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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄2
 適度に身を引き締める冷たい隙間風が海人の部屋の中に静かに進入する。

 元々の建物の造りが悪いというわけではなく、老朽化によって風が若干入るようになっているだけではあるが、
それでも海人が眠っている部屋は外の気温によっては寒くて眠れない事も多い。
 
 昨夜は特に風が入ることも無く気持ちよく眠れたようだが、
今部屋に入ってきた風はたまたま彼の顔に当たって絶妙なモーニングコールとなった。

「ふぁ~~あ……ん、ここは……? あ~……夢ではなかった、か」

 部屋を見回して軽い溜息をついた後う~ん、と思いっきり伸びをする。
 軽く首を回し、頬を2、3回はたいて完全に意識を覚醒させる。

「さて、顔を洗って早めに修理に取り掛かるとする……といっても女性の洗面所を勝手に使うわけにもいかんな。
台所で軽く水洗いだけさせてもらうか」

 ドアを開けると昨日言っていたとおり修理に使う材木と工具など一通りの道具が置かれていた。
 しかも気を使ってくれたのか、パンとハムが盛られた皿も一緒だった。

「……気合を入れて修理せんとな」

 とりあえず置いてあった物を持ち、台所を探すことにした。

「水道の蛇口がない……?」

 台所に行っておかしな事に気づいた。排水口はあるのだが、水道の蛇口がないのである。これでは顔を洗えない。
 そこまで考え、ルミナスが昨日言っていた言葉を思い出す。

『魔法がなきゃ水を調達するのも時間がかかるし……』

 つまり、この家には下水道はあっても蛇口をひねれば水が出てくるような上水道は通ってない。
 というか、この近隣では上水道そのものが存在しない可能性が高い。

「まあ、いくらなんでも外に出れば井戸はあるだろう」

 と、気を取り直して井戸を探すために外に出ようと玄関を探した。
 そしてすぐに自分の履いていた靴が置かれている靴箱を見つけ、靴を履き、ドアを開け―――絶句した。


 まず空がとてつもなく近く感じる。


 そしてそこから10m程歩くと広大な森林が広がっているのが見える。


 さらにはその森林のど真ん中を大きな川が通っているのも見えた。


 ここからならば森林地帯の全景が見渡せる――見渡せてしまう。



 ――――今立っている場所が切り立った断崖絶壁の崖の頂上であるがゆえに。


 下までの距離は低く見積もっても50mはある。
 とりあえず家の周りを歩いてみるが、下に降りられそうな場所は見つからない。

 空を飛べない彼の動ける範囲は家を中心とした半径15m程度。
 崖のどの位置から見ても森林が見えることから考えると、ここは森林地帯の中心のようだ。
 そのため、どこから落ちたとしても確実に下に生えている樹にぶつかる。

 といってもおそらくここから樹の頂上まで目算で最低30m以上の落差があるため、
落ちてしまえば木の枝もクッションの代わりにならず、確実に死に至るだろう。


 ――――ここは彼にとっては監獄に等しかった。


「神よ……存在するのであれば、余程私に恨みがあるようだな!?」

 思わず天に向かって叫ぶ。当然ながらその悲痛な叫びを聞く者はない。
 もしかすると空高く飛びまわっている鳥たちには届いたかもしれないが、どのみち現状の打破に繋がりはしない。

「はあ……内装の修理を完璧にしたうえで、ここから移動するときは連れて行ってもらえるよう交渉するか」

 気を取り直しとりあえず一晩宿泊させてもらった家を振り返る。
 木造の三階建て、木の色からするとそれなりに年月を経た家のようだ。
 先程は気に留めなかったが、家の裏側に回ると家から太い管が出ていて崖へとつながり、そこで途切れている。
 おそらくこれが下水道の代わりなのだろう。

 さらにその近くには脚が何本か折れてしまっている椅子とテーブルがあった。
 ざっと見ただけではあるが、どちらも木製の単純な作りなため、彼の技術なら十分修理可能に見えた。

 しばらくその壊れた家具を見つめていたが、唐突にパンパン、と自分の頬を軽く叩き、
家に戻って数秒でハムとパンを平らげて早々と内装の修理に取り掛かる。

(本当に内装が痛んでいるな……)

 まずリビングの一番傷んでそうな床板を剥がし、木の状態を見る。
 痛んでいるのは表面だけだが、その表面がささくれ立ち、所々棘のようになっている。
 スリッパでも履いていない限りはこの板の上は危なくて通れない。


「結局板を取り替えるしかないということか」


 言いながら剥がした板を布の上に乗せ、下の板を掃除したうえで、手早く板の裏に接着剤をムラなく塗って、新しい綺麗な床板を貼り付けた。
 その後再び別の痛んだ床板を剥がして同じ作業を繰り返し、床板が終われば次は壁板の張り替えに移る。
 さほど重労働な作業ではないのだが、日頃の運動不足が災いしてかやや疲労の色が見て取れる。

 しかし滲んでくる汗を拭いながらも海人は手を止める様子は無い。
 それどころか一通り張り替え終えると一階の窓を全て開け、水性絵具を使って張り替えた板が周囲に溶け込むよう色の調節も行い始めた。
 一番優先順位の高い床板から先に塗り、次いで壁を塗っていき、と地味で繊細な作業を黙々と繰り返し続ける。

 そんなこんなで3時間もすると一階部分の修理はとりあえず全て終わっていた。
 海人の予想以上に痛んだ箇所が少なかったこともあるが、何より彼の作業が迅速だった。

「さて、後はリビングの片づけだったな……まあ、たしかにかなり散らかっているな」

 テーブルの上に散乱している果物を、テーブルの隅に置いてある編みかごに盛り付ける。
 そのかごをとりあえず空いている椅子の上に乗せ、布巾で全体の乾拭きをした。

 そしてかごをテーブルの上に戻し、椅子の上に積まれた本を大きさを揃えて本棚に並べていく――その途中で手が止まった。

(そういえば文字はどういう文字になっているんだ……?)

