍りついたかのように止まる。
 それは何も意外だったというだけでなく、聞こえた声に含まれた強烈なプレッシャーによるところが大きかった。

「駄目。数が少ないのよ」

 ルミナスは重ねてシリルに警告する。
 普段ならば果物一つで数多ある問題点を差っ引いてもまだ可愛い部下に目くじらは立てないが、今回は違った。

 目の前の果物は彼女がこれまで食べた中でも最高級の極上品。
 それだけならばともかく、少なくともこの近隣では手に入らない物で、海人が魔法で作る以外に新たに入手する方法は当面無い。

 そしてシリルがやってきた以上、彼女は確実に次の召集まで滞在する。
 慎重な性格の海人ならば創造魔法の秘密保持を考え、この家では果物を作らなくなる可能性が高い。

 ならばシリルの滞在を断ればいい、というのは論外。
 今までルミナスは部下の滞在は人数が増えすぎた時以外断った事は無いため、確実に理由を聞かれる。
 嘘をつく事が苦手な彼女では、意外に鋭いシリルをごまかしきれる可能性は極めて低い。

 つまり、最悪の場合目の前の果物は今ある物が無くなればしばらく―――下手をすれば永遠に―――食べられない。
 いかに可愛い部下といえども、譲る気にはなれなかった。

「お、お姉さまそんなに言われてしまうとなおさら食べてみたくなるのですが……」

「食ったら八つ裂きね♪」

ルミナスの笑顔の裏にある鬼神の殺気にシリルは、ひいっ!? と悲鳴をあげ、腰を抜かした。

「……まだわたしの部屋にあるから構わんだろう?」

「あれ? まだあったの?」

とりあえず考えをまとめて台所から出てきた海人に、いいの? と目線で尋ねる。

「ああ、いくつか持ってくるから、早速皮を剥いてシリル嬢に食べさせてやれ。
ついでだから、昼に君が食べそこねたあれも持ってこよう」

 海人は言葉の裏でシリルの足止めをルミナスに頼み、
その間に果物や護身具その他など、作れる限りの物を作るべく自分の部屋に向かった。







 海人が作った柿を持って戻ってくると、リビングでシリルが至福の表情を浮かべていた。
 頬に軽く手を当て、口にフォークをくわえたまま感動に身を震わせている。

「お、美味しいですわ……!!
こ、この気品のある甘さ、しっかりと甘みはあるのに刺激が強すぎず弱すぎず……
やや食感が硬いですが、それを補って余りあるほどに美しい味ですわ!!!」

「満足してもらえたようで何よりだ。ほれ、ルミナス」

 海人は小さな体全体で歓喜を表現しているシリルを横目に、ルミナスに芋を渡した。
 渡された瞬間、彼女はぱくりとかぶりつき、驚きと歓喜に目を見開く。

「あっま~~~い♪ うわ、これ絶対芋じゃないでしょ!?
裏漉しして形を整えれば、そのまま高級デザートとして売れそうなぐらい甘いわよ!?」

「お姉さま! それも一口くださいまし!」

「うっ……しょうがないわね。一口だけだからね!?」

 目をキラキラと輝かせて懇願する部下に、ルミナスは渋々ながらも折れた。
 なんだかんだ言っても、甘い性格らしい。

「承知しておりますわ」

 手渡された芋を小さい口で齧り、もぐもぐと咀嚼する。
 味わい始めてすぐに、彼女の表情がだらしなく緩み始めた。
 そして嚥下した瞬間、一転して表情が落胆で満たされる。
 ルミナスにチラリとねだるような視線を向けるが、彼女は無情に手を突き出してきた。
 そしてシリルは手元の芋に悲しげに視線を落とし、

「……ごめんなさいお姉んぎゃ!?」

 齧りつこうとした瞬間に、ルミナスのデコピンで頭を弾かれた。
 デコピンのイメージからは程遠い威力によって、シリルの体が椅子から派手に転げ落ちる。
 そして彼女が芋を取り落とした瞬間、ルミナスはそれをキャッチして口に運んだ。

