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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄7
 明るい日差し、冷たくも爽やかな空気、そして固い床板の感触。
 深夜までルミナスにいたぶられていた海人は、それらによってゆっくりと意識を覚醒させられた。
 いまだ目覚めきらぬ虚ろな意識の中で、彼は苦笑する。

(口は災いの元、か。久しぶりに実感させられたな。……まだ温いが)

 彼は優しくかけられていた毛布から這い出て重くなった体を起こすと、水を飲んで意識を完全に叩き起こそうとリビングに向かう。
 痛む腕でドアを開けると可憐な先客が優雅にテーブルで紅茶を啜っていた。

「おはよう、シリル嬢」

 ギシギシと痛む両腕を引きずりながら、声をかける。
 ルミナスからのダメージは不思議なほどに残っていないのだが、
昨日振るった鉄拳制裁の際の肉体強化のせいで、両腕を強烈な筋肉痛が蝕んでいる。
 やはり運動不足の貧弱君には分不相応な力だったということだろう。
 平静を取り繕ってはいるものの、海人は内心では絶叫を上げてもがき苦しんでいた。

「あら、おはようございますカイトさん。昨日はよく眠れましたの?」

 カイトの声に振り向き、一瞬残念そうな顔を見せた後、一転して笑顔になる。

「……もう少しで永眠するかと思ったがな」

 笑顔になる前に聞こえた『ちっ、生きていましたか』という呟きにはとりあえず触れないことにしたようだ。
 本当は抗議の一つもしたいところだったが、今は腕の痛みでそれどころではない。

「そのあたりは自業自得かと思いますわ。繊細で傷つきやすいお姉さま相手にあんな暴言を吐いたのですもの。
あれでお姉さま結構気にしてますのよ? 私はそのあたりも魅力的だと思うのですけれど」

 うっふっふ、と危ない表情でニタニタと笑う。
 両手が微妙にわきわきと動いているあたりが変態チックな印象をさらに倍化させている。
 美少女といって差し支えない外見が色々と台無しだった。

「欲望に正直なのはいいが、とりあえずあまり表に出さんほうがいいな。
せっかく見目が良いのに、その表情ではただの危ない変態だぞ?」

「む……大きなお世話ですわ」

 見かねた海人の注意に、表情を素に戻して拗ねたようにそっぽを向く。
 先程とは違いその容姿に見合ったとても可愛らしい素振りだ。

「まあいいがな。ところでもう朝食は食べたのかね?」

「いいえ、まだですわ。これから朝の鍛錬がありますので、その後にするつもりです。
よろしければカイトさんもいかがですか?
荒事が苦手といっても、仮にも殿方が肉体の虚弱を誇るのはいかがなものかと思いますの」

「……そうだな。どのみち今の状況では体を鍛えざるをえんしな。付き合わせていただこう」

 筋肉痛はいまだにその存在を絶叫で主張し続けているが、シリルのなにやら裏に含んでいそうな笑顔を見る限り、断ったら外から手が滑ったなどの口実で矢が飛んできそうで恐ろしかった。

 彼女を視界から外すよりは鍛錬とやらに付き合った方がマシ、
そして腕以外の部分ならば動かしても痛くはないので鍛える理由はあると判断し、シリルの言葉に素直に頷く事にした。

「では、表に出ましょうか」

 可愛らしい笑顔で玄関のドアを開け、シリルが先に外に出る。
 背中に背負った矢筒と弓がどう鍛錬に使われるのかを考えると不安は消えなかったが、海人は素直についていった。







 外に出た瞬間冷たい空気が肺の中に入ってくる。
 ここの標高が高いからか、まだ朝早いからか凍えそうな寒さである。

「それでは軽く組み手から参りましょうか?
御安心を、多少は手加減いたしますわ――不幸な事故は起こるかもしれませんが」

 身を引き締めるような寒風の中、寒がりもせずにシリルが勝手に訓練メニューを決める。

「意図的に不幸な事故とやらを起こすのなら事故とは呼ばん気がするが?」

「問答無用ですわー♪」

 楽しそうな声とは裏腹に凄まじい速度で瞬時に懐まで踏み込む。
 そしてその一見華奢な右手が霞んだ。

「ごふぅっ!?」

 回避どころか防御すら許されず、腹に拳をめり込められて吹き飛ぶ。
 そのまま危うく崖から落ちそうになるが、かろうじて崖っぷちで踏みとどまる。
 一応助かったものの、拳の強烈な威力に海人は体を丸めて咳き込んでしまう。

 ゲホゲホと咽る海人にシリルは躊躇う事無く追撃を仕掛ける。

「あら、気を抜くと危ないですわよ?」

 彼女は背負った矢筒から2本の矢を取り出し、素早く弓に番えて2本同時に放った。
 その矢は普通の矢よりも一回り大きい金属製の物。
 一流の戦士相手でも有効射程内ならば、肉を貫き骨を砕く物騒な矢である。

 一応手加減しているのか、狙われているのは右手と右足。
 しかし、もし当たれば痛いではすまない事は疑う余地も無い。

「ぬおっ!?」

 半ば反射的に体を動かして矢を回避する。
 当然ながら体勢は崩れ、しかも場所は崖の縁なため今度こそ落ちそうになる。

「落ちてたまるかぁっ!!」

 が、それを強引に前に倒れこんでなんとかしのぐ。
 無様ではあるが自分に出来る最善の行動を取った彼に、シリルは感心したように小さく頷き、

「なかなかしぶといですわね。ですが、寝てる暇はありませんわよ♪」

 倒れこんでいる海人に向かって、今度は矢を4本放った。
 今度も手加減しているらしく、狙いやすい頭部や胴体ではなく、わざわざ致命傷にはなりにくい両腕を主に狙っている。
 が、それとは別に彼の体全体を挟むように2本放ってるため、横に転がって避けようとすれば頭部を確実に直撃する。

「ぬおうっ!?」

 が、海人は今度は腕だけを動かしてなんとか矢の軌道から外した。
 筋肉痛に苛まれている両腕が激痛を訴えるが、それを無視して矢が地面に突き立った直後に即座に起き上がる。

 時間にすれば短い防戦だが既に息が荒い。
 反応や筋力はともかく、緊張のせいもあってスタミナがついてきていないようだ。

「色々手加減しているとはいえ、大したものですわね。素人がそこまで避けきれるほど甘い攻撃ではありませんわよ?」

「たしかに荒事は苦手だが、逃げる事に関しては多少自信があって……な!」

 話しながら何気なく正中線に放たれた4本の矢を思いっきり横に跳んで回避した。
 そのまま崖の縁から移動して危険地帯から離脱するが、移動中にもシリルの矢は絶え間なく発射される。
 放たれる矢は一本ずつ、狙いは足。これもお世辞にも見事とはいえない動きながらも回避する。
 なんとか避けきりはしたものの、もはや完全に息があがっている。
 
