ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット7
 番外編31


 ある日、シリルが目覚めると目の前が真っ白だった。

 それが顔に触れている何かのせいだと気付き引っぺがすと、見慣れた食堂の天井が見える。
 横を見れば、ぐーすか寝こけている同居人達の姿。

 そして、昨晩の事を少しずつ思い出す。

 既に何度目だか覚えていないが、四人で宴会をやった。
 創造魔法によって作られた極上の酒に、何が一番合うか四人で色々試したのだ。
 覚えている限りでも、酒の消費量はワイン瓶で百本以上。
 飲みすぎたせいか、酒に強いシリルでさえ最後の方は記憶がない。
 
 状況からすると、飲みすぎて全員この場で眠ってしまったのだろう。

(……また酔っぱらって雑魚寝とは、我ながら醜態ですわねぇ)

 頭を振って眠気を飛ばしながら、起き上がる。

 引っぺがした物を見ると、海人の白衣の裾だった。
 おそらく、寝ている途中に寝返りか何かで顔にかかったのだろう。
 少々息苦しかったが、酔い潰れたのはお互い様なので腹は立たない。
 
「とはいえ、これにはいささか殺意を覚えますが」

 ギロリ、と鋭い視線を熟睡している海人に向ける。

 暢気そうな寝顔。これは許そう。
 普段張り付いている性悪そうな表情とのギャップのせいか、なかなかに愛嬌がある。   
 というか顔立ち自体悪人系ではあるのだが、表情が穏やかな寝顔なら――――多少、目の保養になるのだ。

 
 折角夕食前に整えてやった衣服をやたら着崩している。これも許そう。
 元々美に関心の薄い男だし、酔いが回ったのなら暑くて着崩すのも責められる事ではない。
 それに些かラフすぎるきらいはあるが、体型自体は整っている為かこれはこれで見栄えがする。
 次はもう少し冒険してみようか、と思う程度には。

 自分と他の同居人達の待遇が違う事も、まあいい。
 刹那は彼の右の二の腕を、雫は前腕を枕にしていて寝心地が良さそうだが、
海人の性格からして自ら枕として腕を差し出したとも思えないし、
位置を考えれば起きた時こそ床だったが、自分も彼の足を枕にしていた可能性はある。
 むしろ腕を押さえられてしまっている状況に同情すべきかもしれない。
 
 ――――が、彼の胸に頭を乗せているルミナスについてだけは別だ。

 海人に罪はない。そんな事は重々承知している。
 彼本人は両手を投げ出して大の字で寝ているだけで、ルミナスの頭を抱き寄せるなどもしていない。
 状況からして、ルミナスの方が彼の胸を枕にしたと見るのが妥当だろう。 

 しかし、しかしだ。

 愛する上司が自分以外の人間の胸で幸せそうに眠り、
あまつさえその人間が寝返りを打ちそうになると、
熟睡しているにもかかわらず腕力で強引に止めて顔を摺り寄せている。

 こんな光景を見せられて、恋する乙女が冷静でいられるはずがあろうか。

「……すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ……すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁ……」

 荒ぶる心を鎮めるべく、深呼吸を繰り返す。

 海人に非は何もない。それが分かっていて理性を捨てられる程、シリルのプライドは安くない。
 この馬鹿を一発ぶん殴りたい、そう切実に訴える感情をなけなしの理性で強引にねじ伏せる。
 視線が射殺さんばかりになっている事ぐらいは、まあご愛嬌だろう。

 そして努力の甲斐あって落ち着きを取り戻しかけた時、
 
「シリル嬢……」

「!?」

 寝ているはずの海人が唐突に放った言葉に、思わず硬直する。

 もしや起きていたか、と顔を覗きこむが、やはり眠っていた。
 どうやら、寝言だったらしい。そしてよく見ると、唇がその後も若干動いている。
 ひょっとすると、続きがあるのかもしれない。

 なんとなく気になったシリルは、それを聞いてみる事にした。
 寝言はかなり小声なので、海人の近くによって耳をそばだてる。
 
「だからシリル嬢……駄目だ。君の願いを叶える手立ては無いわけではないが……」

(……どんな夢を見てますの?)

 思わず首を傾げてしまうシリル。

 考えられるシリルの願いとなると、ルミナスと結ばれる事に他ならない。
 他に細々とした願いは数多くあるが、それらはどれも海人なら容易に叶えられるだろうし、自分でも叶えられる。
 そして、なんだかんだで身内に甘いこの男がその願いを断る事は稀だろう。
 一番確率が高いのは、間違いなくルミナスと結ばれる事である。

 が、それにしては反応が妙だ。

 海人の性格からして、協力しないならしないときっぱり言うだろう。
 捻くれてはいるが誠実さがある男だし、そういう時に言葉を濁すタイプでもない。
 勿論、仮に夢の中の自分が武力で脅迫したとしても、それに屈する男でもない。 

「ああ、不可能ではないがやめておけと言って……いや、剣を抜かれても……」

(……言葉からすると、叶えられなくはないがリスクが伴う事、そして私が剣を抜いてもおかしくないぐらいに切実な願い。
いったい何ですの?)

