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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット15


 番外編71



 海人の屋敷の地下室。
 ここは、訪れる者によってその意味を大きく変える。
 
 例えば、屋敷の主の場合、ここは研究室だ。
 人の感情を持つロボットの研究開発を行ったり、
護衛二人の為の魔法開発を行ったり、自身の護身用武器の案を考えたり、
やる事は多々あれど軒並み研究という一言で括られる。

 護衛を務める生真面目な女性の場合は、彼女の主を背中から眺める場所だ。
 山のようなアイデアが書き連ねられた紙で乱雑に散らかっていく床を見ると掃除したくなるが、
自身の破滅的な掃除能力を鑑みるととてもそれはできない。

 というか、一度やろうとしてまとめた紙束を主の後頭部とパソコン本体に投げ飛ばした事がある。
 海人は見事に気絶、パソコンも見事に大破と狙ったかのような被害を引き起こし、
その後くすぐりの刑に処された為懲りたのだ。

 なので、現在はもっぱら作業をする主の背中を眺めながら、
時折尋ねられる新魔法への要望などについて答えるだけの部屋になっている。

 そして、同じく護衛を務める明るくも物騒な少女の場合はというと、

「ああああっ! また負けたぁぁぁぁっ!?
なんなんですかこの鬼畜モードはぁぁぁっ!?」

 ゲーム用コントローラーを握り締め、悔しげな雄たけびを上げる。

 彼女の前では『YOU LOSE』の文字と共に金髪の少女が倒れ、
その頭を踏みつけながら腕を高々と上げる赤髪の中年男性の絵が表示されている。
 既に通算百回は見ている、見飽きた場面だ。

 雫がやっているのは、海人製の2D格闘ゲーム。
 これと言って変わったシステムではなく、コマンド入力で必殺技、
ゲージが溜まれば超必殺技が出せるというスタンダードな内容。
 画質は高画質かつ演出も派手で見応えがあるが、システム自体は使い古されている。
 海人が元の世界で無料頒布したばかりの時も、手堅いが面白みに欠けると評された内容だ。


 そして、雫は昨日まであっさりとゲームをクリアしていた。
 気に入って使っていた二刀使いの金髪少女ならば、ストーリーモード最高難度のラスボスを完封できるほどに。
 また、他のキャラを使っても最高難度クリアは余裕なレベル。
 はっきり言って、これまでやった海人製のゲームの中では一番楽勝だったのだ。
 
 が、その後最後に残った『地獄勝ち抜き戦』なるモードに挑戦してから、状況が一変する。
 それまで連戦連勝を誇っていた雫をして、全百戦の十戦までしか辿り着けなかったのだ。

 憤懣やるかたない、と言わんばかりの雫に、海人が溜息を吐きながら答える。

「だからやるなと言ったろうに。注意文も出ただろう?
悪ふざけ満載のモードです、と」

 雫が海人製のゲームに挑戦するたびに繰り返されるやり取りだが、
今度も海人は挑戦しようとする雫を止めた。
 
 なにせ『地獄勝ち抜き戦』はほぼ悪ふざけで作ったモード。
 理屈上は多分クリア可能という程度の意識で作った物だ。
 
 まず、使用キャラの体力と攻撃力が半減し、敵キャラは倍。
 一度ミスればそれが瞬殺を招き、劣勢の際好機を掴んでも一発逆転は不可能。
 それだけでも相当嫌な内容だが、敵キャラの他の性能も激変する。
 特定の技が防御不能の一撃必殺だったり、嵌まったが最後無限ループのコンボを叩き込んできたり、
攻撃が当たっても仰け反らずそのまま即死の投げ技を使ってきたりと、
クリアさせる気が皆無としか思えない程に容赦がない。

 が、このモードの真のいやらしさはそこではない。

「悪ふざけ満載にしたってステージが攻撃してくるって何なんですか!?
しかも敵が増える事もあるっておかしいでしょ!?」

 何度も晒された理不尽なギミックへの怒りを、おもいっきりぶちまける。

 このモードでは、敵は対戦相手だけではない。
 対戦ステージまでもがプレイヤーに牙を剥いてくる。
 火山のステージでは流れてくる溶岩に触れるとガード不能大ダメージ。
 工事現場ではたまに鉄骨が落ちてきて、これまたガード不能大ダメージ。
 雪山など一見飾りの四つの雪だるまが時間経過とともに巨大化し、
最後には襲い掛かってくる上、その雪だるままで倒さねばクリアにならない。
 
 それでもまだステージが固定されていれば対策の立てようもあるが、
ステージ選択は完全ランダム。

 つくづく、悪ふざけの権化のような内容なのである。
  
「いや、格闘ゲームだとなかなかクリア可能な範囲での良い難度上昇が思いつかなくてな。
ならステージに仕掛けをしてしまえと思ったわけだ」

「そこは素直に敵キャラ強化だけで我慢しましょうよ!?」

「それじゃつまらんだろーが。ちなみに、私の世界ではクリアした人間一人だけ出たぞ?」

「いいっ!? このアホみたいな内容をですか!?」

「うむ、技量もさる事ながらステージ運の恵まれ方が凄かった。
まあ、夢でうなされる程にこれに注力したらしいが」

 元の世界で見たクリア動画を思い返し、頷く。

 一度のミスも許されぬ敵を前に見事勝ち続けるのは尋常な技量ではないが、
これをクリアするには襲い掛かるステージに対する運も必要となる。
 雪山などが二連続でくれば、間違いなく詰む。
 動画では比較的楽なステージが多く出ていた為、間違いなく運に恵まれていのだろう。
 
