ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄80

 しばし経ち、昼食後。
 海人の屋敷の一室で、雫とシリルがディルステインで対局していた。
 
 雫は、盤面を睨みながらうんうん唸っている。
 駒数は拮抗しているのだが、配置で圧倒的に押されているのだ。
 それを改善すべく頭を捻っているのだが、いくら考えても良案は出ない。
 一応雫が読みきれる範囲では良案に思える手もあるのだが、どうにも勘が警鐘を鳴らす。
 現状打てるどの手も似たような感じなので、今はどれが一番マシそうか全力で選別している。
 
 一方でシリルはそんな雫から視線を外し、昨日手に入れた彫刻を何とはなしに愛でていた。
 その頬は柔らかく緩み、昨夜消費した大金など全く気にしている様子はない。
 指で弄びながら、どの角度で眺めるのが一番良いか探している。
 雫が考え込んでいる様など全く気にも留めていないその姿は、シリルの余裕をこの上なく表していた。

 が、ふとシリルが大きな溜息を吐いた。
 その様子はなんとも物憂げで、疲れを感じさせる。
 
「ん? どうかしました?」  

「いえ……ローラさんの超人ぶりを思い出して、気が重くなっただけですわ」

 ふう、一際大きな溜息を零す。

 朝の組手は、正直なかなかにショックだった。
 組手の範囲で攻撃魔法などは使わなかったとはいえ、全力は尽くしたのだ。
 それでも、四人がかりで碌な手傷も負わせられず大敗。

 実力差それ自体もだが、そこまでの差があると見抜けなかった事が余計に堪えていた。
 これまではルミナスと二人がかりなら、勝てはせずとも時間稼ぎ程度は出来ると踏んでいたが、
今日戦った限り時間稼ぎも難しい。この読み違いは、かなり致命的だ。
 
 実戦では実力の差がいかに大きかろうと、それを理解できていれば命を長らえる可能性を高められる。
 倒せそうな味方に任せてもいいし、他にも策を練って倒せる状況に持ち込んだり、
実力差を強引に押し切れるだけの数を揃えたりと色々手段は考えられるのだ。
 どうしても打倒が無理なら、脇目も振らず逃げるという手もある。
 屈辱的ではあるが、無駄な被害を生んだり無駄死にするよりは億倍マシだ。
 
 が、どの程度の差なのか見抜けていなければ、打倒はおろか逃亡も難しい。
 そしてそれは、自分ばかりか部下やルミナスの生存率までも下げる事。 

 想定していた以上に、自分の無力さを思い知らせてくれた。

「別に気にしなくていいと思いますけどね。
あたしも正直ローラさん甘く見てましたし、今回分かっただけで収獲じゃないですか」

「その通りですが、その後も凄まじかったでしょう?」

 あっけらかんと語る雫に、疲れたような視線を向ける。

 確かに、朝の組手に関しては収穫が大きかった。
 自身の未熟さをこの上なく突きつけられ、慢心を打ち砕かれ、
実際のローラの戦闘力は測定不能という情報すらも手に入れたのだ。

 なので、組手については気にはしているが悩んではいない。
 あの程度で長く悩んでいては、エアウォリアーズ第一部隊副隊長は務まらないのだ。

 そう、それだけなら問題はなかった。  
 その後にも色々続いたからこそ、気が重くなっている。 

 例えば、朝食。  
 ローラ単独で作ったあれは、実に美味しかった。
 塩焼きの肉、スクランブルエッグ、トースト、サラダにスープと実にシンプルだったが、
どれもとても美味しかった。
 盛り付けも美しく、まるで高級店で食べているかのような印象を覚えた程。
 味に舌鼓を打ち、盛り付けによる高級感で贅沢な気分を味わえる、実に素晴らしい朝食。

 が、それだけに一部の人間の劣等感をこの上なく刺激してくれる。
 料理の味自体は互角以上であるものの、美的センスゆえに盛り付けがどうしても優雅さに欠ける人間など特に。
 ローラの盛り付けを見た彼女が数秒硬直するのを、シリルは確かに見た。
 僅かながら、悔しそうに表情を歪めた瞬間も。

 そして、その後更に頭を抱えたくなる出来事が積み重なった。

「そですね。朝食も美味しかったですけど……あんなお掃除出来るんですねー」

「……他に出来る人間がいるのかは甚だ疑わしいですが」

 言いながら、頭を抱えるシリル。

 朝食後、ローラは屋敷内の清掃に取りかかった。
 初日は交渉材料の件やら何やらで料理以外はしなかったが、
宿泊に当たって家事全般を引き受けると言った以上、最低限の事はしなければならない。
 気にしなくていいと言った海人に彼女はそう主張して、掃除に取り掛かったのだ。

 これが、凄まじかった。
 
 屋敷の立ち入り禁止区域を除いた全室の清掃を行いながら、作業時間はたったの二時間弱。
 本人曰くお詫び用ケーキの材料を早めに取りに行きたいという事で、
最短時間で見苦しくない程度に仕上げたとの事だった。
 
 が、実際に雫達の前で行われたのは、執念すら感じさせる徹底清掃。
 自身が水拭きや乾拭きなどをしている間に、恐ろしく精密に制御された風の魔法で小さな旋風を複数発生させて塵を集め、
火の魔法でゴミを燃やし、水の魔法で花瓶の水を入れ替え、と非常に効率的に魔法を使って清掃を進めていた。
 更にはそれと並行してベッドがある部屋全室のシーツなどの洗濯・乾燥も行っていたのだから凄まじい。
 
 結果、清掃後には全ての部屋は床には塵一つなく、花瓶は輝かんばかりに磨かれ、
ベッドシーツなども洗濯したての物が皺一つなくピシッと整えられていた。
 清掃中は常に窓を開け放ち、ゴミを集めていた物とは別の風の魔法で、
虫やゴミの侵入を防ぎつつ空気の入れ替えを行っていた為、空気も淀みがない清廉な物になっている。

 刹那以外の屋敷の住人もたまに屋敷の掃除をしているのだが、それとは比較にならない。
 彼女らの掃除後はあくまでも綺麗になった程度だが、ローラの掃除後は室内がまるで神殿の如き清らかさに満ちている。
 流石完璧超人なメイドと言うべきか、清掃作業のレベルも次元が違う。

 ――――戦闘能力で大敗し、家事も総合能力で圧倒的に劣り、容姿は比較する気にもならない。

 これらを考えると、つくづくローラは劇薬だと思い知らされる。
 かと言って打開策があるわけでもなく、だからこそ悩んでいるのだ。 
 
「……救いは、ローラさんが私達が恐れる行動を取っていない事ですわね。
質が高すぎるだけで、やっている内容自体は組手を除けばいたって一般的な居候ですわ」

「現状はルミナスさんあんま気にしてないみたいですし、
海人さんも完全に普通ですし、まだ気にしない方が良いと思いますよ? 
警戒は大事ですけど、あんまり気を張りすぎてると、
いざという時に疲れて動けないって可能性もありますしねー」

