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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット11~15
 番外編11



 ルミナスの前で、グツグツと鍋が音を立てていた。

 中身は、赤い色のスープ。
 薄い色ではないが、目を凝らせば中の具材が透けて見える程度には透明感がある。
 透けて見える中身からすると、多様な具材が使われているわけではないようだ。
 だが、香りはなんとも良い香りが漂い、眺めているだけで食欲が湧いてくる。
 
 それにルミナスは塩を一つまみ加えると、軽くかき回した。

「ん~……」

 一口舐め、ルミナスは渋い顔をした。

 味は、決して悪くない。
 果実由来のほのかな酸味、肉の旨味による濃厚さ、そして野菜の滋味。
 多くの素材が殺し合わず上手く共存し、塩の味がそれを見事に引き締めている。
 不味いはずはなく、むしろ美味いと言える。
 
 が、ルミナスには物足りない。
 もっと美味いスープを作れるという確信があるだけに、余計に不満がある。
 
「……やっぱりこの程度の材料で熟成無しだと、イマイチねぇ」

 嘆息し、鍋の火を消す。

 今日作ったスープは、いわば試作品。
 限られた材料、時間経過による熟成無しという条件下で、どれぐらいの味の物が仕上げられるか。
 それを確かめるために、彼女は朝から二十種近いスープを作っていた。

 というのも―――――ルミナスは美食家にもかかわらず、職業が傭兵だからである。

 仕事の性質上、仕事中の食事は限られてしまう。
 自分で材料探しに行ければ良いが、激しい戦場になるととてもそんな余裕はない。
 配給された食材で適当に作れればまだマシ、ひどいと安くて不味い干し肉を延々齧り続ける事になる。

 せめて、多少材料がある時は美味い物が食べたい。
 だからこそ配給される事が多い食材だけを使って試作したのだが、結果は芳しくなかった。
 
 悲しい結果に肩を落としていると、玄関のドアがノックされた。
 ルミナスが返事をすると、ぞろぞろと数人の男女が入ってくる。

『隊長、遊びに来ました!』

 一斉に声を揃え、元気よく挨拶するルミナスの部下達。
 その手には、各々多数の袋を持っている。
 
「いらっしゃ――――ありゃ? シリルはどうしたの?」

「副隊長は済ませる用事があるとかで、明日いらっしゃるそうです……ん? 何か良い匂いしますね」

「ああ、ちょっと色々作ってたのよ。試作品だから味は今一つだけど、良かったら食べ――――」

『御馳走になります!』

 ルミナスの言葉が終わる前に、一斉に頭を下げる部下達。
 
 彼らは、空腹だった。
 というのも、ここに来れば上司が美味い料理を振る舞ってくれるから、と丸一日食事を抜いていたのだ。
 ルミナスの料理に、空腹という最高のスパイスを加える為に。

 そんな部下達に苦笑し、ルミナスは台所を指差した。
 そこにあるスープどれでも、好きに食べていいと。

 ルミナスの部下達は、手荷物を一箇所に纏めて置くと一斉に食事の準備を始めた。
 棚から食器を取出し、瞬く間に準備を整えてスープに手を伸ばしていく。 

「お、やっぱ美味いじゃないですか! これで不満なんですか?」

「そりゃあね。野菜の種類入れれば旨味も増すし、熟成させればもっと美味しくなるし」

「熟成はともかく、何で他の野菜入れなかったんですか?」

「……ったく、馬鹿だねぇ。これどれも仕事でよく配給される食材じゃないか。
隊長は仕事中でも作れるって条件の美味い物を試してんだよ」

 まるっきり分かっていない同僚の男を、赤毛の女性が軽く睨む。

 ルミナスは、戦場においても部下に任せず自ら料理を作る。
 自分が美味い物を食べたいからという至極単純な理由で、本人もそれを公言して憚らない。
 自分より美味い物を作れる人間がいないんだから仕方ない、と。

 が――――ルミナスの部下達は、決してそれだけが理由でない事を知っている。

 戦い疲弊した部下達が、美味い物を食べて活力を取り戻す。
 ルミナスがその様子をどれほど嬉しそうに見ているか、知らない者は一人もいない。
 
 そして、その恩恵に与っている者ならこの料理がルミナスの為だけの試作でない事も気付いてしかるべきだ。
 多少味付けが変わっているとはいえ、ベースは食料調達に出られない時に良く目にする料理なのだから。  

 手痛い指摘に男がばつが悪そうに頬を掻いていると、ルミナスが軽やかに微笑んだ。

「気にしないの。料理なんてその場で食べて美味しけりゃそれでいいんだから。
……でも、やっぱり材料が限られてると味が良くならないってのはあるかもしれないわね。
もーちょっと質上げられたらいいんだけど」

「何仰ってるんですか。仕事中隊長が作って下さる料理はとても美味しいです。
そりゃ休暇の時に作って下さる料理は最高ですけど、材料がないはどうにもならないじゃないですか」

「そう言ってくれると嬉しいわ。でも……」

 思わずこぼしかけた言葉を途中で、飲み込む。

 ――――――本当は、普段の食生活でも満足はしきれていない。

 良い食材を使い、それを活用できる腕も持ち合わせている。
 それは事実なのだが、いかんせんルミナスの財布事情は極端に良いわけではない。
 その為本当は色々試してみたい高級食材などもあるのだが、
新しい料理を考えても結局無難な味に落ち着く事が多くなってしまう。
 
