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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄76
 シュッツブルグ王国の片隅に、小さな屋敷がある。

 人里からはかなり離れており、馬車を使っても一番近くの村への往復で丸一日かかってしまい、
更には背後にアミュリール川の急流、それを挟んで魔物が跋扈するドースラズガンの森がある。
 屋敷の造りはしっかりとしているし、庭の風景が風光明媚など良い点も多々あるのだが、
いかんせん立地条件が悪すぎてなかなか買い手がつかなかったという曰くつきの屋敷だ。

 そんな屋敷をわざわざ選んで買った青年――――天地海人は、自室でのそのそとベッドから起き上がっていた。

「……もうこんな時間か」

 枕元に置いてある時計を見て、軽く目を見開く。
 時刻は既に昼間近。随分と寝坊していたようだ。

(ここ数日、リレイユの躾で夜更かししていたからな……気が抜けたか)

 着替えを取りに向かいつつ、まだ眠気が残る頭でそんな事を考える。

 ここ数日、海人はつい最近飼い始めたペット――――リレイユの躾で忙しかった。
 非常に賢く従順なのだが、外観が普通に怖い上に破壊の象徴のような種族なので、
図太い人間が揃ったこの屋敷の客でも、腰を抜かして動けなくなる恐れがある。
 なので、少しでも恐怖を和らげるべく色々と仕込んでいたのだ。

 付け加えるなら、少し前に出立した元王女の騎獣への対抗心もあった。
 あの巨大な狼は主の命ならお手お座りなどの基本は勿論、宙返りから逆立ちまで色々と出来たのだ。
 それは屋敷に住まう同居人達からも人気だったので、あれぐらいの芸は出来るようにしてやりたいと思ったのである。

 その熱意のおかげか、無闇に他の生き物を餌にしないなどの躾は勿論、
様々な見栄えのする芸、少し可愛らしく思える対応など様々な事を覚えさせられたのだが、
連日を調教に費やしたせいで、元々少ない海人の体力は限界を迎えていた。

 その結果が、今日の寝坊である。

「おや?」

 着替えた服の上から着慣れた白衣を羽織ったところで、海人は部屋の片隅にあるテーブルの上の異変に気付いた。

 テーブルの上に、サンドイッチが乗っている。
 マヨネーズを塗ったパンに照り焼きチキンとタマネギとレタスを挟んだ物に、
薄切りのハムを何枚も重ね申し訳程度に野菜が挟んである物。
 どちらも見ているだけで食欲を煽られる出来。

 そして、サンドイッチの横には一枚の紙が置いてあった。
 
「……相変わらず、優しい事だ」

 紙に記された文章を読み、苦笑する。

 そこには『おはよう。起きたら食べるように。頑張るのもいいけど、夜更かしは程々にね』と、
綺麗な文字が書かれていた。

 友人の気遣いをありがたく思いながら、サンドイッチに手を伸ばす。
 
 最初に食べたのは、ハムサンド。
 何重にも重ねられたしっとりとしたハムとアクセント程度の野菜を噛んだ時の食感が、実に心地良い。
 肉の味が濃厚な割に後味が軽く、瞬く間に食べ終えてしまう。 

 次いで、海人は照り焼きチキンのサンドイッチに手を伸ばした。
 しっとりとしたパン、しゃきしゃきしたレタス、プリプリと弾力のあるチキン、
これらが相まってとても心地良い食感を作り出している。
 味のバランスもとてもよく、甘辛いチキンとマヨネーズやパンの旨味が見事に調和していた。
 ずっしりと重みのある味わいだが、とても美味いのでこれもあっさりと食べ終えてしまう。

 まだ収まらぬ空腹感をどう治めるか考えていると、入り口からノックの音が響いた。
 
「海人殿、御目覚めでしょうか?」

「ああ、入っていいぞ」

 海人の許可とほぼ同時に、ドアが開く。

「失礼いたします……あ、もう食べてしまわれていたのですか……」 

 ドアから入ってきた女性―――宝蔵院刹那は、少々落胆した様子で海人の手元を見た。

 ついで、視線を自分が持ってきた皿に落とす。
 そこにあるのは、おむすび二つと漬物の盛り合わせ。
 単純な組み合わせながら盛り合わせは綺麗で、
丁寧に海苔を巻かれた米と沢庵や茄子など色とりどりの漬物の対比が良く映えている。

 朝食後から時間をかけて盛り付けを頑張ったのだが、既に食事を終えている以上下げなければならないだろう。
 刹那がそんな事を思っていると、海人が手を差しだしてきた。
 
「いや、今日はちと空腹でな。良ければそちらも貰えるか?」

「あっ……はい! 是非どうぞ!」 

 海人の言葉に刹那は嬉しそうに微笑み、皿を差し出した。
 一言礼を言って、海人はおむすびを手に取る。
  
「おお、美味いな」

 一口食べ、そんな感想を漏らす。

 冷えた米に塩をまぶし、海苔を巻いただけのシンプルな品だが、
素材の良さもあって実に美味かった。
 おそらくつい先程巻いたばかりであろう海苔はパリッと香ばしく、
冷えた米は炊き立ての状態よりも甘味が増し、程良い塩がそれらの味を引き立てている。

 時折添えられた漬物を食べていると、まるで飽きる気がしない。
 あっという間におむすび二つが皿から消え、漬物も食べ尽くされた。

「御馳走様。美味かったぞ」

「ありがとうございます。その、もう少し持って来ればよかったでしょうか……?」

 空になった皿を見て、刹那がおずおずと訊ねる。

 少食な海人に合わせて小さめのおむすび二つにしたのだが、あっという間に漬物まで平らげられてしまった。
 あの速度と今の海人の表情からすると、量が足りなかったように思える。
 
「うーむ、確かに少し物足りん気はするが……ま、健康には腹八分目が――」

 海人が申し訳なさそうな刹那に笑いかけたところで、再びドアがノックされた。

「カイトー、起きてるー?」 

「起きとる。入っていいぞー」

 外から聞こえてきた声に、暢気な声で返事を返す。

 顔を見るまでもなく、声の主は分かる。 
 寝過ごしていた海人の為に、サンドイッチを置いていってくれたであろう人物だ。

「はいはい、出来たての食事持って……って、ありゃ、セツナさんも食事持ってきてたの?」

 入ってきた女性―――ルミナス・アークライトは意外そうに目を丸くした。

 起きて最初に食べるのが時間が経ったサンドイッチでは気の毒、
と新たに別のサンドイッチを作って持ってきたのだが、先客がいるのは予想外だった。 

 困った事に海人の頬に米粒が一粒ついている事で、用件も同じだったという事が窺えてしまう。

「ええ。ただ、まだ海人殿は物足りないようですので……」

「良ければ、そっちもくれ。まだ少し足りんのだ」

「そのつもりで持ってきたんだけど……大丈夫?」

 心配そうに、海人の顔を覗き込むルミナス。

 持ってきたのは、カツサンド。
 手軽に食べられ、しっかり力が付く物をと思ったのだが、
朝のサンドイッチと刹那の持ってきた料理を平らげた後では、海人には重すぎる気がした。

