ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄48
 翌朝。鍛錬を終えた刹那と雫は、完成したばかりの檜風呂にゆったりと浸かっていた。

 湯船の温かみと心地良い木の感触を堪能しながら部屋を見渡せば、
丁寧に磨き上げられた鏡や職人技で作られたと思しき木製の風呂桶などが視界に入る。
 壁や天井、浴槽は全面が檜だが、床は色彩のアクセントに御影石が使用されており、
より一層の高級感を醸し出している。
 浴室の広さと合わせると、もはや王侯貴族の贅沢とさえ言えるだろう。

「はぁ~……極楽極楽♪」

「ああ、生きてて良かった……っ!
浴室全体の木目の美しさもさることながら、洗い場に取り付けられた鏡もまた素晴らしいっ!
風呂桶一つとっても十分に金が取れそうな程の造形だし、ヒノクニ出身の者であれば感涙に打ち震えずにはいられん!
しかもあの温泉の元とやらを入れれば、心地良さは倍増! ああ、拙者はこんなに幸せでいいのだろうか……っ!」

「あっはっは、基本同意だけどあたしはお姉ちゃん程はしゃげないかなー」

 やれやれ、と言わんばかりに呆れた目を姉に向ける。

 そこにあるのは、普段からは想像もできない程にまったりとした姿。
 凛とした顔は心地良さに緩みっぱなし、板でも入ったような背筋は湯船の縁に預けられて反り返り、
髪も解かれて海藻の如く湯船をぷかぷかと漂っている。

 熱のこもった大演説とは裏腹に、体は至福に緩みきっていた。
 
「はふぅ……山に潜みし隠れ湯にぃ~っ♪」

 気分が乗ったのか、軽やかに歌い始める刹那。

 流して歌っているようではあるが、演歌調のその歌は異常な程に上手く、
歌声一つで聞く者の耳に伴奏の幻聴を届けんばかり。
 目を閉じれば歌詞が示す山間の温泉から見える風景さえ幻視できてしまう程に情感も籠もっている。

 そんな姉に同調するかのように、雫もまた刹那に続いて歌い始めた。  

「森の狭間で垣間見るぅ~、死臭た~だようっ屍山血河ぁ~♪」
 やたら凄惨になった歌詞を耳にした刹那が、すっ転んで湯船に沈んだ。
 言うまでもなく雫による悪趣味な替え歌なのだが、見事な程に音程は狂っていない。
 風流な気分を台無しにされた刹那は、無駄に芸の細かい妹を思いっきり怒鳴りつけた。
  
「アホかっ!? 桜舞い散る春景色だろうが!」

「あの歌、音は好きだけど歌詞は好きじゃないんだよねー。
でも、相変わらずお姉ちゃんは歌上手いねぇ。海人さん音楽好きみたいだから、今度聞かせてあげたら喜ぶと思うよ?」

「いや、それは……その、少々恥ずかしい」

 頬を微かに赤らめ、刹那はそっぽを向いた。
 彼女は歌は好きなのだが、人前で歌うのは苦手であった。

「いーじゃん別に。ここんとこ毎日血貰ってるんだし、そんぐらい我慢しなよ。
首筋に犬歯刺さるなんて、良い感触なはずないんだから」

「うぐ……考えておく」

「考えておく、ねえ……あんな大量の書類片付けなきゃいけない海人さんの為に何かしてあげようって気はないんだ~。
可哀想だなぁ……あんな無茶な量の書類に挑もうとしてるのに、お姉ちゃんは何もしてあげないんだねぇ……」

 わざとらしく目元を拭う雫に、刹那が狼狽える。

 原因は、二人が入浴する少し前に届いたシェリスからの書類。
 その量は、凄かった。山のよう、という言葉が形容詞に聞こえない程だったのだ。
 なにしろそれを目にした海人が目を疑い、寝直しに行きそうになったのだから。

 一応海人曰く『期限を考えれば多少余裕のある範囲内だが、非常にしんどい作業になる』らしく、
シェリス相手の迂闊な発言を思いっきり悔やんでいた。
 しかも、性格上一度言った事を撤回するのも気が進まないらしく、
仕事を始めるまでに英気を養うため、と今日の昼までは庭で清浄な空気を吸う事にすると言っていた。

 その時の哀愁漂う姿を思い出せば、何かしてやりたいという思いは強くなる。
 だが、恥ずかしい事には変わりなく、海人が本当に喜んでくれるかも分からない。
 もやもやとした思いで刹那が悩んでいると、

「ひぃ~とぉ~でぇ~なぁ~しぃ~~♪」

 実に楽しげな罵倒が浴室に響き渡った。

「だぁぁぁぁっ! 歌えばいいんだろう!? お前も伴奏ぐらいはするんだろうな!?」

「勿論。今度楽器作ってもらうか、材料買ってきて自作するかしないとねー」

 やけくそ気味に叫ぶ姉に、雫は相変わらずの憎たらしい笑顔で答えた。
 


















































 カナールの一角でラクリアはパタン、と閉まるドアを背に嘆息した。

(……順調と言えば順調だけど……どうしよう)

 ゆっくりと歩きながら、考える。

 目的の石が埋まっているはずの場所に建っていた家の住人から、既に人手に渡ったと情報を得られた。
 しかも尋ねた時に応対に出たのが先日助けられた時に会った少女だったため、話がすんなりと進んだ。

 家の詳しい位置は知らないようだったが、先日海人達が戻ってくるのを待っていた際の雑談で、
刹那からドースラズガンの森の近くで同居しているという話を聞いている。
 広い森ではあるが、あんなところに住む変わり者が多いとは思えないので、フェンの速度があれば探すのは難しくないはずだ。
 ここまでは、幸運と言って差し支えないだろう。

 だが、一点だけ重要な問題があった。

(……流石に、タダで譲ってもらえるとは思えない)

 肩を落とし、手元の小さな財布を見る。
 そこにある金額は千五百ルンと、なんとも心許ない。
 子供の頃社会勉強の一環として城下町で買物をした際の残りなので、当然と言えば当然だ。
 
 そして、求める石は基本的に魔法具としての価値が皆無で宝飾品としてもかなり落ちるが、
持っている時の手触りが非常に良い。
 その感触を踏まえると、手持ちの金で譲ってもらえるとは思えない。

