ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄96
 シリルは、厳しい面持ちである平原に赴いていた。
 いつでも戦闘に移れるよう左手に弓、右手に矢を携えている。

 が――――近くにルミナスの姿はない。

 先日のように上空で待機してもらっているわけではない。
 離れた場所で潜んでもらっているわけでもない。

 シリル一人で、この場所にやってきたのだ。
 
(……指定された場所はここ、時刻もそろそろ、ですわね)

 呼吸を整え、周囲を警戒する。

 気配察知の範囲を広げると、かなりの人数が引っ掛かった。
 今のシリルの位置を取り囲むかのような、円状に。
 数で囲み、圧殺するつもりなのだろう。

 ――――落胆は、ない。

 まだそれには早いし、確定したとしても今更な話。
 むしろこの後がやりやすくなって助かるとも言える。

 そんな事を考えていると、囲んでいる連中の顔が徐々に視認でき始めた。
 シリルにとっては忌々しい、イナテア神官戦士団の顔ぶれ。
 シリルが出奔するその日には、既に入団していた者達。
 兄を貶める片棒を担いだ、許されざる連中だ。
 
 そんな中、一人だけ違う者がいた。
 当時既に一線を退いて退団し、後進の指南役になっていた者が。
 
 全員が足を止める中、その男だけはシリルに向かって一歩踏み出した。

「ふ、のこのこと来おったか、背神者めが」

 十年ぶりに会う娘に、ローメルは嘲るような笑みを向けた。

「戦う前に一対一できちんと話がしたい、そういう手紙でしたが?」

「ふはははははっ! 愚かっ! なんと愚かなっ!
貴様如き背神者といちいち話などするはずがあるまい! そんな事にすら気付かぬか!」

 殊更に大きな声で嘲笑うローメル。

 実に、愉快だった。
 偽りの手紙に踊らされてノコノコやってきた娘が。
 十年前あれほどの事件を起こし、まだ親子の情があると思っている娘が。

 自分に深手を負わせた怨敵をこの手で殺せる事が、嬉しくて仕方ない。
 
「手紙で誘い出してこれでは、あまりに品がありませんわね。
話をするかどうかはともかく、せめて一対一で対峙するべきではありませんの?」

「たわけが! 汚らわしい背神者などにそんな情けをかける必要がどこにある!?
あの無能と同じくグラウクスの名を汚しおった分際で!」

「それとも昔負わされた傷が酷くて、一対一で対峙する勇気などないという事ですの?
グラウクス家の名が聞いて呆れますわよ?」

「……貴様、誰と話しておる」

 ここまで来て、ローメルはようやく奇妙な事に気付いた。

 先程からシリルはローメルの方を向いてはいるが、視線は微妙に外れている。
 さらに、先程の言葉は明らかにローメルの言葉を無視して喋っていた。

 そんなローメルの様子に構うことなく、シリルは話を続ける。
 ローメルのすぐ後ろにいる、メルヴィナに向かって。

「私を断罪するというのなら、せめて己は正々堂々たるべきでしょう。
情に訴え騙して嵌めるなんて下品な真似をしておいて、断罪などとは片腹痛いですわよ?」

「貴様……!」

「さっきからうるさいゴミですわね。
何だか知りませんが、人間様が話しているのですからクソ虫はお黙りなさいまし」

 冷たく言い捨て一瞥をくれると、シリルは再びローメルから視線を外した。
 視線を向けてやる価値すらない、そう態度で語るかのように。

「こ、こここ、この背神者がぁぁぁぁっ!
そこに直れ、私が直々に裁いてくれるわ!」

 娘の態度に激昂し、威圧するように槍を振るうローメル。

 不肖の娘と自分では、その実力は比べものにもならない。
 今は一線を退いたが、若き日は各地で数々の武功を挙げ、時に英雄ともてはやされた身だ。
 ちょっとばかり名を馳せた傭兵団の一員如きとは、比べものになるはずもない。
 かつて深手を負わされたのは事実だが、それは不意を打たれたためだ。
 今のように真っ向からぶつかるのであれば、立場は逆転する。
 
 そんな確信を抱いているローメルに、シリルは冷たい視線を向けた。 

「―――――で、この茶番はいつまで続けますの?」

 面倒臭そうにシリルが呟く。
 その言葉にローメルが怪訝そうな顔をした瞬間、

「がはっ……!?」

 背後から突き出された槍が、ローメルの体を貫いた。

「咄嗟に即死は免れるあたりは腐っても、といったところか。
まあ、いずれにせよ致命傷だが」

 淡々と呟きながら、メルヴィナは冷たい表情で父に突き刺した槍を引き抜く。
 ボタボタと流れていく己の血を押さえながら、ローメルは娘を睨み付けた。
 
「ぎ、ぎざま……い、いったいなに゛を゛……」

「背神者の始末に決まっているだろう?
本来聖人として扱われるべき兄上に、率先して云われなき罪を着せた下種が。
ナーテア様の御名において、メルヴィナ・グラウクスが断罪を下す――――疾く、地獄へ行け」

 凍てつくような声音と共に、メルヴィナの槍が霞む。

 その次の瞬間、ローメルの頭が弾け飛んだ。
 頭蓋骨、脳、眼球、多くのパーツが不快な音を立てて飛び散っていく。
 それらが地面に落ちるか否かというところで、残った体が血を噴き出しながら崩れ落ちた。
 最後に大地に広がるは、一瞬前まで生きていたとは思えぬ無惨な亡骸。

 かつては武勇でイナテアに名を轟かせた男の、あっけない最期であった。

 唐突な親殺しにもかかわらず、周囲に動揺はない。
 予定通り、驚くような事は何もないと言わんばかりに。

 どうやら、ローメル以外はこの流れを知っていたようだ。

「いささか足りませんが……まあ、相応しい末路ですわね」

 そう呟くと、シリルはかつて父と呼んでいた物体からあっさりと視線を切った。
 こんな下種の末路よりももっと肝心な話が残っている、と。

「まったくだ。さて、話だったな? 何が聞きたい?」

「まず、今回の指揮官は貴女、という事でよろしいんですの?」

「その通りだ。意外か?」

「ええ、武勇に優れど策には弱かった貴女が、
たかが十年でアンリさんを翻弄する域に至るというのは、流石に」

「必要だったから身に着けた、それだけだ。他には?」

「……十年前、なぜそこの生ゴミ共を止めなかったんですの?」

 今に至るまでまるで分からないその問いを、シリルはぶつけた。

 メルヴィナ・グラウクスという人間は筋金入りの超堅物だ。
 信仰絡みの話ではそれがさらに酷くなり、僅かな妥協も許さない。
 なにせ、祈る体勢の角度が僅かにズレているだけで槍の柄が飛んできたのである。
 完璧な祈りの体勢を取れるようになるまでだけでも、何度殴られたか分からない。
 
 そんな彼女が、あれだけ大量の実績を積み続けた兄が冒涜されるのを黙ってみているはずがない。

 死者は、ある意味において究極の弱者である。
 何を言われようが、何をされようが反論も抵抗も出来ない存在だからだ。
 それはナーテア教においては本来異教徒であっても労わられるものであり、冒涜するなど以ての外。
 まして、聖人と言ってもいいぐらいの実績を積んでいたゼオードなら尚の事だ。

 その決断がナーテア教の教団存続のために必要不可欠だとしても、折れる人間ではない。
 教団などという所詮は人の作った集団より、教義の遵守こそを第一とする。
 どれだけ理路整然と諭されたところで、そんな事が理由になるかと全てを敵に回す。
 メルヴィナ・グラウクスはそういう人間だった。
 
 が、メルヴィナは十年前ゼオードへの冒涜を看過した。
 
 それは、誤解のしようもない厳然たる事実。
 シリルが己の眼で目撃し、それゆえに戦う事になったのだから。

「……私の不覚だ。兄上亡き後の事後処理に手間取っている間に、全ての準備が整えられていた。
私があそこから足掻いたところで、流れは変えられん。ゆえに、乗ったフリをして機会を待ったのだ。
今回の件を片付け帰還すれば、私達は教皇並びに枢機卿達と内々に接見し、褒美を与えられる事になっている。
ここには連れてこれなかったが、その警護にはあの女もいるだろう……長かったが、これで間違いを正せる」