 過度な冒険をしたいわけではないが、やはり一度は採算を完全に忘れて色々試してみたい欲求がある。 
 一度それで大成功したシチューの出費を考えると怖いが、新しい美味への欲求はどうしても消えない。
 
 が、そんな事をこの場で愚痴るわけにはいかない。
 
 なにしろ、タダで御馳走になるわけにはいかないと毎回来るたび食材を大量に持ち込むか、
食材を買いに行った時に勘定を有無を言わさず全額支払うような者達だ。
 耳にした途端、自分の財政を投げ捨ててルミナスの欲求に協力すると言い出しても不思議はない。

 唐突に言葉を止めた上司に、赤毛の女性が問いかけた。 
 
「どうしました?」

「いや、なんでもないわ。それより、今日はどんな食材持ってきてくれたの?」

 問い返す部下に笑顔を向け、話題を変える。
 今考えても仕方の無い事だ、と。
 遅くとも実家の弟妹達が自立するまでの辛抱だと。
 
 ――――――近い将来の事を知る由もなく、そう思っていた。

 












 番外編12


 スカーレット・シャークウッドは、今にも破裂しそうな心臓の動悸を必死で抑えていた。

 原因は、今から己がやろうとしている行為。
 その意味を知らぬ者はなぜその程度の事でと嘲笑し、
知る者ならばなぜ命を無駄に捨てるような愚行を、と哀れむだろう。

 スカーレットは、理性では今ここで引き返し明日の為に眠るべきだと分かっている。
 時は既に深夜遅く、眠るにしても二時間程度だろうが、それでもその睡眠時間の効果は大きい。
 毎日の事とはいえ、食欲旺盛なこの屋敷の人間の食事を用意するのは相当な重労働。
 体力を回復させておくに越した事はないのだ。
 まして、それと引き換えにしてまで命を懸ける意味は無い。
 
 が、そこまで分かっていてなお、スカーレットは己を止められない。
 
 まず確実に自分の行為が失敗すると分かっていてなお、足が進んでしまう。
 最悪その先に無惨極まりない死が待ち受けていると分かっていても、体が動く。
 よしんば最悪を避けたところで無事でいられるはずがないと思っても、歩みは止まらない。

 やがて目的地のドアの前に辿り着き、一息吐く。
 大きな音だが、自室から延々遮音魔法を展開し続けているので音が周囲の漏れる心配はない。

(……ここまで反応なし。作業に集中して、気付いてないのかね)

 そこまで考え、首を横に振る。

 ドアの先にいる人物は、紛れもない怪物。
 目隠し耳栓をした状態でも的確に敵の急所を貫ける超感覚の持ち主だ。
 いかに注意を奪われていたところで、スカーレットの気配消しが通じる相手ではない。 
   
 となると、今はまだ見逃されているだけと考えるべきだろう。

 今この場から立ち去るなら、見逃してやる。
 だがもし立ち去らぬのならば、

(あ、ははは……ぶっ殺される、だろうねぇ……)

 恐怖のあまり汗だくになりつつも、ドアノブに手が伸びてしまう。

 その間も、どこか冷めた理性による自問自答が続く。
 これは、本当に価値のある行為なのかと。
 比較すらする気にならぬ程圧倒的な超生物に喧嘩を売っていいのか、
つい最近恋人になった幼馴染と結婚する前に死ぬ危険を冒す価値があるのか、
そもそも目的を僅かでも達成できる可能性があるのか、理性的な思考がめまぐるしくスカーレットの脳裏をよぎる。 
 
 が、それら理性の必死の抑制を――――本能が強引に押し切ってしまった。

 ドアノブをゆっくりと回し、僅かずつ慎重に開けていく。
 そして永劫とも思える時間の末に目玉一つ分ほど空いた隙間を、やはりじっくり覗き込み始める。
 本来ここまで進める事自体おかしいのだが、作業に全集中力を費やしているスカーレットはそれに気付かない。
 そのまま顔を横にスライドさせ、僅かずつ視界をドアの隙間へ移動させていく。

 ――――そこでようやく、スカーレットはその先に誰もいない事に気付いた。

 部屋に誰もいない、という事はありえない。
 未だ光の魔法による明かりがついているし、廊下を歩いている間は気配があった。
 なにより、部屋に漂う甘い香りはつい先程まで誰かがこの場で作業していた証拠。
 さらには部屋の窓や他の入り口の鍵は全て締め切られている。

 つまり――――スカーレットが分からないだけで、まだこの部屋にいる。

 慌てて周囲の気配を探るが、それでも何も感じない。
 当然と言えば当然。ここにいるはずの人間は、気配消しも一流。
 彼女が気配を消せば、スカーレットが察知するなど夢のまた夢。

 そこまで考え、スカーレットは最悪の可能性に気付いた。

 気配を消しても、姿までは消せない。
 気付きにくくはなるが、スカーレットの察知力でも視界に入れば捉えられる。
 となれば、彼女がいる位置はスカーレット唯一の死角。
 逃げる努力すら叶わない、超近距離だけだ。

