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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編1~5
 番外編その一





 海人の屋敷の庭。昼の太陽が緑を眩く照らしている。
 日差しはぽかぽかと温かく、昼寝には良い陽気。
 庭一杯に広がる緑の上で眠ったら、さぞかし心地良いだろう。

 そんな中で、雫は目の前の物に心を奪われていた。
 眠気など一切感じない真剣な表情が向けられているのは、パタパタと揺れる大きな尻尾。

 雫の腕よりも太く見えるそれは大量の銀毛が生い茂り、幻想的とも言える美しさがある。
 それだけでなく整った毛並みは実に心地良さそうで、柔らかそうでもある。
 それを手に取って心ゆくまで楽しんでみたい。それはある意味当然の欲求だと言えた。

「――――えやっ!」

 雫が掛け声よりも早く手を伸ばすが、その手は虚しく空を切った。
 尻尾の持ち主であるフェンが、僅かに早く尻尾をくるくると巻き上げた為に。  
 
「そんなに気合を入れては、駄目。フェンは怖がりだから」

 騎獣の毛をブラシで梳きながら、ラクリアは淡々と告げた。

 カイザーウルフという名前とは裏腹に、彼女の騎獣は少し怖がりだ。
 警戒心が強いという事もあるのだが、僅かな物音にも過敏に反応する事がある。
 今の雫のように、勢い込んで尻尾を掴みにかかれば逃げるのは当然であった。

「う~~、でも普通に触ろうとしても逃げちゃうじゃないですか」

「元々、大半の魔物は飼い慣らしても飼い主以外には体を触らせたがらない。尻尾は、余計に」

 答えながら、すっすっと手慣れた様子で毛を梳かす。
 一箇所が終わるとまた別の箇所、といった具合でフェンの巨体をくまなくブラッシングしていく。
     
「えーっと……諦めろって事ですか?」

「すぐには無理、というだけ。相手に慣れてくれば体を触らせる事もある……らしい」

「らしいなんですか!?」

「フェンが触らせるのは家族だけだったから、分からない。
でも、ルクガイアの貴族の多くは騎獣の手入れを使用人に任せてたはず」

 取れた毛を押し固めて、袋に放り込む。
 そのままラクリアが立ち上がると、フェンは体をひっくり返して反対の面を主に向ける。 
 
「躾が行き届いてますねぇ」

「フェンは賢いから。それに、ブラシかけてもらうのが大好き」

「あたしがブラシ持ったら触らせてくれませんかね」

「まず、無理。フェンは私以外にブラシをかけさせないから」

 雫の言葉を、ばっさりと切り捨てる。
 淡々とした言葉だが、その口調には僅かに申し訳なさが漂っていた。

「くうう……その毛並み、もふもふしてみたいのにぃぃ~~」

「諦めろ。というか、お前は特に無理だろう」

 悔し涙を流す妹に、今まで静観していた刹那が口を開いた。

「む、どういう意味?」

「恐怖からか、お前が側に寄ると少し体が硬直している。そうでしょう、ラクリア殿」

「うえっ、そうなんですか!?」

「……ん。少しだけ、だけど」

 申し訳なさそうに、小さく頷く。

 黙ってはいたが、フェンが触らせない最大の理由は雫を恐れている為だという事は分かっていた。
 なにしろ、彼女が近づいた途端に体が硬直する。
 遠目に見れば身動ぎにしか見えない程度なのだが、触っていればそれが怯えに由来する物だと感じ取れてしまう。
 
「あうう……やっぱり最初に殺気ぶつけたのが良くなかったのかなぁ……」

「まあ、それが最大の原因だろうな。慣れる程の時間もなかろうし、素直に諦めろ」

 ポンポン、と妹の頭を撫でながら、優しく諭す。
 
 初めてフェンと対面した時、雫は強烈な殺気で彼の動きを縛った。
 それ自体は、責められる事ではない。殺意を向けられた状況下でフェンを殺さずに済ます為の行為だったのだから。
 むしろ、姉としては拍手喝采してやりたいぐらいの成長ぶりだ。 

 が、なにぶん半端な武人なら昏倒しかねない殺気。
 慣れている、しかも直接向けられていない刹那でさえ身構える程のそれをぶつけられては、後々怯えが残るのも仕方ない。
 そして、それは一朝一夕で拭えるような生易しい物ではないのである。

 そんな姉の正論に雫は思いっきり肩を落としていたが――――唐突に顔を上げた。

「ふ……所詮この世は弱肉強食だよね」

「待て、何をする気だ」

 不穏な気配を漂わせ始めた妹に、問いかける。
 半ば、これからの行動を予想はしつつも。 

「知れた事――――フェン君殴り倒して強引にもふもふする! あっちは手負いなんだから超余裕!」

「ウォンッ!?」

 唐突に戦意を向けられたフェンが、怯えて飛びのいた。

 一応唸ってはいるものの、傍目から見ても及び腰である。
 元々怖い相手に手負いの状態で襲われるとなれば無理もないが。

「ふっふっふ、さあ選んでもらおうかな――――大人しくもふもふさせるか、昏倒してもふもふさせられるかぁっ!」

 言うが早いか、雫の体が跳躍する。

 フェンは咄嗟に逃げようとするが、それよりも雫の速度が速い。
 いかに世界最速と呼ばれるカイザーウルフとはいえ、
足を怪我した状態でトチ狂った性能の加速魔法の加護を受けた超人に敵うはずもない。
 
 無慈悲なる強者の拳が哀れな魔物に襲い掛かろうとしたその時、

「やめんかぁっ!」

 更なる強者の蹴撃によって、雫の体がはるか遠くへ飛んで行った。
 具体的には、魔物が跋扈する屋敷裏の森まで。

 視界から消えた妹など気にも留めず、刹那はラクリアに頭を下げた。

「申し訳ありません、ラクリア殿。妹が御迷惑を……」

「ん、気にしないで――――むしろ、あの子が大丈夫?」

 心配そうに、雫が飛んで行った方角に目を向ける。

 魔物が跋扈するとはいえ、低位の魔物ばかりなので雫の実力なら心配ないのだが、
あの威力で蹴り飛ばされて意識を保っているかどうかという問題がある。
 
 いかに超人でも完全に気絶した状態では魔物の相手は務まらないだろう。
 ラクリアはそう思っていた。

「御心配なく。鍛えていますのであの程度なら意識は飛びませんし……万が一飛んだとしても、
雫なら襲われる前に殺気に反応して飛び起きます」

 そう自信を持って断言する刹那に、ラクリアの表情が少し引き攣った。

 自分なら受けた瞬間、文字通り体が粉々になりそうな一撃。
 それで意識が飛ばないという事もさることながら、飛んだとしても襲われる前に飛び起きるというのは彼女の常識外だ。

 あまりにも物騒な超人姉妹に慄いていると、森の方から何かが超高速で飛んできた。 

「甘ぁぁぁぁぁいっ!」

「ぬおっ!?」

 弾丸のように飛来した攻撃を、ギリギリで両腕で受け止める。
 相当な加速が乗った一撃だったはずだが、半歩分ほど下がった所で勢いは完全に殺されていた。

「ちいっ、防がれたか……!」

「……まさかここまで早く帰ってくるとは」 
   
「ふっふーん、毎度毎度やられてばっかのあたしじゃないよーだ! どうだ、驚いたかぁっ!」

 堂々と胸を張る雫。

 姉との実力差は、うんざりするほどに歴然としている。
 不意打ちに限れば、姉の予想は滅多に覆らない程に。
 
 ギリギリで姉の動きに気付いたなど運の要素も多分にあったが、誇らしい成果ではあった。
 
「ああ、とても驚いた。良い成長ぶりだ、誇らしいぞ」

「……あ、あれ? 悔しくないの? お姉ちゃんの予想覆したんだよ?」

「妹の成長を喜ばん姉がいるはずなかろう」

 呆けている妹に近寄り、優しく頭を撫でる。

 嘘偽りのないその態度は、それだけに掛けられる者の照れを促す。
 雫もその例に違わなかったのか、顔を赤く染めて俯いていた。

 それに気を良くしたかのように刹那は妹を抱き寄せ、さらに優しく撫でる。
 雫もまた、姉に甘えるように体を摺り寄せていった。
 
 まさに、仲良し姉妹の微笑ましい情景。
 両者の容姿が優れている事もあり、画家が見れば思わず絵に描いてしまうような光景だ。
 これほど心温まる風景は、そうそうないだろう。  

 傍で見ていたラクリアが思わず頬を緩めていると、

「――――とはいえ、だ。懲りずに隙を窺っている妹にはお仕置きが必要だな」

「うげっ、バレた!?」

 冷たい言葉と共にかけられそうになった絞め技を回避しつつ、雫は呻いた。
 豹変した妹の態度を気にも留めず、刹那は追撃に移る。

 妹の襟首を掴みそのまま投げにかかるが、雫は咄嗟に服を脱いで回避した。
 そのまま若干体勢を崩した姉に拳を放つも、軽く受け止められ、今度こそ投げられる。
 性懲りもなく雫が地面に転がりながら姉の足を絡め取ろうとするも、
一瞬早く刹那の両足が持ち上がって妹の腹部に突き刺さった。
 痛みを堪えながら雫は渾身の力で腹に乗った姉を弾き飛ばし、それと同時に立ち上がる。
 
 一瞬の、睨み合い。

 直後、両者の姿が掻き消え無数の打撃の応酬が始まった。
 超高速の拳と蹴りが飛び交い、時折頭突きも交わされている。
 数秒前のほのぼのとした空気はどこへやら、場はすっかり打撃音と風圧が飛び交う戦場と化してしまった。

 そんな光景を眺めながら、ラクリアがポツリと呟く。
 
「一応……喧嘩する程仲が良い、という事でいいのかしらね?」

「キュウ~~ン」

 主の問いかけをよそに、フェンは早く逃げようとばかりに主の裾を引っ張っていた。  



 番外編その二



 その日、スカーレット・シャークウッドは待ちに待った休暇に浮かれていた。

 勤め先が尋常ではなく忙しい屋敷である事に加え、料理長という立場上あまり休めない。
 しかも休暇は絶対に婚約者と過ごすと決めているので、互いのスケジュール調整が大変になる。
 副料理長の説得からなにから、散々苦労して勝ち取った至福の一日。