 勿論、手持ちの資産という意味では譲ってもらえるだけの金額はある。

 集めた隠し財宝を別にしても、元々護身用に身に付けていたダイヤモンドが三つある。
 ラクリアにとっては既に意味の無い宝石だが、魔法具としては言うまでもなく最高峰であり、
売ったとしても相当な大金になる。    
 これと引き換えと言えば、譲ってもらえないという事はないだろう。
   
(……でも、これも民に還元すべき物……となると残る手立ては一つだけど……)

 そんな事を考えているうちに、ラクリアは誰かにぶつかった。 
 慌てて謝罪しようと顔を上げると、

「お、先日のお嬢さんじゃないですか」

 見覚えのある顔が、妙に柔和な表情で声を掛けてきた。
 その背後には、同じように見覚えのある顔が四つ。

 ――先日、ラクリアに絡んできた男達であった。

「……え?」

 あまりに予想外な事態に、思わず間抜けな声が漏れた。

「先日はすいませんでした。酒に酔っていたとはいえ女性に乱暴狼藉を働こうとするなんて、最低ですね。
まったくもって、申し訳ありませんでした」

 ラクリアがぶつかった男を筆頭に、一斉に頭を下げる。
 その仕草はいちいち誠実さに満ち溢れており、とても演技には見えない。
 酒に酔っていた事を差し引いたとしても先日と同一人物には見えなかった。
 
 なお――気付かなかっただけかもしれないが、先日ラクリアは酒の匂いを感じなかった。 

「い、いえ……実害はありませんでしたから……」

「寛大な御言葉、ありがとうございます。それでは、俺達はこれから仕事がありますんで失礼します」

 再び全員一斉に頭を下げ、スタスタと歩き去っていく。
 ラクリアがまるで絵に描いたような好青年になってしまった男達を呆然と見送っていると、後ろから声がかかった。

「……むう、失礼じゃがお嬢さん。あの連中に何もされなかったかの?」

「は、はい……あの、貴方は?」

「っと、これは失礼したのう。わしはオーガスト・フランベルという、隠居のジジイじゃ」

「……あの、まさか《大いなる孤狼》様ですか?」

 穏やかに笑う老人に、おずおずと尋ねる。
 同姓同名の別人という可能性もあるが、その割には目の前の老人はやたらと風格が漂っていた。

「かっか、様付で呼ばれる程出来た人間ではないがの。
しかし、何もされんかったか……うーむ、改心したとしても早すぎる気がするんじゃがなぁ……」

「どういう意味ですか?」

「いや、あの男達新参の冒険者なんじゃが、ちょいと素行が悪かったそうなんでの。
問題起こしたらその場でとっちめて根性叩き直すよう頼まれたんじゃが……聞いた話とは随分違うのう」

 ガシガシと頭を掻き、困ったような顔になる。

 ハロルドの頼みでこの町を動けなくなったオーガストであったが、役目上酒びたりになるわけにもいかず退屈が予想された為に、
他の長老からの頼みも引き受ける事にした。
 その一つが気が向いたら素行に問題のある冒険者を軽く躾けてやってほしい、という事だったのだが、
いざ探ってみれば聞いた話とはまるで異なる好青年達だった。

 正直、情報に間違いがあるとは思えない。老いたりと言えど、元々超一流の商人だ。
 商人の生命線とも言える情報で間違いを犯すとは考えられない。

 では、何らかの理由で改心したのか。これもありえなさそうだった。
 オーガストが頼みを引き受けたのは、ハロルドに頼まれたその日の夜だ。
 比較的寛容な長老達に問題視されるような冒険者達が一週間も経たずに改心するなどとは思えない。

 悩んでいると、ラクリアがおずおずと先日の話を始めた。

「一応、数日前にこの町に来た時は――本人曰く酒に酔っていたそうなのですが、しつこく迫られて追い回されました。
先程はそれについて謝罪されていたんです。ただ、とても演技には見えませんでしたが……」

「……困った事にわしにもそう見えたんじゃよなぁ。
うーむ、もう少し尾行すれば尻尾を出すのかのう……っと、見失ってしまう。
それではお嬢さん、ありがとう」

 軽快な足取りで男達を追うオーガスト。
 密度の高い人混みを造作もなくすり抜けていく背中を眺めながら、ラクリアは一つの可能性に思い至った。

(……ひょっとして、あの人が言ってたお説教のおかげ?)

 先日助けてもらった白衣の男を思い返し、そんな事を考える。

 正直、現実味に乏しいとは思う。
 いくらなんでもただ一度の説教で人間があそこまで大きく変わるとは思えない。
 異常だったのは酒に酔っていた先日の方だった、と考えた方が自然だろう。

 が、もしこの考えが当たっていたのなら。

(やっぱりお父様もアイザックも、私次第で変えられたのかも――――)

 一気に沈んでいきそうになる気分を、慌てて振り払う。  
 仮に過去にどんな可能性があったにせよ、現在は変わらない。
 そんな虚しい問答に思考を割く暇があるなら、別の事を考えなければならない。 

 ――強引に落ち着かせた頭脳を働かせ、これからの行動を考える。

 ドースラズガンの森は、ここからかなり離れている。
 その近隣にあるというだけで、正確にどこにあるか分かるわけでもない屋敷を探すとなれば余計に時間がかかる。

 一方で、シェリスの屋敷は王城で盗み聞きした会話の中に、カナールからの行き方があったためおおよその位置も分かっている。
 カナールから少し距離があるものの、ドースラズガンの森ほどには遠くもない。
 そして、ラクリアが優先すべき順位もこちらが上だ。