「……ここまで回避されるとプライドが傷つきますわね。少し本気でいってもよろしいですか?
よろしいですわね?」

「全然よくないぞっ!?」

「御覚悟を。秘技――《パッシングレイン》」

 一度に5本の矢を番えて瞬時に空に向けて発射。それを手が霞むほどの速度で数回繰り返す。
 最後の矢が発射された直後、海人の頭上に放たれた矢が降り注ぎ始める。

「うぎゃああああああああっ!?」

 上空から飛来する矢の雨に悲鳴を上げながらも、頭上でピンと白衣を張りつつ、
彼女の頭上には矢が降ってくる事はないだろうと予測して全速力でシリルに突っ込む。

「……本当に素人とは思えない判断力ですわね」

 哀れなほど凄まじい形相で自分に向かって突っ込んでくる海人を見て、呆れながら溜息をつく。

 素人でも平時ならば彼女の頭上には矢が降らないことは簡単に予測できるだろう。
 だが実際に自分の頭上に矢が降り注いでいる状況で、矢が刺さる前に予測して彼女に突進できる者は滅多にいない。

 ならば彼は素人ではないのか――これも否だと彼女は結論付けていた。

 恥も外聞もない今の形相もそう判断する要因の一つだが、
そもそも最初から今に至るまで矢を回避していた動きはあまりにも無駄が多すぎた。

 現在も脇目もふらず一直線に突っ込んできているが、あれでは今矢を放てば確実に避けられない。
 さらに見ている限りではおそらく一番重大な事に気がついていない。

 自分が本気で射殺す気であればこれまでに何回も殺せている――などと彼女が考えていると、海人にウエストを両手で押さえられた。

「ふえ?」

 予想外の事態に呆気に取られていると、そのまま体を持ち上げられて海人の頭上に掲げられる。
 当然ながら何が起きるわけでもないが、それでもその体勢から変わらない。
 そして海人は矢の雨が過ぎ去った事を確認すると、

「ふう、やはり君の頭上は安全だったか」

 と安心したように呟いた。
 その言葉の意味をシリルは数瞬考え――彼の行動の意味を悟った瞬間に猛然と暴れ始めた。

「盾!? 私を盾にしたんですの!? それって人としてどうかと思いますわよ!?」

「やかましい! 素人相手にあんな物騒な技使う奴が人としてなど言えた義理か!!
大体もはや組み手じゃなく、一方的に私が攻撃されてただけだろうが!!!」

 自分の頭上でジタバタ暴れながら、甲高い声で抗議するシリルに負けじと怒鳴り返す。
 そして傍から見ているとまるで子供の喧嘩のような低レベルな言い争いが行われ始めた。

 そのうちに彼女が海人の髪の毛を引っ張り始めるが、彼は負けじとシリルのウエストの僅かな肉、というより皮膚を抓り上げて反撃。
 彼女が頭に膝蹴りを入れれば、海人は彼女のウエストを抓るのではなく、指全体に力を込めて握り、引きちぎらんばかりに強く横に引っ張る。
 シリルはあまりの痛みに人様に見せられないような表情になりつつも、海人の頭を抱え込み、両足を使って絞め落とそうとする。

 傍から見れば色々と問題のある体勢になっているのだが、両者共に気にしているほどの余裕は無いらしい。
 やがて、当然と言えば当然すぎる結末として、海人の手の力が抜け始める。
 そう、地力の差が大きすぎる上に、口も鼻も半ば塞がれたような状態で首を締め上げられている以上、彼の勝ちなどありえないのだ。

 が、海人が意識を完全に手放す前に、

「はいはい。シリル、そこまでよ」

 いつの間にかやってきていたルミナスがシリルを引っぺがした。

 彼女は引っ掛けていた両足を外されて無造作に後方に投げられるが、空中で器用に一回転し、華麗に着地した。
 海人はそれとは対照的にゲホゲホと咳き込みながら無様に四つん這いになっている。

「げほっ、げほっ……おはよう、ルミナス」

「おはよ。意識は大丈夫そうね」

「おかげさまでな」

「いや~、それにしても大したもんね。シリルの矢をあそこまで避けきるとは思わなかったわ」

「……どこから見ていたんだ?」

 まるで一部始終を見ていたかのようなセリフに思わず半眼になる。
 まさか部下の凶行を楽しんで観戦してたんじゃあるまいな、という問いを込めて睨む。

「あんたたちが外出たときから」

「止めてくれてもよかったんじゃないか!?」

「特に致命傷負いそうなのが無かったからね。
あの程度の威力の矢ならあんたが肉体強化してれば当たっても弾けるだろうし」

「さすがにその程度の配慮はいたしましたわ。
弓を引ききっていれば避ける事も出来なかったでしょうし」

 シリルはいかにも心外そうな表情で軽く肩を竦める。

 そう、海人は気がついていなかったがシリルは弓を完全には引いていなかった。
 命中しても致命傷にはならないようにあえて威力も速度も落としていたのだ。

「とても信じられんのだが……」

「では、今度は普通にあそこの矢を撃ち抜きますので、よく見ていてくださいませ」

 言うが早いか、瞬時に地面に刺さっていた矢が砕け、代わりに新しい矢が地面に半分に以上食い込んでいる。
 どう見ても先程まで放たれていた矢とは威力も速度も明らかに違う。

 もしこんな矢を放たれていれば、到底回避など出来なかった事は間違いなかった。

「お分かりいただけました?」

 実に素敵すぎるイイ笑顔で問いかける。
 身の程を知れ雑魚が、という声が聞こえてきそうな妙に迫力のある微笑みである。

「……ああ、嫌というほどにな」

冷や汗を流しながら頷く。

「手加減してたっつっても、こいつの矢を見事に避けきったのは自慢していいわ。
特に最後の《パッシングレイン》の時の判断力は相当なもんね。
初見であれを避けきるのって傭兵でもそうそういないし」

「そもそも対多数用の技ですし、詰めも行っていませんから、一概にそうとは言えないと思いますわ」

「あのな……まあいい、早く朝食にしないか?」

 海人はルミナスの意外な高評価を冷たく修正するシリルに文句の一つも言いたかったが、
それよりも思い出したようにやってきた空腹感を満足させる事を優先した。
 元々小腹が空いていた事に久方振りの激しい運動も加わり、彼の腹の虫が鳴っている。