「……その為に、あんなおぞましい事を見逃した、と?」

 視線で射殺さんとばかりに、シリルの眼光が鋭くなる。

 理由は、分からなくもない。
 兄を貶める全ての準備が整っていたのなら、当時のメルヴィナが足掻いても無駄だ。
 かつての彼女は知識は豊かでも活用能力に欠けていた為、策には滅法弱かった。
 組手でもシリルが絡め手を使えばほぼ確実に引っかかり、それを力尽くで打破していたぐらいだ。
 足掻いたところで、自分も貶められ背神者の汚名を着せられたか、事故死させられた可能性が高い。
 
 そして、今回の件の手際からしてそれを強く悔いていた事も見受けられる。
 年の離れた妹にさえ知略で惨敗していた彼女がアンリに見事対抗し、現状は勝利しているに等しいのだから。
 あれからどれほどの努力を積み上げその域に至ったのか、敬意すら抱きそうになる。
  
 だが、それでもかつてメルヴィナが看過した罪はあまりに重い。
 
 シリルが目撃した、惨劇。
 あんな蛮行を見逃すなど、ナーテア教徒としてあっていいはずがない。
 無論、ゼオードの家族としても。

 そんなシリルに対し、メルヴィナは静かに答えた。  
   
「そうだ――――それにもし兄上があれを見ておられれば、彼らを許せと仰っただろうしな」

「……っ!」

 返ってきた言葉に、シリルは思わず歯噛みした。
 メルヴィナの言葉に、咄嗟に反論出来なかったが為に。
 
 メルヴィナの言葉は、おそらく正しい。
 ゼオードは、あまりにも優しすぎる人物だった。
 己がどれほどの蛮行を受けようと、それで一時心が救われるならそれでいいと言いかねないほどに。
 例え辱めているのが、それまでずっと守り慈しんできた人間達であったとしても。     

 異論は山のようにあるが、それを考えればメルヴィナの判断は責められる話ではない。
 家族としてそれでいいのか、と言いたいが亡き兄の意を汲んだと言われればそれまで。
 シリルと違いメルヴィナは己の憤りより故人の意を重視した、それだけの事だ。
 
 あの蛮行に理性で抑えられる程度にしか憤らなかったとも言えるので許せはしないが、
彼女なりの考えと信条ゆえの行動と理解はできる。

 結局、予定通りにしかなりえないのは虚しかったが。 

「なるほど、だからこそ―――――あの外道共を皆殺しにした私を断罪する、と」

「つまるところ、彼らは扇動されただけだ。罪はあるが、死に値するような罪ではない。
まして、ナーテア教徒であった貴様が殺すなどもってのほかだ」

 ギロリ、と強い戦意を湛えたメルヴィナの視線がシリルを貫く。

 あまりにも予想通りの反応に、シリルは思わず苦笑していた。
 昔から変わらない、どこまでいっても融通の利かない頑固者。
 ナーテア教の教義を第一として、他の優先順位が全て下にくる。

 その意思の強さと純粋さにかつては憧れていたが――――忌々しくも感じていた。 

「変わりませんわね。全てにおいてナーテア教が第一……私の行動が理解できないわけではないでしょうに」

「理解できようが、それが許されるかは別の話だ。
貴様はナーテア教徒でありながら教義に背き、大罪人でもない弱者を惨殺した、その事実は変わらん」

「その大罪人の定義自体がおかしいと思いますが……まあ、無駄な問答ですわね。
貴女が今更意見を変えるような事はないでしょうし」

 一つ溜息を吐くと、シリルはぐるっと周囲を見渡した。

 完全に包囲された状況。
 数こそ膨大ではないが、質は昨日まで片付けてきた敵とは比較にもならない。
 ざっと見回しただけでも、矢一本で射殺できそうな人間は皆無。
 距離も致命的なほどではないが近く、弓で戦うには不都合の多い間合。
 極めて不利な状況と言って差し支えないだろう。

 さらに、メルヴィナの実力。
 
 先程ローメルを貫いた一撃と、とどめを刺した一撃。
 どちらも非常に鋭く、素早く、無駄がなかった。
 シリルが知っていた頃とは比較にもならない。

 とはいえ、戦いは不可避。
 メルヴィナやその周囲に見逃す気はなかろうし、シリルとてそれは同じ事。
 彼女らがシリルを許せぬように、シリルも一時的だろうが、苦渋の選択だろうが、兄を貶めた連中を許せない。 
 
 覚悟を決め、シリルは弓を構えた。
 
「……話は終わり、そういう事でいいんだな?」

「ええ―――――では、始めましょう」




















 海人は実験を潜り抜けた己の作品を見下し、険しい顔をしていた。

 性能には、何ら問題はない。
 むしろ、当初の予定よりも良い物に仕上がっている。
 起きた時に思いついた内容など諸々盛り込んだら、予想以上の成果が出たのだ。
 実際の使用感は海人では分からないが、それでも耐久性能には一切問題がない。

 しかし、最後の最後になって予想外の問題が生じた。
 それも、何にどう影響するのか分からないような問題が。
 
「……分からん。いくらなんでも勝手に動き出すような事はあるまいが……私は何を作った?」

 唸りながら、しばし熟考する。

 先程から様々な事を試してみたが、現状判明している限りでは、性能に悪影響をもたらす問題ではない。
 むしろ、多大な好影響をもたらすと言っていいだろう。
 予期せずこんな効果が付いたのは幸運と言ってもいいのかもしれない。

 が、同時に不気味でもあった。

 なにしろ、海人は全く意図していなかった効果なのだ。
 実際、これまで砕かれた試作品の数々には類似する効果すらついていない。
 それどころかその原因すらも完全に不明。
 何が関係しているかぐらいは予想しているが、根拠はなくまったくの勘と言って差し支えない。

 しばし熟考した後、海人はとりあえず思考を切り上げる事にした。

 少なくとも、性能面では何ら問題ないはずなのだ。
 世界広しと言えど、現在同じ材料でこれ以上の物を作るのは自分以外には無理だろうと思う程度には。
 耐久試験用の物とは別にまったく同じ物の予備も用意してあるので、耐久試験のせいで耐久限界が間近になったなどという間抜けも避けられる。

 となれば時間にさしたる余裕があるとは思えない現状、あまり深く考えすぎるのは得策ではない。
 もし手直しを考えて実行している間にタイムリミットになりでもすれば、本末転倒だろう。

 そう結論を出すと、海人はついに仕上がった完成品を手に取ると瞑目し、しばし額に押し当てた。 

(……ま、こんな事で何が変わるわけでもないが)
  
 手の物を額から離すと、海人の体が若干傾いた。
 どうやら、軽い立ちくらみを起こしたらしい。

(……連日ほぼ休みなしだったからな)

海人は苦笑すると、手の物に布を巻き付けていく。
 その途中で、刹那が地下室にやってきた。

「おはようございます、海人殿。ん……? ああ、無事仕上がったのですね?」

「ああ。迷いが晴れたせいか、今朝は色々思いついてな。
ま、一応とはいえ主君の頭どつく不忠者のおかげだな」

 そう言うと、海人は意地悪気な笑みを刹那に向けた。

「……あのまま話し続けていても埒があきませんでしたので。
主君に前言を翻すような無様を冒させぬのも、近衛の務めでしょう」

「ふむ、なかなか言うようになったじゃないか。
おちょくるたびわたわた慌ててた可愛い刹那はどこへ行ったのやら」

 言葉とは裏腹に、楽し気に笑う海人。

 生真面目で素直な刹那の性格は好ましいが、少しばかりいきすぎているのも事実。
 悪戯好きな主にこれぐらい返せるようになってくれた方が、海人としてはより好ましい。 

「ふふ、拙者とていつまでもからかわれっぱなしではいられませんので」

「ほう? それは寂しくも頼もしい事だ。
ところで刹那君、理由はどうあれ近衛が主君の頭どついた以上、相応の罰が必要だと思わんかね?」

 にっこりと、海人は優し気に微笑んだ。
 普段の彼を知る者ならば、胡散臭さしか感じられないほど、爽やかに。

 直後、刹那の全身の血の気が引いた。

 言うまでもないが、主君の頭をどつく近衛なぞ断頭台送りでもおかしくない。
 海人がそんな事をする可能性はまずないが、それを口実に死刑にしてくれと叫びたくなる刑罰を与える可能性がある。
 むしろ、しない可能性の方が圧倒的に低い。 
 