 ふーむ、と考え込む。

 寝言の内容からすると、学問の可能性が高そうに思える。
 どこかの貴族にシリルが馬鹿にされ、それを見返す為に短期間で徹底的に学問を叩き込んでもらう。
 そして、短期間で成果を得る為の手法にリスクがある。そう考えれば筋は通らなくもない。

 現実的にはシリルが教養で誰かに侮られるなどありえないのだが、
学問に関しては絶対的上位者である彼ならそういう夢を見る事はあるかもしれない。
 シリルがどのレベルだろうと、海人より圧倒的に格下である以上、そういう事が無いとは言い切れないのだ。
 
 生物原料を用いる薬という可能性も考えたが、こちらはすぐに却下できた。
 患者がエアウォリアーズ団員であればルミナスからの頼みになるはずなのでシリルがメインの夢にはならないだろうし、
ルミナスが患者だとすれば海人はシリルに教えられた瞬間全力を尽くして奔走するはずなのだ。   
   
 他にも幾つか候補は上がったが、一番確率が高そうなのは学問系だった。

「……そもそも、必要ないと思うぞ。少々幼いが、君は間違いなく類稀な美貌の持ち主だ。
それをやればかえってバランスが崩れてしまう」

(…………学問系という可能性も吹き飛びましたわね。
代わりに、おそろしく腹立たしい予感がしてきましたが)

 我知らず、拳を鳴らすシリル。

 容姿に触れ、バランスが崩れるという言葉。
 ここから導き出される答えはそう多くない。
  
 多少劣等感はあるが、改善の為に剣を抜いて脅しにかかる程には気にしていない事だ。
 自分の使う武器の関係上、便利と言えば便利な事でもあるのだから。

 心外な認識は、正さねばならない。
 たかが夢と言われるかもしれないが、そういう事をやりかねないと思われているからこそ夢に出るはずなのだ。
 これが背後から自分に射殺される夢などなら、基本心配性な海人なら仕方ないと割り切って慰めもしただろうが、
これは少々許し難い。
 少なくとも、先程抑え込んだ理不尽な嫉妬心の抑圧を解き放つには十分だ。

 シリルは万全の準備を整え、決定的な言葉が出るのを待った。

「いや、だからわざわざ胸を大きくする必要なぞ――――」

「そこまで気にしてませんわよぉぉぉぉっ!」

 海人の寝言が終わる前に、シリルの拳が彼に突き刺さった。

 それと同時に、凄まじい雄叫びによってルミナス達も跳ね起きる。
 どうやら直前に抑え込んだ嫉妬心の分も上乗せされたシリルの怒声は、恰好の目覚ましになったようだ。

 ――――唯一、拳を腹に叩き込まれた海人を除いては。




 番外編32





 ――――海人は、屋敷の地下室で疲弊していた。

 周囲には、毎度のように積み重なる事務処理の書類。
 内容自体はどれも単純な計算で、かつて開発したロボットを使えばすぐに終わる。
 この世界の言語のインプットが必須だが、これ以降も書類が来る事を考えれば大した手間でもない。
 
 が、その一番楽であろう手段は使えない。

 というのも、そのロボットは画一的な文字の印刷しか行えないからだ。
 元の世界なら何の問題もない事だったが、ここはファンタジー溢れる世界。
 印刷技術それ自体は存在するが、古典的な活版印刷。
 この世界においては、複製するわけでもない書類を書くなら手書きの方が合理的だ。

 そのロボットにやらせた書類を依頼主に見せれば、間違いなく疑念を抱かれるだろう。
 彼女は勘が鋭い人間でもあり、日々の激務に辟易してもいるので、
あの手この手で探りを入れてくる可能性は高い。
  
 ――――その追及をかわすよりは、まだ全てを手書きで処理した方が楽。

 そんな考えで毎度律儀に一枚一枚手書きしているのだが、海人には過酷な作業だった。 
 やがて疲労が蓄積しすぎたのか、海人の手が止まってしまう。

(……次回から量を減らしてもらうか。些か情けないが)

 手の筋肉を解しながら、天井を仰ぐ。

 計算それ自体は、海人にとって大した手間ではない。
 多少頭が痛くなることは事実だが、研究中に考える計算に比べれば数が多いだけの単純計算。
 海人にとっては常人で言う一桁の足し算と大差なく、パソコンを使うまでもない。
   
 が、やはり延々続く膨大な単純作業は色々と疲れる。
 手の疲れは当然ながら、精神的な疲れもかなり強烈だ。

 本音を言えば気苦労の多い御令嬢や激務に追われるメイド達の為に極力力になってやりたいのだが、
回を追うごとに量が増加している事を考えると、ここらで釘を刺しておかねば身がもたない。
 男として見栄を張りたいところではあるが、もはや限界。

 ――――そう諦めかけたところで、何かが頭に引っかかった。

「……何か重大な事を忘れているような……うーむ」

 呟きながら頭を冷やし、問題点をまとめる。

 言うまでもなく、最大の問題は手書きだという事だ。これさえクリアできれば何の問題もない。
 その解決手段として自作ロボットがあるが、この世界の言語のインプットと画一的な文字しか書けない点が問題。
 そして言語のインプットに関しては、後々を考えればその程度の手間は大した事ではない。 
 つまり、ロボットが画一的な物以外の文字を書ければ問題ない。 
 
 ――――そこまで考えたところで、引っかかっていた何かが存在感を増してきた。
 
 あと一歩。それだけでこの問題は一気に進展する気がする。
 何かに気付く。それだけですべてが解決してしまう予感が。

 己の直感に従い、海人は更に思考の海に沈み――――硬直した。

 信じられない、といった様子で体を震わせる。
 今思いついた―――正確には思い出した事は、あまりにも馬鹿馬鹿しい事。
 解決手段を持っているにも関わらず、それを完全に忘れ去っていたという間抜けな事実。
 
 己の馬鹿さ加減を自覚した海人は、がっくりと肩を落とし、死んだ魚のような目で周囲を見渡す。
 真っ先に視界に入ったのは、膨大な労力を費やして終わらせた処理済みの書類。
 どれも、ちゃんと読み間違いがないよう丁寧な字で書かれている。
 疲れ果てた状態でこれだけ書いたのは、誇れる事かもしれない。

 それ以上に――――間抜けゆえに費やした無駄な労力の象徴だったが。
  
「…………アホか私はぁぁぁぁああっ!!!」

 地下室を震わせるような雄叫びを上げながら、創造魔法を使う。

 作りだしたのは、二台のロボット。

 一台は、事務処理用のロボット。
 備え付けのボックスに書類を放り込めば、全自動でデータを取り込み計算を行う。
 それをデータとして保存し、更には中央部に備え付けられたプリンターで印刷もこなす優れ物だ。

