ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄58
 翌朝、海人達は屋敷の庭で日差しを浴びながら読書に励んでいた。

 読んでいる物は、海人が記した教科書。
 一冊一冊の厚さはさほどでもないが、数学、薬学、魔法学など種類が節操なく多い。
 それに加えて各分野の難度別に分けられている為、さらに数が増えている。
 その為、全部ひっくるめれば三十を越える冊数に達していた。

 ふと手を止め、シリルが口を開いた。

「……本当に見事ですわね。なんというか、各理論の要点を理解しやすいよう腐心している事が分かりますわ。
読んでいて疲れもさほど感じませんし」

 素直に、称賛の言葉を零す。

 シリルはこれまでに数多の本を読んでいるが、手元の本はそれらとはあまりに出来が違う。
 形式としては地味な基礎が記されているだけの本だが、その質が違う。
 解説法もさる事ながら視覚的な読み易さにも気を配り、理解しやすく、それでいて読み飽きないような工夫がなされている。

 勿論、基礎とは言っても最先端の理論を理解する為の基礎なので高度は高度なのだが、
それでも好奇心旺盛な子供ならば意外に理解できてしまうかもしれないと思わせる程のものがある。   

「でも、いくらなんでも基礎に重点置きすぎてない? 
あくまで土台作りで、この教科書それだけじゃ高等理論の理解には届かないじゃない」

 シリルの感想に、ルミナスが疑問を投げかけた。

 これらの教科書が良い出来だというのは同感だったが、
あまりにも基礎を重視しすぎている為、理系教科は高等理論への足掛かりにしかならない。
 これほどの解説力があるならば、いっそ高等理論まで解説すればいいのに、と思えてきてしまう。

 が、シリルはそれをやんわりと否定した。
   
「私はむしろ美点だと思いますわ。これだけ土台をしっかり作っておけばその先の理解は本人の努力次第。
おそらく、ただ理解させる為ではなく同時に発想力を養う事も目的としているのではないかと」


 パラパラと手元の本を捲り、微笑む。

 一読しただけでは気付きにくいが、理系教科の本は実に精密な作りが為されている。
 確かに本に記されている高等理論は少ないが、代わりにこれらの内容を活用すればどんな理論に結びつくか、と好奇心を煽るような構成になっている。
 一から十まで教えるのではなく、理解の材料を与えた上で己で考えさせる、そんな作りだ。

「あー、なるほどね。となると……あれも頷けるかしらね」

 どこか不貞腐れたかのような表情で、庭の隅の木を見つめる。
 そこには刹那の横に侍り、熱心に意見を聞いている男の姿があった。 

「他にはあるか?」

「ええと、この箇所もよく分からないのですが……」

「ふむ、こうすればどうだ?」

 刹那に分からない箇所を教えられるなり、海人はすかさず手元の紙に何やら書き込み始めた。
 あっという間に書き終えられたそれを見るなり、刹那は目を瞠って歓喜の声を上げる。

「……ああ! 成程、そういう事でしたか!」

「そこは書き直した方が良さそうだな。この紙を挟んでおいてくれ」

「海人さ~ん、こっちもちょっと分かりにくい箇所あるんですけど~」

 刹那への話が一段落するなり、雫が大きく腕を振って海人を呼んだ。

 地面に寝っ転がって煎餅片手に本を読んでいる様からはやる気の欠片も感じないが、
きちんと目は通しているらしく、指摘する箇所は的確だった。
   
 やがて一通り解説が終わると、再び刹那が海人を呼んだ。
 海人はなかなか忙しそうで、ルミナス達には視線をくれる暇もないらしかった。 

「……何か、疎外感感じるわねぇ」

 拗ねたような顔で、ルミナスがぼやいた。

 読んでいる本の難度は違えどやっている事は同じなのだが、ルミナスは刹那達とは違い元々の知識量が多い。
 その為既に理解している事も多く、分かりにくい箇所の指摘というのが難しい。

 というのも、海人の教科書は分かりにくいという部分も十分に分かりやすい為だ。
 他の箇所に比べて多少分かり辛くなっているだけの事で、それほど大きな違いがあるわけではない。
 ゆえに、元々理解している者では、かえって見落としやすいのである。

 そのせいで、ルミナスの作業は主に誤字のチェックに終始している。
 海人を呼ぶ程の事は特になく、ただ黙々と読書しているだけだ。

 なんとなく仲間外れにされているようで、あまり気分は良くなかった。

「仕方ないかと。お姉さまがそれだけ数多くの知識を身につけておられるという事ですわ」

 シリルは本から視線を外すことなく、苦笑した。

 彼女もルミナスと同じく作業の大半が誤字のチェックに終始しているのだが、充分に楽しんでいた。
 
 本来退屈な誤字のチェックだが、あの怪物のあからさまなミスを探すと考えればなかなか楽しい作業だ。
 しかもなかなか見つからないだけに、見つけた時はしてやったりという気分になる。  
 その程度の事で喜べてしまう自分の卑小ささえ棚に上げておけば、十分楽しめる。