 向かうべき場所を決め、ラクリアは町の門へと歩き始めた。
 
































 シェリスは屋敷自慢の庭で久方ぶりに優雅に紅茶を楽しんでいた。
 
 今日の天気はお世辞にも良いとは言い難い曇天。
 晴天時にその美しさを最大限に発揮する設計の庭は、見栄えはするものの爽やかさには程遠い。
 
 だが、シェリスの気分はかつてない程の爽快感に満ちていた。

「ローラ、気分はどうかしら?」

「実に晴れやかです。御仕えして以来初めて、と断言できるほどに。
気分に似つかわしくないこの曇天さえも愛おしめるほどに――素晴らしい気分です」

 無表情は崩さぬまま――だが、声音に確かな高揚を漂わせてローラは答えた。
 声音だけではあるが、彼女にしては珍しく感情がはっきりと表に出ていた。

「まったくね。ここしばらくかつてない地獄だったから、尚の事清々しいわ。
まさか昼前に殆どの仕事が終わるなんてね」

「はい。カイト様には感謝してもしきれません。
全てが片付き次第、改めてお礼に伺うべきかと存じます」

「ふふ、罵詈雑言を飛ばされる前に感謝を述べつつお礼の品を差し出すのが最善かしらね。
当然、考えうる限り最高の品が必要になるけれど」

 言いつつ、ローラに目配せをする。

「心得ております。秘蔵のウェルブルス産の極上茶葉とレイゼルタルク山の水も出していただければ、万全かと」

「勿論問題ないわ。問題はケーキを焼くための時間だけど……」

「今回は部下の負担も格段に軽減されるのですから、文句は言わせません。どうぞ御安心を」

「そう、なら憂いなく久方ぶりのティータイムを満喫できるわね。
当分楽が出来るし……十分英気を養ってから、無駄に長引いてる仕事を迅速に終わらせましょう」

「はい。そういえば、今朝入った妙な報告は覚えておられますか?」

「……ルクガイアの魔物の被害が減っているっていう、あれ?」

「はい。場合によっては国王達の戦力が増加している可能性もあるかと」

 淡々と、私見を述べるローラ。

 国王達の今までの所業からすれば、諜報部隊にでも魔物の部隊を預け、
各地でそれと分からぬ形で反乱の芽を潰していた可能性はある。
 魔物による作物の被害などはさして珍しくないため、被害を適度に調整すれば大概は運が悪かったで済まされてしまい、
露見する可能性はかなり低い。
 反乱予防としては、非常に効果的な手法なのだ。

 そして現在魔物の被害が減っているという事と合わせて考えると、国王達が最後の悪足掻きに戦力を掻き集めている可能性も出てくる。
 もし当たっていた場合は、戦力評価を見直さなければならなくなる。

「ふむ、そうね……」

 シェリスは報告書の内容を反芻しながら、改めて考え始めた。
 実を言えば、それで思考が少し詰まってしまった為に気分転換をしようと庭に来たのである。
 
 その甲斐あってか、今度はあっさりと考えがまとまっていく。

 被害の減り方は特別おかしいという程ではなかったが、見方によってはおかしいと感じない程度の被害になっているとも言える。
 魔物の行動というのは基本的にランダムであるため、普通ならば引っかかる点が一つ二つ出てくるものだというのに。 
 また、この報告書はルクガイア国内に放って二年程になる間者の作成した物なので、信頼性も高い。

 となれば、それを前提とした指示を出す価値は十分にある。

「確かに報告書にある被害の減り方は違和感があったから、
国境警備用に戦力を多めに割り当てるべき……どうかした?」

 言葉を止め、護衛の顔を見る。
 なんとなく、疲れているように見えた。
 いつも通り表情には一切の感情が出ていないのだが、直感的にそんな印象を受けたのだ。
 
「いえ……仕事が多少楽になったからといって弛み過ぎていたかと思いまして。
部下共々、再訓練が必要かもしれません」

 ローラの手が霞み、スカートが翻る。
 まるで突風が吹いてたまたま捲れ上がったかのように、唐突かつ迅速な行動。
 そして布が重力に引かれて落ち始めるよりも先に、彼女の太股のベルトから投擲用ナイフが二本消えた。

 直後、彼女の背後にあった木の枝が貫かれ――その先にいた者に的中した。

「………………っ!?」

 深々と己の左腕に突き刺さった一本のナイフに悲鳴を上げそうになった侵入者――ラクリアは、
悲鳴を堪えながら慌てて逃げ出した。

 左腕から灼熱のような激痛が走るが、まだ幸運だった。
 というのも、ラクリアはナイフが放たれる直前になんとなく隠れる場所をずらしていたからだ。
 だからこそ左の二の腕を串刺しにされるだけで済んだのであって、その偶然が無ければ喉と心臓を貫かれて確実に死んでいた。

 ――――自分の姿は、見えていないはずだというのに。

 祖父から教わった、本来はルクガイア国王にのみ代々伝わる古代遺産の魔法。
 発動に若干の時間がかかるが、姿を完全に消し去るこの魔法は隠密行動には究極とも言える性能を発揮する。
 事実、今まで誰一人として見破った者はいなかった。 
 
 王城に忍び込んだ際に数度気配とやらで勘付かれそうになった事はあったが、的確に察知された事は無かった。
 違和感を感じ取って周囲を警戒しても、見当違いの方向を見ていた者が多かった。 
 この屋敷はなぜか勘の鋭い者が多く大半のメイドが的確にこちらに目を向けてはきたが、
忙しなく働いているせいか姿が見えない事を確認すると気のせい、と断じて仕事に戻っていった。

 だというのに、あのメイドは屋根の上、それも背の高い木の影になっていた場所に潜んでいた自分目がけて的確に致命の攻撃を加えて来た。
 幸い即座に離脱したおかげで若干距離を稼ぐ事が出来たが、あんな相手では気休めにもならない。

(早くフェンを呼ばないと……!)

 宝石の力で増幅した飛翔魔法で近場の森へ逃れつつ、ラクリアは遮音魔法を解いた。
 そして万一の時の為にあらかじめ銜えておいたフェンを呼び寄せる為の笛を、緊急を知らせる音程で吹く。

 これでフェンが匂いを辿って全速力で駆けつけてくるはずだが、追いかけてくるメイドの速度は尋常ではなく速い。
 風の魔法の強烈な加速に強靭な脚力を加えているため、飛翔魔法で逃げるラクリアより圧倒的に速い。

 それでも普通なら一足早く森に入ったのだからかく乱も出来そうなものだが、木々の隙間を時折引っかかりながら逃げるラクリアに対し、
追いかけてくるメイドは木をナイフで切り倒し、拳でへし折り、膝蹴りで薙ぎ倒し、一直線に向かってくる。
 突風の魔法による向い風で減速させるが、それもさしたる効果を生んでくれない。
 仕方なく自分に風の攻撃魔法を叩き込んでの加速も加えたが、それでも着実に距離が詰められてる。
 
 姿が見えない事と、おそらくはそれには気付かれていない事で今は追いつかれてはいないが、
このままでは姿が見えないだけという事に勘付かれるのも、その直後捕らえられるのも時間の問題だ。
 
 骨が軋む感触を堪えながら必死で逃れていると――不意に、突風が吹いた。 

 それに吹き飛ばされるかのように、ラクリアの体が横に流れる。
 背中には、服が力強く引っ張られる感触。
 鼻孔から感じるのは、慣れ親しんだ獣の匂い。 

 ――フェンが間に合ったのだと悟るのに、時間はかからなかった。

 流石は世界最速の魔物と言うべきか、化物じみた速度と行動で追ってくるメイドを徐々に引き離していく。
 最後の駄目押しにラクリアも加速魔法を使って更に速度を上げると、メイドは足を止めた。
 それと同時に、彼女の姿が瞬く間に砂粒のように小さくなっていく。

