ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット12
 番外編56




 海人邸の厨房にて、雫が一人米を炊いていた。

 小腹が空いたのでおむすびでも、と思ったのだが、
今日は昼食の時に炊いた米が残っていなかったのだ。
 
 綺麗に洗って伏せられた米櫃を見てそれを思い出した雫だったが、
悲しいかな予定を変更する気にはならなかった。

 厨房を見渡せばパンもあり、チーズやクラッカーも置いてあるが、
それらに手を伸ばす気には全くならなかったのだ。
 
 というのも、厨房に来るまでずっと彼女の頭はおむすびで占められていたからである。
 歩きながらずっとおむすびを食べる光景を思い描き、それを原点に冷蔵庫にどんな食材が残っていたか考えていたのだ。
 今更おむすび以外の物など考えられるはずもない。

 結果、雫は時間をかけてでもご飯を炊く事に決めたのだ。
 
「ごっはん~ごっはん~美っ味しいっごっはん~♪」

 もうすぐ炊き上がりを迎える土鍋を前に、楽しげに歌う。

 鍋から噴き上がる湯気を見ているだけで、想像が広がる。

 ほかほかと炊き上がった、つやつやのお米。
 一粒一粒が綺麗に立ったそれは、そのままでも素晴らしい甘味と旨味を兼ね備えている。
 ただの白飯をがぶがぶとかっくらうだけでも、十分幸せに浸れる物だ。
 例えば、塩。

 これを全体にうっすらまぶす事で、米の甘味が更に引き出される上、
薄い塩味という極上のアクセントが加わる事で、味に奥行きが出る。
 その味わいは素朴でありながら思わず夢中になってしまう魅力があり、気が付けば三膳は平らげてしまう。

 あるいは、海苔。

 それはともすれば優しすぎる味わいの米に、香ばしさやパリパリとした刺激的な食感を付与してくれる。
 白米をそのまま巻いて食べても十分に美味いが、塩をまぶした米を巻いて食べると一際美味い。
 海苔をパリッと歯が突き通した直後に米のもちっとした食感が生じ、噛みしめれば米の甘味、海苔の旨味、
そしてほんのりとした塩味が絶妙なハーモニーを奏でる。
 あまりに美味いせいか、この間などこれだけで海苔を丸々一缶完食してしまった。

 そして極めつけが、具材入りのおむすび。

 米という素材が大概の物に合う万能性を持つがゆえに、そのバリエーションは無数。
 とはいえ味が濃い物の方が良く合うので、濃厚な物が多くなる傾向にあり、
塩や海苔、あるいはそれらの複合を純朴な味わいとするならば、これらは絢爛な味わいと言える。

 雫が特に好きなのは、具材に鮭を使い、その皮をパリパリと焼き上げた物をおむすびに添えた物だ。
 あえて皮を中に入れぬ事で、鮭の皮が持つ香ばしさを一切損なわず、かつ身の旨味も皮の裏にある油の味わいも余す事無く味わえる。
 無論他にも色々好きな具材は存在するが、これだけは別格なのだ。

 幸い、今日は冷蔵庫に一切れ鮭が余っていた。
 それも油が程良く乗った、美味そうな一切れが。
 焼き上げておむすびにすればさぞかし美味いだろう。

 その味を想像し、雫はじゅるり、と生唾を呑みこみ――――直後、こちらに向かっている気配に気が付いた。

 気配の主は、地下室から移動している。
 姉は外に狩りに行っている為、該当者は唯一人。屋敷の主である海人に他ならない。
 しかも困った事に、いつものパターンからして食事を求めてこちらに向かっているはずだ。 
 
 しかし、鮭はたった一切れ。
 その旨味を思う存分堪能する為には、二人で分けるわけにはいかない。
 更に始末の悪い事に、海人にとって鮭のおむすびはどちらかと言えば好物に分類される。
 駄々をこねれば素直に引いて別の物を食べてくれるだろうが、若干の罪悪感に加え、
姉に露見した時に苛烈な制裁が下されるというリスクを負う事になってしまう。
  
 どうにかこの状況を上手く切り抜ける方法はないか、と頭を巡らせている内に、厨房のドアが開いた。   

「おや、雫。君も腹が減ったのか?」

「……そです。おむすび作るつもりで御飯炊いてますけど、海人さんも食べます?」

 話しかけてきた主に、雫は諦観と共に訊ねた。
 
 鮭は惜しいが、リスク諸々考えると下手なごまかしはいただけない。
 そもそも、問題点は多々あれどなんのかんので自分達の為に心を砕き骨を折ってくれている主だ。
 空腹のところに鮭を進呈するぐらい、ケチるべきではない。 

 が、素直に頷くかと思われた海人は、予想外の反応を見せた。

「そうだな……とりあえず、米だけ貰おうか」

「ほえ? どういう意味です?」

「今日はどちらかと言うと卵御飯な気分なんでな」

 苦笑しながら冷蔵庫に歩み寄り、中から醤油、卵、そして漬物を取り出す。

 醤油は創造魔法で作った、元の世界の極上品。
 香り高く、旨味濃く、それでいて刺々しさが無い穏やかな味わいという逸品。
 卵も質の良い生み立ての物を昨日買って来て冷蔵保存しているので、安全かつ美味。 
 これらと米を混ぜ合わせれば、お手軽かつ絶妙な美味が完成する。
 ついでに取り出した漬物を箸休めに食べれば、後にも残らずさっぱりと食べられるだろう。