 悩むシリルを、軽い口調で宥める雫。

 実際、ローラはまだ何一つとして問題行動はしていない。
 人の家に泊まるにあたって多少着飾るのはおかしな事ではないし、
組手についても刹那に求められて応じただけ、清掃にいたっては宿泊料まで払っているのに献身的だとさえ言える。 

 本人のスペックゆえにどれも結果が凄まじく、それに周囲が勝手に衝撃を受けているに過ぎない。
 
 二人にとって危険なのはルミナスが劣等感を刺激されたり、海人がローラの能力に惹かれてしまう事だが、
見たところ前者はまだ劣等感よりも畏敬が強く、後者も感心はしつつも大した感銘は受けていない。
 
 状況はよろしくないが、昨日からほとんど変わっていないとも言える。
 やれる事が無い以上、無駄に気を揉むより落ち着いて静観するべきだった。

「確かに、彼女の行動パターンが変わらない限りは気にしない方が良いのかもしれませんわね」

「それがいいですよ。さ、シリルさんの番ですよ」

「ああ、そうですわね。では、竜騎士をここに」

 雫に促され盤面を見ると、シリルは考える素振りすら見せず自身の駒を動かした。
 あまりに早い一手に驚きつつも、雫が次の手を考え始め―――凍りつく。 

「……あれ? えっと、こうやるとこうくる、こっちを打つとこうくる……皇帝逃が……しても、
寿命が微妙に伸びるだけ……え? まさか!?」

「はい、これで詰みですわ。この時点で読めるとは、本当に先が楽しみな成長ぶりですわね」

「くうううっ……! その余裕が憎い! 腹立つ! 実力差的にしょうがないって分かってても!」

 コロコロと優雅に微笑むシリルに、憎々しげな視線をぶつける。

「その負けん気は良い成長の糧になりますから、忘れない事ですわ。
ところで、今海人さんはどちらにいらっしゃいますの?」

 雫の睨みを受け流しつつ、訊ねる。

 実はローラが出掛けてから、シリルは海人の姿を見ていない。
 彼は少しやる事があると言って、昼食にすら出て来なかったのだ。

 軽く摘まめる物を持っていくついで、とルミナスと刹那が様子を見に行ったが、
何をやっているのか気になる所だった。  
 
「自分の部屋でルミナスさんとお姉ちゃんの相手してるみたいですね。
ルミナスさんが御茶取りに行ったりしてるぐらいで気配動いてませんから、
多分雑談でもしてるんじゃないですか?」

「お姉さまもいるのなら、やる事とやらは終わったと考えてよさそうですわね。
では、私達もカイトさんの部屋に行くとしましょうか」

  














 一方、海人の部屋。
 雫の予想とは異なり、三人は雑談などしていなかった。
 会話は一切なく、部屋には静寂が満ちている。

 そこで行われているのは、彫刻。
 昨日と同じく数多の彫刻刀を使い分け凄まじい速度で彫り進める海人の妙技を、
ルミナスと刹那が食い入るように見つめていた。
 
「……よしっ、これで完成だ!」

 彫刻を彫り上げた海人が、満足げに声を上げた。
  
 完成したのは、子猫の彫刻。
 昨日の子犬と同じく、まるで生きているかのような躍動感がある。
 繊細な彫り込みによって生じた、触れば柔らかそうな毛並みもそのまま。
 心癒される無邪気な表情の出来も、同等だ。

 しかし、昨日の子犬とは明確な違いがあった。

「こりゃ凄いわねー……三匹の子猫がじゃれ合っている姿なんて……」

 海人が掲げた彫刻を見て、思わず感嘆の声を漏らすルミナス。

 昨日の子犬は一匹だったが、今日の子猫は三匹。
 それも別々の彫刻を組み合わせたのではなく、一つの木材から三匹がじゃれ合っている姿を彫り出している。
 当然子猫は繋がっているのだが、じゃれ合いという構図と圧し合う毛皮の歪みがリアルに彫られているおかげでまったく違和感を感じない。
 それどころか、子犬一匹の彫刻より更に躍動感と生命感が強まって見える。

 海人から受け取って直に見ると、一際素晴らしかった。
 これだけ複雑極まりない造形だというのに、三百六十度どこから見ても死角がない。
 少し逆立った尻尾の質感も、ピンと張った耳の質感も、何もかもが完璧。

 昨日シリルが買い取った物よりもより高度な技巧を凝らした芸術品が、そこにあった。

「しかし、何故昨日はこれを作られなかったのですか?」

「昨日はローラ女士の関係上、あまり時間をかけるべきではないと思っていたからな。
とりあえず最低限の技量を見せる為に、考えていた物の中でも失敗の可能性が低く早めに彫り上げられる物を選んだんだ」

「ん? 技量見たいってんだからむしろ時間かけるべきだったんじゃない?」

「休暇初日だぞ? 早めに休んで日頃の疲れを取る方が健全だろう。
色々人並み外れた能力の持ち主だが、彼女とて人間だ。あの激務で疲労が蓄積していないはずがない。
彫刻なら彼女が帰るまでにもっと凝った作りの物を仕上げて渡せばいいわけだし。
ま、結果としてはあっさり見抜かれてしまっていたわけだが」

 居心地悪そうに、頭を掻く海人。

 昨日一時間で彫り上げたのは、一応ローラへの気遣いだった。
 いかに人間離れした彼女でも、日頃の激務を考えれば表に出さないだけで疲労は相当溜まっているはずだ。
 ならば、彫刻もとりあえず最低限の技量は示せて早く彫り上げられる物を選び、彼女の速やかな就寝を促すべき。
 そう判断して、以前考えた構図の中で最も早く仕上げられるあの彫刻になったのだ。

 が、生憎ローラには見抜かれていたらしく、今朝彼女が出掛ける前に時間をかけた物を作るよう頼まれてしまった。
 昨日の物も素晴らしい出来だったが、ゆとりがあればもっと凝った物も作れるでしょうと断言されて。
  
 それで作ったのが、この彫刻。
 魅力的には昨日の彫刻と大差ないが、使われた技巧は数段高度。
 彫り進める速度も同様だが、かけた時間は五時間と格段に長い。
 おかげで、海人が今使える技の全てを注ぎ込んだ物が仕上がった。