 一縷の望みを託し、刹那は言葉をひねり出す。

「……しょ、食事抜きや甘味抜きであれば甘んじて」

「はっはっは――――分かってるんだろう?」

「申し訳ありません拙者が悪かったです! ですからどうか御慈悲をっ!」

 主君の不吉すぎる笑顔に、刹那はすかさず土下座した。

 海人が言っている罰は間違いなく、くすぐり。
 いっそ殺してと叫びたくとも笑い声しかでない魔王の御業。
 あればかりは、何度体験しても恐怖の対象でしかない。
 昨日の時間は得難いものだったが、たった一夜の代償にあれとなると流石に不利益の方が大きくなってしまう。

 ガタガタ震える刹那を愉快そうに眺めると、海人は彼女の顎を掴み、顔を上げさせた。

「ま、溜飲は下がったから今回は見逃そう。
だが、刹那。信頼は嬉しいが、君はもう少し自分の魅力を自覚すべきだ。
私は経験相応に耐性も強いし自制する動機も多いが、君はそれを覆しかねないだけの魅力を持ち合わせている。
実感は持てんかもしれんが、とりあえずそれだけは心に留めておけ」

 刹那の目を間近で見据え、言い聞かせる。

 海人には、どうも刹那が己の魅力に無自覚すぎる気がしていた。
 どこぞの絶世の美女と比較すれば分が悪すぎるが、それでも刹那の容姿は超高水準。
 不満なぞ抱こうものなら、世の女性の八割を敵に回しかねないぐらいだ。
 性格も堅物すぎるところはあるが、素直で優しく面倒見も良い。
 
 そんな美女に同衾を求められれば、他意はなかったとしても普通の男なら確実に血迷う。
 それが上位ドラゴンを軽くひねり殺しかねない戦闘力に、
中位ドラゴンを即死させるような猛毒すら無効化する耐性まで併せ持っていると知っていたとしても、だ。
 
 彼女の強さは重々承知しているのだが、どうにも危なっかしい気がしてならなかった。 
   
「そこまで魅力的ですか?」

「私は君に嘘を言った事はないはずだが?」

「……承知いたしました。心には留めておきます」

 恭しく頷きながら、刹那はそう答えた。
 今にも崩れてしまいそうな表情を、必死で取り繕いながら。

「結構。あと、御褒美は何がいいかちゃんと考えておけ。ま、急ぐ必要はないがな」

「へ? 昨日のあれが御褒美……」

「結果だけ見れば私は拒み、君が力尽くで勝ち取っただけだ。
それでは御褒美とは言えまい。一応、私からみれば役得でもあったわけだし」

「……ありがとうございます」

 ふん、と鼻を鳴らしそっぽを向く海人に、刹那が思わず笑みをこぼす。

 本当に、この主は甘い。
 甘い上に無防備すぎて心配になるぐらいだ。
 そんな事を思いながら。
 
 と、その時海人のポケットから甲高い音が鳴り響いた。  

「む? ……ったく、あの馬鹿が」

 携帯電話に届いたメッセージを読み、海人の目が据わった。

「何かございましたか?」

「雫からだが、馬鹿が馬鹿っぽく馬鹿な事をしでかして馬鹿な状況に陥ってるそうだ。
どうしようもないレベルの馬鹿だが、あの馬鹿に死なれるとせっかく作った物が無駄になるからな、
届けがてら助けてやるしかあるまい」

 苛立たし気に溜息を吐くと、海人は完成したばかりの作品を片手に歩き始めた。

 




















 シリルの矢が、屈強な神官戦士の喉元へと放たれる。

 両足に矢が突き立っている為、跳んでは避けられない。
 両腕を矢が貫いている為、払いのける事も出来ない。
 魔法で払おうにも、先程頭蓋を掠めた矢の衝撃で集中が出来ない。
 
 最後の足掻きとして体を倒して避けようとするが、その瞬間シリルが放った次の矢が心臓を貫いた。
 驚愕に目を見開きながら、男は絶命する。   
 
「……ラズリックも退けるとはな」 

「か弱い乙女一人嬲り殺そうとするような輩に負けるわけには参りませんもの。
ま、袋叩きにするよりは多少品があるとは思いますが」

 息を切らしながら、シリルは太々しく笑った。

 思ったよりも、状況は良い。
 全員同時に襲い掛かられると思っていたのだが、そうはならなかったからだ。

 許されざる大罪人とはいえ、一人を数の力で圧殺するような行為はナーテア教の教義に沿うとは言い難い。
 メルヴィナがそう言って、一対一での戦いを人数分繰り返す事になったからだ。
 
 無論シリルからすれば、おためごかしもいいところだ。

 同時に襲い掛かられるよりはマシだが、シリル一人に精兵百人弱という状況は変わっていない。
 短時間で決着が着かないだけで、結局数による圧殺をしようとしている事には変わりがないのだ。
 さっさと殺すのではなくじわじわ嬲り殺しにしたいだけ、そう言われても文句は言えまい。
 
 とはいえ、さすがにこのレベルの相手百人近くを同時に相手取ると生存率が一気に下がる。
 なのでシリルは特に反論もせず、黙って提案を受け入れたのだ。

「それだけ息を切らして、よくそんな口が叩けるものだ」

 メルヴィナは、呆れが混ざった冷たい視線を向ける。

 シリルの戦意には一切の衰えがないが、肉体はついてきていない。
 自分よりもはるかに大きな体格の者達を相手取っているのだから当然だ。
 小柄な体格は回避しやすいなどの利点にもなりうるが、消耗が激しいという欠点もある。
 多数の人間を相手取る状況では、その欠点があからさまに露呈してしまう。

 実力がはるか下の相手ならそれでもごまかしが効くが、生憎この場は精鋭揃い。
 いかにシリルが鍛え上げているとはいえ限度があり、実際それは息切れという形で表れていた。
 
「この程度の息切れ、いつもの事ですわ。
私がこれまでに何度死線を潜り抜けてきたと思ってますの?」

「確かにそうだな。アルテミス様の真似事だけで、よくもまあここまで生き延びてきたものだ」

「……別にそんなつもりはありませんでしたが、言われてみればそうですわね」

 かすかに、苦笑する。

 ナーテア教における聖女の一人、アルテミス・ビルシュタイン。
 今は滅びたある国において、虐げられていた民衆を救う為国軍に敢然と立ち向かったという彼女の得物は、弓。
 視界全てが射程範囲、そう謳われたほどに優れた弓術の使い手だったが、
町中で刺客に襲われても剣や体術で事もなげに対処したとされている。
 
 ナーテア教の偉人の中で、シリルが唯一敬意を抱いている人物だ。

 その生き様には諸説あるが、多くの人々を救う為に我が身を顧みず戦い続けたのは、各国の歴史書に記されている。
 また、ただ勇ましいだけではなく、穏やかで優しい人柄であった事でも知られ、数少ない平時に孤児院を訪れたりすると、
彼女の姿を見た瞬間に子供たちが駆け寄り、そんな彼らと笑顔で遊び、時に学問を教えていたという。
 訪れた孤児院出身の人間には長じて歴史に名を遺した者も複数いるが、彼らは口を揃えてこう言った。
 まさかあの優しいお姉さんがアルテミス様だとは思わなかった、と。
 