 そう考え、図鑑と思わしき大きな本を開く。
 そこには彼が見たことのない動物の写実的な絵が描いてあり、横に解説の文章が載っている。
 ただし、一つだけおかしい、というかおかしすぎる点があった。

「……なぜ読める?」

 あまりの違和感に思わず声がこぼれる。

 数字以外は見たことのない文字だというのに、なぜか文章が理解できた。
 頭の中で想像して補完しているなどというレベルではない。動物の名前はおろか、生態などに関する文章まで自然に読めるのだ。
 まるで彼の母国語にいつの間にかここの言語が加わっていたかのように。

 たしかに便利だが、同時に彼は少し考え込んだ。
 これが一時的なものだとしたら持続させる方法を考えるなり、はたまたこの状態が続いている間にここの言語を習得するなりしなければならない。

 海人は昨日ルミナスと会話をしていた際に読唇術も使っていたが、彼女の話す言葉は読んだ唇の動きとまったく同じだった。
そのため会話に関しては問題なさそうではあるのだが、本が読めるのと読めないのでは情報収集にかかる労力が天と地ほどの差になる。

「……まあ、当面は便利だからいいか」

 とりあえずその場は思考を止め、溜息を一つついて作業に戻る。
 なんにせよ、まずは頼まれた作業を終わらせなければならないのだ。








 昼過ぎにルミナスが帰宅した。
 服装は昨日とほぼ同じだが、アウターの色が白から黒に変わっている。
 彼女は腰に下げたロングソードをベルトから取り外し、左手に持ってドアを開けた。

「ただいま~~、あ~もう、無駄に疲れ……た?」

 玄関に入るなり、唖然とした。

 玄関の内装の中で部分的にかなりボロボロだった部分がなくなっている。
 板を張り替えたのであれば不思議はないのだが、それにしては周りの古くはあるが綺麗な状態の板と色の差がない。
 正直老朽化した内装の記憶がなければ、元々こういう家だったと言われて納得してしまいそうなほどである。

「おや、帰ってきたか。おかえり」

 時間が余ったため家具を乾拭きしていた海人が顔を上げて出迎える。
 
 絵具の匂いが嗅ぎ取れなくなった事を確認し、部屋の窓を全て元通りに閉めても時間が余ったのだ。
 他にやる事もできる事もない彼は暇を持て余し、本棚の陳列からフルーツ籠の配置まで完璧に整えていた。

 ルミナスが出かける前とは天と地ほどにリビングの美しさが違っている。

「う、うん。ただいま……ねえカイト、これ修理したのよね?」

「ああ、言われたとおり一階部分は全部やっておいたが……なにかまずかったか?」

「いや、修理したにしてはそれらしい跡が……っていうか用意しておいた板と色が違わない?」

「あまりに色が違いすぎて見栄えが悪かったんでな。
絵具があったからそれで色と模様を調節したんだが……まずかったか?
一部の床板以外ならそう剥げる事はないと思うんだが……」

 さらっと言っているが彼は木目や節にいたるまで絵具だけで違和感なく調節している。
 しかも優先してやっていた床板の部分は完全に乾燥済み――ここまで来るともはや超人的な職人技である。

「まさか! こんだけ違和感なく綺麗にしてくれたのに文句なんかあるはずないわ!
うっわ~、あんたこんなことできるんだ……」

 目を輝かせて海人を見つめ――こりゃ思わぬ拾い物したかも、と心の中で呟いていた。

 彼女もそれなりに器用で家の修理も一応出来るがこの家は古いため同じ色と質感の木材を探すのも難しく、見つけても費用が高くなる。
 そのために彼女も修理する時は絵具で色合いの調節をしているのだが、彼女の技能ではどうしても違和感が気になってしまう。

 労力を使えば不満が残り、金を使えば懐がかなり寂しくなる。そこを海人は彼女の労力を使わず、お金も使わずに見事に解決したのだ。
 諸事情で経済的にさして余裕のない彼女が内心ガッツポーズをとるのは無理もない。

「気に入ってもらえたなら何よりだ――――ところで相談があるんだが」

「え、なに?」

「余った木材で外にある古いテーブルや椅子を修理してもいいか? 
使ってないからあんな状態なんだろうが、修理すればまだ十分使えそうなものを見ていると気になってくる」

「へ? い、いやそりゃぜんぜん構わない……っていうかこっちからお願いしたいぐらいだけど」

 外にある家具は今でこそ壊れてはいるが、去年までは普通に使っていたものだ。
 ルミナスは折を見て自分で修理しようと思っていたため、海人の提案はまさに渡りに船。
 断る理由などどこにもあるはずが無かった。

「感謝する。 早速取り掛かって構わんか?」

「え、ええいいけど……」

 妙に生き生きとした海人に戸惑いながら頷く。
 ルミナスは彼の体つきを見る限り、あまり体を使うことは好きではないだろうと思っていたのだ。

 実際彼は大概の肉体労働は嫌いなのだが、物作りと修理だけは例外だった。
 良くも悪くも作る喜びに浸ってしまう癖と変に貧乏性な性格は、その二つに関してだけは彼の肉体労働の辛さを和らげてくれる。

「では行ってくる」

「…………」

 ルミナスは材料と工具を持って家を出る海人を見送り、何事かを考え始めた――――しばらくして、
パンッと軽く手を鳴らすと彼女は台所に向かった。











「ふう……これで落ち着いたな」

 夕方、日が暮れ始めた頃にようやく一通りの修理を終えて海人は家に戻ってきた。

 さすがに新品同様とまでは行かないが、幸い致命的に壊れてしまっていた物は無かったので、
薄汚れた表面の汚れを軽く拭き取り、折れた椅子やテーブルの脚を余った木材で作り、
それを釘で固定することによってとりあえず再び使えるようになった。

 元の素材とは違う素材のため脚の何本かの色が違っているのが少々気になったが、実用性には問題なかった。

「お疲れ様。シチュー作ったけど食べる?」

 席に座って一息ついている海人に尋ねる。

 今現在リビングには彼女の作ったシチューの食欲をそそる香りが立ち込めている。
 このシチューは色々と贅沢な材料を使った彼女の自信作の一つで、高級料理店に出しても恥ずかしくない逸品である。
 だが、その分材料費がかなりかかるため、普段は月の終わりの楽しみとして作る。

 本来は今日作る予定ではなかったのだが、予想以上の働きをしてくれた海人を労うために特別に作った物だ。

「喜んで……っと、すまんがその前に水をもらえんか?」

 芳醇な香りに誘われて思わず頷きそうになるが、まずは水を貰う事にした。

 この男、朝から水分補給なしで働きっぱなしである。
 幸い気温が高くなかったために、汗をかいた量は多くはなかったが、決して少なくはない。
 このままだと脱水症状を起こしてしまう危険性があった。

「へ? あ……そういえばあんた魔法使えないんだったけ。
ここには井戸もないから、朝から水分とってなかったのか。
ごめんね、気づかなくて……清浄なる水よ、我が元に来たれ《アクアコール》 はい、お水」

「ありがとう。……ぷはぁ~、生き返るな」

 まさに生き返った心地である。

 なにせ彼は喉が渇いたときに水が飲めないという体験などほとんどした事がない。
 普通なら家にいれば蛇口をひねれば水が出るのだから当然といえば当然だが。

「はい、もう一杯飲んどきなさい」

「うむ……ふう、落ち着いた。 おおっ、美味しそうだな」

「多めに作ったからたくさん食べていいわよ」

「それはありがたい。いただきます」

 そう言うと彼は大きく口を開けてシチューを頬張り、少し驚いた。

 このシチュー、数々の野菜の旨みとよく煮込まれた肉の旨みが溶け出して彼の予想以上に旨い。
 しかも中に完全に溶け込んでいる野菜とは別に、形と食感がちゃんと残った大きめの野菜を何種類か入れてあり、食べ応えも十分である。
 強いて難点を言えば肉の旨みが見事にシチューに溶け出しているため、肉本体が僅かに出し殻のようになっていることぐらいだが、
そこまで言っては確実に罰が当たる。

