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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット5
 番外編21


 海人の屋敷の厨房に、なんとも形容しがたい良い香りが漂っていた。

 発生源は、刹那が振るうフライパンに乗った厚切りのベーコン。
 染み出た肉汁と油はなんとも言えぬ照りを肉に与え、ジュウジュウとなる焼き音はそれだけで食欲をそそり、
それらが厨房中に広がる香ばしい香りと相まって、フライパンを見ているだけで涎が出そうになる。

「うう~~~美味しそうだなぁ……早く食べたい」

 じゅるり、と口からこぼれかけた涎を飲みこみ、雫が呟く。

 ただでさえ鍛錬を終えたばかりで空腹だというのに、目の前の光景は耐え難い。
 はしたないと言われようが、危ないと言われようがフライパンに手を突っ込んで熱々のベーコンをつまみ食いしたい衝動に駆られる。
 空気中には隅のオーブンで焼かれているパンのほのかに甘い香りも混ざっているので、この場にいるだけで拷問のようだ。
 
「もう少し我慢しててね、シズクちゃん」

 苦笑しながら、ルミナスがふらふらとフライパンに伸びていた雫の手を優しく払う。
 
 気持ちは分からなくもないが、今回料理しているのは刹那。
 下手に手を出されてしまうと彼女の感覚が狂って、何が起こるか分からない。
 熱々の油ごとベーコンが降りかかってくる程度なら用意したボウルで受け止めればいいが、
火力調節を誤って大火事になる可能性も零ではない。
 普通ならありえないと言える可能性だが、料理中の刹那なら冗談ではすまない可能性が高いのだ。

 雫も己の行為の危険性は分かっているのか、悲しそうに手を引っ込めた。

「付け合せの温野菜は出来上がりましたから、少しつまんではいかが?」

 はい、とシリルが付け合せの温野菜が盛りつけられた皿を差し出す。

 ニンジン、アスパラ、ブロッコリー等々多種多様な野菜が揃っている。
 どれも良い物で、特にニンジンは噛みしめると甘い汁が出て思わず顔がほころぶ美味さだ。
 今は出来たてでほのかな温かさがある為、一層美味いだろう。

 が、雫は涙を流しながら力説する。


「あたしが食べたいのは、肉なんです! この香ばしく食欲をそそる香り!
お野菜も美味しいって分かってますけど、この香りをかがされた状態で食べる気にはならないんですよぅ……!」

 しくしくと涙を流す雫。

 当然ながら、野菜も大好きだ。 
 海人提供の野菜はどれも質が高く、それ単独で食べて美味い。
 生のまま丸かじりしても美味しくいただける物も多い。

 だが、状況が悪すぎる。

 室内中に広がった、食欲を煽りに煽るこの香り。
 これを嗅がされては、とても野菜を食べる気にならない。
 無論一口でも肉を食べた後なら話は別だが、肉を食う前に野菜などありえない。

「ふふ、もうそろそろ出来るから、あとちょっとの辛抱よ」

 雫の頭を優しく撫でながら、刹那が動かしているフライパンに視線を移す。

 厚切りなので火が通るのに時間がかかってはいるが、それも後十秒弱の話。
 それを堪えればベーコンは焼き上がるし、完成もすぐだ。

「――――よし、火を止めてベーコンをお皿に移して」

「はいっ!」

 ルミナスの指示を受け、頃合いに焼けたベーコンを手早く皿に移す。
 そして迅速に綺麗に移し終えたところで、次の指示が飛んでくる。

「はい、それじゃ溶いた卵をフライパンに流し込んで。火は付けちゃ駄目よ」 
 
「了解です!」

 言われるまま、指示通り溶き卵をまだ熱いフライパンに流し込んでいく。

 流し込まれた卵はベーコンの旨味を含んだ油をたっぷりと吸収しながら、
余熱でふっくらと火が通っていく。
 それを指示通りにかきまぜ、半熟一歩手前ぐらいになったところで、ベーコンと同じ皿に盛っていく。

「仕上げだけど、盛った卵にほんの数滴お醤油たらして。かけすぎちゃ駄目よ」

「はいっ!」

 ルミナスの指示に頷くと、刹那は小さじに取った醤油を一滴ずつ、万遍なく慎重にたらしていく。 

 艶やかで美しい黄色の卵に醤油の色が混ざる様はある種冒涜的だが、
これがもたらす美味を知っている者からすれば垂涎以外の何物でもない。
 
 思わず雫が生唾を飲み込むと、その音が静かに厨房に響き渡った。
 
「よし、完成。それじゃ、食堂に持ってきましょっか」

  
 
 
    













 ルミナスは、刹那が作った料理をじっくりと吟味していた。

 まずはベーコン。
 厚切りゆえに歯応えが良く、食べ応えがある。
 表面は香ばしくこんがりと焼けているが、中は適度に柔らかい。
 肉汁も必要以上に外に出ておらず、噛めば噛むほど良い味が出てくる。
 パンと一緒に食べると、また一際美味くなる。

 次に、スクランブルエッグ。
 触感はふんわりと柔らかく、食べていて心地良い感触。
 適度に固まって、とろりとした舌触りが素晴らしい。
 ほのかに漂うベーコンと醤油の香りが良いアクセントになり、味の方も素晴らしい。 
 パンがあった方が美味いが、単独で食べても不足は感じない。

 ひとしきり味わうと、ルミナスは嬉しそうに微笑んだ。

「うん、良い焼き加減よ。上出来上出来」

「ルミナス殿に逐一指示を頂いたおかげです」

 ぺこり、と頭を下げる。

 確かに自画自賛したくなる素晴らしい焼き加減だが、的確なルミナスの指示あればこそ。
 普段は同じ物を作っても食感が全然違い、味もかなり変わってしまう。  

「はぁ~、美味しいなぁ……米と一緒に食べるとまた堪えられないねぇ~」

 幸せそうに朝食を頬張り、うっとりとした笑顔を浮かべる雫。

 ルミナスが焼いたパンも美味しいのだが、雫は米の方が好きだった。
 おかずと一緒に頬張った時の心地良い感触、広がる甘味、飛躍する旨味。
 どれも堪えられない至福感を与えてくれる。