 ――――だからこそ、シリルは今に至るまで敬意を抱いている。

 多くの人々を救うにとどまらず、最期まで人間であり続けた彼女を。
 虚栄心ではなく、耳触りの良い御題目に流されるのでもなく、
ただ平和を尊び、自らの意思で誰かの為に歩み続けた彼女を。

「とはいえ、そろそろ出し惜しみも限界だろう」 

「出し惜しみ……?」

「確かに、その弓術も剣術も大したものだ。時折使う体術もな。
鍛錬が嫌だと逃げ回っていたあの時からは考えられん努力をしたのだろう」

「……」

「だが、その程度ではないはずだ。余技とは思えぬ技巧だが、ならば本命はさらに研ぎ澄ましてあるだろう」

 素知らぬ顔をしているシリルに、メルヴィナは鋭い視線を向ける。

 メルヴィナが先程から観察した限りでも、弓術・剣術・体術、その全てにおいてシリルの技量は高い。
 全てをこの域に高める事はおろか、一つを押し上げる事でさえ、そこらの戦士には至難だろう。
 
 が―――――それでもかつてメルヴィナが目にした強さには届かない。

 たかが十歳で、自分を含めた多数の神官戦士を壊滅させた恐るべき技量。
 面倒だから嫌と鍛錬を逃げ回っていながら、恐るべき速度で成長していたその武技。
 戦いを厭い、無意識に封じていたのであろうその力。

 あの日、怒りと絶望でタガが外れたその強さは、あまりに圧倒的だった。
 あれの前では、今のシリルの弓術ですら驚くには値しない。

「……何のことやら」

「とぼけても無駄だ。表舞台で使わず、この場に持ってきていないぐらいで欺けるとでも思ったか?
意地やこだわりで最強の手札を捨てられるほど、貴様は愚かではない。
こちらの得物の性能の高さを見越し、奪って戦うつもりだったのだろう?」

 とぼけるシリルに、メルヴィナの語気が僅かに荒くなる。

 調べた限り、シリルは一流の傭兵として名を馳せてはいるが本来の得物を使っていない。
 あくまでもその評価は弓術がメインであり、含んでも体術と剣術だ。
 また、今日この場にもそれを持ってきてはいなかった。
 
 これだけ揃えば、あの事件を機に自らそれを捨てたと考えるのが普通だ。
 そうなってもおかしくないだけの、衝撃的な事件だった。

 が――――メルヴィナはそれはないと確信していた。

 シリルティア・グラウクスは感情的なようで、その実理性が先行する。
 組手では頭に血を上らせても、無策で突っ込むと見せかけて策を仕掛けるような少女だった。
 無詠唱の水魔法でこっそりぬかるみを作成したり、近くの木を蹴って落ち葉による目くらましを狙ったり、
弾き飛ばされたと見せかけ前日に掘っておいた落とし穴に誘導したり、散々な目にあわされたのだ。
 いくら嫌悪感があったとしても、そんな人間がみすみず最強の手札を手放すはずがない。

 ならば使っていない理由はただ一つ――――今日この日の為の仕込みだ。

 どれほどの戦力を叩きこんでくるか分からないイナテア。
 それに対する最強の伏せ札として、十年の長きにわたり真の力を潜めていたのだ。
 憎むべき怨敵を、確実に殲滅するために。

 たかが当時十歳の子供がそこまで考えるか、と普通なら思うが、相手はシリル。
 悪辣な頭脳と気長に機を待てる精神性で、ディルステインではゼオードを幾度か敗北せしめた少女だ。
 まして不倶戴天の敵を滅ぼす為なら、長年にわたる戦場における仕込みも苦にはすまい。 
 
 確信に満ちたメルヴィナの言葉に、シリルの表情が歪む。
 
「……っ」

「それに、剣の使い方にボロが出ているぞ。
防御の際剣の腹に手を当てる事はそう珍しくないが、頻度が多すぎる。
慣れた動きの癖が出ていると見るのが妥当だろう」

「……そう、ですの」

 ふ、と苦笑がこぼれる。
 あまりに、予想外だった言葉に。
 
「……さっさと使え。全力を出し惜しみしただけの間抜けを殺したところで、意味はない。
ナーテア様の使徒たる我らが、そんな愚行につけ込むなどもってのほかだ」
  
「御覧になりたいなら使わせてみる事ですわね。
現状弓と剣で十分戦えていますし、使うまでもありませんわ」

 ふ、と不敵に嗤うシリルだが、内心ではかなり焦っていた。

 余裕を装ってはいるが、体力の消耗は激しい。
 このままでは遠からず体力が尽きてしまうだろう。
  
 それを見越して、否もっと悪い状況を見越して手を打っていたのだが、遅すぎる。
 いくらなんでも、ここまで時間がかかるはずがないというのに。
  
「ふん、余裕かあるいはあくまでも手札を温存したいのか知らんが……悪くない判断だ。
ルミナス・アークライトは来ないからな」

「っ!? まさか……そうか! この場所を指定する事で野営場所を絞りましたのね!?」

「その通り。幾つか候補があり全てに兵を配していたが、貴様らが選んだのはその一つだった。
そして、貴様がこちらに来る頃を見計らい、あそこに全ての候補地から兵が集まる事になっている。
あの≪黒翼の魔女≫なら打ち破りはするだろうが……お前が企んだ合流時刻よりは大幅に遅れるだろう」 

「……孤立無援、私一人で全員殲滅する必要がある、という事ですわね」

「いやいや、んなこたーないですよ?」

 覚悟を決めたシリルの呟きに、いつの間にか背後にいた人物が答えた。

『っ!?』

 突如この場に現れた少女に、本人以外の全員が驚愕を露わにした。
 
 間違いなく、一瞬前までいなかったはずなのだ。
 いくら気配消しが上手かったとしても、この包囲の中に紛れ込んで気付かないはずがない。
 不気味、そんな言葉では表現できないほどに奇妙な現象に、警戒が一気に強まる。

 唯一、彼女を知っているシリルを除いては。

「し、シズクさん……? なぜ、ここに……?」

「そりゃー当然御主人様の御命令ですとも」

「……考えてみれば、十分可能性はありましたわね。
その場では諦めたように欺き、こっそり手を打っておく……使い古されすぎた陳腐な手ですわ」

 ちっ、と舌打ちする。

 この手助けは助かったし、文句を言うつもりはないが、騙されたのは癪だった。
 自分が助力を拒んだ挙句に無様を晒している事まで考えると、羞恥で死にそうだ。
 
「あっはっは、その件については御主人様から手紙預かってまーす♪
あたしが牽制しときますんで、どーぞ読んでください」

 ピッと手紙をシリルに放り投げると、雫は振り向きつつ周囲を殺気で威圧した。

 あまりにも濃密で、背筋が凍るような殺気。
 周辺の気温が下がったかのような錯覚を引き起こすそれは、ぶつけられた生物全てを委縮させる。
 精強たるイナテア神官戦士団も例外ではなく、構えた武器が微かに震えていた。
 唯一メルヴィナだけは動じていないようだったが、それでも目つきが僅かに鋭さを増している。

 とりあえず手紙をサッと読む分には問題ないと判断し、シリルは便箋を開いた。  

「なになに…………『限定的な範囲で手を貸すとは言ったが、それがあれだけとは言ってない。
頭に血が上ってるからそんな事にも気付かんのだバーカバーカ』ふ……ふふ、ふふふ……!」

 ぐしゃり、と手紙を握り潰し、シリルは震えながら立ち上がった。

 まったく、やってくれる。
 この状況を見越していたとまでは流石に思わないが、絶妙のタイミングで活力を叩きこんでくれた。
 文字だけでなくムカつく笑顔の自画像まで一緒に描かれているので、効果は万倍だ。
 この場は頼もしい助力に甘え、次に会ったら礼として澄ました顔をぶん殴ってやるべきだろう。
  