 もっとも、約一名知られるわけにはいかない相手がいる為、
これの存在を知っていいのは当面この場にいる人間とローラだけなのだが。
 
「ローラさんなら心配しなくても大丈夫だと思うけどねぇ……ま、
いずれにせよ後はシリルに見つかる前にローラさんに渡すだけね」

「分かっている。ローラ女士が帰ってきたら、即引渡して彼女の目に触れさせないようにして――――」

「失礼しまーす♪」

 海人の言葉を遮るようにして、雫がドアを開けた。
 その背後からは、シリルもやってきている。

「シズクさん、親しい間柄でもノックの返事ぐらいは待つべ……あら? 今何か隠しましたわね?」

「はっはっは、気のせいじゃないか?」

 あっけらかんと答える海人。

 その口調に淀みは無く、また態度にも不審は無い。
 一切の後ろめたさを感じさせない、見事な演技。
 シリルは敏い女性だが、それでも海人の様子からは違和感は感じ取れない。
 
 が、生憎周囲の状況まではごまかしようがなかった。 

「彫刻刀やら木の削り屑が沢山散らばっているように見えますわよ?」

「目の錯覚だな」

 迫力に満ち溢れた笑顔で行われるシリルの尋問に対し、しれっと大嘘を吐く。
 これもやはり一切の違和感を感じさせない見事な演技だったが、流石にごまかせる状況ではない。
 
「いいから、後ろに隠した彫刻をお見せなさい?」

 笑みを深め、シリルは海人ににじり寄った。
 一見優しげだが彼女の足は海人の膝の上に乗せられており、逃亡を許さない。
 
「見せるだけだぞ?」

 言いながら溜息を吐き、海人はシリルに彫刻を手渡す。

 受け取ったシリルは、まじまじと彫刻の観察を始めた。
 一匹一匹違う可愛らしい子猫の表情、躍動感あふれる尻尾の動き、
そして柔らかささえ感じる繊細な彫り込みの毛並み。
 どれも素晴らしく、非の打ち所がない。
 彫り込みに使われた技術で言えば、昨日よりもこちらの方が上だろう。

 だが、シリルが手に入れた子犬の彫刻が劣っているわけではない。
 この子猫達の彫刻を作る為に使われた技巧は非常に高度だが、魅力自体は同等。
 こんな物も作れる、と技量を見せる為に手の込んだ物を作ったといったところだろう。

 とはいえ、これも魅力的である事に変わりはない。
 シリルは譲歩の可能性を探るべく、口を開いた。  
  
「……どんな条件なら譲って下さいますの?」
  
「見せるだけと言っただろう? これは譲れんのだ」

 にべもなく断り、海人はシリルの手からひょい、と彫刻を取り返した。

「な!? 何故ですの!? お金だけでもカナールに行けば百万程度なら下ろせますわよ!?」

「んな大金受け取れるか。そうじゃなくて、これは今朝ローラ女士に頼まれて作った物なんだ。
頼まれて作った物を勝手に譲るわけにはいかんだろうが」

「そ、そんな!? なんとかなりませんの!?」

 尚も食い下がろうとするシリル。
 それに若干気圧された海人だったが、直後彼女の背後を見て安堵の息を漏らした。 

「――――申し訳ありませんが、シェリス様に見せるサンプル用ですので。それは出来かねます」

 いつの間にか帰ってきていたローラが、淡々とシリルの言葉を却下した。
 当然、彼女の存在に気付いていなかった面々は驚くが、唯一海人以外に驚いていない人間がいた。 

「厨房に荷物置いてたみたいですけど、あの速度で帰ってきたんじゃ材料潰れたりしてません?」

「無事ですので、御安心を。
しかし悪戯とはいえ手を抜いたつもりはないのですが……素晴らしい察知力ですね」
 
「これしか取柄ありませんけどねー」

 ローラの称賛に、けらけらと笑い返す雫。
 恐ろしい気配断ち技能の持ち主とそれを上回る察知技能の持ち主に武人組が呆気に取られるが、
シリルがいち早く我に返った。

「そ、それよりローラさん! サンプル用なのであれば、シェリスさんに見せた後私に――――」

「申し訳ありませんが、一度手に入れた物を手放す気はございません」

 言い終える前に、シリルの言葉を却下するローラ。
 彼女はそのまま海人の元に歩み寄ると彫刻を受け取り、懐にしまい込んだ。

「のおおおおおおおおおっ!?」

 取りつく島もない態度に、頭を抱えて絶叫するシリル。
 それは悲嘆という言葉が実に良く似合う姿で、人の哀れみを誘う。
 ローラはそんな彼女を相変わらずの無感動な瞳で見下ろすと、少し思案してから口を開いた。  
   
「ふむ……ではこういたしましょう。
今日作りますお詫びのケーキ。それに御満足いただけなかった場合は無償でお譲りします。
勿論、シェリス様に見せた後の話にはなりますが」

「……余程自信があるようですわね?
それに、私が難癖をつけるとは思いませんの?」

「自信作の一つ、と申し上げました。
そして、シリル様の性格上無理な難癖は付けられないでしょう。いかがですか?」

「……よろしいですわ! その勝負、受けて立ちます!」

 ビシッとローラに指を突きつけ、シリルは高らかに宣言した。

     
 
 
 
 
 
   


 















 そして三時、海人邸中庭。
 そこで、ローラが作ったケーキがお披露目されていた。

「お待たせいたしました、メルティストロベリーのタルトでございます」

「うわっ、綺麗……! しかもすっごい贅沢! ってか、相当お金かかったんじゃないですか!?」

 テーブルの上にでんと鎮座したタルトを見て、思わず目を見開く。

 一番印象的なのは、惜しげもなくどっさりと盛り付けられたメルティストロベリーの山。
 それはほんのりと緑がかった透明なジェルでコーティングされ、艶やかさを強調している。
 土台のタルト生地も焼き色が恐ろしく美しいが、上のメルティストロベリーのインパクトには敵わない。
 なにしろ、くまなく盛りすぎて下にあるであろうカスタードクリームがほとんど見えないのである。

 メルティストロベリーの価格を知る身としては、驚愕する他ない品だ。
  
「多少割り引いていただきましたし、謝意を示せると考えればこの程度の出費は痛くありません。
どうぞ、御遠慮なくお召し上がりください」

「じゃ、すいませんけど六等分してもらえます? 皆で食べましょう」

「五等分も可能ですが? そもそもお詫びの品を私も食べるというのはいかがなものかと」

「美味しい物は皆で食べる。それが基本ですよ」

「……ありがとうございます。では、切り分けさせていただきます」

 粛々と頭を下げると、ローラはナイフを三回振るう。

 無造作な動きであったが、その動作でタルトは綺麗に六等分に分けられた。
 そして現れたのは、なんとも魅力的なコントラスト。
 メルティストロベリーの赤、カスタードクリームの黄、タルト生地の茶。
 どれ一つとっても非の打ち所がなく、合わさると涎が出そうな色彩だ。
 それが僅かな乱れもない切断面で強調され、余計に食欲を刺激してくる。