 もっとも、そのプレイヤーはその動画を撮影した直後に入院したと言われている。
 毎晩毎晩雪だるまに襲われる夢を見る程注力した結果の奇跡だったのだ、と。
 その後クリア賞金として製作者から賞金が出されたとの噂も流れたが、それはあっという間に消えた。
 最初に出た情報の額が多すぎて、個人がそんなに出せるはずがないと判断されたのだ。
  
 最速クリア者には御褒美ありと書いておいたんだがなぁ、などと海人が思い返していると、
それまで黙っていた刹那が口を開いた。

「ふむ、場所に仕込みか。面白いかもしれんな」 

「……お姉ちゃん? 何考えてるの?」

 不吉な姉の言葉に、思わず訊ねる雫。 

「いや、そのゲームのように組手中にいつ何に襲われるか分からんというのは、
緊張感があって良さそうだと思ってな。非致死性の罠を使えば安全性も……」

「いやいやいや、ちょっと待とうねお姉ちゃん。
お姉ちゃんが非致死性の罠なんて作っても、どう考えても命の保証ないから」 

 真剣に物騒な事を検討し始めた姉を、必死で止める。

 姉との組手は、既に地獄に近い領域。
 一歩間違えば即三途の川へ御招待である。
 それに罠まで加われば、ましてドジには定評のある姉がその罠を作ればどうなるのか。

 真っ暗な未来以外には、思い浮かばない。

「だが、お前が作ってはお前の鍛錬にはならんだろう?」

「……そういう事なら、私が作ろうか?」

「海人殿が? よろしいのですか?」

「うむ。非殺傷系の罠を作ればいいんだろう?
研究も一段落しているし、君らさえ良ければ私が作って仕掛けるまでやるぞ?」

「では、申し訳ありませんがお願いいたします。
良かったな雫、これで問題解決だ」

「……そうだねー……」

 明るく語る姉に、肩を落としながら答える。

 海人が作るとなれば、確かに命は保証されるだろう。
 過保護すぎる程に過保護な主の事、万に一つの間違いもあるまい。
 命の保証がない姉が作るよりは億倍マシだ。 
  
 が、海人はこのゲームを始めとした鬼畜難度ゲームの製作者でもある。
 それが、この上ない不安要素だ。
 肉体は無事でも精神的に大ダメージ、そんな事態は十分考えられる。

 ――――そんな雫の不安は、ほんの数日後に見事的中する事になった。 
 
 
  
 
 番外編72




 刹那は、人生には後悔が付きものだと思っている。

 あの時ああすれば、こうすれば。
 たかが二十余年の人生でそんな事を幾度思ったことか。
 悔やんでも今更無意味、そう理解はしつつも思いは消えない。

 無論、人生における幸福は多々ある。
 雫という妹に恵まれた事も、海人という主に出会えた事も、刹那にとっては至上の宝物。
 これがあるだけで生まれてきた甲斐はあった、そう思える程に。

 だが、現在大きな幸福を掴んでいる事は自覚しつつも、
こうしていればもっと幸福になれたのではないかという思いは尽きない。
 
 そう――――現在のこの状況もなかったのではないかという思いが。

「ま、またハンマー!? だが避けられなくはないっ……!」

 先が丸まった三本の矢を回避しながら、上から降ってきたクッション材で出来たハンマーを回避する刹那。

 どれも当たったところで大怪我には繋がらないが、速度があるのでそこそこ痛い。
 ついでに言えば動きが硬直するとその途端正面の壁から木製の柱が飛んできたりするので、
避けないともっと痛い目にあう。

 が、避け続けたところで明るい未来があるとも思えなかった。

 飛んでくる物は部屋に仕掛けられたトラップなのだが、時間が経つにつれ発射速度が増している。
 それだけならまだしも、既に罠が発動した箇所すら安全地帯にならない。
 どこからか新たな罠が補充され、それが牙を剥いてくるのだ。

(あああああああああああああっ!? なぜこんな事に……!)

 無意味と知りつつも、刹那は後悔せずにはいられなかった。

 事の始まりは、刹那のちょっとした思いつき。
 雫に組手の時戦場に罠を仕掛けてみようという話をしていたのだ。

 いついかなる状況にも臨機応変に対応する為の良い鍛錬になると思ったが、
雫は刹那の仕掛ける罠は命の保証がないと嫌がった。
 大量の前科がある刹那は否定出来なかったが、雫が仕掛けてしまっては雫の鍛錬にならない。

 どうしたものかと考えていたところに、海人が自分が引き受けようと言った。
  
 ――――ここで喜んでお願いしてしまった結果が、現状。

 数日かけて準備が出来たと海人に案内されたのが、この地下室。
 拡張した所有地の地下に造られたこの部屋は数日前までただの直方体だったはずだが、
いつのまにやら身を隠せそうな場所が多数存在する複雑な地形になっていた。