「そうね。今日は何にしようかしらね」

「私は昨日の魚の残りを焼いて食べますわ。早く食べないともったいないですから。
御飯があるとなお良いのですけれど……」

「新しく炊くのには時間がかかるから、昨日の残りしかないぞ。
まあ良い米だから冷や飯は冷や飯で別の美味さがあるがな」

「そうですの? なら試しにいただきますわ。カイトさんの分もお魚焼きましょうか?」

「ああ、頼む」

 先程まで喧嘩していたとは思えないようなあっさりとした態度で海人とシリルは言葉を交わす。
 それをルミナスが、意外にこの二人の相性は良いのかもしれないな~、などと思いながら眺めている。
 結局なんだかんだで三人は仲良く家に戻って行った。



 朝食を終え、三人は食後のティーを啜りつつ一息ついていた。
 普段はストレートだが、今日は冷え込みが強さを考えてルミナスが摩り下ろした生姜が入っており、ジンジャーティーになっている。
 程よく体が温まったところで海人がルミナスに話しかけた。

「さて、ルミナス。もう少ししたらシェリス嬢の屋敷への配達に行かせてもらえるか?」

「いいわよ。シリルは今日はどうする?」

「私も付いて行きますわ! お姉さまとカイトさんを二人きりになどさせません!」

 ルミナスの左腕に自分の腕を絡ませ、向かい側に座っている海人を威嚇する。
 ただし昨日とは違い警戒感や殺気はなく、どことなく楽しんでいるようにも見えた。

「あんたね……まあいいけど、あんま騒ぐんじゃないわよ?」

「分かってますわ。それと後程カナールの武具屋に寄ってもよろしいですか?
そろそろ矢を補充しないといけませんので」

「それなら私も行こうと思ってたから構わないわよ。カイトもいい?」

「ああ。武具屋にも興味はあるからな」

「ん。そんじゃ、準備して行こっか。あんま時間かけると武具屋行く暇なくなるかもしれないし」

 ルミナスの言葉に二人は頷き、準備を始める。
 と言っても二人は既に武器も鎧も装備しているため、後は海人の部屋にある荷を纏めるのみ。
 それほど時間を掛けずに準備を終え、三人はシェリスの屋敷に向かった。
















 昨日と同じようにオレルスの案内で応接間にやってくると、部屋の中でシェリスとスカーレットが待っていた。
 シェリスはライムライトのレイヤードドレス、スカーレットは丈が足首まである紺のエプロンドレスを着ている。

 3人が部屋に入ると、オレルスはそのままドアを静かに閉めて去っていった。

 シェリスに席をすすめられるが、海人達は座る前に持ってきた食材を近くに用意してあった大きな台車の上に置く事にした。
 ほどなくして置き終えるが、台車の上にずらりと並ぶ大きなメロンの入った木箱と、ラベルを剥がされた醤油の一升瓶は異様な存在感がある。隅にちょこんと置かれた寂しげな蜜芋がそれをより引き立てている。
 が、すぐにスカーレットが味見用の物だけをテーブルに移し、台車を動かして目立ちにくい部屋の隅に運んでいったため気にはならなかった。

 台車を移動させると、彼女は人数分の紅茶を淹れ始める。さすが料理人と言うべきか、実に淀みない見事な手並みだ。

 スカーレットが紅茶を全員に出す時には、既に彼女以外の全員が席についていた。

「今日はシリルさんもご一緒ですけど、もう完調なんですか?」

 シェリスが3人にそう言って微笑みかける。
 昨日も尾行させていたシャロンからの報告で、シリルが二人と接触した事は知っていたため、彼女は驚きはしなかった。
 報告を聞かされた直後は海人の運の無さに同情しつつ、頭を抱えたが。

「いいえ、先日ようやく動く気力が戻ったところですわ」

「やはりしばらくはルミナスさんの家に?」

 何気なく探りを入れる。

 シリルに限らず、休暇中のルミナスの部下が彼女の家に向かった場合、最低一週間は泊り込む事が多い。
 当然、魔法をばらしたくない海人が魔法を使える機会は激減する。
 しかも使えたとしても下手に物を増やせば、ほぼ確実にどこに置いてあるのかという疑問に発展する。
 どう足掻いても果物を定期的に卸す事は難しくなる。

 シェリスは様々な小細工を一晩中考えたが、どれもこれも早い段階で破綻する可能性が高い。
 当面は手詰まりの状態、と彼女は結論を出していた。

 最後の極めて薄い可能性に賭け、自分の言葉の否定を願いながらシリルの様子を窺う。

 が、そんな彼女の思いを知る由も無いシリルは、シェリスの望みを無自覚に叩き潰す。

「もちろんですわ。どうせ次の仕事が来るまでは暇ですし、それまでお姉さまの側にいたいですもの」

「相変わらずですね」

 なんとか平静を取り繕ってはいるものの、シェリスは思わず落としそうになる肩を押さえるのに必死だった。
 が、今考えても仕方ない、と迅速に頭を切り替えて話を変える。

「さて、早速だけどスカーレット、その網目模様の果物の半分を人数分に切り分けて。
昨日と同じように貴女も試食して値段を出してね」

「あいよ。これ、中の種とひだみたいなのはどうすんだい?」

「ひだは食えなくもないが、種がへばりついているから食べにくい。普通はひだごと種を除いて食べる」

「了解了解っと。……ほい、お待たせ」

 指示されるなりあっという間に切り分け、食べやすいように皮と果肉の隙間に包丁をいれた上で果肉を皮の上に乗せたまま六つに切る。
 全て切り終えたところで皿に乗せ、一人一人に丁寧にフォークを添えて配った。
 言葉遣いは相変わらず客に対するものではないが、この時の動作はしっかりと配膳の作法を弁えたものである。
 その気になればいつでも完璧な接客が出来る事がありありとわかる動きだ。

「お、美味しいですわぁ~~♪ 昨日のマンゴーというのも至福の味でしたけれど、これもこれで素晴らしいですわぁ……」

 目の前に出されたメロンを頬張り、シリルの表情がとろけた。
 一口一口味わうようにゆっくりと咀嚼し、一口食べるたびに、食べ終えるのが勿体無いと言わんばかりに食べる時間が長くなっていた。

「……昨日の柿も凄かったけど、これも凄いね。
それに味の傾向が全く違う。昨日のはどちらかと言えば毎日でも食べられる味。
これは何かめでたい事があった時のお祝い用の豪勢な味ってとこか。
ちと悩むとこだけど一玉2万5千。この味と量を考えりゃそれぐらい出しても買いたいよ」