 安堵の息を漏らしながら、ラクリアはこの後の事を考え始める。

 まず最優先でやらなければならないのは、傷の手当。
 加速に使った攻撃魔法によって生じた打撲は肉体強化で何とでもなるが、問題は左腕のナイフだ。
 深々と刺さったナイフが栓になって未だ流血は少ないが、非常に痛い。
 抜いた時の痛みはこの比ではない事も想像が付く。
 
 的確な手当てが欲しいところだが、左腕にナイフが刺さった女が町の医者にかかれば詮索は避けられない。
 ごまかす自信は無くもないが、後々噂になる可能性は高い。
 ならば、人目につかないところでこっそり自分で手当てをするのが最善だ。
 幸い骨には刺さっていないので、血を止めて肉体強化を行えば傷が残るぐらいで済むだろう。

 そして、あのメイドが増援を集めて改めて追跡するつもりでいる可能性を考えれば、
かなり遠方でそうそう追跡できない場所――魔物が多く、入り組んだ森などに逃げるべきだ。

 ここからならば、ドースラズガンの森が最適だろう。
 魔物の数は多いが手におえない程の魔物はおらず、このまま一直線に駆け抜けるだけで辿り着ける。
 なにより、次の目的地がその近辺であるため手間が省ける。
 
 そう結論を出したラクリアはフェンによじ登りながらこのまま真っ直ぐ走るよう命じた。
 本音を言えば一度下りてから落ち着いて鞍に乗りたいところだが、あの怪物メイドがこちらに向かって来ていたら致命的なタイムロスになりかねない。
 恐怖に身を震わせ、フェンの加速により刺激を増した左腕の激痛を堪えながら、ラクリアは強引に鞍へとよじ登った。
 そのまま右手で手綱を掴み、役立たずになった左手には手綱を軽く巻きつけた。
 これで、風の魔法の制御をしくじってもそうそう振り落とされる事は無い。

 そこまでやって、ようやくラクリアは安心した。
 ここまでやっておけば、そうそう問題起こる事は無いだろう、と。

 彼女は知らなかった。
 自分達の進路上にとある屋敷が存在する事を。
 そこから派生する予想もしない――否、出来ない事態によって計画が大きく狂う事を。
 
 まして、それがどんな結果に繋がるのかなど――神ならぬ彼女に分かるはずもなかった。


 

  





 




















 屋敷に戻ったローラは、主に深々と頭を下げた。

「申し訳ございません、シェリス様。取り逃がしました」

「――は? 取り逃がしたですって!?」

 一瞬耳を疑った後、シェリスは驚きを露わにした。

 ローラという女性は、控えめに言っても世界有数の戦士である。
 その証拠に、今まで一流と呼ばれた暗殺者などの相手を手傷さえ負わず叩き潰している。
 不利を悟ってすぐ逃げに転じた者も多くいたが、今までは例外なく五分以内に両足を奪われていた。
  
 それが、取り逃がした。
 高い実力は言うに及ばず、相当な強運の持ち主でなければありえない事だ。
  
「はい。もっとも、今回に限っては良かったかもしれませんが……」

「どういう意味?」

「最初は順調に距離を詰めていたのですが、途中で相手の速度が激変いたしました。
直前に魔物笛の音が聞こえましたので、おそらくは森の中に潜ませていた魔物によるものでしょう。
そしてあの速度、人間というかさばる荷物を抱えた状態で苦も無く森を駆け抜ける機動力――カイザーウルフと見て間違いないかと」

「……ラクリア王女!?」

「断定には早いかもしれませんが……カイザーウルフを飼っているのはルクガイア王族だけですし、
国王や王子ならばここまで抜けてきて被害が出ていないはずもないでしょうから、概ね間違いないかと存じます」

「その通りね。でも、それなら取り逃がしたのはまずかったわね……あそこ、見てみなさい」

「……一本当たっていましたか」

 屋根の上に散った血痕を見て、ローラの目が鋭さを帯びた。
 出血量は少ないが、ナイフが血止めになっているだけの事だろう。
 逃げる余裕があった事からすれば腕だろうが、深手には違いない。

「ええ、どんな偶然でそれを避けられたかは分からないけど、当たったにしても貫いているはずだわ。
王女に医術の心得があるかどうか分からないから……」

「下手をすれば失血死、骨に刺さっていた場合は壊死もありえる、と」

「その通りね。まあ……貴女のナイフから逃れるような悪運があるならきっと助かるでしょうし、
助からなければそれも天命。わざわざ探しに行く意味は無いわね。なんでここを覗いていたのかは気にはなるけど」

「随分とあっさりしておられますね。目的の一つだったはずでは?」

 不思議そうに、問いかける。

 今回のルクガイア滅亡の狙いの一つに、ラクリア王女を手に入れるという点がある。
 優れた人徳、輝石族の中でも特に高い魔法能力、さらには最速の魔物カイザーウルフまで従えている。
 しかも行動を分析する限りでは国の再興を企む可能性は極めて低い。
 こんな都合良く優れた人材はなかなか手に入れられないのだ。

 何をおいても優先すべき、という程ではないがあっさりと諦められる程の価値でもないはずだった。

「勿論。でも、国王達が片付いていない状態で優先させるべき事ではないわ。
現状最優先すべきは国王達の捕縛、あるいは抹殺よ。ただでさえ優秀な人材は少ないんだから、節約しないと」

 何でもなさそうに、答える。

 ラクリアを本気で確保するとなれば、相応の人材がそれなりの数必要になる。
 カイザーウルフの速度と輝石族の魔法の組み合わせは、それだけ厄介なのだ。

 ならば、危険性が低い王女よりも国王達の方に戦力を割くのは当然であった。
 民を守る事こそが、貴族の本義なのだから。
 
「仰る通りですが……一点、気になる事がございます」

「気になる事?」

「先程の追跡ですが、私は一度も相手の姿を確認しておりません。
森に逃げられ多少距離を離されてはいましたが、普通なら背中ぐらいは見えるのですが……」

「それはそうでしょうね。貴女に姿を見せないまま逃げおおせ――――待って。
いくらラクリア王女が度々王城を抜け出していたと言っても、そんな芸当が出来るはずが……
それに王城はともかくどうやって国境を……」