「て、手加減なしですの……?」

「デコピンなんだから十分手加減してるでしょうが」

「ううっ……額に穴が開きそうな一撃は手加減とは言いませんわ……」

 痛そうに額をさすりながら、シリルはルミナスの口に運ばれていく最後の一口を切なげに見送った。
 そんな彼女を眺めながら、海人が口を開く。

「ところでシリル嬢、味の方はどうだった?」

「あ、はい。柿も芋も甲乙つけがたいほどに美味しいですわ。
柿の上品な甘さも、芋の濃厚極まりない甘さも魅力的です。
カイトさん、どちらでも良いので今度仕入れられた時は私にも売っていただけません?」

「やめときなさい。その柿って果物はシェリスが一個1500ルンの値をつけたやつよ。
芋の方はまだ値段つけられてないけど」

「せ、1500ですの? い、いえ確かにこの品質ならば惜しい金額ではありませんし、
今回の報酬はほとんど使ってませんから余裕もあるのですが……こんな物食べたら並の甘い物が食べられなくなってしまいますわ!
年をとって傭兵が出来なくなったら私はどうすればいいんですの!?」

「いや、そう言われてもな。いくらでもやりようは……」

「ま、まさか若い間はお金はいらないから体で……!?」

 外見的には将来有望ではあるが、今の彼女の体で普通の男を欲情させるためには色々と足りていないものがある。
 彼女の体に欲情するのは節操がないか特殊な趣味の持ち主かなのだが、シリルは己の体を隠すように自らの両手で抱きしめる。

「上司と同じ妄想をするなあっ!!!」

 ドゴォッ! とシリルに本日二度目の鉄拳が振り下ろされる。
 さすがというべきか、今回は頭を押さえてうずくまっているだけである。
 それでも声が出ない程に痛いようで、パクパクと金魚のごとく口を開け、いろいろ台無しな表情で涙目になっているが。

「あのな、傭兵が出来なくなったらなったで別の商売を始めるとかあるだろう。
他にも傭兵やってる間に倒した敵の装備品をかっぱいで売り捌いて収入を増やすとか、
現役のうちに名を上げて武術の指導者として稼ぐとか……」

 そんな彼女の様子を心配するでもなく説明を始める。
 彼の姿だけを見ていると、出来の悪い生徒に根気強く教える教育者のように見える。

「あ~、そういやそういう手段もあるわよね。
敵の装備品売っぱらうのは余裕があればいつもやってるけど……私は商売には向かないからやるなら指導者かしらね」

「お、お姉さま……可愛い部下が悶え苦しんでいるのに一切同情なしですの……?」

 シリルは痛む頭を押さえながら上目遣いで尋ねる。
 その姿は普通の男ならばコロッといってしまいそうに愛らしいのだが、

「そんな程度でどうにかなるんじゃ私の部下やってらんないでしょうが」

「後は物覚えが良い若い間に暇を見つけて知識を身につけ、医師・薬師・教師など体を使わん職業に転職するぐらいだな。人としてどうかとは思うが、子供を産み子供に金をせびるというのもありか。
育て方によってはかなりのリスクが発生するだろうがな」

 冷静な言葉を吐く非情な上司と、そもそも彼女の事を見てすらいなかった冷血男には何の効果もなかった。
 あまりにも無体な二人の態度に、シリルは床に両手を着いてガックリと項垂れた。

