ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
番外編セット24
 番外編 116


 
 とある冬の日、海人はリビングで炬燵に体を突っ込みながら眠っていた。

 ちんまい体はすっぽりと炬燵に収まり、首だけがちょこんと出ている。
 流石に深く入っていると暑いのか、時折這い出ようとしているが、
周囲の寒気に触れると再びうにゃうにゃ言いながら炬燵に食われていく。
 
 汗をかきながらも、起きる気配はない。
 時折電源が入りっぱなしの携帯ゲーム機のボタンをポチポチ押しているが、
そもそも彼が眠って数分後にはゲームオーバーの画面が表示されていた。

 こんな状態だと普段は彼の母が起こして部屋に連れていってくれるのだが、
生憎彼女はおろか父も仕事で不在だ。
 今この屋敷にいるのは、海人とペットの犬一匹である。

 その犬は時折寝苦しそうにしている小さな主を心配そうに見つめ、
汗が出ている顔を舐めたりしているが、それだけ。
 苦しそうにしている原因は分かっていないらしく、炬燵から引きずり出そうとはしなかった。

 このままでは海人は遠からず風邪をひいてしまうだろう。
 
 そんな時、部屋のドアが開いた。

「う~、寒かったぁ~……ってどうしたの、珍しいじゃない」

 月菜は駆け寄ってきた愛犬の頭を撫でながら、首を傾げる。

 この愛犬は比較的大人しいのだが、懐いているのは海人にだけだ。
 彼が学校から帰ってくればとたとた駆け寄ってきて挨拶もするが、
月菜や彼女の夫が帰ってきても顔を向けるだけで立ち上がろうともしない。

 それがどういう風の吹き回しだろうか、と思っていると、パンツの裾を軽く引っ張られた。

「はいはい、そっちね。どうした……」

 苦笑気味だった月菜の表情が、凍った。

 ドアの方からは丁度死角になっていて見えなかったが、
炬燵に近寄ると可愛い一人息子の寝姿が目に入ったのだ。

 相変わらずの、邪気など微塵もない可愛らしい寝顔。
 時折出る寝苦しそうな表情も、可愛くてたまらない。
 ずりずりと這い出ようとした後、ずりずりと戻っていくその姿など、
手元にビデオカメラがない事が悔やまれる程だ。

 が、母としては微笑んで観賞しているわけにはいかない状況だ。
 月菜は一度深呼吸すると、ぶるぶる震え始めた愛犬を下がらせた。

「起きろ馬鹿息子ぉぉぉぉぉぉっ!」

「ひゃわいっ!?」

 母の怒声に、海人は思わず飛び起きた。
 その拍子に手に持っていたゲーム機も飛び、離れた床に着地する。

「ふえっ!? 遅刻!? お洋服とランドセル……!」

 未だ意識は完全に覚醒しないながらも、海人は条件反射的に行動を始めていた。
 母が怒声を上げて叩き起こす時は、高確率で学校に遅刻しそうな時。
 それが意識の底にしっかりと根付いているのだ。

「今は冬休みでしょ、海人」

「……あ、そうだった。あれ? じゃあどうし―――あ゛」

 不思議そうに周りを見回し、海人はようやく状況を悟った。

 今の自分は、炬燵に足をすっぽりと覆われている状態だ。
 体にべったりと張り付いている汗の感触からして、寝ている時は体ごとだった可能性が高い。
 離れたところに転がっているゲーム機も、おそらく寝ている時は手に持っていただろう。
 ゲームオーバーの画面が見えているし、寝ている間にあんなところに放り投げたとは思えない。

 そして何より、母が途轍もなく綺麗な笑顔だ。
 実に晴れやかな表情で、ある種の清涼感さえ感じさせるばかりか、
テレビに出ている芸能人など比較にもならない程に美しい。   
  