「しかし、刹那は随分熱心だな。上達速度も速くなってるようだし……楽しいか?」

「はい! まさかここまで上達するとは思ってませんでしたので……ルミナス殿には感謝してもしきれません」

 海人の問いに、元気よく返事をする刹那。

 両親に頼みこまれて家事を諦めて以来十年以上。
 よもや自分が人様に喜んでもらえる料理を作れるようになるなど思いもしていなかった。

 実家で父を倒した事は数知れず、冒険者時代に妹を倒した回数も百以上。
 こんな自分をここまで引き上げてくれたのは、他ならぬルミナスだ。
 刹那のドジによって発生する被害を力技で防ぎ、根気よく教えてくれた彼女がいなければ今でも改善の兆しはなかっただろう。
 
「気にしない気にしない。それに、最近はセツナさんのドジが減ったから教えてて楽しくなってきたしね」    

「おや、ドジも減ったのか?」

「ええ。でもあんたが教えるのはまだ止めときなさい。運が悪いと怪我すると思うから」
 
 苦笑しながら、海人に釘を刺す。

 ここしばらく刹那が料理でドジる確率は減ったが、それでもまだ頻度は多い。
 ルミナスとは違い、海人では唐突に飛んでくる熱々フライパンを叩き落としたり、
寸胴から流れ出した大量のお湯を咄嗟に飛んで回避するなどの芸当は期待できないので、
まだまだ彼が教えるには危なっかしい。

「そ、その……来年までにはもっとマシになると思いますので、その時には教えていただけますか?」

「私で良ければな。もっとも、ルミナスに教わってる以上その頃には教えられる事なぞほとんどなかろうが」 

 小さく、肩を竦める。
 
 海人とルミナスでは、料理の腕に相当な隔たりがある。
 一部例外もあるが、基本的には海人が教えられる事はルミナスも網羅しているのだ。
 刹那の熱心さを考えれば、来年頃まで教える事が残っているかどうかは少々疑わしい。

「あら、一つだけお姉さまでも教えられないものがあるでしょう?」

「はっはっは―――カレーのレシピを刹那に教えさせ、誘導尋問で吐かせる気かな?」 

「……嫌ですわねぇ、疑い深い人は。器が知れますわ」

 シリルは、これ見よがしに嘆息した。
 いかにも器量の狭さを哀れんでいるような口調だったが、海人はその直前に目が泳いだのを見逃さなかった。

「この期に及んでとぼけるような悪女が側にいるのでは、疑い深くなるのも仕方ないな。
やれやれ、シリル嬢のせいで人並みにはあったかもしれない私の器が小さくなってしまいそうだ」

「ふふ、周囲に左右される器の大きさなど所詮仮初。
たかが私如きのせいで小さくなる器など、元々その程度だという事では?」

 一瞬海人とシリルの視線が交錯し、激しく火花を散らす。
 互いに不敵な笑みを浮かべ、相手に口撃を仕掛けんとしたその時、

「はいはい、食事中なんだからじゃれあわないの。
やるんだったら食べ終わってからにしなさい。折角セツナさんが作ってくれたんだから」

 ルミナスが軽く拍手して、二人を制止した。

 それに毒気を抜かれ、海人とシリルは粛々と食事に戻る。
 特に禍根も残さず、軽口を言い合いながらも和やかに話し始めた。
 そんなひねくれ者二人を皮切りに再び談笑が始まり、室内に賑やかさに満ちる。

 ――――概ね、海人邸におけるいつも通りの朝食風景であった。 


  


 番外編22




 シェリスの屋敷の一室にて、三人のメイドが休憩していた。
 彼女らは菓子を摘まみながら自分達で淹れた紅茶の味を噛みしめ、
他愛もない雑談を楽しんでいる。

 料理長とその婚約者の式はどんな感じになるかだの、仕事で会う男に碌なのがいないだの、
日課の鍛錬が相も変わらず地獄だの、そんな取り留めもない話をしていたのだが、
ある時一人が――――ボブカットの女性が少し異質な話を持ち出した。

「そういえば、カイト様って妙だと思わない?」

「妙?」

 茶色の髪を肩口まで伸ばした女性が首を傾げる。 

「そーよ。メイベル先輩返り討ちにするぐらいなのに、女好きって感じあんましないじゃない。
先輩以外は少し大胆に攻めた子も軽く流されてるみたいだし」

 問い返す同僚に、少し偉そうに説明するボブカットの女性。

 対異性において、メイベルに並ぶ者はそうない。
 色仕掛けを使う仕事なら成功率も速度も屋敷でぶっちぎりの一位だ。
 それどころか、彼女らの知る限り仕事での失敗は無く、雇った本職が教えを乞いに来た事もある。

 言ってしまえば、色事における超一流のプロ。 
 彼女が本気で籠絡にかかれば落とせぬ男は無く、軽い遊びでも抗える男は稀少。
 
 それが返り討ちにされたというだけでも驚きなのだが、
その相手が海人だというのが意外極まりなかった。

 なにしろ件の男は、かなり人の出来た紳士なのだ。
 授業を受けに行った際休憩時間に何度か談笑に誘ったが、
初めはしっかり骨休めが出来るようにと固持していたし、
ほぼ毎回来るようになった今でも、誘われない限りは混ざらない。

 これ自体はいいのだが――――そんな人間がメイベルを翻弄したとなると話がおかしくなる。

 仕掛けてきた彼女を逆に弄ぶとなると、受け身の恋愛経験では到底足りるはずがない。
 なにせ彼女は五歳の時に三股をかけたという逸話を持つ筋金入り。
 自分から積極的に経験を積んでいない人間が勝てるはずがない。