「うう……誰か私に同情してくださる優しい方はおられませんの……」

 シクシクと涙を流す彼女に、ようやく海人が視線を向け――

「まあいずれにせよ、私がここに居候している間はルミナスからは金は取らん。
そして、彼女が頼むのであれば君からも金を取ろうとは思わんぞ」

 おそらく彼にしては慈悲溢れる事を言った。
 実際彼はこれでシリルは安心するだろうと思っていた。

「えっ……? お姉さま!!」

 希望に目を輝かせてルミナスを振り返る。

「却下。さっき約束破ろうとした罰よ」

 そして無情に突き落とされた。

「即答!? ああ、冷たい、冷たすぎますわお姉さま……」

「ええ、冷たいわよ。だからいい加減私の……」

「でもそんなところも素敵ですわぁ♪」

 シリルは油断していたルミナスに両手を広げて飛び掛った。
 隙を突かれたせいで反応が遅れ、彼女の豊かな胸に小さな顔が埋められる。

 ルミナスは『家帰ってすぐ鎧外すんじゃなかったぁっ!』と絶叫し後悔するが、後の祭り。
 不埒な部下はそのままグリグリと堪能するように頬擦りを始めた。

「ふむ、幾度邪険にされても諦めぬ愛か。私には理解しがたいが、素晴らしいかもな」

「素晴らしくない! ああ、この変態はもうっ……!!」

 まるでスッポンのごとく張り付いて離れないシリルを必死で引き剥がそうとする。
 が、がっちりと背中に回された両腕でロックされているために上手くいかない。

「うむ、仲良き事は美しきかな。
さて、そろそろ食事を作らねばならんだろうが……まあ君らが楽しんでいる間にすませておこう」

 どたばた騒いでいる二人を尻目に、海人は先程作っておいた着火装置を部屋に取りに行こうと考える。
 魔法を使える二人の手が塞がってしまったので、自力で火をつけなければならないのだ。
 幸い、二人は海人に注意を払う余裕はなさそうであり、台所は二人の位置からは死角になっているので特に問題はない。

 戻る前に他に必要な物がないかもチェックするが、幸い米はまだたっぷり残っているし、水も昨日の残りがまだ残っている。
 炭も余っているため、わざわざ魚を焼くための七輪用に新しく作る必要はない。

 着火装置だけあればいいと再確認し、米をとぎ、三人分の魚を捌いて軽く塩を振り、味噌汁の具を切り、
一通りの準備を整えてから海人はスタスタと自分の部屋に戻っていく。

「こら! 見捨てるな!! 助けろぉ~~~~~!!!」

 悲痛な声で助けを求めるルミナスと、その胸に顔を埋めて悦に浸っているシリルを視界に入れないようにしつつ。







 海人が今日の料理を作り終え、トレーに乗せてテーブルに持ってくると、
がっくりと項垂れたルミナスとやたらと元気になっているシリルの姿が視界に入った。

「食事が出来たが……大丈夫か?」

「ううっ……もうお嫁に行けない」

 声をかける海人に返事もせず、シクシクと涙を流す。
 少し乱れた服といい、胸元に見える唾液の跡といい、何があったのか容易に想像できてしまう姿だ。

「久しぶりにお姉さまエネルギーをたっぷり補充しましたわ~~♪
あら、いい匂いですわね」

「うむ、冷めない内に食べてくれ……ほれ、ルミナスも」

「それだけ!? こんな無惨に辱められた私に対して同情とか無し!?」

 特に慰めもしない海人に八つ当たり気味に食って掛かる。
 さらっと見捨てられた事を考えればあながち八つ当たりともいえないが。

「そんな事より食べ物は熱いうちに、というのは食事の鉄則だ」

「そんな事!?」

 暗に自分の貞操が1回の食事以下だと言われ、ガーンとショックを受ける。
 が、そんな彼女にはお構いなしに二人は食事を始めた。

「美味しいですわ~~~♪ カイトさん、この魚に掛けてある調味料はなんですの?」

「それは醤油といって大豆を発酵させて醸造して作る調味料だ」

「ああ、これが……ヒノクニの食材って侮れませんわね。
これ、お肉に付けて焼いても美味しいのではありません?」

「うむ。隠し味に使ってもうまいぞ」

 初対面時の険悪さが嘘のように明るく話しかけてくるシリルに、海人も穏やかに応じる。
 やはり美味しい物の力は偉大という事なのか、二人共かなり仲が良い友人のように見える。