 そしてもう一台は、かつて開発した人の筆跡を真似るロボット。
 再現したい人物の文字を一定数読み取らせれば、それだけでその人物の筆跡を完全再現する傑作。
 元の世界では使い道の少なさゆえに短期間で解体されたが、この世界では使い道が多そうな物。

 そして――――あまりに短期間で解体した為、すっかり作った事さえ忘れていた物でもある。

 この二台の機能を組み合わせれば、海人の筆跡を用いて全自動でこの大量の書類を捌いてくれる傑作に早変わりする。
 この世界の言語データの入力は手間だが、海人ならばさしたる労力ではない。
 少なくとも残りの書類を手作業で処理し、今後もそれを続けるよりは遥かに楽だ。 
 
「ふ、ふふ、ふふふ……ここまで自分の間抜けさを痛感したのは久しぶりだなぁ……!」

 身の毛もよだつような凄絶な笑みを浮かべながら、手近にあった工具箱を手に取る。

 そして箱を空け、愛用の分解用工具一式を引き出すと、すかさず工作に取り掛かった。
 その無駄に繊細かつ高度な技能により、複雑な機構を誇るロボットが瞬く間に解体されていく。
 本来重量的に海人では時間がかかるはずの工程さえも、肉体強化で強引に解決。
 
 やがて二台のロボットがバラバラになり、床に残骸を散らしていた。
 そのパーツを、海人が必要な物から引っ掻き集めみるみるうちに再構成していく。

 ――――そのまま順調に進むかと思われたが、唐突に海人の手が止まった。

「……いや、これだけ無駄な時間を使って、ただ機能を組み合わせるだけでは芸がないか。
それに量が増えたら処理速度に影響が出るかもしれんし、処理速度を上げねばなぁ……!」

 海人はパソコンに駆け寄り、二台のロボットをより合理的に組合わせる手段を模索し始めた。

 瞬く間に書類処理速度を数倍にする案が十以上生み出され、その中で取捨選択していく。
 あまりに場所を取る物やあまりに見苦しい外見になりそうな物は即座に却下。
 これ以後この機械はこの部屋に常に設置される事になるので、大きさや見た目は重要なのだ。
 次いで、電源を入れてから起動するまでが遅くなる物も却下。
 コンマ数秒もない差だが、使用の快適性には大きく影響してしまう。
   
 そんな選抜の末、最後に残ったのは二つ。
 どちらも申し分ない。省スペースかつ見苦しくはない見た目。
 強いて問題を挙げるなら、片方は洗練されたデザインに出来るが作成に少し手間がかかり、
もう一つは作成の手間はかからないが、どうしてもやや無骨になってしまうという点ぐらいだ。
   
 海人は大した差ではないので、時間に重点を置くべきかとも思うが、 

(……刹那と雫も頻繁に出入りするからな。見栄えが良い方がいいか)

 数瞬の逡巡の末に、時間がかからない方を没案に放り込んだ。
 
 そのまま、より女性に好まれそうなデザインを考え始める。
 そして辿り着いたのは、あまり角を強調しないどちらかと言えば流線型のデザイン。
 加工に少々時間がかかるが、多少睡眠時間を削ればなんとかなるだろう。
  
(ここまでせんで良い気もするが……ま、女性の身内がいる以上これぐらいは気遣わねばならんか)

 はあ、と溜息を吐きながら、海人は続いて言語データの作成に移った。

 彼の表情にはあからさまな疲労が出ている。
 ここ数日楽しくもない手書きの書類処理を延々続けているのだから、当然と言えば当然。
 その上自分で決めたとはいえ余計な手間を増やしたのだから、疲れないはずがない。
 
 しかし、その表情にはどこか力強さがある。
 これで倒れる理由はない、と言わんばかりの強さが。
 疲れ切っているはずなのに、どこか楽しんでいるようにも見えるのだ。
  
 ――――もしこの場に海人の両親、あるいは妻がいればこう言っただろう。

 あれは、海人が一番楽しんでいる時の顔だ、と。
 
 
 



 番外編33




 おむすび。

 それは米を各々好みの形にまとめるだけのお手軽料理。
 形状は様々だが、基本的に工夫するとすれば中に入れる具を何にするか程度。
 小さなお子様でも、頑張ればそれなりに形にまとめ、それなりに美味しく作る事が出来る。
 海苔も巻かない塩だけのおにぎりなら、材料さえ良ければまず食えない事はない。
 これは、海人の国では一般的な認識だ。

 かつて海人が母から教わったのも、これが最初。
 あちあちと温かいご飯を弄びながら塩をつけた手で形を整えた。
 手先の器用さを活かし、色々な形を作ったら母に褒められ、とても嬉しかったのを覚えている。
 それに対抗した父が米櫃一つ分の米を使って巨大おむすびを作ったのも、子供心に尊敬したものだった。
 直後それあなたの夕飯ね、と母に言われて崩れ落ちた父を見て、ちょっと株が下がりもしたが、
父子揃ってそれにかぶりついた時の楽しさと美味しさは未だ忘れられない。

 だからこそ、海人はおむすびは誰でも普通に作れる物だと思っていた。
 かなり不器用だった父でもどうにか形は整えていたし、味も良かったのだ。
 コツを知っていれば、形を整えるのはそう難しくないだろうし、もし多少見栄えが悪くても食えない事はない。

 海人は長らくそう思っていたのだが――――今日、覆された。

「刹那……すまないが、どういう事か説明してもらえるか?」
 
「お、おむすび、を作ったのです……その、失敗はしてしまいましたが」

「……あっはっはー……これがおむすびかぁ……うん、とりあえずお米に謝れ馬鹿姉」

 縮こまる姉に、殺気全開の眼差しを向けて暴言を吐く雫。

 まあ、彼女が怒るのは無理もない。
 これは海人が創造魔法で作り出している米だが、ヒノクニでも食べた事が無い超高品質。
 その気になれば米だけで三杯は食える程に素晴らしい食材なのだ。