「ね、食べながらでいいから質問に答えてくれる?」

「構わんぞ。何が聞きたい?」

「あんた本職は家具職人か大工……それとも画家?」

 彼女は海人の見事な手並みを見て、素人ではないだろうと思っていた。
 なにしろ住んでいる彼女でさえどこが直されたのか分からないのだ。
 どう考えても素人の仕事ではなかった。

「いや、どれも違う。多少絵画や工芸、建築関係の知識もあるが、本職ではない」

「それにしちゃ随分手馴れてるみたいだけど?」

「手馴れてるのは色々な物を自作で作るのに慣れてるからだ。
絵の技術にはさして自信がないが、一応木製ならばやろうと思えば家具から武器まで一通り作れる。
要望があるなら、時間と材料さえもらえれば戸棚でもベッドでも何でも作るぞ」

「いや、当面は特にいらないからいいんだけど……」

 やや呆れ顔で断る。

 事も無げに言っているが、海人の技能は実際のところ総合的には下手な本職よりも上である。
 設計図は場合によっては本職以上に完璧な物が作れるし、それを作成する技能も二流の本職程度の腕はある。

 唯一の難点は、趣味やこだわりに走りすぎるため、しばしば余計な機能がつくことである。

 具体例としては、5歳の時に家具店で見たブランド物の木製の椅子を一ヶ月かけてほぼ完璧に再現し、
その椅子にモーターと車輪を取り付けて走れるようにしたことがある。

 このとき彼の両親は天才だ! なんて凄い息子だろう、とやたら感激していたのだが、
よりにもよってブレーキを付け忘れていたため、彼の母親が試しに乗って家の外壁に正面衝突した。
 椅子は大破。そして彼は母親によってしこたま尻を引っ叩かれて、しばらく座るだけで悲鳴を上げるような状態にされた。

 なお、失敗例はこれだけではなく、彼は余計な機能を付けたときは高確率で失敗をやらかす。
 しかも成長し、知識が増えるごとに失敗の規模も大きくなっている。

 機械類がないとはいえ、この男だったらボタン一つでバラバラになるベッドぐらいは作りかねない。
 しかもこの男は、気合を入れて作れば作るほど余計な機能を付けたくなるという困った性分である。


 ――――ルミナスは気づかぬ間に危険を逃れていた。


「そうか」

 ルミナスの答えに、少し残念そうに言う海人。
 実際作らない方がよかっただろう、というのは本人は自覚していないようだ。

「でも、それだけできんのに本職じゃないわけ?」

「うむ。どちらかといえば肉体労働は専門外だな。
本職は研究者だ。研究内容は作物の品種改良から家の耐震設計まで色々ある」

 そう答え、再び彼はシチューを口に運ぶ。飽きずに食べられてなおかつ旨い、ある意味料理の理想形と言える味である。ただ、それ以上に彼は入っている材料について考えていた。
 入っている材料は知らない野菜も混じっているが、形が残っているものでタマネギ、ニンジン、ジャガイモ
といった物が見られる。シチューの色や味からすればトマトなどの野菜も入っていそうだ。

 入っている肉も食感は牛肉そのもの、味は普段食べている物より上質だが、牛肉の味である。
 このことから考えると、食物に関してはあまり差異がないらしい。

 と、一通りシチューの分析を終えたところでちょうど皿が空になった。

「うむ、非常に美味かった。君は料理上手なんだな」

「ありがと。おかわりいる?」

 嬉しそうに微笑み、空になった皿を手に取る。
 シチューは見事なほどに残らず食べ尽くされていた。 本当に海人が美味いと感じた何よりの証拠である。

「たのむ」

「大盛にしとくわね」

 嬉しそうな表情のまま足取り軽くルミナスは台所に向かう。
 明日の朝に温めて食べようと思って残していた最後の一杯分を取りに。

 ――――なんともお人好しな女性である。





 十分後、海人はたっぷりと盛られた二杯目のシチューも綺麗に平らげていた。満足そうに腹を撫でている。

「ご馳走様。そういえばさっき帰ってきた時機嫌が悪そうだったが、なにかあったのか?」

 ルミナスが淹れてくれた食後の紅茶を啜りながら尋ねる。
 昨日もそうだったのだが、いい葉を使っているようでこの紅茶は香り高く甘みを感じる。
 どちらかといえば彼は緑茶派ではあったが、素直に美味いと感じられる逸品だった。

「ありゃ、気づいてたの?
いや、それがさホーンタイガーを狩れって依頼があったんだけど、あれは強いし頑丈だからね。
ここ何日かかけて空からの奇襲で徐々に弱らせて、今日は仕留めようと思って行ってきたんだけど、
どういうわけかいつもは草原のあたりうろうろしてんのに今日に限って見つかりゃしない」

「ほう?」

「それで空から探してたんだけど、どういうわけか草原のど真ん中で外傷もなく死んでたのよ。
何日もかけて弱らせてたっていっても、餌が取れなくなるほど弱るようなやわな魔物じゃないはずなのに。
報酬は支払われたからいいんだけど、朝から気合入れてたから無駄に疲れちゃってさ」

 ぐて~、とテーブルに倒れながらため息をつく。

 よりにもよってだだっ広い草原の上を長時間飛び回って、
保護色で溶け込んでいる動物を捜していたのだから、その疲労はかなりのものである。

 まして発見したときには当の魔物は死んでいたのだから、どっと疲れるのは当然だろう。

「聞くが、ホーンタイガーというのはやたらと長い角を持った大型の緑色の体毛の虎か?」

「ええ、そうよ。ひょっとして昨日見たの?」

「……どうやら君は二重の意味で命の恩人のようだな。
どうりで肉食獣にしては動きが鈍かったわけだ」

 そう言って海人は深々と頭を下げる。

 もし昨日ホーンタイガーが万全な状態であれば確実に彼は今この世にいなかった。
 それに加え、夜間は魔物が活性化するということを考えればこの家に泊めてくれているルミナスは二度彼の命を救っている。

 ――――どちらも完全な偶然ではあるが。

「って、あんたあれに襲われたの!?」

「ああ。その際に道具を使って仕留めた。いや、本当に重ね重ね君には助けられているな。
君が弱らせていなかったら今頃私はあいつの腹の中だ」

「ちょっ、仕留めたって……私がつけた傷以外、外傷なかったわよ!?」

 今日回収したモンスターの死骸の状態を思い出し、叫ぶ。
 海人が嘘をついているとまでは思わなかったが、彼女が付けた傷以外は外傷が見当たらなかったのはまぎれも無い事実。
 少なくとも刃物で倒したわけではない事は間違いが無いが、海人が素手で倒せるとはとても思えなかった。

