ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編6~10

 番外編その六





 長閑な森の中で、一人の少女が散歩していた。

 背中の小さな黒翼を楽しげにパタパタと動かしながら鼻歌など歌い、
木々の隙間から降り注ぐ日光を心地良さそうに浴びて歩いているその姿は、
何とも微笑ましい元気に満ち溢れた姿だ。

 時折木々の間をぴょんぴょん跳ね回ってムササビと鬼ごっこに興じたり、
遭遇した最低位の魔物を回し蹴り一発でふっ飛ばしと些か元気すぎるかもしれないが、
なんとも見る人間の心を和ませてくれる少女だった。

「やい! ようやく見つけたぞ!」

 不意に、少女の背後から声が響いた。

 声の主は、少年、
 年の頃は少女と同程度。
 顔立ちはまさにやんちゃ坊主といった感じで、髪は荒っぽく切り揃えられ、
表情には不可解なまでの自信が満ち溢れている。
 
 そんな彼が声と共に少女へ人差し指を突きつけたのだが――――少女は、気にも留めなかった。
 
「おい! 無視すんな!」

 振り返る事すらなく、スタスタと散歩を続行した少女の背中を慌てて追いかける。
 彼女は逃げるでもなく、単に歩き続けていた為程なくして追いついた。
 
「勝負だリリー! 今日こそはまた泣かしてやる!」

 瞳に闘志を滾らせながら、少年は少女――――リリー・メオルディの肩を掴んだ。

「もー……昨日も同じこと言ってたでしょ?」

 億劫そうに振り返り、少年を見つめるリリー。

 実のところ、このやり取りは今日で二度目だ。
 少年はこれまでに二度リリーに無惨な敗北を喫し、涙を流しながら地べたで痙攣した。
 にもかかわらず懲りずに喧嘩を売ってくるなど、いっそ感心さえしてしまう。

「うるさい! このガルザ様が女なんかに負けるもんか!」

「負けたじゃん。二回も」

「負けじゃない! お前が汚い事しなきゃ俺の方が勝ってた!」

 ガルル、と獣のように唸りながら叫ぶ少年――――ガルザ・ドルチェス。

 目の前の同い年の女に負けたなど、彼は一度たりとも思っていない。
 喧嘩に必要な事では、全て自分の方が勝っている。
 正々堂々とした戦いならば負けるはずがないのだ。

 だというのに、目の前の村一番優しくて可愛い女の子などというありえない評価を得ている悪魔のような女は、
絶対にやってはならない卑劣な手を使って勝ちを収めた挙句、あろうことか泣かしてやったと子分たちに言いふらしたのだ。

 ――――実際はリリーではなく、偶然その光景を見てしまった子分が動転して触れ回ったのだが、ガルザはそれを知らされていなかった。

「ガルザだって私の髪の毛引っ張ったでしょ!」

「髪の毛引っ張ったのはお前の方が先だろ!」

「男の子の髪と女の子の髪じゃ価値が全然違うんだよ!」

 自分より大きな少年に憤然と怒鳴り返すリリー。

 髪の価値は男と女で全然違う。
 これは彼女にとって、常識的な事だ。
 村の男の子がボサボサでも気にしないのに対し、女の子は大概毎日手入れを欠かさない。
 これだけでもその重要性の差が分かろうというものだが、それをさらに確固たる形に補強している事がある。

 それは、尊敬する叔母の部下の女性の言葉である。

 曰く――――髪は女の命。
 男に一本抜かれたら、相手を丸坊主にしてようやく釣り合いが取れる。
 それほどまでに女にとって髪は大事なのだと、己の絹糸のような金髪を梳きながら言っていた。

 いつも落ち着いていて日常の仕草にも優雅な気品が漂い、母や叔母まで凄いと認めている女性のこの発言。
 これ以上の根拠などありえない。

 その女性の悪い側面をあまり知らないリリーは、素直にそう信じ込んでいた。 

「ふ、ふん! そんなの知るもんか! いくぞ、リリー!」

 一瞬気圧された自分を振り切るかのように、リリーに殴りかかるガルザ。

 所詮五歳児の一撃だが、相手は同い年の女の子。
 拙いながら肉体強化している事もあり、当たればかなり痛い。
 
 が――――それは相手が普通の五歳児であればの話。

 リリーは元傭兵の母から習った体技で自分よりもずっと早い拳をどうにか受け流し、
生まれ持った格闘センスによってそこから反撃へと転じる。 
  
「えいやっ!」

 可愛らしい気勢と共にリリーの肘が放たれる。
 これの威力も大した事はないが、やはり当たれば相当痛い。
 
 しかし、ガルザはそれが届く前に持ち前の反射神経で咄嗟に背後に飛んで回避した。
 勢い余ってそのまま体勢を崩してはいるが、子供の割には良い反応である。  

 再び殴りかかるガルザ。受け流して反撃するリリー。
 反撃に肘でカウンターを返そうとするガルザ。それを膝で迎撃するリリー。
 それに頭突きで返してふらつくガルザ。隙ありと頭突きを当て、余りの石頭に自分だけダメージを負うリリー。