 が、この表情は海人にとっては極めて危険だった。

「はい、理解できたみたいね。それじゃ海人、罪状読み上げなさい?」

「あ……う……」

「海人? お母さんの言う事聞こえなかったのかしら?」

 生まれたての子鹿の如く震える息子に、先程から全く動かない笑顔のまま問いかける。
 海人は慌てて全力で首を横に振り、母の命令に従った。  

「お、お父さんもお母さんもいない時に炬燵でゲームしちゃいけないって言われてたのに、やっちゃいました。
炬燵で眠くなったらすぐに出て部屋に戻れって言われてたのに、そのまま寝ちゃいました。
それと……これが、今年三回目……です……」

 言いながら、一端引いたはずの汗が噴きだしてきた。

 母の言いつけを破ってしまう、これだけならごめんなさいで許される。
 基本的には友達から羨まれる程、厳しくも優しい母なのだ。
 
 が、破ったのが三回目となると、豹変する。
 
 どれだけ平身低頭して謝っても、許されない。
 どんな理由を述べようと、酌量さえされない。

 許されるのは、お仕置きを下した時のみ。 
   
 それまでは、泣き叫んでも意に介さない。
 足を掴まれ悲鳴を上げても、そのまま捕らえられる。
 父が宥めようとしても、一睨みで黙らされてしまう。
 
「良い子ね。ちゃんと三回目だって覚えてたんだ―――――でも、破っちゃったのね?」

「ひいぃっ!?」
 
 あくまでも見惚れる程に美しい笑顔を崩さない母に、悲鳴を上げる。
 もう駄目だ、今まで幾度となく味わった経験がそんな諦めを囁いてきた。
 
「去年も、結局三回破っちゃってたわよねぇ?」

「あ、あわ、あわわわわ……!」

 ジタバタとちんまい手足を動かして炬燵から這い出ようとするが、
貧弱な力と慌て具合が相まって、まったく移動できない。

「――――今年は、お仕置きフルコースね」

「ひぃぃぃぃっ!?」

 その瞬間、恐怖が全てを凌駕し海人の体を突き動かした。

 かつてない力が手足から生じ、炬燵から這い出る為の最高効率で発揮される。
 実に鮮やかに炬燵から体を抜きだし、身を翻してそのまま駆け出す。
 これまで最高のスタートダッシュであり、一番軽快に走れている。 

 これならば――――そう思った瞬間、

「逃げるなんて悪い子ねぇ?」

 一瞬前まで背後にいたはずの母に、正面衝突した。
 驚く間もなく、ひょいっと体を抱え上げられる。

 駄目だ、終わった。
 そう思うも、最後の望みを繋ぐように駆け寄ってくる愛犬に手を伸ばすが、

「駄目よ?」

 最後の頼みの綱は一瞥された瞬間、腹を出して服従のポーズを取った。 

 きゅ~んきゅ~んと許しを乞うように啜り泣いている。
 海人への申し訳なさか、あるいは単に月菜が恐ろしいのか、判別する手段はない。

「さ、お仕置きの時間よ。逃げようとした分も加算するから、覚悟しなさいね?」

「いぃぃいぃぃやぁぁあぁぁぁぁっ!?」

 深夜のリビングに、幼い少年の無為な悲鳴が響き渡った。 





 番外編117 




 その日、イライザ・マーベリックは憂鬱だった。

 夢にまで見たカナールでの屋台出店。
 管理が厳しく競争激しいこの町での出店は、かなりの狭き門。
 特に彼女の生業である料理系の屋台は総数が決まっており、
しかも町の長老が直々に味を見るせいで更に門が狭まる。

 そこを二十七歳の彼女が培った腕一つで潜り抜けたのは、誇るに値する業績だろう。
 町の端のお試し地域のような場所とはいえ、ここを取るにも審査は厳しいのだ。
 実際、この場所が決まった際は彼女も喜び跳ねた。
 