 はっきり言って、異常な事であった。
  
「あれじゃない? 色々知識吸収する過程でそういう知識も身に着けたとか」 

「それもありそうだけど……実践経験なしじゃ無理でしょ。
結構数こなしてるはずだけど……あの雰囲気からすると、考えにくいのよねぇ」

 うーん、と考え込む。

 海人の知識の幅は異常に広く、そして深い。
 数学だろうが魔法学だろうが歴史学だろうが、どんな分野でも底が分からない程深い知識がある。
 あの年であそこまでの知識を得るには、才能があったところで相当な知への執念が必要だった事は疑う余地はない。
 となればそういう色事系の知識も収集していたとしても、さして不思議はない。

 が、メイベルは指技で翻弄されたと明言していた。
 相応の回数の実践なくしてそれが実現できるとは思えない。
 それにしては、やはり女好きらしい雰囲気がない。

 結局、思考が堂々巡りしてしまう。
 そう考えていると、目の前の同僚が何か思いついたように軽く目を見開いた。

「ひょっとすると、逆なのかも」

「逆?」

「そう。女好きじゃないわけじゃなく、元々女好き。
で、あまりに大量の経験を積みすぎて、今の落ち着いた状態になってしまったって可能性」

「そうか!」

 納得したように、目を輝かせる。
  
 女好きだった時に経験を積み重ねすぎたのなら、納得できなくはない。
 そのせいでそういう行為に飽き、今の落ち着いた雰囲気になったのだろうと。
 
 が、今まで黙っていたショートカットの女性がその可能性を淡々と否定した。

「多分、それも違うわね。
私達相手にあんな完璧な解説やるほど知識深めて、その上で女遊びする余裕あると思う?」

「あ……」

 正論すぎる正論に、思わず絶句する。

 自惚れでも何でもなく、彼女らはそこらの貴族などよりはるかに教養豊かだ。
 しかも大概は交渉に役立てる為一つか二つの分野に特化しており、
中には本職の学者よりも知識豊富な者もいる。
 その得意分野について、海人は完璧以上の解説を行えるのだ。
 それも一人二人ではなく、屋敷の人間全員に。
 
 どれほど才能があったとしても、女遊びをしている暇があったはずがない。
 
「……なんというか、つくづく謎だらけの御方よね。私達を助けて下さった方法とか」

 長めの髪をかきあげながら、以前致命傷を受けた腹部を撫でる。

 本当であれば、その時に死んでいるはずだった。
 自分から流れ出していく血は、そのまま命の流出に等しい。
 それが限度を超えたのだから、死を避けられるはずがない。

 だが、現実に彼女は生きている。
 それも、致命傷を受けた傷跡すら残さずに。
 綺麗さっぱり何もなかったかのように治った傷口は、今見ても不思議でしょうがない。
 《治癒》の魔法で傷を癒された者はそこがむしろ以前より艶やかになったと聞くが、まさにそれだ。

 赤い薬を使っていたが、それの投与方法にしても謎だらけだ。
 体の中に針を通して薬を入れるなど、考えた事すら無い。

 つくづく、常識の埒外にある人物だ。
 
「確かにねぇ……ま、良い人だけどね」

「前に凄く、が付くでしょ。
あれだけ理不尽な量の書類押しつけられて、突っ返す事も無く片付けて下さってるんだから」 
 
 ふ、と虚ろに遠くを見つめるショートカットの女性。

 海人に届けられる書類入りの木箱を何度か見かけた事があったが、
それは回を重ねるごとに着実に肥大化していた。
 初回でさえ自分達では到底片づけられない量だったというのに、
突っ返すわけでも運んだ者に怒りをぶつけるわけでもなく、
シェリスへの恨み言を呟くだけで引き受けてくれているという話だ。

 自分なら成功率0を承知で迷いなく国外逃亡を試みるそれを、である。
 むしろ、聖人の部類ではないだろうかとさえ思う。

「考えてみると、それも異常よね。どうやればあんな量の書類片付けられるんだか。
いや、ちょっと待って……それだけの計算ができるって事はその速度で思考できるって事よね。
ならその速度で記憶する事も……」

「無理ね。私達だってそこそこ速く計算する事は出来るけど、計算した数字なんてほとんど覚えてないでしょ。
それに……仮にできたとして、内容理解するのにどれだけ時間かかると思うの?」

 溜息を吐きながら、否定する。

 覚えるだけなら、確かにあの男ならと思わなくもない。
 毎度毎度授業で一人一人質問の度解説の方法を変え、場合によっては即席の問題を作って解かせる。
 深い知識あればこそだが、同時におそろしい思考速度も兼ね備えているからこそだ。
 それをもってすれば記憶だけなら遊ぶ余裕もあったかも、とは思う。

 だが、海人は覚えた上で完全に『理解』しているのだ。
 理論を理解するには単に覚えるよりはるかに労力が必要になるし、理論が複雑になればなるほどそれは大きくなっていく。
 それを考えると、やはり海人は色々犠牲にした上であの知力を得ていると考えるべきだろう。

 勿論、そう考えると女性絡みの謎は残ったままなのだが――――彼女はそれでいいと思っていた。

「ま、いずれにせよそれについてはあまり深く考えない方が良いわ。
好奇心が強くなりすぎると、シェリス様の命に背いてしまう可能性もあるもの」

「……それもそうね。まだ死にたく……ってか死にたいと思わされたくないし。
この話はここでやめましょ」

 ぶるり、と身を振るわせるボブカットの女性。

 シェリスから、海人について余計な詮索は一切禁止とお触れが出ている。
 もし好奇心に負けてこれを破った場合、ローラ直々の懲罰が待っているだろう。
 殺されるならまだいいが、間違いなく早く殺してほしくなるレベルの罰になる。