 一進一退でどちらが勝つか分からない。
 子供の世界では滅多にない名勝負。
 同い年の男の子が見ていれば、さぞかし熱狂しただろう。

 が、そんな戦いの天秤はささやかな切っ掛けで一気に傾いた。

 原因は、ガルザの攻撃。
 幾度となく放った拳に、リリーの髪が数本絡んだ。
 そして、そのまま引きちぎられた。言ってしまえば、それだけの話。
 
 しかし、それは停滞した戦況を変えるには十分すぎた。
 
「……もう、もう許さないからっ!」

 怒りに燃える瞳で、ガルザを睨みつけるリリー。

 毎日毎日大事に手入れしている髪を千切られた。
 許せない。許してはいけない。

 今までは罪悪感の欠片ぐらいは残っていたのでやらなかったが、もう知った事ではない。
 最近開発した対ガルザ用の必勝法で、一気に叩き潰す。
 
 ――――それを発見したのは、いわば偶然。

 父とお風呂に入っている途中に湧いてきた、ちょっとした好奇心。
 それに抗いきれず試してしまった、自分の心の弱さ。
 それこそがこの必勝法へと結びついた。

 これを思いついて以来、ガルザに勝てるようになった。
 母にしこたま怒られた価値はあったと言える。

 そのおかげで今、この憎むべき敵を打倒できるのだから。
 そんな思いを胸に、リリーは全力を込めて足を思いっきり振り上げた。
 
「やらせるかっ!」

 リリーの足が振り上げ終える前に、渾身の力を込めた右腕で止めるガルザ。
 今まで何度も受けてきた攻撃。恐ろしい攻撃だが、二回も受けれれば対策はとれる。
 今日の喧嘩の合間も、ずっとそれを警戒してきたのだから尚の事。

 ガルザは必勝の一撃を防がれ、ついでに利き足まで封じられたライバルの顔を拝もうとして――――凍りついた。
 
 ――――突如下半身を貫いた、地獄の衝撃によって。

 全身に響き渡るような激痛を感じながら、ガルザの体が崩れ落ちていく。

「お母さんから教わったんだけど、攻撃は二段構えが基本なんだって。
それと、風の攻撃魔法は見えないから使いやすいんだって♪」

 鈴の音を転がすような可愛らしい声を聞きながら、ガルザは地に倒れた。
 股間を押さえ、びくびくと痙攣しつつ、涙を流しながら。

 無惨な少年の有様にリリーは一瞬駆け寄りそうになったが、すぐに思い止まった。

 ――――敗者への情けは時としていかなる猛毒にも勝る。特に男にとっては。
 
 そんな、昨日読んだ本に記されていた偉大な冒険者の言葉を思い出したのだ。

(……ガルザは好きじゃないけど、あんまりひどい事しちゃだめだもんね)

 ん、と軽く頷いて踵を返す。
 
 この辺りは魔物が少ないうえに弱いので、ガルザを放っておいても心配はない。
 せいぜい魔物に突かれて悪戯されるぐらいだろう。
 なら、彼の為に黙って立ち去った方が良い。そう思って。

 ――――あまりに素直すぎて、影響を受けやすい困った少女であった。


 




 番外編その七




 大きなベッドで、一人の少年――――天地海人が寝込んでいた。
 顔は真っ赤に染まり、断続的な息は苦しげ。
 典型的な風邪の症状だが、あどけない表情なだけにその様子はいっそう人の憐憫を誘う。

 が、その様子を目にする者はいない。

 ここに住んでいるのは海人と両親の三人だが、彼の両親は今朝早く仕事に行ってしまった。
 母はすぐに帰ってくるからそれまで大人しくしていてと言っていたが、
去り際に頭を下げてきた父の態度からして直ぐ帰ってくるのは難しいのだろう。

 とはいえ、少年の心に両親への不満は微塵もない。

 二人共仕事で忙しい時が多いが、時間がある時はいつも構ってくれるし、我儘も許してくれる。
 自宅でやっている研究用の機材は大概自作しているが、どうしても自分で作れそうにないと困っている時は、何も言わずとも買ってくれるのだ。
 同級生が必死にお願いしてやっと買ってもらった、と喜んでいたゲームとは比較にならない程高価な物ばかりだというのに。
 それどころか、二人はもっと我儘を言っていいとまで言ってくれる。

 学校のテストで満点は取っちゃ駄目とか、研究の事や機材の事は他の人に喋っちゃ駄目とか厳しい言いつけも多いが、
基本的には悪い事をしない限り優しい、海人自慢の両親。
 寂しいぐらいで、不満を抱いてはいけない。
 海人は何の疑いもなく、素直にそう思っていた。

「…………みんな今頃給食食べてるかなぁ」

 熱に浮かされながら時計に目をやり、ぼやく。

 正直給食は美味しいと思わないが、友達と一緒に食べる時間は大好きだった。 
 皆で一緒に最近出たゲームの話をしたり、放映中のアニメの話をしたり、
内容的にはそんな目新しい事はないはずなのに、どういうわけか楽しい。