「分かったわ。で、次のあんぽ柿の方は?」

「ちょっと待って。水で口の味を流してから」

 スカーレットは水を飲み、口の中を軽く洗い流す。
 メロンの刺激の強い味の余韻が抜けた時を見計らい、あんぽ柿を手にとって豪快にかぶりついた。

「……ん~、面白いし魅力的な食感だね。この口の中でつるっと滑らかに滑る感触がなんとも……
これは、大きさ考えて900ってとこかな?」

「なるほど、それでは次はこれね」

 スカーレットが食べ終えたのを見計らい、シェリスが蜜芋を手渡す。

「ああ、昨日の芋だね」

 スカーレットは再び水を飲んだ後、芋にかぶりついた。
 じっくりと味わい、味と舌触りをじっくりと確認し、口を開く。

「シェリス様、残り使って今からちょっと試して……」

「却下。値段は?」

 言葉の途中で踵を返そうとしたスカーレットの言葉をピシャリと遮った。
 逃げられないようにさり気なく服も掴んでいる。

「くっ……この大きさで1000。料理の素材としてはメロンより使いやすそうだよ」

「よろしい。では次はお醤油よ。それとお芋は没収ね」

 掴まれているスカートを引き裂いてでも、そのまま調理場に向かいかねない料理長の手から芋を奪い取る。
 そして先程から物欲しそうな表情をしていたシリルに手渡した。

「どうぞ、シリルさん。残しておくと面倒なので」

「ありがたくいただきますわ」

 シリルは受け取るなり昨日一口だけしか食べられなかった芋を至福の表情で頬張り始めた。
 先程とは異なり、口の小ささを補うかのような速度でパクパクと食べ進めていく。
 結局、あっという間に元々少量だった芋は彼女の口に全て飲み込まれてしまった。
 
「ううっ……色々試したくなる素材だったのに……」

 スカーレットはガックリと肩を落としながらも、一升瓶に入った醤油の栓を抜き、手の平に垂らして舐めた。
 食欲をそそる香りが鼻に抜け、舌全体に強い塩気が気にならないほど円やかな味が広がる。
 以前彼女が行商人から買った物と同等かそれ以上の、極上の調味料だ。

「……うん、以前買った物とそれほど差はない。あん時は確か一本3万で買ったんだったね」

「となると全部で……三十四万ルンね。その額でよろしいですか?」

 訊ねるシェリスに対し、海人は先程から羨ましそうな目で見ているルミナスと、
目を見張っているシリルを見て、苦笑しながら答える。

「文句があるはずも無いな」

「あの~、自分で言っといてなんだけど、シェリス様ホントに良いのかい? いくらあんたでも安い金額じゃあ……」

「いかなる金額であっても、それ以上の見返りがあれば問題ないわ。
金額の心配をするよりも先に、これらの素材に見合う極上の調理法を見つけられるかを心配なさい」

 シェリスは恐々とした様子で訊ねる料理長に、淡々と答えた。
 冷たくも聞こえる言い方だが、その目には昨日となんら変わらぬ絶対的な信頼が宿っている。

「うっ……分かりました。とっとと仕事戻って考えます」

 ガラガラと食材を乗せた台車を押して退室していく。
 色々とプレッシャーがかかっているようではあるが、深く考え込みながらもその目の貪欲な輝きは全く損なわれていなかった。

 期待できそうだ、とスカーレットの背中を見送り終えたところで、シェリスは気になっていた事を海人に訊ねる。

「ところでカイトさん、今残っている果物の内訳を教えていただけますか?」

「ああ、まずマンゴー20、柿を10、不知火を10、キウイ20……」

 シェリスが紙とペンを握ったのを確認すると、つらつらと昨日作っておいた果物の数と種類を述べていく。
 昨日は結局部屋の半分以上を埋め尽くすほどの量を作ったため、自然、言葉も長くなる。
 海人はしばし言葉を羅列していき、

「最後にさくらんぼ10箱。以上だ」

 ルミナスとシリルが呆気に取られている事も意に介さずに、淡々と言葉を切った。
 そしてそのまま顎に軽く手の甲を当てながら思案しているシェリスの言葉を待つ。

「ふむ、今おっしゃった物、全種類その八割を明日買いましょう。もし腐ってしまったらあまりにも勿体無いですから。ただし、さすがに当家では食べ切れませんので、転売もさせていただきますが構いませんか?」

「ああ、好きにしてくれ。……どうした二人共?」

 海人はようやく二人の唖然とした表情に気がついた。
 心底不思議そうな顔で訊ねる彼に対し、二人はなんでもない、と軽く首を横に振った。
 それを見て少し困惑した様子の海人に苦笑しながら、シェリスが声をかけた。
 
「ところでカイトさん、以後の入荷予定はどうなっていますか?」

「今抱えてる問題がなければいつでも御希望に添えるがな。その問題を何とかする方法はまだ思いつかん」

「そうですか。では、こちらの方でもその問題への対策は考えておきますので」

 シリルには悟られぬように言葉を省き、二人は言葉を交わす。
 両者共に似たような状況に慣れているためか、発した言葉にはなんの淀みも不自然さもない。

「……? なにかトラブルでもあるんですの?」

「ああ、気にしなくていい。大した事ではないし、個人的な話だ」

 よもや自分が二人の言う『問題』だとは夢にも思っていないシリルに、海人は簡潔に答えた。
 取り付く島も無いその態度に彼女は少しムッとした表情になる。

「……お姉さま、よろしいんですの? カイトさんの事はそれなりに気に入っておられるのでは?」

「いや、私は事情知ってるし。本当に大した事じゃないしね。
それに、これに関しちゃ私にできるのはせいぜい頑張ってね~って無責任に応援する事だけよ♪」

 ふてくされた顔で自分に話を向けるシリルに、楽しそうな声で答える。

 事実ルミナスにできる事はほとんどないのだが、
こうも見事に傍観者面されてしまうと、真剣に考えている二人にとっては面白いはずも無く、

「確かにいっそ哀れみたくなるほどその通りだが、微妙に腹が立つな」

「まったくです。確かにルミナスさんが頭脳労働に向いてないのは分かりきってますが、
人としてもう少し協力しようとする姿勢を見せてもいい気がします。塵芥ほどの役にすら立たなくとも」

 本当に会って数日かと言いたくなるほど見事な呼吸で思いっきりこき下ろされた。
 しかも計ったかのようなタイミングで同時に肩を竦め、やれやれと首を横に振っている。

「あんたらの方が酷い事言ってない!? ってか私どこまで馬鹿だと思われてんの!?」

「そうですわ! なんて酷い事をおっしゃるんですのっ!! お姉さまは断じて頭が悪いわけではありませんわ!!」

「ああ……シリル、やっぱあんたは良い子……」

 ルミナスは感動の涙を流しながら、自分のために激昂してくれる可愛い部下の頭を撫で

「お姉さまは馬鹿なのではなく頭を働かせる気が無いだけですわ!」

 ようとして、予想もしない暴言に派手にずっこけた。
 悪意のない罵倒にもはや体を起こす気力すら失い、テーブルに突っ伏してしまう。

「素晴らしい、見事なトドメだ」

「え? え? なにがですの?」

 白々しくシリルに拍手を送る海人に、何が起こったのか今ひとつ分かっていない彼女は軽く混乱する。
 その何が悪かったのか分かっていないという態度が、どれほど彼女の敬愛する上司にダメージを与えるかということに気付かず。

「その態度はこれ以上ないほどの仕上げですね」

「あんたらみんな悪魔よ……」

 やはり白々しくシリルに賞賛を送るシェリスの声を聞きながら、シクシクと涙をこぼして3人を恨みがましい目で見る。
 海人とシェリスの性格の悪さもシリルの無自覚な暴言も彼女の繊細なハートをズッタズタにして余りあるのであった。
 
 













 それから一時間後。3人はシェリスの屋敷を出てカナールの町へやってきていた。
 賑やかな通りから少し外れ、古びた看板が掛けられている武具屋に入る。
 中に入ると店のあちこちに様々な武具が無造作に置かれており、雑然とした印象を受ける。
 例外は他の物より明らかに高価な武具で、こちらはきちんと決まった一区画に並べられていた。

「おう、いらっしゃい。なんだ、ルミナスとシリルか……そっちの男は?」

「うちの居候。なんか良いの入った?」

「さっぱりだ。よく分からんが、最近この地域の近辺で極上物が出るとすぐ買ってる連中がいる。
他の武具屋じゃ、普段は滅多に売れない極上物が捌けたって喜んでる奴が多いみてえだが……」

「……まさか、国?」

 店主の言葉にルミナスの目が鋭く細められる。

 数は少ないと言っても、この男が言う極上物というのは魔法増幅用の宝石が仕込まれているため、原価だけでも相当な額になる。
 そしてそれだけの原価をかけて作る物であるが故に、その武具本体を作る人間はその道の一流の職人である事が多く、最終的な額は普通の武具の100倍以上の値段になる事も珍しくは無い。
 大物貴族でも気軽に購入できる物ではなく、まして大量に購入するとなると考えたくも無い莫大な額になる。

 どこかの国が何らかの思惑で購入している可能性は十分考えられた。

「ひょっとしたら、な。が、国だとすりゃあ多分ルクガイアかエルガルドだろう。
ガーナブレストは買占めなんぞやる意味がねぇし、グランベルズが極上品を買い占めるはずがねえ」

 ルミナスの問いに肩を軽く竦めて答えた。

 まず、この国に隣接している国以外が買占めを行っている可能性は除外できる。
 輸送の手間、リスクを考えればこの国以外で調達する方が遥かに合理的だからだ。

 では隣接している国の軍事情勢を分析していくとどうなるか。

 南のガーナブレスト王国は強大な軍事力を保持している。
 それを支えているのは極めて優れた少数精鋭の軍隊。そして支給される武具の質だ。

 しかし、かの国は数多くの腕の良い武具職人を擁している。
 わざわざ他国で買占めをやらずとも、自国の職人に命じた方が安上がりだ。
 この点でガーナブレストの買占めの可能性は極めて薄くなる。

 グランベルズ帝国も強大な軍事力を持つが、ガーナブレストとは正反対にその傾向は質より量。
 この国の軍には突出して有能な人間は少ないが、それをカバーして有り余る、他国の十数倍の兵士が存在する。

 が、そのせいで一軍の将軍クラスには最高級の武具を支給されるが、それ以外の者に支給されるのは平均かそれ以下の武具。
 もしも買い占めるのであれば、せいぜいが並の武具であり、極上品を買い占める可能性は極めて少ない。

 ルクガイアとエルガルドはどちらも少し前の戦争で相当な被害を受け、生き残った強力な貴族たちも愛用の武具を破壊された者が多い。
 この二国は非常に貴族主義的な傾向が強い国で、実力者の全てが貴族と言っても過言ではない国なため、
 一般兵への並の武具の再支給よりも貴族たちへの最高級の武具の支給を急いでいる可能性は十分ある。

 国が絡んでいるのであればこのどちらかだろうと、彼は睨んでいた。

「一波乱あるかしらね?」

「かもな。で、どうすんだ? スローイングダガーぐらいならマシなのもあるぜ?」

「そんじゃそれを見せてちょうだい。シリルは?」

「いつもの矢を1000ほどお願いしますわ。出来る限り早めにお願いします」

「あいよ、来週の頭までには何とか揃える。兄ちゃん、あんたはどうすんだ?」

「私はただの付き添いだよ。武器などろくに扱えんから、特に必要な物はない。
しかし見事だな。これだけ雑然と並べてあるのに、うっすらと埃を被っている物すら一つもない」

 海人は感心したように店内をぐるりと見渡す。
 この店は商品の置き方こそ雑ではあるが、店内の清掃は見事に行き届いているため、不衛生な印象はあまり受けない。
 店主がひねくれているのか、あるいは何か理由があるのか、不自然さを感じるほど手を入れられている。

「……ここんとこ暇で他にやる事が無かったんだよ」

「いやいや、見る限りではこの一山いくらの剣でさえ丁寧に磨きこまれている。暇つぶしの一環には見えんよ」

「へっ、武器がろくに使えねえってわりにゃよく分かってんじゃねえか。
最近は本職でもそういう事も分からねえ三流が増え……」

「よう、おっさん元気か?」

 店主の言葉を遮るようにして2m近い大男を先頭に冒険者の三人組が入ってきた。
 男たちは全員同じような格好をしており、重量感あふれる鋼の鎧を纏い、背中に異様に大きな剣を背負っている。

 見覚えのある男たちの姿を見て、ルミナスと海人は何気なく男たちの死角に移動した。

「……てめえらか。今度は何が欲しいんだ?」

 あからさまにうんざり、といった顔で応対する。
 前に3人がこの店にやってきたとき、彼は親切心で普通のサイズのそこそこ良質な剣を薦めたのだが、
彼らはそんなしみったれた得物が使えるか、と言って対大型モンスター用の馬鹿でかい剣を買っていったのである。

 買っていった武器も悪い物ではない。むしろ、世間一般で言えば良質な部類に入る。
 だが、見るからに身のこなしが素人かそれに毛の生えた程度の者では持つ意味はほとんどない。

 この武器が想定している相手は、最低でもフレイムリザード級――人間の数十倍のサイズの魔物だ。
 それ以上の大型でなければ、普通のサイズの武器の方が小回りが利く分はるかに使いやすい。

 が、フレイムリザードと同等以上の巨躯の魔物となると、冒険者ギルドで全て危険度A以上に認定されている。
 この危険度Aというのは、一流と呼ばれる冒険者でも狩ろうとして返り討ちにあう事が珍しくないレベル。
 どう足掻いても目の前の男達では、武器で攻撃しようと近づいた瞬間に瞬殺されてしまう。

 それを説明しようとしたのだが、聞こうともせずに代金だけ置いてとっとと帰ってしまったのだ。
 儲かるには儲かったが、自分の売った武器のせいで死なれるなど後味悪い事極まりないので、
出来れば二度と来ないでほしい類の客だった。

「もうちっと小振りの武器が欲しい。こないだ街で喧嘩した時に武器の大きさのせいでちっとやられたんでな」

「ふむ。あれをちっとと言えるあたり、意外に大物なのかもしれんな。それなりの根性だ」

「いや、見栄張ってるだけのただの馬鹿でしょ」

 海人の感心したような言葉をルミナスがバッサリと切り捨てる。
 その声に、男たちが睨みつけてやろうと振り向いた。

「んだとコラ……って……てめえらは! ちょうど良い、こないだの借り今この場で晴らぎゃああああああああああああっ!?」

「「なっ、兄ぎゃあああああああああっ!?」」

 ようやく2人に気が付き拳を構えようとした男たちの顔に、海人の催涙スプレーの煙が直撃する。
 背中の武器をわざわざ使う必要はないと学習したようだが、口上を述べる前に攻撃するという事は学習しなかったようだ。

 結果、この間とほとんど変わらぬ手法によって不意を打たれた三人組は、
両手で顔を押さえてなお溢れ出る大量の涙と鼻水を垂れ流し、床の上で見も蓋もなく悲鳴を上げ続ける羽目になっていた。

「店の中で騒ぐ馬鹿がどこにいる。すまんな、少々これらに礼儀作法を教育してくる。
それほど時間を掛けずに戻るので待っていてくれ」

 言うが早いか、床で悶え苦しんでいる3人を容赦なく店の外まで蹴って転がしていく。
 蹴って運んでいる理由は単に3人だと抱えるにも引き摺るにも面倒だからだが、
ただでさえ苦悶の声を上げている人間を躊躇無しに物のように蹴り運ぶこの男の神経は悪魔としか形容のしようがない。

 そんな男をルミナスとシリルが呆然と見つめていた。

「……カイトさん今何を使ったんでしょう?」

「分かんないわよ。毒に近い物だとは思うけど……」

 海人が使った物の正体が分からず、二人で首を傾げる。

 流れるような動作ではあったが、この二人からは何が起きたのか鮮明に見えていた。
 が、彼女達の知識の中には、少し吹きかけただけで相手があれほどまでに見も蓋もなく悶え苦しむような液体は存在しない。
 せいぜい目に沁みて一時的に視界を奪うのが関の山である。

 考えても分かりそうになかったのでひとまず置いておく事にし、
気を取り直して店主も交えて3人で世間話をしていると、海人が3人を引き連れて戻ってきた。

「待たせたな。この3人も反省したようだ」

「「「店の中で騒いで申し訳ありませんでした!!」」」

 顔が真紅に染まり、目元から涙腺が決壊したかのように涙が流れ続け、鼻水も止まらず、
喉も痛めているのか、ただでさえ低かった声が一段と低くなっている男たちは、勢いよくその体を直角に曲げて謝罪した。

「い、いや、それは別にいいけどよ」

「「「よくありません! お詫びに一度タダ働きをさせていただきます!! 
ドラゴン退治でもなんでもお好きなようにご命令ください!!!」」」

 店主の声に3人は顔を上げ、ビシッと背筋を伸ばして敬礼をする。
 その動きの見事さたるや、まるで徹底的に訓練された軍人のようだ。

 明らかに先程までとは別人である。海人以外の人間は開いた口が塞がっていない。
 一番早く立ち直った店主が三人に道具を渡して恐る恐る掃除を頼むと、三人は元気よく返事をし、キビキビと丁寧な清掃を始める。

 しばらく呆然とその様子を眺めていたルミナスは、正気に返るとすぐに海人の胸倉を掴んで詰め寄った。

「あんた何したの!? さっきとは完っっ璧に別人じゃない!?」

「なに、ちょっと闘争本能を弱体化させるツボを押しつつ、催眠術も併用してじっくりと洗脳しただけだ。
予想より早く洗脳が完了したぞ」

 胸倉を掴まれて揺さぶられながらも、海人は冷静に自分のやった事を解説する。
 洗脳という言葉が平然と出てくるあたり、この男の今までの所業が窺える。

「悪魔ですのあなた!? こんな短時間でここまで人格を破壊するなんて!!」

「心配するな。さすがにここまでの変質は一時的なものだ。明日になれば洗脳の効果は今の半分程度まで劣化する。
一週間もすればこの店の中で騒がない、という事以外は元通りになっているだろう」

「十分怖いわよ! あんた実は私も知らない間に洗脳してたりしないでしょうね!?」

「失敬な。そもそもこの洗脳方法は相手に洗脳される時の記憶が残る。今から実証してやろう」

 ルミナスの剣幕に気を悪くしたような表情になり、男の一人にボソッと何事か耳打ちする。
 途端に男はビクッと震え、店の床に頭を叩きつけながらひたすら土下座を繰り返し始めた。
 他の二人が途中でそれを止め、その後黙々と床に付着した血を丁寧に拭っていく。
 それら全ての動きがどこか機械的で虚ろな無機質さを感じさせる。

「このように洗脳時の事を思い出させ……ルミ……シリ……ぐるじ……」

 海人は解説の途中で義憤と恐怖に駆られた2人に絞め落とされた。

 ルミナスは力なく崩れ落ちた彼の体を抱きとめてシリルに渡し、そのまま店主が出した投擲用のナイフの品定めに移る。
 どちらも溜息を吐きながらも床に落とそうとはしないあたり、なんだかんだでお人好しらしい。
 シリルとの身長差のために足だけは床に投げ出されているが、その程度はご愛嬌だろう。