 なにせ、かつて重要度が最低ランクの人物についての命令違反に、屋敷第四位の実力者との試合という罰が下された事がある。
 言葉面だけなら穏やかだが、試合と言いつつも相手がやたら強い上に手加減が下手な人物なので必死に全力で抗わなければ命がない。
 その罰を受けた者は、結局全身打ち身だらけの状態でベッドから一週間動けず、その状態で書類地獄を味わった。
 もし最高ランクである海人相手に命令違反をすれば、末路は想像するまでもないだろう。
 
「賢明ね。でも、私は話を打ち切れとは言ってないわ。
どうせするならもっと建設的な議論をするべきじゃないか、とは思うけれどね」

 ショートカットの女性が放った言葉に、他の二人が首を傾げる。
 
 確かに、今までの議論は建設的とは言いがたい。
 本人に尋ねる事が出来ない以上、どこまでいっても確証は得られないのだ。
 が、それを言ってしまえばそもそもこの件に関しては建設的な議論自体ありえないはずだった。
 
 首を傾げる同僚達に、種明かしをする。

「あの命令はあくまでカイト様が部外者だからこそ――――つまり、カイト様を落として取り込めばそれで全て解決!
ゆえに、今やるべき議論はどうやってあの難攻不落を落とすかよ!」 

 あまりに直球な言葉に、二人が噴出した。

 そして同時に思い出す。
 彼女はメイベル敗北の報を受けてもまったく怯まなかった剛の者だった事を。
 海人に命を救われ、さらにその後の働き振りを見て本気になってしまった一人だったと。

 ――――海人攻略計画を熱弁し始めた同僚に休憩時間が潰される事を感じた二人は、ひっそりとため息を吐いた。
 





 番外編23




 
 カナールの朝は、早い。
 夜間営業の酒場が店仕舞いする頃には、他の店舗の開店準備が始まっている。

 そして従業員たちはそれぞれの開店準備が終わると、今度は各々の店先から町全体の清掃を始める。
 道に転がったゴミを集め、広場の花壇の手入れを行い、町を訪れる者に快適に過ごしてもらえるよう清潔感を保っているのだ。

 朝も早い時間からせっせと各店舗の従業員が町全体の清掃に勤しんでいる姿はこの国では珍しく、
わざわざ遠方からその光景を見物に来る者もいる名物である。

 が、最近はそこに少しばかり異分子が混じるようになっていた。

 この町を拠点にしている一部の冒険者達が、何故か清掃に参加し始めているのだ。
 誰に強制されたわけでもなく、自発的に。
 基本的に金にならない事はしないと言われる冒険者達がである。

 あまりに意外すぎて、当初各店舗の従業員達は唐突な参加に戸惑っていた。
 つい最近町が壊滅の危機に陥った事もあり、何か企んでいるのではないかという憶測も流れた。
  
 しかし、連日誰に命じられるともなく真摯に清掃に勤しみ、
頼まれれば冒険者らしい膂力で力仕事もこなしてくれるという事で徐々に受け入れられ、
今ではすっかり町の風景の一部と化していた。
 
「いや~、あんたたち毎度よくやってくれるねぇ。助かるよ」

 ミッシェルが、ゴミを掃きながら感心したように目の前の冒険者達に話しかける。

 目の前の男達は最初こそ手際が悪く邪魔にさえなる事もあったが、
最近はすっかり慣れて立派な戦力になっていた。
 職業柄毎日参加とはいかないが、それでも参加してくれる時は色々と楽になる。
 特に力仕事がある時などは、大助かりなのだ。
 
「自分達の住まう町を綺麗にするのは当然です。
それに、町が綺麗だとなんとなく清々しいじゃありませんか」

 爽やかな笑顔で答える青年。

 ――――だが、彼にはあまりその表情は似合っていなかった。

 なにしろ、外見がそこそこの巨躯に筋肉がゴテゴテ付いた強面。
 坊主頭も清潔感があると言えばあるが、どちらかと言えば無駄な迫力を生み出す事に一役買っている。
 挙句冒険用の武具を見につけたままなので、余計に威圧感が出てしまっていた。

 言ってはなんだが、山で村人でも襲っている方が似合いそうな外見の人物だ。

「まったく、今時感心だね。うちの馬鹿息子なんざ、最近碌に掃除手伝わなくなっちまってねぇ……」

 溜息を吐きながら、爆睡しているであろう息子の家の方を見やる。

 子供の頃は何を言わなくともしっかり家の手伝いをし、
料理も練習して幾つか店に出せる程度の物が作れるまでなったのだが、
家を出てからはすぐ近くだというのにほとんど何もしなくなってしまった。

 頭では自立したので当然だと思っているのだが、寂しさもあり、ついつい愚痴が出てしまう。
 
「ゲイツさんは忙しいですし、命懸けになる事も多いですから仕方ないんじゃないでしょうか。
その点、俺らは三流冒険者で時間有り余ってますから」

 たはは、と恥ずかしそうに笑う細身の青年。

 こちらもわりと愛嬌ある仕草をしているのだが、外見に難があった。
 いわゆるキツネ目っぽい目つきでやや頬がこけており、悪巧みでもしているように見えてしまう。
 特にそんな事は考えていないというのに、報われない話である。

「そーそー。むしろ掃除する暇がないぐらい大変な仕事をこなして頑張ってるって事じゃないですか。
凄い息子さんなんですし、むしろ誇るべきですって」

 仲間の意見に追従する、小柄な青年。

 彼もまた優しげな仕草をしているのだが、少々外見に難がある。
 体が小さく、少し卑屈っぽく見える顔立ちなので、やたら小物っぽく見えてしまう。
 少なくとも清掃時は仲間二人に的確な指示を出す良い指揮を見せているのだが、
そんな見た目のせいかあまり有能そうには見えない。