 一応量は少なめにしてあるが、二食分食べた後では流石に無理があるように思える。
 
「ああ、今日は妙に腹が減っててな……うむ、美味い」

 もぐもぐとカツサンドを頬張り、満足そうに頷く。

 味もさる事ながら、食感が実に心地良い。
 噛むとまず歯が柔らかいパンを突き抜け、次にシャキシャキしたキャベツが当たり、
最後にザックリとした衣と程良い弾力の肉を貫く。
 その瞬間も良いが、噛んでいる内にそれらの食感が全て合わさってくるのも堪らない。
 混沌とした食感だが、それはなんとも形容しがたい快楽なのだ。

 結局、海人はカツサンドまでもぺろりと平らげてしまった。

「へえ~、珍しいわね。あんたがそんだけがっつくなんて」

「正直、自分でも不思議だ。まあ、リレイユにかかりっきりで体力を使いすぎたんだろうな」

「結局、躾は終わったわけ?」

「うむ。あれだけ仕込んでおけば、怖がられっぱなしの可能性はかなり減ったはずだ」

「ふーん……一応言っとくけど、もし怖がられたままでも落ち込むんじゃないわよ?
リレイユはプチドラゴンなんだし、怯えられるのが普通なんだから」

「ふっ、昨晩仕込んだ芸があるから大丈夫だろう。流石に一目で気絶されてはどうにもならんが、
ちゃんとリレイユの動向を見ていれば一気に親しみを覚えるはずだ」

 不敵に笑う海人。

 昨晩の最後に試しに仕込んでみた芸は、御世辞抜きに素晴らしかった。
 他にも色々小技を仕込み、親しみを持ち易いよう小細工はしたが、あれには及ばない。
 色々小道具を作る羽目にもなったが、あれならば確実に親しみを持ってもらえる自信がある。
 
 ルミナスの心配は杞憂、とばかりに海人はふんぞり返った。
 自分の死角で、昨日その芸の一部始終を見届けた刹那が困ったような顔をしている事に気付かず。
 
「大した自信ねぇ……じゃ、次の客が来た時を楽しみにさせてもらうわね」

 対照的な主従の様子を見ながら、ルミナスは苦笑した。

   

 

  























 一方、屋敷の中庭ではなんとも温かい静けさが広がっていた。
 
 天高く昇った太陽の光が燦々と降り注ぎ、時折吹き抜ける爽やかな風も心地良い。
 風景も緑豊かな中庭と澄み渡った青空の色彩が、程良く調和している。
 中庭自体はともすれば少々物悲しさを感じかねない風情なのだが、
それが生命感溢れる陽光にさらされる事で、実に良い塩梅の穏やかで心落ち着く風景を作り出していた。
 強いて言えば、屋敷の裏にある激流の音が若干うるさくも聞こえるが、
この庭の風景と合わせるとまるで山の中で休憩しているような感覚を味わえるので、決して不快ではない。

 そんな場所で、宝蔵院雫とシリル・メルティがディルステインで対局していた。

「むー……流石というかなんというか、強いなぁ」

 盤面を見て、雫が唸る。

 戦況は、御世辞にも良いとは言えない。
 駒の数ではさして圧されているわけではないが、配置がまずい。
 今まさに取られそうな強力な駒を守りたいが、それをすれば戦況が悪化する。
 かと言って切り捨てても、それはそれで状況が悪くなってしまう。
 数手先までなら多少厳しい程度で済むが、その後はどんどん悪影響が大きくなってくるだろう。

 思考が行き詰った雫は、気を取り直すべく脇にあった自分用の菓子に手を伸ばした。
 
 菓子は、あんころ餅。
 上品な餡の甘さそれ自体も素晴らしいが、極僅かに付けられた餅の塩味がそれを引き立てている。
 もっちりとした食感も思わず何度も噛んでしまう程に心地良く、一噛みごとに引き出される餅自身の味わいがまた良い味だ。
 ひとしきり楽しんだ後、緑茶でそれを流し込むと、これがまた堪えられない美味であり、快感でもある。
 
 その一時の快楽で気を取り直した雫は、迷いを切り捨てて駒を動かした。

「ふふ、シズクさんらしい一手ですわね。なかなかの好判断ですわよ?」

 雫の打った手を見て、シリルは楽しげに笑った。

 最強たる竜騎士の駒を切り捨て、更に深く切り込む。
 考えようによっては悪手だが、この状況下ではなかなかの良手だ。
 シリルが竜騎士を取れば、代わりに皇帝の守りに配した駒を一つ奪われてしまう。 
 それでも後十五手以内には皇帝を取れるが、竜騎士を守っていれば十手以内だった。   
 
 とはいえ、雫はそこまで深く考えていたわけではないだろう。
 そこまで読みきれる能力があれば、そもそもここまでの劣勢に立たされてはいない。
 呆れる程に攻撃一辺倒な己のスタイルを貫いたがゆえの結果だ。

 劣勢にもぶれる事無く我が道を突き進む少女を眺めながら、シリルは自らの駒を動かす。
 そして雫が次の手を考えている間に、自分の菓子に手を伸ばした。
 
 彼女の菓子は、チョコレート。
 頬張ると濃厚かつ柔らかな甘味が広がり、同時にそれを程良く引き締める心地良い苦みが広がる。
 食感は、官能的なまでに滑らか。舌に乗せた段階でトロトロと溶け始め、味を楽しみ終える頃には消えてなくなってしまう。
 そして甘味の余韻が残る口に紅茶を流し込むと、僅かに残るチョコの残滓は完全に消え失せ、再び新鮮な味覚が取り戻される。  
 なので、ついつい次のチョコレートに手が伸びてしまう。 

 そうしてシリルが頬をほころばせている間に、雫が次の手を差していた。
 それを見てすかさずシリルが駒を動かし、再び雫が熟考に陥る。

 そんなやり取りを何度か繰り返したところで、雫の顔に疑問の色が浮かんだ。
  
「ん? この配置まさか……げっ!?」

「ああ、指摘するまでもなく理解なさいましたのね。ええ、最長あと五手で詰みです」

 優雅に微笑みながら、シリルは紅茶を啜る。

 結果は敗北だが、雫は善戦していた。
 以前であればもっと早く決着が着いていたし、この段階で敗北を読む事は出来なかっただろう。
 戯れに始めたお遊び程度の熱意、それもこの短期間での成長としては末恐ろしいものがある。