 なんとなく取り残された気分になり、仕方ないのでルミナスも食べ始めた。

「たしかに美味しいけど……」

 クスン、と一度僅かにすすり泣き、食べ進める。
 しばらく釈然としない表情で食べていたが、急に何かを思いついたような表情になり、それからは普通に食べ始めていた。

 ――不運な事に、海人もシリルも食事と互いの会話に夢中で彼女のその邪悪な表情を見る事は出来なかった。









「カイト、デザートはあのマンゴーって果物ちょうだい――意味は分かるわね?」

 全員が食べ終え、海人がデザートをどうするか考え始めた矢先に、ルミナスが含みのある言葉を放った。
 表面上は穏やかだが、彼女の笑顔には反論を許さぬ圧迫感がある。
  
「あ、ああ、取ってくるから少し待ってろ」

 彼女の言葉の真意を悟らざるをえなかった海人は慌てて自室に戻り、
先程作っておいた何種類かの果物の内、マンゴーを2個だけ持って急いでリビングに戻る。

「昨日と同じように切ればいいか?」

「うん、お願いね?」

「甘い良い香りですわねぇ……あら? あの、私の分は……?」

 甘い香りを漂わせながらマンゴーが皿に盛られたが、用意されていた皿は二つのみ。
 それらは海人とルミナスの前にフォークと一緒に置かれ、彼女の目の前には何も置かれなかった。

「ないわよ。そこで私たちが美味しそうに食べてるのを見てなさい」

「酷っ!? 仕返しとしては少々陰湿ではありませんの!?」

「あっはっはー、何と言われようと知ったこっちゃないわよー」

「ううっ……ふ、甘いですわねお姉さま。多少懐は痛みますが、カイトさんから買えば……」

「ちなみにこれ、シェリス曰く一個2万ルンは堅いって言ってたわよ」

 無駄な足掻きをする不埒な部下の希望を叩き潰す。
 シリルの財布に普段から入っている最高額も今日彼女が買って来た食材の値段も既に予測済み。
 偶然ではあるが、買い取るという選択肢は8割がたシリルには残されていないと判断できていた。

「んなあっ!? て、手持ちがもう1万5千ルンしかないですのに!?
しかもそれだけの値打ちがある味なんてますます食べてみたく……!!
はっ……!? な、なるほど嘘ですわね!? 実はもっと安いのでしょう!?」

「いや、昨日間違いなくシェリス嬢はそう言ってたぞ」

「そんなっ!? ……あの、カイトさん物は相談なのですが、後ほどお支払いしますのでこの場はツケに」

「売ったらお仕置きバージョン2ね。ちなみに一昨日のは序の口よ」

 この期に及んでまだ足掻き続ける愚か者を嘲笑うかのように海人に釘を刺す。

「すまん、シリル嬢。売るわけにはいかない」

「のおおおおっ!? ぐうっ……む、無念ですわ……」

「……しょうがないわね。カイト、一口だけあげて」

 ルミナスは項垂れるシリルに仕方ないなあ、という表情で海人に指図する。
 悪魔を見るかのような目で自分を見る彼に構うことなく、実に美味しそうにマンゴーを食べ進める。

「普通自分のじゃないのか?」

「嫌よ。もったいないもの」

 嘆息しながらせめてもの抵抗を試みる海人を、ルミナスは無情に切り捨てた。
 仕方なしに彼も諦めてフォークに一口分突き刺し、最後の抵抗としてシリルに訊ねた。

「シリル嬢、食べかけだが構わんか?」

「構いませんわ! 早く一口くださいまし!」

「……ああ、ほら」

「……お、お、お、美味しいですわぁ~~~~~~~~~!!!
こ、この濃厚かつ鮮烈な甘み! 滑らかな舌触りと噛むたびに溢れる果汁!!
ああ、あともう一口だけくださいまし!!」