 自宅で研究している時に新しい発見をする時の楽しさとは、また別の楽しさがある。
 食べ終わった後に誘われるスポーツは、どうしても楽しめないが。

「あ……今日ナイトカイザーの日だ」

 ふと、今日がお気に入りのアニメの放映日である事を思い出す。

 毎回リアルタイムで見る事は勿論、録画も欠かしていないアニメだ。
 出来れば今日も生で見たいが、テレビは部屋の隅、リモコンはゲーム機の横。
 今の体調では、どちらも学校までの通学路よりも遠く感じる距離。
 そして、放映時間までに回復する気もしない。
 諦め、録画を楽しむ事こそが最善。
 
 が、それで素直に諦められないのが子供というもの。

「うぎゅ……!?」

 ベッドから布団ごと転がり落ち、その衝撃でクラクラと意識が飛びそうになる海人。
 が、彼はそれを気合で乗り越えて、リモコンへと目を向けた。

 この碌に動かない手足では、這って行く事は難しい。
 ただでさえ筋力に乏しい人間が弱っているのだから、途中で力尽きてしまうだろう。
 立ち上がるのも、至難。というか、仮に出来たとしても今の状態なら直後に倒れる自信がある。

 だが、今の海人でも出来そうな案はあった。
 
「えやぁ~……」

 なんとも気の抜けた声と共に、リモコンに向かって転がっていく海人。
 ロスが大きく体も痛いが、これなら這うよりは力が要らず、立ち上がる必要もない。
 
 しかし、これはある意味名案ではあったが、致命的な欠陥も備えていた。
 所詮熱で朦朧とした状態で考えた浅知恵なのだ。

「……うええ、きぼちわるいぃぃ……」

 高熱と回転によって生じた吐き気を、必死で堪える海人。
 リモコンにはなんとか辿り着いたものの、体調は確実に悪化していた。

(でも、ベッドまで戻らないと……)

 自らの短慮を悔いつつも、意思を固める海人。

 回転しやすくする為、布団はベッドの脇に落ちたまま。
 ゆえに、今の海人の装備は長袖長ズボンのパジャマのみ。
 このままいけば、確実に体調が悪化する。

 もし本当に帰ってきた両親がそれを見れば、とても心配するだろう。
 大変でも、なんとかベッドに戻って大人しくしていなければならない。

 吐き気が収まったらもう一度転がろう。
 そんな事を考えていた矢先、廊下から足音が響いてきた。
 静かに、だが確実に部屋に近付いてきている。
 
「ただいま……って、何やってるの海人ぉっ!」

 気を遣ってかゆっくりと部屋に入ってきた海人の母――――月菜は、部屋に入るなり絶叫した。

 その声量はなんとも凄まじく、部屋全体がビリビリと震えている。
 息子を心配して最速で帰ってきたら、当の息子がベッドから這い出て床で悶えているのだから当然と言えば当然の反応なのだが。

「……今日ナイトカイザー見たいから、リモコン取ろうと……」

「ええい、とっととベッドに戻んなさいこの馬鹿息子ぉっ!」

 突っ伏したまま応答する息子を軽々と抱きかかえ、ベッドに放り込む。
 言葉は荒いが、行動はそれとは裏腹にベッドに優しく乗せ、上から布団をかけると実に穏やか。
 怒り狂いはしても状況はしっかり弁える良い母親であった。 
  
「……おかーさん、どうしてこんなに早かったの?」

「すぐに帰ってくるって言ったでしょ。信じてなかった?」

 汗でべったりと張り付いた上着を脱ぎながら、問いかける。
 色々忙しいが、息子との約束を破った事はない。 
 出来もしない事を言ったと思われたのなら、少々心外だった。

「でも、お仕事……」

「あのね。私にとって一番大事なのはあなたなの。
仕事なんてお金稼ぐ為にやってるだけ。あなたがあれだけ苦しんでるなら、仕事の一つや二つどうにでもするわよ」

 気に病む息子の言葉を遮り、彼の頭を優しく撫でる。

 月菜は、仕事に特別な思い入れはない。 
 稼ぎが良く、こなせる技能があるからやっているだけの事。
 そんな程度の物と、可愛い一人息子。どちらを優先するかなど、決まりきっている。
 
 幸い都合良く頼もしい男がいたので、仕事に影響もないはずだ。
 しかも俺の息子なんだから、風邪程度でへこたれるわけないとのたまってくれた。
 ならば、父である彼は仕事が倍になった程度でぐちぐち言う事もないだろう。

 きっと海人の父としていかなる苦難をも笑顔で乗り越える生き様を見せつけてくれるはずだ。
 下手な気遣いでわざわざこっちの怒りを煽ってくれたのだから、その程度の覚悟はあるだろうし。
 そんな事を考えていると、変なところで敏い息子が反応した。
 
「おかーさん、どうかしたの?」

「なんでもないわ。それより、実はお母さん今週はずっと家にいられる事になったんだけど……何か食べたい物ある?」   

「ん~、今日はおかゆ。でも、風邪が治ったらカレーライス食べたいな」

 嬉しそうに笑う海人。

 海人は母の料理は何でも好きだが、中でもカレーは格別だった。
 基本的に美味しいなら何でもいい海人が、おねだりして食べたくなる。
 父の大好物でもあり、時に息子の分にまで手を伸ばして母の制裁を受ける程の逸品だ。 