 誰ともなくフォークを伸ばし、 

「お、美味しいぃぃぃぃっ!? な、なにこれ? 鮮烈なメルティストロベリーの香りもだけど、味が凄い!
果実の甘味とカスタードクリームの甘味をこのジェルの味が上手く溶け合わせて、新感覚の美味しさになってる!」

 確かめるように味わいながらも、ルミナスは思わずがっついて食べていた。

 通常、完熟したメルティストロベリーはそのまま食すのが一番とされている。
 甘みが強く酸味のバランスも良い為、それだけで完結した味だからだ。

 それでも王都の高級菓子店などではメルティストロベリーを使ったケーキが並んでいる事があり、
ルミナスも食べた事があるのだが、それは買って微妙に後悔した。
 メルティストロベリーもクリームも生地もどれも良い味だったのだが、
一緒に食べた時の味がまとまりに欠け、メルティストロベリーと他の部分を分けて食べた方が美味しかったのだ。
 ついでに言うなら、メルティストロベリーの個性が強すぎて、まとまりそうにない味でもあった。
 
 が、このタルトは見事に一体化させている。
 バラバラに食べても美味いが、全てを一口で口に放り込んだ時の味はそれとは比較にならない。
 完熟したメルティストロベリーの味もカスタードの味も生地の味も全てを活かしながら、
見事な程に調和した味わいに変えている。
 香りもメルティストロベリー特有の爽やかで甘い香りを前面に押し出しつつ、
タルト生地の香ばしく甘い香りとカスタードの濃厚さを感じる香りも殺さず堪能させてくれる。

 それぞれの甘味の調整などもあるだろうが、最大の要因は間違いなくジェルだ。
 鮮烈なまでに爽やかな香りと刺激的でありながら当たりの柔らかい酸味、
そして体に染み渡るように優しいほのかな甘みを持つこれが、他の素材全てを取りまとめている。
 これを上手く使えば、フルーツ系のタルトに革命が起きる。それほどの逸品だ。 

 いずれにせよ、このタルトは完璧で非の打ち所がなく、ある種究極的な品である事は間違いない。
 それを証明するかのように、刹那や雫は無我夢中で食らいつき、海人でさえも食べるペースが少し早くなっている。
 
 誰もがその美味に笑顔を浮かべていた―――唯一人を除いては。

(…………酸味、頃合。甘味、陶然。香り、恍惚。バランス、究極……! ひ、非の、非の打ち所が……!)

 プルプル震えながら、超高速で味の分析を行うシリル。

 結論は、出ている。非の打ち所などあるはずがない。
 一口食べた瞬間に感じたあの至福、あれを否定するなど出来るはずがないのだ。
 付けるとすれば個人の好みだが、これはシリルの好みど真ん中。
 店で出していれば一切れ一万でも常連になりそうな程に、好みに合っている。

 だが、それを認めてしまえばあの三匹の子猫は自分の手にやってこない。
 既に一匹一匹の名前まで考えたのに、このままでは悲しい別れが待っている。  

 なんとかせねばならないが、状況は絶望的。
 非の打ち所は見つからず、かつ猶予は次の一口までしかない。
 というのも、今とて持てる全精力を注いで必死で満面の笑顔にならぬよう頑張っているだけだからだ。
 次の一口を口にすればもう耐える事は叶わず、そうなってしまえば言い訳も不可能。
 手を止めるのも、不可能。もう一口食べたいという欲求が抑えきれない。   

 そうこう思考している間に、次の一口がシリルの口に入ってしまった。

「くう……美味しいですわ! ああもう! 美味しいですわよぉぉぉっ!!」

 涙をだばだばと流しながらタルトを貪り食うシリル。
 その表情は笑顔でありながらも、隠しきれぬ悲嘆が滲んでいた。
  
「賭けは私の勝ち、という事ですね。一安心いたしました」

「……あのー、ローラさん。このジェルどうやって作ったんです?
多分青いメルティストロベリー使ったんだと思いますけど、
あれが一体どんな手品使えばこんな凄い物に?」

 心なしか勝ち誇って見えるローラに、おずおずと訊ねるルミナス。

 恐ろしく素晴らしい未知のジェルだが、材料の一つには心当たりがある。
 鮮烈な香りだが、メルティストロベリーの特徴があるのだ。
 そしてこのタルトには、一見ハロルドに頼んだという青いメルティストロベリーの姿が影も形も見当たらない。
 となれば、答えは考えるまでもない。

 だが、問題は死者も跳ね起きるというその殺人的な酸味をいかに変化させたのかだ。
 酸味を薄れさせるだけなら果汁をほんの少量使うという手もなくはないが、
それをやれば当然香りも何もかもが同等に希薄になる。
 このジェルの味からしてそれはありえないし、そもそもその程度の事なら昔の菓子職人がとうに試しているだろう。 
 
 このタルト最大の特徴とも言えるその秘密は、是非知りたい。
 教えてもらえる可能性が0に近いとは分かっているが、それでも聞かずにはいられなかった。

「このジェルは、青いメルティストロベリーの果汁とある甘味料を溶かし込んで固めた物です。
それと、レシピが欲しいのであればジェルについては詳細を教えて差し上げても構いません。
聞かない方がよろしいとは思いますが」

「……ふむ? どういう風の吹き回しだ?」

 あっさりと語るローラに、海人が不思議そうに訊ねた。
 こういう場合、普段の彼女なら秘密で通すか取引を持ちかけるのが常だ。

「理由としては、主に二つです。
一つは、このジェルが偶然によって生まれた物であり、その偶然を起こしたのが私ではない事。
一応現在の形に作り上げたのは私ですが、立役者はその偶然を起こした馬鹿でございます。
また、完成にはさして手間もかかっておりませんので、無償で教えても気になりません」

「……馬鹿?」

「はい。酔った勢いで荷物にあった私の甘味料を、本来食材にならない物にぶちまけて煮た馬鹿です。
勿体無いのでとりあえず味見をさせたら、偶然良い味だったのですが」

 つい、と視線を上に動かす。

 思い出すのは、このジェルが誕生した日。
 とある森の中で、祝勝会のような事をやっていた時の事。
 本命のついでに手に入れた貴重品をどう保管するか考えていたら、
上機嫌で酔っていた馬鹿が近くに自生していた青いメルティストロベリーを磨り潰し始めた。

 強烈な酸味で酔い覚ましでもするつもりか、と思いながら酒を飲んでいると、
馬鹿は鍋を取り出し磨り潰した物を加熱し始めた。
 加熱しても酸味は消えるどころか強くなり、濃縮される事で更に倍加するのだが、
馬鹿はその愚行を止める様子がない。
 