 一見罠は見当たらないが、どんな物が仕掛けられているのか警戒せねばならない。
 姉妹はそう思い慎重に中央に歩みを進め、海人の開始の合図を待った。

 そして海人が開始を告げた瞬間―――二人の足元の床のタイルが、凄い勢いで上昇した。

 何が起きたのかも分からぬまま、高速で近づいてくる天井。
 コンマ数秒ほどの超短時間だったが、その間に二人は揃って我に返り、床に飛び降りた。
 これは油断ならない、と気を引き締めつつ組手を開始しようとするが、
今度は今しがた飛び降りた床の側面からグローブが飛んでくる。

 刹那はそれを払いのけつつ、横に吹っ飛んでいく雫に追撃をかけたが、
あと一歩というところで天井から落ちてきたクッション材入りハンマーに邪魔された。
 その隙に雫がすかさず攻撃に移ったが、その瞬間ハンマーが破裂し大量の香辛料がばら撒かれる。
 思いっきり吸い込んでしまった雫は悶え苦しみ、等距離にいた刹那もまた苦しんだ。

 そして――――その隙に二人仲良く壁から飛んできた木柱に吹っ飛ばされた。 

 その後も涙を流しながら組手を続行しようとしたのだが、尽く罠に遮られかなわなかった。
 お互いこの部屋の悪辣な罠の数々を凌ぐので精一杯で、相手にかまけている余裕が無くなったのである。

 とはいえ流石超人姉妹と言うべきか、鬼畜な罠の嵐をどうにか二時間以上持ち堪えている。

「にょわっ!? ふぎゅおっ!? うにゃあぁぁぁぁっ!?」

 悲鳴を上げながら、立て続けに飛んできた六本の木柱を空中で回避する雫。

 上下左右前後から飛んできたそれは一本一本の発射タイミングがずれていた。
 しかもどういう仕組か、必ず避けた方向の死角になる場所から飛んでくる。
 気配察知に長けた雫ではあるが、気配のない罠による死角からの攻撃の回避は難しい。

 どうにか回避はしたものの、既に雫の息は上がっていた。

「ぜえ、ぜえ……げほっ、ごふぉっ! 目的違ってるでしょ海人さぁぁぁぁんっ!?」

 残った力を振り絞り、一人無属性障壁の中で佇む主に抗議する。

 戦場に罠を仕掛ける、その主目的は戦いながら周囲の警戒を怠らぬ事だ。
 組手にこそ重点が置かれるべきであり、罠の類はあくまでもおまけである。
 少なくとも、いつどこから何がどう飛んでくるか分からない地獄を潜り抜ける事が目的ではない。

 そんな非常に切実でもっともな抗議だったが、この部屋はそんな暇を与えてくれるほど優しくない。

「へ……っ? ふんぎゃぁぁぁぁぁああああああっ!?」
 
 足元にパリッとした感覚を感じた直後、部屋中に雫の悲鳴が響き渡った。
   
 雫を襲ったのは、電撃の罠。
 床を踏んで一定時間が経過すると発動する仕掛けだ。

 と言っても普段の雫なら一瞬動きが固まる程度の威力なのだが、
大量の罠を散々避けた後の雫には十分過ぎる効果があった。 

 精根尽き果てた雫は、そのまま虚しく膝から崩れ落ちる。

「雫ぅぅぅぅっ!? あ、しまっ……!?」

 力尽きた妹の姿に思わず叫んだ刹那の頭上に、透明な液体が降り注いだ。

 それが避けきれず足にかかった事を感じ、刹那は青褪める。
 この液体は何度か回避したのだが、その後そこを通過した罠の残骸は凄い勢いで滑っていった。
 今の状態で迂闊に動けば、間違いなく罠の回避は出来ないだろう。

 かと言ってじっとしていても先程の雫のように何らかの罠にかかる可能性が高い。
 
(な、何か、何か方法は無いのか……!?)

 なんとか助かる為、必死で周囲を見渡しながら、思考を巡らせる。

 だが、これまでにも打てる手はほぼ全て打っている。
 罠のパターンを読もうとしたが、使われる頻度の多い罠があるぐらいで、
その罠も仕掛け方が多様なので予測するには足りない。
 空中ならば避けられる場所が多いかとも思ったが、それを埋めるかのように物が飛んでくる。
 空中を移動しながら風の魔法で飛んでくる罠を片っ端から吹き飛ばしてもみたが、
上から下りてきた天井の一部に叩き落とされた。

 ここまでか、と諦めかけたその時、刹那がある事に気付いた。

(いや、待てよ……避けるのに必死で気付かなかったが、
海人殿は開始地点から動いていない。という事は……!)