「それじゃ、今日はとっておきの御粥。明後日風邪が治ってたらカレーにしようか」

「はーい!」

 母の快諾に、海人は弱った体で精一杯の喜びの声を上げた。












 そして翌日。海人の部屋に月菜がやって来ていた。
 体温計に表示された数字を見て、安堵の息を漏らしている。

「うん、平熱ね。頭痛とかは?」

「もう大丈夫だよ! ちゃんと学校行ける!」

 むん、と胸を張る海人。

 授業は退屈だが、学校は楽しい。
 友達もいるし、人と触れ合う事自体好きなのだ。
 体が治った事もあり、海人は実に楽しげであった。

 が、月菜がそんな息子の喜びに水を差す。 

「そう。でも、今日は行かなくていいわよ。というか、もう欠席の連絡しちゃったし」

「え、どうして?」

 心底不思議そうに訊ねる海人。

 いつもなら、母は体調に問題がないなら学校に行けと言う。
 研究が良いところで中断したくなくても、強引に引っ張り出される。
 あまり駄々をこねれば、拳骨まで飛んでくる。

 そんな彼女が、今日は休んでいいという。
 明らかに、普段からは考えられない言動だ。
 
「ふふふふふ……海人、お母さん昨日大人しくしててって言ったわよね?」

「ひっ!?」

 それまでとは一変して禍々しくなった母の声音に、思わず怯える海人。

 確かに、自分は昨日言いつけを破った。
 アニメを見たいからとベッドから這い出てしまい、挙句途中で力尽きた。
 トイレなどであれば許されただろうが、これは言い逃れができない。

「言いつけ破った悪い子には……分かるわよね?」

「ひいぃっ!?」

 ずい、と詰め寄る母から反射的に距離を取ろうとするが、それは叶わない。

 海人の細い足首は、既に母の手中。
 同世代の中でも貧弱だというのに、相手は大人。
 しかも二回り近く大きい亭主を一撃ではっ倒せる人物だ。 

 逃れられるはずなど、ない。

「ご、ごごごめんなさぁぁああああああああああーーーーーーーーーーーっ!?」

 海人の謝罪の言葉が、途中で絶叫に変わる。
 心の底からの悔恨と共に。

 ――――天地月菜。息子に甘いながらも、躾は忘れない女性であった。

 



 番外編その八




 宝蔵院雫は、屋敷の庭の一角でぐっすりと眠っていた。
 
 すやすやと安らかな寝息を立てつつ、気持ち良さそうな寝顔を晒している。
 時折うにゃうにゃと寝言を呟きながら、猫のように顔を掻く様がなんとも愛らしい。
 寝返りで弾き飛ばしたおにぎりに小鳥たちが群がり始めたが、やはり彼女が目覚める様子はない。
 もっとも、今の彼女は土に塗れたおにぎりを拾って食べなくて良い程度には優雅な身分なのだが。
  
 ちなみに、彼女の周囲には誰もいない。
 彼女の姉は裏の森へ食料調達、主は地下でせっせと研究作業。
 どちらもあと二時間は各々の作業に没頭しているだろう。

 日々の日課である掃除もきっちり終わらせたので、やる事も無い。
 今日は久しぶりに気合を入れて掃除したので、屋敷の隅々までピカピカだ。
 主である海人が戻ってきたら、きっと褒めてもらえるだろう。
 
 ゆえに、雫は目覚めるのを楽しみにしつつ、しばらくぐっすりと眠れる。

 そのはずだったのだが――――ふと彼女の目が開かれた。
  
「んみゅ……美味しいと良いんだけどなぁ」

 欠伸をしながら、ごそごそと懐に手を入れる。

 ――――次の瞬間、雫の手が霞んだ。

 風切り音と共に日光を反射する物体が天へと昇っていく。
 重力の抵抗など知った事かと言わんばかりに、減速の気配さえ見せない。

 そして――――雫の放った苦無は、進路上にいた魔物の心臓を的確に貫いた。
 
 反応する間も与えられず絶命し、急速に落下を始める魔物。
 勇壮であった体は翼を広げたまま硬直し、凛々しさが漂う顔立ちも固まったまま。
 胸元に突き刺さった物とその周囲を除けば、概ね彼の生前の姿を留めている。
 僅かに赤が滲んだ純白の体が落下していく様は無惨だが、それでも美しい。
 
 やがて、突然の理不尽に遭った魔物の亡骸は下手人の手に渡った。

「食材確……? あれ? この魔物どっかで見たような」

 食材を手に入れて喜んだかと思いきや、雫は唐突に首を傾げてしげしげと眺め始めた。

 直接見た記憶はないが、大分前に図鑑でこの魔物を見た気がする。
 白い体毛、鳥形の魔物としてはかなり小さい体。そして凛々しさ漂う美しい造形。
 大分前の記憶だが、この死骸と同じ絵柄を見た記憶がある。
 