 言葉に出して、シェリスは遅まきながら事態の異常性を悟った。
 
 ローラから逃げる、これだけならばカイザーウルフがいれば不可能ではない。
 勿論合流するまで逃げ続けたのは称賛に値するが、
これも輝石族の魔法能力を考えれば無茶は必要になるが不可能ではない。 

 だが、その上でローラに姿を見せない。これは不可能なはずだ。
 彼女は気配だけで相手の正確な位置を読んでしまうし、どんな見事な身の隠し方でも瞬時に見抜くような観察眼も持っている。
 逃げるだけでも脇目も振らぬ全力が絶対条件となる条件下で、そこまで出来る人間がいるとは思えない。

 仮にローラの言うような事があるのだとすれば、可能性は一つしかない。
 そんな主の考えを読み取ったかのように、ローラは言葉を続けた。

「はい。どうやって王城から逃げおおせたのか、どうやって国境を突破したのか、
最後に、こちらは勘も混ざりますが……なぜ昨日カイト様が思いついた可能性を口に出さなかったのか、
それらを総合しますと……」

「――――文字通り、姿を消す手段が存在する」

 皆まで言わせず、シェリスが結論を出した。
 既存の常識では考えられない結論だが、だからこそ信憑性があった。
 ローラが姿も捉えられずに取り逃がすなど、それ程異常な要素がなければありえない話なのだ。

「正直、信じがたい話ではございますが」

「でもそうだとすれば――なるほど。カイトさんが仰ってた内容と合致する点が多いわね。
持っているのがラクリア王女ならば当たっていたとしても当面害は無い。
国王達も持っているのならばあそこまで追い詰められるはずもないし――今に至るまで被害が出ていない事もありえない。
話していただけなかった理由は断定できるほどの根拠は見つからないけど――まあ、見当はつくわね」

「では、どうなさいますか?」

「――先日の態度からして、カイトさんが対応策を知っている可能性は高いわ。
そうでもなければ、もっと徹底してとぼけたでしょう。
幸い他ならぬカイトさんのおかげで時間も出来た事だし――まあ、諦めてもらいましょう」

 カップを置き、シェリスは颯爽と席を立った。

























 
 フェンの背で平野を駆け抜けていたラクリアは、遠目に見えた物に目を丸くした。

(……あんなところに、屋敷?)

 その屋敷のすぐ裏には、激流で知られるアミュリール川を挟んでドースラズガンの森が存在する。
 森の中では主に弱い魔物が生息する地域であり、屋敷にいれば襲われる心配もないとはいえ、
こうも川の音がうるさく人里離れた場所に屋敷があるのは珍しい。
 実のところその屋敷こそが彼女の次の目的地なのだが、普通の家だろうと思い込んでいた彼女はそれに気付かなかった。

 隠居した貴族でも住んでいるのだろうか、などと思いながらフェンに進路を変更するよう指示を出そうとしたその時、
 
「――え?」

 不意に、額にズキンと痛みが走った。

 単なる頭痛にしては、妙な感じだった。
 額の宝石を中心に痛みの波紋が広がっている。
 痛い、というよりは――響く、という印象だ。

 が、その頭痛は何故かどんどん酷くなっていく。
 痛みの波紋の間は加速度的に短くなり、その波の高さも急速に高くなってきている。
 その痛みたるや、屋敷を回避するようフェンに指示を出す事すら失念してしまう程。

 それは瞬く間にピークに達し――――ラクリアの喉から断末魔のような絶叫を生んだ。 

「ああああああああああああぁぁぁぁっ!?」

 頭を――額を抑えて悶え苦しむラクリア。
 
 凄まじい激痛が、彼女の額を襲っている。
 口を開けば絶叫以外の声が出ず、思考すらも出来ない。
 浮かぶのは『痛い』という短く苛烈な単語のみ。  

 その強烈すぎる激痛のあまり、フェンから転がり落ちてしまった事に気付く余裕さえない。
 地面に勢いよく叩き付けられ体全体に痛みが走った瞬間もそれに気付く余裕が無く、
数秒前まで必死で堪えていた左腕の痛みも忘れてしまっている。

 当然――見覚えのある顔が自分の周囲に現れた事にも気付く事は無かった。

「ラ、ラスリナ殿!?」

「――どういう事だ? 明らかに深手の左腕ではなく、額を抑えているぞ?」

 心配そうに駆け寄った刹那の横で、海人が淡々と分析する。
 そして詳しく調べようとラクリアの額の布を剥いだ時、雫の叫びが聞こえた。

「海人さん、あれっ!」

「ガルルルルルルッ…………!」

 屋根の上には、唸り声を上げて臨戦態勢に入っている狼型の魔物がいた。

 その大きさは虎よりも大きく、銀の毛並みが日光を反射して輝いている。
 顔つきはなんとも凛々しく、気高さを感じる。

 魔物図鑑の絵で見た覚えのある姿に、海人が驚愕の声を上げた。

「カイザーウルフだと!?」

「あー、思いっきりこっちに喧嘩売ってきてますねー」

「ええい面倒な……! 刹那、雫! しばらくその犬を抑えておけ!
何で苦しんでいるのか分からんが、とりあえず痛覚を麻痺させる!」

 言いながら、懐の鎮痛剤を取り出す海人。

 飲用だが、効果が出るまでには少し時間がかかる。
 さらに言えば、腕に刺さったナイフにも構わず暴れる相手に飲ませるのは少々難行だ。
 下手に取り押さえれば、刃が折角無事な腕の骨に食い込みかねない。

 とはいえ、海人は目の前の女性に特別義理があるわけではない。
 場合によっては見捨てても痛くも痒くもない。
 ゆえに、大事な護衛の為に冷徹な言葉を付け加えた。

「――――ただし、無理はするな! 少しでも危ないと感じたら迷わず斬れ!」

 その瞬間、フェンが刹那達に飛び掛かっていった。

 人間では実現不可能な、神速の突撃。
 それはその巨躯ゆえの重量と相まって凄まじい破壊力を誇る。
 多少頑丈な砦の外壁程度なら、それだけで破壊できてしまう。
 単純だが容易には避けられず、防御も役に立たないという、恐ろしい攻撃である。