 が、それを知らぬ雫にあるのは、敗北という現実のみ。

「っだぁぁぁぁっ! また負けたぁぁぁぁっ!」

「そう嘆く事はありませんわ。私、かなり強いですから」

「相手が何でも負けは負けですよぅ……ってか、シリルさんって実際どれぐらい強いんです?」

「高名な指し手と戦った事も多いですが、今のところ敗戦経験は多くありませんわね。
内、明確に自分より格上と呼べるのは七人程……未だ一勝も出来ないのは、あの理不尽生物だけですわ」

 禍々しい眼差しを、この屋敷の主の部屋へ向ける。

 自画自賛ではなく、シリルのディルステインの腕前は一流だ。
 優れた頭脳で何手も先を読み、相手の思考を誘導し、自分にとって理想的な盤面を作り上げる。
 勿論格上は存在するが、それでも大概は十戦やれば三戦は取れる力を持っているのだ。

 唯一の例外が、この屋敷の主である海人。

 彼とは軽く他の十倍以上の回数戦っているにもかかわらず、一勝もした事が無い。
 それどころか毎度こちらの屈辱を倍加させるような盤面に仕上げられ、それを妨げられた事すら一度もないのだ。
 そして展開の解説を聞けば、己の思考が全て誘導され、思うがままあの性悪男の掌の上で踊り続けていただけと知らされる。

 正直、自信こそ失ってはいないが、あの怪物とどれほどの差があるのかは未だ見当もつかない。
 おそらく一生を一度の勝利の為に費やしたとしても、勝てる可能性は極めて少ないだろう。
 
 だが―――弄ばれ続けて黙っていられる程シリルのプライドは安くない。
 一生に一度の大まぐれだろうがなんだろうが、あの怪人に絶対土をつけて見せる、という戦意は一向に衰えていなかった。  

「相変わらずすっごい意志力ですよねー……ってか、海人さんは万能すぎますよねぇ」

「ええ、運動能力と性格を除けば完璧超人ですわね」

 異常なまでに優れた主に苦笑する雫に、肩を竦めて答える。

 事実、海人という男は万能すぎる程に万能だ。
 多少制約はあるものの食料から兵器まで何でも作れる創造魔法の魔力属性、
常識という言葉を無視した性能を誇る魔法術式を作る開発能力、
事務処理に熟練したメイド達でさえ押しつけられたら迷いなく逃げ出す量の書類を難なくこなす事務能力、
半ば学者並の知識量を誇るメイド達から授業を乞われる教授能力、
さらには超一流商人に認められる程の画才まで持ち合わせている。

 数少ない欠点は容姿は一応美形程度の範疇に収まる事と、身体的な意味での貧弱さや壊滅的なネーミングセンス、
そして悪戯とからかいをなによりも楽しむ歪んだ人間性ぐらいのもの。

 まさに、その存在自体が世界は不平等である、と公言しているに等しい万能超人なのだ。 

「普段はあんまりそういう感じしませんけど……あれで、他に並ぶ者ない超人なんですよねぇ」

「いえ、一人だけいるでしょう? 万能性という点に限れば」

 雫の言葉を、やんわりと否定する。

 シリルの知る限りでも一人だけだが、海人に匹敵する万能性を誇る人間は存在する。
 絶世の美貌と一人で数千の敵を虐殺可能な戦闘力を持ち、この国で最も多忙な屋敷の仕事の大部分を一人で支え続けてきた、生粋の怪物が。
 むしろ貧弱な海人とは違い、欠点らしい欠点がない彼女の方が能力的な隙の無さという意味では上かもしれない。

 もっとも、人格的には表情から感情が読めない分、海人よりも問題があるのだが。 

「あー、確かに言われてみればあの人は匹敵しますねぇ……ありゃ?」 

「どうなさいましたの?」

「南方から屋敷に近付く気配が二つ。
このぶっ飛んだ速度からして噂をすればってとこだと思いますけど……何で屋敷からじゃないんですかね?」

 シリルの問いに答えながら、考え込む。

 気配の様子からして、今噂をしていた人物が主を背負って走ってきているのだとは思うが、いつもとは方角が違う。
 普段なら西の方角からだが、今日は南方からなのだ。

 かといって、これほどとんでもない速度の持ち主がそうそういるとは思えないし、
ましてこの屋敷に向かって直進してくるとも思えない。

「ガーナブレストの女王を見送った帰りなのでは?」

「あーそっか。あの人の立場からするとそれはありますか。
んじゃ、接客の準備でもしますかねー」 

 残った御茶を一気に飲み干すと、雫はのんびりと立ち上がった。 
  
 
 





















 シェリス・テオドシア・フォルンは、草原を従者に背負われて突き進んでいた。

 彼女自慢の従者―――ローラ・クリスティアの移動速度は、相変わらず規格外。
 先程は狩りをしていた狼型の魔物の群れを追い抜き、彼らが狙っていた獲物さえ遥か後方に置き去りにしていた。
 付け加えるなら速度ゆえにそこらの魔物に襲われる心配もなく、
仮に襲われたとしてもシェリスが身構える前にローラが蹴り殺してしまう。   

 乗り心地こそ悪いが、これ以上に安全かつ迅速な移動手段はなかなかない。
 もっとも、なんだかんだでシェリスに気を配ってくれるこの従者の負担はとても馬鹿にならないのだが。

「……いつも悪いわね。何か良い移動手段があればいいのだけど」

「大抵の乗り物では役に立たないのですから、仕方ないかと。
手に入れる価値がある程の乗り物となると入手があまりに面倒ですし、餌代も馬鹿になりませんので」

 突風の如く草原を駆け抜けながら、淡々と答えるローラ。

 普通は貴族、それも公爵家の一人娘となれば優雅な馬車での移動が一般的だが、生憎シェリスは普通ではない。
 二十そこそこの若さでこの国を裏から支えている、この国最優にして多忙を極める御令嬢。
 一応彼女直々に出向かねばならない用件自体は仕事のごく一部だが、そもそもの仕事量が膨大なのであまり意味がない。

 ゆえに、乗り物にも相応の速度が求められる。
 一般的な馬車になど乗っていては、到底間に合わないのだ。

 が、困った事にシェリスの要求を満たせる乗り物は極めて少ない。
 最高速度とその持続時間を満たせるのは、どうしても中位以上の魔物になってしまう。
 そして、それは容易には手に入らない。捕らえた魔物を年単位の時間をかけて調教し、飼い慣らさねばならないのだ。
 数少ない例外がドラゴン系だが、そもそも個体数が少なく飼い慣らす条件まで考えるとほぼ不可能であるし、
もし出来たとしても餌代が凄まじい事になってしまう。

 結局、現状維持が最善なのだ。

「なのよねぇ……出費は極力抑えないといつ何があるか分からないし……」 

「まあ、お気になさる必要はないかと。予定では明日の朝にガーナブレスト出向中の者達が帰ってきますので当分は楽になりますし、
それに伴いかねてよりの約定通り、久しぶりに正式な休暇もいただけますので」