 そしてなにより、先程から横目に観察しているルミナスの様子が素晴らしい。
 
 普段堂々とその美しさを誇示する背中の翼は僅かに力が抜けてしおれ、
時折本から外される視線はどこか縋るような切実さを感じさせ、
とまるで飼い主に構ってもらえずしょげている子犬のように可愛らしい。

 それが誰のせいかを考えてしまうと思わず愛用の弓に手が伸びてしまうが、
それを考えさえしなければ眼福というものだ。
 
 口の端からこぼれた涎をハンカチで拭っていると、ようやく海人がやってきた。

「そっちは何か引っかかるところはあったか?」

「ここの記述ですが、少し手直しした方がよろしいのでは?
充分分かりやすいですが、直前までより文章が雑になってますわ」

 ページを開き、気になった箇所を指差す。

 その箇所は、妙に違和感があった。
 前後はきっちりと流れるような文章で韻を踏み、いっそ美しい程なのだが、そこで僅かにテンポが崩れている。
 それでも十分読み易くはあるのだが、海人らしくないミスに思えた。

「ああ、そこはそれでいいんだ。そこの箇所を強く印象付けて記憶に残るようわざとそうしてある」

「あんたそんな事まで考えてるわけ!?」

「無論。やるからには完璧に、もう知識を頭に直接放り込むぐらいの物に仕上げたいからな」

「ホントに徹底してるというかなんというか……じゃあ、ここの文章もわざとなのね。
でも、この箇所はどちらかと言えば重要性が低いと思うんだけど……」

「はっはっは――――そこは単純にしくじった。こう手直しすればいいか?」

 鷹揚に笑った後、海人は慌てて手元の紙に手直しした文章を書いた。
 それをルミナスに見せると、彼女は楽しそうに笑った。 

「ん、綺麗な文章になったわね。あんたもこんなミスをすんのねぇ」

「当たり前だ。大体、この短期間でこれだけの冊数書いて何のミスもないなどありえるか。
羽ペンで書かない分疲れにくいとはいえ、限界があるわい」

「あ、それなんだけど……あんたのその筆記具、まだ売る気にならないの?」

 ルミナスは海人が持っている筆記具――万年筆に目を向けた。

 この世界、特にこの大陸では羽ペンが主流だ。
 その為、筆記する際は小まめなインクの付け直しが必須となる。
 一度インクを補充すれば長時間書き続けられる万年筆は、まさに画期的。

 シェリスに技術ごと売ればかなりの収入が期待できるのだが、海人は躊躇っていた。   

「これもまたここでは少々異質だからな……やはり悩む」

 万年筆をクルクルと弄びながら、肩を落とす。

 万年筆を作る事それ自体は、この世界の技術レベルでも可能だ。
 武器でもないので、売っても問題ないと言えば問題ない。

 が、どのみち画期的すぎる道具である事は間違いない。
 流通し始めれば社会現象になる可能性さえもある。
 あまり大きな事件に関わりたくない海人としては、表に出すのはあまり気が進まない。 

「売れば結構稼げそうだけどねぇ。ま、あんたの性格上仕方ないわよね」

「……教師としての役割を考えるとやはり売るべきかとも思うんだがな。
羽ペンよりもこちらの方が間違いなく学習効率は上がる」

 ルミナスにポンポンと肩を叩かれながら、海人は呟いた。

 羽ペンを使うようになって痛感した事だが、これはあまりにもストレスが溜まる。
 いちいちインクを付ける手間は想像していた以上に無駄で、何を書くにも時間がかかる。
 まだ二回しか行っていないというのに、授業中何度万年筆を使いたいと思ったか覚えていない程だ。

 無論それは万年筆やボールペンなどといった道具を知るがゆえのストレスもあるのだが、
知らなかったとしてもあのインク補充の手間は間違いなく煩わしい。 
 生徒達は慣れた様子で手早く補充して書いてはいるが、やはり書く時間がかかりすぎている。
 これは、学習効率を考えれば何としてでも省くべき無駄だ。 