「……ありがとうね」

 慰めてくれた者達に、苦笑しながら礼を言う。

「おーい、こっちの担当終わったんだが、何か手伝う事あっかー?」

 遠くから、別の冒険者グループが手を振ってくる。

 彼らは清掃に参加している冒険者の中では新顔だが、これまたよく働いてくれていた。
 自分達の担当を迅速に終わらせるやいなや、別の区域に移動して仕事を探す。
 それを町の店の開店時刻が来るまで延々続け、終わったら一休みして仕事に向かう。
 まさに絵に描いたような好青年たちである。

「ねえけど、ハンス酒店のおっさんが腰痛めちまったみたいだから荷運び手伝ってやってきてくれやー!」

 坊主頭の青年がそう返すと、彼らは威勢の良い返事を返し通りの向こうへ去って行く。
 迷いもなく、困っている人を助けるのは当たり前と言わんばかりに。  

「そんじゃミッシェルさん、ここらの掃除も終わりましたし、俺らも別の所手伝ってきますね」 

「よく働くねぇ……どうせもうすぐ店開く時間なんだから、休んでりゃいいだろうに」

「いや、トレスさんとこも最近荷運びキツいみたいですから、手伝いに行かないといけないんっすよ」

「感心だねぇ……よしっ! あんたら一通り終わったらうちの店来な! 朝食奢ったげるよ!」

「へっ!? そりゃありがたいですが、よろしいんですか?」

「なーに、あんたらの働き考えりゃこんぐらいはしないと罰が当たるってもんさ。
さ、気合入れて行っといで! たっぷり用意しとくから、いっぱい腹空かせときな!」

『……ありがとうございまーす!!』

 三人揃って大きな声を出して、一斉に頭を下げる。
 そして、人の役に立つべく次なる場所へと駆け出していく。

 その背中を眺めながら、ミッシェルは思った。

 本当に、人の噂は当てにならないものだと。

 実は以前、あの三人は素行がよろしくないという話を聞いた事があるのだが、
掃除の際に話してみればなかなかに良い若者達だった。
 付け加えるなら、この町が襲われた際片足をくじいた自分を馬車まで運んでくれたのも彼らで、
その後は子供が逃げる時間を稼ぐ為殿に向かってくれていたという。
 町が壊滅しても何ら不思議の無い状況下で、そうそう出来る事ではない。

 付け加えるなら、先程声をかけてきた冒険者達も素行が悪いと噂が出ていた者達だ。
 掃除に参加するようになってからしか話していないが、話した限り噂とは程遠い好青年達。
 演技の可能性もなくはないが、これでもそこそこ長く生きて色々な人間を見ているので、そうそうごまかされる事はない。

 噂が流れた後改心したという可能性もあるが、それにしては短期間すぎる。
 やはり噂それ自体が間違っていたと考える方が合理的だろう。
 唯一引っかかるのは、あの三人組の話を息子にした際少々表情が引き攣っていた事だが、
噂を聞いて軽く躾けてやろうと考えていたのなら納得できる。
 噂と現実の差に、やらなくて良かったと安心したのだろう。

 出鱈目な噂に多少なりとも傷ついたであろう青年たちを労わる為に、
今度全員分の差し入れを作ってやろうか、そんな事を考えていた。

 ―――――ミッシェルは知らない。

 噂は全て事実であり、つい最近まで彼らは本当に素行が悪かった事を。
 オーガスト直々の躾などが下される直前、唐突に人が変わったように改心した事を。
 どちらもその直前、店の常連客にして時折米を卸してくれる青年と揉め事を起こした事を。
 最近清掃に参加している冒険者の大半が、彼を襲った事がある者だという事を。

 そして勿論――――その白衣の青年が彼らに凶悪な洗脳を施し、今の人格に改変した事も知る由はなかった


 

 
 番外編24






 シェリス邸厨房。

 ここには、国内随一と言っていい程多種多様な食材が揃っている。
 小麦粉一つとっても料理の用途に応じて十種以上あり、そればかりか海を隔てた大陸にのみ存在する稀少な香辛料、素材の稀少性ゆえに幻と言われている乾物なども備えられているのだ。
 腕に覚えのある料理人ならば誰もが憧れる理想郷と言っても差し支えないだろう。

 ――――そんな環境で、屋敷の料理長を筆頭とした料理人全員が唸っていた。

 と言っても、主たるシェリスの夕食はつい先程終わっている。
 評価の方も、いつも通り美味いと好評を頂いた。
 付け加えるならスカーレットは先日開発した新作料理が上手い具合に仕上がっていると言われたので、
本来なら喜んでいるべき状況だし、副料理長も任されて出した一皿が久しぶりの好評だったので舞い上がってしかるべきで、
彼女らの部下達も緊張が解けてほっと一息ついていておかしくない。
 
 だが、現実に彼女らは難しい顔で唸っている――――部屋の中央に座した、カレー入りの寸胴三つを囲んで。

「……駄目だ! 全っっっ然オリジナルに届いてない!」

 悔しげな顔で、己の足を叩くスカーレット。

 普段ならその迫力に身を竦める部下達だが、今日はそんな素振りを見せる事も無く一様に歯を食いしばっていた。
 ただひたすらに悔しい、そんな思いが切々と伝わってくる表情だ。

「私達が作る物も質は着実に高くなってますけど、やはり高めるたびオリジナルの魅力から遠ざかってしまってますね。
いったいどんな手法であの味を実現しているのか……」

 副料理長が、厳しい眼差しで己の失敗作を見つめる。

 失敗作といっても、十二分に美味い。
 良い食材、丁寧な仕込み、試行錯誤を重ねて調合したスパイス。
 どれ一つとってもシェリスの料理人の名に恥じぬものである。
 味の質的には、十分胸を張って人様に出せる出来だろう。