 雫は記憶を必死で手繰り寄せて思いだし――――蒼白になった。
 
「ぎゃああああっ!? これパールブレイブだぁ!?」

 慌てて魔物の亡骸を宙に浮かせ、超高速で羽根を抜き取っていく雫。

 真珠のように艶やかな純白の羽根が次々に飛び散るが、
どれも飛び散ると同時に泥のような茶色へと変色していく。

「せめて一本ぐらいぃぃぃぃぃっ!」

 切実な叫びと共に、魔物の亡骸が丸裸にされた。

 同時に雫は宙を舞った食材の首をひっつかみ、血走った目で地面を見回した。
 辺り一面には、泥のような色彩の羽根の海。
 先程まで緑色だった地面が、まるで泥沼のようだ。

「んがああああ! 横着しないで手加減しとけばよかったぁぁぁぁぁっ!」

 だんだん、と地面を悔しそうに叩く雫。

 彼女が仕留めた魔物の名は、パールブレイブ。
 真珠のように艶やかな白い羽を持つ魔物で、かなりの希少種だ。
 この魔物の羽根を使ったペンは上流階級の間で人気で、羽を売り飛ばせばかなりの額になる。

 ――――ただし、人気があるのは白さを保った羽のみで変色した羽は無価値。 

 そして白い羽を手に入れる為には、原則として魔物が生きている間に羽根を抜かなければならない。
 極々稀に絶命してから抜いた羽でも白さを保っていたという報告があるが、その少なさゆえに虚偽との見方が強い。
 それを知りつつも雫は一縷の望みを託して絶命した魔物から羽を狩ったのだが、結果は無駄であった。

 雫が横着していなければ、こんな事にはならなかった。

 気配の位置が人が飛ばない超高空ゆえに魔物と判断して狩ったが、狩った獲物は即座に血抜きするのが原則。
 わずか数秒の微妙な差でも、獲物によっては大きな味の差になるのだ。
 そのルールに従って手加減した苦無で撃ち落とし、地面に落下させてから仕留めておけばこんな事にはならなかった。

 上手くすれば百万近くなったはずの物が、一時の横着で0になってしまったのだ。

「しかも肉そんなに美味くないって話なんだよねぇ……うう、勿体無いぃぃぃぃ」

 くすん、と鼻を鳴らしながら、地面に手を伸ばす雫。
 
 いくら悲しくともこのままではいられない。
 無駄な足掻きのせいで、周囲には茶色の羽根が散らばっている。
 ないとは思うが、万一誰かさんが帰ってきてこれを掃除の練習になどと言い出したら大変だ。

 今は雫の周囲一帯が汚れている程度で済んでいるが、あれが手を出したら最悪庭が廃墟になる。
 寛大すぎる主のおかげで改善はされているが、それでも掃除=破壊活動と言って問題ない人物なのだ。

 ――――が、世の中そういう時に限って悪い事が起こるものである。

「んな!? こ、この速度……!」

 驚愕と共に、雫は行動速度を一気に早めた。

 屋敷背後の森から、何かが超高速で近づいてきている。
 これほどの速度となると、今一番来てほしくない人物だろう。
 あの森に棲む魔物では、こんな速度はとても出せない。

(何か忘れ物でもしたのっ!? ってか考えるより先に動けあたし!)
 
 先程パールブレイブの羽根を抜いた時以上の速度で、羽を拾い集めていく雫。

 この屋敷の平穏は己の手にかかっていると信じ、ひたすら手を動かす。
 小さな両手をフル活用して羽根の束を次々に鷲掴み、時には口まで使って回収していき、
風の魔法で作りだした小規模な気流に投げ入れていく。

(あと三秒、二、間に合わな……!? なんか変な方向に飛んだ!? よく分かんないけどこの隙に!)

 最後の一掴みを気流に放り込み、同時に発動待機させていた火炎魔法を起動する。
 周囲を焼き尽くさんばかりの火球が気流の中に生じ、中を流れていた羽を跡形もなく焼却された。

 そして、その直後に――――刹那が、庭へと降り立った。

「すまん、雫ちょっといい……なぜ息を切らしている?」

「気にしないで。それで、何があったの?」

 怪訝そうな姉に笑顔を向け、ごまかす。

「いや、それが袋の底にほつれがあったらしく途中で袋が裂け始めてしまってな。
抑えながら慌てて帰ってきたんだが、どんどん穴が広がって……」

「獲物無くなっちゃったの?」

「いや、それでも多少死守していたんだが……先程川を飛び越えた時に手を滑らせて……その、空き部屋に放り込んでしまった。すまん」

 ぺこり、と申し訳なさそうに頭を下げる刹那。
 雫は殊勝な態度を見せる姉に頬を引き攣らせながら、震える声で尋ねる。

「……ちなみに、その部屋どうなってる?」

「……ベッドにブラウンボアの骨が突き刺さったのと、ナイトダックの内臓が床に飛び散っていたのは確認した」

 再度頭を下げつつも、刹那は若干腰を落とす。

 妹が気合を入れて屋敷の掃除を始めていたのは、出かける直前に見た。
 楽しそうに、気合十分といった風情で掃除に取り掛かっている姿を。
 悪いとは思っているのは事実だが、それを考えるとこの後の展開は一つしかない。
  