 息一つ切らさず、淡々と語る。

 ローラ程の速度はないが、明日帰還する部下の中に一人シェリスの移動手段たりえる人間がいる。
 彼女ならば現在ローラが行っているシェリスの身辺警護の代わりも一人で務まるので、
以後の負担は単純に考えて半分になる。
 
 そしてなにより―――ローラは、明日から久しぶりに真っ当な休暇を取る。

 期間は、一週間。
 これだけあれば、これまでの激務で酷使を続けた体を休めるには十分だ。
 久しぶりにたっぷりと睡眠を取り、羽を伸ばす事が出来る。

 今まで欠けていた優秀な人材達も戻っている為、休暇後の負担もこれまでより激減する。
 ならば、シェリスの乗り物役を務める事ぐらい大した負担ではない。
     
「……ええ、今までの分もたっぷりと骨を休めて頂戴」

 シェリスはローラに微笑みつつも、心の中でそっと溜息を吐いていた。

 本音を言えば、ローラの休暇は尋常ではない痛手だ。
 屋敷全体のスケジュール管理、事務処理、戦闘指導その他諸々万能に、
かつ最高レベルでこなせる人材が抜けてしまうのだから。
 低く見積もっても、屋敷の機能は二割は低下するだろう。

 が、休ませないというわけにはいかない。

 前々からの約束というのもあるが、ローラはここ三年正式な休暇は年に一度すら取れず、
毎日睡眠時間を大幅に削って、屋敷トップレベル十人分の穴を一人で埋めていたのだ。
 ようやくその十人が帰還し、本格的に仕事に復帰できる状況となった今、休暇要請はとても却下できない。
 というか、冗談でも却下なぞした日にはその瞬間首を捻じ切られるだろう。  

 幸い三年の間に後進も育っているので、今ならローラが抜けても致命的な悪影響は出ずに済む。
 この際、疲弊しきった体を存分に休めてもらうべきだろう。

 ――――シェリスがそんな事を考えている内に、目的の屋敷が見えてきた。

 ここしばらくですっかり見慣れた風景だったが、今日は凄まじい異物が近くに鎮座している。

 それは、白銀に輝く体を持つ美しきドラゴン。
 地面に寝そべって寝ているが、それでもなお風格と威厳に満ちた姿。
 軽くこちらを一瞥するその瞳にすら強い圧力を感じずにはいられない、魔物の王族。

 昨日部下から受けた報告で飼い慣らされたとは聞いているのだが、それでもシェリスは緊張せずにはいられなかった。

「……覚悟はしていたつもりだけど、実物見ると迫力が段違いねぇ」

「これほどの危険生物であれば、当然かと」

 そんな会話をしていると、プチドラゴン―――リレイユが二人に視線を固定した。

 シェリスが、反射的に身構える。
 飼い慣らされたとはいえ、上位の魔物。
 それこそ気紛れ一つで命が危ないので、この反応は当然である。

 対して、シェリスの護衛であるローラは落ち着き払っていた。
 リレイユの威容を間近で見て尚、特に感情を動かした様子もない。
 いつもと変わらぬ静謐な眼差しをリレイユに向けている。

 そんな対照的な主従を眺めながら、リレイユはゆっくりと起き上がった。
 魔物の王族たるドラゴン系の名に相応しい、悠然たる動作で。

 そして立ち上がると―――――ゆっくりとお辞儀をした。

「は……?」

 シェリスが、思わず間抜けな声を漏らす。
 
 強大なドラゴン系の中で最も美しく、そして上位に位置する力を誇る種。
 巨体に似つかわしくない速度で天地を縦横無尽に駆け、その速度を乗せた強靭な爪であらゆる敵を引き裂き、
超高熱のブレスで何もかもを灰燼に帰す、美しくも恐ろしい破壊者。 
  
 それが、たかが二人の人間にお辞儀をしている。
 人間でもなかなかできない礼儀正しい仕草で、深々と。

 あまりの事にシェリスが呆気にとられていると、リレイユは屋敷の方に体を向けた。
 そして、その先にあった物を器用に爪に引っかけて二人の前に運ぶ。

 『御用の方はこれを鳴らしてください』と書かれた札が付いた、大きな銅鑼を。

「なるほど、この短期間で素晴らしく躾けられているようですね」

 ローラが淡々とした、だがどこか感心したような声を漏らす。

 ドラゴン系の魔物は、総じて知能が高いという。
 ドラゴンマスター達はなってしまえば躾に苦労しないというし、
史上では術式盤を用いて人間の魔法を使った個体さえ確認されている。

 しかし、このプチドラゴンは飼われ始めてから、まだ十日程度のはずだ。
 それがここまで色々と仕込まれているというのは、躾けた人間の―――おそらく、この屋敷の主の手腕に他ならない。 
 非常識な男だとは重々承知しているが、感心せずにはいられなかった。

 だが―――そんな感想を抱けるのは、ローラもまた非常識と称される存在であるからこそ。 

 彼女の主であるシェリスは、ごく一般的な感性の持ち主。
 色々とありえない光景に、完全に思考停止状態に陥ってしまっていた。
 そしてローラも主が硬直から解放されるのを待っているのか、全く動く様子を見せない。    

 そんな二人を見て、リレイユはもう一度屋敷の方に体を向ける。
 そして、今度は大きな一枚の木の板を手に取った。

「……『私は大人しいですから、怖がらなくて大丈夫ですよ』ですか。
なるほど、相手が硬直したらこれを出す、と。相変わらず気配りの細かい事です」

 リレイユが器用に両腕で抱えた板の文字を読み上げ、おもむろに頷くローラ。

 この屋敷を訪れる人間は限られるし、そのほぼ全員がこのプチドラゴンの存在を知っているはずだが、
実物を目にした者はまだ多くはないはずだ。
 心構えをしていたところで、実際この威容を目にした途端腰を抜かすような事があっても不思議はない。
 そこに、こういう看板を見せられれば良くも悪くも恐怖は薄れるだろう。
 そして、ここを訪れるような人間は総じてタフなので、多少のゆとりがあれば確実に気を取り直せる。
 なかなか良い配慮と言えるだろう。

 が―――その感想もまたローラが超越者だからこそ。

 普通の神経の持ち主であれば、まず混乱する状況である。
 なにせ、災害の化身のような魔物が礼儀正しく怖がらせないよう色々しているのだ。
 はっきり言って、幻覚を見せられていると言われた方がよっぽど納得できる。
 
 秀才ではあるものの常人でしかないシェリスは、ここでついに限界に達した。

「そうじゃないでしょ!? なんでプチドラゴンが人間にお辞儀するの!?
しかもこっちが竦んだら諭すようにカードを見せるってどうすれば仕込めるの!?
おかしいでしょ!? 何か致命的に間違ってるでしょう!?」
 