「多分、腹の辺りが少し焦げていなかったか?」

「腹……ああ、言われてみれば少し焦げたような痕があったわね」

「この道具を使ったんだが、これは本来はこの部分を接触させてこっちのオレンジ色の部分を押すと、相手を麻痺させる道具だ。
ただこれは私の自作なのでな、威力を高めすぎたせいで相手をほぼ確実に死に至らしめる。
実際あのホーンタイガーとやらも1回で仕留められた」

「……昨日のデンタクとか言う道具も凄かったけど、それもとんでもないわね」

 ルミナスは冷や汗を流しながら呆れる。
 ホーンタイガーはその頑丈さで有名なモンスターであり、並の剣撃ならばその皮膚と筋肉に弾かれてほとんど通じない。
 彼女も万全を期して空からの奇襲で徐々に傷を深くしていったのだが、それを1回で仕留めたというのだから呆れる他ない。

 ――――もっともその気になれば彼女も剣の一撃で倒す事は十分可能ではあるのだが。

「そうかもな。ただ、これは後一回しか使えんからな。それを使ってしまえば私は身を守る術がない。
というわけで魔力を使った肉体の強化法を教えてくれると私は非常に嬉しいぞ」

 この男、一応教えを請う立場であり、自分の弱みを見せているにもかかわらずなぜか無駄に偉そうである。

「あ、そういえばまだ教えてなかったっけ?
ん~、効果もよく分かるだろうし、実際に見せた方が早いか……これでいいわね」

 少し考えた後、ルミナスは足元にあった修理の際に余った分厚い木の板を手に取る。

「この板は私の腕力でも、強化無しの状態じゃとても割れないわ」

 そう言って板に拳を叩きつける。
 ゴンッ、と鈍い音がするが木の板はへこみすらついていない。

 あなたもやってみる? と板を渡され海人はコンコン、と軽く叩いてみるが、
 とても割れそうになかったのでそのまま彼女に板を返した。

「で、魔力による強化だけど、まず体の魔力をこんな感じで外に出す。
出し方は昨日あんたが出してた光を外に出すイメージね」

 彼女の体が薄く白い光で覆われる。
 彼も言われたとおりのイメージを頭の中で作ると、同じように体が白い光に覆われた。

「こんな感じでいいのか?」

「うん上手。で、この光を強化したい部分に貼り付けて染込ませるイメージで纏わせる」

 彼女の両腕にあった光が集まり、その部分だけ他の部分より光が圧縮されたように色が濃くなり、小さくなっていた。

「ふむ、こうか?」

 また言われた通りにイメージを作ると、彼の体を覆っている光も同じように変化した。

「で、この状態だと……」

 バキッ、と鈍い音を立てて板が割れた。
 彼女は先程と変わらず右の拳で板を殴っただけにもかかわらずだ。やってみなさい、と割れた板の片割れを投げ渡される。

 試しに思いっきり拳を叩きつけると鈍い音と共に彼の拳が板を突き抜けた。
 通常ならこんな状態なら板の破片が腕に刺さって血塗れになっているだろうが、
傷一つない、というより痛みすらなかった。
 そのまま腕を引き抜くと、木の板の破片がパラパラと床に落ちていく。

「ま、そんな感じね。要は魔力はイメージ通りに動かせるってことと、
体に貼り付けて染込ませるようなイメージをすればその部分の肉体の強化が出来るってことよ。
勿論全身に貼り付けるイメージをすれば全身が強化されるわ。
ただ、その分魔力消費が大きくなるから、日常生活なら必要な部分だけ強化すれば十分よ」

「なるほどな。よくわかった、ありがとう」

「そういえば、私は明日魔力判別所行くつもりだったんだけど、あんたも行く?
あ、もちろん必要なお金は私が出すわよ」

「……いいのか?」

 彼にとっては願ってもない申し出だった。

 もし魔法が使えるようになれば、今の状態よりはかなり仕事を見つけやすくなるはずだ。
 なにしろ現在彼は誰でもできるはずのことができない、という非常に問題がある状態。
 そう多くの魔法を一度に習得できずとも、基本的な物を覚えるだけでも彼の場合は状況が確実に好転する。

「もちろん。そもそも大した金額じゃないし、家の修理だけじゃなく外の家具の修理もやってもらっちゃったからね」

「ならばそうさせてもらうが……悪いが、運んでもらえるか?」

「あ……そういやあんた、翼ないうえに魔法使えないんじゃ飛べないわね。
そーかそーか、そうだったわね。こりゃ失念してたわ」

「そういうことだ。私は自力ではとてもこの家の周辺からは移動できん。
それでできれば、私が空を飛べるようになるまでは、出かけるときは運んで欲しいんだが……」

「あー……この家の位置が位置だしね。いいわ、空飛べるようになるまでは私が運んだげる」

「感謝する」

 笑顔で快諾してくれたルミナスに軽く頭を下げる。
 殊勝な海人にいいっていいって、とパタパタと手を振り、彼女は自分の紅茶を継ぎ足した。

 それから少しの間二人は取り留めのない話で盛り上がっていたが……

「そういえば聞いていなかったが、君はここで一人暮らしなのか?」

 二杯目の紅茶を飲み始めたとき、海人が思いついたように尋ねた。

「ええ、そうだけど?」

「それにしては外のテーブルなどを含め、ずいぶん家具が多いような…」

「ああ、そのことか。私は傭兵やってるんだけど、うちの傭兵団って基本的に仕事が無い時は自由待機なのよ。
自由待機の間は仕事の期間が三週間以内なら個人で仕事受けようがアルバイトしようが本当に自由なんだけど、実際は結構暇なの。
その関係で同じく暇してる同僚や部下が遊びに来ることが多くてね。
それでテーブルとか椅子は宴会用にいくつか置いてあるのよ」

 多分しばらくは誰も来ないだろうけど、と続けて彼女はお茶を啜った。
 ルミナスは最後に顔をあわせた際の部下の状態を見る限り、すぐここに来れる状態になるはずはないとほぼ確信していた。

「君は傭兵なのか…となると、武器などにも詳しいのか?」

「そりゃ商売道具だからね。そこらの武器屋よりは詳しいわよ」

「聞きたいんだが、この辺りだと銃などは使われているのか?」

 これは彼が先程から疑問に感じていたことだ。

 普通に考えれば銃があるのなら、昨日彼を襲った魔物を仕留めるのにいちいち弱らせてからなどということはしなかっただろう。
 彼女ならばこっそり上空から近づいて高威力の銃で撃てばそれで終わっているはずなのである。