 ローラも毒ではないから死にはしないし、別にいいかと思って放置していたのだが、これが分岐点だった。
  
 自分のバッグの隣にあったローラのバッグに手を伸ばす馬鹿。
 そしてそこから手に入れたばかりの貴重品の一つを取り出し、鍋にぶちまけた。
 酔ってるくせに無駄に手際が良く、ローラが止める間もなかった。 

「よ、酔ってたにしてもローラさん相手にそれやらかすって相当度胸ありますね、その人」

 ルミナスが、思わず表情を引き攣らせる。

 普通の相手ならともかく、この絶世の美女相手にそれは自殺行為だ。
 圧倒的な戦闘力と容赦皆無の性格を併せ持つ彼女相手にそれをやれば、その後どうなるかなど想像するまでもない。

 しかも先程から聞く限り、それなりに付き合いが深い間柄である事も想像できる。
 そうでもなければ、ローラの荷物に手など伸ばせないだろう。
 伸ばした瞬間、腕の関節が増えてしまうのが関の山だ。

 つまり、その馬鹿と呼ばれた人物はローラという人間を知った上で、そんな蛮行を行ったという事。
 酔った勢いがあったにしても、ルミナスではとても真似できない。
 畏敬に値するレベルの度胸の持ち主である事は間違いないだろう。 
   
「ええ。しかも無駄に生命力が強いので、手加減したとはいえ酔った状態で私の蹴りを防御しました」

「や、手加減したにしても甘味料勝手に使ったぐらいでローラさんの蹴りは厳しすぎません?」

 乾いた笑いを浮かべながら、ルミナスが苦言を呈する。

 ローラの蹴りは、常人はおろか鍛え抜いた兵士ですら鎧ごと引き千切ってしまう。
 ルミナスでさえ、防御してもしばらくは腕が痺れてしまう威力だ。
 手加減したにしても、甘味料を使われた程度の報復でそれは流石に酷だろう。 

 が、ローラはあっさりと首を横に振った。

「これに使う甘味料の名を聞けば、納得していただけるかと。
もっとも、先程申し上げたように聞かない方がよろしいとは思いますが」

「いや、教えてくれるんだったら教えてくださいよ。
多少高くてもこれを自分で作れるんだったら気になりませんし」

 ローラの言葉を意に介する事も無く、ルミナスは尚も訊ねた。

 このジェルの味は、まさに極上。
 タルトに乗せずとも、焼き立てのパンに乗せて食べるだけで十分美味そうだ。
 口振りからしてかなりの稀少品だろうが、余程の物でない限り手に入れる事に支障はない。
 全てとは言わないが、大概の甘味料は金で手に入る。

 そしてルミナスは世界最強とも称される事がある傭兵団で実質的に三位の地位にある。
 実家の仕送りで圧迫されてはいるが、それでも一般人から見れば裕福。
 そして現在は食費の大半が消えた事で、随分と生活にゆとりが生まれている。
 日頃色々世話になっている友人の為に、甘味料一つ買う事ぐらいは問題ない。

 期待に胸を躍らせるルミナスに、ローラはそこまで仰るのであれば、と前置きして、答えた。

「――――ユグドラシルの樹液です」

『ぶっ!?』

 ローラが出した名前に、他の面子が一斉に噴き出した。

「ユ、ユユユユユユユユグドラシルの樹液って確か一瓶百万とかって……!」

 あわわわ、と空になった皿を見つめる雫。
 その脳裏にはもっと味わって食べれば良かったとか、いくら分食べたんだろうとか、
そんな取り留めもない言葉がひっきりなしに飛び交っている。

「というか値段以前にまず手に入りませんわよ!? ユグドラシルがあるのはテラルスティン島!
そもそも辿り着けるかどうかすら怪しい場所ですのよ!?」
 
 プルプル震えている雫の横で、シリルが叫んだ。

 現在ユグドラシルの存在が確認されているのは、彷徨える島の名称で知られるテラルスティン島のみ。
 この島は天高く浮遊し大空を彷徨っている為、所在が特定できない。
 しかも仮に見つかったとしても、大概は人が辿り着けない超高空。
 迂闊に近付けば極寒の冷気と共に意識の混濁に襲われ、そのまま墜落死する危険地帯だ。
 また、入れたとしても危険度の高い魔物が多く生息している為、やはり生きて帰れない可能性が高い。
 
 現在地上にあるユグドラシル関連の物品の多くは、一般的には五十年以上前にかの島が高度を下げていた時の物だと言われている。
 その時に多くの冒険者が挑み、その命を散らしながら持ち帰ったのが今流通している物だと。

 とある老冒険者から聞いた話では二十年程前にも高度を下げていた時があったらしいが、
その時彼が持ち帰った物品は全て売り捌かれて手元になく、現れた場所がこの大陸ではなかった事もあり証拠はない。 
 もっとも、彼は老いてなお色ボケな変態老人ではあるが、嘘を言うタイプではない為信憑性は高いだろう。
 知られていないだけで、高度を下げている事はままあるのかもしれない。
  
 が、いずれにせよ簡単に手に入る物でない事は確か。
 目の前の絶世の美女がいかにして手に入れたのか、まったく想像もつかない。

「昔、仕事のついでに手に入れたのです。貴重品ですし、御存じの通りこれから先手に入るかも怪しい物。
しばらく保管し、折を見て売るなり交渉材料に使うなりしようと思っていたのですが……あの馬鹿は、
酔った勢いで一瓶丸々鍋に突っ込みました。御納得いただけましたか?」

「……さ、流石に擁護のしようがないですね」

 こころなしか怒気を滲ませているように見えるローラに、ルミナスは引き攣った笑みを返す。

 ユグドラシルの樹液などという超稀少品を勝手に使われれば、ローラでなくとも怒るだろう。
 むしろそんな暴挙をローラに行って一撃で済まされたのは大した強運と言える。

 彼女の性格と実力なら、息の根を止められる可能性の方が圧倒的に高かったはずなのだ。

「とまあ元が馬鹿馬鹿しい話でしたので、ジェルの作り方は教えても問題ありません。
もっとも、知ったところで現状作れないとは思いますが」

「ですねー……ユグドラシルの樹液なんてどうやって手に入れ……あれ? まさか……」

 途中である事実に気づき、ルミナスは海人の方を見た。

 ユグドラシルの樹液なぞ、普通は手に入らない。
 超の付く稀少品、それも消耗品なのだから当然だ。
 
 だが、ここには普通じゃない手段を使える男がいる。
 一度見た物なら制約の許す限り何でも作れる創造魔法という、ある種究極的な反則の持ち主が。
 そして、常識的に考えて創造魔法の事を知るローラが樹液を使い切るはずがない。