 それが、今や見るも無残な姿に成り果ててしまっている。

 使われた塩の量は、殺人的。
 このおむすびらしき物体を一舐めすればそれで酒が飲めるレベルだ。
 齧ってももはや米の甘味どころか強烈な塩味しか感じない。

 巻かれた海苔は、真っ黒焦げ。
 どうやら香ばしさを出すため火で炙ろうとしたようだが、
魔法の火力調整を激しく間違えてしまったらしい。
 せめてボロボロに崩してくれれば流石に使われる事は無かっただろうが、
中途半端に最悪の加減で失敗した為、この上なく焦げ臭い物体が自称おにぎりに巻かれる事になった。

 唯一の美点は米粒はちゃんと原型を留め、三角形に整えられている事。
 悪い意味で絶妙に焦げた海苔も万遍なく貼り付けられ、綺麗なものだった。
 少々不器用な刹那にしては、見事と言っていいだろう。
 
 もっとも、そのせいで遠目には綺麗な形のおにぎりに見えるという罠にもなっていた。
 だからこそ、雫は迂闊にもこのえげつない味のおむすびもどきを、豪快に一口ぱくりといってしまった。

 厨房に漂う焦げ臭い匂いでヒントはあったというのに、
海苔の色が黒は黒でも焦げの黒だと見破った海人の表情が若干引き攣っていたというのに。

 おかげで、雫は炭の苦みと強烈な塩味が米の甘味を消し飛ばし、
もっちりとした食感に妙にざらつく感触が混ざるという実に凄惨な味を体感する羽目になった。
 
「いやまあ、失敗に関してはこの際いいんだが……なんで皿に並べてあるんだ?」

 不思議そうに首を傾げる。

 おむすびの失敗それ自体は意外ではあるが、刹那なら仕方ないとも言える。
 かつて七歳で全ての家事を両親に禁じられた経歴は伊達ではない。

 が、その失敗作が皿に並べてあった、というのは解せない。
 塩加減は把握してなかったとしても、匂いで焦げたと分かる海苔を巻いた物を皿に盛る性格ではない。
 雫なら悪戯用と考えられるが、刹那は良くも悪くもそういう事をするタイプではない。

「その、戒めに自分で食べようと思いまして……食べなくて良かったようですが」

 説明しながら、安堵の息を漏らす。

 皿に盛ったのは、海苔を焦がした戒めとして自室で食べるつもりだったからだ。
 焦げた海苔が多少不味いぐらいなら食えない事はないだろう、そう考えていた。

 が、先程一口がぶりとやってしまった妹の反応からすると、とても食えた物ではなかったようだ。
 口に入れた瞬間目を見開いて青褪め、挙句驚きのあまりか飲みこんでしまい、
即座に冷蔵庫のジュースを取りに厨房を飛翔したその姿は、控え目に言っても哀れだった。 

「ああ、どう考えても体によろしくない。止めておけ」

「海人さんは甘すぎます! 良い食材使ってこんなえげつない物体作り出した以上、せめて一つ食べさせるべきです!」

 がるる、と唸りながら雫は自称おむすびを一つ手に取った。
 そしてそれを構え、その製造者にじりじりと近寄っていく。

「ま、待て雫! 何をする気だ!」

「いいから食えぇぇぇっ! 折角の美味しいお米を駄目にした罰!
そしてあたしがこんなもん食べる羽目になった恨みぃぃぃっ!」

 涙を流しながら襲い掛かる雫。
 その表情は実に鬼気迫るものがあり、刹那も若干気圧された。

「止める前に食ったのはお前だろうが!?」 

 口に突っ込もうとする妹の手を必死で押さえながら抗議する。

 一応、刹那は止めようとした。それは失敗作だから食うなと。
 だが、それよりも先に雫が手を伸ばし、口に入れてしまったのだ。

 横から勝手に手を伸ばしてつまみ食いしたのが原因なので、雫にも非があるのは間違いない。
 無論、危険物を作り出した自覚もなく皿に盛って放置していた刹那にも非はあるが。 

「どこの世界に塩むすび作ってここまで失敗する馬鹿がいると思うよ!?
常識外れのド間抜けやらかしたお姉ちゃんが悪いっ!」

 渾身の力を込め、製作者の口へと危険物を進めていく。
 怒りの為かその力は目を瞠るものがあり、本来膂力で勝るはずの刹那がじわじわと押し負け始めた。
 
「こ、こんな馬鹿力があるなら、なぜ鍛錬の時に発揮せん……!?」

「これはあたしだけの力じゃない……! 今までお姉ちゃんの犠牲になった食材の思い、正義の力だよ……!」

(あー、そういえばこの間やらせたRPGに似たようなセリフがあったな)

 雫の言葉を聞きながら、暢気な感想を抱く海人。

 今の雫のセリフは、つい先日雫がクリアしたゲームのそれにそっくりだった。
 雫の一人称を僕に変え、お姉ちゃんをお前に変え、食材を人々に変えればそのままだ。

 付け加えるなら、状況もちょっと似ている。
 ゲームでは圧倒的な力を持つ敵を相手に、主人公が突如爆発的な力を出して逆に追い詰める場面。
 その状況に至った理由はともかく、構図だけ見ればそっくりだ。

 そこで、海人はふと思い出した。その後の展開を。

「……っでえいっ!」

 じりじりと競り負けていた刹那だったが、おむすびが口に触れる寸前で力の方向を変え、雫を投げ飛ばした。
 当然雫も再び襲い掛かるべく身を翻して着地しようとしたのだが、

「寝てろっ!」

 着地地点に回り込んでいた刹那の手刀によって、意識を刈り取られた。
 がっくりと膝をつき、地面に倒れ込む雫。
 それを見下し、刹那は海人に頭を下げた。  

「お騒がせいたしました」

「いや、賑やかなのは良い事だが……結末まで再現しなくてもなぁ」

 苦笑しながら、ゲームの展開を思い出す。

 ゲームでも主人公は結局敵に今のように返り討ちになる。
 というより、そもそもそのイベント自体、戦闘で負けた後ゲームオーバーまでに起こる寸劇だ。
 やたら強いボスで対策なしでは敗北を免れない為、多くの人間がイベント的な敗北だと思い、
事実それらしくイベントが進むのだが、最後の最後で主人公が負けてしまう。
 