 ――が、今回は相手が悪かった。

『甘いっ!』

 フェンの横からそんな声が響くと同時に、その頭へと四本の刀が振るわれた。  
 刃は返しているものの、それでも一つ一つが下位の魔物ならば頭が粉微塵になる打撃だ。
 
「ガウゥッ……!」

 フェンは持ち前の機動力ですかさず後退して回避したが、
それでも刹那の刀の峰が鼻先を掠めてかなりの激痛が生じた。

「……流石はカイザーウルフ。あのタイミングで回避するか」

「あの反応速度に初見で掠らせるお姉ちゃんも大概だと思うけどねー」

 鋭く睨む刹那と、能天気そうに笑う雫。
 そんな対照的な姉妹を見ながら、フェンは唸っていた。
 
 その視界には、苦しむ主を抑え込んで口を押えようとしている男の姿。
 嫌がる主に無理矢理酷い事をしているようなその光景にフェンは怒りを燃やし、

「――ねえワンちゃん。お願いだから少し大人しくしてくれないかな?」

 直後凍てつくような殺気が籠もった雫の声に、それを抑えつけられた。

 カタカタと、体が震える。
 怒りが萎えたわけではない。むしろ、一層燃え盛っている。
 男が主の口に何か放り込むたびに、主の動きはどんどん弱々しくなっている。
 主を救う為に迅速にあの男を引き裂かねば、とフェンの怒りは滾っていた。

 だが、それ以上に本能の警告が強かった。
 動いてはならない。動けば死ぬ、と何よりも強く訴えてきている。
 魔物ではありえない、禍々しく不吉な殺気がフェンの体を縛った。

「……雫、我慢出来ていたわけではないのか?」

「いやいや結構我慢出来てると思うよ?
さっきからバラバラに切り刻みたくてたまらないのに、まだ抑えられてるもん。
ってか、なーんかいつもよりすっごい楽しく殺せそうな気がするんだよねー」

 姉の問いに可憐な、それでいて残忍な笑みを浮かべる。
 そのあまりの禍々しさにフェンが生存本能を無視して襲い掛かろうとした瞬間、

「――――フェン! やめて!」

 主の声が響き、フェンは思いっきり後ろに飛びのいた。
 唸り声を上げて威嚇はしつつも、もはや襲い掛かる気配は見せない。

「ふう……何とかなったか。それでは、左腕の手当をするから屋敷の中へ。
ああ、出来ればそっちの犬は足を拭いてからにしてくれ」  

「はい。フェン、おいで」

 穏やかな主の声に、フェンは従順に従った。



































 ラクリアの腕の手当を終えた海人は、応接間のソファーに腰かけながら問いかけた。

「まあ、色々聞きたい事はあるんだが……ラクリア王女、でいいんだな?」

「……やはり、分かってしまいますよね」

 若干苦しげな表情で、ラクリアは肯定した。

 海人の鎮痛剤によって痛覚は殆ど麻痺しているが、それでも額が痛い。
 その原因の見当はつくが、それを解決する前にやらなければならない事がある。
 ありがたい事に薬の効き目はかなり長いらしいので、余裕もあった。

「ま、カイザーウルフを飼い慣らしてる人間など世界を見渡しても多くは無いだろうし、それが輝石族となれば確定だろう」

「あの、勝手を言いますが……しばらく、私の事は他言しないでいただけませんか?
全てが終わったら必ず出頭して裁きを受けます! ですから、どうかしばらく時間を……!」 

 必死の形相で、ラクリアは懇願した。
 まだ死ぬわけにはいかない、と。

 言うまでもなく、ラクリアの考えは悲観に満ちている。
 実際はこの国に捕らえられたとしても、処刑される可能性は極めて低い。
 彼女はいっそ哀れな程に、自分の人徳を知らなかった。

 そんなラクリアの勘違いを刹那が思わず正そうとした瞬間、何気なく上げられた海人の手がそれを遮った。

「黙っていても良いが、私の質問に答えてくれるか?」

「……はい」

「一つ目。君は一体どうやって王城と国境を突破した?」

「王城に関しては王家に伝わる抜け道を、国境は大きな商団の荷物に隠れて抜けました」 

 あらかじめ用意しておいた答えを述べる。
 どちらも手段としてはありえる内容だ。
 王城の抜け道は事実存在するし、大きな商団になると全ての荷物を検閲される事が少ないのは有名な話だ。
 それほど現実離れはしていない。

 が、それを聞いた、海人の目は冷たく細められた。
 
「ほう――で、古代遺産、独自開発どちらだ?」

「っ!? な、何の事……ですか?」

 自分が返した答えから返ってくるはずがなく、それでいて核心を突いた言葉にラクリアの呼吸が若干荒くなる。
 そんな彼女の態度を嘲笑うかのように、海人は言葉を返した。

「勿論姿を消す魔法の事だが?」

「……そんな魔法があるはずないでしょう。
もしあれば軍事バランスがガタガタになっているはずです」

 落ち着いた様子で、言葉を返すラクリア。
 先程驚いたおかげで、かえって今度は完璧に冷静な対応が出来た。

 ――そう思っていただけに、返ってきた言葉には心臓が止まりそうになった。

「やれやれ当たりか。厄介だな全く……極小の可能性が全て的中とは。
しかもどれも厄介な内容ときている」

 海人は、嘆かわしそうに天井を見上げる。
 まるでラクリアの演技を事もなげに見透かしているようなその態度に、彼女は若干の戦慄を覚えた。
 その動揺を表に出さないように努めつつ、海人に呆れたような声を掛ける。
 
「……ですから、そんな魔法はありませんと言っています。失礼ですが、耳は大丈夫ですか?」

「聴力はまともだよ。言い忘れたが、生半可な嘘は私には通じない。
黙秘されればどうしようもなかったが、答えてもらえたおかげで君が抜け道を使っていない事も商団に紛れたわけではない事も分かったし、
姿を消す魔法があるという事も分かった。
で、もう一度聞くが、古代遺産か独自開発、どっちだ?」

 してやったり、と笑う海人の目にこれ以上ない確信を感じ――ラクリアは観念した。

「……古代遺産です」

「なるほど……残念だ。独自開発なら面白かったんだがな」

「先にお断りしておきますが、教える事は出来ません。
あれは表に出してはいけない魔法です」

 毅然と胸を張り、宣言する。
 透明化の魔法の危険性を知るラクリアは、これを誰かに伝えるつもりはなかった。
 伝えてしまえば、どれだけの無駄な血が流れるか分かりはしない、と。