 海人も当然同じ事を考え、苦笑しながら訊ねた。

「で、私が見せてもらえる対価はなんだ?」

「申し訳ございませんが、当面は御見せする気はありません。
いずれ必要な時に交渉材料として使わせていただきます」

「あー……つまり、今回はただこういう手札もあると言いたかっただけか?」

「御名答です。あらかじめ御存じであれば、交渉する時も捗りますので。
で、言うまでもないとは思いますが、これが二つ目の理由です。
材料の関係上、後々カイト様相手の有効な交渉材料になりますので。
それを考えれば、作り方を教える事などなんでもありません」 

「まったく……つくづく油断ならんなぁ、君は」

「褒め言葉と受け取っておきます。
それはそれとして、この場において一番油断ならないのは別の御方かと」

 呆れた様子の海人にあっさりとした言葉を返し、ローラは刹那の方に視線を向ける。
 より正確には刹那ではなく、彼女の前に置かれている皿に。

「は……? あ、せ、拙者のケーキがぁっ!?」

 いつの間にか空になっていた皿を見て、刹那が絶叫する。

 つい数秒前までは、確かにあった。
 最後の一口分、大きめに残しておいた物が。
 それがローラに気を取られた隙に、何者かに奪われた。

 刹那は、即座に最有力の犯人候補を睨みつける。
 彼女はきょとんとした顔でとぼけていたが、刹那の目はごまかせない。
 睨みつけるその一瞬前まで、口がもぐもぐと動いていた。
 ついでに言えば、今はその口が不自然なまでに動いていない。
 まるで動けば何かがバレてしまう、と言わんばかりに。 
 
 しばし睨みつけていると犯人候補―――雫は観念したかのように口を動かし始めた。

「もっきゅもっきゅ……美味しかったぁ♪」

「美味しかったぁ♪ じゃない! よ、よりにもよって、よりにもよって最後の一口をっ!」

 フォークを握りしめた手を怒りに震わせながら、妹を睨みつける。

「ふ……こういうのを油断大敵って言うんだよ。
やったねお姉ちゃん! また一つ賢くなったよ!」

「よし、そこに直れ。その腹かっ捌いて奪い返してくれる」

 戯言をほざく妹に絶対零度の視線を向けつつ、刀に手をかける。
 が、その鯉口が切られようとしたところで海人が止めた。 

「こらこら、美味い物食べてから暴れるな」

「止めないでください海人殿! 今日という今日はこの愚妹の根性を叩き直さねば……!」

「だから暴れるなというに。ほれ、私の分残ってるのやるから」

 言いながら、刹那の前に自分の皿を差し出す。
 そこにはまだ半分程残ったタルトの姿があった。

「なっ!? め、滅相もない! 海人殿の分をいただくなど……!」

「ちと腹一杯だから丁度良いんだ。食わんのだったらそこで羨ましそうにしてる馬鹿娘に与えるが?」

 じー、と物欲しそうな視線を海人の皿に向けている雫を、顎で示す。
 
 雫の目は、とてもとても強い羨望に満ちていた。
 ついでに口の端に光る液体が微妙に滲み出てもいる。
 
 それを確認した刹那は、とても爽やかな笑顔で海人に向き直った。

「では、海人殿の御心遣い、ありがたくいただきます」

 恭しく皿を受け取った刹那は、フォークでこれ見よがしに大きめの一口を切り分ける。
 そして、今にも涎を垂らしそうな妹に見せつけるような至福の表情で、それを頬張った。

「ぐぬぬ……な、なんて大人気ない! そんなこれ見よがしに美味しそうに食べるなんて!」

「先に仕掛けたのはお前だ。ああ、やはり美味い。海人殿、ありがとうございました」

 彼女にしては珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべると、刹那は海人に皿を返した。

「ん? まだ残っているが、もういいのか?」

「はい。十分満足いたしましたので」

「ふむ、では残りは……ルミナス、食うか?」

「いいの!?」

「さっきも言ったが、もう腹は膨れたんでな」

 苦笑しながら、ルミナスに皿を差し出す海人。

 ルミナスは礼を言って受け取ると、この上なく幸せそうな表情でタルトを頬張った。
 一噛みごとに嬉しそうに身を震わせ、全身で美味しいですと叫んでいるような姿。
 それを眺めながら、海人は穏やかに微笑んでいた。

 ――――それを見つめながら、シリルは若干安堵する。

(……この調子なら、当面問題はありませんわね)

 シリルの危惧する問題は解決が難しいが、海人次第ではそれが大きく和らぐ物でもある。
 彼が今のようにルミナスを気にかけている限り、大問題にはなりにくいはずだ。
 まだまだ安心はできないが、このままなら一週間乗り切る事は十分可能だろう。

 少しだけ肩の力が抜けたシリルはそんな事を思いながら、ゆっくりと紅茶を飲み干した。
   




























 一方その頃、シェリスの屋敷の庭。

 風光明媚なその庭園はいかにも貴族専用といった風情だが、
この屋敷では部外者の目に触れない限り自由な使用が許可されている。
 その為、休憩時間になると多忙なメイド達がゆっくりと休む為に訪れる事が多い。
 今日も例外ではなく、休憩時間に入ったメイド達の談笑がそこかしこから響いていた。

 が、一箇所だけ、些か異質な場所がある。
 そこは、三人の女性が集う小さなテーブル。
 そこだけは誰もあまり口を開かず、静かに紅茶を楽しんでいた。
 
「……もう少ししたら、また仕事ね。
今のところローラさんの予定通りに進んでるけど……正直、どう?」

 シャーリー・ライラックが、疲れた声で同僚に訊ねる。
 普段は瞳から理知的な光が絶えぬ女性なのだが、今は気力を使い果たしたかのように輝きがなかった。 
 
「まあ、こなせる程度の仕事量ではあるけれど……もう少し慈愛を持つべきだとは思うわねぇ」

 いつもと変わらぬ聖母のような微笑みのまま、弱音を吐くマリア・ジェイド。
 まるで疲れた様子が見受けられない彼女だが、良く見れば表情にやや弱々しさが出ていた。

「同感。でも、これでもローラさんがこれまでこなしてた仕事からすれば微々たる量なんだよねぇ……」

 レザリア・ハーロックが、処理済みの書類の山を見てしみじみと嘆息する。

 この場にいる三人は、屋敷の中でも特に事務処理に優れた者だ。
 三年の不在の間に後輩達も随分成長していたが、それでも判断力諸々で追随は許していない。
 そして、現在のこの屋敷に勤めている者の事務処理能力は平均すれば大商会の幹部級である。