 これで浮かれないはずがない。
 そんな彼女にとっては、約束の時間にもかかわらず爆睡している婚約者も可愛らしいものであった。
 
「ほらほらゲイツ、とっとと起きな! もう八時だよ!」

「は、八時……? だあああああああっ!? 悪いっ! まだ着替えてねえ!」

 ベッドから飛び起きて、婚約者に土下座するゲイツ・クルーガー。
 大きな体を小さく丸めて平身低頭しているその様は妙に情けないが、
これでも世間では一流と呼ばれる冒険者である。
  
「んなもん見りゃ分かるよ。ほら、待っててやるからさっさと支度してきな。
それとも、昔みたいに脱がすぐらいはしてあげた方が良いかい?」

 クスクスと笑いながら、何かを引き下ろすような動作をするスカーレット。
 その意味するところを瞬時に悟り、ゲイツは慌てて浴室に駆け込んだ。
 
「やれやれ、本当に昔っから落ち着きがないねぇ……あーあ、部屋も散らかりっぱなしだね」

 ぶつくさ言いながらも、服が汚れないよう気を付けながら丁寧に部屋を片付けていく。

 冒険者の部屋らしく様々な道具が置かれているが、扱いには困らない。
 ゲイツと付き合っているうちに一通りの道具の扱いは覚えたし、
仕事場の関係でもっと危険な物の扱いも数多く知っている。
 
 各道具を取りやすい位置に綺麗に陳列し終えると、今度は脱ぎ散らかされた服に手を伸ばす。
 頑丈な素材で無事な物は洗濯籠に放り込み、引き裂けた衣服で修繕可能で汚れの少ない物は木箱に移し、
引き裂けて修繕不可能、あるいは汚れの酷い物はゴミ箱に叩き込む。

 ゲイツが体を洗って着替えてきた頃には、綺麗さっぱり片付いた部屋が広がっていた。

「お、片付けてくれたのか。いつもありがとな!」

「たまにはあたしがやる前に自分で片付けなっての。さ、デート行くよ!」

 無邪気な顔で笑う婚約者の頭を軽く叩くと、スカーレットは彼の腕を取って楽しそうに歩き出した。

 
 

  











 町からしばらく歩いた草原。
 太陽は真上に上り、心地よい風が吹き抜ける爽やかな天候。
 暑すぎず寒すぎない適度な気温と相まって、何とも清々しい場所。

 そのど真ん中で、一組の恋人が昼食を楽しんでいた。

「いや~、たまにはこんな昼食も良いもんだなぁ~。
仕事中は景色楽しめる事滅多にないからなぁ」

 サンドイッチを頬張りながら、嬉しそうに目を細める。

 仕事で草原に行く事は多いが、大概は凶悪な魔物を追っかけていたり、追いかけられたり、
あるいは無数の草の中に埋もれた一輪の花を見つけたりと面倒な仕事が多く、景色を楽しむ余裕はない。
 なにしろ、仕事が終わった頃には汗だくで日がとっぷり暮れている事ばかりなのだ。

「こらこら、良いのは場所だけかい?」

 感慨にふけっている恋人の頬を、軽く抓る。
 言われるまでもなく分かっていても、言ってほしい事はあるのだ。

「無論、未来の嫁さんの手料理が最高だってのが一番でございます」

 にかっと笑い、恭しく頭を垂れるゲイツ。

 言いながらサンドイッチを頬張るその表情は、なんとも嬉しそう。
 見ている側まで思わず笑顔になってしまう、そんな顔だ。

 スカーレットもその例に漏れず笑顔になる。

「分かってればよし。で、今日の感想は?」

「いつもながらうめぇ。ただ、欲を言えばちっとだけ胡椒効かせすぎかもな。
野菜の香りとかが若干弱く感じる」

 もしゃもしゃと頬張りながら、味を分析する。

 サンドイッチの具は焼いた牛肉と野菜が主体だが、ごく僅かに胡椒が振ってある。
 それがいっそう食欲をそそるのだが、反面折角の上等な野菜の香りが僅かに殺されていた。
 かなり微妙な差なのだが、獣人族の血を引くゲイツは生まれつき嗅覚が鋭く気付いてしまう。

 そんな少し申し訳なさそうな婚約者に気を悪くする事無く、スカーレットはゲイツから一口貰うと軽く頷いた。

「ふむ……確かにそうだね。次作る時は改良しとくよ」

「わりいな。でもあんま気にすんなよ? 間違いなく美味いんだから」

「なに、改良できる事は改良しなきゃね。
料理に関しちゃプロなんだし―――シェリス様の厳しさはあんたの比じゃないからねぇ」

「俺の仕事の方もなー。達成できない仕事は振られねえけど、すんげえ疲れる仕事ばっか振られるんだよなぁ。
いや、収入はでかいし良い経験にはなるんだけどな?」

 二人仲良く、溜息を吐く。

 件の御令嬢は出来た人物ではあるのだが、いかんせん仕事に関しては鬼だ。
 二人共仕事に関しては同業者から厳しいと言われる方だが、彼女には及ばない。
 それを自覚し、厳しい仕事に見合った報酬を用意するので尚の事性質が悪い。