「私に訊ねられても答えようがございません。というより……カイト様だから、以上の理由が存在しますか?」 

「……それで思わず納得しちゃいそうな程慣れた自分が怖いわ」

 従者のあまりに冷静な言葉に、がっくりと肩を落とす。

 確かに、そうなのだ。
 あの出鱈目と理不尽の権化は、それこそ何をやっても不思議はない。
 死に瀕していた部下達を蘇生させた謎の薬、嫌がらせという次元すら通り越した大量の事務仕事をミス一つなく期日前に終わらせる事務能力、
そして規格外の性能を誇る魔法の開発。
 ざっと思い出すだけでもこれだけの非常識があった。

 あの男なら、確かにプチドラゴンにここまで仕込んでいても不思議はない。
 むしろ、落ち着いてくださいと御茶を淹れられたりしなかっただけマシだろう。
 そう思えば、まだ受け入れられる気がする。

「精神衛生上、迅速に諦めた方がよろしいかと……あら? 
まだ何かあるようで―――ふむ、本当なら面白いですね。では……」

 リレイユが取り出した別の木の板を見て、ローラはパンパン、と軽く拍手した。

 するとリレイユは心得た、とばかりに頷き、背後からこれから行う芸に必要な道具一式を取り出した。
 爪の先端を巧みに使い、人間用の小さな道具を軽快に自分が使い易い位置に並べていく。

 程なくして準備が終わると、リレイユはまず純金の術式盤を用いて水の魔法を使った。
 そして水が発生すると同時に、すかさず別の術式盤による風の魔法で水を空中に固定し、
そこに炎のブレスを浴びせる。
 熱量がかなり制限されているらしく蒸発はしなかったが、水は完全にお湯になっていた。

 それを地面に置かれた急須の中に注ぎ、爪の先で持ち上げた蓋を被せる。そして待つ事一分弱。
 リレイユは爪先で蓋を押さえてから急須を持ち上げ、湯呑に御茶を注ぎ始めた。
 しかもちゃんと人数分の器に交互に淹れて味を均一にしている。
 
 やたらいじましく見えるプチドラゴンから湯呑を受けとり、ローラは一口味見した。  

「味もなかなかですね……素晴らしい。これほどの芸、他の動物でもまず出来るものではありません。
良い物を見せていただき……シェリス様?」 

「……私の常識を返してぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 現実とは思えない状況に、常識人な御令嬢は絶叫した。




















 少しして、海人は屋敷の住人達と共に応接間でシェリス達を出迎えていた。

「むう、そこまで驚かれてしまうとはなぁ……」

「……普通は驚きますよ。はあ……もういいです。
カイトさんのやる事ですし、非常識で当たり前ですよね」

 どこか老け込んだ様子で、シェリスが溜息を吐く。

 色々言いたい事はあるが、ここまでくるといちいち口にしていては正気を保つ自信がない。
 もはや、本当に海人だからという理由で思考を放棄して強引に納得する他なかった。

 海人の周囲にいる人間が見せている反応からして、間違っているのは自分ではないと思いつつも。 

「酷い言われようだが……まずは話を進めようか。今日は何の用だ?」

「まずは、先日のお礼です。マリア達が随分お世話になったようですから……ありがとうございました」

 表情を引き締めて背筋を伸ばし、深々と頭を下げる。
 流石の、切り替えの早さだった。

「あれは私の保身のついでだ。別に礼の必要はないぞ」

 頭を下げるシェリスに、海人はぞんざいに手を振った。

 シェリスの言った世話とは、隣国屈指の力を誇る公爵と諜報員達の記憶を彼女の部下の要望通りに改竄した件だろうが、
あれはあくまでも海人の自衛行動のついでにすぎない。
 自分の事を嗅ぎ回られては都合が悪いから、捕らえて適当な記憶をでっち上げただけの事。

 その後の後始末を任せたりなどもしているので、礼を言われる程の事ではない。

「結果としてこちらが助かったのは事実ですから」

「んなに気にするなというに。そんな事より、カナールでの私の情報操作を―――」

「それについてはお任せください。貴方が余程派手に戦う事さえなければ、何人諜報員がいようが全て遮断してみせましょう」

 海人の言葉を遮るように、断言する。

 海人という存在の隠蔽は、ある意味最重要事項だ。
 創造魔法、開発能力、何もかもが他国どころか自国の人間にも漏らせない最重要機密の塊。
 何か一つ大きな情報が漏れただけで、何か国も巻き込む大事件に発展しかねない。

 比喩ではなく、己の命を賭してでもやらねばならない事なのだ。

「大した自信だが……先日は入り込んでたんじゃないのか?」

「あの時はこちらが一時的にガーナブレストの諜報員を受け入れていたからです。
ですが、貴方達の詳細に直結するような情報は全く得られていなかったはずですよ?」

「……なるほどな。しかし名無しの英雄なんて話が出ていて、
何も情報が掴めなかったとなると、今度は向こうも本腰を入れるだろう?」

「ええ。ですから油断はできませんが……そうですね。
状況によってはカイトさんの力を貸していただければ、より確実になるかと」

 含みを持たせた微笑みで、語りかけるシェリス。
 その柔らかくも凄味の滲むその笑顔を見ながら、海人は確認した。

「記憶操作か?」

「はい。私達が捕らえた諜報員にしかるべき記憶操作を行っていただければ、以後を断てます。
勿論ある程度時間はかかってしまうでしょうが」

「分かった、請負おう。操作内容はその都度教えてもらう事になるか?」

「はい。その際には御連絡差し上げますが……できれば、より迅速な対応がしたいところですね?」

「却下。場合によってはこっちの首が絞まるだろうが」

 シェリスの言葉を、にべもなく切り捨てる。

 彼女が暗に求めているのは、記憶操作技術の譲渡。
 それが行われれば諜報員を捕らえればそのまま記憶を弄り、海人の手を煩わせる必要はなくなる。
 当然手間が減る以上捕らえている間に逃亡される可能性も低くなるので、より確実な処理が期待できるだろう。

 が、それは海人にとってリスクでもある。

 穏やかで優しげな風貌で実際色々寛容な女性ではあるが、シェリスは民の為なら私情を迷わず切り捨てる非情さも併せ持っている。
 もし何らかの事情で海人が国益に反すると判断すれば、躊躇いもなく潰しに来るだろう。
 その際、記憶操作技術など譲渡してしまっていたら、余計なリスクが増えてしまうのだ。
 
「信用ないですねぇ……心配なさらずとも、貴方に害為す可能性なんて限りなくゼロに近いですよ?
貴方を切り捨てるような事態となると、それこそ世界の存亡に関わるレベルでしょう」