「寝てなくていいのかしら?」

 スカーレットが隠れているドアの裏から、冷淡な声音が響く。

 猛者揃いのこの屋敷においてさらに群を抜く怪物。
 更には果断な決断力と冷徹なまでの非情さをも持ち合わせる最悪の超人。
 ローラ・クリスティアの声が。

 ドアを開けて自分の前に立った怪物を前に、スカーレットは一応言い訳をしてみる。

「……いやー、ちょっと厨房に誰かいるみたいだから気になってねー」

「それなら誰も起こさずに単独で来るのは不自然ね。
まして、そこまで大量の汗を掻くほど緊張しているのだから」

 スカーレットの足元にある変色した絨毯を見下ろし、静かに論破する。

 今の状況では、侵入者を警戒したという言い訳は通じない。
 ここまで大量の汗を掻くほど侵入者を警戒していたというのなら、他に同行者がいてしかるべきだ。
 それがない以上、スカーレットが警戒していた相手は侵入者ではない。
 
 そしてなにより、ローラはスカーレットが何故こんな時間に起きているのか理解していた。
   
「私のチーズケーキの作り方を覗き見るつもりだったのでしょう?
多少小細工を弄したみたいだけれど、無駄だったわね」
  
 淡々と、スカーレットの目的を言い当てる。

 ローラが作る最高のチーズケーキ。
 スカーレットがこれのレシピを欲している事は前々から知っている。
 以前食べさせた際、是非にとしつこく頼み込んできたのだ。
 そしてにべもない態度に無理を悟ってか、秘密を探るべく一度厨房に潜んでいた事もあった。
 即座に気付いて厨房で一番大きい寸胴を叩き込んだが。

 そんな事があったのでそれ以来警戒して材料調達まで気を配っていたのだが、
今日は一部材料の手配を頼んだ業者が間違えて厨房に届けてしまった。
 受け取った者は料理長は知らない事と言っていたが、表情には隠しきれない嘘の色。
 詮索はしなかったが、口止めされた事がバレバレであった。

 となれば、その後何をするつもりかは見当が付く。 

「くっ、メリッサに嘘吐かせた段階でバレてたってわけかい……!」

「そうよ。さて……前に寸胴を投げた時、言ったわね。
このレシピは誰にも教えるつもりはない。
そして――――強引に探るなら、容赦はしないとも」
   
 絶対零度の声音と共に、殺気を叩き付ける。

 対象を完全に絞った、狙いすました威嚇。
 ゆえに周囲に感知される事も無く、それでいて対象者には絶対的な恐怖を与える。
 例え、それが鍛え抜いた武人であっても。
 
「ひいっ……!?」

 腰を抜かしながら、後ずさるスカーレット。 
 
 分かりきっていたはずの結末ではあるが、現実になるとやはり恐ろしい。
 大人しくやめておけば、そんな後悔が押し寄せるが後の祭り。
 今の彼女は深い悔恨と共に目を閉じ、恋人の顔を思い浮かべるぐらいしか許されない。

 覚悟を決め、最期の時を待つスカーレットだったが、

「……とはいえ、実害はなかった事だし今日は許しましょう。
それに、副料理長ではまだこの屋敷の食事を賄い続ける事は無理でしょうしね」

 ローラは唐突に殺気を緩め、スカーレットを立ち上がらせた。

 元々、スカーレットの企みが発覚した段階でローラは対策を打っていた。
 面倒ではあったが、仕事の合間を縫って自室で工程を進め、厨房では仕上げの焼き上げのみを行ったのだ。
 その焼き上げも色々手間がかかるが、スカーレットがこの厨房に到着したのは全てが終わった後。

 ゆえに実害は皆無。これならば許しても問題はない。
 
 告げられた言葉に、スカーレットは深い安堵の息を吐いた。
 
「た、助かった、か……じゃあ、悪いけどもう行ってもいいかい?
朝の仕込みがあるから、ちっとでも寝ときたいんだ」
  
「その心配はいらないわ」

「は?」

 ローラの言葉に、間の抜けた声を返す。
 呆けているスカーレットにローラは淡々と言葉を続けた。 

「――――流石に二度目となると、許すには相応の罰が必要だから」

 そんな冷たい言葉と共に、懲罰が始まった。

 











 次の日の夜、スカーレットの部屋を副料理長が訪れていた。

 普段はくりくりとした目が印象的な愛らしい女性なのだが、
髪はほつれ、目はどんよりと濁り、生気という生気がない。
 唐突な料理長不在を必死で乗り切った結果であった。
 
 崩れそうになる体をどうにか起こしながら、彼女はベッドに横たわる上司に話しかける。
 
「……料理長ー……生きてますかー……?」

「…………」

 目線だけでどうにか、と意思表示するスカーレット。

 返事をしたいのは山々だったが、口を開くだけで全身に激痛が走る。
 それでも丸一日肉体強化をやっていたおかげで朝に比べると随分マシになったのだが。

「だから、止めた方が良いって言ったのに……」

「…………」 

 溜息と共に吐かれた部下の言葉に、無言で涙を流すスカーレット。
 
 昨晩の無謀な企みは、多くの部下に止められた。
 あの総隊長が一度警告を無視した相手に容赦するはずがないと。
 その言葉に正気に返ってやっぱり止めておくと告げ、事実その時点では止めるつもりだった。
 
 が、結局気になって眠りが浅く、気が付けば死地に向かっていた。
 愚かしいという言葉すら生温い己の馬鹿さ加減に涙が止まらない。  

 料理人としての本能に負けた結果が、この生き地獄。

 そればかりか、ローラから明日の朝食はちゃんと作れと厳命された。
 明日の朝には味に影響を与えない程度に回復できるよう加減した、と。

 スカーレットは、思う。
 この世には、触れてはならない物があるのだと。
 いかなる欲求に突き動かされようと、触れてはならない物が。 
 
 そして、誓う。

 二度とあのチーズケーキのレシピには触れまいと。
 誘惑に負けそうになったら、自らの両足をへし折ってでも止まらねばならないと。
 
 ひたすら続く苦悶の時の中、スカーレットは固く誓った。
  
 