 考え終える前に、刹那は海人の元へと向かった。

 案の定足にかかった液体は恐ろしい滑り方でまともに走れないが、ならば滑ればいい。
 刹那はまるでスケートをするかのような要領で、加速していく。
 
 そして海人の間近に肉薄した刹那はそのまま拳を振り上げ、障壁を粉砕した。
 その勢いのまま、海人に圧し掛かるように安全地帯と思しき床に押し倒す。

 すると、海人は観念したかのように手元のリモコンで罠のスイッチを切った。
  
「気付いたようだな。そう、私のいるこの床が安全地帯だ。
ついでに言うと、気絶して倒れてもそこが安全地帯になる。あの状況で良く見抜いた、見事だ」

 言いながら、海人は倒れた雫の方を指差す。
 彼の言葉通り、倒れた雫にはそれ以上の罠は襲い掛かっていなかった。

「仰ることはそれだけですか?」

 にっこりと、刹那が微笑む。
 汗で長い髪が頬に張り付き色っぽくもあるが、異様に迫力のある笑顔だった。

「……ちょっと張り切りすぎたかもしれん」

「ちょっと、ですか?」

 更に微笑みを深める刹那。

 微笑みを浮かべた美女に床に押し倒される。
 男の夢の一つとも言える状況だが、海人の表情にあるのは緊張。
 どこをどう見ても、歓喜の色は見当たらない。

「……正直、やりすぎたかもしれん」

「もっと他に言うべき事があると思いますが?」

 さりげなく顔を逸らした主の頭を強引に自分の方に向ける。
 地震でも起きれば唇が触れ合いかねない距離だが、刹那にそれを気にした様子はない。

「……ごめんなさい」

「よろしい。まあ、そもそも頼んだのは拙者ですしね」

 ようやく謝罪の言葉を口にした主に苦笑を向けつつ、立ち上がる。
 海人もそれに笑みを返しつつ立ち上がったが、
 
「あっはっはー……あたしは全然よろしくないですからねー?」

 背後からおぶさってきた雫の声に、思わず身を強張らせた。
 ゆっくりと、海人は雫に視線を向ける。

「白玉ぜんざい食べ放題。私の知る名店の品を全種出そう」

「……ふっ、いいでしょう。ついでに心無い主に甚振られた美少女をおぶって運んでくれれば」

「はいはい」

 雫の現金な言葉に苦笑しながら、海人は雫を背に乗せたまま、刹那を伴って部屋の外へと歩き出した。 

  
  
 
 番外編73




 草原に、剣戟の音が響き渡っている。
 常人離れした剣速で交わされる刃の音は、ほとんど途切れる事がない。
 その音量などに慄き、周囲からは動物はおろか魔物の姿さえも消え去っていた。
 
 が、その音源たる二人はそんな事を気に留めた様子もない。

「ほら、足元お留守よ?」

 世間話でもするかのような暢気な語り口のまま、ルミナスがシリルの足を払った。

 口調とは裏腹に恐るべき鋭さを持つその足払いは、
若干不安定になっていたシリルの体勢を事もなげに崩してしまう。
 
 が、シリルは咄嗟に払われた足とは逆の足を使って体勢を立て直そうとし、

「ここは無理に体勢立て直しちゃ駄目なとこね」

 すかさず放たれたルミナスの打ち下ろしによって地面に叩きつけられた。

 剣の腹で殴られた為殺傷力は低かったが、ダメージは大きい。
 咄嗟に肉体強化を一気に高めはしたのだが、それでも全身が痺れている。
 
 地べたに這いつくばりながら息を荒げている部下に、ルミナスは静かに語りかけた。

「足払われてあんな反応が出来る事は良いけど、あの場合は払われた勢い利用して地面転がるのが正解よ。
それなら、今の私の攻撃は当たらなかったわ」

「き、肝に銘じますわ……」

 痛む体を起こしながら答えるシリル。

 ルミナスの言葉は、この上ない正論。
 先程は体勢を立て直そうとしたはいいものの、その為に僅かに硬直し、かえって大きな隙を生んでしまった。
 あれならば、バランスを崩した方向に前転でもした方が場を切り抜けられた可能性は高い。
 逃げる方向は悟られやすくなるが、勢いがついている分動きは速くなるし、
シリルは小柄なので体を丸めていれば攻撃が多少当たりにくくなる。

「あと、追い詰められると逆転策考えようとして思考に意識割かれすぎるのも悪い癖ね。
逆転策考えんのは良いけど、それは一端間合い離してから。
追い詰められた苦し紛れの状態じゃどんな上手い策だって成功はおぼつかないし、
あんたの場合それ考えてるせいで明らかに動きが鈍くなってる。
策実行する前に斬られたら何にもならないでしょ?」

「はい……」

 更に突きつけられた言葉に、シリルは肩を落とす。

 これもまた、反論の余地がない言葉。
 シリルは接近戦で追い詰められると、思考に気を取られ過ぎるきらいがある。
 無論状況を打破する手法を考える為ではあるのだが、そのせいで動きが鈍くなってしまっては本末転倒だ。
 いかに見事な策を考えていたところで、実行前に殺される可能性が高くなってしまう。

 しゅん、としょげてしまった部下に、ルミナスは更に言葉を続けた。

「でも、剣技自体は良い感じで上達してるわ。あんだけ打ち合えたのは大したもんよ。
それに、体術も良くなってきてるわね。たまに蹴りとかも混ぜられるようになってるし」

 優しく微笑み、シリルの頭を撫でてやる。
 
 決して、世辞を言っているわけではない。
 まだまだ未熟ではあるが、シリルの剣技の伸びは大したものだった。
 僅かずつではあるが、毎日毎日着実にルミナスと打ち合える時間が伸びているのだ。
 体術の方も、つい最近までは回避にしか用いる事が出来なかったのが、
反撃にも使えるようになってきている。
 ルミナスに届くまでは非常に遠いが、先が期待できる事は間違いない。