 しかし、これの元となった物を食べた事がある者に出せるかと言われれば――――断じて否。
 オリジナルを食べた人間には、とてもこれは出せない。
 
 一応質的には匹敵しつつあるが、肝心な物が欠けているのだ。

 一度食べたら止まらない、魔性の魅力が。

 オリジナルは、一度口に運んだが最後己の胃袋の限界まで食らい続けてしまう程の中毒性がある。
 プロ根性の強いスカーレットでさえ、二皿目を食べ終えるまで味の分析を忘れてしまう程だったのだ。
 対して、自分達が作った物は美味いには美味いが、冷静に味わえてしまう。
 恥も外聞も投げ捨ててひたすら食らい続けてしまうような魅力はない。
 
 勿論ひたすら食欲をそそって貪り食ってしまう料理、それだけなら出来なくはない。
 本能に訴えかけ、ひたすら食べ続けたくなるような香りと味、それだけなら作れなくはない。
 あれほどの中毒性は出す自信がないが、近い魅力なら出せなくはないのだ。

 しかし――――それに気品と質の高さを加えようとすると無理が出る。
 
 ひたすら食べ続けたくなるような料理というのは、言い方は悪いが下品な料理に傾き易い。
 味の性質などもあるが、それ以上に上品で質の高い料理というのはそれだけで襟を正してしまうような力がある。
 決して悪い事ではないのだが、それはひたすら貪り食わせるという目的の前では邪魔になってしまう。
 それによって生じる一瞬の躊躇が、食べる者を確実に我に返らせてしまうのだ。
 
 ゆえにあちらを立てればこちらが立たずという典型的なジレンマが起こるのだが、
オリジナルはそれをあっさりと覆していた。

 米などにルーをかけるという性質上見た目はあまり上品に見えないが、
匂いを嗅げばその馥郁たる香りが持つ類稀な気品が嫌でも分かる。
 その質に期待して匙を伸ばせば、その気高く上品な香りと同時に、触れれば崩れてしまいそうな程繊細でありながら、
樹齢数千年の巨木の如き野太さを感じるという、矛盾と言って差し支えない程正反対な物を両立させた味を叩き込んでくる。

 何よりも恐ろしいのは、その味をきちんと認識できるのがかなりの量を食べ終えた後になるという事だ。
 あまりにも鮮烈すぎるその味は、分析しようと身構えている本職の料理人でさえ我を忘れて貪り食ってしまうのである。
 いざ我に返って分析しても、その二種の美味の両立に慄き、さらに詳細な分析が出来ない事にまた慄く。

 ――――まさしく、悪魔のような逸品。

 あれを口にしてしまった身からすれば、目の前の物は未完成品未満だ。
 どちらか選べと言われれば、百人が百人オリジナルを選ぶだろう。

「はぁ……せめて、ヒントの一つも貰えないもんかねぇ」

 天井を見上げ、スカーレットがぼやく。

 彼女が作った物も失敗作だが、一応副料理長の物よりはまだオリジナルに近い。
 上品でありながら野太い味、それと同系の味の再現には成功し、思わおかわりしたくなる程度の魅力も備えている。
 オリジナルには程遠いが、副料理長の上司としての面目は保ったと言える。

 ――――が、現状ではそれが限界だという事も分かっていた。   
 
 今まで培った料理技術、知識全て総動員し、休日を返上して研究を重ねてこれが限界。
 この屋敷に備えてある食材も全て活用し、ありとあらゆる組み合わせを試みた。
 それでも、これ以上上品さを増しても、野太さを増しても、魅力を増しても全てのバランスが瓦解してしまう。
 己の全力を費やし環境を活用しきった結果が、この失敗作なのだ。

 ヒント無しでは、もはや光明すら見えない。

「一応総隊長が別系統ながらレシピを一ついただいたと聞きましたけど……」

「他言無用って念押されてるらしいからね。そっちから手に入れるよりはまだ不毛な努力続けてる方が可能性高いだろ」

 控えめな部下の提案を、溜息と共に一刀両断する。

 カレーが豚肉用など色々と種類が存在し、その一つを屋敷最強の女性が手に入れた事は知っていたが、
交渉するには相手が悪すぎる。
 彼女が相手の落ち度もなしに無許可で約束を反故にするなどまずありえないし、
そもそもいかなる交渉でも勝てるとは思えない。
 
「……色仕掛け、はどうでしょう。勿論私がやります」

「結末分かりきってるからやめときな」

 決意を込めた副料理長の言葉を、ばっさりと切り捨てる。

 副料理長に問題があるわけではない。
 やや小柄で顔立ちも可愛らしく、性格も明るく人当たりが良い。
 美人という表現は似合わないが、小動物的な魅力がある。
 性格的に不向きだとは思うが、男を籠絡出来る素質はあるだろう。

 しかし、相手は色事においては屋敷最強であるメイベルを返り討ちにした怪人。
 多少素養があるかもしれない程度の小娘など、軽くからかわれておしまいだろう。
 ないとは思うが、最悪弄ばれてしまう危険もあるのでやらない方が賢明である。

「あっ……! そういえば総隊長はどうやってレシピを――――」

「例のチーズケーキのレシピの一部と引き換え。あたしも色々考えたけどね、正直手詰まりなんだよ」

 にわかに目を輝かせた部下の言葉を、再び叩き潰す。

 一応、スカーレットとて考えられる手は粗方考えたのだ。
 流石に色仕掛けは考えなかったが、いかにして海人から入手するかはほぼ考え尽くした。
 
 当然ローラがどうやって手に入れたかも考えたのだが、即座に諦めた。
 彼女が引き換えにしたのは、特製チーズケーキのレシピの一部。
 たかが一部と言うなかれ。彼女はその秘密保持の為なら仲間の殺害も辞さない。 
 スカーレットも覗こうとしたばかりに殺されかかり、死んだ方がマシなぐらいに痛めつけられた。
 それを考えれば、その価値も分かろうというものだ。