 
 番外編13




 海人が借りているルミナスの家の一室。
 
 この部屋には特徴らしい特徴がない。
 四角い部屋に少し大きめの窓が一つ。後はベッド、椅子、机、そして小さなクローゼット。
 手入れこそ埃一つ落ちていない程に行き届いているが、一切飾り気がない。
 
 綺麗に使ってくれるのは嬉しいが、もう少し生活感が漂っていても良いのではないか。
 これが家主であるルミナスの意見だった。
 
 ――――――が、それは昨日までの話。今日部屋に入ったら、そんな思いは綺麗さっぱり吹き飛んだ。
 
 とはいえ、ルミナスに咎めるつもりはない。
 おそろしく散らかってしまっているし、呪いの儀式のような光景にも見えるが、これは海人が請け負った仕事の副産物。
 むしろ頑張りなさい、と優しく声を掛けてやるべきだと思う。
 
 ただ、現実には目の前の光景には理解が追いつかず、声が出ない。

 今日から書き始めると言って朝から部屋に籠もりっぱなしだったので、
差し入れにクッキーを焼いて紅茶と一緒に持ってきたのだが、気を抜くとそれが載ったトレイを床に落としそうになる。
 
 ルミナスがドアを開けたまま硬直していると、シリルが下から部屋を覗き込んだ。

「……す、凄まじいですわね」

 思わず呟いたシリルの頭上には、膨大な数の文字と絵。

 昨日までは何の変哲もない空間だったはずだが、今や天井半分を吊るされた大量の紙が覆い隠している。
 どうやら、後で本にまとめる際万に一つも滲まぬよう、インクを完全に乾かそうとしているようだ。

 その中の一枚に目を向けると、そこには果物の栽培法が記されていた。
 基本的な栽培法もさる事ながら、栽培上で起こる可能性があるトラブル全てについての対策も言及している。
 悪天候が続いた場合、害虫が出た場合、果ては特に問題がなさそうなのに上手く育たない場合まで、事細かに。
 しかも分かりやすいよう所々綺麗なイラストまで付いており、それに従えば子供でも栽培できそうな風情だ。
  
 相当頭を使っているであろう事は想像に難くないのだが、海人は依然として凄まじいペースで次から次に栽培法が記された紙を生み出している。
 まるで一桁の足し算の答えを書いていくかのような軽快さで文章を書き、子供が落書きでもするかのような気軽さで精緻なイラストを描いていく。

 インクが乾く速度と海人が新たに紙を生産する速度。
 それを比べると、遠からず部屋が紙で埋め尽くされる事が明白であった。

「えーっと、カイト……差し入れ、持ってきたんだけど……」

 どうにか再起動したルミナスが、恐る恐る声を掛ける。
 この速度の作業中では耳に入らないかと思われたが、  

「お、すまないな。丁度キリが良いところだし、ありがたくいただこう」

 海人はすぐさま執筆の手を止め、ルミナスに返事をした。
 が、その直後部屋の惨状を見て渋い顔になり、

「……と言っても、この部屋では無理か。リビングに行こう」

 最後に書き上げた紙を吊るすと、上にぶら下がっている大量の紙片を潜りながら、
部屋の入口まで移動した。

 
   
 



 
  
 









 リビングで、海人はルミナスが淹れてくれた紅茶を楽しんでいた。

 極上の茶葉を使い、絶妙な淹れ方で上手に味を引き出した超高品質な紅茶。
 すっかり慣れ親しんでしまった味ではあるが、何度飲んでも美味い物は美味い。
 上品な甘い香り、適度な苦み、そして適度な温かさが疲労した体に染み渡っていく。 

「ふう……作業後の一服は美味いな。この後の作業にも気合が入るというものだ」

「そりゃ良かったわ。でも、あんたよくあんなペースで物書けるわね」

「最初に説明の流れを頭の中で組み立てれば、後はそれに従って手を動かすだけだからな。
と言っても普通ならあの速度は出せんのだろうが……肉体強化は本当に便利だな」

 ルミナスの呆れ混じりの称賛に、苦笑を返す。

 本来、海人に先程の筆速は出せない。
 速度だけなら出せるだろうが、それを完全に御するには器用さに加えて相応の筋力も不可欠。
 素の海人にそれほどの筋力の持ち合わせはない。

 が、魔力による肉体強化を使えば話は別。

 筋力は勿論体術も大した事が無い海人でも、魔力による肉体強化を行えば素手で岩を割れる。
 その恐るべき強化は、作業に必要な筋力を海人に容易く与えてくれるのだ。
 
「普通は肉体強化をしてもあんな芸当ありえませんわ。まったく、つくづく化物じみてますわね」

 どこか投げやりに、シリルがぼやく。

 普通なら、執筆作業に肉体強化は役に立たない。
 なぜなら、やる事が執筆である以上その速度を活かす為には執筆する内容を超高速で処理できる頭脳が必要不可欠だからだ。
 例え秒間二十行分の文字を記述できたところで、秒間一行しか記述する内容が浮かばないのであればどうにもならない。