 微笑みながら、率直な意見を述べるシェリス。

 実のところ、シェリスは海人と敵対する可能性はほぼゼロと考えていた。
 秘密主義なせいで手札の一割も見せられてはいないだろうが、それでも海人はこの上なく国益に貢献してくれている。
 これまでにもエルガルドの侵略行為を叩き潰す際の多大な貢献、新種の肺死病の特効薬の譲渡契約、
旧ルクガイア王国の残党の壊滅など、表に出ぬまま物語の英雄さながらの大活躍をしているのだ。
 彼開発の遠隔視や伝声魔法など、喉から手が出る程欲しいのに手に入らない物も多い為、
どうしても物足りなさはあるが、それでも多少大きな犠牲を払ってでも手に置いておく価値のある男である。
 
 それだけに他国に移住しようとしたら全てに最優先で確実な殺害計画を練らねばならない相手でもあるのだが、
海人は余計な揉め事を嫌う上、なんだかんだで義理堅いので、シェリスが庇護を与え続ける限り、
国内に留まって彼女に己の許容範囲の中で最大限の助力をしてくれるだろう。

 さらに言えば、海人と敵対する事それ自体リスクが大きすぎる。
 彼の護衛二人は元々がシェリスの部下でも対抗できそうな者が二人しか考えられない実力者。
 それが海人開発の魔法を授けられているのだから、もはやその戦力は完全に測定不能だ。
 やるなら、最低でも現在シェリスの持つ全戦力を後先考えず叩き込まねばならない。
 それでも確実に討ち果たせるかどうかは疑問が残り、そして取り逃がせば確実にこの国は滅ぼされる。
 
 ―――どう考えても、今後敵対する事になるとは思えない。

 そんなのは、毎日自分の為に金の卵を産んでくれる鶏を絞め殺す為に大魔王と戦うようなものだ。
 そこまでしなければならない事態など、現実にあるとは思えない。

「それも皆無とは断言できんからな」

「……まあ、仕方ありませんね。これから徐々に信頼を積み上げて心を変えていただくとしましょう。
ところで話は変わりますが……カイトさん、絵をお描きになるそうですね?
それも、ハロルドさんに認められるレベルだとか」

 残念そうな表情を一瞬で切り替え、話題を変える。

 昨日部下から伝えられた情報には、海人が絵画を描くという情報も含まれていた。
 それも大商人たるハロルド・ゲーリッツが自ら扱いたいと申し出る出来だと。

 これは自分が知らなかったという点を除いても、色々と興味深い情報だった。

「んなに大した腕だとは思わんのだがなぁ……まあ、描いたら買い取ってくれるという話にはなった」

「充分なレベルですね。よろしければ、何か作品を見せていただけます?」

「ちと照れ臭いんだが……まあいい」

 言いながら、海人は創造魔法の術式を頭に思い浮かべた。
 複雑精緻な術式に余す事無く魔力を通しつつ、詠唱を始める。

 短い、だがよく響く声で唱えられた言葉が終わると同時に、魔法が発動した。

 シェリスの手元に、虚空から生み出された一枚の絵画が落ちてくる。
 古めかしい額縁付きのそれを受け止めると、シェリスはまじまじとそれを眺め始めた。    

 題材は、風光明媚な山間。
 風景画としてはありふれた題材と言って差し支えない。
 だが、それを描いた技量は並ではなかった。

 胸に迫るような力には欠けるのだが、色彩の使い方が恐ろしく上手い。
 山の緑も、空の青も、咲き誇る花々も、どれもこれも単一で美しい色彩を誇りながら、全体が見事に調和している。
 そして、それらの色彩は最初に視界に入れた時は鮮烈な衝撃を、
その後は見ていて心洗われるような爽やかさを与えてくる。
  
 名画、とは呼ばれないだろうが、寝室にでも飾っておくにはピッタリだろう。
 朝起きてこれを見ればすっきりと心地良く目覚められそうである。

 総合すれば、様々な名画を見てきたシェリスからしても、十分素晴らしい作品と言える出来だった。
 絵画から視線を外し、シェリスは優しそうな微笑みを浮かべる。
  
「……いっぺん絞め殺したいんですけど、いいですね?」

「なぜそうなる!? 言われたから見せただけだろうが!?」

 剣呑な雰囲気を漂わせ始めた御令嬢に、思わず抗議する。

「前、聞きましたよね? 私の為に使ってくれる能力がどれだけあるのかと。
その時、貴方は言いました。学問以外では大した技能の持ち合わせはないと……なのに、これはどういう事なんですかぁっ!?」

 涙混じりに絶叫するシェリス。

 以前、シェリスは海人の技能について問い詰めた事がある。
 というのも、どう考えてもありえない期間で、職人の伝手もないはずの海人がこの屋敷の風呂を立派な檜風呂に改造していたのだ。
 しかも、ヒノクニの様式にさして詳しくないシェリスでさえ一目で分かる程、隙の無い見事な造りだった。
 
 そしてその時は他にも色々あった為、海人にどんな技能があり、どれぐらいなら自分の為に使ってくれるのか問い詰めたのだ。
 
 その返答が、大した技能の持ち合わせはないというもの。
 風呂に関してはかなり濁されたが、何か便利な道具を使い、八割方それのおかげだという事だけは教えてもらった。 
 なので、嘘は言っていまいと素直にそれ以上の追及を諦めたのだ。
 どうせ問い詰めたところではぐらかされ、最悪機嫌を損ねるだけだと判断して。
 
 それなのに、今回こんな見事な絵を描く技能が飛び出てきた。
 ハロルドの話からして隠していたわけでもないと分かってはいるのだが、許し難かった。

 もっと前に知っていれば、色々と助かったはずなのだ。

「いや、探せば私以上の画家なぞいくらでもいるだろ」

「そんなに多くはいませんよ! 確かに名画と呼べるほどのパワーはありませんが、これは十分な一級品です!
売れば相応の値が付きますし、私なら貴方の存在を隠蔽しつつ販路を作る事も出来ます!
なのに……なのに、どうして以前に教えてくれなかったんですかっ!」 

「そう言われてもなぁ……大体、仕事の合間に描いた絵を売るだけだから、
どのみち君にとってはそんな大きな稼ぎにはならんだろう?」

「稼ぎは問題ではありません! 質が良く、今までにない画風の作家の作品を独占販売できる事が大事なんです!
そうすれば貴方の絵が好みな貴族には極めて有効な交渉材料になったんですよ! 
ついでに言えば、値段も吊り上げられますから稼ぎも馬鹿になりません!」

 一気呵成に言い終えると、シェリスは荒い息を吐いた。

 海人の絵の最大の特徴は、この画風だ。
 人の心を和ませ、安らぎを与える。それに特化した技法。
 荘厳さや重厚さが重視されやすくそれらに高値が付きやすい絵画において、これはかなり珍しい。
 
 そして、そういう絵を求める貴族は決して少数ではない。
 いわゆる名画と呼ばれる物は人の心に強く迫るパワーがあるが、それは人に感動と同時に緊張も与える。
 自室に名画を飾っている貴族は山のようにいるが、毎日それを見て疲れてきたという声も少なくはないのだ。
 