 いかに虎の敏捷性が高いとはいえ、不意打ちの上空からの弾丸を避けられるとは思えないし、
いくら頑丈でも上空からの加速がついた弾丸が通じないとは思えなかった。

「銃? あんな使い道のない武器使ってるわけないじゃない」

 不思議そうにルミナスは答えた。

「使い道がない?」

「確かに魔力使わずに撃てて威力も悪くはないけど、一発一発時間がかかるんじゃ実戦じゃ使えないわよ。
しかも弾が切れたらあれで殴るか素手で殴るかしかないわけだし。
魔力で腕力強化しながら弓で撃った方がはるかに使えるわよ」

「……銃より弓の方が使えるのか?」

 彼の常識ではとても考えられない発言だ。

 対戦車ライフルのような反動の大きい銃ならば連射ができないというのはわからなくもないが、それにしても射程は非常に長い。
 ひょっとしたらかなり旧式で彼の知る物より射程が短いのかもしれないが、
それでもあれに匹敵する射程を弓で得ようと思えばありえないほど強力な弓をとてつもない怪力で引かなければならない。
 しかも弾が切れたら、銃で殴るか素手で殴るかということは銃の射程をほぼ瞬時に詰める速度での移動が可能ということになる。

 ここで使われている弓は彼の知らない材質なのか、魔法を使えばそんなとんでもない速度で移動できるのか、
など数々の疑問が浮かんで彼の脳を占拠していく。

「当たり前じゃない」

 そんな彼の思考を知ることもなく、彼女は呆れたように言う。
 どうやら彼女にとっては論ずるまでもない事実のようだ。

「……とりあえずどういう弓や銃なのか興味が湧いてきたな」

「ん? 弓は今ないけど、見たいんなら3階の倉庫に銃だけなら何丁か放り込んであるわよ。弾丸はないけど。
ちょっと前に仲間内の福引きで当たったのよ」

「見せてもらっていいか?」

「ええ、持ってくるから少し待ってて」

 そう言うと彼女は席を立ち、リビングを出て行った。




 少ししてルミナスが長身の銃を携えて戻ってきた。
 銃の端には埃がついており、長い間放置されていた物を、軽く拭いて持ってきたというのがよく分かる。

「はい、これがたしか二年前の最新型の銃ね」

「に……二年前とはいえ…………」

 渡された銃を両手で持ちながら見下ろして肩を落とし、自分の先程の思考はなんだったのだろうと頭を抱える。

 こんな物、彼は博物館や歴史資料館でしか見たことがなかった。

 確かにこれでは魔法が存在するような世界の実戦では役に立たないだろう。
 また、こんな物が最新型である以上、長距離射程の銃などあるはずもない。
 なにしろ今彼の手元にある最新型の銃とやらは

 ――――火縄銃。

 一発一発銃口に弾を詰めていかなければならないため、連射ができない。そしてライフリングもないため命中精度も悪い。
 たしかにこれでは弓の方が使えるだろう。飛距離に関しても、魔力で強化した腕力で強い弓を引けばそちらの方が伸びる可能性が高い。

「なるほど、な」

 海人は少し悩む。
 彼の研究開発の中には拳銃などの武器・兵器の開発もかなり含まれていた。
 当然ながらそれにあたって徹底的に資料を調べ上げたため、細かい構造や材質も熟知している。
 そして彼が開発した物はほぼ例外なく無駄とさえ言える高性能さを誇っている。
 おそらく材料が揃い、腕の良い鍛冶屋に指示すればこの世界の軍事バランスを崩しかねないほどの拳銃を専用弾薬付きで作れる。
 元手があればおそらくそれの製作販売で多大な利益を上げられる事は想像に難くない。

 ただし、それをすれば……

(……確実に治安が悪くなるだろうな)

 弓は使うために相応の力を必要とし、狙った獲物に当てるには相当な熟練を必要とする。
 しかも一回ごとに弓を引かなければならないため、数撃てば当たるというものではない。
 発射音こそほとんど出ないものの、外し方によっては矢の刺さり方で方角が簡単に特定されてしまうため、
一度標的から外してしまうと次の矢を番えている間に逃げられる可能性は非常に高くなる。
 他者の命を奪うためには使い手の相当な努力を必要とする道具、それが弓である。

 だが拳銃は違う。

 使うのに筋力はさほど必要なく、さしたる熟練がなくとも当てるだけならば弓よりはるかに容易である。
 さらに連射が可能なため、文字通り下手な鉄砲でも数撃ちゃ当たる。
 そして発射音こそ大きいものの、弾丸自体は小さい物であるため場合によっては自分の居所を気づかれないこともままある。
 大した努力無しに他者の命を奪える道具、それが拳銃である。

 そんな便利な武器を一気に普及させれば治安の悪化は免れない。
 そして、治安の悪化は彼自身にも火の粉を振り掛ける可能性が高い。

 それを考えると、元手があっても容易には拳銃を作るわけにはいかない。
 金を儲けたところでそのせいで誰かに殺されては本末転倒だ。

「どうかしたの?」

 考えこんでいる海人を見て少し心配そうに彼の顔を覗き込む。

「いや、なんでもない。わざわざ見せてくれてありがとう」

 そう言って銃を彼女に返す。
 冷静に考えれば現在元手はないのだから、今考えても仕方がないのだ。

「そんなのはべつにいいけど……本当に何でもないの?」

「ああ。そもそも今考えても仕方のないことだしな」

「……ま、いいけどね。そういえばさっき言ってたホーンタイガーを仕留めたっていう武器、
後一回しか使えないって言ってたけど、ほとんど使い捨てなの?」

「使い捨てというわけではないんだが……電気は分かるか?」

「えっと、雷を構成してるエネルギーのことでしょ?」

「まあ間違ってはいない。これの動力源は電気なのでな。これに電気を溜め込んでおかないと使えない。
まあ満タンの状態でも消費電力の関係で2回しか使えないんだがな」

こんなことになるなら面倒がらずにとっとと改良しておけばよかった、と心の中で嘆く。

確かに海人のスタンガン(もどき)は消費電力が莫大だが、それでも彼が本気で改良すれば使用回数を10回ぐらいにはできる。
元々彼までたどり着いた侵入者用兼思い付きの暇つぶし開発だったとはいえ、後悔せずにはいられなかった。
流石の彼も改良用の道具も資金もない状態ではお手上げだ。

「それじゃ、雷の魔法で電気を作ればまた使えるわけ?」

 そんな海人の内心を知る由も無く、ルミナスが真剣な表情で問いかける。

「大まかに言えばそうだが、あまり大きい電力だと許容量を超えて壊れる可能性もあるし、
電気を溜めるときは徐々に溜めていかなければならないから、弱い魔法で電気を通す物質を通すことになるかもな」