 数あるバッドエンドの一つだが、展開の落差ゆえに一番プレーヤーの記憶に残ったエンディングとして有名だったりする。

「あの、意味が分からないのですが……」

「なに、ただの戯言だ。それより、流石におむすびぐらいはまともに作れんと困る。
教える……といっても大した内容ではないが、ちょっと一緒にやろう。
起きた時に真っ当な出来のを食わせれば雫の機嫌も多少直るだろうしな」 

「は? いえ、その……」

「ん? 何か問題あるか?」

「……いえっ! 御指導よろしくお願いいたします!」

 首を傾げた海人に、刹那は嬉しそうに一礼した。    
   
 今回は躓いておむすびに盛大に塩をぶちまけたのと、海苔の火力調整を誤っただけで、普段は真っ当に作れる。
 そんな事実をそっと胸の中にしまいこんで。




 番外編34





 その日、シェリスの屋敷の食堂はにわかに賑わっていた。

 といっても、元々この食堂は食事時にはとても賑やかだ。
 屋敷自慢の料理長が丹精込めた料理が三食出てくるし、
食べる人間は毎日の過酷な鍛錬でこの上なく腹を空かせたメイド達。
 美味い料理に舌鼓を打ちながら、その日あった出来事の話や他愛のない雑談に興じ、思う存分食事時間を満喫する。
 場合によっては残った料理の奪い合いが発生し、それで賭博が行われる事もあり、食事時間はひたすらに騒がしい。

 が、今の時刻は二時。食事時からは微妙に外れ、おやつの時間にも少々早い。

 普段ならせいぜいおやつを準備する音が響く程度の時間帯にもかかわらず、
多くの人間が食堂に集い部屋の入口を見ながら雑談に興じていた。

「……ハンナ、どうして人は争うのかしらね」

「みんなそれぞれの願いがあって、それが衝突しあうからでしょうね。今の私達みたいに」

 項垂れる友人に、静かな言葉を返す。
 その表情はなんとも言えぬ憂いに満ち、悲壮感が漂っている。

 ――――口元に笑みさえ浮かんでいなければ、だが。
 
「悲しいわね。みんなの願いが、平等に叶えばいいのに……」

「それが実現しないからこそ悲劇が起こるのよ。
勝者である私達に出来るのは、せめて倒した人間の分も幸福を噛みしめる事だけよ」

 友人の手を取り、力強く言い聞かせるハンナ。
 
 なお、ハンナの視線の先には恨めしそうな表情で窓から中を覗いている同僚二人の姿がある。
 頭にたんこぶを作っている彼女らは小芝居をしている元凶達をじーっと睨み付けていたが、
そのうち横から飛んできた風の魔法によって吹っ飛ばされていった。

 それを見ながら、シャーリーが呟く。
   
「……本当、しばらく見ないうちに随分逞しくなったわね、あの子達」

「そうねぇ……まあ、今回は物が物だから余計にだろうけど」

 メイベルが苦笑しながら頷く。

 彼女らが待ち構えているのは、カレー。
 海人から貰ったレシピでローラが作った、豚肉のカレーだ。
 以前彼女が持ち帰った野菜のカレーの味は、食べた者は勿論食べ損ねた者達の間でも語り草になっており、
いつか食べたいと多くの者が願っていた。

 それが今、ようやく叶おうとしている。
 浮かれてはしゃぐのも、当然と言えば当然だった。

「それなのだけど、そんなに美味しいのかしら?」

「物凄く、よ。しかも、前食べたのは野菜のみの物で、今回はお肉入り。
正直、可愛い後輩を薙ぎ払ってでも自分の取り分を増やしたいわね」

 軽く肩を竦め、マリアの問いに答えるメイベル。

 以前食べた野菜のカレーは、確かに美味かった。
 後輩達に遠慮せずもう一杯食べるべきだったかと考えてしまう程に。
 
 だが、メイベルは肉が大好物。
 正直、食べていてこれが肉入りの料理であればと思った事は否めない。  
 当然、今待ちわびているカレーに対する期待は非常に高い。

「それはどうかと思うわ。皆勝ち残ったって喜んでるんだから。
それより、シェリス様の分はどうなってるの?」

「シェリス様の分は真っ先に休憩部屋に運び込まれているはずよ。
付け加えるなら、スカーレットを含めた料理人数人分もね。というか、そのせいでこんな状況になったのよ」

 シャーリーの問いに、メイベルが答える。

 言うまでもなく、シェリスもカレーを楽しみにしている。
 ローラが作ると聞いて、迷いなく頭を下げたというから間違いない。
 
 が、生憎彼女は仕事中。
 書類仕事ならまだしも、今は面会中なので食べる余裕はない。 
 なので、一応屋敷の最高権力者である彼女の分は先に分けてある。

 それとは別に、料理長であるスカーレットや部下数人の分も別に確保されている。
 カレーの再現に熱意を燃やす彼女達は、もう一度味を確かめたいと必死で頼み込んだ為だ。
 秘密厳守という契約の製造工程を覗かれるよりはマシ、とローラもそれを受け入れた。

 ―――――しかし、ここで問題が発生した。

 ローラが作った量は彼女自身の分を別にしても屋敷の全員が一杯は食べられる量だったが、
シェリスが満足の為に、スカーレット達が味の分析の為にそれぞれおかわり分を確保した事で数が足りなくなってしまった。
  
 一応ローラの分として数十杯分が別に保管されているが、それを譲ってもらうよう懇願する度胸がある人間も、
ましてそれを盗み食いしようなどと考える自殺志願者もこの屋敷にはいない。

 だからこそ――――争いが起きた。

 配られる時間に屋敷にいない者は除外。運が悪かったとローラの命令で諦めさせた。  
 それでも、とても全員分は行き渡らない。食べられるのは、半数程度。
 なので、負けた方は素直に諦めるという条件で決闘が行われた。
 その結果残ったのが、この部屋にいる人間だ。