 海人のあの芸当は、人類の限界を投げ捨てたかのような頭脳あればこその荒業なのである。 
 
「はっはっは。ならその化物に幾度となく無惨な敗北を喫して尚挑む君は、さしずめ御伽噺の勇者と言ったところか。
もっとも、御伽噺と違ってこっちは最後まで勝てんだろうから――――ただの身の程知らずかな?」

 見下すように笑いながら、テーブルの隅に置いてあるディルステイン盤に視線を移す。

「ふ、ふふふ……少々連勝した程度で随分図に乗ってますわねぇ……?」

 歯をむき出しにして、凶暴な笑みを浮かべる。

「……五十連勝は少々なんてレベルじゃないでしょ。
しかもあんた負け分かってるのになかなか投了しないから悲惨な負け方ばっかだし」

 負けん気が強すぎる部下に、溜息を吐くルミナス。

 五十連敗。それがシリルのディルステインにおける対海人の戦歴だ。
 もはや数字のみでも少々とかそういう次元ではなく、ドラゴンと蟻以上の実力差がある事は明白。
 しかも勝負の詳細を見れば全ての局面で思考を読まれ、ひたすら掌で踊らされ続けた挙句の敗北である事も分かる。
 
 だというのに、シリルはあまり投了しない。
 相手のミスに期待して、最後の最後まで諦めずに戦い抜いてしまう。
 流石に致命的なミスを三回以上期待しなければならない状況となると諦めるが、
それまではただの一度の致命的なミスを執拗に狙い続ける。
 例え海人が、彼女が狙っているミスをやるフリをしてからかってきても、だ。
 
 いっそ哀れで、涙が出そうになるが――――溜息の理由はそれではない。

 今この場に流れている空気。
 ピリピリとした、それでいてどこか楽しげな気配。
 すっかり慣れてしまったそれによってこれから行われる事が予想できて、思わず溜息が漏れてしまったのだ。

 案の定、シリルはルミナスの問いに海人の方を向いたまま答えた。
     
「お姉さま、いかなる英雄譚も何の障害もなくすんなり勝ったというものはありません。
試練を乗り越え、あるいは努力の果てに最後の最後で邪悪な敵を打ち倒し勝利と栄光を得る、そういうものですわ」

「ほほう……私は邪悪、と言いたいのか?」

「あら、英雄譚の事ですわよ? 言いがかりはいただけませんわね。
まあ、自覚があるからそんな被害妄想を抱くのでしょうけれど」

 楽しげに聞き返す海人に、意地悪気な笑みを向ける。

「ふ、邪悪という言葉に異存はないが、ボードゲームで負け続けだからと言って、
喧嘩となれば容赦なく碌に抵抗できない弱者に乱打を浴びせる鬼畜外見幼女に言われたくはないと思ってなぁ?」

「あらあら、ちゃんと許しを乞える程度にしか痛めつけておりませんのに、そこまで言われるのは心外ですわね。
そもそも碌に抵抗できないなど、いつの話ですの? この間私に一撃入れたのは、どこのどなたでしたかしら?」

 海人の言葉を、鼻で笑う。

 海人は確かに弱者だが、抵抗が出来ないわけではない。
 彼が独自開発した防御魔法は侮れないし、最近ではこちらの行動パターンを読んで反撃さえ試みる事がある。
 先日など、手加減していたとはいえついに一撃入れられてしまった。

「追い詰められれば鼠とて猫を噛む事もある。そんな儚い抵抗など抵抗の内に入るまい」

「しっかりと鳩尾を狙い力を溜めて悶絶級の一撃を放って儚い抵抗ですの?
しかも直後に初勝利と拳を突き上げ元気一杯喜んでましたのに」

「その直後に君の拳で天井に叩き付けられただろうが」

 半眼で、シリルに抗議する。

 確かに、海人はシリルの鳩尾を狙った。
 拳にも彼女の意識を刈り取れるだけの力を込めた。
 そしてシリルを、はるか格上の超人を見事に床に沈めた。
 
 が、それは儚い喜び。
 打点は直前にずらされ、直撃寸前に後ろに跳ばれ、威力は極限に減衰。
 シリルは海人の油断を狙って気絶したフリをしていただけだった。
 
 何も知らず奇跡的な初勝利の喜びに拳を突き上げようとした瞬間、腕の代わりに自分の顎が上に上がった。
 それに引きずられるように全身が宙に舞って天井に叩き付けられた。
 一矢報いたとも言い難い、いつも通りの無惨な敗北だった。
 
「ふふ……折角床に叩き付けられないよう受け止めてあげようとした私に、
最後の気力を振り絞って頭突きかましたのはどこのどなたですの?」

「頭突きは掠った程度だったのに、蹴りで壁に叩き付けてくれたのはどこのどなたかな?」

 獰猛な笑みを浮かべて睨み合う、シリルと海人。
 どちらも臨戦態勢で、一触即発の空気を醸し出している。

 それを横目に眺めながら、ルミナスは肩を落とした。

(まったく……めちゃくちゃ仲良いくせに、どーして喧嘩せずにいられないんだか……) 

 心の中で嘆息しつつ、軽く肩を回す。

 これが二人なりの親睦の深め方だとは知っているが、生憎ここは自分の家のリビング。
 暴れられると、家に被害が出かねない。
 家具や食器は海人に作ってもらえばそれで済むのだが、壁や天井に穴が開いたら修理に時間がかかる。
 この間のようにリビングで星空を見上げながらの食事は願い下げだ。   