「あっはっは…………死ね馬鹿姉ぇぇぇぇっ!」

「だから悪かった! 拙者も片付け手伝うから許してくれ!」

 予想通り二本の小太刀で襲い掛かってきた妹の猛攻を防ぎながら、再度謝罪する。
 が、言うまでもなく内容が致命的にまずい。

「お姉ちゃんに手伝われたら部屋が廃墟になるでしょうが!
お姉ちゃんに出来る事は今この場であたしにぶちのめされる事だけ! 覚悟ぉぉぉぉっ!」

 色々溜まった鬱憤を晴らすべく、雫は姉に襲い掛かった。 





 番外編その九





 とある屋敷地下にある研究室で、天地海人がキーを打つ音が延々と響いていた。

 他者が見れば発狂ものな程複雑なプログラムを一瞬の迷いもなく打ち込み続け、
時折キーボードから手を放して手をグーパーする以外は叩きっ放し。
 そんな作業から生まれる音は既に小気味良いを通り越し、騒音の一種。

 天災科学者、東方の魔王、理不尽の権化など、数多ある二つ名に相応しい迷惑っぷりだ。

 が、その音はとある理不尽により唐突に打ち切られる事となる。

「いいかげん、構えええぇぇぇぇぇっ!」

 怒号と共に、部屋のドアが蹴り開けられた。

 ドアが壁に叩き付けられ轟音が響くが、侵入者は気にした様子もなく突き進む。
 艶やかな金髪をたなびかせ、鍛え抜いた脚力を持って標的へと跳躍する。
 海人が慌てて振り向くが、それよりも飛び掛かった女性が到達する方が速い。

「ぬぐおぁっ!?」

 悲鳴を上げながら、机に叩き付けられる海人。

 それに伴って吹っ飛んでいくキーボードから無秩序な文字の羅列が打ち込まれ、
宙を舞ったディスプレイに忠実に表示されていく。

 やり直せば済む事だが、生憎抱きついて離れない侵入者がそれを許してくれない。
 もがいて引き剥がそうにも相手は数々の武道を修めた武人。
 技で敵うはずはなく、さらに言えば筋力でも到底敵わない。
 
 海人は素直に抵抗を諦める事にしたが――――やはり、愚痴は言いたくなる。

「で、今日は一体何事だ?」

「作業に夢中な馬鹿亭主が全然構ってくれないからこっちから来たのよ」

 大人しくなった夫を解放しながら、真っ直ぐな視線を返す。
 そして寂しいんです、とアピールするかのように彼の顔を下から覗き込んだ。
 
 演出と分かっていても可愛らしい仕草なのだが、海人はそれを溜息と共にあっさり受け流してしまう。

「……一応、仕事中なんだが?」

「ほほー……去年思いつきで作ったセキュリティソフトの劣化版作るのが?」

 恨みがましい目を向けてくる夫に、にんまりとした笑顔を返す。 
 
 海人が今やっているのは、自作セキュリティソフトの改悪。
 以前作ったソフトから対応できるウィルスの数を減らし、機能を制限しているだけ。
 おまけで色々仕込んでいる為に手間取っているだけで、仕事という程大層な事はしていない。

「売る相手と契約を交わしている以上、立派な仕事だ。それに今回はちゃんと売り込みまでやったんだぞ?」

「自作の凶悪なウイルスばら撒いた後でそれの対策入れたソフト売り込めばそりゃ売れるわよね。
おかげでパニックになってるみたいだけど」

 胸を張る夫に、冷ややかな目を向ける。

 今朝見たニュースでは某国で謎のシステムダウンとなっていたが、原因は海人が作ったウィルスだ。
 それは実に性質が悪く、既存のいかなる防壁もぶち破り、時が経つに連れて自己進化まで行う機能がある。
 一応その自己進化などに一定の法則があり、対策ソフトさえあればデータ復旧も容易なのだが、そこは海人謹製ウイルス。
 そこらのハッカーが対策ソフトを作れるような甘い代物ではない。

 こんな状況で悪戦苦闘している者達に売ろうと言えば、売れないはずがない。
 これを売り込みというのは、あまりに芸がないだろう。
 
 ――――そもそも犯罪という事が浮かばないあたり、彼女は夫に相当毒されているのかもしれない。

「ちょっかいかけてきた馬鹿への細やかな嫌がらせのつもりだったんだがな?」

 妻の指摘に悪びれもせず嗤う白衣の魔王。

 一応、嘘は言っていない。

 そもそもの原因は、某国の情報機関に喧嘩を売られた事だ。
 その報復としてその国のサーバーに自作のウイルスを送り込んだのである。
 今現在相当な損害が出ているらしいが、それは騒ぎが大きくなっただけの事。 
 海人としてはお遊びのウイルスを一つ送りつけただけにすぎない。
 国の機能を完全に麻痺させなかっただけ、まだ可愛いと言えるだろう。

 あくまで海人の報復としてはだが――――細やかな悪戯に分類される。
 
「はいはい。ま、いずれにせよあんたがやってんのは悪戯の後始末ついでの小遣い稼ぎでしょ。
美人の奥さんほったらかしてまでやる事かしら?」

「それは違うが、そもそもほったらかしという程時間経ってないだろう。
丸一日いちゃついてから、まだ三日だぞ?」

 む、と不貞腐れた顔でエミリアを見つめる。

 研究馬鹿な海人だが、それでも妻の事は大事にしているつもりだ。
 敵が多い為手間がかかるがちゃんと定期的にデートの日を設けているし、
それ以外にもエミリアの提案で屋敷で一日中いちゃつく日を作っている。
 