 が、その三人が音を上げたくなる仕事量でさえ、ローラがこの三年こなしていた量に比べれば鼻で笑われる程度でしかない。

 なにせ、彼女はそれまで十人で分担していた仕事を一人でこなしていたのだ。
 そればかりかシェリスや後輩達が成長するにつれ、仕事量もそれに比例して増えていき、
周囲が成長するたびローラの負担はむしろ増えていたという。
  
 ――――つくづく、苦労性な人だと思わずにはいられなかった。

「だからこそ文句が言い辛く、しかも一応こなせるから余計に何も言えないのだけどね。
本当、昔からあの人の要求は苛烈よねぇ……まあ、それでも昔よりは楽になったかしら」

「ふふ、今の状況を考えれば当然ね。なにしろ、主体がシェリス様だから」

「ま、そりゃそうだよねぇ……にしても、姉さん遅いなぁ」

 時計を見て、レザリアがぼやく。

 少し前に彼女の姉は追加の書類を運びがてらやってきて、
休憩時間用にタルトを焼いておくと言っていたのだが、まだ姿を見せない。
 その際場所を指定されたから、ここで三人揃って休憩しているというのに。

 まだ多少時間は残っているが、後十分もすれば気分を切り替え始める必要がある為、
折角のタルトを満喫できなくなってしまう。 

「そうね。あれが楽しみで仕事いつも以上に気合入ったのだけど。
前食べた時、凄い美味しかったから」

「姉さんが持ってるレシピの中でも最高の逸品だからね。
ま、レシピが生まれるにあたっては色々えらい事になってたけどねぇ?」

 くっく、と悪戯っぽく笑う。

 今姉が作っているタルトの誕生の切っ掛けとなった出来事は、なかなかに衝撃的だった。
 なんせ仕事の事後処理を終えて戻ってきたら、姉が親友に蹴っ飛ばされて天高く飛んでいくところだったのだ。
 あまりに驚きすぎて、思わず追いかける事も忘れて飛んでいく姉の姿が消えるまで目で追ってしまった程である。

 とはいえ、レザリアはその時薄情にもどうせ死んではいまい、と安心してもいた。
 幸いというかなんというか、それまでにも何度も見ていたのだ。
 悪戯やらドジやらでローラの怒りに触れて、吹っ飛ばされる姉の姿を。

 なので暢気にローラが淹れてくれた紅茶を飲みながら事の経緯を聞いていたのだが、
その間に姉は元気一杯に生還した。
 親友の頭上から降って来て、踵落としを叩き込む為に。
 
 言うまでもなく迎撃され、今度は地面と平行にすっ飛ばされた挙句、
気絶している間に原因となった物を毒味として口に流し込まれたのだが。  

 その時の光景を思い出しながら笑っていると、唐突にレザリアの頭上から手刀が叩き込まれた。

「姉の災難を思い出して笑うなんて酷い妹ね。
折角作ったけど、貴女の分は後輩の誰かにでも回しましょうか」

 艶やかに微笑み、メイベル・ハーロックはタルトの乗った皿を同僚二人に手渡し、そのまま踵を返した。
 言うまでもなく、妹―――レザリアの前に皿は置かれていない。

「にゃああ!? 待って姉さん! あたしが悪かったから持ってかないでぇぇっ!」

「はいはい、冗談よ。もう少し落ち着きなさい」

 慌てて立ち上がろうとしたレザリアの額を指先で押し、座らせる。
 そして勢い余って首が後ろに仰け反った妹の前に、タルトの乗った皿を置いた。 

「それにしてもメイベル、貴女が私達に菓子を振る舞うなんてどんな風の吹き回し?」

 意外そうに、シャーリーが首を傾げる。

 メイベルは、菓子作り―――というか、料理が全般的に上手い。
 無論本職やらローラと比べれば落ちるのだが、料理上手と呼ぶに相応しい技量がある。
 
 が、その腕を発揮するのは概ね男相手に限定される。
 同性相手に全く作らないわけではないが、その頻度は極少。
 それでも後輩達相手なら頼み込まれれば作るのだが、
長い付き合いの自分達相手に作った事は片手で数えられる程度しかない。
 
 それが特に何があったわけでもないのに作るなど、意外という他なかった。
  
「こんな手紙と一緒に材料が届いたのよ」

 ひらひらと、昼に受け取った手紙を見せる。

 そこには、綺麗な文字でこう書かれていた。
 そろそろ弱音が出る頃だろうから、これで士気を上げなさい、と。

 全てを見透かすような上司に、一同思わず苦笑いしてしまう。

「相変わらず凄い読みだねぇ……そういや姉さん、カイト様の事はどうすんの?」

「んー、一度ぐらいは御相手願いたいんだけど……諦めた方が良い気がするのよねぇ」

 妹の質問に、困ったような笑顔を返す。

 海人とは、一度だけでも肉体関係を持ちたい。これは嘘偽り無い本音である。
 現在彼のせいで他の男に魅力を感じなくなってしまっているが、それは彼に対する未知がある為。
 本気の彼がどれほど凄まじいか知らぬがゆえに期待が膨らみ、その反動として他に目がいかないのだ。
 メイベルは、そう分析していた。

 が、未知というのは何よりも刺激的なスパイスだが、失われればそれまで高まった熱を一気に奪う物でもある。
 一度体験してしまえば、他の男に目を向ける気がしない現状は一気に改善される可能性が高い。
 
 なので今後の仕事を捗らせる為にも一度御相手を願いたいのだが―――ローラがまずい。
 
 スペック的に勝てそうにない、親友に悪い、などはどうでもいい。
 前者はむしろ燃えるし、後者も奪い合いたくならない程度の男に親友を任せられるかと胸を張って言える。 

 問題は、それでメイベルがあの世への直行便に乗ってしまう可能性。
 あの親友は、自身の恋愛経験はほぼ皆無なはずだ。
 そんな人間が横から奪われそうになれば、我を忘れる可能性もある。
 その場合、メイベルの運命は死以外にはありえない。
 彼女は屋敷有数の戦士ではあるが、本気のローラと戦える程逸脱はしていないのだ。

 それでもついこの前までは、海人と関係を持ってもギリギリ安全圏にいられると思っていた。
 本気であろうがなかろうが、まだそこまで怒り狂う程の感情ではないと。

 が、出掛ける前にローラが着ていた服が状況を変えた。
 
 あれは、かつてローラが纏っていた戦闘服。
 当時の彼女の戦い方の象徴とも言うべき物で、彼女にとっての最強装備の一つでもある。
 彼女について詳しい人間でも、普通はそこまでしか知らない。
 
 だが―――メイベルだけは知っている。
 
 あの服が、ローラにとって戦闘服以外にも様々な意味を持つ事を。
 その意味の一つが、ローラが海人に抱く感情が危険な程強烈である可能性を高めている。
 わざわざ出かける前にあれを見せて行ったのも、警告のつもりだったのかもしれないと思えてくる程に。
 