 今日の海人は、なんとなくこちらの気分だった。
 
「おおっ……! それは助かります!」

「ん? 助かる?」

「ええ、焼鮭のおむすびにするつもりだったんですけど、一切れしかなかったんで」

「ふむ……それも少しもらおうかな?」

「うげっ!?」

 主の無体な言葉に、思わずお下品な悲鳴を上げる雫。

「なに、本当に少しだ。量としては全体の一割にもならんよ」

「はあ、驚かさないでくださいよ。それぐらいなら―――」

「皮の部分だけ丸々くれれば、それでいい」

「鬼ですか!?」

 極悪非道な主の言葉に、思わず抗議する。

 確かに、鮭の皮は全体量としては一割に満たない。
 いくら脂が厚いとはいえ、身の大きさには遠く及ばないのだ。

 しかし、鮭の皮は鮭の一番美味な部位。
 皮とその百倍の量の身を比較しても、迷わず皮を選びかねないほどに美味い。

 その美味さたるや、かつて雫が姉の分の皮を横から掻っ攫おうとした瞬間拳骨で昏倒させられ、
目が覚めた時には自分の分の皮が奪われていた程。
 大人気ない、と言っていた両親でさえ、『では自分の分を上げてください』との言葉に、
無言で残っていた皮を平らげてしまった。 

 愛してくれている家族にさえそんな無情の決断をさせる、それが鮭の皮。
 身も美味いが、それでも皮がなくては鮭の魅力は一気に激減する。
 皮だけよこせなど、まさに残虐無比という他ない。

 そんな事を考えながら愕然としている雫に、海人はからからと笑った。

「はっはっは、冗談だ。鮭はいらんから好きに食べるといい」

「……うー……相変わらず意地悪ですねぇ」

 恨みがましい目で主を睨みながら、頃合いになった土鍋の蓋を開ける。

 ぶわっと一気に湯気が立ち、甘い香りが広がっていく。
 一粒一粒がつやつやと輝く米の姿は、まるで宝石のようだ。
 
 上手く炊けた米を見て雫は満足げに頷くと、海人に一杯よそって差し出した。

「ありがとう」

 受け取った飯を、とりあえず白米のまま一口味見する。

 一粒一粒が潰れず綺麗に立ち、それが心地良い食感を生み出している。
 弾力も程良く、噛むと心地良く押し返され、何度でも噛みたくなる魅力的な感覚だ。
 米の甘味も十分に引き出され、香りは言わずもがな。
 
 米の良さを存分に活性化させた、良い炊き具合だった。

「ふむ、いつもながら良い炊き具合だ」

「ありがとうございまーす。さーて、あとは少し冷ましてから焼いた鮭を握るだけっと」

 土鍋の米を米櫃に移し終えると、雫は鮭を焼き始めた。

 炊き立てのご飯は美味いが、おむすびにするには熱すぎる。
 肉体強化すれば握るにも食べるにも支障はないが、どうせなら程良い温度の方が美味い。
 今からならば、丁度鮭が焼き上がる頃には米の温度も食べやすく握りやすい温度に下がる。

 焼き上がるまで手持無沙汰ではあるが、その程度は美味しい物の為なら十分我慢できる範囲だ。 

「ふむ、冷めるまでこっちも味見するか?」

 卵御飯にした米を、雫に差し出す。
 醤油と卵でコーティングされた米の色彩が、なんとも食欲をそそる。

「御言葉に甘えまーす――――ん~♪ 卵御飯も美味しいですねぇ~♪」

 一口噛みしめ、歓喜に震える。

 卵、醤油、米。これらを混ぜただけの実に単純な物だというのに、何故ここまで美味いのか。
 しかも、海苔で巻いて食べても、白菜の漬物で巻いて食べても美味いので飽きも来ない。
 それでいて卵由来の濃厚さがあるので、満足感も強い。
 
 そんな素晴らしい味わいに舌鼓を打っていた雫だったが、直後表情が強張った。

「……こ、この気配、お姉ちゃん!? 嘘、なんでこんな早いの!?」

 ドースラズガンの森から超高速で向かってくる気配に、戦慄する。

 速度からして、姉である事に疑いの余地はない。
 あそこに生息している魔物では、この速度は出せないのだ。
 
 が、狩りが終わったにしては早すぎる。
 彼女は最近主に少しでも貢献しようとしてか、少しでも美味い魔物を狙うようになっているのだ。
 それは生息数も膨大というわけではないので、仕留めるのはともかく探すのに時間がかかる。

 たまたま早く遭遇して狩れたのだろうが、だとすると非常にまずい。
 鮭のおむすびは姉も大好物。しかも狩りの直後で間違いなく小腹が空いているはずなので、絶対に欲しがるだろう。
 雫が拒否すれば諦めるだろうが、意外に大人気ない彼女によってさり気なく夜の鍛錬がキツくなる恐れがある。

 とりあえず焼いている鮭を七輪ごと足元に隠すと、中庭の方でズシンと重々しい音が響いた。
 そして、少しして厨房の扉が開かれる。

「おや……二人共、食事ですか?」

 訊ねながら袋から解体した肉と卵を取り出し、冷蔵庫に放り込む刹那。
 さして長時間狩りに行ってなかったはずだが、結構な量があった。

「うむ、雫が米を炊いてくれたんで御相伴にあずかっている。君も卵御飯食べるか?」

「ありがとうございます。ですが……雫が足元に隠している物の方が気になります」

 海人の申し出を丁重に断り、妹に視線を向ける刹那。
 何気ない動きだが、視線が妙に鋭く迫力があった。

「な、何の事かな~……?」

「出掛ける前に冷蔵庫を見たら鮭が一切れ残っていたが、今はなかった。
お前の足元から香ばしい香りも漂っているし、てっきりそれを焼いてるんだと思ったんだがな」

「そ、そう? 気のせいじゃないかな?」

「ほう、気のせいか……ならば、お前の足元にある物が鮭であった場合、幻として拙者が食べ尽くしても問題ないな?」

「すいません、独り占めしたかったんで隠しました」

 しゅばっ、と足元に隠していた七輪を上に出す。

 これ以上余計な嘘を吐けば、姉はそれを口実に罰として鮭を全て食べ尽くしかねない。
 基本的に真面目すぎるぐらい真面目で優しい姉だが、食い意地と嘘に対する懲罰という口実が加われば安心はできないのだ。
 ならば、いっそ暴露した方が最悪でも半分に減る程度で済む。 

「やれやれ、仕方のない奴だ……横取りなんぞしないから、心配するな」

「え?」

 雫が間抜けな声を漏らしている目の前で、刹那は冷蔵庫から漬物を取り出した。
 そのまま海人の横に腰かけ、よそった米と漬物で食事を始める。

「ふむ、随分寛大だな?」

「元々、雫が食べるかと思って食べずに出かけましたので」

 海人の問いに答えながら、苦笑する。

 実のところ、見つけた時は狩りの前の軽い腹ごしらえとして鮭を食べるつもりだった。
 米は残っていなかったが、動く事を考えると米を入れない方が好都合だし、
鮭は好物なので食べたという満足感も得られる。

 が、そこで今日は昼の鍛錬で雫を少しシゴキすぎた事を思い出した。
 疲れ具合からして夕食前に空腹感が出る事は間違いなく、どうせ食べるなら好物の方が良い。
 そして見つけさえすれば好物を率先して食べるだろう。
 そう思って、手をつけずに冷蔵庫の目につきやすい場所に移動させておいたのだ。 

 それらの説明は口に出さなかったものの、それでも態度から思いやりは伝わったらしく、
雫は優しい姉を疑った罪悪感に駆られた。

「――――お姉ちゃん! あたしが悪かった! 焼けたら半分こして食べよう!?」

「構わん。好物だろう? 一切れしかないんだし、ちゃんと味わって食べろ」

「いいの! お姉ちゃんと一緒に食べるの!」

 遠慮する刹那に、涙ながらに言い募る雫。
 まさに麗しい姉妹愛。二人の容姿が美しいので、余計に見栄えがする場面である。

 ――――それを横目に見ながら、海人は思った。

(実は鮭、他にも残ってるんだがな……地下のレンジ使えば解凍もすぐだし)

 卵御飯をもぐもぐと咀嚼しながら、海人は無言で冷凍庫に視線を向けていた。 






 番外編57


 
  ドーズラズガンの森。

 海人の屋敷の裏手にあるこの森は、ある意味食材の宝庫だ。
 普通の動物こそ少ないが、生息する魔物の大半は低位で食用可能。
 生息する植物も一部の毒草などを除けば、どれも良い料理の素材になる。
 鳥型の魔物の巣もある為、実力さえあれば卵を手に入れる事も出来、更には少数ながら果物も存在する為、
前菜から食後のデザートまで揃える事も可能だ。

 が、安全に手に入るかというと、そうでもない。

「む……エンペラー・カウか」

 前方に見えた魔物の姿に、刹那が厳しい表情になる。

 エンペラー・カウは、あまり関わりたくない魔物だ。
 熟練冒険者でさえ覚悟を決めて当たらねばならぬ程高い戦闘能力に加え、
食用にならず、素材も高く売れるわけではないという利益の無さ。
 素晴らしい食材に変える仕留め方が一応存在するらしいが、
技術の詳細は刹那も知らず、また知っていたところでこの場ですぐ実践できるとも思えないので、
刹那にとっては意味がない。

 戦闘能力の方は刹那の実力なら問題ないが、碌な利益がないというのは問題だ。 
 実力的には危なげなく倒せるとはいえ、それでも危険はあるのだから。
 
(……必要な食材も狩れた事だし、気付かれる前に帰りたいところなのだが)

 そう思いながら、今しがた狩ったばかりのアッシュボアの死骸を見下す。

 そう特筆すべき味ではないが、普段食べる食材としては十二分。
 更に元々図体がでかい上に、足元に転がっているのは平均的なサイズより一回り大きい。
 大食らいが二人いるとはいえ、三人分の食材としては十分な量だ。
 これを探す過程でグランバードの卵も手に入れている為、狩りの成果としては、既に上々と言える。
 
 なので厄介事を避ける為早々に立ち去りたいところだが、そうもいかない。
 既に血抜きは終えているが、まだ解体はしていないのだ。
 これから皮を剥ぎ、内臓を抜いて処理をしなければならない。
 
 とはいえ、解体作業に移れば当然エンペラー・カウから注意が逸れる。
 無論警戒を怠る事などありえないが、それでも襲われた時には僅かながら対応が遅れてしまう。 

 それを承知でさっさと解体して肉を持ち帰るか、はたまた息を潜めてエンペラー・カウが立ち去るのを待つか。
 なかなか悩ましいところであったが―――結論はあっさりと出る事になった。

「血の匂いに気付いたか」

 呟きながら、こちらに視線を向けてきたエンペラー・カウを睨みつける。

 既に、相手は戦闘態勢に移っている。
 前脚を踏み鳴らし、突進の準備を行っているのだ。
 こちらまでの直線状には小枝だの茂みだ小さな岩だのもあるが、あの魔物を遮れる物ではない。
 小枝をへし折り、茂みを突き破り、岩を粉砕して碌な速度減衰もないまま一直線に向かってくるだろう。

 刹那は卵の入った袋とアッシュボアの死骸を脇に除けると、愛用の二本の刀を構えた。

「モオォォォォォオォッ!!」

 エンペラー・カウは嘶くと同時に、猛スピードの突撃を開始する。

 強靭な肉体由来の速度に加速魔法が上乗せされた、高速突撃。
 自身の超重量まで加わっている為、その破壊力は桁違いだ。
 回避すら難しい程の速度に加え、直撃すれば中位ドラゴンすら即死する事がある威力。
 まさに必殺技と呼ぶに相応しい突撃である。

 が、刹那はそれを見てもまるで動じなかった。

 迫りくる必殺の攻撃を、冷徹に見据える。
 微かな大地の揺れにも揺るがず腰を落とし、敵を待つ。
 油断も気負いもない、達人の名に相応しい心持で。

 そして、エンペラー・カウが刀の射程に入った瞬間、

「せいっ!」

 裂帛の気合いと共に、刹那の刀が振るわれた。

 獰猛な魔物の首に向かって、銀光が閃く。
 それは毛一筋程の乱れもなく予定した軌道を通過し、
強靭な皮膚や筋肉に守られていた首を、造作もなく斬り飛ばす。
 
 流石と言うべきか、首を飛ばされて尚魔物の体は疾駆を続けていた。
 刹那が軽やかに回避したそれは、数秒間そのままの勢いで走り続け、
やがて木にぶつかり、それをへし折りながら動きを止め、崩れ落ちた。

「……ふう」

 刹那は一息吐くと、刀に付着した血を拭い鞘に納めた。
 そして、先程脇に除けた卵入りの袋とアッシュボアの亡骸に目を移す。

「よし、無事だな。さっさと解体して帰るとしよう」

 満足げに呟くと、刹那はナイフを取り出して解体作業を始めた。

 慣れた手つきで皮を剥ぎ、内臓をかきだし、肉を切り分けていく。
 その手つきは、実に鮮やかで無駄がない。
 冒険者時代にさんざん魔物を解体した経験の賜物である。
 
 結局、僅か数分で解体が終わった。

「……肉質も良いし、なかなかの当たりだったな。海人殿も雫も喜ぶだろう」

 卵とは別の袋に肉を放り込みながら、刹那は嬉しそうに微笑む。

 アッシュボアは比較的どこでも狩れて肉質のバラつきが少ない魔物だが、それでも当たり外れはある。
 外敵が少なすぎる場所では脂が多すぎたり、逆に多すぎる場所では筋肉が固すぎて噛みづらかったり、
生息地の気温で脂のノリが変わったりと、と様々な要因で味の変化があるのだ。
 この森に限っても個体の強弱によって味が変わる為、多少バラつきがある。
 
 が、そんな中で今日の肉は当たりだ。
 脂のノリが丁度良く、身の締まり具合からして程良く柔らかく赤味の味も良いだろう。
 アッシュボアの肉が一番美味しいのは狩って一時間以内だが、
冷蔵しても三日以内ならそこそこ美味しく食べられる。

 また、にんにく醤油と少量の酒でバラ肉と野菜を焼いて丼にし、
その上にグランバードの卵の目玉焼きを乗せると堪えられない美味さとなる。

 にんにくと醤油の食欲をそそる香りと味が絡まった肉や野菜は、
それだけでも米との相性が抜群だが、目玉焼きの黄身を潰しながら一緒に食べる事で更に味の次元が上がるのだ。
 しかもグランバードの卵は黄身の味が濃厚で普通の卵よりも味わい深いので、
もう想像しただけで今から涎が出そうになる。
 
 最後にエンペラー・カウと出くわしたのは少々不運だったが、戦果自体は上々。
 そんな事を思いながら肉を袋に入れていると、近くで何やら変な音が聞こえた。

「ん……? この音は……」

 手を止め、音源に視線を移す刹那。

 そこにあったのは、エンペラー・カウの首がめり込んだ樹。
 どうやら斬り飛ばされた首は、勢いを衰えさせながらも相当な破壊力を持っていたらしく、
かなり太いはずの樹が今にも折れそうになっている。

 そして、一秒と間を置かずに樹はへし折れた。

「しまっ……!?」

 自分に向かって倒れてくる樹を見て、刹那は咄嗟に後ろに飛びずさる。 
 その直後、太い樹がその巨体を倒して刹那の眼前を粉砕していった。

「危ないとこ……ああっ!?」

 安堵の息を吐きかけた刹那だったが、そこで失態に気付く。

 後ろに飛んだ際、刹那は手に持った袋ごと飛んだ。
 なので、切り分けた肉が入った袋は無事。
 丁度全て入れ終えたところだったので、何一つ問題はない。

 ――――問題は、手に持っていなかったグランバードの卵入りの袋。
   
 それは丁度、木が倒れた軌道上にあった。
 頑丈な殻で割りにくい卵ではあるが、流石に大木の重量に押し潰されて無事でいられる程ではない。
 また現在屋敷の卵は切れており、今の時間を考えるとまた集めに行くのは無理。
 昼食に卵を使う事は絶望的だろう。

 それでも刹那は一縷の望みをかけて樹を除けるが、
案の定押し潰された卵は全滅し、袋のシミと化していた。

「…………アッシュボアの丼、目玉焼き乗せ……た、楽しみだったのに」

 最後の最後の油断をついて襲ってきた不運に、刹那はがっくりと膝をついた。



 
 番外編58






 海人は、非常に困っていた。

 ここしばらく取り掛かっていた研究は、実に順調に進んでいた。
 知人達にデータ収集を依頼し、必要なデータが全て揃い、
それを元に立てていた仮説の証明を始め、それも終了した。
 残るは、それを別の人間に発表させる為のデータ作りのみ。
 それさえ終われば、ここしばらく取り掛かっていた研究は一段落する。

 なのだが――――ここにきて、最大にして最強の障害にぶつかっていた。

 これを打破するには、尋常ならざる労力が不可欠。
 しかも真っ当な手段では解決には至らず、強引に解決しても後日更なる状況悪化が生じる。
 それどころか、場合によっては海人の命の灯があっさりと消えかねない。
 各国の諜報機関から東洋の魔王だの歩く災厄だの怨恨億倍返しだの呼ばれている彼が、である。

 素直にデータ作りを諦めれば済む話ではあるのだが、それも好ましくない。
 この研究データを渡す相手には、三日後には譲渡すると言ってしまった。 
 出所を他人に悟られない為の手配諸々を考えると、今日中に仕上げなくては間に合わないのだ。
 一応、相手はいつまででもお待ちしますなどと殊勝な事を言っていたが、
自分で言った期限を守らないのはプライドが傷つく。

 さて、どうしたものか。
 そんな事を思いながら、海人は最大の障害――――彼の妻を見つめた。

「なあ、頼むから放してくれんか? 昨日の事は本気で悪かったと思ってる。
データを作り終えてからなら、土下座でも何でもしよう。
だから一時間……いや、三十分でいいから放してくれ。
本当に、本当にあと少しで終わるんだ」

「だーめ。折角美味しい物沢山準備して待ってたのに……」

 ベッドの上で夫を抱きしめながら、エミリアは恨めし気に答えた。

 この状況の理由は、些細と言えば些細な事。
 海人が約束の日に研究室から出て来ず―――というか約束の日そのものを失念し、研究に没頭していた。
 そしてその結果、良い食材を集め、昨日最高の調理が出来る状態に調整していたのが全て無駄になってしまったのだ。
 一応今日作っても多少の劣化で済むが、劣化には違いなく最高とは言えない。

 ゆえに、その鬱憤を晴らす為研究室から夫を引き摺りだし、無理矢理寝室のベッドに押し倒したのである。
 
 とはいえ、普段なら仕方ないで済ませる。
 海人が研究に没頭するのはいつもの事だし、そういう男だと重々承知で結婚したのだ。
 腹は立つが、頭を軽く引っ叩くぐらいで気が済む。

 しかし、今回約束を言い出したのは海人の方だ。
 ここしばらく研究にかかりっきりだったから、夫婦の時間を持つ為に早めに終わらせると言ったのである。
 それをあっさり忘れられては、流石に容易には許せない。

 それこそ、作業終了目前で足止めをしてやるぐらいでなければ。

「うぬぅ……どうしても駄目か?」

「どうしても―――って言いたいところだけど、理由次第ね。
いつもは自分から約束したら一日早く上がってくるぐらいなのに、どーして今回は約束忘れてたの?」 

 拘束を少しだけ緩めながら、訊ねる。

 海人は、なんのかんので約束は守る男だ。
 自分からした約束は当然ながら、相手の都合で勝手に早められた締切も守るし、
エミリアに至ってはほぼ一方的に取りつけた約束も不可能でない限り守る。

 それが、今回は珍しく自分からした約束を破った。
 その理由は、気になるところだ。
 
 ――――もっとも質問された途端、彼が身を強張らせた事で見当はついたのだが。

「あー……実は、ほれ私が色々な研究を並行して進めている事は知っているだろう?」

「そうね。それで?」

 少しでも怒りをかわぬようゆっくり話を進める夫に、極上の笑顔を向ける。
 実に魅力的な笑顔なのだが、海人はそれを見て何故か冷や汗を流し始めた。
 
「こ、今回は一つが終わりに差し掛かっていたから、他を中断してそこに注力したわけだが、
それでもたまたま他の研究のアイデアが思い浮かぶ事はあるわけだ」

「ほうほう……それで?」

 若干どもりながらも話を続ける夫に、笑みを深める。
 それと同時に、何故かみしりと骨が軋むような音が聞こえた。

「……で、とりあえず書き留めるだけ書き留めておこうとしたのですが、
書いてたらアイデアが出てきてしまいまして……」

「ふふふ……そ・れ・で?」

 慄くあまりついに敬語になった夫に、エミリアは尚も笑みを深める。
 どこかからミシミシミシ、という明らかに不吉な音がしているが、その笑顔には一切の曇りがない。

「……ちょっとだけ、と思ってそっちに手を出したら約束を忘れてしまってました」

「有罪」

「ぎゃああああああああああああああああっ!?」

 端的な言葉と共に強まった締めつけに絶叫する海人。
 エミリアはその悲鳴にすら動じることなくなおも両手両足で夫の全身を締め付けたが、
悲鳴が弱々しくなったあたりで、ようやく海人を解放した。 
  
「んなゲーム好きな子供みたいな理由で私の下準備は無駄になったのねー。
悲しいなー、とっても悲しいなー」

「だ、だから申し訳ないと思ってると言うに……」

 わざとらしく語る妻に、体を起こしながら反論する海人。
 が、今回はあまりにも分が悪い。

「本気で申し訳ないと思ってたら、この期に及んで時間延長頼むかしらねぇ?」

「誠に申し訳ございませんでした」

 妻の眼光に思わず土下座を敢行する駄目亭主。
 それを見て、エミリアは仕方なさそうに溜息を吐いた。

「ま、しょうがないわね。条件付きなら一時間許してあげるわ」

「本当か!?」

「ええ。ただし、条件は厳しいわよ?
一つ目、終了後から三日間地下室の使用禁止。
空いた時間を使って、研究馬鹿のせいで傷ついた奥様をちゃーんと可愛がること」

「む……了解」

 一瞬躊躇ったものの、海人はすぐに頷いた。

 地下室の使用禁止は、実質的には研究作業の大半の禁止だ。
 研究設備の九割が地下にある為、地上で出来る事はあまりに限られてしまう。
 研究馬鹿の海人にとっては、かなり過酷な条件である。

 が、研究それ自体を禁止されるわけではないので、エミリアにしては甘い処置だ。
 暗に研究に思考を割く事どころか、地上で出来る範囲なら研究してもいいと言っているのだから。
 厳しい条件と言いつつも、手緩い範囲で済ませてくれていると言えるだろう。 

 それでも苦しいには苦しいが、今回の罪状を考えれば到底断れない条件だ。

「よろしい。で、二つ目―――ていっ♪」

 エミリアは海人の背後に回ると、可愛らしい掛け声と共に夫の首に抱きついた。
 そしてそのまま、言葉を続ける。

「一時間、この状態で作業する事。これを受け入れるんだったら、作業してもいいわよ」

「……ま、仕方あるまいな。もっとも、抱きつかれていると、
思わず作業そっちのけで押し倒してしまうかもしれんが」

「構わないわよ? それが出来る程度の研究馬鹿なら、そもそもこんな事になってないと思うけどね?」

「……参りました。では地下に行くとしましょうか、奥様」

 そう言って苦笑すると、海人は抱きついたままのエミリアを伴って地下へと向かった。

  






 番外編59







 口は禍の門、という言葉がある。
 何気なく言った事でも思わぬ災いを招く事があるので、
言葉には十分気をつけよという戒めのことわざだ。

 ――――ルミナスは、この言葉の意味をよく知っている。

 彼女は無駄な敵を作らぬようある程度言葉には気を付けているつもりだが、
それでもこれまでに言葉で色々と地獄を見ている。

 代表的な物だけでも、上司に苛烈にしごかれた愚痴をこぼしていたら当の本人がいつの間にか背後にいたり、
とある同僚の私生活の不器用っぷりを口の堅い部下達と話していたら、何故か後日その同僚に話が伝わっていたり、
部下の一人に気楽な調子で休暇中暇なら家に来れば美味しい物を御馳走すると言ったら、
その話が隊全てに伝わってしまったりと、色々あったのだ。

 そして、それらが招いた災いは本気で大変だった。

 上司にはそれだけ愚痴る元気があるならまだやれるわね、と問答無用で再度鍛錬に連行されたし、
同僚からは余計な事を言うなと釘を刺され、それから数日毎晩就寝直後に強烈な殺気で叩き起こされるという地味な嫌がらせをされ、
部下全員が家に押しかけてきた時に至っては買ったばかりの高価な調味料が全て台所から消え、
しばらく食事のバリエーションが貧しくなった。

 ゆえに、言葉には気をつけなければならないというのが嫌になる程身に沁みており、
部下達にも口を酸っぱくして言っている。

 が、悲しいかなそれでもやらかしてしまうのが人間。
 そしてどれほど優秀で普段迂闊な事などしない人間でも、失敗はしてしまうものだ。
 
 目の前でギリギリと歯軋りをしている副官を見て、ルミナスはそれが嫌になる程分かった。

「うががががががががっ!? こ、この根性根腐れ男! 少しは情けとか容赦とかありませんの!?」

 憎々しげに海人を睨み付けながら叫ぶシリル。

 原因は、彼女の前にあるディルステインの盤面。
 シリルの駒が盤上に一つも残っておらず、代わりに海人の駒が大量にある。
 目を覆いたくなるような無惨な状況だが、シリルがハンデをつけて戦ったわけですらない。
 五分の条件で戦い、見事に叩き潰された結果だ。
 
 ちなみに海人はディルステインをやるのは今日が初めて。
 対してシリルは六歳の時にルールを完全に覚えた熟練者。
 付け加えるならこのような凄惨な盤面は本日五回目であり、今までシリルは一度も勝っていない。
 
 なんというか、プライドを上位魔法で爆砕された気分だった。

「やれやれ心外だな? 私はちゃーんと情けをかけ、容赦をしていた。
しかし君はそれを理解した途端侮辱と言い、全力を求めてきた。
そして私は君に望まれ仕方なく、そう―――仕方なく! 全力で叩き潰した。
ゆえに私が非難される云われは微塵もないと思うんだが、どうかねルミナス?」

「ま、手を抜かない事それ自体には非はないわよね。
でもシリルが半泣きになってからも全く手を緩めなかったり、
それどころか悔しがるこの子の顔を楽しげに眺めてたりとかしてたのは人としてどうかと思うけど?」

 肩を竦めつつ、半眼で海人を睨み付けるルミナス。

 確かに、そもそもの非はシリルにある。
 折角海人が一方的にならないよう、そしてシリルに悟られぬよう気を配って手加減してくれていたのに、
それを悟って手加減を侮辱とまで言い切ってしまったのだ。
 圧倒的すぎる実力差で叩き潰されたのは、まあ自業自得と言える。
 
 が、それ以上に本気を出してからの海人は色々と問題があった。
 シリルにさえ惨敗以外の結末を与えない圧倒的かつ無慈悲な知略も無論だが、
それ以上に態度の変化が強烈だったのだ。

 それまでは突っかかる妹を軽くあしらう兄のような風情だったのだが、
本気になってからは手も足も出ない勇者を甚振る魔王の如し。
 シリルが歯噛みすれば嗤いが深まり、シリルが睨めば傲然と見下した視線を返し、
シリルの目にうっすらと涙が滲めば嘲笑を浮かべ、ともうこれでもかと言わんばかりに一方的な蹂躙を楽しんでいた。

 確かに折角封じていた本気を出させてしまったのはシリルの迂闊だが、
徹底的に叩き潰す事をこうも楽しんでいる点は、海人自身の性悪さとして非難されるべきだろう。
 
 が、腐れ外道と化した男はルミナスの言葉に悪びれもせず、白々しい言葉を返す。

「ふ、目の錯覚だろう。それとも君は、私が自身の選択を思いっきり後悔しているシリル嬢の反応や、
自分から言い出した手前今更手加減の要求も出来ない葛藤に悶える様子や、
活路を見出してもそれすら掌の上ではないかと迷いまくる姿を楽しむような腐れ外道だと思っているのかな?」

「うん」

「即答か!?」

「普段はともかく、あんた条件揃うと色々酷いからねぇ。
こないだ洗脳した連中、未だにカナールで奉仕活動してるらしいわよ?」

 即答は本気で意外らしかった海人に、ルミナスは溜息を吐いた。

 海人は大事な友人だし、基本的には良い男だと思うが問題点も多い。
 その一つが、特定状況下で発揮される外道性である。

 と言っても今回それによって起きたシリルの惨状は非常に軽い、というかお遊び止まりでしかない。

 盤面は凄惨だが、挑発して勝負を投げ出せなくなるような事もしていないし、
ただシリルが勝手に懊悩しているのを眺めて楽しんでいるだけ。
 シリルがいじけるなり怒り狂うなりで勝負を投げればそれで終わる。
 まだまだ、軽い悪ノリの範疇だ。

 比べて、以前カナールで海人に絡んだせいで洗脳された男達など悲惨そのものだ。

 前は何やらちょくちょくと悪さをしていたらしいが、今やまさに善意の奉仕者。
 毎朝町の清掃を自主的に行い景観維持に貢献するばかりか、重い荷物を持つ老人がいれば家まで荷物ごと運んでやり、
迷子を見つければ肩車して親を探してやり、変な男に絡まれている女性がいれば助けに入る。
 本当に、絵に描いたような善人に変貌しているのだ。 

 これは社会的に見れば態度の悪かった荒くれ者が改心して善良な人間に変わったという美談だろうが、
実態は人格をほぼ完全に破壊されて別人格を植え付けられたようなもの。
 海人曰く元々善良な素養があったからこそああも定着したとの事だが、
いずれにせよかつての人格が破壊されている事に変わりはない。

 それでも微細だろうが罪悪感を感じているようなら、社会的には善行と素直に評価できるのだが、

「ほう、つまり荒くれ者が減り善人が増え、結果治安の改善に繋がったと。
うむ、我ながら良い事をしたな」

 はっはっは、となんら悪びれる事なく胸を張る海人。 
 その様子には演技の色など微塵も見受けられない。

 予想通りの反応にルミナスが肩を落としていると、シリルが口を開いた。

「……無駄ですわお姉さま。友人をこれだけ甚振り弄んでも罪悪感を抱くどころかどんどん愉悦を深めていく魔王に、
人間の倫理の理解を求めるなど無謀極まりありませんわ」

「ほほう……そこまで言ったからには、どれだけ私が無慈悲に叩き潰しても文句は言うまいな?」

「うふふふふふ……こんっっだけ無惨な惨敗を繰り返している以上、もはや十敗でも千敗でも変わりありませんわ。
何度破れようとも、必ずやその傲慢を打ち砕き屈辱に身悶えさせてやります。覚悟なさいませ……!」

「意気や良し。その大言、実現できるものなら実現させてみろ」

 シリルの獰猛な笑みに不敵な笑みを返し、海人は再び駒を並べ始めた。
 

 





 番外編60



 


 その日、雫が屋敷の中庭に行くと少し珍しい光景に出くわした。

 緑豊かな樹木の下、涼やかな風が吹き抜けるそこで、彼女の主が昼寝している。
 起きている時は鋭さがあり油断を感じさせぬ顔、それが今はまるで違った。
 安らかで、どことなく人懐っこさを感じる表情。
 顔立ち自体は相変わらず鋭いが、その表情一つで随分柔らかく見える。

 ――――とはいえ、海人の安らかな寝顔自体はそう珍しくはない。

 最初に会った頃の寝顔は警戒心むき出しで、衣擦れの音一つで飛び起きそうな印象だったが、
共に暮らしている内にその寝顔を見る事は無くなってしまっている。
 また、この中庭で海人が昼寝する機会は結構多く、寝顔を見る機会は意外に多い。

 では、何が珍しいかというと、

(………お姉ちゃんまで一緒に寝てるなんて、ねぇ)

 雫は物珍しそうに海人の左で寝入る姉を見つめた。

 すやすや眠る姉は、普段の凛とした空気はどこへやら、柔らかく穏やかな寝顔を晒している。
 それは同性の雫から見てもとても魅力的で、思わず見とれてしまう。

 とても、つい二時間前まで実の妹に鬼の鍛錬を課してきた悪鬼とは思えない。
 どこをどうやれば、あの氷よりも冷たい眼光と剣閃を放つ鬼が、こんな無垢な少女のような姿になるのか。
 まるで凶悪な上位ドラゴンが愛玩動物に変貌したかのようだ。
 
 もっとも、寝顔はどうあれやはりいつもの姉である事に変わりはない。
 その証拠に、雫が近づいた途端、寝息はそのままに胸に抱いていた刀の鯉口を切った。
 害意を持って近づけば間違いなく斬撃が襲い掛かってくるだろう。
 雫には到底及ばないが、姉の察知能力もなんだかんだで鋭い。
 
 雫は溜息を吐きながら、海人の右に寝っ転がった。

(うーん、良い風だなぁ……)

 そよそよと頬を撫でる風が、心地良い。
 気温も適温で、昼寝するには良い場所だ。

 が、残念ながら雫はまだ眠くない。
 鍛錬直後に一時間ほど寝てしまい、眠気が無くなってしまったのだ。
 
(と言っても二人が起きるまでボーっとしてるのもねー……暇潰しに、海人さんの分析でもしてみるかな)

 そう思うやいなや、雫は横で眠る海人の顔を覗き込んだ。
 そのまま、まじまじと観察する。 
 
(んー……やっぱ美形なんだよねー)

 うむうむ、と満足そうに頷く。

 普段はあまり意識しないが、海人は間違いなく美形だ。
 それだけで女性が寄ってくる程ではないが、連れて歩けば少し自慢になるレベル。
 やや悪人系の顔なのがマイナス要因かもしれないが、まあ好みが分かれる程度の話だ。  

 このレベルなら、相手が余程の美女でもない限り並んで歩いて不釣合いと言われる事は無いだろう。
 仮に言われたとしても、言えるほどの顔か、と返せるし返して周囲から文句が出ない程度の顔である。
  
(性格は……うーん、とりあえず悪戯好き、かな?)