 そういう人間にとって、海人の絵は思わず手が伸びてしまう逸品だ。
 誰かに見られたところで恥にはならぬ出来でありながら、同時に心に安らぎを与えてくれるのだから。
 
 他に同様の画風の持ち主がいない事を加味すれば、極めて有効な交渉材料として使えるし、値を吊り上げる事も難しくない。
 本当に、もっと早く知っていればと思わずにはいられなかった。  

「あー……なるほど。で、ハロルド老との契約を破棄しろ、とでも?」

「言いたいのは山々ですが、ハロルドさんには色々とお世話になってますのでそうもいきません。
貴方の隠蔽に関しても、絵の販売のみでしたらあの方は完璧にこなすでしょうし。単に文句を言いたかっただけです」

 ふう、と溜息を吐く。

 ハロルドとの契約から自分との契約に変更してもらいたいのは山々だが、残念ながらそれは出来ない。
 仕事でこれまでも世話になったし、おそらくこれからも長く世話になるであろう人間。
 そんな相手の契約を後から破棄させれば、後の悪影響が洒落にならない。

 勿論海人という存在を隠蔽する為の能力に欠けるのであれば、強引にでも契約を破棄させてこちらで契約するのだが、
ハロルドは絵の作者の隠蔽のみなら完璧にこなすだろう。
 ついでに言えば、ハロルドを通しての独占なら交渉次第で可能なので、多少手間がかかり利益が減るだけで済む話でもある。

 だが、それでも愚痴らずにはいられなかったのだ。

「だろうな。まあ、悪かったとは思ってる。先程も言ったが、そんなに使える技能だとは思ってなかったものでな」

「……もういいですよ。ただ、他にも使える技能があるなら、今の内に教えてください。
なんというか、次は本当に我を忘れて絞め殺しそうなので」 

「うーむ、他の技能と言われてもな……断言できるのは、余技で一番修練を積んだのは絵だという事だな。
一応他にも色々細かい芸はあるが、絵ほど時間をかけて磨いていない。ま、その絵もせいぜい数ヶ月集中しただけなんだが」

 小さく肩を竦めつつ、断言する。

 一応、海人は細かい芸を色々と持ち合わせている。
 好奇心旺盛だった幼少時代に、興味があった事にはとりあえず手を出していたからだ。
 彼の両親もそれを止める事はなく、むしろ喜んで挑戦させていた為結果として芸の幅が広くなった。
 やるならちゃんとやれ、という事で一定レベルに達するまで続けさせられもしたので、そこそこの技量でもある。

 が、所詮は幼少時の話。
 両親から極端に高いレベルを求められたわけではなく、また大半の技能は使わなくなって十五年は経過している。
 数少ない例外が絵画だが、これは妻から誕生日プレゼント用にと頼まれた為。
 他の技能は絵画ほど力を注いでいないという事は断言できる。
 
 もはや、シェリスが欲しがるほどの余技は持ち合わせていないだろう、というのは偽り無い本音だった。

「本当ですか?」 

「とりあえず、嘘を言ってるつもりはない」

 念を押すシェリスに、迷いなく答える。

 シェリスは疑っているようだが、海人としてはそもそも余技を隠す理由がない。
 眼鏡に適えば新たな収入源になり、ただの余技である以上海人に害が及ぶ可能性もないのだから。

 その反応を見てもシェリスは尚探るように海人を見ていたが、

「……僭越ながら、よろしいでしょうか?」

 唐突に、シェリスの背後で控えていたローラが口を開いた。
 さして大きな声ではないが、周囲の注目を集めるには十分だった。

「何、ローラ?」

「先程からの話を総合しますと、カイト様はいわば片手間の修練でその域に到ったという事になります。
となりますと、今ここで押し問答したところで、後から思わぬ情報が転がり出てくる可能性もあるかと存じます」

 淡々と、己の分析を語る。

 話を総合すれば、このレベルの絵画も海人にとってはあくまで余技。
 本職の画家からすれば噴飯ものの時間や労力で身に着けたものだと窺える。

 純粋な才能か、はたまた研究の才がそちらにも発揮されたのかは不明だが、
いずれにせよ他の余技とやらも本人の自覚が薄い可能性は極めて高い。
 それこそ実は絵画が一番才能がなく、他の分野に突出した才がある可能性さえ否めないのだ。

 普通ならその余技とやらを全て聞き出しどの程度の物か見せてもらえばそれで済むが、
この変な所で抜けている男の場合、やった事すら失念している恐れがある。
 この場で押し問答するなら、泊まりがけか最悪連泊も覚悟でやらねば後から思わぬ情報が出てくる可能性が否めない。

 そして、なんだかんだで忙しい身であるシェリスにそんな余裕はない。

「……確かにその通りね。それで、案はあるの?」

「はい。明日から取ります私の休暇。それをここで過ごし、質問しつつ観察するというのはいかがでしょう?」

 さらりと語られたローラの提案に、部屋の空気が凍りついた。
 




 

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

お茶を淹れるドラゴンとか始めてみたわ・・・。
(というか、常人には考え付きもしないと思う)

これ以外にもよくわからん芸を仕込んでいるんだろうなぁ・・・w
[2013/07/15 00:32] URL | リファルス #- [ 編集 ]

ローラ女史が本気を出してきたようです
ほほう、ローラ女史がお泊りとナ。
ふふふ、ワクワクして・・・・・・・・・こない。
何故だろう。色気のいの字も想像できないのは・・・・・・・・・
これで主人公がラッキースケベ体質なら胸を触ったり、風呂を見たりとありそうなんだが。
女史にそれをやった日には八つ裂き決定でしょうが・・・・・・
しかし、他の人には効果的かな?
例えば刹那とか、ルミナスとかルミナスとかルミナスとか。
[2013/07/15 00:49] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]


おかしいな……女性が家に泊まるなんてキャッキャウフフの流れなのに、殺伐とした風景しか浮かばない。あ、もう既に四人+1も泊まってるからですかね。

最終行、満座一致での
「な……ん……だと!?」
という雰囲気が大変楽しめました。次回、非常に楽しみです。

個人的にこの瞬間に表でリレイユが銅鑼を鳴らしているBGMが……。
[2013/07/15 00:58] URL | anos #- [ 編集 ]


自宅が気の抜けない戦場になりそうな悪寒……
地下室とか身内以外にバレるとヤバいものもあるし
そこらへんどうするのか、どんな条件つけるのか、楽しみです
23区内と言うと多々ありますが、世田谷区等々力、尾山台のオーボンヴュータンが有名どころ
マイナーメジャーなところでは葛飾区柴又のビスキュイでしょうか
[2013/07/15 02:58] URL | きっちょむ #qbIq4rIg [ 編集 ]