目を剥いて感激した後、まるで砂漠で水を求める旅人のように海人に向かって手を伸ばす。
が、その手はルミナスに優しい手つきで無情に払い落とされた。

「ふっふっふ。駄・目・よ♪ 一口だけ。わかってるわよねカイト?」

「……ああ、分かってる」

海人はルミナスの愉悦をたっぷり含ませた言葉に憂鬱そうに頷く。
そして分かり易すぎる罠にあっさりと引っかかってしまったシリルを哀れむように見つめた。

「そ、そんなこれでは生殺し……!? あの、まさか……?」

「味見しなければもうちょっと楽だったかもしれないわねぇ?」

 愕然とするシリルをとても楽しそうに嘲笑う。

「お……お……鬼ですわお姉さま!!
ここまで残忍な所業、悪魔が乗り移ったとしか思えませんわよ!?」

「はっはっはー、ざまあみろってのよー」

 どうやらセクハラかまされたのが余程腹に据えかねたようである。
 ケタケタと愉しげに部下を嘲笑いながら、ルミナスは美味な果物に舌鼓を打っていた。

「くうう……はっ!? そういえば、何も正攻法で手に入れる必要はありませんでしたわねぇ……」

 追い詰められたかのように後退った瞬間、シリルはほぼ確実に手に入れられる手段に気がつく。

 拳に力を溜め、獲物を奪おうと振り返ると―――

「どうかしたのか?」

 海人がそ知らぬ顔をして空になった皿を見せた。
 身に迫る危険を的確に察知していたようだ。

 果汁まで全て飲み尽くされて綺麗になっている器を目にして、
シリルはがっくりと膝をつき、悲痛に天を仰ぐ。

「ああ……か、神よ、何ゆえこのような残酷無比な試練を私にお与えになるのですか……?」

「家出の時にあんたがやった事考えるとしょうがないんじゃない?」

「ん? シリル嬢は家出中なのか?」

「家出の過程で勘当されていますので、既に家出ではありませんけれど。
その際に色々あって死にかけていたところを、お姉さまに拾っていただいたんですの」

「そんで、私が鍛えて今の傭兵団に放り込んだってわけ。
はあ……あんとき見捨てときゃ今の苦労は無かったかもしれないわねえ……」

 嘆息し、ルミナスは肩を落とす。

 元々シリルは命の恩人である彼女になついていたが、段々それがエスカレートしている。
 同性愛的行為に走り始めたのはつい最近だが、このままいくと貞操を奪われるかも、と半分本気で心配していた。