 最後の最後で与えられた称賛にシリルは、ぱぁっと顔を輝かせた。

「ああお姉さま! それほどまでに認めて下さるのでしたら是非御褒美が欲しいですわ!
そう、具体的には―――」

「却下」

「まだ何も言ってませんのに!?」

「どーせまた、キスしろだの胸に飛び込ませろだの言う気でしょーが。
私に同性愛の趣味は無いって何回言わせんのよ」

 疲れたように溜息を吐くルミナス。

 シリルの事は決して嫌いではない、というか可愛がっているのだが、こればかりは譲れない。
 ルミナスの夢は将来素敵な男性と幸せな家庭を築き添い遂げる事。
 断じて、素敵な同性と禁断の愛に溺れる事ではない。

「あら、私も同性愛の趣味はございませんわよ?
ただ恋をした御方がたまたま同性だった、それだけですわ。
つまり本当の意味で性別の壁すらも越える愛……素晴らしいと思われません?」

 キラキラと輝くような笑顔で語るシリル。

 誤解される事が多いが、シリルは生粋の同性愛者というわけではない。
 あくまでも好きなのがルミナスというだけで、他の女性には興味がないのだ。
 ルミナスを愛するあまり性別の壁を無視しているだけなのである。

 とはいえ、それを向けられる側としてはたまったものではない。

「相手に全くその気がないってのに押しつける愛ってのはどうかと思うけどね。
むしろ相手の事考えて素直に身を引くべきじゃないの?」

「ふっ……相手にその気がない程度で諦めるならば真の愛とは呼べませんわ。
その気がなくとも押して押して押しまくり、水滴が大岩を穿つかのように突き抜けてこそ愛!
あるいはじわじわと気付かれぬよう端から自分色に染めていき、最後には全てを染め上げる!
そんな根気あればこその真なる愛ですわ!」

「……毎度の事だけど、あんた犯罪者スレスレよね」

 熱弁する部下に、頭を抱えるルミナス。

 毎度毎度、この調子である。
 いくら言っても、シリルはルミナスの言葉を受け入れない。
 受け入れないなら受け入れるまで攻め続ける、というある意味潔い姿勢を貫いている。
 見方によっては純粋とも言えるかもしれないが、ストーカー気質と言った方が適切だろう。

 もっとも、ルミナスを本気で怒らせるような事はしないのでギリギリ踏み止まってもいるのだが。

「お姉さまと結ばれる事が出来るならば、犯罪者上等ですわ!
例え騎士団に追われようと全て射殺し、軍隊に追われようと壊滅させてみせましょう!」

「躊躇いなく国家権力に喧嘩売れるってのも大概よねー。
これで私に恋人出来たらどーなる事やら……」

「その点は御安心を。万一そんな事があってもお姉さまに愛される資格があるか試すだけですわ」

「ありゃ? ちょっと意外ね」

「私はお姉さまを不幸にしたいわけではありませんので。
とはいえ……両手両足を矢で貫かれながらお姉さまへの愛を毅然と叫べるぐらいは最低条件ですわよ?」

 にたり、と顔に似合わぬ邪悪な笑みを浮かべながら物騒な事をのたまうシリル。   

「いやいやいや、厳しすぎるからね!?
その条件だとまず武人系しかいなくなるから!
つーか相当意志の強い武人でも厳しいでしょそれ!?」

「真にお姉さまを愛していればその程度の苦難で愛を叫べぬ事は無いでしょう。
少なくとも、私ならばやってのける自信がございますわ」

「……ヤバい、否定できない」

 余裕の笑みを浮かべるシリルに、頭を抱える。
 
 内容云々はともかく、シリルの思いの強さは尋常ではない。
 必要とあらば、シリルは両手両足が千切れていてもルミナスへの愛を叫ぶだろう。
 
 そしてその彼女を押しのけるなら同等の愛を示せ、というのは分からなくはない。
 自分程の思いを抱かぬ人間に愛する人間を奪われるなど、許せないだろう。

 が、それに納得してしまうとなると、

「私一生独身確定になんじゃないの……!?」

「大丈夫ですわ! このシリル・メルティならばいつでもどこでも24時間お姉さまを受け入れます!
クローゼントルート共和国などは同性婚が認められておりますし、何の問題もございません!」

「だから、私は普通に素敵な男の人と結婚したいんだってばぁぁぁぁぁっ!」 

 どこまでも我が道を貫こうとする部下に、ルミナスは思わず絶叫した。
 
 
 
   

 番外編74






 ルミナスは、苦悩していた。
 どう足掻いても、一向に進展らしい進展がない現状に。
 よりにもよって料理で、まともに作れない物があるという事実に。

 長年かけて、技は磨き抜いてきた。
 包丁の使い方も、火加減の見極めも、盛り付けも、かなりのレベルに達している自信がある。
 所詮凡人の身ではあるが、それでも費やした年月と情熱は胸を張っていいはずだ。