「……すんごい面倒じゃない?」

「私がいたところでは電力を発生させる装置は普通にあるから、なんら面倒はなかったんだ。
その装置もこれも材料さえあれば作れんこともないが、当面は無理だな」

「そっか……売れるかと思ったんだけどね。ホーンタイガーって体毛も皮膚も硬くて並の攻撃じゃ効かないのよ。
あいつを一撃で倒せる道具なんて、ほとんど密着しなきゃいけないって点を考慮に入れても需要が多いはずなんだけど……」

 どうやらルミナスなりに海人のことを考えて、彼が金を儲けられる方法を考えていたようだ。
 もっとも、資金があったとしてもスタンガンの材料も発電機の材料もこの世界で集めるには手間がかかるのだが……。

「私が魔法を使えるようになれば充電できる可能性はあるし、元手になる金さえ稼げればこれの材料を仕入れることも可能かもしれん。
そうなれば販売も可能になるだろうが……なんにせよ、私が魔法を使えるようになってからの話だな」

「そうね。ま、あんたの場合昨日の魔力量からすりゃ魔法が多少下手でもしばらく鍛えれば傭兵でもやっていけると思うし、
どうしても仕事が見つからないんだったら、うちの傭兵団に放り込んで私が直々に鍛えてあげるわよ」

 昨夜海人が放出していた膨大な魔力を思い出し、そんな提案をする。
 冗談めかしてはいるがそんなに悪くない案かも、と彼女は内心思っていた。
 彼女の所属する傭兵団に放り込めばとりあえず最低限の衣食住を保障するだけの給料はもらえるのだ。

「……ひょっとして君は所属している傭兵団の中でも幹部クラスなのか?」

「そうよ? 一応地位的には三位になるわね。つっても同率三位があと2人いるけど」

「それにしても上司に無断で勝手に入れるのはまずいんじゃないか?」

「新しい団員一人入れるぐらいだったら私の裁量でやっていいのよ、実際何度かやってるし。
実戦に参加できる力がつくまでは給料はかなり少ないけど、私が指導するのなら一ヶ月で私の部隊の中堅レベルまで鍛え上げてあげる
……ま、逃げ出さなければだけどね?」

 最後にニヤッ、と挑発するような笑みを浮かべる。
 あんたみたいな優男がついてこれるかしらね? というような表情だ。
 が、同時にただならぬ威圧感を放っているため、常人ならば怒るどころか竦み上がりそうである。

「ならば君は追い抜かれないよう、今まで以上に努力しなければならないかもしれんな?」

 しかし海人は同じように挑発的な笑みを浮かべ、挑発を返す。
 実は両手はじっとりと汗に濡れており、平然とした顔はプライドによる必死のやせ我慢なのだが。

「へえ……大したもんね。 やせ我慢にしても、私の挑発に挑発で返せるやつなんてそういないわよ?
胆力的にも結構見込みあるかもね」

 そんな海人の演技は、あっさりとルミナスに見抜かれていた。
 彼女は楽しそうに笑いながら、放っていた威圧感を薄れさせていく。

「……そこは気づかないフリをするのが優しさというものだと思わんか?」

「男の子は厳しい環境でこそ勢いよく成長するのよ。むしろ心を鬼にして厳しくすることが優しさじゃない?」

 恨みがましい目で見る海人を楽しそうに眺める。
 その表情はやんちゃな弟を微笑ましく見守る姉のように優しく柔らかい。

「私はこれでも24だぞ? 男の子という年じゃない」

「ふふん、私は26だもんね。私の方がお姉さんなのよ、ボ・ウ・ヤ」

 からかうように言いながらルミナスは変わらず楽しそうな表情を浮かべていたが――

「つまり年増だということだな」

「んなっ……!?」

デリカシーゼロな最低男の発言で一気に表情が引きつった。

「ふ……ふ~ん、いい度胸してるじゃない?
そういうことを言うやつには……お仕置きよ!」

言い終わると同時に海人の後ろに回りこみ、彼のこめかみを両手の中指の第二関節でゴリゴリと音が聞こえてきそうな力で抉り始めた。
同時に後頭部に柔らかい感触が当たっていたりするが、それを楽しんでいる余裕などとてもない。

「ぬぐあっ!? 痛!? あだだだだだだだだっ!!?
ちょっ……やめっ……ぎゃああああああああ!?」

「さ~あ、もう一度言ってごらんなさい。 私は……何なのかな?」

 一瞬ミシッ、と音が聞こえてきそうなほどの力を加え、最終通告を行う。
 無視すればこめかみどころか頭蓋骨が砕かれそうだ。

「人生経験豊かな美しいお姉様ですうぅぅぅぅっ!」

 流石の海人もそれを無視するほどの度胸は無く、あっさりと前言を撤回する。

「よろしい。ところで、あんた水浴びした方がいいわよ。
まだそんなに強烈な匂いじゃないけど、多分明日か明後日にはそれなりの匂いになってるはずよ?」

 そう言って鼻を少し近づけてクンクン、と確認するように匂いを嗅ぐ。
 言われてみれば、と海人は納得する。そもそも彼はこの世界に来る前も何日か風呂に入っていない。
 幸い元々体臭は薄いので今はまだそれほどでもないが、可能なら洗った方が良いのは当然であった。

「そうしたいのは山々だが……質問だ。ここにはシャワーはあるのか?」

 駄目で元々と思いながら尋ねる。
 上水道も通っていない所ではまず望めないと思いつつも、
あらかじめ水を溜めておいてシャワー状に降らせる道具ならあるかもしれない、と期待を込めての質問だったが……

「シャ、シャワー? えっと……使えないことはないのよ?
ただ私は魔法が苦手だから……その、水の勢いがちょっと強くて……痛いわよ?」

 ルミナスがまるで言い訳でもしているかのようにやたらと慌てている。
 案の定、彼の想定しているシャワーはないようである。
 そういう魔法はあるようだが、残念ながら彼女は使えないようだ。

「わかった。ここでは水浴びはどうやってやるんだ?」

「え? 普通は体洗うのにいちいち川まで行かないし、浴槽に水入れて洗うだけでしょ?
あ、もちろん水は私が出したげるし、タオルは好きなの使っていいわよ。
浴室は2階にあるから、水入れるついでに案内したげるわ」

言うが早いか、ルミナスはスタスタと歩き始める。
そして海人は彼女に連れられて浴室へと向かった。



 

 


 ルミナスに案内されて向かった浴室は海人の感覚からすればかなり簡素な物だった。
 あるのはタイル張りの洗い場と浴槽のみで、シャワーはない。
 後は体を洗うための石鹸と洗い流すための手桶、そして椅子があるだけだ。