「もっともだな。しかし、箱入りの王女様から情報を奪う手段などいくらでもあるぞ?」

「――残念ながらその通りなのでしょう。
ですが、その前に自決する事ならばできます」

 強い意志を秘めた目で、海人の目を真っ直ぐに見返す。

「ふむ、良い覚悟だ。で、次の質問だが……君の目的はなんだ?」

「旧ルクガイアの次の統治者達を見定める事と、父や弟達を討つ事です」

「ふむ、嘘ではないが全ては言っていないといったところか。
そうそう、口調は素で構わんぞ。堂に入った丁寧な態度だが、僅かに演技っぽさが抜けきっていない」

「……それはいけません。私の素は非常に態度が悪いので、お気を悪くされます」

 どこまでも見透かしてくる目の前の怪物に戦慄しつつ、ラクリアは淡々と答えた。

「別に構わんよ。態度が悪い相手には慣れている」

「……そう。なら、御言葉に甘える」

 穏やかで柔らかかった口調が一変し、淡々としたものに変わる。
 表情も無表情ではないながらも、冷然とした温かみの薄いものになった。

 あまりの変わりように刹那と雫が驚くが、海人は冷静だった。

「ふむ、なかなか個性的だな。だが、格別態度が悪いとは思わんが?」

「王族としては無愛想すぎる。御祖父様に何度も直すように注意された。
でも、直らなかったから演技で取り繕うようにした。
最近戻ってなかったけど、やっぱりこの方が落ち着く」

 ふう、と憂鬱そうに息を吐く。

 昔から、ラクリアは感情を表に出す事が苦手だった。
 次代を担う有能な王族としてそれでは困る、と祖父から社交性を仕込まれたが、
元の性格は変えようがなく社交用の態度と素の態度を使い分けるようになったのだ。

 もっとも、社交用の態度の方が使用頻度が圧倒的に多かった為、
今となってはラクリアの素を知る者は父と弟ぐらいしかいなかったのだが。

「王族というのも大変だな。
しかし次の統治者を見定めるか……この国の王城にでも忍び込ん――いや、距離が離れすぎているか」

 ラクリアから抜いたナイフを弄びながら、海人は考え込んだ。
 
 透明化していたであろう人間にナイフを当てるなど、並大抵の技量ではない。
 王族の護衛にでもやられたのかと考えたが、ここから王都までは離れすぎている。
 ついでに言えば、この国の軍事力を考えると国王の護衛の質でさえ少々疑わしくなる。

 ――ここで、海人は非常に嫌な予感を覚えた。

 第一に、今手元にあるナイフはシンプルでどこにでもありそうなデザインだが、一応見覚えがある。
 第二に、この近辺で透明化した人間にナイフを命中させられるような人間など、多いとは思えない。

 彼の予感を裏付けるかのように、ラクリアが口を開いた。
    
「……王城には忍び込んだけど、そのナイフを投げられたのは別の所。
透明化してたのに、直前まで心臓があった所に飛んできた。
あんなメイドがこの世にいるなんて……」

 ガタガタと震えながら、俯いて自分の肩を抱く。

 祖父から伝えられた透明化の魔法は、ある種究極の魔法だと思っていた。
 見えなければ暗殺でも何でも思いのままだろう、と。

 だが、違った。
 あのメイドは明らかに自分の位置を察知していた。
 見えてはいなくても、正確に感じ取っていた。
 そればかりか、フェンの速度でさえそれだけでは引き離す事が出来なかった。

 が、同時に目の前の三人に事情を詳細に話しても信じてもらえないだろうと思っていた。
 どこの世界にカイザーウルフと対等に近い速度で走り、木の幹を小枝のようにへし折りながら追ってくるメイドがいるというのか。
 実際に目で見た自分でさえ信じられないのだから、信じられるとは思えなかった。

 そんなラクリアの思考を他所に、三人は揃って頭を抱えていた。

「……さて。刹那、雫。どう思う?」

 海人が、重々しく口を開く。
 その口調には、どこか諦めたような響きがあった。

「もうここまで来たら最悪の予想が全部大当たりするんじゃないですか?
あの屋敷でも、気配だけで急所狙えるのはローラさんぐらいでしょ。
ついでに、あの人なら追いつけなくても姿が見えないだけって事には気付きそうですよねー」

「同感です。残念ながら、それを聞いたシェリス殿の行動も早いでしょう」

「だな。まったく厄介な……」

 心底忌々しそうに頭を抱える。

 シェリスの性格からして、透明化魔法の存在を確認し、それが海人の隠し事だとあたりを付ければ迷わず情報収集に来る。
 他にやる事が山積みになっていれば別だが、海人が書類処理を引き受けてしまったせいで余裕が生まれてしまった可能性は高い。
 犠牲が自らの休憩時間だけなら、シェリスは迷わずローラという名の特急便でここにやってくる。
 ラクリアの傷の状態などから推察すれば、あと十分猶予があれば御の字だろう。
 そんな時間で出来る事など、無きに等しい。

 つまり海人に出来る事はもはや成す術もなく状況が進むのを待つ事のみ。
 しかも状況が進めば、どうしようもなく面倒な状況になる事は確定している。
 忌々しくないはずがなかった。
  
「……どういう事?」

「これが飛んできたのは、シェリス・テオドシア・フォルン嬢の屋敷。
投げたのは銀髪の絶世の美女。間違っているところはあるか?」

「――知り合い?」

 軽く目を見開き、ラクリアは問いかけた。
 先程から只者ではないと思っていたが、まさかシュッツブルグの最重要人物と付き合いがあるとまでは思っていなかった。

「ああ。ついでに言うと、彼女らはさほど時間を置かずこの場に来る可能性が高い」

「っ!? 駄目、まだ捕まるわけには――!」

 軽い調子の海人の言葉に反応し、ラクリアは席を立とうとしたが、寸前で押し止められた。

「ああ、言い忘れたが、とりあえず先日会った時の口振りからして処刑される心配はないから、逃げる必要は無いと思うぞ。
それにどうせこれだけ色々続けば――」

 ちらり、と雫に視線を向ける。
 彼女は小さく息を吐くと、海人の予感を肯定した。

「はい、手遅れです。長く見積もってあと五秒ぐらいですかね」

 その言葉に海人が頭を抱えた瞬間、門から大地を踏み砕くような足音が響いた。 








テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

更新お疲れ様ですっ!なんというか相変わらす゛の主従ですね(笑)つか何気にワンちゃんの命が危機一髪……頑張って~

今回も面白かったです次回も頑張って下さい、………お風呂、いいよね♪この世界に温泉はあるのか!?
(`・ω´・)+
[2011/07/10 23:42] URL | さとやん #6x2ZnSGE [ 編集 ]