 そんな事を考えていると、ゲイツがふと思い立ったように目を見開いた。

「とっとと、忘れるとこだった。ほい、これ。少し早いが誕生日プレゼント」

 カバンに放り込んでいた木箱を取り出し、スカーレットに差し出す。

「へえ、なんだいこれは?」

「いいから開けてみ」

 にやにやと笑うゲイツを訝しげに思いながらも、スカーレットは箱を開けた。
 そして、その中にある物を見て目をくわっと見開く。

「ロ、ロッツベイリス作のペティナイフ!? うっわこれ欲しかったんだよ!
大分前に作られたって聞いたけど、探しても見つからなくてさぁ! どうやって手に入れたんだい!?」 

 興奮に目を輝かせ、手元の刃物を凝視する。

 ロッツベイリスとは包丁製作で超一流と呼ばれる職人だ。
 偏屈で知られ作品もそう多くないのだが、その切れ味と使いやすさから多くの調理人がその品を求める。
 そんな彼のこだわりの一つとして、あまり小さい刃物は作りたくないというのがある。 
 ゆえにペティナイフは製造本数が極端に少なく、時には実在しないとまで言われる事もあった。

 そんな品が、手元にある。
 シェリスでさえ、部下の為に方々手を尽くしてこれだけは見つけられなかったという物が。 
 
「オーガスト爺さん経由でちっと情報貰ってな。料理人引退するって爺さんに頼み込んで譲ってもらってきた」

 さらりと、重要な情報の大半を伏せる。

 実際は、頼み込んだなどと言う次元ではない。
 引退してもこれだけは手放さないという老人に再び意欲を取り戻させる為に、
採取難度の高さから滅多に市場に出回らない薬草を採取に行ったのである。
 オーガストに大まかな場所は聞いていたが、そこに辿り着くまでは本気で命懸けだった。
 ナイフ一本の為にここまでする意味があるのか、と何度も思ったほどだ。

 唯一の救いは、持っていったらちゃんと約束通り物をくれた事。
 物が物である為、ゴネる可能性も無くはなかったのだ。
 その場合、苦労の分も含めて老人を殴り倒すつもりだったが。

「そっかぁ……いや~、嬉しいねぇ! 愛してるよゲイツ!」

 ぎゅう~っと婚約者を抱きしめ、頬にキスをする。
 その様子はまさに喜色満面。絵に描いたような喜びようだ。

 それを見ながらゲイツもまた苦労した甲斐があった、と心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。 










 番外編その三




 グランベルズ帝国内にある、とある町の酒場。
 店内は騒がしく、国の勢いを物語るかのような活気に満ちている。
 あちこちで馬鹿話に花が咲き、なんとも明るい雰囲気だ。

 そんな店の片隅に、一人の男がいた。

 周囲では幾人もの男女が楽しそうに笑っているが、彼一人だけ顔色が悪い。
 狼そのままな顔なので、実際は毛に覆われて顔色など見えないのだが、
それでも一人気分が沈んでいる事だけは傍目でも分かった。
 
 そんな男を慰めようと周囲の者達は酒を勧めたり馬鹿話を振ったりとこれ見よがしな程に盛り上げているのだが、当の男は逆にどんどん沈んでいる。
  
 周囲が騒ぎながらもどうすべきか考えていると、彼――――ケルヴィン・マクギネスがぽつりと呟いた。

「……俺、どうして女運ないんだろうな」

 すん、と鼻を啜る。

 その物悲しそうな態度に、周囲――――ケルヴィンの部下達は一様に黙り込んでしまった。
 否、黙らざるをえなかった。

 一応、ケルヴィンは客観的に見てもかなり良い男だ。

 純粋な獣人族の外見は好みが分かれるだろうが、それでも毛並みの美しさや顔の作りの良さは誰もが認めるだろう。
 力も世界最強とも謳われる傭兵団の第三部隊隊長を務める力量がある。
 性格は荒々しいが傭兵としては平均的なレベルで、部下からの人望も厚い。
 少々知力に欠けるが、様々な美点を兼ね備えた存在と言える。

 が、何故か女運が致命的に悪い。
 今までの恋愛で肉体的、あるいは精神的にズタズタにならなかった事は一度も無いと言われてしまう程に。 
 今回も仕事で出かけている際、恋人に預けていた金を使い込まれた挙句、浮気されて別れたばかりである。

 もっとも、それでも彼の経験の中ではまだ傷は軽い方なのだが。
 
「た、隊長。そのうち良い相手見つかりますって!」 

「俺、今までそのセリフ何回言ったっけなぁ……」

 部下の男の言葉に、一際肩を落とす。

 今まで、何度も同じセリフで自分を奮い立たせてきた。
 次がある、次があるとひたすら前向きに念じていた。
 いつか必ず明るい未来を掴めると信じて。

 が、現実には団内で失恋の達人という異名が付きそうになっている。
 どこで何を間違えたのか、そう思わずにはいられなかった。

 そして、彼の部下の多くもその経緯の大半を知っている為うかつに声を掛けられない。

 ついつい普通に慰めてしまうが、この男の場合下手な慰めは危険なのだ。
 なにしろ、古傷が多すぎてどの言葉でどんな傷が開くか分からない。
 結果として周囲でワイワイ騒いで気分を盛り上げるのが、一番無難なのだ。