 付け加えるなら、おそらく海人を動かしたのは味以上に稀少性だろう。

 何度かこの屋敷で食べている姿を見て確信したが、彼は味覚は鋭いが美食に興味が薄い。
 美味ければ一応喜ぶようだが、それで自分で作ってみようという気にはなりそうに思えない。
 ならば、彼を動かしたのはその稀少性だと考えるのが妥当である。

 そうなると、スカーレットの自信作のレシピ数点と引き換えというのも無理だ。
 部下達には幾つかの秘訣を除けば普通に教えてしまっているので、稀少性には乏しい。
 腹芸は苦手なので稀少性があるように見せかける自信はないし、そもそもそんな事をすればシェリスの怒りをかうだろう。

 そんな事を考え、ふと気付いた。
   
「……あれ? 味に大して興味ないはずなのに、なんでこんなもん作れたのかね?」

「あ、それに関してはアイシャが授業の時に聞いたらしいんですが、
昔からよく作っていたので研究したと仰ってたそうです。
詳細については色々頑張った、とだけで言葉を濁されていたようですが」

「あー……なるほど。好物だけを極めてあそこまでに到ったと……それはそれで凄い話だねぇ」

「ええ。私達も見習って、といきたいところですが……無理ですね」

「ま、いくら凄くても、一種類だけじゃあたしらは仕事にならないからね」

 苦笑する副料理長に、肩を竦める。

 この屋敷ではまず質の高さを求められるが、同時に種類の豊富さも求められる。
 完成度の高い定番料理も求められるが、それに満足せずに新作料理を次々作る事も求められるのだ。
 流石に毎日とはいかないが、それなりの頻度で新作を作らなければならない。
 
 その現状を考えると、海人のように一つの料理を極めるというのは無理だ。
 
「……そうだね。うん、やっぱこれについては当分棚上げしよう。
あの年であんだけの知識溜め込んだ集中力の持ち主が一つの料理だけ研究した結果じゃ、再現も易々とは出来ないだろうからね。
皆、今日まで付きあわせて悪かったね。
何回か休暇返上させちまった詫びと言っちゃなんだけど、明日の仕込みはあたしだけでやっとくから今日はもう解散していいよ」

「いえいえ、私達も楽しかったですから気にしないでください。ね、皆?」

 軽く右手を振る副料理長の言葉に、周囲が一斉に頷く。

 確かに休暇を何回か返上したが、あくまでも自由意思だ。
 スカーレットがやっている為休みづらくはあったが、嫌なら休めないわけではなかった。 
 それを気にして仕事を増やすというのは、ただでさえ多忙な上司に対してあまりにも後ろめたい。

「……すまないね。さて、そんじゃ換気するよ! 
この匂いの中じゃ明日の仕込みに差し支えるからね!」

『はい!』

 パンパンと両手を叩いて換気に動き始めた上司に、部下達は一斉に続いた。    




 
 番外編25





 天地月菜は、暑くなり始めた気温に顔をしかめながら、溜息を吐いていた。
 肩口まで伸ばした黒髪を弄りながら、憂いに満ちた瞳で窓の外を眺めている。
 
 ――――今年も、この時期がやってきてしまった、と思いながら。

 この季節が嫌いなわけではない。
 一年で最も暑くなる時期だが、掻いた汗を風呂で流す時の爽快感は大好きだ。
 最後に冷水を浴びると、気分も引き締まってなんとも心地良い。
 ちゃんと風呂に入れさえすれば、むしろ好きな部類の季節だ。

 しかし、この時期は同時に一年で最も緊張を強いられる時期でもある。

 他ならぬ、彼女の息子――――海人のせいで。

 息子それ自体には、一切問題がない。
 親から身体能力は碌に受け継がなかったものの、素直で優しく異常に賢い子供である。

 授業参観の時に見た限りではクラスメイトの多くと仲良くやっているようだし、
親の言いつけをしっかり守ってその異常すぎる知力を見せる事はしていなかった。
 友達の女の子とやらの一部が自分に見せた態度からすると、我が息子ながら少々鈍感すぎる気はしたが、
そこはまだ年齢一桁の子供なのだから仕方ないとも言える。
 
 だが、それでも彼女の憂鬱の原因は息子なのである。

 性格も能力もどこをどうしたら自分達夫婦からあんな息子が生まれてくるのかと思ってしまう程に自慢の息子なのだが、
ある意味最大の美点にして最悪の欠点がある。

 ――――それは、やるとなったら何であろうと全力で取り組んでしまう事。

 普通の子供なら、これはただの美点だ。
 得意でも苦手でも、とにかく全力でやってみるのだがら、
勉強にしても運動にしても芸術にしてもいずれはそれなりの域に育つだろう。

 しかし、海人は普通という言葉とはあまりにも縁遠い子供だ。
 今まで月菜が把握している限りでも、人類史に残るであろう研究成果を幾つも出している。
 本人はただ興味を持った事を研究し、全力でそれに取り組んでいるだけなのだが、
出す結果がどれもこれも度外れすぎている。

 例えば、今月菜の手元の花瓶には青い薔薇があるのだが、これもその一つだ。

 青い薔薇はかつては不可能とされていたものの、多くの研究者の努力と情熱の果てに誕生し、
今や市販されるまでに到ったのだが、その色彩はラベンダー色に近く、
何も知らぬ子供に見せれば紫と言われるような色合いである。

 だが、あの規格外すぎる息子は、齢七つの時に手元にある色鮮やかなコバルトブルーの薔薇を誕生させてしまった。
 白い薔薇を染色したものではなく、純粋な青い薔薇として。
 その種苗は、増殖後も未だ同色の花を発生させ続けている。

 しかもそれを作った理由は、月菜が漏らしたささやかな一言。
 庭の花壇を見ていた時に、コバルトブルーの薔薇があれば良いんだけど、と漏らした為なのだ。
 ただそれだけでの理由で、母への誕生日プレゼントとして作り上げてしまった。
 