「あら、お姉さまにそんな事が出来たとは思えませんけれど?」

「そうだな。捨て猫を見たらその場は見捨てたとしても、毎日心配で見に行くタイプだ」

「わかってますわねカイトさん。実際以前ラミシーブという街で捨て猫を見つけてしまったときは……」

「うっさい黙れ」

 ゴンッ、と鉄拳が振り下ろされる。

「あうう……今日はよく頭を殴られる日ですわ……馬鹿になったらどうするんですの?」

「多少馬鹿になった方がまともな方向に興味が向くかもしれないでしょ」

「私としては、より暴走して君の抵抗もむなしく最後までという方が面白……」

 ドゴンッ、とかなりの破壊力の拳が振り下ろされる。
 その勢いに逆らう事も無く、というかできずに海人は頭をテーブルの上に叩き落される。

「ありゃ、やりすぎたかな?」

 その言葉を証明するかのように海人はピクリとも動かない。
 頭から薄く煙を立ち上らせたままテーブルに静かに突っ伏している。

 試しにツンツン、とシリルが指で強めに彼の頬を突付いてみるが、反応はない。
 心なしか彼女の指に触れた頬の温度は冷たかったような気もする。

 し~ん、と痛すぎる沈黙が場を包んだ。

「えっと……お姉さま、カイトさん動きませんが」

「だ、大丈夫よ。こいつ私より魔力多いし」

「それは驚きですけれど、いくら魔力が多くても防御に回す暇がなければ意味が……」

「だ、大丈夫だって! ほら、憎まれっ子世にはばかるって言うでしょ。
こいつの性格からすれば、あちこちから恨みかってるだろうから簡単には死なないって!」
 
 海人が聞いていない事をいい事に結構ひどいことを言う。
 といっても元の世界では彼が無数に恨みを買っているのは事実なので、自業自得といえば自業自得ではある。

「たしかにその理屈から言えばなんとなく殺しても死にそうにない気もしますけれど……」

「……人が少し意識が飛んでる間に随分好き勝手言ってくれるな」

 二人の騒いでる声に起こされた海人が恨めしげな声を向ける。
 が、その体はいまだに動くことなくテーブルに突っ伏していた。

「ほら! 大丈夫だったじゃない!」

「カイトさん、なんで起き上がらないんですの?」

「頭がまだグラグラしてて世界が回ってるように感じるのでな。起き上がったら倒れそうなんだ」

「貧弱ですわねぇ。あれほどの一撃があの速度で放てるのになぜそんなに脆いんですの?」

「あのな、最初に言ったとおり私は普通の一般人だぞ。
自慢にならんが、今まで生きてきて防御が必要になった事など数えるほどしかないわい」

「……それでなんであの時間であんな威力出せますの?」

 シリルは海人の返答に思わず訝しげな顔になる。

 通常、肉体強化は強化の度合いに応じてそれなりの時間がかかる。
 と言ってもそれは一般人からすればごく短い時間で、せいぜい長くて数秒の話。
 が、ルミナス達のような戦いを生業とする者達にとってはこの数秒は致命的な時間になってしまう。

 肉体強化にかかる数秒の時間は慣れによって限りなく零に近づける事が可能だが、
そのためには長期にわたって日常的に肉体強化を使用した鍛錬を行う事が必須となる。
 当然ながら海人はそんな鍛錬は行っていないし、シリルにとってもそれは体つきを見れば一目瞭然である。

 彼女が首を傾げるのも無理は無かった。

「ん~……多分こいつの魔力量が狂ってんじゃないかってほど異常に馬鹿高いからよ。
だから意識してれば尋常じゃない魔力量で瞬間的な力任せの強化が出来るけど、反射的には無理なんでしょ」

 わけが分からない、という表情になっている部下を見かねたルミナスの言葉に、シリルが軽く目を見開く。

 肉体強化にかかる時間を短くする方法は実際にはもう一つ方法がある。

 無駄に大量の魔力を使って強引に強化する方法だ。

 肉体強化はイメージが粗雑だったり、慣れていなかったりする者が強化を急ぐと、使う魔力量の全てを肉体強化に回せず、余った分はただ無駄に消費してしまう。その場合は強化の効果自体もかなり弱まってしまう。
 それを避けるために通常は多少時間を掛けるか、鍛錬によって反射的に肉体強化を行えるレベルまで慣れるかをするのである。

 しかし、そもそも使う魔力量が莫大であればこの問題は無くなる。
 限界を超えた肉体強化時に表れる体の防衛反応としての痛みを無視でもしない限りは、
最悪でも数日間身動きの取れない地獄の筋肉痛ですむのでリスクも一応少ない。

 が、こんな無駄な事を行う人間などそうはいない。

 それこそ魔力が余って仕方がないと言わんばかりの桁外れの魔力量の持ち主でもない限り。

「お姉さまがそこまで言うほどの魔力量なんですの?」

 ルミナスの魔力量を知っているシリルは首を傾げる。
 自分の所属する傭兵団全体では第四位の魔力量ではあるが、ルミナスの魔力は傭兵業界屈指の値。
 第四位という位置にしても、第一位と極端な大差があるというわけではない。
 その彼女が狂ってるだの異常だの馬鹿高いだの言うような魔力量の値はなかなか想像し難かった。

「数字聞けば馬鹿馬鹿しくなるぐらいにね。カイト、言っちゃってもいい?」

「構わんぞ。むやみやたらに口外しそうなタイプにも見えんしな」

「ありがと。いい、シリル。正気を保ちなさい……775万よ」

「は? あの、お姉さま……聞き違いか言い間違いだと思うのですが……今まで聞いたことがない数値に聞こえましたが?」

「私の4倍以上よ」

「つ、つまり、私とお姉さまを合わせてもとても届かない化け物ということですの?」

「そういうこと。考え無しに魔力砲ぶっ放しまくるだけでも、そこらの並の傭兵団ならアリでも踏み潰すように壊滅させられるでしょーね」

「ん? 魔力砲とはなんだ?」

 今日調べた文献には載っていなかった単語に海人は反射的に訊ねた。
 名前の印象からして魔法具の一種かと感じたが、少なくとも今日彼が調べた中には載っていなかった。
「あ~……ぶっちゃけて言えば魔力をそのまま撃ち出す攻撃の事よ。例えばこんな感じで」