 それは分かっているのだが、それでも気が進まない。
 表に出す事それ自体もだが、その前段階を考えても気が重くなる。

「でも、売ったら売ったでシェリスから恨まれるかもねぇ。
何で今まで教えてくれなかったんですかって」

「羽ペンからこれに変われば相当楽になるからなぁ……やはり当面は保留だな。
睨まれながらの交渉は疲れそうだ」
  
 シェリスの恨みがましい視線を想像し、海人は肩を落とした。

 彼女が万年筆の存在を知れば、確実にルミナスが言ったような展開になる。
 その後交渉に持ち込まれるだろうが、あれで結構しつこい性格をしているので、
ネチネチと恨み言を聞かされながらになる。
 精神力を削られ、微妙に罪悪感を煽られ、疲れる交渉になる事は疑いようもない。

 とりあえず、今はそれを甘受する覚悟は決まっていなかった。  
  
「それって単なる先伸ばしじゃないの~?」

「分かりきった事をいちいち言わなくてよろしい」

 からかってくるルミナスの頭をスコン、と小突く。
 少し強めに放たれたせいで地味に痛かったが、ルミナスは楽しそうに笑っていた。   
 
  


















































 昼食後、雫は自室でシリルとディルステインに興じていた。

 戦況はシリルの圧倒的優位。
 駒の数こそ大差はついていないが、配置があまりにも悪い。
 シリルが駒を動かすたびに徐々に打てる手が限られていき、着実に追い詰められている。
 
 が、初心者相手に大人気ないにも程があるシリルを相手に、雫は果敢に立ち向かった。
 
「うぬぬ……これならどうです!」

「あら、竜騎士を取られてしまいましたわねぇ……では、こう参りましょう」 

 微笑みながら、駒を動かす。
 その表情は実に優雅で柔らかく、どこか余裕が漂っている。
 少なくとも強力な駒を取られた動揺は微塵も出ていない。 

 あまりにも落ち着いた様子のシリルを怪訝に思いつつも、雫は次の一手を考え始める。
 相手の戦力を削いだとはいえ、未だ盤面は雫の不利。
 熟考して次の手を打たなければ確実な惨敗が待ち受けている。

 雫が活路を見出すべく頭を捻っていると、シリルはどこか楽しげな声音で告げた。

「ふふ、いくら考えても無駄ですわよ?」
   
「は……? あ、このままだと奇兵に皇帝取られますね。
なら、後ろに逃げる……と竜騎士になった剣士に取られ、横に逃げる……と騎馬に取られ、
前に進む、と魔法兵が待ち構えてる……って、負けてるぅっ!?」

 改めて盤面全体を見渡し、雫は悲鳴を上げた。

 気付かぬ間に、皇帝の逃げ道が全て閉ざされていた。
 シリルの皇帝が一手でとれる位置にあるわけでもない。
 問答無用の、完全敗北であった。

「もう少し視野を広げるべきですわね。肝心な皇帝の守りがおろそかになりがちですわ。
あそこで竜騎士を取りさえしなければ、後三手は持ち堪えられましたのに」

 悔しさに頭を掻きむしる雫を眺めながら、シリルは穏やかに忠告した。
  
 雫は、ゲーム全体を通して意識が攻めに傾きすぎていた。
 勿論攻撃的な戦略が悪いわけではないのだが、そのせいで守りがおろそかになるのはいただけない。
 攻撃偏重にしても、最低でも皇帝の逃げ道には常に意識を配らねばならない。 
 まだまだ、雫はシリルの相手が務まる次元ではない。
 
 とはいえ、初心者相手としてはそこそこ楽しめたというのも事実だった。
 
 守りはシリルから見れば穴だらけだったが、攻撃はなかなか良かった。
 心の死角を突き、混乱を誘い、執拗なまでに攻め続けてくる。 

 防御がもう少し固まってくれば良い対戦相手になりそうだった。
  
「ううっ、海人さんとやってる時はこんなに強く見えなかったのにぃ……」

「ふふ、上位ドラゴンより弱いからと言って、下位ドラゴンが蟻に負ける道理もないでしょう?」

 雫の失礼な発言を、シリルはあっさりと受け流した。

「うう……あたし、蟻ですか」

「ただの例えですわ。付け加えるなら、カイトさんは上位ドラゴンなんて可愛いものではありませんわね。
それを幾万も従える御伽噺の大魔王ですわ」  
 
「うわお、そこまで差がありますか」

「それはもう。頭を使った勝負ではとても勝ち目はありませんわね。
無論、死ぬまでに一度は土をつけて差し上げるつもりですが」

 闘志を滾らせ、暗い笑みを浮かべる。

 勝ち目が微塵もない。そんな事は百も承知だ。
 勝ったところでどうというわけでもない、これも分かりきった事だ。

 しかし、しかしだ。
 腕に覚えのある分野で毎度絶対的な完敗を喫して開き直れるほどシリルのプライドは安くない。
 例え大まぐれの一度であったとしても、あの化物に一矢報いねば気が済まない。