 すっかりじゃれ合いに夢中になっている二人を制止すべく、ルミナスは大きな音で手を打ち鳴らした。





 番外編14




 海人の屋敷の中庭。
 どこか寂寥感漂うそこの景色の中心に、海人と刹那がいた。

 海人は地面に横になりながら晴れ渡った青空を眺め、
刹那はその横で正座して静かにお茶を飲んでいる。
 静かで言葉など一切交わさない二人だが、間に流れる空気はどこか温かい。
 
 そのうち、海人の瞼が段々下がってきた。

 今は昼食までもう少しという時間。
 寝るには中途半端な時間なので、出来れば起きていたい。
 そう思っても、瞼は少しずつ下がっていく。

 そんな主に、刹那は優しく声を掛けた。
 
「お疲れでしょうし、お休みになられてはいかがでしょう。昼食には起こして差し上げますので」

「……いや、少しは疲れてるが別にそれが原因で眠いわけじゃない。陽気に釣られただけだ」

 刹那の言葉に、ゆっくりと瞼を持ち上げながら答える。

 確かに、少しばかり疲れてはいる。
 ここ数日、刹那達用の新魔法の開発にかかりっきりだった。
 どんな魔法が使いやすいか、発動時間、消費魔力、威力、自動発現範囲等々調整しなければならない事が山のように存在し、
更にはそれらの実現に必要な術式を組む為に新理論を大量に考案した。
 おそらく今日までの研究成果だけでも、表に出せば魔法学会がひっくり返る事になるだろう。
 それだけ頭を使って、まったく疲れていないと言えば流石に嘘になる。

 ――――とはいえ、それほどの疲れではないというのも事実だ。

 かつて研究に最も没頭していた時の頭の使用具合は、今回の比ではなかった。
 文字通り寝食を忘れる事は日常茶飯事、進める研究分野は同時に最低十以上、
ついでに家の防犯設備システムの改良案やら喧嘩を売ってきた組織の殲滅案やら色々と考え、
時間が空いたら空いたで大量のカレーを作って冷凍し、研究時に食事を作る手間を省く。
 まさに生活の全てが研究の為に費やされ、休むなどという発想すらなかった。

 それに比べれば、ここ数日の研究生活は優雅極まりない。

 基本的に地下には籠もっていても、食事時には戻って毎食刹那や雫が作ってくれた美味しい食事を平らげ、
夜になればぐっすりと早朝まで寝ている。
 まして、今は自動迎撃装置に撃ち落とされたヘリの爆発音を聞く事も無く、防犯装置によって解体された特殊部隊の残骸を片付ける必要もなく、
せめて遺体だけでも返してくれという電話もかかってくる事も無い。
 
 心地良い疲労感どころか、こんなに楽をしていいのだろうかと思ってしまう程だ。

「それならばいいのですが……その、雫が色々と御迷惑をおかけしているようですので」

 申し訳なさそうに、言葉を濁す。

 ここ数日、雫は海人の研究室に入り浸りっぱなしだった。
 理由は、そこにある海人製パズルゲームをやる為。
 
 それだけなら海人の許可を貰っているので問題なかったのだが、
昨日刹那が地下に御茶を持っていった時、雫は最高難度に挑戦して無惨に敗れ、怒りの絶叫を上げていた。
 遮音魔法を使っていた為その音は漏れていなかったのだが、あの調子ではふとした拍子に魔法を解いてしまいかねない。

 そう思い注意したのだが、雫はそれにこう答えた。

『そんなヘマしないし、それにやったとしても昨日投げたコントローラ―が背中に当たったのもあっさり許してくれたから大丈夫だってば』

 その言葉を聞いた瞬間、刹那は愚妹に打撃、投げ、関節の制裁を行った。
 後で尋問したところ普段は一切邪魔になる事はしていないとの事だったが、正直疑わしかった。 
 
「やって良いと言ったのは私だし、基本的に雫は静かにしてるぞ?
まあ一昨日のコントローラーは少し痛かったが、あれの最高難度に初挑戦したら無理もないだろう」

 起き上がりながら、苦笑する。

 昨日一昨日と少々問題があったが、雫は基本的に静かにしていた。
 海人から少し離れた場所で遮音魔法を使い、迷惑がかからないようなプレイを心掛けている。
 
 が、あの落ち物パズルゲームの最高難度に初挑戦したとなると、多少箍が緩むのは仕方ない。

 あれは難度が五段階あるのだが、他の一段階差が手応えが増す程度なのに対し、
五と四の間の難度差はまさしく天地の開きがある。

 四までは落ちる速度が速くなる程度だが、五になると落ちてくる物が一瞬で落下する上、着地するまで姿が見えない。
 着地と同時に姿が見えるが、着地音とほぼ同時にボタンを押さなければ回転させる事も出来ない。
 しかも回転させている間に次の物が落ちてきて、そちらは操作不能。
 さらには五分後にシステムが変わり、今度は逆に最初見えているが着地した途端見えなくなる。
 そしてまた五分後、着地するまで姿が見えなくなるシステムに切り替わる。
 同色の球を五つ繋げなければ消えないというのに、クリアまでの三十分それが交互に繰り返されていくのだ。 
 
 一応落下のパターンなどの攻略法などもあるのだが、それを知る製作者の海人でさえ一度しかクリアした事が無い難度だ。
 以前友人数人にやらせたら、全員がコントローラーをモニターに投げつけた。
 難度選択時にクリアできると思わないように、と警告のテロップが流れたにもかかわらず。