 言葉が終わると同時に瞬時に彼女の手の前にバスケットボールほどの大きさの魔力の光球が作られ、シリルに向かって放たれた。

「何も私に放たなくても……」

 彼女は慌てることなく、相当な速度で飛来する光の球を軽く右手を振ってかき消す。
 どうやら速度や大きさに反して威力はほとんど無かったようだ。

「密度はほとんど無かったでしょ。で、こういう攻撃なんだけど、実は魔力消費の割りに威力がかなり低くてね。
だから実用的な威力を出すためには一発あたり1万程度の魔力、上位魔法クラスの威力を出すためには70万は必要なの。
まあ魔法を使わない以上、増幅も何もしないんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
ただ、術式を使わない分速射性が高いのよ。ま、上級魔法クラスの威力を出すとなれば、さすがに溜めで10秒ぐらいはかかるだろうけど」

「つまり……私は練習さえすれば、11発までなら上位の攻撃魔法を10秒程度で放てるようなものだということか?」

「そういう事になりますわ。使い所さえ間違えなければ一撃で数十人葬れる攻撃を短時間で乱発できるなど、
才能の残酷さとしか言いようがありませんわね。世の中不公平なものですわ」

 暢気な海人の言葉に、シリルは不貞腐れたような顔になった。
 自分達のような戦いを生業とする者より、目の前のろくに体も鍛えてない男の方が圧倒的に魔力が高いなど、世の不条理を痛感せずにはいられない。
 筋違いとは分かっていても、海人に恨みがましい視線を向けてしまうのは仕方ないといえば仕方ない事だった。

「でもシリル、今度仕事があった時にこいつを無理矢理戦場に連れてって後衛に回せば……」

「それなら生存率が一気に上がりますわっ! さすがはお姉さま! 素晴らしいアイデアです!!」

「私の意志は!?」

「大丈夫よ。その時は目が覚めたら戦場だから」

「微塵も大丈夫ではなさそうだな!? というかどうやって連れて行くつもりだ!?」

「それは乙女のヒ・ミ・ツ♪」

 人差し指を優しく口元に当て、軽くウインク。
 仕草自体は可愛らしいし、それをする人間の素材も良いのだが、いかんせん慣れていない仕草であるため違和感がかなり大きい。

「ここまで似合わん奴も珍し……ぎゃああああああああああっ!?」

 ――正直だが余計すぎる発言によって海人の頭はルミナスの細指に鷲掴まれた。
 魔力で強化された指の力が、ミシミシと不吉な音を奏でている。

「命知らずですわねえ。お姉さま相手に躊躇無くそんな発言をなさるなんて」

「頭良さそうなのに人間関係では学習能力ないのかなぁ~♪
カナールの街でも随分と馬鹿にされたし、一度徹底的にお仕置きしてあげた方があんたのためかしらねぇ~?」

 ルミナスは晴れやかな笑顔のまま、握っている右手により力を込めた。
 さらにそのまま海人を片手で地面に引き倒し、ズルズルと引きずっていく。

「ひいいっ!? シ、シリル嬢! 助けてくれ!!」

「嫌ですわ。私まで巻き込まれてしまいます。
まあ、観念してお姉さまの拷も……愛の鞭を受けることですわね」

 自分に向かって哀れっぽく手を伸ばす海人を冷たく切り捨て、残っていた紅茶を優雅に一啜り。
 海人を助ける気など全くないようだ。

「今拷問と言いかけたな!? 私はいったい何をされるんだ!?」

「それはこれから身を持って知ることになるわよ~♪
さ、ちょ~っと別の部屋に行きましょうねぇ~~?」

「だ、誰か助けてくれええええぇぇぇーーーーーっ!!!」

 因果応報、自業自得、そんな意味を込めた視線でシリルに見つめられた男の、
来るはずもない助けを求める悲鳴が、空しく家中にこだました。



テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

レズキャラはどうしてこうも輝くのだろうか。

[2012/08/07 20:47] URL | #- [ 編集 ]


なんで日本のことわざ使ってるんだよ
[2015/07/29 00:48] URL | #- [ 編集 ]


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