 海人は魅力的な男だが、流石に命を捨ててまで関係を持ちたいとは思わない。 
 未練はあるが、潔く諦めるのが最善であった。

 以前に唇を奪ったついでに意趣返しもした事だし、などとメイベルが考えていると、
ふとレザリアが怪訝そうに目を細めた。

「ん? 姉さん、その手紙……」

「どうかした?」

「ちょっと貸して……あ、やっぱり裏が炙り出しになって……げっ!?」

 うっすらと見える炙り出し用の塗料の跡を見て、レザリアは思わず声を上げた。

 本当にうっすらとしか見えない、常人なら注視しても見落とすような塗料だが、
レザリアなら塗料の存在に気付きさえすれば炙り出さずに文字を読む事も可能だ。
 そして、それゆえに彼女は何が書かれているのかすぐに分かってしまった。
 姉に見せたらまずい文章である、という事が。
 
 どうやってこの場をしのぐか考えている間に、メイベルが手を差し出してきた。

「レザリア、読むから返しなさい」

「いやいや絶対読まない方がいいっ! ってか読んじゃ駄……!?」

 全てを言い切る前に、レザリアは手紙を奪われた。
 そして止める間もなく、メイベルは火炎魔法で手紙を炙り始める。

「……へえ? これはこれは……焚きつけてくれるわねぇ?」

 炙り出された文字を見て、メイベルは獰猛に笑った。

 そこに記されていたのは、実に挑発的な文章。
 先程の結論をあっさり覆したくなる程に、喧嘩を売っている。
 ここまでされて、引き下がるわけにはいかない。
 引き下がる必要はない、と親切に言ってくれているのだから尚の事。

 ――――追伸、今度は現場で無様な姿を楽しみたいから、時間を作っていらっしゃい。勇気があれば。  

 そう書かれた手紙を、メイベルは歯をむき出しにしながら握り潰した。    

  


 
 

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
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[2014/03/17 01:39] | # [ 編集 ]


ケーキに乗ってたジェルそのものは創造魔法で作れないんですかい?
[2014/03/17 03:13] URL | ぬ #- [ 編集 ]


更新、お疲れ様です。

ローラ女士のスーパーマンぶりは、相変らずですね。
ディルステインをやらせても、シリルより強そうな気がします。

余興か何かで、ローラ・シリル組 v.s. 海人・雫組のペア・ディルステインを
見てみたいかも…
[2014/03/17 06:58] URL | ダーマグレッグ #s3RxEUoc [ 編集 ]


 他の人の感想見て確かにと頷いてしまった。
 確かに樹液自体の価値は別次元だとしてもジェルは作れそうですね。

 今回はシリルがビスケに見えて噴いたw(コレクションに名前を付けるロリババァ的な意味で、シリルは若いが)
[2014/03/17 12:24] URL | 冥 #SFo5/nok [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2014/03/17 12:30] | # [ 編集 ]


最近シリル嬢が、ギャグキャラになっているような・・・・・・(汗
最初期の頃のような戦闘場面があんまりないからかな?

馬鹿馬鹿連発していたので誰かと思ったら、やっぱりメイベルか。
ま、まあ、良い?友情を育んでいるようでなにより。
しかし、どんだけ酒癖が悪いんだ。メイベル・・・・・・
[2014/03/17 22:12] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]


更新お疲れ様です。

とても楽しませて頂きました。

次も楽しみにしています。
体調に気を付けて頑張ってください。
[2014/03/18 03:55] URL | 近場の激うまランチ #- [ 編集 ]


現状正攻法でルミナスに勝ち目ないローラは乱戦狙いなのかw
[2014/03/18 09:13] URL | hig #- [ 編集 ]


海人さんが彫刻を創造魔法でコピーすればシリルもローラも満足できるのでは?
ジェルはもしかして海人さんが見たこともない材料が含まれてるからコピーできなかったりする?
[2014/03/18 14:55] URL | 影 #sSHoJftA [ 編集 ]

今回も良かったです。
今回も楽しく読ませていただきました。
ローラはやはり完璧メイドさんですね~
ジェルに関してはその材料の中に海人さんが創造出来ないものがあるんでしょうか?
次回も楽しみにしています。
[2014/03/20 00:59] URL | FUMI #SymBCo4o [ 編集 ]


めちゃめちゃおもしろい展開になってきました!
待っててよかった!
[2014/03/20 21:18] URL | メイベルちゃんかわいい #- [ 編集 ]


今回はローラの規格外振りが凄かったですね。
海人もすごいですが、ローラもまた凄まじい能力ですね。
家事全般さらには戦闘もこなす、まさしく欠点が性格ぐらいのものですね(笑

相変わらず雫はシリルにディルステインで負けていますね。
しかしシリルの気品あるイメージが段々と崩れていってます・・・

海人はモテますね〜。刹那やルミナス、メイベルなどなど...
ローラは海人に好意を持っているからメイベルに手紙など書いたのでしょうか?それともやはりメイベルの無様な姿を見たかったから?
とても気になります...
ローラとメイベルの修羅場は凄いことになりそうですよ(笑

次回も楽しみにしています!
頑張ってください!!

[2014/03/24 20:59] URL | 高2で厨二 #- [ 編集 ]


一気にまとめて読んでしまいました。最高に面白かったです。今後の展開を楽しみにしております。
[2014/05/06 22:27] URL | osu #- [ 編集 ]


ユグドラシルの樹液…やたら稀少な物のようですが、現状必要としているのはタルトのジェルの材料としてなんですよね。
さらに、目的がメルティベリーの異常なまでの酸味を緩和もしくは相殺することなのですし、
それだったら、科学的に解決できるのでは?
海人=創造魔法という図式がクローズアップされがちですが、そもそもの本分は科学者ですから。
どれほどの酸味だろうと、果実であるなら基本はクエン酸が主な酸味の原因でしょうから、
あとは化学的にその成分に作用するような人工甘味料を精製すれば良いかなと。
ユグドラシルの樹液だろうと、結局は化学反応によって引き起こされる現象でしょうし。
実際、化粧品やら何やらを開発した前例から、薬学・生理学・化学・生物学などにも精通しているようですし、
第2章では、ルミナスの姪の治療のために薬を精製していますよね。
薬のことはシェリスも知っていることですし、製造方法は秘密にするにしても、
味を損なわず、酸味を緩和できる人工甘味料くらい作れそうに思うのですが。
妙な駆け引きや交渉で無理に入手せずとも、ルミナス的には海人が自前で用意したところで今更驚かないかなとも。

と、長々と書いてしまいましたが、この先も楽しみにしています。
[2014/06/16 03:11] URL | sunny #0DW/rr8Y [ 編集 ]


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