 無論、メイベル達も後輩を一人ずつ蹴散らしている。
 三年前なら挑まれた段階で逃げ出していただろう後輩達が向かってきた事に感心はしたのだが、
それはそれと無慈悲に叩き潰したのだ。
 
「ああ、総隊長が食べすぎたわけじゃなかったのね……あら、来たようね。楽しみだわ」

 食堂に向かってくる人の気配を感じ、シャーリーは声を弾ませた。 














 十分後、カレーを食べ終えたメイド達は幸福感に浸っていた。 

 食べられたのは、所詮一杯。
 彼女らにとっては満足できるほどの量ではない。
 
 だが、その味は至高。
 あまりの美味さに、素材の良さが、このスパイスの配合が、この濃厚さが、
など細かい事を考える間もなく一皿平らげてしまった。
 
 正直量的な物足りなさはあるが、一杯だからこそ何も考えずただ幸福に浸れたという側面もあるので、
さしたる不満は感じない。
 
 誰もがそんな細やかな幸福に浸っている中、マリアが静かに口を開いた。

「ふふ、本当に美味しかったわね。
正直、誇張されていると思っていたのだけど」

「癖になる味よねー……でも、レシピ知ってるのカイト様とローラだけっていうのがねぇ……」

 味の余韻に浸りながら、メイベルが溜息を吐く。

 豚肉のカレーは、実に美味かった。
 野菜のカレーも美味かったが、やはり好物が使われていると一味違う。
 これなら何杯でも食べられるし、食べたい味だ。

 しかしレシピを知るのは、製作者である海人とローラのみ。
 どちらも交渉し辛い相手で、食べる機会は必然的に少なくなる。

 なまじ美味いだけに、悲しい話だった。 

「我が屋敷自慢の料理長は?」

「似たような味で美味しい物は出来るけど、この次から次に食べたくなる感じが再現できないそうよ。
スパイスの配合から何から色々試してみたけど、結局お手上げみたい。
今回の食べてしっかり分析するとは言ってたけど、厳しそうだとも言ってたわ」 

「あらあら、そこまで稀少価値があるなら今のうちに食べておくべきね。お代わりをしましょうか」

 言いながらマリアは水を飲み、皿の上にスプーンを乗せた。
 
「もう空になってるじゃない」

 呆れたように、メイベルが言った。

 運ばれてきた寸胴には、もはや何も残っていない。
 最後の一人がスプーンを使い、残っていたルウを一滴残らず引っ掻き集めた為、
まるで洗い立てのような風情になっている。
 かろうじて米は残っているが、それだけだ。

「あら、まだ残ってると思うわよ?」

 ふんふん、と鼻歌を歌いながら、マリアは席を立つ。
 そして残っている米を余さず皿に盛りつけると、何故かそれを持って食堂を去って行った。

 ――――彼女の行動の意味は、それから一時間後に誰もが知る事になる。

「わ、私のカレーを食べたのは誰っ!? 楽しみにしてたのにぃぃぃぃぃっ!?」

 涙を流しながら犯人を探す、屋敷の最高権力者の姿によって。 

     



 番外編35







 海人邸食堂。
 屋敷の住人達は、いつも通り全員揃って昼食を楽しんでいた。
 
「うむ、やはり海人殿の作る御蕎麦は美味しいですね。ルミナス殿の天ぷらも、素晴らしいです」

 蕎麦を啜り、刹那が満足そうに微笑む。

 この蕎麦もつゆも海人提供の物だが、質が恐ろしく高い。
 濃厚な蕎麦の旨味と、それに対抗するかのように強力なつゆの味。
 旨味の強いつゆが蕎麦によく絡み、噛んだ時に生じる味はまさに至高だ。

 まず、つゆの食欲をそそる香りと味が口内に広がる。
 出汁と煮切りの味が濃厚に絡み合うそれはそのままでは刺激が強いが、
蕎麦が纏う水分で薄まる事で、絶妙な美味と化す。

 次に主役たる蕎麦の味が出てくるのだが、これがまた凄い。
 一噛みするごとに、隠れていた味がみるみる顔を出してくる。
 蕎麦のほのかな、しかし確かに存在する良い香りと甘みが一噛みごとに強くなっていくのだ。
 それだけでも素晴らしいのだが、それに僅かに残ったつゆの味の残滓が絡んだ時の味ときたら、もう言葉も出ない。

 さらには最後に嚥下する時の心地良い感触。
 米の飯を飲み込む時の快楽にも僅かに似ているが、米のそれとは違い、爽快感のようなものを感じる。
 ついつい、一口二口と手が伸びてしまう。
 
 更に、刹那の手元には天ぷらもある。
 
 ルミナスが海人からイメージを聞き、彼が作った物を試食し、そこから理想形を導き出して作った逸品。
 思い描いた食感にはまだ遠いらしいが、これでも十分に美味い。

 齧るとサクッと音が鳴り、カラッと揚がった衣の食感とプリプリした海老の食感による、官能的な感触を与えてくる。
 味も衣の香ばしさと良質な具材の旨味が引き立て合い、堪えられない。
 特に刹那の前にあるのは海老と野菜数種なので、様々な味を楽しめる。 
 
 蕎麦の合間に時折これを齧り、御茶で流してまた蕎麦に向かう。
 これだけで、一昼夜過ごしてしまいそうな程に、絶妙な組み合わせだ。 

「そりゃ良かったわ。カイトはこの天ぷらどう思う?
あんたの知ってる最高の物を百点として答えてほしいんだけど。あ、当然遠慮はしないようにね?」

「ふむ……六十点かな。衣が僅かに重く微妙に揚がりすぎ、素材の甘味が弱まっている。
とはいえ、この短期間で実物も食わずにここまで再現するのは凄まじいと思うが」

 自分の前にある天ぷらを齧り、冷静な評価を下す。

 海人の目の前にあるのは、かき揚。
 海老と小柱のみを使ったそれは揚がりすぎず、かつ火はちゃんと通っている見事な出来。
 衣はさっくりと香ばしいし、具材の旨味も引き出されてかなり美味い。
 不満を抱くような出来ではなく、むしろ蕎麦の付け合せとしては良く出来過ぎているぐらいだ。