「相当理不尽な難度ではあったようですが、それでも物に当たるのは褒められた事ではありません。
まして海人殿に当ててしまうなど、言語道断です」

「んなに気にする事はないと思うがなぁ……そういえば、雫はどうしてるんだ? 
朝食の後、姿を見とらんが」

「裏の川で魚を取っております。なんでも珍しい魚を見つけたとか」

 朝食後、喜び勇んで激流の川に入っていった妹の姿を思い出す。
 余程珍しい物を見つけたのか、止める間もなく飛び込み、楽しそうに魚を探していた。
 傍目から見ると、その身長の低さゆえに激流の川に溺れながら笑っているような異様な光景でもあったのだが。
 
「ふむ……何を見つけたのかな。今日は塩焼きが食いたい気分――――」

「たっだいまーっ!」

 海人の声を遮るように、頭上から雫の声が降ってきた。
 ついでに、ずぶ濡れの彼女の体から水しぶきも降ってくる。 

「雫、せめて体を拭いてから来たらどうだ」

 溜息を吐きながら、妹に手近にあったタオルを投げてやる。

「ごめんごめん。いやー、よーやく三匹捕まえられたから興奮しちゃって」

 嬉しそうに笑いながら、魚の入った籠を見せる。

 中には、彼女の言葉通り三匹の魚。
 背の色が淡い緑の褐色、腹の色は輝くような白。
 そして、大きさは海人の腕一本分以上。

「八咫鮎!? この川にもいたのか!?」

「みたいだねー」

 目を瞠って驚く姉に、笑顔で答える。

「ふーむ、図鑑で見た事はあるが……この川に生息していたとは。これは、貴重な発見だな」

 思わず、海人が唸る。

 八咫鮎の存在は図鑑に載っていたが、生息地域は主にヒノクニとも記されていた。
 この大陸でもいないわけでは無いらしいが、その生息地域は全て他国。
 この国での発見は初めての事である。 

「んな事より、これ塩焼きにすると最っっっ高に美味しいんですよ!
こんだけの大きさなのに、頭からがぶっと丸ごと食べられますし!
取れたてをそのまんま焼くのが一番なんで、早く焼きましょう!」

 割と大発見な事をそんな事と言い放ち、涎を垂らす。

 八歳の時に食べたっきりではあるが、八咫鮎の美味さは良く覚えている。
 上品で甘ささえ感じる身の味もさる事ながら、バリバリと小気味よく噛み砕ける頭部の味も堪えられない。
 その味たるや、美味さのあまり無我夢中で食べてしまい、もっとゆっくり食べるべきだったと涙した程である。

 興奮する雫に苦笑しながら、年長者二人は頷いて厨房へ塩と皿を取りに行った。








 番外編15




 ハロルド・ゲーリッツは人生最大の緊張を味わっていた。

 七十年以上生きてきて、初めてと言っていい緊張。
 若き日に独裁国家の元首と相対した時も、何の因果か上位ドラゴンの親子に遭遇した時も、
災害により仕入れ先が壊滅し商会存亡の危機に瀕した時も、これほどではなかった。
 
 彼の目の前に座するは、それらが可愛く思える程の難物。

 彼女の前では大商人としての莫大な知識も、何の役にも立たない。
 引退して尚数多の商人を心服させる威厳も、風の前の塵に等しい。
 盗賊団を一睨みで追い払った眼光も、使う事すらできない。

 これまで必死で培い、磨き抜いてきた力。
 それが役に立たぬ事があるなど信じたくはないが、現実だった。

 だが、それでもハロルドは立ち向かわなければならない。さもなければ、彼に未来はない。
 どんなに長く見積もっても三十年はないであろう余命全てが、絶望と失意の闇に閉ざされてしまう。

 渾身の意思を振るい、ハロルドは重々しく口を開く。

「ファ、ファニル……! お願いじゃ、お願いじゃから祖父ちゃんを許してくれぇぇぇえ!」 

「…………」

 祖父の必死の訴えに、ファニルはただひたすら無言で応えた。
 泣き腫らした顔を、つーんと祖父から逸らしたまま。

 ――――――なぜこんな事になったのか。

 それは、極めて単純な話。

 お小遣いを貯めて吟味に吟味を重ねて買った髪飾りを、祖父が床に落とし、あまつさえ踏み砕いてしまった。
 それだけと言えば、それだけの話である。

 当然ながら、ハロルドに悪気があったわけではない。
 パンを取ろうとしたらテーブルに置いてあった髪飾りに偶然肘が当たり、転がり落ちた。
 そしてそれを拾おうと椅子を引いた瞬間、椅子の少し後ろに転がっていった髪飾りをたまたま砕いてしまったのだ。

 言ってしまえば、不幸な偶然が重なった末の事故である。

 だが、ファニルとしてはそれで怒りが収まるはずもない。
 祖父に悪気があろうがなかろうが、大事な髪飾りを砕かれた事には変わりない。

 母のお使いや料理の手伝い、果ては父や祖父の肩叩きなど、お小遣いを貰える事を数ヶ月コツコツとこなし、
その間もどれが良いか様々な店で吟味に吟味を重ね、取り置きを頼もうと口を開こうとした瞬間に別の人に買われてしまうなどの
苦難を乗り越えた末の結末が、これだ。