 ――――そんな気遣いを無駄にしてしまった最近入団したばかりの新米は、古参の女性に小突かれていた。

「ま、まあまあ、隊長。お酒飲みましょうお酒!
ほら、隊長の好きなドイラティス産のお酒、樽ごと用意しときましたから!」

 床に置いておいた樽をテーブルに置く女性隊員。

 ケルヴィンの好物であるこの酒は、非常に強い。
 それこそ、酒豪揃いで知られる当の産地の人間でさえも一瓶飲める人間は一握りと言われる程。
 ケルヴィンは酒豪だが、これを一樽飲んで他の酒も飲めば流石に潰れるはずだ。
 好物を飲んでから潰れる事が出来れば、翌朝には多少気分もマシになってるだろうと用意した物である。

 ケルヴィンはそれに手をかけると、ゆっくりと噛みしめるように飲み始めた。

「…………ぶはぁっ! うん、やっぱうめえが……これ、手に入れんの大変だったんじゃねえか?」

 樽を置いて微かに笑顔を浮かべながら部下達の顔を見渡す。

 この酒はその悪ふざけのような強さ故に売れず、年々生産量が減っている。
 というより、既に入手さえ難しくなっている。
 無論、樽となればより困難だ。
 かなり苦労した事は、想像に難くない。

 照れ臭そうに視線を逸らしている部下達を見渡して、ケルヴィンは心底嬉しそうな笑顔になった。

「そうだな! 恋人いなくても俺にゃお前らがいる! それで十分だぁな!」

「今言っても負け犬の遠吠えっすねぇ」

 ケルヴィンの背後から、実に愉快そうな声が聞こえてきた。
 今、一番聞きたくない声が。

「ア、アアアアアンリ! て、てめえどうしてここにいやがる!?」

「どーしてと言われても。自分は初めっからここで飲んでたっすよ?」

「嘘こけっ!」

 いかにも心外そうに肩を竦める同僚の言葉を即座に否定する。
 
 目の前の男装の麗人は、超が付く要注意人物だ。
 今会えばからかわれる事は明白だったので、酒場は慎重に選んだし、念を入れて席に座る際周囲の客も確認した。
 さりげなくではあるが、一人一人の顔もちゃんとチェックしている。
  
 最初から、ここにいたはずがないのだ。

「心外っすねぇ、嘘なんて一言も言ってないのに。
ま、それはそれとして――――ごきげんいかがっすかフラれ虫」

「容赦ねえなおい!?」 

 とても爽やかな笑顔で心を抉ってくる同僚に、半泣きで抗議する。
 何回目だか既に記憶の彼方になってしまう程重ねたやり取りだが、やはり慣れない。
  
「事実っしょー。大体、あの女はやめといた方がいいって忠告してやったの無視したのは誰っすか?」

「ぬぐぐぐぐっ……!」

 ギリギリと、悔しそうに歯を鳴らす。

 反論は出来ない。
 アンリは今回別れた女はやめた方が良いと前々から忠告していた。

 半年かからず浮気する、という言葉も当たっていた。
 金を預けたら使い込まれるというのも当たっていた。
 それどころか、浮気するとしたら幼馴染の男、というのまで当たっていた。   

 予知能力でもあるのか、と言いたくなるほどに当たりに当たった。
 今まで何度も忠告を無視して痛い目を見ているのに聞き入れなかったのだから、自業自得といえば自業自得。

 が、だからと言って黙ってからかわれる筋合いもない。

「けっ、女にばっかモテる男女に言われ――――」

「生まれてこの方フラれっぱなしの男よりはマシじゃないっすかねー」

 ケルヴィンの細やかな抵抗をにこやかに、そして容赦なく遮るアンリ。
 
 めげずにケルヴィンは反論しようとするが、言葉は全て言い終える前に切り捨てられる。
 しかも、切り捨てるついでに心臓を抉るような言葉の槍もドスドスと投げてくる始末。
 精神が滅多刺しになった影響か、艶やかな毛並みも心なしかしおれて見えてきた。
 
 が、そんな二人をケルヴィンの部下達は苦笑しながら見守っていた。
 なんのかんので、虚勢でも何でもなく元気になった上司の姿を嬉しく思いながら。 

「ぬががががっ! ええい! そこまで言うんだったら今度こそちゃんとした恋人作って見返してやらあっ!
そんときゃ今までの暴言まとめて謝ってもらうかんな!」

「いいっすよー。なんでしたらついでに跪いて靴舐めたげましょっか?」

 ふ、と鼻で笑いながらケルヴィンの靴を眺める。
 ついでに何かを舐めるようにチロ、と舌まで出した。 

「ぬかしやがったな……じゃあ俺の方は次もフラれたら、
全団員の前で『我こそは失恋の達人』って看板首にかけてやらあ!」

 雄々しく、そして猛々しくケルヴィンは叫んだ。

 ――――彼は、知らない。

 そう遠くない将来、自分が賭けに負ける事を。
 そのせいで失恋の達人という二つ名が半ば固定してしまう事を。

 そしてその後も失恋記録を更に伸ばし――――最終的に五十人を突破してしまう事を。 










 番外編その四



 煌めく太陽が眩しい、炎天下。
 半裸で皮膚を焼くような日差しを浴びながら、町の広場のベンチでのんびりしている老人がいた。
 時折樽ごと冷却魔法で適度に冷やした麦酒を煽りながら、行き交う人々を何とはなしに眺めている。