 一事が万事この調子なので、親としては気が気ではない。

 今の海人の年齢で節操なくこんな成果を出している事が余に知れれば、先に待っているのは世間の心無い者達による地獄。
 なので全ての研究成果はこの屋敷の中で封印し、海人にも能力を徹底的に隠すよう躾けている。       
 海人も詳しい理由は全く説明されていないのに、素直に従ってくれている。
 
 だというのに、毎年この時期は学校がそれを台無しにしようとしてくれるのだ。

 ―――夏休みの自由研究という、なんとも下らない事で。 
 
 一応研究の事は一切外部に漏らさぬよう躾けてあるので、海人も注意はする。
 両親の小学生時代の自由研究の内容を参考に、それと似たような内容をやろうとはするのだ。

 しかし、彼は全力で取り組む事が身に沁みついてしまっている。

 朝顔の観察日記をつけた時は、気温、湿度、日照条件その他諸々と状態の相互関係、
そして美しい花を咲かせるための理想的条件の考察になり、
終いにはありとあらゆる過酷な環境に耐える為の品種改良案になった。
 割り箸鉄砲を作った時は、いつのまにかそれに付随する最高威力を出すための考察ノートが出来上がり、
最後には物理学を駆使してゴムで恐ろしい威力を発揮する大砲もどきの設計図が出来上がった。 
 読書感想文を書かせた時など、最初は普通に小説の感想を書いていたというのに、
いつのまにか医学書などの内容の考察が混じり、果てはどの専門書をどんな文章にすればより分かりやすくなるかまで書いていた。

 どのケースも月菜が止めたから良かったものの、そうでなければ大騒ぎである。
  
「はあ、今年も付きっきりで見ておかないと何作るか分かったものじゃないわよねぇ……」

 がしがしと、苛立たしげに頭を掻く。

 海人と自由研究という組み合わせの恐ろしさを知って以来、毎年夏休みは月菜は仕事を休んで海人を監視している。
 そのしわ寄せが夫にいって悲鳴を上げるのだが、生憎彼はその大雑把な気質ゆえに監視役としてはあまり役に立たない。
 というか、以前割り箸鉄砲が大砲にまで発展したのは彼が『男ならとことん威力を追求するもんだ!』などとアホな事をほざいた為なので、
とても任せる気になれない。
 罰として息子が作った大砲の威力を身を持って体験してもらったが、あの程度で懲りる男でもないのである。  

 ゆえに、どうしても息子の先の人生は月菜の双肩にかかってしまう。
 普段あまり一緒にいられない息子といられる事自体は嬉しいのだが、
自分のミスがその息子の破滅に繋がってしまうと考えると、喜んでばかりもいられない。

 気を引き締めて、母として息子を監督せねばならないのだ。

(でもこうやって小学校を乗り越えても……結局中学生で正念場でしょうね。
少しずつ、不満も大きくなってくるでしょうし)

 まだ先の未来を考え、溜息を吐く。

 今はまだ、海人は親の言う事が正しいのだろうと詮索もせず素直に受け止めてくれている。
 かなり理不尽な事を言われているにもかかわらず、何か理由があるんだと素直に従っている。

 だが、元々隠し事には向かない性格。
 まして友達に対しても例外なく隠し続けるなど、かなりの苦行だろう。
 大きくなるにつれ、疑心が親への信頼を上回ってしまう可能性は高い。

 中学に入ったら少しずつでも理由を打ち明けるつもりだが、
自分が他の人間と全く違う、それこそ漫画に出てくるような別次元の超天才だと知ったら、
海人がどうなってしまうか、かなり恐ろしいものがある。
 その時にショックを受けた息子をしっかり支えてやれるのか、どうしても不安が尽きない。

 そんな事を考えていると、唐突に部屋のドアが開いた。

「おかーさん、ただいまー!」

「おかえり、早かったわね」

 小柄な体でとてとて走り寄って来た息子の頭を、優しく撫でる。

「うん、水力発電機の新しいアイデア思いついたから、早くノートにまとめたくって!」 

「そう。夏休みの宿題は?」

「アイデアまとめ終わったら終わらせちゃうー!」

 母の問いに、元気良く答える海人。

 学校の夏休みの宿題など、海人にとっては遊びにもならない。
 心置きなく研究する為、なんとしても今日中に終わらせてしまうつもりだった。
 
「あら、それじゃお昼御飯どうするの?」

「んっと……宿題終わってから食べるから……夕ご飯になるかな?」

 少し考え、答えを返す。

 思いついたアイデアを纏めるだけならさして時間はかからないが、
夏休みの宿題は簡単でも量が多い。
 解くのに時間はかからずとも、書くのに時間がかかる為、どうしても夕方を過ぎる事は明白だ。
 
 かといって食事してからでは途中で眠くなったりする事が多く、今日中に宿題が終わらない可能性が出てくる。
 となると、昼食は我慢して全てが終わってから夜に食べるのが最善であった。
    
「あら残念ね。海人用にカレー一杯分残しておいたんだけど、それだと多分お父さんが先に食べちゃうわ。
あ、私が食べてもいいわね」

「……急いでアイデアまとめて食堂行くから取っておいて―!」

 言うが早いか、とたとたとたー、と研究室に走っていく海人。

 本人的には急いでいるつもりなのだろうが、所詮子供の足。
 付け加えるなら海人はその中でも鈍足なので、尚更遅い。
 小さい体格も手伝って、なんとも愛嬌のある後姿であった。

「ん~、やっぱ可愛いわね。ま、今考えてもしょうがないし、
当面は様子見ながら可愛い姿を思う存分楽しむかしらね」 

 急ぐあまりべちゃっとこけてしまった息子を眺めながら、月菜は柔らかく微笑んだ。 
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