「清浄なる水よ、我が元に来たれ《アクアコール》」

 詠唱の完成とほぼ同時に空だった浴槽がたっぷりの水で満たされる。
 ……残念ながらお湯ではないため、体を温める事はできないようだ。

「これだけ入ってれば十分体洗えるでしょ。石鹸はそこにおいてあるの使ってね。
タオルはそこの洗面台のところに置いとくから。あ、でも着替えはないわよね……」

 そこまで言ってルミナスは困ったように言葉を切る。
 着替えが無ければせっかく体を洗っても今の匂いがついた服を着ることになってしまう。
 洗わないよりははるかにマシだが、あまり意味がない行為になってしまうのだ。

「魔法で衣類の乾燥はできるか? 洗うのは手洗いするにしても乾燥が出来ないのではどうしようもない」

 海人は当然といえば当然の結論に行き着いた。
 要は体を洗い終えるまでに今の服を洗濯して乾燥させられればいいわけだ。

「うーん、出来なくはないけど……私の魔法荒っぽいから、この厚い生地のスラックスとシャツはともかく、白衣は生地が持たないわよ?
ついでに言うと下着は心理的に嫌。 ……ま、どうしてもってんならやったげないこともないけど」

「ああ、それなら大丈夫だ。
この白衣は着ている中で一番頑丈な生地だし、私の下着は洗濯だけして絞って干しておけば10分ほどで乾く」

 白衣は彼が開発した新素材でできており、耐火・耐熱能力が非常に高く防刃にもなるような衣装である。
 下着の方も彼が開発した物で、室内で干しておくだけでも短時間で乾く優れものである。

 ちなみに下着の開発理由は、乾燥機いらずの衣服ができれば光熱費が浮くし、よく売れるだろうという理由だったのだが、
元々飽きっぽい彼は下着を製作した段階で飽きてしまい、他の衣服は作らずじまいだった。

「そうなの? それじゃ洗濯終わったら言ってくれれば乾燥はやるわ。
ついでだからシャツの方はこの裂かれた部分繕っといてあげるわね。じゃ、洗濯用の石鹸はそこにあるから」

 ルミナスが脱衣所を出て行く。
 同時に海人は着ている服を全て脱ぎ、手洗いで洗濯を始めた。
 手つきはたどたどしいかったが、無事終わり、軽く絞って水を抜く。
 
「……つくづく自分がいかに文明に頼っていたかを思い知らされるな」

 そんな愚痴をこぼしながら、下着を除く衣服を目に付きやすい場所にまとめて置く。
 そして廊下に続くドアを少しだけ開け、軽く息を吸い込み、大きな声で1階にいるであろうルミナスに呼びかけた。
 
「ルミナス! すまないが洗濯終わった物を廊下に出しておくから、乾燥させてくれ!!
終わったら脱衣所のドアの前に置いてくれ!!!」

 わかった~、と返事が聞こえ、それを確認したのち浴室に入ってドアを閉める。
 ついで湯気一つない浴室内の様子に、軽く肩を落とす。

「うーむ、こちらでは温かい湯に浸かるという習慣がないのか」

 念の為手を入れて確認してもやはり冷たい水に嘆息する。
 湯船に浸かりたかった、と贅沢な事をぼやきながら洗い場で体を洗い始めるが、
元々彼は丁寧に洗うわけではないので、それほど時間を掛けずに洗い終えてしまう。

「……一応浸かった方がいいんだろうな」

 意を決して水風呂に浸かる。
 風呂に入っているというよりプールにでも入っている気分だ――当然だが。

 流石に長くは入っていられず、十分弱で浴槽から出た。
 洗い場に残っていた石鹸の泡を水で洗い流し、最後に浴槽の栓を抜く。
 水が全て無くなるのとほぼ同時に脱衣所からルミナスが話しかけてきた。

「カイト! 乾燥と繕い終わったから、置いとくわよー!」

「ああ、ありがとう!」

 そう返事をしてルミナスが階段を下りていく音を確認したあと浴槽から上がり、
脱衣所に入って用意されていたタオルで体を拭く。

「うむ、しっかりと乾いていそうだな」

 脱衣所の外に置かれていた服をすばやく部屋に入れ、
もし入ってきてもルミナスの視界に入らないよう隅っこに干しておいた下着を穿き、残りの衣服を身に着ける。 

 シャツの裂けた部分は流石に少々目立つが、きっちりと綻びないように繕ってあり、もう肌は見えない。
 予想以上に手馴れたルミナスの仕事に感心しつつ、リビングに戻っていった。





「さっぱりした?」

「ああ、おかげさまでな」

「そりゃよかったわ。 ところでその白衣なんでできてんの?
その薄さなのに私の魔法で生地が持ったのもそうだけど、ちょっと頑丈すぎるわよ」

 呆れたような表情で海人の白衣を指差す。

 彼女は半信半疑で海人の白衣を魔法で乾燥させたが、熱くはなったものの生地が駄目になることはなかった。
 それに感心し白衣を引っ張ってみたがそれでも全然問題はなく、ついつい思いっきり引っ張ってしまったのだが白衣はビクともしなかった。

 ――――以前それで冬用の厚く頑丈な生地のパンツを一瞬で真っ二つに引き裂いてしまった事があるというのに。

 彼女がどんな生地だこれは、と思うのも無理は無い。

「ふふん、これは私が開発した新素材でな。この薄さで溶鉱炉に放り込んでも数分は耐えるという自慢の一品だ」

よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、嬉しそうな表情を浮かべる。
しかも腕を組んで偉そうに胸を張っている……着ている白衣と併せると見事に悪の科学者っぽい。

「はあっ!? 溶鉱炉にって……ちょっと私の魔法に耐えられるか試していい?」

「構わんよ。よほどの高温じゃないと燃やす事はできんからな」

 そう言って白衣を脱いで手渡す。燃え尽きるなどとかけらも心配してないようである。

「そんじゃ遠慮なく……」

 言いながら頭に火炎魔法の術式を思い浮かべ、完成させる。
 術式に流し込んだ魔力が全てに行き渡ってから数分後、魔法が発動する直前に渡された白衣を天井に向かって投げつつ、高速で詠唱を始める。

「我求めるは燃え盛る火炎、汝煉獄の真火よ、我が声に応えよ《ゲヘナフレイム》!!」

 詠唱が終わると同時にキュゴッ、と現れた灼熱の火球が落ちてきた白衣を包み込む。
 火球を白衣が通過するのは一秒に満たないが、それでも普通の白衣ならば灰も残らない超高熱の魔法である。
 実は彼女か使える数少ない上位の攻撃魔法なのだが、結果は――――

「こ、焦げ目一つついてない!?」

 あまりの驚愕に呆気に取られながら白衣の状態を確認していた手が震える。
 確かに彼女は魔法が苦手だが、今の魔法は一流どころの魔法使いを防御ごと炭も残さず焼き尽くした事がある。
 呆然とするのも無理はない。