「う~ん、平和じゃのう……」

 まったりと呟きながら、老人――――オーガストはつまみの干し肉を噛み千切る。
 
 ちなみにこの肉、味は悪くないのだがあまりに固すぎる為にあまり人気が無い。
 低位の魔物なので元値自体安いのだが、その不人気故にさらに値下げされている事がザラという驚くべき品だ。
 一部では少量でも噛み応えがあって満足感を得やすいと需要があるが、
普通町中では駆け出しの冒険者ももう少しマシな物を食べている。 
 
「やれやれ、もーちっとマシなつまみを食わんか。仮にも偉人と呼ばれとる冒険者が」

 どかっと断りもなしに友人の隣に腰かける老人――――ハロルド。
 その右手には最高級の干し肉と白ワインが握られている。

「慣れるとこれはこれで美味いんじゃんぞ? というか、わしに金が無いのは知っとろうが」

「自分で材料狩りに行けばよかろうが」

「わざわざ狩りに行くのは面倒じゃの。それに、じゃ。
駆け出しの頃自作してた物を買って食うと、こう、凄い贅沢しとる気分になるんじゃよ」

 ぶち、と食い千切りながら笑う。

 冒険者に成り立ての頃、オーガストは決して裕福ではなかった。
 むしろ他よりも貧しく、日々の糧にも苦心していた。
 金を稼いでも装備品の費用で消えてしまい、寝る時も概ね野外。

 そして、食料は買う物ではなく狩る物。
 塩は海で海水を煮沸して自作し、穀物は山で芋を掘り、肉や魚はそこらで狩っていた。

 つまるところ、昔のオーガストは今口にしている物も買った事はなかったのだ。
 
 今でも自作できるそれをわざわざ金を払って食べている。
 これが形容しがたい満足感を与えてくれるのだ。
  
「若い頃には毎日のようにどこかの娼館を貸切にしてた男が、慎ましい事じゃのう」 

「こらこら、人聞きの悪い事をぬかすでないわ。
若い頃もちゃんと慎ましく――――大手の娼館では気に入った上玉だけを貸し切っておったじゃろうが」

 ふん、とふんぞり返るエロ老人。

 貧しさに喘いだのは、あくまで冒険者を始めた当初の話。
 仕事をこなして信頼を積み重ねているうちに、彼の収入は飛躍的に増大していった。
 大手の娼館で上玉だけを借り切るとなると相当な額になるが、使う以上に稼げたのが当時のオーガストである。

「やれやれ、そうやって使いまくった挙句が今の生活じゃろうに。
お主の業績なら普通はとうに楽隠居じゃろうが」

 ふう、と疲れたように息を吐く。

 目の前にいる親友は、若い頃から金遣いが凄まじかった。
 一番稼いでいた時期でさえ大金を長期間持っていた事はないという徹底ぶりだ。
 しかも日頃から金遣いが荒いくせに、自分の子供を身ごもった女達への最低限の義理として養育費を毎月送り、
それでいて女癖の悪さは直るどころか悪化していたのだから始末に負えない。
 
 もう少し大人しくなるのが早ければ今頃は多くの孫に囲まれ、
金にも不自由のない生活を送れていただろうにと思わずにはいられない。 
 
「ふ、お主と一緒にするでないわ。男は瞬間に生きる者。
未来に怯え己が欲求を封じるなど、男として最も恥ずべき事じゃ。
ま、お主のような玉無しには分かるまいがのう」

 豪快に、笑う。

 その表情は実に豪気で、おおらかさに満ちている。
 伝説の冒険者の名に相応しい、寛容さを感じる笑顔。
 顔に浮かぶ皺の一本一本までもがその器を示すかのような笑みだ。

 が、そこには確実に挑発的な色が滲んでいた。

「ほほう、言いおったな……? その玉無しにナンパ勝負で負けたのはどこの誰じゃったかのう?」

「さて、何の事じゃかな。負けそうになって金で女買収した根性無しがいたのは覚えておるがの」

「それを言うなら、初めっから女用意して勝負に臨んだヘタレもおったのう」

「事前準備の確認もせずに勝負に臨んだ間抜けな商人よりはヘタレの方がマシじゃろうて」

 はっはっは、と大らかそうに笑いながら、二人の老人が睨み合った。

 オーガストはその戦闘能力と潜り抜けた修羅場に裏打ちされた、圧倒的な気迫。
 低位の魔物程度なら一睨みで散らせるそれは、既に一種の武器と化している。

 対するハロルドは、幾戦の修羅場を潜り抜けた商人としての気迫。
 若き日には様々な相手を向こうに回しながら世界を股にかけ活躍した彼の迫力は、オーガストにも決して劣ってはいない。