 これ以上接触の時間を増やせと言われても、海人としては困る。
 そもそも毎日一つ屋根の下でずっと過ごしている為、
それだけでも普通の夫婦より共有する時間は長いはずなのだから。

 そんな少し拗ねたような夫の態度に、エミリアはちっちっと指を振る。
 
「普通の夫婦ならそうでしょうね。でも、うちは違うわね」

「というと?」

「亭主は今更稼ぐ必要ないぐらいの億万長者。しかも趣味で稼ぐから貯金は倍々ゲーム」

 韻を踏み、舞いながら語る。

 事実として、この夫婦は金に困るという事がありえない。
 海人は数々の特許によって黙っていても金が入ってくる。
 新しく研究に着手した際には大金が必要になるが、それを賄って余りある程に。
 しかも研究が終わったら開発費の何十倍という額が入るので金は増える一方だ。

 妻の舞を観賞しながら、海人はその説明に軽く頷く。

「妻は専業主婦。時間を取られる作業なんて料理ぐらい」

 クルクル優雅に回りながら、エミリアは言葉を続ける。

 彼女は結婚前は仕事で忙しかったのだが、結婚後はすっかり専業主婦になっている。
 手際の良さや海人開発の道具の関係もあり、一番時間を費やすのは料理なのだが、
その時間を差し引いても暇な時間がたっぷりとある。

 それもまた事実、と落ち着き払った顔で頷く海人。 
 
「こーんなお気楽夫婦――――――毎日いちゃいちゃして当たり前でしょうが!
つーか自由に外出できれば美味しい物沢山食べて綺麗な洋服買い漁って他の欲も満たしたいのよ!」

 唐突に舞を止め、エミリアは夫に食ってかかった。
 先程までの優雅さはどこへやら、欲望全開な目つきだ。 

「堕落する気満々か!?」

「堕落上等! 私は幸せの為に生きる!」

 亭主の突込みをものともせず、むしろ堂々と胸を張る駄目女房。
 言葉の駄目さ加減とは裏腹に、その姿は戦女神のように勇ましい。

 そんな妻に海人は苦笑を浮かべ、ゆっくりと席を立った。

「……あー、もう。分かった分かった。ただし、夕方までだぞ?」

 エミリアを抱き寄せながら、前置きする海人。

 良い所まで進んだが、完成までもう少し時間がかかるのも事実。
 世間の騒ぎそれ自体はどうでもいいが、大事になりすぎれば面倒な事になる。
 今日中に仕上げられるよう、時間の制限は必要だった。

「ん、オッケー。それじゃ映画でも見よっか? 内容はラブロマンスで」

「コメディは駄目か?」

「折角いちゃつくんだから、コメディはダーメ。ほら、さっさと行くわよ」

 残念そうな夫の腕を抱きしめつつ、エミリアは歩き始めた。 






 番外編その十



 とある山中にて、宝蔵院刹那が瞑想していた。

 まだ魔物が完全に鎮静化していない時間帯だというのに、彼女の周りだけが静まりかえっている。
 周囲一帯には魔物の気配はおろか動物の気配すらなく、虫の鳴き声さえ聞こえない。
 まるで刹那を恐れているかのように、周囲には生の気配がなかった。

 それどころか、刹那本人も彫像のように微動だにしていない。

 耳を澄ませれば微かに呼吸音が聞こえてくるが、それだけ。
 身動ぎはおろか、その美しい面立ちさえ動かさない。
 知らぬ者が見れば精巧な人形と間違えるだろう。

 生命の色豊かな山において、この一角だけが別世界。
 まるで聖域のような厳かさに満ちていた。

 が――――――それは儚く砕け散る事となる。

「お姉ちゃーーーん、御飯出来たよー!」

 遠慮の欠片もない賑やかな声が、静寂を木端微塵に打ち砕く。
 それと同時に刹那の目がゆっくりと見開かれた。
     
「……この程度で集中が切れるか。まだまだ修行が足りんな」

 溜息を吐きながら立ち上がり、固まっていた体を軽く解す。

「今日は何時間やってたの?」

「二時間程度だな。とはいえ、お前の声一つで集中が途切れるとは我ながら未熟な事だ」

「この山の中で二時間ずーっと瞑想続けられてどこが未熟なんだかねー。
あたしなんかまだ一時間耐えらんないってのに」
  
「お前は堪え性が無さすぎるだけだ。大体、精神修練には―――」

「瞑想が一番、でしょ。分かってるってば。だから毎日欠かさずやってんでしょーが。
じっとしてんの嫌いなのに」

「ま、それに関しては褒めてやろう。ぐだぐだ文句を言いながらも続けてはいるからな」

 むくれて抗議する妹の頭を、優しく撫でる。

 雫はまだまだ未熟で、精神修練は急務。それは事実だ。
 決して妹の自制心が弱いとは思っていないが、抑えるべきものが強すぎる。
 それを考えれば、文句を言わずに修練に励めと言いたくなってしまう。