 しばらくしてルミナスは見せられたスローイングダガーの中から五本だけ選び、店主の前に出す。

「そんじゃ、これだけもらってくわ。全部でいくら?」

「ちっ、良い物だけ選びやがって。全部で8万ルンだ」

「そっちも良い根性してんじゃない。そこの値札の額から計算すれば全部で5万になるはずよ」

「本来セットの物を一番良い物だけ選んで買うんだから、多少は上乗せさせろ。……7万5千」

「十本セットの価格で10万。多少ってレベルじゃないでしょ。5万2千」

「他のとその5本じゃ質の差が大きいだろうが。7万」

 交渉する2人は共に表情は笑っているが、目が笑っていない。
 しかも、お互いが腕を置いている会計台からはミシミシと木が軋む音が聞こえている。
 平静な口調とは裏腹に二人共本気で交渉しているようだ。

 海人に悪質な洗脳をかまされた三人組は、それに目もくれずに言われたとおり店内の清掃を行っている。
 しかも床や壁の掃除が終わると、天井まで拭き掃除を行い始めた。
 最初に店に入ってきたときの印象とは大違いである。

 そんな様子を横目に見ながら、シリルはその小さな腕に抱えている男の顔を眺めて嘆息した。

(純粋な運動能力以外は本気で化物ですわね、この方)

 一応、彼女は海人に感心していた。

 海人の肉体強化の限度は最初に会った時におおよそ見極めていた。
 服で大部分が隠されてはいるが、皺の入り方などである程度どんな肉体なのか判断は出来る。

 総合的に判断して、海人の運動能力は全て一般人かそれ以下と彼女は結論を出している。
 そんな脆弱な肉体で自分やルミナスにダメージを与えるほどの攻撃を放ったのだから、
今日凄まじい筋肉痛に襲われているということは容易に想像できる。

 だが、今朝会った時はそんな物を全く感じさせず平然と誘いに乗ってきた。
 あまりにも自然な振る舞いに、一時は見誤ったかと考えてしまったほどに。
 無論矢で射かけてる最中に、時折顔を顰めているのを見逃すほど甘くはないため、すぐにやせ我慢だと気がついたが。
 それでもそんな状態で矢を避け、的確な判断をしていたのは十二分に感心できる話だった。

 それに加え、目の前の男たちへの洗脳。

 そもそも洗脳自体が一時的な物だろうがなんだろうが、簡単にできる事ではない。

 まず闘争本能を弱体化させるというツボを押したという話だが、正確な知識が無ければ狙った効果を出す事など出来ない。
 個人個人で体の大きさも違うし、ツボの位置も微妙にずれるのだ。
 これほどの短時間で施した事も考えれば、催眠術以外にも人間の精神を最大効率で追い詰めるための知識を持っているはずだ。
 おそらく尋問をさせれば、いかなる人間からであっても情報を搾り出せるだろう。

 そして一時的にしてもここまで元の人格を躊躇いもせずに粉砕する容赦の無さ。
 この男の膨大な魔力と合わせて考えれば、本気で敵に回したが最後、ほとんどの人間は有無を言わさず消滅させられるだろう。

(……運動能力の不足が問題にならないほどの凶悪さですわね。まったく、厄介な)

 間抜け面で気を失っている男の顔を見下ろし、溜息を吐いた。

 実のところ、シリルは海人の事をかなり気に入っている。 

 初対面時にぶつけた殺気は、常人ならば確実に失神するほど強烈なもの。
 いくら嫉妬に駆られていたとはいえ、明らかに度を越したそれを海人は軽く受け流した。
 これだけならば警戒の対象にしかならなかっただろうが、よくよく観察していると海人の様子にはまるで身構えた様子がなかった。
 むしろ、子供じみた嫉妬心から生じたシリルの行き過ぎた行動を微笑ましく思ってさえいるようだった。
 少し腹立たしくもあったが、その寛容さはシリルにとって打算を抜きにしても好ましかった。

 今朝の組手にしても首を絞められていながら、彼女を地面に叩きつけようとはしなかった。
 腹の皮膚を握っていた力と彼の判断力からすれば、造作も無かったはずだというのに。
 
 控えめに言っても性悪なくせに、変なところで甘い海人に彼女はかなりの好感を抱いていた。 

 が、それと危険性は別の話だ。 
 もしも敵対する羽目になった場合、海人はあまりに危険すぎる。
 しかも傭兵という職業上、いずれ敵対する可能性は否定できない。
 彼女もルミナスもこの国を侵略したがっている隣国群全てに、一度は雇われた事がある。
 次に雇われた時の敵がこの国でない保証などどこにもない。

 自分達の傭兵団にどうにか引き込むのが最善だが、とても一筋縄でいきそうな相手ではない。
 そもそも彼に関して知らない情報が多すぎる、などと思考を巡らせていると、
   
「そんじゃ、6万ルンで商談成立ね」

「くっそ、分かったよ持ってけドロボー!!」

 ルミナスと店主の白熱した交渉が終わった。
 6枚の紙幣を悠々と会計台に置き、満足そうな顔でダガーを持って戻ってきた。

「お待たせ。どしたのシリル、なんかあった?」

「いえ、何でもありませんわ。では、帰りますか?」

「あ、ちょっと待ってシリル。私が先に出るわ」

 ルミナスは先にドアへ向かおうとしていたシリルを言葉で制した。
 声に含まれた真剣な響きに、シリルは無言で道を譲る。
 
 そしてルミナスがドアを開けた瞬間――同時に入ってきた大柄な男とぶつかった。

 反射的にその人物の顔を見上げると、

「っと、わりいな。う~っす、おやっさん元気か~」

 悪びれた様子もなく、ぶつかった男――ゲイツは彼女を避けて店に入ってきた。
 なんとなくこのまま無視して帰る気にもなれなかったので、後ろ手にドアを閉めて彼に声をかける。

「ゲイツ、あんたも買い物?」

「この間のフレイムリザード狩りの時に使ってた盾が溶かされちまったんで、新しいのを買いにな。
ん? おい、そこの連中ってたしか……人違いか?」

 ゲイツは見覚えのある姿を見かけて首を傾げるが、あまりの変貌振りに自分の記憶を疑ってしまう。
 先日の誘拐犯まがいのナンパをやっていた姿と今の額に汗して真面目に清掃をしている姿が結びつかないようだ。

「……人違いじゃないけど、詳しくは聞かないで。この間のこいつの非道っぷりから察してちょうだい」

「わ、わかった。……ん? そうか、お前らがここにいるって事は……おい、今誰かに狙われてる心当たりあるか?」

「ありすぎて分かんないわよ。……やっぱこの店監視してる奴がいるの?」

 ゲイツの潜めるかのような声に、ルミナスも小声で答える。

 彼女は先程店主と値段交渉をしている途中から、観察されているような気配を感じていた。
 店のドアは完全に閉まっているため、人の視線が届くはずがないのだが、それでもそんな気がしていた。
 明確な根拠のある物ではないが、こういう時の直感が外れた事は無いため、先程から警戒を解いていない。