「大したものだろう? 実は1回この白衣は本当に溶鉱炉に放り込まれたことがあってな。まあ、実験済みだったんだ」

 ふとそのときのことを思い出す。
 
 とある人物に同じ事を言ったところ、数ヵ月後に製鉄所を訪問した際に白衣を剥ぎ取られて本当に放り込まれた。何事も無かったかのように引き上げられた白衣を見た瞬間、唇を尖らせて妙に悔しそうな顔をしていたので腹は立たなかったが、きっちりその夜に罰は与えた。
 
 などと昔を懐かしんでいると、呆然としていたルミナスが口を開いた。

「言うだけあって凄い素材だわ。でも、これって仮に全身覆ったら着てる人間は高熱に耐えられるの?」

 素朴な疑問を呈する。白衣が火炎魔法で焦げもしなくとも、普通に考えれば熱は伝わる。
いくら火が直接当たらなかったとしても、人間を一瞬で炭に変えるほどの火炎が発する高熱に中身が耐えられるはずが無い。

「いーや。耐えられん」

 海人は一瞬の惑いも無く即答する。
 ルミナスの懸念通り、困った事にこの素材は熱から中の人間を守ってはくれない。
 もしも全身を覆ったとしても先程の火炎魔法を受ければ、着ている物は無事だが中の人間は死亡というなかなか残酷な事になる。

「……意味あんのこれ?」

「あまりないな」

「凄いんだか馬鹿なんだか……」

「悪かったな。 む? ……すまん、ルミナス……トイレはどこだ?」

 唐突にゴロゴロ鳴り出した腹を押さえ、やや恥ずかしそうに尋ねる。
 どうやら冷たい水に浸かったのがあまりよくなかったらしい。

「ありゃ、お腹が冷えたの? 2階に上がって一番近い扉よ」

「ありがとう」

 礼を言うが早いか早足でリビングを出て、階段へ向かう。
 教えられた通り二階に登り、一番近いドアを開けてトイレに入った。
 幸い、トイレットペーパーは置いてあった。
 さらに意外な事に便座式であったが、汲み取り式のように便座の中は大きな穴が開いていた。
 そして便座の横には紙とそしてシャベルと山盛りのおがくずがバケツに入れてある。

「……まさか、用を足したらこのおがくずを落として上にかぶせて匂いを消すのか?」

 怪訝そうな顔で再度トイレの中を見回すが、詳しく考える暇もなく便意に襲われ、とりあえず用を足すことにした。
 




 数分後、海人はとりあえず用をたし終えて、考えたとおり穴に向かっておがくずを落としてからトイレを出た。

「うーむ……本当にこれでいいんだろうか?」
 
 が、すぐに自分の行動が正しかったのか考えこんでしまう。
 ただの汲み取り式ならば、横におがくずが置いてある理由がないためおがくずを使うのは間違いない。
 だが、これだけでいいのかと言われると困ってしまう。

 もう少し手順を加えればありえない話ではない。
 用を足した後のおがくずを撹拌して適温で加熱すればバクテリアの活性化によって悪臭もなく、なおかつ堆肥になる。
 水洗式よりも環境への悪影響もなく、農作物を育てるための肥料も作られるのだから悪いことはない。
 
 しかし、この場合はただ単におがくずを被せただけである。
 これをトイレに悪臭を発生させず肥料にするためには回収する業者なり、
ルミナスなりが短期間の間に溜まったおがくずと便をまとめて撹拌・加熱しなければならない。
 これはおそらく魔法を使っても結構な手間である。

(念の為ルミナスに確認するか……)

 女性相手にそんな事を聞かなければならない状況に頭を抱える。
 どう切り出したものかと、ひたすらに思索を巡らせながら、少しでも時間を稼ぐかのようにゆっくりと一階に降りていく。
 が、結局リビングに着くまで上手い考えは出てこなかった。

「……ルミナス。非常に聞きにくいんだが、あのトイレは用を足した後おがくずを落としておくだけでいいのか?」

 仕方なく海人は直球で聞くことにした。内心怒鳴られるんじゃないかとビクビクしつつ。

「そうだけど……ってか他になんかあんの? 
ああ、心配しなくてもこの家にも回収の業者が一週間に1回来るわよ」

 彼の危惧など知る由も無く、ルミナスはあっさりと答えた。

「ならばいいんだが……回収の業者というのはやはり堆肥の生産業者か?」

「ええ。普通はこんな辺鄙なところだったら業者のとこまで持ってかなきゃならないんだけど、
幸いこの崖の下から少し行ったところに業者の拠点があるから引取りに来てくれるのよ」

「それは便利だな」

「ま、それを頼む事が出来たからここに住んでるんだけどね。 
ん……ふわぁ……あ。うーん……それじゃいい加減眠くなってきたんで先に寝るわね」

 ルミナスは眠そうに欠伸を一つし、そのまま席を立つ。
 疲れが溜まっていたのか、その目はひどく眠たそうに細められている。

「ああ、おやすみ。私は少し肉体強化の練習をしてから寝ることにする」

「ん、また……っと、危ない危ない忘れるとこだった」

 ルミナスは海人の返事に後ろ手を振り、少しふらつきながら自分の部屋へ戻っていこうとするが、
リビングのドアの所で彼に言い忘れた事を思い出した。

「肉体強化だけど、ちゃんと体鍛えてないと翌日激烈な筋肉痛になる事も珍しくないから気をつけといたほうがいいわよ。あと強化が本人の体の限度超えると筋肉の断裂とか骨折もあるから加減は考えとくようにね~~」

 能天気な声で重要な事を語りながら海人の視界から去っていく。
 衝撃的な話をされた当人が魔力を出して強化をする寸前で固まっている事にも気づかずに。

 リビングの外でドアが閉まる音を聞くと、海人は深い深~い溜息をつき、魔力を消して自分も就寝するために借りている部屋に向かう。
 翌日出かける事が確定しているのに筋肉痛や骨折などの危険を冒せるほど彼は図太くは無いのであった。





テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
理想郷から来ました。
面白かったです。改定作業・10話更新を楽しみに待ってます。

9話での主人公の対応について、理想郷の感想板で疑問が多少ありましたが、私は一連の騒動が終わるまでは主人公の行動を批判するべきではないと考えています。
もしかしたら、その主人公の行動に深い考えがあったのかもしれないっと考えていますので・・・(期待してます!!)

理想郷の感想に書くべきかもしれませんが、ブログ最新話の拍手が「2」だったので、早く最新話・改定話が読みたい作者様のファンとして、応援になればと思い、ここに感想を書きます。

では、執筆活動を頑張ってください。
[2009/07/05 17:58] URL | Gfess #knJMDaPI [ 編集 ]


数日してからトイレの場所を聞くのか・・・・?
[2010/10/07 08:35] URL | い #- [ 編集 ]


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