ローラさんのターンが来たようですね・・・
ルミナスよりローラさん派なので続きの展開が楽しみですw
[2013/07/15 04:18] URL | スウ #3BVde9LU [ 編集 ]

更新きたー!
すいません、ラングドシャ=らんぐどしゃです。気分によって少し名前をアレンジとかしてますです。はい

ついに来ましたローラのターン、いやー次話が早くも楽しみです。しかし、どう考えても甘い展開になる様子が想像できない、逆に海人ファミリーにとっては大変ですな。海人や護衛として気が抜けないし、秘密諸々を隠蔽しないとね。ルミナスは……だし。
早く来月にならないかなー
楽しみです。
[2013/07/15 06:31] URL | ラングドシャ #VvCHpd0c [ 編集 ]


ローラさん宿泊
ローラ派としては嬉しいですが······
何だろう、ピンクな雰囲気が欠片も見えない(笑)

ともあれ次回更新がとても楽しみな終わり方でした
次回更新頑張ってください
[2013/07/15 08:48] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


お茶を入れるドラゴンにはドラゴンズウィルのスピノザという例が在りましたね。
リレイユにもあれぐらい濃いキャラになって欲しいものです。
[2013/07/15 12:41] URL | ジュウの飼い主 #- [ 編集 ]


なんとも気になる引きですね。
海人は当然嫌がるでしょうから、ローラがどんな手札を出してくるのか。
そしてどんな生活になるかが楽しみです。
[2013/07/15 13:39] URL | donjyu #- [ 編集 ]


お茶入れるドラゴンww器用すぎるw

カイトの絵って安らぎとかだけしか表現できないんですかね?感情想起の研究なら喜怒哀楽揃えてそうですが・・・。

皆さん言ってるけど、ピンクの雰囲気が全くなさそうなお泊りww楽しみです。
[2013/07/15 13:53] URL | とまと #mQop/nM. [ 編集 ]


お泊りするのはローラさん・・・・・とりあえずドタバタになりそうなのはいくつかあるけど
マイクロ発電と地下の研究室の扉がピンチか?

あとカツですがサクサク衣の食べ方はカツサンドとか思い浮かびますね
あとミルフィーユカツでで中にタレを仕込むとかトンカツソースは出来るだけサクサクで食べたいからとろりとしてるなんて話も

あとはソースカツ丼に味噌カツでしょうか・・・串カツも美味しいですよね
[2013/07/15 14:26] URL | #- [ 編集 ]


今のところ、ヒロインの中では断トツでローラ派なので嬉しすぎる展開・・・
遂にこの日がきたか
[2013/07/15 15:48] URL | ガンダーラ #- [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2013/07/15 19:32] | # [ 編集 ]


ついにlauraきたから記念かきこ
[2013/07/15 20:21] URL | おさむ #- [ 編集 ]


1週間限定ですがローラさんが参戦ですか!
ルミナスが地味に焦りそうですね~。

ところでルミナス達の休暇ってまだ終わらないのでしょうか?
[2013/07/15 21:09] URL | Kstl #vQU5PwVA [ 編集 ]


お茶入れドラゴンすげーーーw
こんなところでも海人の異常性がでましたね。やるとなったらとことこんってところが海人らしいですね。

そして、ローラさんのお泊りがローラ派の自分には嬉しいです。
気になることは、未だに登場してない牛肉と魚介カレーが食卓に並ぶのかどうか、そして最近読み直していて疑問に思ったローラさんのディルスティンの腕前はどの程度なのか?

海人がオープンにしつつもシェリスやローラさんにバレてないのってディルスティンの腕と白衣の性能くらいでしったけ?風呂の改装はバレてるし、トイレと台所は改造してないはずですよね。ただ、冷蔵庫の魔方陣はともかく外装とかの構造は海人製だった気がするんですが前にローラさんが料理したときにはバレてませんでしたよね、たしか。海人製の冷蔵庫だから遮熱性や保温性なんかが桁違いっぽい気がするんですが台所だとバレやすいからそれほど高機能にしてないのかな。

うーん、続きが気になります。
アレですねこの小説は、海人製のカレーのように読んでも読んでも次から次へと読みたくなってしまいますね。そして繰り返し読んでもなかなか飽きないですしね。
[2013/07/15 21:52] URL | らいらっく #HQ0AIJTU [ 編集 ]


第一章から海人×ローラ派の俺歓喜キター
しかし、ローラさん貴重な休暇を仕事に使っていいのかな? 
ローラさんは同じ超人な海人に興味があるみたいだし半分実益でもあるのかな?

[2013/07/17 10:58] URL | cano #L0vy.3uw [ 編集 ]


相変わらず面白い
次回も楽しみだ
[2013/07/17 11:03] URL | #- [ 編集 ]

ありゃりゃ
初めてのお泊りじゃないですがキャキャウフフな展開が

微塵もわいてこない・・・。

海人さんに利点がない点でお断りなんでしょうが

ローラさんが「だが断る」とかな展開想像してしまう。

次回が楽しみすぎです。
[2013/07/18 15:04] URL | のび犬 #FsLi9vu. [ 編集 ]


最後の発言や、お茶を入れるので最初は気にならなかったのですが、
>史上では術式盤を用いて人間の魔法を使った個体さえ確認されている。
>そして水の魔法を使い、発生した水を風の魔法で空中に固定し、そこに炎のブレスを浴びせる。
となっていますが、竜の魔法でたったこれだけの規模というのはおかしい気がしますし、術式盤を使用した描写もありません。
自分の理解が悪いのかもしれませんがここが気になりました。

ついでに誤字です。
>それこそ実は絵画が一番才能がなく、他の分野に突出した際がある可能性さえ否めないのだ。
際ではなく才ですよね。


次回の更新が楽しみでなりません。
更新お待ちしています。
[2013/07/18 21:25] URL | fuji #viWYSvG2 [ 編集 ]

更新お疲れ様です
まさかのローラ嬢のお泊まり会、皆さんの言うように色っぽい展開は無さ……いや、期待してます。作者さんならやってくれるだろう。むしろ待ってます。さて、刹那派の渡しですが、ローラ派に浮気しかけですので、トドメをお願いします。
[2013/07/19 17:08] URL | 名無しの権兵衛 #y2a4lNMg [ 編集 ]


ローラさんメイン回になるのかな、ローラ派としてはうれしいです。
海人と一番相性良さそうなのはローラさんだと思うし是非この機会に距離を詰めてくれるといいなあ。
刹那もいいんだけど、やっぱりローラを応援したい。最近ルミナスがメインヒロインのように扱われてる気がするけど、恋愛関係になるよりは姉か友人ポジのほうがいい気がする。
[2013/07/21 11:07] URL | #xQ6NVbnA [ 編集 ]


ローラさんの回きたかな。嬉しいです。
[2015/07/26 01:40] URL | ten #- [ 編集 ]


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