 海人を抱えているシリルを先に出さず、自分が先に出ようとしたのも、店から出た瞬間に襲われる可能性を考えたためだ。

「ああ、外に数人な。どうも動きを見てるとどっかの正規兵っぽいんだが……それでも絞れないか?」

「軍の正規兵でしたら尚更分かりませんわ。傭兵には基本的に戦争中の怨恨は持ち越さないという暗黙のルールがありますけれど、正規軍は違いますもの。今まで何度戦争後の敵討ちに街中で狙われたか」

「愚痴ってもしょうがないわよ。ただ、監視してる連中の事は気になるわね」

「どうなさいます?」

「ま、今は放っときましょ。例の上物の武具買い漁ってる連中が仕入れる可能性があるとこ見張ってるだけかもしれないし。
私達が狙いだとしたら、人気がなくなったところを見計らって襲い掛かってくるだろうから、その時一人とっつかまえればいいわ」

「カイトさんを起こした方がよろしいのでは?」

「何かあったら、下手に動かれるよりは気絶しててもらった方が楽でしょ。念の為、私が運ぶわ」

「……はあ、分かりました」

 溜息をつき、海人を手渡す。

 もし襲われた場合、シリルが持っていてはルミナスが制約なく動ける代わりに、彼女が弓を使えなくなってしまう。
 ルミナスが抱えていれば、彼女の動きは鈍くなるものの、シリルの矢の援護が行える。
 どちらかと言えば、多少制約はあっても二人共得意武器で戦えるようにルミナスが抱えていた方が良いのだ。

 シリルとしてはルミナスに優しく抱かれている海人に嫉妬を覚えずにはいられないが。

 しかし結局この心配は杞憂に過ぎず、この日三人は何事もなく無事に家に帰りついた。
 二人は家での襲撃も警戒していたが、辺りにはいつも通り人の気配はなく、どこかから監視されているような気配も感じなかった。

 結局海人が起きるなり、シリルに妬みのこもった強烈な八つ当たりを受けた事以外は彼女達にとっては平穏な一日だった。

 ――――が、

「シェ、シェリス様……失礼します」

「あら、ハンナ。シャロンはどうしたの? 今日の報告書がまだなんだけど」

「それが……帰ってくるなり青褪めた顔のまま倒れてしまいまして……起きたら起きたで壁に頭を打ちつけ始め……」

「は?」

 腐れ外道の悪魔の如き所業を目撃してしまった哀れなメイド一名にとっては、悪夢の一日となっていた。















 ――――その夜。

 カナールの町からかなり離れた森の中、特に木々がうっそうと茂っている地帯。
 その中心部で数十人の屈強な戦士たちが、人知れず野営をしていた。
 一部に宝石を埋め込まれた武具の手入れをしながら、火を焚く事もなく黙々と手を動かしている。

 その集団から少し離れたところで、二人の男女が会話をしていた。

「武具の調達は完了し、後は購入した武具の宝石に魔力を込めるだけです」

「御苦労。だが、最後まで気を抜くなよ。実行までは秘密裏に事を進めねばならん。
誰にも悟られる事無く万全の準備を整え、静かに機を待ち、迅速に決行するのだ」

「確かにそれが最善ですが、よろしいのですか隊長? 《黒翼の魔女》に対する報復は……」

 引き締まった肉体をした浅黒い肌の女が気遣わしげに訊ねる。
 その視線は目の前の男の茶色の眼帯と無くなった左腕の間をゆっくりと揺れ動いていた。

「……私情よりも任務が優先だ。それに、私のビッグ・イーグルをあっさりと仕留めた事からもあの女の化物ぶりは分かるだろう?
我らの前に立ち塞がらん限りは、関わるべきではない」

 隊長と呼ばれた男は、自分が本国から連れてきていた魔物の末路を思い出し、苦々しげに語る。
 数年かけて屈服させる事で飼う事に成功し、今回の任務に使おうと高空からこの国に侵入させるという面倒な手段を使ったにもかかわらず、たまたま近くを通りがかっただけの、足手纏いを抱えた傭兵にあっさりと殺されてしまったのだ。

 それまでにかかった時間・労力・費用、そして今回の任務の戦力の一つがただの偶然の遭遇で一瞬にして水泡に帰してしまったのだ。
 任務を成功させる事を第一に考えなければならない以上、余計な手出しでこれ以上状況を悪くする可能性は避けなければならなかった。

「ですが、隊長お耳を……」

「……なに? それはまだ報告を受けてないが、事実か?」

 耳に口を寄せ小声で話しかけてくる部下の言葉に、顔を顰めて確認する。

 今聞かされた内容が正しいのならば、関わらせるというリスクを冒してでも試す価値はある。
 成功すれば今現在一番厄介な人間とその副官の動きを封じられる可能性が高いのだ。

 が、もし見当違いな話であれば、それは余計なリスクを招いただけで終わってしまう。
 確認を取らないわけにはいかなかった。

「申し訳ありません。まだ情報の収集が完璧ではなく、裏付けもありませんでしたので、報告はいたしませんでした。
ですが、これまでの行動を見る限りではほぼ間違いないかと」

「そうか……ならばもう少し調べておけ。そして、本当に使えそうであれば機を見て実行しろ」

「はっ!」

 命じられた女は手早く身に着けていた鎧を外してラフな格好に着替えると、これといった特徴の無い剣一本を携えカナールの街に向かう。
 森の中に消えていく部下の後姿を見送りながら、男は自分に言い聞かせるように呟いた。

「そう、任務が優先だ……奪われた右目と左腕の借りを返すのは私情。抑えねばならん」

 近くの人間を怯えさせるほどの殺気を放ちながら、こみ上げてくる怒りを抑えるように目を固く閉じ、拳を強く握り締める。
 失った体の一部が発する幻痛に苛まれながらも私怨を押し殺そうとする戦士を、周囲の部下は遠巻きに見つめていた。





テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
メイドの奇行にシェリスは・・・
更新お疲れ様です。

武器屋のシーンがそのままでホッと一息。
目撃したメイドさんはこの後どうなってしまうのか?
催眠治療をしないとリタイア?
さぁ、シェリスはどんな采配をするのか?

後、まだ見ぬ最新話は関係してくる敵が登場。

続きを楽しみに待ってます。
[2009/09/05 10:35] URL | Gfess #knJMDaPI [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/07/29 19:32] | # [ 編集 ]


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