 が、雫が努力しているのもまた事実。

 大人しくしている事は大の苦手だというのに、かれこれ数年間毎日瞑想を続けている。
 一回一回の時間は短いが、総合的な長さそれ自体は刹那と同等。
 妹なりに努力している事は、疑いようもない。     

「そー思うんだったらなんか御褒美とか欲しいんだけどねー。頑張ってる妹としては」

「この間拙者の分のプリンをやっただろうが」

「あたしの努力ってプリン一個なの!?」

 目を見開き、絶叫する雫。

 少し前に貰ったプリンは、確かに価値がある。
 あれはこの山奥からはるばる遠くの都市まで足を伸ばさねば手に入らない。
 そのうえ、人気故に売り切れが早く、場合によっては前日に家を出なければ買い逃してしまう。

 月に一度のその楽しみを譲ってくれた事は喜んでしかるべきだし、実際飛び上がって喜んだ。
 文字通り飛び上がってしまったせいで天井に頭をぶつけたが、それも気にならないぐらい嬉しかった。

 しかし、しかしである。

 何年も嫌いな瞑想をやり続けた褒美としてはあまりに安すぎる。
 しかも、それとは別に毎日地獄のような鍛錬にも耐えているのだ。
  
 いくらなんでも、惨すぎる。

「そう言われてもな。拙者の小遣いで出来る事などたかが知れているし……では、ケーキならどうだ?
エイゼルクロートで、今度苺をふんだんに使った新作が出るそうだ。今度町に行った時に買って――」

「そーじゃないでしょ!?」

 姉の言葉を遮り、抗議する。
 怒っているのだが、小さい体で地団太を踏むその姿はどちらかと言えば可愛らしい。

「お前は、苺が好きだろう?」

「好きだけど! 大好物だけど! 勿論その新作ケーキも食べたいけど!
なんか違うと思わない!?」

 ちゃっかり自己主張しつつ、素でボケている姉に言い募る。

「では肉か? だが、拙者の小遣いでは高級肉は手が出ないし、この近くには良い獲物がいないからな……」

「食べ物から離れてぇぇぇぇっ!」

 どんどん違う方向に話を進めてしまう姉に、思わず叫んだ。 

「食べ物ではない……?」

「そうだよ。服とか装飾品とか、色々あるでしょ?」

「……拙者の小遣いで手が出る範囲では、良い物が手に入らん」

 疲弊した妹に、残酷な現実を突きつける。

 刹那の資金源は、現状母から渡される小遣いのみ。
 それ以外の資金調達は現状許されておらず、その額も決して大きな物ではない。

「お母さん説得するとか」

「聞いてくれると思うか?」

「無理だねぇ……」

 がっくりと、肩を落とす。

 二人の母は、決して酷い親ではない。
 基本的には優しく、温厚な部類だと言える。

 が、金に関しては厳しい。
 
 家の財布を完全に握り、夫には必要最低限の小遣いというのは序の口。
 刹那が昔破壊した家具や食器の代替を全て近場の森の木から自作し、夫の酒も自宅で栽培した果物から自作し、
果ては森で囲んできた魔物達をこれ幸いと干し肉に変えてしまった。
 その徹底した倹約ぶりによって、宝蔵院家の貯蓄はかなりの額に達しているのだ。

 そして母は現状娘達に冒険者免許取得を禁じている。
 取得すれば才能溢れる二人はきっとあっという間に大金を稼いでしまう。
 そうなれば、将来金遣いが荒くなってしまう可能性があると言って。
 
 そんな状況で、小遣いの増額など望めるはずがない。

「まあ……冒険者免許を取って稼げるようになったら何か買ってやろう。
ただし、それまでは勿論それからも瞑想はやり続けるように」

 落ち込む妹の顔を覗き込み、優しく諭す。
 その瞬間、雫の顔がぱあっと明るくなった。

「当然! うっわ今から楽しみだなぁ~!」

 全身で喜びを表現しながら、家へと駆けて行く雫。
 そんな妹を、苦笑しながら見守る刹那。

 ――――二人は、知らない。

 冒険者免許取得許可は、町に一度行っただけで小遣いを使い果たす雫の金銭感覚が改善されるまで出ない事を。
 刹那は取っても良いと思われているのに、雫がそれに拗ねて勝手に取りに行ったら困るからと許可が出ていない事を。
 結果、二人の免許取得はこれから数年後になる事を。

 ――――二人は、想像もしていない。

 冒険者免許取得を機に家を出た途端、自分達の金運が地獄の底まで突き抜ける事を。
 稼ぐ事は上手くいかず、稼いだとしてもその端から金が消えて行く事を。
 小遣いで悩んでいたのが、どれほど幸せだったか回顧する事を。

 そして――――その先にある未来もまた、知る由はなかった。






コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://nemuiyon.blog72.fc2.com/tb.php/261-190e7453
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

九重十造

Author:九重十造
FC2ブログへようこそ!



最新記事



カテゴリ



月別アーカイブ



最新コメント



最新トラックバック



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード