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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット13


 番外編61


 海人邸の門前。
 洋風の大きな門の横に呼び鈴代わりの銅鑼が並んでいるという、変わった場所。
 そこで、海人はリレイユの躾に勤しんでいた。

 と言っても、人は食うななどの基本的な躾は終わっている。
 トイレも自分で穴を掘って行い、終わった後はきちんと土を戻して埋めるし、
餌を食べる時も海人の待てがかかればピタリと止まってお座りし、五分でも十分でも涎を垂らしながら許可を待つ。
 海人達を乗せて飛ぶ際の指示も一通り学習し、左と言えば左に、右と言えば右に、上昇と言えば上昇し、
着陸と言えばゆっくり着陸していく。
 
 しかし、リレイユの外見を考えると、今後来る生徒達が怖がらぬよう面白い芸も仕込む必要がある。
 単純にあまり怖がらせたくないというのもあるが、もし生徒がリレイユを見た時に萎縮し、
それが尾を引いてしまうと授業効率に悪影響が出てしまう。
 教師として、それは放置できない。 
 
 短期間で要求が大きくなってしまうのが哀れではあったが、
やらないわけにはいかなかった。

「そうだリレイユ! いいぞ!」

 少しずつ、少しずつ、慎重に爪を動かしているリレイユに声を掛ける海人。

 仕込んでいる芸は、御茶汲み。
 超絶的なまでのリレイユの器用さと賢さと魔力を活用した、ある種究極の芸。
 急須に茶葉を入れ、魔法で水を出してブレスで適温に加熱し、風の魔法で動かして注ぎ、蓋をする。
 そして一分間蒸らした後、用意された湯呑に濃さが均等になるように注ぎ入れる。

 人間ならそれほど難しくない作業だが、リレイユがやるのは殆ど拷問だ。
 
 まず、体の大きさ。
 あの巨体で人間用の急須や湯呑を使うのは、相当な難行だ。
 実際、リレイユは何度も何度も急須を落とし、湯呑に注ぎ損ねている。

 次いで、力の強さ。
 そもそもプチドラゴンは馬鹿力だ。
 しかも強大な腕力と鋭い爪で獲物を引き裂く事が日常なので、手加減も慣れていない。
 実際、リレイユは何度も茶筒を破壊し、急須の蓋を砕いてしまっている。

 そして、魔法の使用。
 絶大な魔力を持つプチドラゴンだが、仕込まれない限り魔法は使用しない。
 野生で一匹生き抜くには肉体強化とブレスで十分だからだ。
 リレイユは賢さゆえに術式盤で人間用の魔法を使わせる事は容易だったのだが、制御に難があった。
 水を出したは良いが、水球がそのまま地面に落下、風の魔法で遥か彼方に飛んでいく、
ついでに火力制御を誤って水球が消滅という事も何度かあった。
 
 だが、幾度も失敗を繰り返した末に、リレイユは湯呑に茶を注ぐ所まで順調に進めるようになった。
 動きはスムーズ、茶の濃さも見事に均一。
 この短い間に、拍手喝采すべき素晴らしい成果。  

 しかし――――唯一度成功しただけでは、意味がない。

「これで三回目、これが成功すれば終わりだ! 頑張れ!」

 そう叫ぶ海人の前で、ついに三回目の御茶が淹れられた。
 海人は湯呑を受け取り、味を確かめる。
 
「―――よおおおおおしっ! よくやったリレイユ!」

 褒めて褒めて―、とばかりに鼻先を突き出してきたリレイユの頭を撫でてやる。
 心なしか、リレイユの表情が誇らしげに見えた。

「ふっふっふ、これだけ出来ればよもや怯えられる事はあるまい」

 リレイユを可愛がりながら、不敵な笑みを浮かべる。

 プチドラゴンの巨体を懸命に制御し、人間並みの手つきで御茶を淹れる。
 これほど素晴らしい芸は他に類を見ないはずだ。
 生徒も最初は怯えるかもしれないが、これを見ればそれはかなり緩和されるだろう。

 しかも、リレイユに仕込んだ芸はこれだけではない。
 屋敷の前に客が来たらきちんとお辞儀をするようにもしてあるし、その後呼び鈴代わりの銅鑼を客の前に出すようにしてもあるし、
それでも怯えが抜けないようであれば『私は大人しいですから、怖がらなくて大丈夫ですよ』という看板を出すようにし、
最後にはこの御茶汲みの芸。
 
 ここまでやれば、もはやリレイユがマスコットとして可愛がられてもおかしくないのではないか、
思わずそんな自画自賛をしてしまう程に、海人は上機嫌だった。

 そんな――――思いっきりはしゃいでいる主の背後で、刹那は密かに苦悩していた。

(……や、やはり言えん……今更無理だと思いますなどとは……!) 
 
 心の中で、思いっきり頭を抱えてぶん回す刹那。

 実のところ、刹那はこの躾が始まる前から怯えられない可能性は皆無だと考えていた。
 なにしろ、プチドラゴン。生半可な練度の軍隊など、山盛りの食事と大差ない怪物だ。
 しかもその姿は美しくも威圧感に満ち溢れ、仮にその正体を知らずとも一目で気圧される事請け合い。
 海人の生徒達はなまじ腕が立つ分その脅威もより強く感じてしまう事は想像に難くなく、
どう前向きに考えても怯えられない未来は想像できなかった。

 しかし、それを言う事は憚られた。

 海人は久しぶりのペットの躾だからか、えらい楽しそうだった。
 リレイユが何度失敗しても諦めず、芸を教えて見守り続けた。
 リレイユもリレイユで抗議する様子もなく、ただ主の命をこなそうと頑張っていた。
 そんな主従の頑張りに水を差す事は、どうにも躊躇われたのだ。 
 
 が、今は最初に止めておけばよかったと後悔している。

 正直、刹那はリレイユが御茶を淹れられるようになるとは微塵も思っていなかった。   
 確かに器用だし賢いが、あの巨体でそこまで出来る光景が想像できなかったのだ。
 そして、この御茶汲みの芸までに仕込んだ看板を見せる芸だのなんだのは、リレイユの賢さと器用さであっさりと習得していた。
 失敗しなかったわけではないが、犬にお座りを教える方がまだ大変に思えるぐらい順調だったのだ。
 ゆえに御茶汲みの芸は途中で諦めるだろうし、そうであれば成果が出なくとも多少落ち込むぐらいで済むだろうと考えていた。

 しかし、この主従は刹那の予想を必死の頑張りで覆した。
 海人は細かく色々と指示を出し、それがリレイユに伝わりやすいよういろいろ工夫していたし、
リレイユは無茶苦茶にも程がある要求に少しでも忠実に従おうと頑張って、達成したのだ。
  
 これでいざ見せた時に効果がなければ、海人は相当へこむだろう。
 リレイユにあれだけ頑張らせた挙句成果がないとは情けない、と。

 当然、今から刹那が駄目だと思うと言っても、時既に遅し。
 言われた段階で微妙に傷つきながらも認めず、その後現実となってその通りだったと落ち込む。
 下手をすれば、黙ったままよりもダメージが倍加するかもしれない。
 
 刹那が自らの判断ミスを心底後悔していると、海人が話を向けてきた。 
 
「っと、刹那。君も夜中まで長々付きあわせてすまなかったな。
代わりと言ってはなんだが、今度カナールに行った時は好きな店で奢ろう」

「い、いえ! これも護衛としての務めですからお気になさらず!」

 主の気遣いを全力で断る刹那。

 普段の彼女なら断るにしてももう少しやんわりと断るところだったが、今はその余裕はない。
 主がへこむのを予見しながら見過ごした挙句、御褒美を受けるなど問題がありすぎる。
 何としてでも断らねば、その思いで一杯であった。

 が、海人はそんな刹那を無自覚に地獄に突き落とす。

「そうもいかんさ。君には早朝の鍛錬もあるのに付きあわせてしまったんだしな。
ま、気にせず受けておけ。というか、反論は認めん。
では、屋敷に戻るとしようか。おやすみ、リレイユ」

(ほ、本当にいいのです! ざ、罪悪感が! 罪悪感がぁぁぁぁぁっ!?)
  
 本当に反論の暇も与えず歩き始めた主の背に向かって、刹那は心の中で絶叫した。







 番外編62



 
 海人は、厨房で釜を使って米を炊いていた。

 今日は急遽ローラが朝食を食べていく事になったのだが、
彼女が満足する量を提供する為には今朝用意していた分では足りない。

 本音を言えば地下で創造魔法を使って手軽に炊飯器で炊きたいところだが、どうしても味が落ちてしまう。
 下手が炊けば炊飯器の方が美味い事も多いのだが、悲しいかな海人は慣れているわけではないが、
幼い頃母に仕込まれ、成長してから美食家な妻に教えられ、という経験のおかげでそこそこ上手く炊ける技量がある。

 付け加えれば地下は工事中で、あそこで炊飯器を使うとロボットの作業に影響が出てしまう事もあり、
炊飯器を使うという選択肢はなかった。
 
 それでも薪による火力調整は面倒だし暑いのだが、ローラも食べる以上、我慢すべきだろう。
 なにやら米の味に期待してもいるようだったので、失望させるのは心苦しい。
 
 汗を掻いた甲斐があり、しばらくして蓋を開けると艶々と綺麗な米が現れた。
 それをしゃもじでかき混ぜ、おひつに移していく。

 米をおひつに移し終えた後、海人は中庭にテーブルとそれに合わせた椅子を運び始めた。
 一応中庭にも備え付けのお洒落な物があるのだが、あくまで御茶用で食事用ではない。
 ローラの食欲を考えると、備え付けのテーブルでは小さいのだ。
  
 そして彼が最後の椅子を中庭に運び終えるとほぼ同時に―――背後でズシンと重々しい音が響いた。

 慌てて振り返れば、そこには粛々と一礼するローラの姿。
 その横には、パンパンに膨れた巨大な袋と六個ほどの小さな卵が置かれている。

「ただいま戻りました。帰る途中でアッシュバードの巣がありましたので、卵も幾つか調達して参りました。
それと肉はこれの三割ほど差し上げようと思っているのですが、よろしいですか?」
  
「私一人でそんなに食えるわけなかろう。まあ、冷凍すれば一割ぐらいはいけるだろうが……」

 ローラの隣にある袋を見て、呆れたような声を上げる海人。

 それもそのはずで、ローラの横にある袋は彼女の背丈よりも大きいのだ。
 三割は当然ながら、冷凍含めて一割というのも少食な海人としては見栄を張った量になる。 

「承知いたしました。ですが、冷凍すると味が落ちますのでお勧めは出来ません。
最低でも一週間分は冷蔵庫での保存をお勧めいたします」 
 
「分かった。そうさせてもらおう。では、少し待っててくれ。今から料理―――」

「それにはおよびません。私が料理を作りますので、どうぞごゆっくりお待ちください」

 再び厨房に向かおうとする海人を呼び止め、ローラは恭しく椅子を勧めた。

「いや、流石に客に料理をさせるわけにはいかんだろ」

「本日の用件は本来、お詫びです。
多少材料を提供するとはいえ、そこで御馳走になるというのも心苦しいものがあります。
どうぞ、お任せくださいませ」

「はあ……分かった分かった。それと、冷蔵庫にある材料は好きに使って構わんぞ。
稀少品もかなり混ざってるかもしれんが、気にせず使ってくれ」

「かしこまりました。では、今しばらくお待ちください」

 淑やかに頭を下げると、ローラは厨房へと向かった。










 少しして、中庭。
 海人とローラの間にあるテーブルには、朝食にしては豪勢な料理が並んでいた。
 
 と言っても、料理自体は割とシンプルだ。
 数種のキノコのバターソテーや、葉っぱ物主体のサラダ、オムレツなどである。
 バターソテーにこの国では希少な醤油が使われていたり、サラダに最高の状態に熟成したチーズが使われていたり、
オムレツに白トリュフがたっぷりまぶしてあったりはするが、調理法自体は実に一般的だ。
 
 素朴だが実に美味そうな料理を、海人は興味深そうに見つめた。
 そしていただきます、と手を合わせると早速料理に手を伸ばした。 

「……どれも美味いな。大した腕だ」

 一通りの味見を終えると、海人は感心したように呟いた。

 御世辞ではなく、どれも良い味だった。
 キノコのソテーはバターの香りに潜む僅かな醤油の香りが良いアクセントになり食欲をそそるし、
サラダもチーズの濃厚さに負けると思いきや、絶妙な量の加減と混ぜ具合で濃厚でありながら軽く感じ、
オムレツは噛むと白トリュフの力が沸き立つような素晴らしい香りが口に広がり、
それが絶妙の火加減で引き出された卵の滋味と相まって至福の味わいになっている。 

 そして全てに共通する事だが、食欲をかきたてる味わいでありながら、
後味が軽く他の料理を味わう邪魔をしない。
 あくまでもこの後に控えているであろう、脇に置かれている大量のステーキ肉の前菜に留めてあるのだ。
 
 冗談抜きに、プロ並みの腕前であった。
  
「色々と面白い素材がありましたので、少々張り切ってみました。
言われた通り遠慮なく使わせていただきましたが、よろしかったでしょうか?」

「別に問題ない。補充のルートはあるんでな」

 若干気遣わしげに見つめてくるローラに、海人は軽い調子で返した。

 現在冷蔵庫に入っている食材は、どれも創造魔法で作られた物ばかり。
 つまり、海人の魔力が許す限りいくらでも量産が可能だ。
 一度当たりの魔力消費が激しいのが難点ではあるが、まとめて作れば節約も可能。
 
 また作ればいい、海人にとってはその程度の話でしかない。
 だが、創造魔法の事を知らない人間から見れば、怪しい事この上ない話だ。

「……自分でやっておいてなんですが、
これだけ使われても気にならない補充ルートとやらが非常に気になりますね」

「ま、私にも色々と秘密があるんでな。そのうちの一つだと思ってくれ」

 疑わしげに見つめてくるローラに、不敵な笑みを返す。
   
 そのどこか楽しげな笑顔を見て、ローラは詮索を諦めた。
 茶化してはいるが、あれは完全に話す気がない顔だ。
 仮にローラがこの場で色々推測し真相を当てたとしても、肯定はしないだろう。

 そもそも詫びで来ているので、海人の気分を害する事は避けるべきだ。
 だからこそ、今回使った稀少材料も醤油を除けば今食べるのが最善の物しか使っていないのである。
 本当なら、もっと派手な悪戯心を出してみたかったというのに。

 とはいえ、それでも気になるものは気になる。
 なので最後に少しだけ、押してみる事にした。
 
「いずれ、その秘密を明かしていただけるぐらいの関係になりたいものです」

「はっはっは、君の事は気に入っているが、それは無理だろうな。
かなり重要な秘密だから、明かすとすれば本当に近しい身内だけだ」

 探るように見てくるローラの言葉を、海人はあっさりと否定する。

 創造魔法は、海人の秘密の中でも重要度が非常に高い。
 なにしろ、数百年に一人という超稀少な才能。
 公になれば静かな生活は消し飛ぶこと間違いなしだ。
 
 ついでに言えば、特にローラには絶対に知られたくない秘密だ。

 彼女は海人が作れる武器の事を多少知っており、それが自分達を殺害しうる凶悪な品々だという事も分かっている。
 先日一応海人側から敵対しない限り敵対しないという契約は結んだが、
彼女の性格を考えると己の矜持を投げ捨ててでも海人を殺しにかかる可能性が否定できない。  

 元より誰にも知られるわけにはいかない秘密だが、特にローラは警戒せねばならない。

 例え、色々な意味で親近感がある相手でも。
 立場次第ではこの上なく仲良くなれるかもしれない相手でも。
 彼女が珍しく浮かべている明確な落胆の表情に罪悪感を煽られても、だ。

 現在の生活を守り抜く為には、創造魔法の秘密保持は絶対条件。
 海人は、改めてそう肝に銘じた。

 ――――海人は、知らない。

 決意を新たにした現在からさほど時をおかず、ローラに発覚してしまう事を。
 その原因となる新たなる身内によってもたらされる、災難とそれ以上の幸福を。
 創造魔法の発覚がなくとも、自らの天運によって静かな生活が脅かされる事は数多いという事を。   
 
 まだまだ続く自身の波乱に満ちた運命を、この時の彼は知る由もなかった。
  

  




 番外編63





 唐突だが、宝蔵院刹那は学がなかった。

 と言っても、冒険者としては別に珍しい事ではない。
 趣味人や学者、あるいは人の上に立つ役職を目指しているならともかく、
彼女のように細々と流れの冒険者で稼いでいる人間にはあまり学問の必要性が感じられない。
 日々の買物の計算と読み書き、後は魔物に関する知識さえあれば、十分と言えば十分なのだ。

 ついでに言えば彼女の場合、学習意欲旺盛な妹が植物などに関連する知識が豊富だったため、
採取系の依頼を受ける時でも特に困った事が無かったというのも大きい。
 一応妹ばかりに負担はかけられないと学ぶ姿勢は見せていたが、
切羽詰まっていなかった為か学んだ時間と成果は御世辞にも比例していなかった。

 それが一変したのは、初めて海人と共に仕事に行った時。

 諸事情でより効率の良い学習方法を試したいという彼の提案に従い、
森に自生する植物について教わった時の事。
 教え方自体が素晴らしく上手かった事と凶悪な罰の恐怖により極限まで能力を引き出された為に、
かつてない速度で植物の名前と効用などを頭に叩き込めた。
 途轍もなく怖い思いをしたし、二度と同じ手法でやりたいとは思わないが、
後になっても覚えた事が頭に残っているのはなかなか良い気分だった。

 そして今――――刹那は勉強を楽しんでいた。

「……とまあ、中位光属性魔法の構築理論に関しては概ねこんなところだな。
分からない所とか気になる所はあるか?」

 海人が、目の前にいる刹那に訊ねる。
 口調は軽いが、その目は真剣そのもので嘘を言ってもすぐ見抜いてやると言わんばかりだ。

「いえ、ありません。御指導ありがとうございました」

 ぺこり、と頭を下げる。

 実際、海人に解説されて分からない所は無かった。
 暗記しなければならない部分は未だに苦手だが、理屈がある部分は海人の教え方が分かりやすい為、
割とすんなり理解できる。
 魔法学関連はなかなか複雑で大変だったが、彼は極力分かりやすいよう噛み砕いて説明してくれたし、
それでも駄目な時はどこが分からないのか丁寧に聞きだし、より分かりやすい説明をしてくれた。

 それも、刹那が理解できるまで何度も何度も。
 決して怒る事もなく、呆れる事も無く、馬鹿にする事も無く、穏やかに。

 最初のあれはなんだったんだ、と思わず半眼になってしまう。

「……どうした?」

「いえ、非常にお優しい授業ですので、最初の地獄はなんだったんだと思いまして」

「あれはあくまで緊急用の、手段を選ばず習得する為の手法だからな。
普段からあそこまで苛烈にやるわけなかろう。というか、あれが毎日だったら流石に逃げるだろう?」

「間違いなく。いつ発狂するか分かりませんし」

 迷いなく断言する刹那。

 最初の授業、あれはまさに地獄だった。
 覚えれば罰は無い、しかも間違えても三回までは許されるとはいえ、罰があまりにも苛烈すぎる。

 初期に行われたツボ押しは痛みに耐性のある自分ですら悲鳴を堪えられぬ激痛。
 それまで優しく教えられていただけに、落差も凄まじく、最初は身も蓋もなく絶叫した。
 動じる事が少ない雫でさえ、驚きのあまり呆けていた程に。

 しかし、これはまだ良かった。
 最初こそ抑制不可能だったが、何度も繰り返されている間に悲鳴は堪えられるようになってきた。
 無論痛み自体は変わらなかった為、教えられた内容は必死で覚えたが、まだマシだったのだ。 
  
 その後まだ効率が悪いと判断された後のくすぐりは、本気で地獄だった。

 最初に触れる手つきは、柔らかく優しかった。
 肌の表面、それも産毛の先端のみを狙うかのような、繊細な力加減。
 ひょっとしてさりげなく変な所に触れる為に油断させているのでは、と少し警戒してしまった程だ。

 ――――その方がまだ良かったのではないか、今ではそう思う。

 数秒後から始まった本格的なくすぐりは、まさに生き地獄。
 繊細な触り方で敏感になった肌を絶妙に刺激する事で引き起こされる笑いは、呼吸すら難しくなる次元。
 どんなに逃れようとしても力が抜け、代わりに笑いが込み上げてくる。
 ここをこれ以上くすぐられては危険だと反射的に別の箇所を生贄に差し出しても、今度はそこが危険地帯に変わってしまう。
 ならばいっそ海人を殴り飛ばして逃れたいところだったが、力が抜ける上に笑いで狙いが定まるはずもなく、不可能。
 終わる頃には、気力など根こそぎなくなり立ち上がる事さえ難しくなっている。 
   
 あれと同じ手法の授業を毎日となれば、刹那は確実に逃げただろう。
 そうでなければ、冗談抜きに発狂死しかねない。 

「そんなヘマはせんがな。ま、学問に限らずどんな事でも楽しくやるのが一番だ。
戦々恐々としながら学ぶなんぞ、それこそ最後の手段だろう」

「はい。まったく同感です。付け加えますと、罰にも愛が必要だと思います。
一番効果的だからと言ってくすぐりを乱用するのはいかがなものかと―――」

「それは却下だな。罰ならば本気で恐れてもらわねば意味がない。
愛が必要というのはその通りかもしれんが、そこは同じ間違いをしないようにという心遣いで十分だろう」

「うぐ……」

「ま、授業でやるつもりはないからその点は安心していい。
それに、大概の分野の基礎的な内容はほとんど終わっているから、
近い内に忘れてないか定期的に確認するだけになるだろうしな」

「え……? あの、よろしいんですか?」

「言っただろう? どんな事でも楽しくやるのが一番だ。
君は勉強が苦手みたいだし、基礎的な物さえ一通り身につければ無理にする必要はないさ」

 穏やかに笑う海人。

 これは、完全な本音だ。
 最低限必要な物さえ身につけていれば、別に無理に勉強をする必要はない。
 刹那の場合であれば体を動かす方が得意で好きなようなので、それをすればいい。
 護衛としての仕事にも適っているのだから。

 が、刹那は海人のそんな提案をおずおずと断った。

「お気遣いはありがたいのですが、勉強は続けたいと思います」

「む? 何故だ? 現状でもどこに行っても恥をかかずにすむぐらいの知識は身についているはずだぞ?」

「……拙者がやめても、雫は勉強を続けたがるでしょう」

「……なるほど」 

 不貞腐れたような刹那の言葉に、思わず苦笑する。

 雫はとても勉強熱心で、教え甲斐のある生徒だ。
 それだけに知識の吸収率も高く、現時点でも姉の数十倍の知識を蓄えている。
 この状況で刹那だけ勉強を止めたら、彼女はここぞとばかりにからかいにかかるだろう。
 姉としての威厳とか尊厳とかを思いっきり蹴っ飛ばすような方向で。
  
 それを考えると、確かに刹那は勉強をやめるわけにはいかない。
 
「海人殿には御面倒をおかけしますが、引き続きご指導いただければと思います」

「そうかしこまらずとも構わんよ。どうせ時間はあるからな。
ただ、特に学びたい内容があれば言ってくれ。その方が楽しいだろうし、教えやすいからな」

「承知しました」

 軽い口調で語る主に、刹那は恭しく一礼する。

 ――――実のところ、雫の事は口実に過ぎない。

 学がないのは事実だしからかわれるのは腹立たしいが、それだけでもある。
 あれで刹那の許容限度を超える事は無いので、いつもの騒がしい日常が続くだけだ。

 それをあえて苦手な勉強をしたい申し出るのは、非常に明快な理由があるのだが、

(……本当に、鋭いようで鈍い御方だな)

 自分がどれほどこの時間を楽しんでいるか理解していない主に、刹那は思わず苦笑した。






 番外編64





 ルミナスとシリルは、部屋の入口でぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
 何事もなかったかのように背後から刹那と雫が先に行くが、それに気付いた様子すらない。

 今彼女達がいるのは、海人の屋敷の大浴場。
 元々使用人を含めて何十人単位で住まう屋敷である為、かなり広い。
 石造りの殺風景な風景に加え、この浴場は住人の都合上最大でも四人しか使用しない為、
入ると一種の侘しささえ感じていた程だ。

 ――――そう、感じて『いた』のである。

 現在の浴場は、広さは変わらないが侘しさなどまるで感じない。
 天井や壁に檜が張られた室内は、光の魔法の明かりに照らされる事でなんとも言えぬ温もりを醸し出している。
 また石にはありえぬ木材独特の香りがほのかに漂い、これがまた心を癒す。
 
 今のこの浴場なら、仮に一人で入っても侘しさは感じないかもしれない。
 むしろ、この空間を独り占めできるという優越感に浸る可能性さえある。
 
 素晴らしい改装、そう断じて問題ないだろう。
 なにせパッと見は気付きにくいが、作っている技術にも妥協がない。
 部屋全体を見渡しても、木目や色彩が完璧なまでに調和している。
 床面に使われている石材すらも見事に溶け込んでおり、この浴室自体が一種の芸術作品だ。
 
 ―――――問題は、どうやってこの改装が行われたのかだ。

 材料は、問題ない。
 海人の創造魔法がある以上、ここに使われている建材は全て即座に調達できる。
 節がないなど高級感たっぷりだが、調達の費用も時間も皆無だ。

 しかし、誰がこの大工事を行ったのかは疑問だらけだ。

 最初に浮かんだのはシェリス。彼女の人脈は、この上なく広い。
 貴族は勿論、才に優れた商人、腕利きの職人、果ては高品質な材料を生産する農民まで、
この国はおろか他国の優秀な人材にまで縁を繋いでいる。
 常識的な最有力候補と言えるだろう。

 だが、いかな彼女といえどこのような浴室を作れる職人の伝手は無いはずだ。
 最近は多少文化が入ってきているが、それでもヒノクニは海を大きく隔てた位置にある。
 そしてこの形式の風呂はヒノクニの上流階級で愛用されている物だが、この大陸では知る者すら少ない。
 当然、職人がこの大陸に来ている可能性も極少だし、仮に来ていたとしても出会える確率はさらに低くなる。
 いかなシェリスとはいえ、そんな伝手があるとは思えない。
 
 次に考えたのは現在目の前で魔法で湯を張ってから暢気に体を流している姉妹。
 ヒノクニ出身らしいので、作れる可能性はある意味シェリスが職人の伝手を持っている可能性より高いかもしれない。
 
 が、常識的に考えればどちらもこんな物を作る技能があるとは思えない。
 どちらも優れた武人なので、余技にこんな技を習得しているとはとても思えないのだ。
 また、刹那は失礼な話ではあるがおよそ生産的な事に向いているように見えないし、雫も器用で何でも如才なくこなしそうではあるが、
それだけにこんな職人技を習得しているとは思えないという事もある。

 となれば、残るのは当然唯一人。
 研究者と自称し、実際研究においては他の追随を許さぬ能力を誇る怪物。
 それでありながら、余技として家の修理やら家具やら色々作れる能力まで兼ね備えた怪人。
 歩くびっくり箱、意志を持つ理不尽、人の形をした不条理、それらの表現ですら生温い出鱈目男。

 今は自室でのんびり茶でも飲んでいるであろう、この屋敷の主しかいない。   

「……えーっと、一応確認するけどカイトの仕業よね?」  

「あっはっは、まだ何も話してないのに一応確認とか言われちゃうあたり、
海人さんも大概ですよねー」

「まあ、仕方なかろう。常識外の事があったならまず海人殿に目を向けるのは、
あの方を知っている人間なら当然だ」

「あら、ではこれの犯人は違いますの?」

 姉妹のやり取りに、苦笑しながら訊ねるシリル。
 返答の内容は、確信しながらも。

「や、その通りですよ。でも、もう少し驚いてもらえると思ったんですけどねー。
シェリスさんに比べると反応がいまいちです」

「ああ、シェリスも知ってるのね……でもまあ、当然じゃない?
なんだかんだで私とシリルはカイトと長く一緒に暮らしてたわけだし」

「ですわね。いちいち驚いていたら身が持ちませんもの」

 つまらなそうに唇を尖らせる雫に、さらりと返すルミナスとシリル。

 二人がシェリスと比べて反応が薄いのは、ある意味当然の事。
 なにしろ一つ屋根の下、それもこの屋敷よりはるかに狭い場所で共同生活を送っていたのだ。
 必然的に交流は密になり、それに比例して彼の非常識極まりない能力への慣れも大きくなった。

 最初は思いっきり驚いていたし、今も驚いている事に変わりは無いが、
海人だし、という軽い言葉であっさり流せるようになっている。

 二人にとっては、仕事から帰ってきたら何故か浴室が職人技で作られた芸術作品と化している事ぐらい、
大騒ぎする程ではない。

「うーん、流石に付き合いの長さが違いますねぇ……」

「どーせ貴女達もすぐにこうなるわよ。カイトの出鱈目は基本的に益はあっても害は無いんだから、
細かいこと気にせず楽しみゃいいの」

 しみじみと呟く雫に、あっけらかんと返すルミナス。
 
 海人との付き合いを楽しむ一番のコツは、慣れだ。
 海人という男は性格はねじくれてはいるし、状況次第で魔王も裸足で逃げ出すド外道と化すが、普段は割と真っ当だ。
 平時なら自らの出鱈目で積極的に誰かに仇を成す事は少なく、むしろ利益をもたらす事が多い。

 ルミナスの家の修理は早さと精度に驚かされただけで完璧な仕事をしてくれたし、
以前シェリスに譲ったという新魔法も彼女の常識を爆砕したものの後に彼女の命を救い、
一度発揮した商才もその優秀性ゆえに周囲に驚愕を与えたものの、金に困っていたゲイツを救い、
近場で商売していた屋台の店主達の商魂に火をつけている。

 つまるところ、彼の出鱈目によって引き起こされる被害は主に勝手に周りが衝撃を受ける事であり、
彼自身に悪意は無く、結果を見れば善行に終わっているのだ。

 ゆえに慣れて細かい事を気にさえしなければ、その恩恵を十分に楽しめるのである。
 
「うーん、確かにそうかも。
なんだかんだであたしらもだんだん慣れてきてますからねー」

「慣れ始めてるの実感してきてるなら早いと思うわよ?
ところでシズクちゃん、さっきから持ってるそれ何?」

 雫の手にある四角い物を見て、首を傾げる。
 振るたび何やら音がしているので中に何かが入っているのは分かるものの、正体の予測がつかない。
 表面になにやら見覚えのない文字らしき物が書かれているが、まるで読めないのだ。

「ふっふっふ、これですか? これは素晴らしい物ですよ」

 言いながら雫は手元の袋を引き裂き、中身を湯船にぶちまけた。
 そして、湯船を移動しながらゆっくりとお湯全体をかき混ぜていく。

「あら、良い香りですわね。なかなか好みですわ」

「でしょ? でも、これの本領はお風呂上がってからなんですよ」

 うっふっふ、と不敵に笑う雫。
 この袋の中身はお湯に良い香りを付けるが、それだけではない。
 むしろ、それは副次的な効果にすぎないのだ。 

「ん? どういう事?」

「まあ、論より証拠と言います。
しばらく浸かってから上がればすぐに分かりますので、その時のお楽しみの方がよろしいかと」

「へえ~? 面白そうね、そんじゃしばらく話でもしてましょっか」

 刹那の言葉に、ルミナスは軽く頷くと話題を他愛もない雑談に変えた。
 流石女性四人というべきか、そこから次から次に話題が派生し、
雫が使った袋の事など記憶の片隅に追いやられていく。
 
 ――――そして一時間後、ルミナスとシリルは驚愕する事になる。

 湯船から上がってすぐに気付いたのは、しっとりと艶を増した自らの肌。
 普段よりもさらに弾力が増し、触っていて心地良い感触だ。
 浴場を出てタオルで体を拭いても、その感触は健在。
 
 それが雫の入れたあの袋によるものだと気付くのに、時間はいらなかった。

 そして刹那達にそれは常備されている物だと聞かされ二人は驚き、歓喜した。
 これほどの美肌効果、金をいくら金をかけても望めるものではない。
 特にシリルの喜びようは凄まじく、喜色満面で飛び跳ねていた。
  
 もっとも――――『ツヤツルちゃん』という入浴剤の名前を聞くまでの話ではあったが。 








 番外編65





 ルミナスの家の一室。
 そこで、海人は魔法の研究を行っていた。

 やっているのは、無属性魔法の改良。
 と言っても、既に改良自体は幾度となく行っている。
 発動時間、固体化した魔力の強度の向上、消費魔力、どれも既存のそれより飛躍的に性能を向上させた。
 とりあえず、シェリスの屋敷で読んだ本の著者を絶望させられる程度の成果は上げているだろう。

 が、まだ足りない。 
 脆弱な海人が自衛する為には、この程度では不安が残る。

 なにせ元々肉体的に貧弱な上に、海人が使える魔法は創造魔法と無属性魔法のみ。
 創造魔法で作った近代兵器は実用的だが、どこに人目があるか分からない以上迂闊には使えない。
 ゆえに、普段は無属性魔法と魔力砲を併用した戦闘スタイルを主とせざるをえないのだ。
 
 無論、今でもそこらのチンピラ相手なら問題ない。
 海人の障壁は最低レベルの強度でもその程度の輩には破れないし、
時間さえ稼げればその程度の連中は魔力砲でどうにでもできる。
 
 問題は、一定水準以上の武人に襲われた場合。
 そうなると、障壁が破られたり障壁形成より攻撃到達の方が早い可能性も出てくる。
 仕留める事自体は魔力量任せの回避不能な大規模範囲砲撃で可能だろうが、
そもそも攻撃の機会が与えられない可能性が高くなるのだ。

 その水準となると身近な所ではシェリスのメイド級以上になるし、
そのレベルの使い手はそう多いものではないとも聞いているが、
やはり改良を進めずにはいられない。

「とはいえ……そろそろ限界か」

 ふ、と溜息を吐く。

 この場所での研究は、そろそろ頭打ち。
 これ以上研究を続けても、かけた時間に見合う成果は得られないだろう。
 惰性で研究しているわけではなく案は幾つもあるのだが、現実的な限界が見え始めているのだ。

(……コンピュータ―無しは流石に、なぁ)

 少し前に今度住まう予定の屋敷で使用した器具に思いを馳せる。

 この世界に来て研究を始めて以来、海人はつくづくコンピューターの便利さを思い知らされていた。
 研究開発に必要な膨大な計算をあっという間に行う計算力。
 考えた案を全て箱一つに収められる膨大な記録力に、記録した情報をすぐに引き出せる検索機能。
 プログラムさえ組めば面倒な手順を多数省ける超絶的な便利さ。

 あれに慣れてしまっている身としては、脳内と手書きのみでの研究作業は厳しい。
  
「……ま、そう遠い話ではないし今の生活を満喫するべきか」

 そう結論を出し、海人は軽く伸びをした。

 コンピューターが使えるようになるのは、そう遠い話ではない。
 ルミナス達が仕事で出かければ、海人は先日購入した屋敷に引っ越す事になる。
 そうなれば創造魔法を使ってコンピュータを作成し、地下でやりたい放題だ。

 それよりも、残り短いであろう友人達との共同生活を楽しむべき。
 そんな事を考えていると、ドアがノックされた。

「入っていいぞー」

「お邪魔しまーすっと。はい、間食持ってきたわよ」

 ルミナスは部屋に入ってくると、笑顔で海人の前にお盆を差し出した。
 
 上に載っているのは、サンドイッチと紅茶。
 サンドイッチはシンプルなハムサンド。
 薄くマヨネーズを塗ったパンの間に、レタスとたっぷりの薄切りのハムが挟まれている。
 紅茶は良い茶葉で丁寧に淹れた物で、ほかほかと温かな湯気が立っていた。

「お、いつもすまないな……うむ、美味い」

 ハムサンドを一口食べると、海人は穏やかに微笑んだ。

 流石ルミナスと言うべきか、シンプルでありながらも珠玉の逸品だった。
 最初に歯が食い込む柔らかなパン、次いで貫くレタス、最後に辿り着くハム。
 どれも一つ一つが心地良い食感をしている上に、味のバランスが完璧だ。
 パンの甘味、マヨネーズの濃厚さ、レタスの瑞々しさ、ハムの旨味全てが調和している。

 満足げな海人の表情を見て、ルミナスも嬉しそうに微笑んだ。

「そりゃ良かった。んで、研究は順調なの?」

「ま、一段落はついた。次の良い案が思いつくまではとりあえず放置だな」

「そんじゃ、明日あたりカナールに買物行かない?
ちょーっと服とか見たいのよね」

「構わんよ。ところで、シリル嬢はどうした?」

「誰かさんにディルステインでボッコボコにされてお怒り中よ。
すんごい形相で盤を睨みながら、必死で戦略考えてるわ」

 やれやれ、とばかりに肩を竦める。

 ここに来る前に、リビングにいたシリルにも間食を渡した。
 いつもなら優雅にサンドイッチを齧り優美に紅茶を啜る彼女だが、
今日はもぐっと一口でサンドイッチを一つ平らげ、
ひとしきり咀嚼してから紅茶で一気に飲み下していた。

 傭兵らしからぬ高貴で優雅な造作が染みついているシリルにしては、
非常に珍しい荒れっぷりである。

 もっとも、中身はともかく容姿があれなので、
その姿は不貞腐れた美少女にしか見えず非常に可愛らしくもあったのだが。

「ふむ、流石に全手一秒以内に打ち返されて負けたのは屈辱だったか」

「シリルが考えてる間わざとらしく欠伸してたのもでしょうね」

 じっとりとした半眼で、目の前の性悪男を見つめる。

 一時間程前に決着した海人とシリルの対局は、なんとも惨かった。
 海人はシリルに先手を譲り、その後彼女が指す手全てに一秒以内に返したのである。
 シリルの駒が音を立てた直後海人の駒の音が響き、しばらくしてまたシリルの駒の音の直後に海人が、
それを延々繰り返した挙句、シリルはいつも通りの大敗を喫した。

 しかもこの男は性質の悪い事に、シリルの思考中にこれ見よがしに欠伸をしていた。
 たまに伸びなどもして、いかにも退屈ですとアピールしてシリルをからかっていたのだ。
 
 無論、そんな安い挑発に乗って判断を誤るシリルではない。
 ルールに乗っ取った思考時間をフルに使い、怜悧な顔で盤面を睨みながら最善手を考え続けていた。
 傍目にも分かる程の勢いで肥大化していく怒りの感情を押さえつけ、それでも勝利の為に集中していたのだ。

 それがいつも通りの惨敗を喫した屈辱感、いかばかりか。
 ルミナスが咎めるように海人を見つめると、彼はさりげなく目を逸らした。

「いやまあ、手加減は屈辱だから全力で来いと言ったのはシリル嬢なわけで。
ならば全力を見せつける事こそ友誼というものではないかと思うわけだ、うん」

「カイト? 話す時はちゃんと正面見て話さないと駄目よ?」

 自分から背けられた首を、腕力で強引に真正面に向けさせる。
 が、海人は非常に往生際が悪かった。 

「……器用に目だけ動かすわねぇ?」

 ニコリと微笑むルミナスの表情に、若干凶暴性が滲む。

 海人は器用にも、真正面に首を向けられながらそれでもルミナスから視線を逸らしていた。
 そちらの方向にルミナスが回り込んでも、素早く目玉を動かし逆方向を見る。
 ルミナスが速度を上げても、それよりも速く目を動かす。        

 終わりのない鬼ごっこになるかと思われたが、

「――――ていっ」

 ゴン、とルミナスの頭突きが炸裂し、不毛な鬼ごっこは終わった。
 クラクラとする頭を押さえながら、海人が抗議する。

「い……いくらなんでも頭突きは酷くないか?」

「あんたが悪ふざけするからでしょ。ったく、あんまやりすぎんじゃないわよ?」

「分かってるとも。シリル嬢が本気で落ち込むほどの事はやらんよ」

「……ま、そこは信用はしてるけどね」

 海人の言葉に、ルミナスは柔らかく微笑んだ。

 確かに海人は性悪で人をおちょくる事を楽しむ性質の悪い男だが、
身内を本気で傷つけるような事はまずしない。
 シリルに対するからかいも、あくまで彼女の許容範囲に収まると判断しての事だ。
 
 そして、その判断は間違いなく正しい。
 シリルの精神的なタフネスは団でも屈指。
 向上心も強く、負ければ負ける程闘志が燃え上がる程の負けず嫌いでもある。
 冗談抜きに、命がある限り海人に挑み続けても不思議はない。

 付け加えるなら――――今ドタドタとこっちに響いてくる足音も、それを証明している。
 
 どんどん近づいてくる豪快な足音を聞きながら、ルミナスと海人は苦笑し合った。
  


 
 
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