 しばし、両者一歩も譲らない牽制合戦が続く。

「……さて、遊びはこれまでにしとくかの。今日は何の用じゃ?」

「ああ、これはまだ内密なんじゃがな。西の山にパープルドラゴンが降り立ったという目撃情報があるんじゃよ」

「中位ドラゴン程度ならシェリス嬢ちゃんのとこにでも頼めばよかろう。
オレルスでは万が一があるかもしれんが、残りの十一人なら誰でも問題ないじゃろ」

 酒を煽りながら、あっさりと切り捨てる。

 シェリスの屋敷は、怪物が揃っている。
 その筆頭たるローラは勿論、残りの最古参メンバーも中位ドラゴン程度ならものともしない。
 唯一オレルスだけは少々危ういが、彼以外の十一人ならなんとでもなる。

 まして、その主たるシェリスは民を愛する誇り高き貴族。
 パープルドラゴンは気性が荒く、時として無意味に縄張り外の町や村を襲う事さえある。
 そんな危険な生物を野放しにしておくとは考えにくい。
 情報を伝えれば早急に対処してくれる事は疑いようもなく、それはハロルドも分かっているはずだった。

 が、ハロルドは言い難そうに言葉を濁した。

「……今諸事情あってローラ嬢ちゃんとオレルス以外の主戦力が出払っとるんじゃよ。
で、残った屋敷のメンバーは山積みになった仕事の処理に追われておるようじゃ」

「ふむ……今のうちに恩を売っておきたいといったところかの?」

「それもあるが、それだけではない。彼女はこの地の実質的な統括者であり、まだまだ若く先が明るい女性じゃ。
苦労はしてもらっても、潰れてもらっては困る」

 重々しく、語る。

 シェリスが選んだ道は、尋常ではなく険しい。
 そしてそれは、これから始まる一大事業が終わるまで延々と続くだろう。
 将来大成するであろう人物を、みすみす潰してしまうのはあまりに勿体無い。
 今はまだ、急激な環境の変化に対応していけるようこちらも極力尽力すべき。
 ハロルドはそう考えていた。

「んな程度で潰れるとは思えんがのう――――で、報酬は?」

「三百万。ついでに、この酒とつまみも付けよう」

 右手に持っていたワインと袋入りの干し肉を差し出す。
 ついで、とは言いつつも、どちらも人気が高く入手困難な逸品だ。

「よかろう、引き受けた。明日までには退治しておこう」

「急な話ですまんのう」

「なに、毎度の事じゃろう。ま、ついでと言っては何じゃが……言い訳も頼んだぞ!」

 言い切ると同時に、オーガストは疾駆した。
 人波を一足飛びに跨ぎ、建物の壁を蹴り飛ばしながら西の方へと姿を消していく。
 彼の姿が完全に消えるか消えないか、という時、ハロルドの元に一人の青年が走ってきた。

「ハ、ハロルド老……い、今ここに局長がおられませんでしたか?」

「……おったが、すまんのう。内密の仕事を頼む為にわしが呼び出したんじゃよ。
詳細は言えんが、緊急を要する案件での――――」

 相変わらず仕事をサボりがちな親友に呆れながら、
ハロルドは即興ですっかり顔馴染になってしまった魔力判別所の職員を誤魔化しにかかった。 











 番外編その五




 シャロン・ラグナマイトの朝は、水浴びから始まる。

 他のメイド達よりも三十分早起きして、体を洗う。
 同僚達はすぐに朝の鍛錬で汗を掻くのだから意味が無いと言うが、これは好きでやっている事。
 寝起きの体に水がかかって気分が引き締まる、その感覚が好きなのだ。
 二時間後には再び体を洗うとしても、無意味な事だとは思わない。

 そんな事を考えながら、浴室から出て体を拭く。
 
 自分の体を見下すと、ふと昔の体を思い出した。
 この屋敷に来る前は少しぽっちゃりしていて、それを男の子にからかわれていた。
 それが嫌で痩せようとしてもなかなか細くならなかったのだが、この屋敷に勤めた翌月には無駄な肉は消えていた。
 何度死んだ方がマシと思ったか覚えていないが、その甲斐はあったと思える。

 村で男の子に泣かされていた自分が、今や山賊を片手で殲滅できるのも成果と言えば成果だろう。
 背後から野盗に襲い掛かられた瞬間、相手の頭蓋骨を裏拳で粉々にしてしまったのも今となっては懐かしい思い出だ。
 色々間違っている道を突き進んでいる気はするが。 

 そんな事を思いながらもシャロンは、自然に作業をこなしている。
 髪を丁寧に乾かしながら髪型を整え、洗い立てのエプロンドレスを身に纏う。
 最後にうっすら化粧を塗り、分解した愛用のハルバードを手に取った。