 しかし、それを持ってしても今眼前に立ちはだかるこの料理はいかんともしがたい。 

 今まで培ってきた技術。それが何一つ通じない。
 最初は容易くできそうに思っていたが、やればやる程道の険しさが分かる。
 指に込める力加減、速度、そして何気なさそうな動作の精密さ。
 どれも単純そうでありながら、極めて難しい。
 ある程度の形には整えられるが、そこから進めないのだ。
 
 どうにかこれを打開できないかと頭を抱えていると、

「だから無理だと言っただろうが。いくら君でも、一朝一夕で出来る技ではない」

 海人が、背後から慰めるように声をかけてきた。
 
 彼には、この結果は予想で来ていた事。
 ルミナスは間違いなく料理上手だが、これは今まで彼女が作ってきたそれとは違う。
 一見単純なようだが、その実相当な修練を必要とする料理なのだ。
 
「あんたは出来るじゃない! あんたの事だから、必死で練習したわけでもないでしょ!?」

「ふむ……とりあえず、訂正すべき点が二つある」

「なによ?」

「一つ目。これは、出来る内に入らん。見せる時にも言ったはずだが、見様見真似の拙い技巧だ。
まあ、三流の本職よりはマシだろうが、二流とは呼びにくいだろうな」

 自分の作った物を見て、溜息を吐く。 

 ルミナスが作った物に比べれば上等な出来だが、まだまだ未熟。
 記憶にある本職の技を真似たものの、一流どころか二流とも呼べない。
 こんな物を店で客に出せば、余程値段が安くない限り遠からず潰れるだろう。

 海人の客観的で自虐的ともとれる言葉に、ルミナスが絶句する。

 お試しに、と海人に食べさせられた料理。これははっきり言って、かなり美味かった。
 胸を張って出せる出来にはならないだろうから今まで作らなかったと言われ、その意味が理解できなかった程に。
 これで二流にすら届いていないなら、一流はどれほどの美味なのか、想像もできない。

 唖然としているルミナスに、海人は言葉を続ける。

「二つ目。子供の頃の話ではあるが、一時期練習していた時期がある。
目の前に出される時の一連の仕草がかっこよく見えて、やってみたくなってな……」

「……子供の頃なら、それこそ大した時間やってないんじゃないの?」

「いや、私にしては練習していたぞ。途中で努力の方向性が変わってしまったが……。
まあ、所詮子供の努力と言われてしまえばそれまでなんだがな」

 自分が作った物を口に放り込み、当時の記憶を回顧する。

 両親に連れられて行った店。そこで出される色彩豊かな料理。
 目の前で作られ、芸術品のような美しさを醸し出すそれは、
口に入れると瞬く間にほろほろとほぐれていく。
 それでいて、旨味はきっちりと鮮烈で爽やかな余韻を残して消えていく。

 当時も食べ物に興味は薄かったが、母がいつも作る料理とは全く性質の違うそれに、
こんな料理もあるのかといたく感動し、それを出す職人に憧れめいた気持ちを抱いた。

 で、目の前で見た職人の動きを記憶し自宅でもやってみたのだが、これが難しかった。
 理屈の上でこう動かせばいいというのは分かっていたが、体が思い通りに動かない。
 そのせいで不必要に材料を弄り回し、変に生温かく固い何かになってしまった。

 そこで素直に努力を続ければ――――否、真っ当な方向での努力を続けていれば、
ルミナスに完璧なお手本を見せられたかもしれない。
 ありとあらゆる物を分析し理論化する怪物頭脳と無駄なまでの器用さを併せ持つ彼であれば、
技術の習得それ自体は不可能ではなく、分析した技術の域までであれば短期間で辿り着いていただろう。
 
 しかし、現実にはあっという間に努力の方向が明後日を向いた。

 よりにもよってその幼き怪物は、自分が出来ないなら出来る物を作ればいいという発想に向かったのだ。
 そして、その料理を作る為だけのロボットを完成させたのである。
 結果成功し、自分の考えは間違っておらず、体さえついていけばちゃんとできると変な満足をした子供は、
そこで技を磨く事を止めてしまった。

 いつのまにか自分もああいう事が出来るようになりたいという願望から、
ああいう技を再現したいという願望にすり替わっていた事に気付いたのは、実に二年後。 
 その頃にはすっかり別の研究に夢中になっていたので、何事もなかったかのように当時やっていた研究にのめり込んだ。

 こんな事があるならもう少し練習しておくべきだったか、と海人の心に若干後悔が生まれる。

「いえ、子供の頃に練習しただけでこれは凄まじいのでは?
舌で押せばちゃんとほぐれますし、昔ヒノクニで食べた物には劣りますが、良い出来だと思います」

 海人の言葉に、刹那が異を唱える。

 確かに、一級品とは言い難い。
 そうであれば舌に乗せた瞬間米がほろりとほどけ始め、官能的な食感が広がる。
 それでいて上に乗った物とも溶け合い、噛みしめると旨味が増し、喉を通過する瞬間も快楽を伴う。
 