 頬杖をつき、海人の横顔を眺めながら苦笑する。

 海人の性格は表現に困る、雫はそう思っていた。

 勿論行動から言動から世間一般で言う『悪い』要素には事欠かない。
 時と場合によっては『悪い』の領域を通り越して『外道』にすら到る。
 善人と言うにはあまりに無理があるだろう。   

 が、海人は害意を向けられない限りは比較的温厚だ。
 口は悪いし態度も悪いが、冗談で収まる範疇でしかない。
 カッとなってその範疇を大きく超えてしまう事がままある『善人』より余程人間が出来ているとも言えるのだ。
 
 というか、害意さえ向けなければ、なんのかんのでこの男は御人好しだ。
 身内相手だと掃除の練習という呼称で破壊活動に勤しむ誰かさんの後始末を愚痴りつつもきっちり片し、
その後の練習を止める様子も無かったり、外部の人間相手でも腹が苦しくなってきているにもかかわらず、
メイド達の善意で差し出される料理を断らなかったり。
  
 ゆえに性格の呼称には困るのだが、それでも一つだけ断言できる。

 海人は、間違いなく悪戯好きだという事だ。
 なにしろ、御人好しな側面が出る時でさえ相手の限度を超えない範囲でからかいたがるのだ。
 ついついやりすぎて反省する事もあるが、懲りるわけではないので筋金入りだろう。

(能力は……まあ、化物だよねぇ。総合的な絶対値で比較すれば、あたしどころかお姉ちゃんも非才になっちゃう)

 そっと、溜息を吐く。

 海人の能力は、本気で人並み外れている。
 無属性防御魔法の多重起動を平然と行うが、本来多重起動は一朝一夕で身につくものではない。
 複数の術式を同時に脳裏に思い浮かべ、それに魔力を流し込みつつ維持する。
 言葉にすれば短いが、実行するには桁外れの集中力が不可欠だ。

 雫とて一応形になるまでに数年を要しているのだが、海人はせいぜい二ヶ月だという。
 しかも実戦における上位の魔法術式の多重起動さえ余裕でこなせ、
挙句その状態で戦況を把握し味方のサポートまで行える。
 
 これだけでも十二分に恐ろしい能力だが、彼の真骨頂は研究開発。
 その異常な開発能力で既存の学問の常識を破壊し、新たなる叡智を生み出す。
 そしてその叡智を活用し、更に先へ先へと一人で学問を発展させていく。

 まさしく、知の最終兵器だ。

 反面近接戦闘には弱いのだが、それでも油断できる相手ではない。
 戦略眼は優れているし、使う武器も凶悪なので一瞬の隙が命取りになる。
 海人について前知識があり、接近戦なら瞬殺できるはずの自分でさえ、油断はできない相手。
 前知識がなかったり、実力が不足していたり、まして油断なぞしていた日には絶対に勝てないだろう。
 正直、護衛なぞいらないのではなかろうかと思う事もある程だ。
  
(……こーして考えると本気で性格以外欠点ないんだよねー) 

 考えれば考える程完璧超人ぶりが明らかになる主に、溜息を吐く。

 実に頼もしいのだが、側に仕える凡人としてはちょっと癪だ。
 性格以外にも少しぐらい欠点があってもいいじゃないかと思うのである。
     
(……劣等感を刺激された八つ当たりぐらいは許されるべきだね、うん)  

 雫は勝手に自己完結すると悪戯っぽく笑い、懐からサインペンを取り出した。
 以前海人が使っているのを見て、ねだって貰った物である。

 そしてそれをすやすや眠る海人の顔へと走らせ―――

「何をしている?」

 冷たーい姉の言葉と、首に当てられた刃に硬直した。
 抜刀の瞬間すら察知できなかったあたり、姉の武技は日々進化しているようだ。

「あっはっは、海人さんにお化粧してもっとかっこよくしようかと」

「ほほう……ではその前に拙者がお前に化粧してもっと可愛くしてやろう。
さあ、そのペンを寄越すがいい」

 刀の刃を僅かに食い込ませつつ、左手を差し出す刹那。
 言葉は柔らかく聞こえなくもないが、目には隠しようもない怒気が滾っている。 
  
「う、うーん……お姉ちゃんにお化粧されるって色々な意味で怖いなー」

「かもしれんな。では、海人殿が起きたら直々にやっていただこうか。
拙者とは違い、完璧な技術でやって下さると思うぞ?」

 そう言って、ずいっと左手を更に突き出す刹那。
 そして、刃は先程よりも深く雫の首に食い込んでいる。
 もう一段階深くなれば、今度こそ出血は免れないだろう。

 もはや言い逃れも引き伸ばしも不可能。
 そう悟った雫の行動は早かった。

「逃げるが勝ちっ!」

「甘いっ!」

 妹が身を翻すよりも早く刹那は刃を返し、主に不埒な真似を働こうとした愚妹を天高く打ち上げた。
 騒ぎで目を覚ましてしまったらしい主にどう詫びるべきか考えながら。   


 



 
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