 昨日購入して今日友達に見せるのを楽しみにしていた髪飾りは、無惨に砕け散ってしまった。
 どこに付ければ一番可愛く見えるか、髪型も少し工夫するべきか悩んでいたのは全て無駄になった。
 祖父は同じ物を買ってやると言ったが、生憎その露店がやっていたのは昨日の昼まで。
 買った時に聞いた話では、グランベルズに行くとの事だった。
 さらに言えば、そこの商品はどれも一点物で同じ物はなかったのである。

「そ、そうじゃ! 今度祖父ちゃんと一緒に町を回ろう! その時に気に入ったの何でも買ってやるというのはどうじゃ!?」

「お父さん? ファニルの教育に良くないから、それはやめてちょうだい。
大体、苦労に苦労を重ねてやっとの思いで買った物とほいほい買ってもらえた物が引き換えになるはずないでしょう?」

 今まで黙っていたファニルの母――――アメリアが、己の父を咎める。
 自分の時は金銭管理が厳しかった父だが、ファニルの事は恐ろしくなるほどに溺愛している。
 緊急時だろうがなんだろうが小まめに締めておかねば、以後隠れて何を買い与えるか分かったものではない。
 娘はとても良い子だが、この年齢で過保護にされすぎれば将来どうなるか分からないのだ。

「ならどうすればいいというんじゃ!? 代替品自体ありえんじゃろ!?」

「そうね……ファニル、貴方はどうしてほしいの?」

「……直してほしい」

 鍋を振るいながらも優しくかけられた母の言葉に、ポツリと呟く。

 実のところ、ファニルの願いはその一点。
 祖父に謝ってほしいとは思わない。
 代わりの物を買ってほしいとも思わない。
 
 ただ、壊れてしまった努力の結晶に元に戻ってほしいだけなのだ。

「じゃ、じゃがここまで派手に壊れてしまっては……ぬうぅ……どうすればいいんじゃ」

 半分泣きそうになりながら、ハロルドが苦悩する。

 言いたい事は分かるし、気持ちも痛いほど分かるが、ファニルの願いは叶えようがない。
 彼女の髪飾りはそこそこ良い素材ではあったが、強度が脆かった。
 そのせいで粉々に弾け飛び、見事に修復不可能な状態になっている。
 よしんば飛んだパーツ全てを集めてくっつけても、決して元通りにはならない。
 いかな大商人といえど、不可能なものは不可能なのだ。

 だが、これが直らない事にはファニルの機嫌は傾いたままだろう。
 
 毎朝過酷な仕事に赴けるだけの活力をくれる太陽のような笑顔を向けてもらえる事は無くなり、
置き忘れた昼食を届けてくれる事も無くなり、帰ってきた時に嬉しそうに出迎えてくれる事も無くなる。
 それだけならまだしも、これをきっかけに世の不条理を嘆き純粋で素直な彼女の性格が一変してしまうかもしれない。
 世の中頑張ってもどうにもならないと悲しい諦観を抱き、家庭内暴力を振るうようになった挙句、
悪い男に騙され身を持ち崩してしまうかもしれない。

「いかん……! ファニル! 祖父ちゃんはどうしようもない馬鹿じゃし取り返しがつかんが、お主は若い!
そんなクズな男に引っかかはぐおっ!?」

 言葉の途中で、ハロルドが唐突につんのめった。
 無造作に背後から振り下ろされたフライパンによって。

「お父さん、気持ちは分かるけど暴走しないの」

 言いながら、宙に舞ったオムレツをフライパンで受け止める。
 その様子は実に手馴れており、今までどれほど似たような事を繰り返してきたかを物語っていた。

「……な、何回も言っとるが熱々のフライパンで父の頭をぶん殴るか普通……?」

「そうでもしないと私の力じゃお父さん痛くもなんともないでしょ」

 恨みがましい父をあっさりと無視し、アメリアは娘の前の皿にオムレツを乗せた。
 そして、拗ねている娘の顔をじっと見つめる。

「ファニル、こういうのはどうかしら。今度お父さんが帰ってきたら、皆で一緒に出掛けるの。
お母さんが知る限り、この国で一番美味しいお店に」
  
「……凄く美味しいの?」

「ええ、勿論。あんまり美味しすぎて、お腹一杯になるのが悲しくなるぐらいよ」

「……それは嬉しいけど……お祖父ちゃんもお父さんも忙しいから……」

「いやいや! それで許してくれるなら何としてでも時間を作るぞ!
そ、そうじゃな……一週間、一週間後にはなんとしても時間を空けて皆で食事に行こう!
ちょいと遠出じゃが、何とかしてみせよう!」

 ドン、と力強く胸を叩くハロルドだが、内心は焦りに焦っていた。

 この一手しかないというのは分かるが、正直厳しすぎる。
 自分もそうだが、義理の息子もかなり忙しく、時間を空ける事自体難しい。
 それに加え今回娘が言っている店というのは、王都にある。
 往復で時間がかかる為、空ける時間はかなり長くなる。
 咎無き婿に負担をかけるわけにはいかない為、その分も必死に働き、
更には同じ長老達に平身低頭して懇願せざるをえない。

 だが、やらないわけにはいかない。
 これを成し遂げねば自分の未来には絶望しかないのだ。

 なにより、引き受けた途端孫娘の顔が明るく輝きだした。
 今更言葉を覆すなど出来るはずがない。

「だそうよ。さ、オムレツが冷めちゃうわ。早く食べなさい」

「はーい!」

 ファニルは快活な声で返事をし、母特製オムレツに手を伸ばした。








  
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