 これは舌で押さねば米がほぐれず、一体感もいまいちだが、それでも美味いには美味い。
 子供の頃に一時的に練習しただけでこれなら、ちゃんと続けていれば一流になれたのではないかとさえ思える。
 
「ほら、やっぱりあんたの上手く出来てるんじゃない」

「まあ、食えるレベルだとは思うがな。しかし、こんなもん覚えるにしても労力と見合わんと思うぞ?」

 尚も食い下がるルミナスを、やんわりと諭す。

 海人が習得した技術の元は、一流の本職。
 それも上に超がつくレベルの職人の技術だ。
 考えうる最高の手本といっても良い。

 対してルミナスが学ぶ元は、格段に劣化した海人の技術。
 手本としてはお世辞にも良いとは言えない。

 才能があったとしても、実際に見た技術の差は大きい。
 どう考えても、習得にはかなりの時間がかかってしまうだろう。

 かけた時間に対して得られる成果が割に合わない事は明白だった。
 
「でも、一流品はこの大陸じゃ自分で作らなきゃ食べらんないでしょ?」

「まあ、確かにそうだが」

 ルミナスの問いに、若干の後ろめたさを感じつつ答える。

 通常なら、この大陸で今作っている料理を食べる手段はない。
 ヒノクニ特有の料理である為、材料の調達が困難であり、当然職人もいないのだ。 

 が、海人がかつて果てしなく方向性を間違えた努力の結晶を使えば、話は変わる。
 あのロボットは一流職人の技術を再現出来る為、材料さえ用意すれば何でも作れてしまう。
 
 とはいえルミナスにその話をするわけにもいかない。
 ゆえに心中を完璧に押し隠し、口調にも表情にも動揺を見せずあっさりと流したのだが、 

「……ん? あんた今何か隠したわね?」

「ちょ、何故分かった!?」 

「勘。で、何を隠したの? どっか食べられる当てがあんの?」

「……秘密ということで」

「む、どうしても教えたくないの?」  

「うむ、教えると問題が大量発生してしま……いや、現物だけで良ければ用意出来るか。
多少味は落ちてしまうが」

 少し考え、意見を翻す海人。

 ロボットを見せるわけにはいかないが、それが作った物を食べさせる分には問題ない。
 材料についても今目の前にあるかつて収集したデータに基づいて仕込んだ物は、一流の名に相応しい味だ。

 ならば地下室でロボットに作らせ、それをここまで運べばいいだけだ。
 目の前で作った物に比べれば味が落ちてしまうが、そこは仕方ないだろう。

「ホント!?」

「うむ。しかし、どうやって用意したのかは詮索禁止だぞ?」

「食べられるなら問題ないわ!
元々この大陸じゃ一級品は食べられないっていうから習得しようと思ったんだし!」

「そうか。では、早速用意してこよう。地下に行って来るから、しばらく待っててくれ」

 そう言うと海人は一通りの材料を台車に乗せて、地下室に向かう。

(まあ、あれなら多少時間が経過しても大丈夫か……一応良く出来た部類だし)

 歩きながら、そんな事を考える。

 幼い頃開発したロボットは、まさに悪魔の発明だった。
 国内最高と言われる職人の技を、完璧に再現する恐るべきロボット。
 世に出れば職人の多くが自信を喪失するかもしれない、それ程の完成度。 
 ふと思い出して売り出そうと考えたところで、当時はまだ友人だった女性に制止された作品だ。
 あれならば、技術レベルとしては問題ない。  
 
 そう―――あの握り鮨マシーン『にぎにぎ君』の技ならば、必ずやルミナスを満足させられるだろう、と。

 
 
 
  



 番外編75





 エミリア・天地は、気怠い心地で目を覚ました。

 外は暗く、室内も冷えている。
 時計を確認すると、時刻は五時半。
 目覚ましは六時半にセットされているので、期せずして早起きしてしまった事になる。

(ん……まだ少し眠いわね)

 小さく欠伸をしながら、考える。

 このまま起きるには、まだ眠い。
 かといって二度寝するには残り時間が物足りない。
 出来れば二時間ぐらいは欲しいところだ。

(朝食の準備もすぐできちゃうから今からやっても意味ないし……)

 んーむ、と考え込む。
 
 今日の朝食の仕込みは、軒並み昨晩終えている。
 やるとすれば一品加えると言ったところだろうが、少食な夫――海人にはよろしくない。
 食べる量が少ない彼の為に考えた栄養バランスを崩してしまうというのもあるが、
なにより彼は出された物を残さないのだ。
 満腹の時でも折角作ってくれたのだからと少し無理をしてでも食べきってしまう。

 妻として非常に嬉しい事ではあるのだが、夫の体を考えると心配になる。

(昨日たっぷり汗掻いたから、シャワー浴びる……んー、そっちよりは布団でぬくぬくしてたい)

 考えながら、布団に深く潜り込む。

 昨晩はたっぷりと運動して汗を掻いたが、今からシャワーを浴びる気にはならない。
 肌がべたつく感じがあるので流したくはあるが、それよりも布団から出る事が面倒だという欲求が強い。
 料理を作るのならやる気が出るのだが、シャワーではわざわざ起きる程のやる気は出ないのである。
 