 生気の戻ったシリルに、メルヴィナが冷たく声をかける。

「……仲が良いのは結構だが、たかが一人増えた程度では状況は何一つ変わらんぞ?」

「いやー、結構状況変わってると思いますよ?」

「ほう……っ!? 伏せろクリスっ!」

 何かに気付いたメルヴィナが仲間に指示を出すが、時すでに遅し。

 クリスと呼ばれた男が伏せる途中で、その頭蓋が斬り飛ばされた。
 超高速で飛来した、ルミナスの斬撃によって。

 付着した血液を振り落としながら、ルミナスは着陸する。

「……まーったく、よくもまあうちの部下をこんだけの数で囲んで甚振ってくれたもんねぇ?」

「なぜここに……!? いくら貴様でもあの数は……!」

「あー……私はなんもしてないわよ。
野営してた場所から出てこっち向かっただけ」

「なに……?」

「あたしが昨日のうちに隠れ潜んでた連中皆殺しにしといたんですよ。
あんぐらいの距離じゃ、ルミナスさん達の警戒範囲は逃れられてもあたしの察知からは逃げられません。
夜のうちに全員集合してくれたんで、手間も省けました」

 にゃっはっは、と笑いながら、雫は胸を張る。

 本来なら、確かにルミナスが来るのは相当に遅れただろう。
 それなり以上に腕の立つ武人が百人ほど、ルミナス達の野営地から常識的な武人の気配察知範囲の倍以上の距離を取り、
遠隔視の魔法で監視していたのだ。
 あれではルミナス達でも察知は出来ないので、シリルが出た後に時間をおいて襲撃をかければ、間違いなく手間取ったはずだ。

 が――――彼らは致命的に運が悪かった。

 海人が雫をシリルの警護につけていた為、彼女に配置を読まれ、狙いを悟られ、
挙句囲んだ事が裏目に出て、一人一人の距離が離れていた為、個々に雫の暗殺を受ける羽目になったのだ。
 
「……さて、シリル。この置手紙については言いたい事もぶん殴りたい事もあるけど、今はおいておくわ。
他の雑魚は引き受けるから、あんたはさっさと自分の決着つけなさい」

「って事です。折角状況覆したんですから、頑張ってください」

「……ありがとうございます、お姉様、シズクさん。
てはお言葉に甘えて、一番の大物をいただくといたしましょう」

 シリルは二人に頭を下げると、メルヴィナに向かって弓を構えた。  
















「……どうした? 先程の威勢の良さが見る影もないようだが?」

「くっ……!」

 悠然と睨み据えてくるメルヴィナに、シリルは歯噛みした。

 強いとは思っていたが、明らかに想定を上回っている。
 下手をすれば、ルミナスと同等かそれ以上だ。
 
 まず、近接戦は圧倒的に不利。

 槍と剣という得物のリーチ差を存分に活用され、そもそも剣が当たらない。
 基本は踏み込めば引き、引けば踏み込み、という堅実で崩しにくい戦法だが、
時折その逆を混ぜて虚を突き、致命傷を狙いつつリズムを崩してくる。

 槍もぶつかった感触からしてドラックヴァン鋼製。
 シリルの膂力と剣では、武器破壊は到底望めない。
 下手をすれば、逆にシリルの剣が折れてしまう。
 
 かといって、遠距離戦での勝率も低い。

 最初に放った矢は、ことごとく叩き落とされた。
 それも牽制の矢を完全に見切り、自分に当たる矢だけを着実に。
 頬をギリギリ掠めない程の矢すら無視して突っ込んできて、あっという間に槍の間合に持ち込まれた。
 再度距離を取りたいところだが、下手に後ろに跳べばその直後メルヴィナの神速の突きに貫かれる。
 
(ならば、奥の手っ……!)

 突き出されたメルヴィナの槍を剣で大きく弾きつつ、シリルは瞬時に背の弓と矢を抜いた。
 
 瞬間的な己の感覚だけを頼りに放つ至近の射撃。
 威力と射程は申し分ないが、それに全てを注ぐと言っても過言ではない攻撃。
 この距離の近接武器相手では本来自殺行為でしかない無謀な一手。
 
 ――――これまでシリルが培った弓捌きは、それを一発逆転の博打に変える。

 メルヴィナの体勢が立て直されるその直前に、シリルの矢は放たれた。
  
「はあぁぁぁっ!!」

 メルヴィナは気勢を上げると、正確に心臓を狙ってきた矢を槍で打ち払った。
 驚愕するシリルに向かい、そのまま両手持ちに切り替えた槍を構え、そのまま強く踏み込む。   
 
 が、シリルとて歴戦の傭兵。
 どれほど危機的な状況であろうと、体は反応する。

 身をよじり、槍の軌道からギリギリで体を逸らす。
 無理な動きに全身が軋ませながらも避けきれはせず、わき腹を軽く抉られる。
 激しく血が噴き出るが、はらわたをぶちまけなかっただけマシ、と割り切り、
傷口ごと血を掴み、そのままメルヴィナの顔面に投げつけた。

「くっ……! でえいっ!」

 血による目つぶしをどうにか目を瞑って防いだメルヴィナは、そのまま槍を薙ぎ払い、
シリルを弾き飛ばした。

 傷口付近を槍の柄で薙ぎ払われたシリルは、激痛に耐えながらもどうにか着地し、
この機を逃すまいと己の血にまみれた手で弓を引き、メルヴィナへと放つ。
 
 が、メルヴィナはまたしても槍を振るう事で矢を払い飛ばした。
 しかも今度はまだ目が開き切っていない状態にもかかわらず。

 ただし、さすがに今度はその場を動いていない。

「ま、だまだぁぁぁぁっ!!」

 シリルは激痛で切れそうになる集中力を気合で引き戻し、続けざまに矢を放つ。

 槍の軌道、速度、全てを加味して最適な矢を放ち続ける。
 機動力を削ぐ為に足を狙った矢、攻撃力を削ぐ為に腕を狙った矢、致命傷を与える為の急所を狙った矢、
虚を突く為に若干遅れて上空から降ってくる矢や風魔法で僅かに軌道をずらす矢、
そしてそれらの命中率を最大限に高める為の牽制の矢を。
 この攻撃で全ての矢を使い切るつもりで、放った。

 いかにメルヴィナが強くなっていようが、これを全て無傷でしのぎ切るのは不可能。
 そのはずだった。

「おおおおおおおぉぉぉぉぉおおおおっ!!」

 周囲を震わせる凄まじい雄叫びと共に、メルヴィナの動きが激しさを増した。

 槍を薙ぎ払い、回転させ、時に突きまでも混ぜて矢を次々に叩き落としていく。
 基本は無駄の少ない華麗な槍捌き、だが時にそれを捨てた強引極まりない軌道変更までをも駆使して。
 それは技量もさる事ながら、凄まじい膂力と速度なくしては不可能な芸当。
 メルヴィナはそれを、見事にやってのけている。
 
 やがてその竜巻の如き槍捌きは、洪水の如く放たれたシリルの矢を全て弾き落としてしまった。
 
「そんな、馬鹿な……!」

 メルヴィナの凄まじい戦いぶりに、シリルは目を剥く。

 迎撃されただけなら、まだ理解できなくはない。
 悔しいが、そうなっておかしくないだけの実力差がある。

 しかし、それはあちらも全力を賭しての話。
 
 肉体強化の限度を大きく超えた、短時間の超人化。
 その上で全部の武技を振り絞ってようやく可能なはずなのだ。

 なのに、メルヴィナは息が荒くなっているだけで、普通に立っている。
 手足が折れている様子はないし、痛みを堪えているようにも見えない。
 
「……大した攻撃だったが、しのぎきったぞ。もう弓は使えまい」

「くっ……!?」

 メルヴィナの眼光に若干怯んだシリルが思わず一歩下がると、足に何かがぶつかった。
 それを見たシリルが目が軽く見開かれた。

「……悪運の強いやつだ」
 
 忌々しげに舌打ちするメルヴィナ。

 そんな敵の姿を眺めながら、シリルはそれに手を伸ばした。
 表情を不快そうに歪めながら、一瞬にも満たぬ僅かな躊躇を挟みながら。
 どうしようもなく追い詰められた、切羽詰まった表情で。 