 このハルバードはシャロンの力が一定水準に達した際、主から賜った物だ。
 組み立て式だが、強度は抜群。組み立てられない場合でも柄を棍として戦える便利な武器。
 シャロンの動きの癖に合わせて鍛冶屋に作らせたらしく、まさに自分の体の一部のように扱える。
 
 そんな武器をスカートの中に仕込み、最後に鏡で身だしなみに問題がない事を念入りにチェックする。
 髪、服の皺、化粧の具合諸々チェックし終え、ようやくシャロンは朝食に向かった。






 
 シャロンが食堂に入り自分の席へ向かうと、同僚が声を掛けてきた。

「おはよー、シャロン」

「おはよう、ハンナ。まだ眠そうね」

 眠そうな顔でトーストを齧っている同僚に、苦笑い。

 彼女は、朝食の時間にはいつもこんな感じだ。
 一見だらしないようだが、仕事が始まる頃にはシャキッとしているし、
朝食中にも上司が近くに来たらその瞬間目を見開いて背筋が伸びる。

 もっとも、後者は単純な恐怖心からかもしれないが。
  
「そりゃあ、シャロンみたいにこの時間からきっちりは出来ないわよ」

「それを言ったら、料理長達なんてもっと早起きじゃない」

 サラダを突きながら、優しく諭す。

 今日の献立はトーストにベーコンエッグ、人参のグラッセ、サラダにフルーツたっぷりのゼリー。
 どれもこれも美味しく、一口食べるごとに活力が湧いてくる。

 相変わらず美味な食事だが、これを作る為に料理長達厨房組は毎朝他より数段早く起きている。
 それを思えば、シャロン程度の早起きは大した事ではない。
  
「まあねぇ……あれでシェリス様が一般的な貴族の食事してたらどうなってたことやら」

「大して変わんないよ。シェリス様の朝食の仕込みついでにあんたらの料理を作るだけさ」

 ほいっ、とクッキーの入った籠をシャロン達の前に置く料理長。
 焼き立てらしく、甘い魅惑的な香りが漂っている。

「毎朝ありがとうございます、料理長」

「なーに、作った物喜んで平らげてもらえりゃ、料理人は満足なもんなんだよ」

 はっは、と豪快に笑いながら去って行くスカーレット。
 
 今のは、彼女の口癖の一つ。
 料理人の満足は、食べた人間が喜んで皿を空にする事。
 多少作法が悪くても、それさえあれば満足できる。
 それが料理人という生き物だと。

 凄い女性だ、とシャロンは思う。
 その為だけに屋敷で二番目に早く起き、全ての準備を整え、それでいて疲れを感じさせない。
 副料理長など、そんな彼女に憧れつつも毎朝疲れきっているというのに。
   
 プライベートで婚約者の惚気が多すぎるのが珠に瑕だが、尊敬に値する人物だと思う。

 だが、この場にはそれ以上に尊敬すべき人物がいる。
 静かに、淡々と猛スピードで上品に食事を平らげる上司――――ローラ・クリスティアが。 

「おっ、総隊長、相変わらず良い食べっぷりだね」

「御馳走様。いつも通り美味しかったわ。ただ、今日はパンに少し難があったわね」

 口元をハンカチで拭いながら、気付いた点を口にするローラ。

「……流石だねぇ。今日ちょっと手違いがあっていつもより少し生地を発酵させすぎちゃったんだよ。
悪い、明日はちゃんとしたの出すから」

「気にしなくて良いわ。一応言ったけれど、十分過ぎる程に美味しかったから」

 軽く手を振ると、ローラは食器を片づけて食堂を出て行った。

 その後ろ姿を見ながら、シャロンは思わず溜息を漏らしていた。
 この世で最も尊敬する人物は、と聞かれれば迷う事無くローラと答える。
 それほどに彼女は美しく、強く、全てにおいて完璧だ。

 特に、最近はその超人性が際立っている、
 屋敷の最古参メンバーの大半が別件で不在の為、負担の多くが圧し掛かっているというのに、
彼女は事もなげに毎朝屋敷で一番早く起き、休憩時間も碌にないまま働き続け、最も遅く寝て仕事をこなしている。
 それでいて表情はおろか態度にも疲労感を一切出さない。
 無論、その絶世の美貌にも一切の陰りがない。
 
 正直、人間離れしすぎて恐ろしいとは思うが――――それ以上に、憧れる。

 今はまだ戦闘能力は未熟、重要書類を任せてもらう事も出来ない身。
 憧れる事すらおこがましい差があると、理解はしている。
 どんなに努力しても、一生届かない事も。
 
 だが、あの高みに一歩でも近づきたい。その思いは消せない。
 例え届かなくても、全貌を認識する事さえできなかったとしても。
 それほどに強い憧憬を抱かせるのが、ローラ・クリスティアという女性なのだ。

 その高みに一歩でも近づきたい。その一心でシャロンは努力を惜しまなかった。
 殺人的な戦闘訓練にも悲鳴を上げながら耐え、量を増し始めている書類も涙を流しながら処理し、
あらゆる苦難に真っ向から立ち向かっている。
  
 唯一――――月に一度行われるローラとの試合を除けば。

 今日の午後の予定として入っている自分の公開処刑を思い、シャロンは心でひっそり涙した。


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