(うーん、結局だらだら時間過ごすのが一番なのかしらねー) 

 そんな事を考えながら、隣で眠る夫の顔を覗き込む。

 それは、非常に安らかな寝顔。
 起きている時の悪そうな顔とはまるで違う、あどけない表情。
 これだけを見れば、とても二十代の青年には見えない程だ。 

(ふふ……あの『白衣の魔王』がこーんな可愛い寝顔してるなんて、誰も信じないでしょうね)
 
 夫の鼻先を人差し指で軽く突きながら、悪戯っぽく微笑む。

 海人は、世界各国の諜報部から魔王の如く恐れられている。
 大概の国家は一度は海人にちょっかいを出した事があり、
手痛い、というか惨たらしい報復を受けているのだ。

 だが、その恐怖を乗り越えてでも欲しいと思う物を海人は山ほど所持している為、
国家からの手出しが完全に途絶えた事は無い。
 最低でも週に一度は屋敷に侵入しようと試みる馬鹿が現れ、防衛設備によって勝手に死んでいく。

 そんな状況からついた仇名の一つが『白衣の魔王』である。
 常に白衣を纏い、身の程知らずな人間達を自らの城である屋敷にて待ち受け、無慈悲に虐殺する。
 凡人にその暴虐を止める術はなく、ただ虚しくその生を散らしていくのみ。
 そんな事から付けられた仇名だ。

 その魔王が、こんなあどけない寝顔で眠る男だなどとは、誰も信じないだろう。

(ま、勝手にも程がある仇名だけどね)

 ふん、と小さく鼻を鳴らす。

 エミリアから言わせれば、名がついた由来となった犠牲者達はただの強盗。
 国家組織に所属しているだけの強盗が民間人を襲撃し、返り討ちになっただけの事。
 大半はあっさり死ねただけ幸運だと思えと言いたくなるぐらいだ。
 
 他に付けられている大量の仇名も、同様。
 海人に一切の非がないとまでは言わないが、犠牲者にこそ非がある場合が大半だ。

(ホント、悲惨よね……勝手な事ばっか言われて)

 愛おしむように、夫の体を抱きしめる。
 身勝手な者達にさんざん傷つけられた夫の心を少しでも癒そうとするかのように。
 
「ん……?」

 刺激に反応したのか、海人の声が漏れた。

 それに伴ってゆっくりと瞼が開き、ぱちぱちと瞬きを始める。
 数回瞬きをした後、まだ眠気が残っていそうな目で枕元の時計に目を向けた。
 そして自分に密着している妻を見て、なんとなく頭を撫でる。 
 
「起こしちゃった?」

「ああ……どうかしたか?」

 エミリアの頭を撫でながら、穏やかに訊ねる。
 その表情には、起こされた事に対する抗議の意思は見当たらない。
 むしろ、抱きついている妻に対する慈愛が滲み出ていた。
 
「あはは、ちょっと愛しい旦那様に抱きつきたかっただけ」

「……そうか。では」

 海人は苦笑すると、エミリアの体を抱き返した。

 体が触れる面積を極限まで大きくしようとするかのような、抱擁。
 苦しくはない程度にだが、強い力が籠もっており、肌の密着度が凄い。
 愛おしいと全身で表現するかのようなその動きに、エミリアの頬が赤く染まる。

「ちょ、ちょっとどうしたの?」

 少しどもりながら、訊ねる。

 普段の海人は、あまりこういう事はしない。
 エミリアに抱きしめられたら抱き返すが、こうも露骨な動きはしないのだ。
 あくまでも柔らかく、自然な動きで抱きしめてくる。

 こちらの方が愛情を感じられて嬉しいのだが、普段しない動きに驚きが隠せない。

「ん? ちょっと愛しい奥様に抱きつきたかっただけ」

「……私のまねっこですか。まったく、ガキっぽい旦那様ですこと」

 悪戯っぽく笑う夫に、仕方ないやつだ、と言わんばかりに溜息を吐く。
 だが、その表情には隠しようもない歓喜が浮かび上がっている。
 
「今更だな。それで、どうする? このままいちゃいちゃするか?」

「んー……いちゃいちゃしてると盛り上がっちゃいそうだし……」

「では、このまま二度寝するか? たまには朝寝坊も悪くなかろう」

「……いいの? 昨日中断した研究続けたいんじゃないの?」

 申し訳なさそうに、訊ねる。

 昨日、エミリアは海人に一週間程構ってもらえなかった事で研究室に突撃した。
 そして強引に研究を中断させ、夫婦のスキンシップを望んだのだ。
 
 研究馬鹿を極めたような夫が、我儘な妻に気を遣って無理を言っているのではないかと思わずにはいられなかった。  

「それはそうなんだが、君を抱きしめてたら少しのんびりしたくなった。
なに、急ぐわけでもなし、二度寝の後でも問題ない……おやすみ」

 言うが早いか、海人は目覚ましを切った。
 そして、まだ少し躊躇っているエミリアを安心させるように、額にキスをする。

「えへへ……そんじゃ、夫婦揃って今日は朝寝坊しましょっか」

 頬をほころばせたエミリアは、そのまま海人の胸に頭を乗せると、目を瞑った。  


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