 ――――が、本職の一流に比べれば、流石に遠い。

 あくまでもほんの僅かだが、衣が固すぎる。
 そして香ばしさの中にほんのりと焦げ臭さが混ざっている。
 一口食べた程度では分からない程度の差だが、二口三口と食べるとその差を強く感じるようになってしまう。
 どうしても、比較すれば粗が出てしまう。
 
 勿論、実物を食べずこの短期間でこのレベルに達するのは並大抵ではないが。
 一流の技を目の前で何度も見た事がある海人の助言があったとはいえ、普通はここまで再現できない。
 流石の腕前、と言って問題ないだろう。

「ありがと。ま、合格出るまで頑張るとしますか」

「や、そこまで気合入れなくとも。あたしは十分だと思いますよ?
衣の付き具合とか、良いバランスなんですよねー」

「たわけ。折角香ばしく揚がった天ぷらをつゆに沈めたお前に発言権はない」

 ずずーっと蕎麦を啜る妹を、刹那が睨む。

 雫が食べているのは、かけそばに海老のかき揚を乗せた物。
 揚げ立てゆえに香ばしさが残っているが、汁に浸っているので素の天ぷらの質の良さはあまり関係ない。
 どんなに上手く揚げたところで、あっという間に汁を吸って全ての食感が失われてしまう。

 その美味さを知るがゆえに、許し難い事だった。

「ちっちっち……分かってないねぇ、お姉ちゃん。確かに揚げ立ての天ぷらの香ばしさは凄いよ。
でも、つゆをたっぷり吸った天ぷらの美味さもまた凄いんだよ。もし勇気があるなら……試してみたら?」

 不敵な笑みを浮かべ、刹那に丼を差し出す。

 揚げたての天ぷらが美味い。そんな事は雫も重々承知だ。
 そこに否定の余地などなく、むしろもし否定する者があればぶっ飛ばしてしまいかねない。

 だが、そばつゆを吸った天ぷらの味が美味いのも、また事実。
 
 確かに、たっぷりつゆを吸った衣からは香ばしさもさっくりとした食感も消え去る。
 揚げ手の丹精込めた作品を破壊する、冒涜的な行為と言われても仕方がないかもしれない。
 しかし、その代わりにふんわりとした食感と、衣とつゆの味が絶妙に絡まりあった絶妙な美味が生じる。
 これを蕎麦と絡めて食べた時の味わいは、揚げたての天ぷらとざるそばの組み合わせに劣る物ではない。

 妹の挑戦するような眼差しを受け、刹那は静かに丼を手に取った。

「……こ、これは……!」

 一口食べた途端、刹那はくわっと目を見開いた。

 中から飛び出てしまった海老と衣を絡めて食べた途端、未体験の美味が襲い掛かった。
 ふんわりとした衣の食感、海老の小気味良い弾力、そしてつゆをたっぷり吸った衣と海老の味の絶妙な味わい。
 揚げたての天ぷらのような興奮はない。だが代わりにしみじみと心和ませるような味わいが生じている。
 蕎麦と一緒に啜ると、蕎麦と小麦の甘味と海老の旨味が絡み合い、揚げ油の味がそれを数倍に増幅する。
 これは確かに、甲乙つけがたい味わいだ。

 驚愕している刹那に、海人が横から声をかけた。

「ああ、ついでにこれをちょっと舐めてからまた汁を啜ってみろ」

「山葵、ですか? 流石に、風味が壊れるのではないかと……」

「ま、物は試しと思ってやってみろ」

「はっ……」

 海人の言葉に渋々ながら頷き、刹那は山葵を少し舐めた。
 
 予想通り、それまでの余韻が全て吹き飛ばされた。
 鼻に抜けるような強烈な香り、舌に突き刺さる鮮烈な辛み。 
 舌に残っていた味の残滓も、綺麗さっぱり消えてしまう。

 少しひりひりする舌に眉をしかめながらつゆを啜ると、刹那は再び目を見開いた。
 
「こ、こんな事が……!」

 もう一口汁を啜り、慄く。

 山葵を舐めた直後のつゆの味。
 舌がひりついて良く味わえないだろうと思ったが、いざ飲んでみれば山葵のほんのりとした香りの残滓と
つゆの香りのなんとも言えぬ絡まり具合に衝撃を受けた。
 しかも、それで山葵の味は綺麗さっぱり押し流され、次の一口は再び存分に蕎麦の味を楽しめる。
 
 思わず、繰り返してしまう。
 ちょっと山葵を舐めつゆを啜り、蕎麦を食うというローテーションを。

「ぎゃあああああああああっ!? あたしのかき揚そばぁぁぁぁぁっ!?」

 凄まじい勢いで失われていく自分の昼食に、思わず雫が悲鳴を上げる。

 これは、ただ食事が減るというだけではない。
 つゆの染み込み具合、蕎麦の柔らかさ、全てが一番美味い頃合いだったのだ。
 一番楽しみにしていた物がみるみる消えていくのは、拷問に等しい。

 しかし余程夢中になっているのか、刹那はその魂の叫びに気付いた様子もない。

「刹那、落ち着け!」

 ごすっ、と海人の手刀が刹那の頭に叩きこまれる。
 限界越えの肉体強化によって咄嗟にガードした刹那の腕諸共叩き込まれた手刀によって、
刹那はどうにか正気にかえった。

「っつう~~~……海人殿、何を……あ゛」

 自分の手にある丼を見て、絶句する刹那。

 そこにあるのは、見るも無残な丼。
 蕎麦は根こそぎ食い尽くされ、ほわほわと柔らかそうだった天ぷらは僅かな残滓を残すのみ。
 ちゃぷん、と心許ない音を立てるつゆの残りが、なんとも切ない。