 ナーテア教においてナーテアの愛用武器とされる武器―――槍へと。

 そしてシリルの手に槍が収まり構えようとした瞬間、彼女の脳裏に地獄のような光景が広がった。
 先日、兄の遺品である槍を掴んだ時と同じように。
 この絶体絶命の状況下でさえ。
 
「おえっ……ごぷっ……うげぇぇぇぇっ!」

 たまらず槍を投げ捨てながら、昨日の夕食を地面にぶちまけるシリル。
 
 致命的な隙をさらしているが、それに気を取られる余裕すらない。
 ただひたすらに胃の中身と体液を垂れ流し続けてる。  

 そんなシリルの姿を見て、メルヴィナは呆然としていた。

「……おい、まさかお前……」

「……概ね、当たってはいましたわ。私のこだわりや意地なら、捨てていたでしょう。
しかし、そもそも構える事すらできなくなっていては、どうしようもありませんわ。
シリルティア・グラウクスはあの日―――お兄様の遺骸を冒涜された時を最後に死んだ、という事です」

 自嘲するように、語る。

 かつてのシリルの槍技は、確かに優れていた。
 怠惰を重ねていたそれに、血を吐くほどの修練を重ねた弓技でも追いつけないほどに。
 ナーテア教の象徴とも言える武器を使いたくない、そんな私情だけであれば迷わず振るい、磨き続けただろう。
 
 だが、違う。
 今のシリルは、槍を構える事すらできない。
 握るだけでも、その瞬間今のように胃の中身をぶちまけてしまうのだ。

 ―――――あの日、ゼオードの遺骸がどうしようもないほどに冒涜された光景を思い出して。

 その日はシリルが兄の死という衝撃を乗り越え、どうにか自室から出る気になった日だった。
 沈みっぱなしでは兄も悲しむ、そう思って外に出たのだが、なにやら不穏な声が聞こえてくる。
 『実はスーレア教徒だったんだって?』『ナーテア教を内部から腐敗させるつもりだったんですって、怖いわねぇ』
『分からねえもんだな、あのゼオード様……ゼオードが』『でも、流石グラウクス家よね。発覚した途端遺品全てを迷わず証拠品として提出したんですって』
  
 ――――何が何だか、分からなかった。

 兄がスーレア教徒? 全てに優しくあり続け、どちらかと言えば争いを嫌っていたあの人が?
 ナーテア教を内部から腐敗させる? あんな弛んだ体の教皇や枢機卿が支配している教団が腐敗していないとでも?
  
 数多の疑問を抱えながらもシリルは情報を集め、イナテアを駆け巡った。
 時に石を投げられたり、同情されたりしながら、狂いそうな心で。

 そうして駆け回っているうちに、兄の遺骸が墓地からある教会に運び込まれたと聞いた。
 長年多くのナーテア教徒を欺いてきた大罪人にしかるべき罰を、と強行した人間がいたらしい。

 嫌な予感を感じながらもシリルはそこへ一直線に向かい、扉を開き――――絶望を味わう。

 そこで繰り広げられていたのは、見るも醜悪な光景。
 どいつもこいつも嫌な笑顔を浮かべながら、兄の遺骸をズタズタに傷つけている。
 肉が飛ぼうが、骨が砕けようが、内臓がぶちまけられようが、お構いなし。

 そしてそれを行っていたのは、つい先日までゼオードに敬意を示していた者達。
 魔物を追い払ってくれてありがとう、山賊から助けてくれてありがとう、そう言っていた一般市民達。
 店で買い物をすれば笑顔でおまけしてくれた者もいたし、美味いから食ってくれと野菜をくれた者もいたし、
ゼオードに秋波を送っていた女さえもいた。
 
 そんな彼らが心底楽しそうに、罰を受けろ、報いを受けろ、と――――ナーテア愛用の武器とされる槍を振りかざしていたのだ。

 あまりに酷すぎるその光景に、シリルの思考は狂気に染まった。
 入口に転がされていたゼオードの棺へ手を伸ばすと、彼の遺品である槍を手に取り、
その場にいた全ての人間を殺しにかかったのだ。    

 怒りに支配された体は、普段が嘘のように軽く動いた。
 不意を突いたとはいえ、許されざる一般市民達を瞬時に生ゴミへと変え、神官戦士達さえも同じ末路を辿らせた。
 さらにかつてはイナテアに名を轟かせた父母の脇腹を貫いて戦闘不能にし、勝った事がなかった姉さえも死闘の末血に沈めたのである。

 そして、比較的無事だった兄の頭と形見の槍を手に、イナテアを出奔したのだ。
 教会での戦いと、追手との戦いで瀕死の重傷を負いながら。
 
 やがて力尽きたところをルミナスに拾われたのだが――――目覚めた時には、もう槍が持てなくなっていた。 
 
 見た瞬間に吐いていたかつてに比べれば随分マシになっているが、十年経った今も振るう事は叶わない。
 何をどう試しても、あの光景が脳裏に蘇り、嘔吐してしまう。

「……そうか。ならば、もはや打つ手はないという事だな」

「生きている限り、打つ手がないわけではありませんわ!」

 シリルは眼光を鋭くすると、剣を構えてメルヴィナに襲い掛かった。
 



 
 
  
 
 











 そして十分後。結果から言えば、シリルは善戦した。
 極限まで削られた体力で、矢が尽きた状況で、よく戦ったと言える。
 剣も折られ体術で戦っているが、生きているだけ大したものだろう。
 
 しかし、それでも現実は無常。
 どれほど粘っても、人間には限界がある。

「そこぉっ!!」

「がはっ……!?」  
 
 ボキリと肋骨が折れる感触を味わいながら、シリルが弾き飛ばされた。
 まだ余力があった時とは違い、動こうとしても体は僅かに痙攣するのみ。

「……良く戦った、とは言っておこう」

(……せめて、槍が使えれば……!)

 距離を詰めて見下ろしてきたメルヴィナを睨み付けながら、シリルは自身の不甲斐なさを罵る。
 
 いかなる偶然か、再び手の届く範囲に槍があった。
 この状態で一発逆転とはいかないだろうが、それでもまだ足掻けるはずだ。
 この槍を振るう事さえできれば。

 そんなシリルを、雫は敵と戦いながら横目で見ていた。

(……今度こそ限界だね。しゃーない、海人さん間に合わ……うわぁお)

 雫がシリルとメルヴィナの戦いに横槍を入れようとした時、その警戒範囲に超高速の侵入者が現れた。

 その速度は、はっきり言って異常。
 雫の広大な警戒射程の半分以上を、瞬く間に踏破した。
 こんな速度、全力で地上を駆けるカイザーウルフでさえ及ぶまい。
 一直線に来ている事もあるだろうが、おそらくこの世の生物で最速だろう。 
 
 そんなとんでもない速度で移動する生物、まして空を飛んでるとなれば心当たりは一つしかない。

「もう無駄に足掻かず……っ!?」

 メルヴィナが槍を逆手に握った瞬間、彼女の背筋が凍った。

 途轍もなく、不吉な感覚。
 無視すれば確実に死ぬ、そんな予感が。

 その感覚の出所の方角へ視線を向けると―――すぐに正体が分かった。

「プチドラゴンだとっ!?」

 みるみる大きくなっていく化物の姿に、メルヴィナは思わず叫んだ。

 一都市を軽々と壊滅させる化物。
 定住する他のドラゴンとは違い、気まぐれにあちこち旅する災害。
 個体数が少ないために遭遇率は極めて低いが、遭遇すれば命はないとさえ言われている。

 これだけでも厄介だったが、

(ドラゴン、マスター……!?) 