 その為なら万の単位の敗北すらも受け入れよう。
 その末にただ一度でも土をつけることが出来ればそれで本望。
 
 そんな無駄に凄絶な覚悟を持って、シリルは遠い未来の勝利を誓っていた。

「凄い気概ですねぇ……じゃ、気を取り直してもう一戦お願いしまーす」

「受けて立ちますわ。ところで、何か話したい事が御有りなのでは?」

「ありゃ、バレてました?」

 言いながらおどけたように笑う雫に、シリルは苦笑を向けた。

 この対戦は雫から誘ってきたのだが、単にディルステインをやりたいだけなら、もっと手頃な相手がいる。
 刹那は雫と同じく初心者だし、自分より強い相手とやりたいだけならルミナスがいる。
 何も大人気なく全力を出してくる事が目に見えているシリルを選ぶ必要は無いのだ。 

 何かの意図がある事は、見え透いていた。

「それで、どんな御用件ですの?」

「や、ルミナスさんの事なんですけどね。放っといていいんですか?」

 駒を進めながら、問いかける。

 ルミナスの様子は、少しおかしい。
 よく観察していなければ気付かない程度に押し隠してはいるが、
一定条件を満たした人間が海人の側に寄ると、それだけで機嫌が傾いている。

 どうも本人はその理由に気付いていないようだが、このままではあまり良くない結果に結びつく可能性もある。
 
「現状、どう足掻いても進展はありえませんもの。
それでいちいち一喜一憂していては身が持ちませんわ」

 溜息を吐きながら、シリルは駒を進めた。

 ルミナスの異変には、シリルとて気付いている。
 非常に不本意ではあるが、その理由も。

 というより、雫が気付いてシリルが気付かぬ道理がない。
 その付き合いの長さだけでなく、常日頃から誰よりもルミナスを観察しているのだから。
 
 が、こればかりは分かったところでどうにもならない。
 
 ルミナスが気付かない理由は、無意識でその答えを拒絶しているからだろう。
 気付いてはならない答えだと無意識が結論を出し、感情を強引に封じ込めているのだ。
 
 ――――そして、それは間違いなく最善だ。

 一度気付いてしまえば、もはや否定する事はできない。
 複数のどうにもならない残酷な現実がより重く圧し掛かり、ルミナスの心を極限まで圧迫するだろう。
 どれか一つでも打破の道があれば救いもあるが、どれもこれも当面時間以外の解決手段がない。
 
 ならば、気付くべきではない。
 傭兵という一瞬が生死を分ける職業において、その心の負担は致命傷になりかねない。
 時が経てば救いが見えるはずだというのに、わざわざ死期を早める意味はどこにもない。

 ゆえに、放置する。
 全員の幸せの為、何よりもルミナスの命の為に。
 本人は苦しいだろうが、それでも気付くよりはマシだと信じて。
 
 それがシリルの選択だった。

「大人ですねぇ。でも進展がありえないとまでは思えませんけど?
可能性は低そうですけどね」

 怪訝そうに、雫はシリルに問いかけた。

 雫の持っている情報を総合すると、確かに進展は難しいが進展しないとも言い切れない。
 少なくとも、ありえないと断言できるほどの根拠はどこにもなかった。

「現状では、まずありえませんわ。この認識の違いはおそらく持っている情報の差ですわね。
ですが、あまり詮索はなさらないように」

「……そんな深刻な問題が?」

「ええ。少なくとも私が勝手に喋っていい類の話ではありませんわ。
捕捉しますと、私が知っているのは私の浅慮な愚行の結果。
信頼の度合いとはまるで関係ありませんので、そこは御心配なく」

 自嘲しつつ、シリルは駒を動かした。

 シリルは雫が持っていない情報を、正確に見極めていた。
 今の状況で進展の可能性が僅かでもある、と考えているという事はルミナス側の問題しか考えていないという証左。
 海人の側に問題があるとは考えていないからこそだ。

 つまり、雫は海人という男を知る上で極めて重要な存在を知らない。
 
 とはいえ、それはシリルが語って良い類の話ではない。
 浅慮故にその傷を暴いてしまっただけでも万死に値するというのに、
それを勝手に話すなど、まさに外道の所業。
 シリルはそう自戒していた。 

「……そうですか。でも、やっぱり知らない事ばっかってのは気になるんですよねぇ」

「私達も似たようなものですわ。考え始めるとキリがないので考えないようにしているだけです。
どうせあの秘密主義者は詮索してもはぐらかすでしょうし」

「ですねえ。でも、その秘密主義からすると」

「あのメイド達は哀れですわね。どう足掻いても報われるはずのない思いですもの。
もっとも、見返りはあるでしょうが」

 心底気の毒そうに、シリルは呟いた。

 遠目から見ても、昨日のメイド達の半分程は目に情熱が宿っていた。
 相当気合を入れて、海人にアプローチしたのだろう。

 が、それが彼女達の思うような形で報われる事はまずない。

 海人の秘密主義は、長らく同居していたルミナスやシリルにさえ適用される物。
 シェリスの部下であればより厳しく適用される事は疑いようもなく、
猜疑心が強い性格と合わせて考えれば、恋愛関係どころか友人関係になる事さえ相当な年月がかかるはずだ。

 救いは、何をやってもさしたる手応えがないはずなので、早期に諦め易いという点。
 向けた好意の分、何かしらの恩恵は期待できるという点ぐらいのものだ。 

「確かに。それはそうと、シリルさんはどうなんです?」

「……私が願うのは、お姉さまの幸福ですわ。それこそが最優先。
無論、私も幸福になりたいわけですが」

 はあ~、と肺ごと吐き出すかのような、深い溜息を吐く。
 その仕草は、大きな落胆と共にそれをどうにか受け止めようとする器量も滲み出ていた。

 そんなシリルを、雫は敬意を込めた目で見つめる。

「シリルさんって凄いですねぇ――あたしがその立場だったらもっと取り乱しちゃいますよ」

「醜い人間になりたくないだけですわ。己の為に身内を貶めた屑共を知っておりますので。
己が幸福の為に大事な人の幸福を奪うなど、もってのほかです」

 ギリ、と歯軋りの音が鳴る。

 正直、今からでも海人とルミナスを引き離したい思いはある。
 それが無駄であっても、やってみたい気持ちは。

 しかし、それだけは出来ない。
 シリル・メルティの名に懸けて、そんな恥知らずな真似だけは絶対に出来ないのだ。
 そんな事をするぐらいであれば、いっそ自決した方がマシだった。   

「……なるほど、シリルさんもいろいろ事情があるんですね」 

「さしたる事情ではありませんわ。どこにでも転がっている、腐った話にすぎません。
まあ、そのせいで色々面倒な事にはなっていますが」

 ふ、と物憂げに溜息を吐く。
 幼い外見に似合わぬ、疲れ切ったような仕草だ。
  
「必要な時は巻き込んでくださいねー」

「……巻き込まないでください、の間違いでは?
一応言っておきますが、下らない話でも巻き込まれると洒落になりませんわよ」

 怪訝そうに、雫の顔を見つめる。

 言葉は軽くしたが、シリルの事情はかなり厄介だ。
 言葉の裏に潜ませたその意味を感じ取れない程鈍くはないと思っていたので、雫の反応は若干意外だった。

「あたしだけならそれでも良いんですけどね。
うちには甘い人間が二人も揃ってますから。
特にどこぞの身内にだだ甘な人は、シリルさんに何かあったらどんだけ嘆く事やら。
やるだけやって駄目なら諦めもつくと思うんで」

 困った身内です、と付け加えて雫は微笑んだ。
 その優しげで可憐な笑顔に、シリルもまた微笑みを返した。 
 
「……ふふ、では、いざという時は巻き込ませていただきますわ。
その際にはシズクさんの頼みで巻き込んだ、と言いますのでそこは御了承下さいませ」

「あっはっは。御褒美貰えるかお仕置きされるか、どっちになるでしょうかねー」

 笑いながら、雫はゲームに集中し始めた。
 シリルもまた同様に、何事もなかったのように駒を進めた。  
 

























 メイベルは、若干不機嫌な状態でシェリスの部屋の前に立っていた。

 不機嫌の主たる理由は、海人の反応が予想より芳しくない事だ。
 後輩達を利用して昼食に誘って自信作のサンドイッチを御馳走し、
授業時間後の休憩時間にも雑談に誘い、そのついでにさりげなくアプローチもしたのだが、全て完全な不発。
 一応好感は得られているようだが、単に御馳走になった事への感謝と会話で一応親睦を深めた以上のものは感じられなかった。

 そこで次は少し大胆に迫るか、はたまた予定通りじわじわと責めていくか悩んでいたところに、急な呼び出し。
 熟考中の思考をぶった切るような事をされて、気分が良いはずもなかった。