「ああ、あたしの、あたしのかき揚そば……こ、こんな、こんな酷い姿に……海人さぁぁぁん……」

 わなわなと震え、横にいる海人に泣きつく雫。
 海人はその頭を優しく撫でながら、刹那に視線を移した。
 どうするんだ、と問いかけるように。

 その視線に我に返った刹那は、慌てて雫に頭を下げる。

「す、すまん! せ、拙者の残りの天ざるをやるから……!」

「あれの代わりが熱々じゃなくなった天ぷらと蕎麦だけなんて……くすん」

「わ、分かった! きょ、今日の拙者の分のデザートもやろう! お前の大好きな白玉ぜんざいだぞ!」 
 
「……ホント?」 

「武士に二言はない!」

「それなら許したげましょー。あ、ルミナスさん、すみませんけどかき揚もう一個揚げてくれます?」

 海人の胸から顔を上げ、ルミナスに声をかける雫。
 その目には、涙の跡すらない。

「それはいいけど……したたかねぇ」
 
 ケロッとした顔の雫を見て、苦笑する。

 雫―――というか海人以外の食事は、たかがかき揚そば一杯では足りない。 
 当然ながらおかわりが前提であり、まだまだ材料はたくさん残っている。
 一杯失ったのは悲しいだろうが、あそこまで嘆く意味はない。

 刹那を嵌める為に一芝居打った事など、傍から見れば丸わかりだった。
 ついでに言えば、海人が理解した上で芝居に付き合ったという事も。

 遅ればせながらそれに気付いた刹那が抗議しようとするが、
  
「武士に二言はない、だったよねー?」

「ぬぐっ!?」

「完敗ですわね、セツナさん。そもそも、貴女に非があるのは事実ですし」

「ううううう……」
 
 シリルの言葉に、がっくりとうなだれる刹那。

 元々非は刹那にある上に、言質を取られた。
 確かにこれは覆しようがない。ましてあの口の立つ妹。
 下手に動けば、更にむしり取られかねない。

 白玉ぜんざいは刹那にとっても大好物なのだが、諦める他ないだろう。
 
 あの上品な汁の甘味、所々入っている小豆の濃厚な味わい、そしてもっちりとした官能的な食感の白玉。
 付け合せの塩昆布と交互に食べると、止まらなくなる。
 食べすぎると口の中が甘くなるが、その時には御茶を飲めばまた新鮮な味を楽しめる。
 実に素晴らしい、毎日でも飽きそうにない素晴らしいデザートなのだが。

 さめざめと涙を流している刹那に、海人が声をかける。

「やれやれ……私の分をやるからそういじけるな」

「い、いえ、それはいけません! 大好物とはいえ海人殿の物を取るなど……!」

「気にするな。元々甘い物はさして好きではないし、私は食いたくなれば魔法で作ればいいだけだからな」
 
「で、ですが……」

「あんまりつべこべ言っとると、無理矢理口の中に突っ込むぞ?」

「う……で、では、御言葉に甘えさせていただきます……その、ありがとうございます」

「だから気にする必要は……なんだ、シリル嬢?」

「なんでもありませんわ」

 訝しげな海人に、肩を竦めて返すシリル。

 つくづく、身内に甘い男だと思う。
 必要な所は締めるが、それ以外では本当に駄々甘だ。
 これが刹那でなくシェリスなら、のたうち回るのを楽しげに観賞して楽しむだけだろう。
 交換条件付きで、魔法による製作を請け負う事ならあるだろうが。

 一応シリルとしてはこの性質を好ましく思っているのだが――――それを見て心を乱してしまう人間もいる。

 悲しい事に、今鍋の方で小さな舌打ちのような音が聞こえてきたのがそれを如実に表している。  
 おそらく、手が滑って揚げていたかき揚がバラバラにでもなったのだろう。
 本人も自覚していない感情のせいで。

 ――――ままならぬ現状に、シリルは小さく溜息を吐いた。













 




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[2013/05/19 23:32] | # [ 編集 ]

私もおいしいものには目がないのです
えーっつと、表題通りです。
以下、私のおいしいものの経験を。
高校生の時、マグロの子供を一匹親戚からいただいたことがあります。
それが、クロマグロなのかメバチマグロなのかは知りません。
しかし、その時食べた大トロのおいしさは35年たった今でも忘れられません。
口にお含んだ途端、溶けていく油のうまみ、至福の口吻でした。
次、私の料理の特技にナン作りがあります。
最初のきっかけはweb上のレシピでした。ところが作ったそれは、幼かった娘、曰く「かたーい」、慌ててフォローした妻が「でも味はいいわよ」でした。
何回か、そのまま続けましたが評価は上記のまま。
いい加減やめようかと思った何回目かの挑戦の時、ふとドライイーストの説明書を読みました。すると、「気温が低いときには、40度の砂糖水のぬるま湯で予備発酵をする」と書いているであるではありませんか!!!
私は、その記載通りにしたときの喜びを忘れられません。娘も妻も嘘偽りなく「おいしい」と言ってくれたのです。その後、オーブン焼きではなく、ホットプレートで焼いた方がもっとおいしいとかの細かい修正があり、今でも強力粉と薄力粉の混合具合の試行錯誤がありますが、あの予備発酵の有無ほどの劇的な改善はありません。
料理というのは、あるコツを発見したとき、劇的に変わるのだと知った経験でした。

すいません、感想じゃなくて私の料理開眼の経験でした。長文失礼しました。
[2013/05/20 00:45] URL | hatch #QGsADGPw [ 編集 ]

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[2013/05/20 07:03] | # [ 編集 ]

こちらでも失礼
誤字報告ですが
始めのお酒の話で刹那が寝てる所は右の二の腕ですが、雫は前腕となっていますよー。左腕の間違いでしょうか?
[2013/05/20 21:29] URL | 名無しの権兵衛 #y2a4lNMg [ 編集 ]


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