 プチドラゴンとの距離が縮まるにつれ、戦況が一気に覆った事を知る。
 
 プチドラゴンの背には、二人の人間が乗っている。
 そして、ドラゴンは己を倒した主とそれが許可した人間以外は背に乗せない。
 となれば、最低でも片方はあの災害を殺さず屈服させた完全な化物。

 そして、メルヴィナ陣営にそんな化物はいない。
 つまり、シリル側の追加戦力という事になる。 

 あまりにも急すぎる理不尽の到来に固まっていると、プチドラゴンが降り立った。
 メルヴィナが後方に大きく飛んで命拾いしたものの、依然倒れ伏したままのシリルのすぐそばへと。

 そしてその背中から、二人が降りてくる。
 頭を垂れたプチドラゴンの首を階段にしながら。

 それを見たメルヴィナ達はその周囲から距離を取り、逆にルミナス達はそこに集まった。

 降りてきた二人の片割れ―――海人が、ゆっくりと口を開く。 

「……やれやれ、折角注文の品を持ってきたというのに、肝心のシリル嬢がいないとはな」

「は……? いや、あんたの足元にいぃぃぃいっ!?」

 海人を見ていたルミナスが、思わず絶叫した。

 事もあろうに、海人は倒れているシリルの上に腰かけたのだ。
 ダメージが大きすぎるせいか、シリルは悲鳴を上げてすらいない。

「ちょ、ちょちょちょっ!? 何やってんですか!?」

「折角手頃な椅子があるんだし、座っても構うまい」

「馬鹿! シリルマジでギリギリなのよ!?」

「ほう、それは大変だ。で、そのシリル嬢はどこかね?
私の知る彼女なら、いかにギリギリの状態でも私がやってきたら、やせ我慢して気合と根性で立ち上がるはずだが」

「っ!?」

 言葉と共に向けられた海人の表情を見て、ルミナスは思わず息を呑む。
 そこにあった、あまりにも真摯で強い眼差しに。
 
 この男は、皮肉や嫌味で言っているわけではない。
 自分の揉め事を誰かに押し付けおねんねなど、出来るはずがない。
 シリルという女性の誇り高さを熟知し、それを信じているからこそ、こう言っているのだ。

 薄れゆく意識の中で聞いていたシリルも、それは理解していた。
 それに応えたいとも思う。

 しかし、もはや体がまともに動かない。
 先程の薙ぎ払いは致命打にこそならなかったが、弱っていたシリルの体力を消し去るには十分だった。
 かろうじて意識を保っているのは、精神力でギリギリ耐えているに過ぎない。

 そもそも、立ち上がったところでメルヴィナに勝てる気はしなかった。
 
 疲弊していたとはいえ、自身最大の攻撃を無傷で打ち破られた。
 矢は尽き、剣や体術は通じず、槍に至ってはそもそも構える事すらできない。
 
 悔しさと情けなさと申し訳なさで、視界が滲んでいく。
 
「ま、とりあえず君に先に見てもらおうか。これが、注文の品だ」

 肩に担いでいた荷の布を解くと、海人はそれをシリルの目の前に突き立てた。

(……槍……!?)
 
 目の前にそびえるその槍に、ルミナスだけでなく意識が朦朧としているシリルさえも思わず息をのんだ。

 非常に美しく、特徴的な槍だった。

 槍としては、若干細身。
 普通の大人にはやや細いが、手が小さい人間が扱うには丁度いい細さ。
 シリルが扱うならば、間違いなくぴったりだろう。

 柄は黒いが、見覚えのない材質。
 見た感じからすると、本来の柄を黒い物質で覆っているようだ。    
 おそらく、手が滑る事と熱伝導の防止の為だろう。

 そして穂先だが、見た事のない白い金属。
 金属らしい光沢なのだが、どこか生物めいた温かさを感じる。
 そのせいか、見ていると臨月の妊婦のお腹でも見ているような高揚感を抱く。

 その性能までは分からないが――――間違いなく、一般的な槍ではない。  

「君の注文通り、私が全力を費やして完成させた物だ。
少しばかり予想外の要素が出たが……柄は上位魔法ぶつけようがなんだろうが傷もつかん。
穂先も刹那が使っている刀よりはるかに鋭く、極めて刃こぼれしにくい。
自画自賛するようだが……聖剣などの古代遺産系を除けば、最強と呼んで差し支えない物だろうよ」

「……そこまで、頑張ってくれたんだ」

「君があれだけ奮発した金額を提示したんだからな。友誼にかけて気張らざるをえまいよ。
ま、私の全力を求めて君の年収五年分なら安すぎるぐらいだろうがな」

(五年……えっ!?)

 遠のきかけていたシリルの意識が、一気に引き戻された。
 あまりにも予想外な、海人の言葉で。

「まったくね。聞き入れてくれて、ホント感謝してるわ」

「とはいえ、君にとって五年分は流石に痛かろう?」

「……安いもんよ。シリルの身の安全に比べりゃね。
ま、狙い通りシリルが強くなりゃ、十分見合うわよ」

(…………っ!)

 シリルの目が、カッと見開かれる。

 五年分の収入。
 確かに痛いが、ルミナスの場合それだけではない。
 それは最低でも五年傭兵を続けなければならないという事であり、
ルミナスが望む引退が最低五年遠ざかるという事。
 ローラ・クリスティアという最強最悪の恋のライバルを相手取りながら、
さらに五年ものハンデを背負うという事だ。
 つまり、思いを告げる事さえ叶わず、心底惚れ抜いている男を奪われる事がほとんど確定してしまう。
 
 そして、ルミナスはそれを何よりも恐れていた。
 だからこそ、ローラが振られたと聞くまで焦りに焦っていたのだ。
 
 なのに、ルミナスはそれを甘受した。
 シリルの身の安全と引き換えにはできない、と。 
  
 そこまでの犠牲を払い――――賭けてくれた。信じてくれた。

 シリルが再び、本来の武器を手にすることを。
 その保証など、どこにもないはずなのに。  

(ぐ……うっ……!)

 全身を貫いた衝撃の余韻で悲鳴を上げる体を、無理矢理動かす。

 指先で地面を抉りながら体を支え、ありったけの力を振り絞る。
 余力が足りないが、不足分は気合と根性で補わんとばかりに体を起こす。

「っあああああああああああああああああああっ!」

 自身を奮い立たせるような雄叫びと共に、シリルは勢いよく立ち上がった。
 死に体の自分を椅子にしやがっていた、ひねくれ者の友人を上空にはね飛ばしながら。

 が、その男はすかさず飛んだ刹那に抱えられながら地面に着地すると、驚いた様子もなく太々しく笑った。

「ようやく起きたか、寝ぼすけ娘」

「ふん、ほんの少~~~~し意識が飛んだだけですわ。
まったく、その隙を狙って私を椅子にしようなどとは、随分いい度胸ですわね?」

「はっ、あんだけ大口叩いといてボロ雑巾になってるとは思わなかったものでな。
恨むなら大言壮語を口にして無様を晒した自分を恨め」

 海人とシリルは数瞬睨み合い―――同時に、頬を緩めた。

 なんとも柔らかく、穏やかに。 

「では、この槍はいただきますわよ?」

「そうしろ。せっかく作ったんだから使ってもらわにゃ勿体ない」

 海人は後ろ手を振るとシリルから離れ、今度はリレイユの爪の上に腰かけた。
 それを横目に見ながら、シリルは眼前に突き立つ槍へ手を伸ばす。

(ぐっ……!)

 槍を握った瞬間、シリルの脳裏に先ほどの光景がフラッシュバックする。

 千切れ飛んでゆく、兄の遺骸。
 逞しい腕が槍に抉られ、形を歪めていく。
 鍛えられた胴に槍の穂先が何度も突き立てられ、血が流れ出る。
 首が刎ねられ、美々しい顔の目玉が抉られ、皮を剥がれ、
ざまあみろとばかりに無惨な首が高々と掲げられた。

 下手人は、どいつもこいつもついこの前まで兄を誇りだ素晴らしいと持ち上げていた者達。
 称賛を口にしていたその口が、聞くに堪えない罵倒を放っている。
 
 そして、それら全てが――――槍を持っていた。

「うぐっ……!」

 胃の奥からこみ上げてくるものを、必死でこらえる。

 気持ち悪い、おぞましい、汚らわしい。
 そんな強烈な嫌悪感が、次から次に湧いてくる。
 あんな外道共が好んで振るう武器、見たくもない。 

 あまりに強烈な感情が理性を圧迫し、槍を投げ捨てそうになる。

(違うっ……!)