 とはいえ、そこはれっきとした成人女性にして猫被りの達人。
 軽く目を閉じて心を鎮め、いつも通りの軽い笑顔を張り付ける。

 仕上げに手鏡でしっかりと普段通りを装えている事を確認し、メイベルはドアをノックした。
 判事が返ってくるのを待ち、静々と部屋に入る。
   
「何かしら、シェリス様?」

「カイトさんに関しての首尾を聞いてみようかと思ったのだけど……不機嫌そうね?」
 
「あら、分かるの?」

 軽く、目を見開く。
 
 入室前に手鏡で確認した時の表情は、完璧だった。
 猫を被った表情ではなく、自然体の笑顔。
 洞察力に優れたシェリスとはいえ、まず見抜けないという自信があった。

 珍しく本気で驚いているらしい部下に、シェリスは薄く微笑んだ。

「最近はローラの機嫌も多少分かるようになったもの。
貴女の機嫌ぐらいは分かってしかるべきでしょう?」

「ふふ……この間の悪戯といい、その観察力といい、三年で随分成長したじゃない。お姉さん嬉しいわよ?」

 一歩踏み出し、シェリスの頭を撫でる。
 その仕草からは普段の悪戯っぽさが鳴りを潜め、姉が妹を慈しむかのような優しさが漂っていた。
 
「まだまだ修行が足りないけれどね。それで、聞かせてもらえるのかしら?」

「ふふ、個人的な話は黙秘させていただきます」

 恭しく一礼し、メイベルは明確に拒絶した。

 個人的な色恋沙汰に関していちいち報告する気はない。
 それがシェリスに悪影響を及ぼすとでも言うのならやぶさかではないが、
現状は好感を持たれているはずだった。 

「あら、悲しいわね。未熟者がそれなりに成長した事への御褒美はないのかしら?」

「あらあらここで更に押す、か。本当に成長したわねえ……」

 嬉しそうに、主の頬を撫でる。

 三年見ぬ間に、シェリスは随分と成長していた。
 以前であれば、その慎重すぎる性格ゆえに己が敵わぬ相手にはあまり深く追求できなかった。
 それが苦手意識を持つメイベルを相手に突っ込める程になっている。
 これは、なかなかの成長ぶりだ。

 彼女の言う通り、御褒美をあげたくなってしまう程に。

「……ふふ、いいわ。ざっくりと報告してあげる。
現状まるで変化なし。さりげなくそそる仕草を見せたりもしたけど、さらっと流されたわね。
好みの問題かと思ったけど、後輩達の態度も軽く流したからそれは関係なさそう。
態度からして、男色とかの可能性も無し。
ここまでならただの鈍感か堅物で済むんだけど……」

 そこで、言葉が途切れる。

 今言った内容だけなら、問題はなかった。
 男を誑し込む術にかけては、二十年以上の年季がある。
 それらの経験と技術をもってすれば、いかなる鈍感も堅物も突き崩せぬ事はない。
 
 前者は自覚させる事で、後者は僅かでも崩す事で一気に最後まで持っていく自信があった。

「けど?」

「あの態度、感じてないんでも堪えてるんでもなく、余裕があるって感じなのよ。
多分、相当女慣れしてるんでしょうね」

 思いっきり、溜息を吐く。

 今まで観察した限り、海人の女性に対する態度には一切の不自然さが無い。
 美女揃いのメイドに囲まれていた時も無理に堪えている様子はなく、
かといってその男冥利に尽きる状況をなんとも思っていないわけでなく、 
ただ泰然たる余裕を持って受け流していた。

 授業後の休憩時間の会話の時に艶話を向けられても軽く流していたし、
その折に冗談めかして腕を取られ胸を押し付けられた時も慌てるでもなく、
喜ばないわけでもなく極めて自然体であしらっていた。
 
 とはいえ、ここまでならまだ鈍感という可能性もあった。
 自分に向けられる好意を実際より少なく見積もっていれば、ありえない話ではない。 
 
 が、艶話を向けられた時の態度がこれ以上なくそれを否定していた。
 
 昨日は些か初心なメイドが一人混じっていたのだが、
受け答えに当たっては彼女が若干頬を赤らめる程度の言葉になるよう調整していた。
 偶然か確認するため、それとなくそちらの方向に話を数度持っていったのだが、結果は全て同じ。
 少々あからさまな話を振った時でさえ、不自然さを感じないよう巧みに話を和らげていた。

 人の感情に鈍感な人間なら、ああも細やかな気遣いは出来ない。

 しかも海人は会話全般において普通に話しているように見せつつも周囲の反応を観察し、
少しでも蚊帳の外になっている人間がいればさりげなく話を向けて輪に取り込んでいた。
 これを鈍感と呼ぶのなら、敏感な人間は世界でも一握りだろう。

 つまり、海人は教師としての矜持で色欲を押さえている堅物でもなく、
自分への感情を感じない鈍感でもなく、純粋な熟練で美女のアプローチを受け流していると考えられる。
 そして同時に教師としての節度も弁えている為か、それと悟られぬ程度に一定の距離感を保っている節がある。
 少し突っ込んだ話をしようとすると、さりげなく、あるいは冗談めかして話題を変えられてしまうのだ。 

 落とすに当たって特別有効そうな手段がない上に、一定以上に踏み込まれないよう注意を払われている。
 こうも面倒な要素が揃っているとなると、不可能ではなくとも確実に難攻不落である。
 溜息の一つも出ようというものだ。

 ――――だが同時に、メイベルはそれを喜んでもいた。
 
 相手が難敵であればある程、事が成った時の快感は増大する。
 そして、海人はおそらく過去最高の難敵だ。
 事が成った時どれほどの達成感が得られるか、今から楽しみで仕方なかった。
  
「ふむ……可能性は考えてたけど、貴女がそこまで言うって事は相当ねぇ。
どんな人生送って来たのか、本気で気になるわね」

「あら、その口ぶりからするとシェリス様もカイト様の素性は知らないのかしら?」

「素性どころか、ほとんど何も知らないわよ。
色々規格外な能力と比較的真っ当な性格のおかげでこの上なく有用な方だって事ぐらいね」

 些か大仰に肩を竦める。

 事実、シェリスは海人に関して何も知らないも同然だ。
 知っているのは魔法が使われていない地域――おそらくは未開の大陸の出身だという事。
 そして空間魔法系の古代遺産によってこの国に飛ばされたのだろうという事。

 正直、どちらも眉唾な話なのだが、あの怪物が今まで世に知られていないという事自体が異常極まりない。
 そして古代遺産は新たに発見された大陸などでも見つかっているので、絶対にありえない話とも言えない。

 が、シェリスにとってそれ自体はどうでもいい事だった。
 平穏を望んでやまない海人がああも落ち着いている以上、彼が重大な厄介事を抱えている可能性はない。
 海人が信頼に値する人格の持ち主であり、詮索を望んでいない以上、捨て置くべき事だ。
 
 ――――なによりも重要なのは、世界の理不尽を体現するかのような海人の絶対的な能力。

 未だ全貌が掴めず、碌に活用されていないそれを引き出す。
 そしてこの国の為に活用する。それこそが最重要なのだ。

 今回メイベルを止めないのも、その一環なのである。
     
「随分信頼してるみたいね?」

「今まで行動で示されてるもの。実は今この屋敷でそれを知らないのは貴女だけなのよねぇ」

 からかうように、笑う。

 今この屋敷で最も海人に関する情報を持っていないのは、間違いなくメイベルだ。
 他の者はほぼ全員が海人が今まで何をしてきたかを知っているが、例外なく口止めされている。 
 かといって他で情報収集しようにも碌な情報は集まらない。
 海人本人の秘密主義、交友関係の少なさによって、深く知る者は殆どいないのだから。 

 そして、それはメイベルも気付いているはずだった。
 彼女の性格からして情報収集していない可能性はありえず、
情報を持つ人間は誰もが口を閉ざしたはずなのだから。

「ええ、見事なぐらいに情報統制されてるわね。
だからこそ直接接して情報を集めるしかない……私の情報収集を期待してたのかしら?」

 探るように、主の瞳を覗き込む。

 メイベルは、海人と会った日からずっとシェリスの意図を考えていた。
 そして思いついた意図の一つが、海人に関する情報収集だ。

 男を落とすに当たって、メイベルは色々な情報を集める。
 その中の一つが、相手の男の趣味嗜好。
 メイベルは本人ですら気付いていないそれを見極め、落とす材料に使う。 

 こればかりは、シェリスといえども易々とは集められない。
 数々の男を弄び、数多の経験を積んだメイベルだからこそできる事だ。

 そして、それを狙っていたのであれば、今日の呼び出しも頷ける。
 回数が少ないとはいえ、メイベルが動いて何の情報も手に入れていないなどありえない。 
 交渉によって情報を引き出そうとしていた可能性は十分考えられる。

「さて、どうかしらね。分かりきった結果は計算の内に入らないと思うけど?」

 若干挑発めいたシェリスの返答に、メイベルの目つきが細まった。
 そこには氷のような冷たさがあり、見る者を震え上がらせる迫力が宿っている。
 
 が、シェリスは臆することなく苦手な部下の瞳を見つめ返す。
 怯える事なく、揺るぐ事なく、ただ真っ直ぐに。
 掌にじっとりと汗が滲んでいる事を感じさせぬ程に。
    
 しばし無言の睨み合いが続いたが、やがてメイベルが微笑んだ。

「――――ふふ、身の程を忘れたわけじゃないみたいで何よりだわ」

「当たり前でしょう? 私如き凡人が身の程を忘れたら、身の破滅だわ。
それで、手強い相手をどう攻めるかは決まってるのかしら?」

「……ん~、いっそ夜這いついでに素を暴露してその勢いのまま押し倒すってのも面白いかと思うんだけど」

 クス、と艶っぽい笑みを浮かべ、海人の屋敷の方向へ視線を向ける。

「お願いだから止めて頂戴」

 メイベルの言葉に、シェリスは即座に止めた。

 海人の屋敷に夜這いに行く。どう考えても自殺行為だ。
 あの超人達の住処で実行は不可能だろうし、最悪侵入者として有無を言わさず殺されかねない。
 大事な部下をそんな無謀で得る物の少ない博打で失うわけにはいかない。

 ただの冗談だとは思っているのだが、それでも止めずにはいられなかった。
 メイベルの行動力を考えると、本気の可能性も否定できないのである。
 
「ふふ、冗談よ。あんな化物屋敷に忍び込むほど無謀じゃないわ」

 成長はしてもまだまだ可愛らしい主に、メイベルは優しく微笑みかけた。 





テーマ:*自作小説*《SF,ファンタジー》 - ジャンル:小説・文学

コメント
ちょっと慎重すぎるかな
いやー、期待していなかったのに更新されていたので、ちょっと本音を。
もうちょっと、はっちやけると思っていたんですけど。自重気味かな。
今回、バネを重ねた分だけ、次回を期待します。
あっ、次回が三週間後でも、四週間後でもかまいません。
実は、私もインフルエンザA型で、2月5日から1週間は死んでいました。
くれぐれもご自愛をしてください。
[2012/02/21 01:10] URL | hatch #QGsADGPw [ 編集 ]

伏線勃発…
お久しぶりです。

水面下で動きを…かと思いきや何やら一時休憩みたいな雰囲気に…(遠い目

ルミナスのある意味での覚醒は個人的にかなりして欲しい所ではありますが、それがカイトの幸せに繋がるのかも問題ではあるけれど、そのまま封印し続けてもその内暴発しそう…

シリルは感情的意味合いでの板挟みな立場だけども伏線かましてるし…(汗

まぁでもそこは思いっきり巻き込んで魔王様ご降臨というのも面白そうですけども…(ニヤリ

メイベルは…うん…ある意味での当て馬的存在になりつつありそうな気がしてならない…
でもそれだけでは絶対終わらないんでしょうけども…

次回からははっちゃけるのかそれとも今回みたいな大人しめなのか…楽しみに待っています。

PS、この季節はインフルエンザとか雪とか色々ありますのでくれぐれもご自愛ください。(ペコリ
[2012/02/21 14:30] URL | リョウ #X5HgHQV. [ 編集 ]


万年筆の下りですが「睨まれながら交渉はできない」や「交渉は気持ち良くしたい」などの伝言と一緒に万年筆を届ければシェリスは利益のために気合と根性で感情を抑えると思うのですが、そのような解決はできないのですか?
ルミナスは子供みたいに感情に気づいていないと思っていたのですがそのような裏があるとは考えつきませんでした。実際のところこの章で何らかの変化があるのでしょうか?

一時ごろに更新するとは思ってもいませんでした。
くれぐれも無理はなさらぬようお願いします。
次回の更新もお待ちしています。
[2012/02/21 15:48] URL | fuji #- [ 編集 ]


更新まっていました

なにか事件が起きそうな気配がバリバリしますね。
ラブコメ風な話なのになぜかガチバトルが勃発しそうです。

メイベルによるカイト分析が着実にすすんでますね、事を起こす前にカイトの好みが判明して亡くなった嫁さんとの過去バナになったりしなかったりしますかね?
[2012/02/21 21:18] URL | 連恋々 #h2YGRmSs [ 編集 ]


おっと、以前仰っていた情報格差が表れてきましたね、雫とシリル。
素性と女性遍歴という差が、これからどう広がっていくのか楽しみです。

計算機はともかく、万年筆でも面倒が起こりますかー。
カイトに書類を割り振らないと、支障が出るレベルのシェリスさんちには
少しだけ便利なアイテムを提供してあげたくなる心情になりますね。
彼に書類の計算依頼してるうちは、カイトがその気にならないかもしれませんけど。

[2012/02/23 04:31] URL | Vebulid #CjlWd7YA [ 編集 ]


ルミナス嬢は早く自分の気持ちに気がつくと良いですね。

で、万年筆ですが・・・。
いらっとしたので作ったとでもいえばいいかと。
[2012/02/24 03:57] URL | #- [ 編集 ]


ルミナスは可愛い。可愛いは正義。あとは自分の気持ちに気がついて素直になるだけ。
あと、メイベルはピエロ状態w
正直メイベルを選ぶくらいならシェリスやローラ、シャロンを選びますなw
個人的にはシャロンがお気に入りなので出番が増えると嬉しいですね。
[2012/02/26 21:57] URL | 隆広 #AbS.6.bQ [ 編集 ]


ローラをもっと出してくれぇぇぇぇぇ!?
[2012/03/09 02:05] URL | #- [ 編集 ]


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