更新お疲れ様です

見えなくても兵士なら気配だけで何かいるのか?程度にはわかるんですね
以前刹那が気配察知は難しいって言っていたので海人の周囲の超人たちだけができる芸当かと思ってました
ただ、気配だけで急所に攻撃できるローラもどうよ?って気もしますが(笑)

ローラ、超うれしそうですね
海人関係は稀に感情が動きますが誰にでも?わかるレベルの感情の起伏は驚愕ものです
ただ寝室に戻ろうとした海人のところにはどんな量の仕事が舞い込んだのか……
それを処理できる海人の能力も異常という言葉が足りぬほどの異常ですが

それでは次回の更新も楽しみに待っています
……透明化で軍事バランスの崩壊なら海人の家の地下にある資料なら世界征服できるのだろうか

P.S.
ラクリアと元不良冒険者の会話
〉「先日はすいませんでした。酒に酔っていたとはいえ女性に乱暴狼藉を働こうとするなんて、最低ですね。
もったくもって、申し訳ありませんでした」

もったくもって じゃなくて まったくもって ではないかと
[2011/07/11 00:15] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


> ここからならば、ドースラズガンの森が最適ろうだ。
「ろうだ」=>「だろう」の誤りでしょうか
[2011/07/11 01:24] URL | Siva #UBpKr8XQ [ 編集 ]

大局的っぽい感想
この物語はどこに向けて歩いてるのだろう?と
個人的には最初の方の珍しいもの商人してたり、ドタバタ劇が好きだったのですが、途中から様変わりしすぎでしょうと感じます
主人公が屋敷に移り住んだあたりから別の話に変わった用にも感じます
無理に話を大きく展開していくよりも、少しずつ変わりはするものの大きく変わらないあの街での日常の話もよかったので……
魅力的なキャラクターは多いのですが、次々にキャラが増えるせいで、その魅力のあるキャラが空気になってしまってたりするのが残念です
[2011/07/11 02:00] URL | 鬼水 #NMgcaBO6 [ 編集 ]


更新お疲れ様です。何度も繰り返し読ませてもらってます。

初めてのコメントで大変恐縮ですが、最近の作品の内容に対して、
批評を述べさせて頂きます。
初期と比べて、一話一話の内容・文量、空白の多さが気になります。

・登場人物のセリフの割合が多く、情景描写、心境等が減っている。
 話のテンポがよくなったっとも言えますが、作風としてももっと濃厚であったと
 思います。

・一話一話のボリュームが減り、場面転換時の空行が長く、話が一話では全然
 進まない。  

勝手な推論で、的外れだとお恥ずかしいですが・・・・はっきり言って、
更新を焦ってはいないでしょうか?

ラノベプロを真摯に目標とされているのであれば、確かに締め切りも大事です。
そうでもなくても、自分への目標・枷的なものとして、締め切りを定めているのやも
知れませんが、一番優先すべきなのは、一話一話のクオリティであるべきだと
思います。(ネット説の場合、後ほど改定等方法もありますが・・・)

金銭目的でもなんでもないのですから、もっと作者様が伸び伸びと執筆できる様に、
リアルで忙しいのであれば、自分の都合を優先するべきかと思います。
(更新できずの場合のコメントも卑屈、低姿勢すぎかな~~っと感じました)

的外れな意見でしたら、本当に申し訳ないです。
これからも作品楽しみにさせて頂きます。執筆がんばってください。

[2011/07/11 02:16] URL | Caps Lock #nQriN1oY [ 編集 ]


屋根の上、とありますがどこの屋根ですか?
カイトの屋敷なら勝手に侵入したらやばいんじゃ?
対空設備が無いわけないだろうし。

シェリスに術式が渡っちゃうww
誤魔化すのはムリだろうし…マジでどうすんだろ。
対抗手段はあるけど、やっぱり渡さないに越したことはない。
しかし取引しようにも高すぎる買い物になるだろうし…シェリスと本気で事を構えるつもりが無い以上、今回は負け…?ww
[2011/07/11 04:53] URL | トマト #mQop/nM. [ 編集 ]


ラクリアちゃん可愛い
[2011/07/11 07:39] URL | #- [ 編集 ]


姿を消すのが古代遺産の魔法だとすると前王が独自開発した魔法はまた別物になりますね。
いったいどんな魔法なんでしょうか?
[2011/07/11 09:31] URL | 法皇の緑 #v2.likCk [ 編集 ]


>凄まじい激痛が、彼女の額を襲っている。

まぁ、あんだけ大量複製すりゃね…
[2011/07/11 09:44] URL | 無刃 #pOiywxxs [ 編集 ]


姿を隠すっていうのは、どこまでの範囲ですか?
服だとか武器だとかいったものも隠れるんですか?
任意に消す消さないを選択出来るんですか?
体からどの程度まで離れても隠せるんですか?
匂いや音、大気の流れといった物を隠すことは出来ないんですよね?
物をすり抜けることは出来ないみたいですが。
[2011/07/11 22:12] URL | #h0D/NfaY [ 編集 ]


かなり面白くなってきました
次回が楽しみすぎです

2週間が長い・・・
[2011/07/12 16:27] URL | スウ #3BVde9LU [ 編集 ]

フラグ
すばらしいな!
フラグが走ってやってくる。

すばらしいな!
フラグがすっ飛んでくる。

すばらしいな!
フラグがこれから襲いかかってくる!!!
[2011/07/12 22:23] URL | ライン #BejLOGbQ [ 編集 ]


何か海人の屋敷付近で戦闘が起こりそうですね、嫌な感じ。
防衛システムは発動させるのかな?
あれ発動させたらルクガイアの王達はそうそう手出しは出来ないだろうけど、シェリスからは創造魔法以上に注目されそう。

独自開発だろうが古代遺産だろうが海人ならヒントを得る事が出来れば解析してしまいそうな気がしてしまいます。
[2011/07/13 21:31] URL | 戸次 #Wjzbkqqg [ 編集 ]


うーん、シェリスとローラがどうしても好きになれないな
海人に対して、勝手な要望ばっかりしているような気がする。
海人の見返りが少なすぎる。

あと、海人が思いついた可能性が、透明になれる魔法だと
断定できる理由がわからない。
作者の中で確定している結論に突き進むために、過程を放棄しているように見えます。
[2011/07/19 00:47] URL | 大豆 #- [ 編集 ]


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