 心で叫び、再び槍を握りなおす。

 そう、この槍は違う。
 汚らわしさなど、あるはずがない。

 ルミナスが多大な犠牲を払い、製作を依頼した。
 これだけでも握るには十分すぎるが、それだけではない。

 他ならぬ、海人が作ったのだ。
 あの臆病で慎重な友が、シリルの為に。
 いずれ自分に向けられる可能性すらも、承知の上で。

 ルミナスの頼みとはいえ、全てのリスクを呑み込んだのはシリルへの強い友誼に他ならない。
 顔も知らぬ祖先から連綿と受け継がれてきただけの槍とはわけが違う。
 海人の友情が結晶化したと言っても過言ではない槍だ。

 ――――そうは思っても、長年癒えなかった心の傷は深い。

 懲りずに蘇るかつての記憶が、吐き気を掻き立てる。
 気合で抑え込もうとしても、次から次へ胃の中身が喉へせり上がってくる。
 幾度押し戻そうと、それを嘲笑うかのように吐き気は止まらない。

 ついに限界が来ようとしたその時、

(……っ!?)

 シリルの耳に、言葉が聞こえた。

 祈るような、縋るような、弱々しい言葉が。
 ここ最近で、すっかり聞きなれた声で。

 ―――空耳、だとは思う。

 あんな弱々しく切なげな響きの言葉は聞いた事がないし、
内容も今この場で自分に向けるにはおかしな言葉だ。
 なにより悶え苦しんでいるこの状況下で、えらくはっきりと聞こえた。
 空耳でないはずがない。

 だが、それでもシリルを奮い立たせるには十分すぎた。

(――――これに応えられぬなら、二度と彼の友を名乗る資格なし……!)

 強い決意と共に、シリルは口内まで達していた物を飲み下した。

 ズンッ、と強く握った槍の石突きを地面に突き立てる。 
 次いで右足を思いっきり地面に叩きつけるように踏み込み、体を起こす。    
 そして左足を同様に叩きつけるようにしながら踏ん張り、地面に刺さった槍を引き抜いた。

 ――――もはや、吐き気はない。

 あるのは、手から伝わる懐かしい感触。
 まるで体がこの武器を待ち望んでいたかのような、かつてない一体感。
 そして、友の強い思いに応えんとする強固な意志。

 ヒュッ、という風鳴りと共に、シリルの槍が振るわれる。
 それにつられるように彼女の絹糸の如き金髪がたなびき、広がった。

 その手に握るは、友の思い。 
 その身を支えるは、愛する人達の思い。
 その体を動かすは、自らの強き思い。

「――――シリル・メルティ! いざ参るっ!」
 
 多くの思いをその身に背負い―――――今ここに、一人の天才が甦る。


 
コメント

正直なところ9章はつまらない章だと思っていたらとんでもなくカッコいい爆弾投下で興奮しました。

溜め込んで出し切れないほど設定があるから作品に深みが出るんですね。
[2017/01/30 08:05] URL | カイン #t40Yvij6 [ 編集 ]


うむ、熱いいい展開ですね。家族だったのは父親の方はともかく、姉の方はどちらかといえばマシな方だったんですね。まあ、シリルからしたらどっちもどっちのんでしょうが。
ここまでくるともう片方の宗教とも何かありそうですね。

追伸
パフェのネタはいかがでしょうか?
[2017/01/30 08:40] URL | コスモ #Y2SfxCmk [ 編集 ]


喝采せよ!喝采せよ!
おお、素晴らしきかな!友と大切な者の為に黄金螺旋階段をまた一歩昇るとはっ!
現在時刻を記録せよ!
クロック・クラック・クローム!(大公爵並感
[2017/01/30 10:45] URL | #- [ 編集 ]

更新お疲れ様です
更新お疲れ様です。
シリルが孤独な戦いから徐々に友が集い、友情の結晶である槍を手に、トラウマを乗り越えて名乗る姿に感動しました。これで彼女はシリル・メルティになれたのですね。
[2017/01/30 15:05] URL | 名無しの権兵衛 #y2a4lNMg [ 編集 ]


なぜか不正投稿と判断されましたから、もし重複投稿になったらすみません。

この手の知識が少ないから確信がありませんが、
「鍛えられた胴に槍の穂先が何度も突き立てられ、血が噴き出す。」
という描写ですが、しんだ瞬間ならともかく、
しんでもう長い時間が経った体は血圧がないから血が噴き出すことはないと思います。
凝固もしないから普通に血は出ますから、
多分「噴き出す」じゃなく「流れ出す」か「零れる」の方が違和感が少ないでしょう…

ところで、メルヴィナの計画だと、
シリルの件を片付けたら教皇と枢機卿達の接見にで彼らも粛正するのでしょうか?
それとも母の方だけをころすのでしょうか?
どの道、メルヴィナの方からナーテア教のことをなんとかするつもりだから、
あとのことを考えればむしろメルヴィナをころすわけがいきませんね。
海人が洗脳を活用して、
メルヴィナにシリルをころしたという偽りの記憶をつけて、
シリルの首のイミテーションを作ってそれをメルヴィナに持たせて帰らせたり、
あるいは、シリルのやったことが大罪かどうかの基準を変えたり、
ナーテア教第一という行動理念を曲がらせたり、とか、
洗脳ありきの手段ですが、血生臭くない展開は難しくないような気がしますね。
[2017/01/30 17:22] URL | ホセ #- [ 編集 ]


待ち遠しかったです。
やっとここまできたって感じですね。
にしても同情はするつもりがないけど本当に敵さんは、運が悪いないくら足手まといのエアウォリアーズの2人がいるとはいえあの3人が揃っていて倒されるのは正直想像できないですね。

ただ少し気になるのは、
「君の注文通り、私が全力を費やして完成させた物だ。
少しばかり予想外の要素が出たが……柄は上位魔法ぶつけようがなんだろうが傷もつかん。
穂先も刹那が使っている刀よりはるかに鋭く、極めて刃こぼれしにくい。
自画自賛するようだが……聖剣などの古代遺産系を除けば、最強と呼んで差し支えない物だろうよ」

そんな武器が作れるのだとしたらいつ敵にまわるかもしれないシリル達より先に何で護衛の2人に使わせる刀をつくらないのかと突っ込みたくなりますね。

ところで5年分の年収って多分ルミナスが提案して却下されたほうじゃあそれともルミナスが提案した方はこれよりも更にもっと大きな対価だったのですか?
[2017/01/30 19:21] URL | シャオ #xDU5tAck [ 編集 ]


シリルの本気は槍だったのか。
本気のあばれっぷりが楽しみです。

あとカイトの超技術の産物足る槍がどんなものか気になりつつも恐ろしい(笑)
[2017/01/30 20:06] URL | リゼルグ #dS5vVngc [ 編集 ]


熱い展開だ
[2017/01/31 11:24] URL | #- [ 編集 ]


展開が熱いね。
でも本来、このポジションって主人公がやるものじゃ・・・・・・ま、まあ海人じゃ無理だね。うん。

しかし、直接戦闘じゃ海人一味が強すぎて勝ち目が見えないね。
ここはエアウォリアーズが傭兵団ということを生かして、シェリス嬢達と戦わせるように仕向けるしかないかな?実行した瞬間、地獄行きが確定しそうな気もするけど(汗


戦闘の場にあって、海人とシリルのいつものやり取りが面白かったですね。
己の友を愚直なまでに信じるなど、転移してきた頃からは考えられない成長でしょうね。
[2017/02/05 18:30] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]


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