 にもかかわらず、彼女の顔は暗い。
 開店からまだ三日だというのに、初日の陽気はすっかり失せてしまっている。

「くぅ……まさか、ここまで買ってくれるお客さんがいないなんて……」

 昨日の売上金額を思い出し、肩を落とす。

 そこそこには売れたが、言い変えればその程度でしかない。
 屋台という制約上在庫も多くは置けなかったのが幸いして申し訳程度の利益が出ていただけで、
予想していた販売量を基準に在庫を用意していたら、間違いなく大赤字だった。

 考えられる原因は、販売価格。

 無論、ぼったくっているわけではない。
 良質な材料とそれを調理する自分の腕、それを加味して決めた金額だ。
 自分であればこの金額を出しても惜しくないと思う額なのだが、この町で売るには少々高すぎたようである。
 これまで渡り歩いてきた町では問題なく売れていたので大丈夫だろうと思っていたのだが、
予想以上にこの町の住人の財布のひもは固かったようだ。
 なにせ、店に寄ってくれる客は多いのに、値段を見たらかなりの確率で立ち去ってしまうのだから。

 一応の利益はあるし、これまでの貯えがあるのですぐに生活に困窮するような事にはならないが、
それでまだまだ未熟と現実を受け止められる状況でもなかった。

(ここできっちり実績挙げれば、三十前に店構えるのだって夢じゃないんだから……!)

 瞳にメラメラと野望の焔を滾らせ、正面を向く。

 彼女の夢は、店を構える事。
 屋台では将来の店で一番の売りにする予定の一品を出すのが限度だが、固定店舗ならば違う。
 それによく合う御茶も、締め括りに味わうそれをより美味く感じさせるための軽食も出せる。
 そうして精魂込めて作り上げた料理の数々を老若男女問わず様々なお客に楽しんでもらう。
 それが、イライザの夢だ。

 月並みと言えば月並みな夢だが、彼女にとっては重要な夢である。
 その為に富裕層に客層を絞った料理店を営む実家を飛び出て、女一人で大陸中を渡り歩いてきたのだから。
 山賊に捕まったりして何度も本気で死にかかったが、それでも懲りずに追い続けてきた夢なのだ。  

「と言っても、せっかくのチャンスをものに出来そうにない現状じゃ偉そうな事は言えないわねぇ……」

 ふ、と溜息を吐く。
 
 冷静に状況を分析すれば、現状はある意味当然だ。
 なにせ、この町には名店が揃っている。
 後学の為幅広い客層に親しまれているという固定店舗に何軒か行ってみたが、本気でレベルが高かった。
 激戦区にある屋台なども非常にレベルが高く、地理条件も考えればそこから客を奪うのは絶望的だ。 

 この場所で狙うべきは、並ぶ事も多いそれらの店から流れてきたお客である。
 並んででも美味い物を、という客ではない以上、値の張る自分の屋台に足を運んでもらうのは難しい。
 たまに買ってくれるお客がリピーターになってくれる率が高い分、まだ救われていると考えるべきだろう。

(……あの冒険者さんなんてしおれちゃってるものねぇ……物は良いのに)

 薄暗い屋台で肩を落としている青年に、哀れみを覚える。

 なにやら有名な冒険者らしいが、商売はド素人なようだ。
 ああも店が暗くては、客はなかなか立ち寄る気にならない。
 まだ明るい時間帯だから照明は必要ないと思っているのだろうが、
ちゃんと売り物を見やすい状態にしておかなければ興味すら引けないのだ。

 屋台がぼろっちいのもマイナスだ。   
 おそらく借り物で良い物を借りられなかったのだろうが、それにしたってやりようがある。
 あれぐらいなら、雑巾などで磨き上げればそれなりに見栄えがするようになるはずだ。

 陳列も悪い。
 フレイムリザードの肉は、元々色が濃く見栄えに多少難がある。
 それが暗い店内に無造作に並べた事で、更に悪化しているのだ。

 が、怖いもの見たさで買ってみたところ、物は非常に良かった。
 自分で塩漬けにしたと言っていたが、あれはかなりの腕だ。
 イライザの実家で出す料理にも使えると断言できるぐらいに。

 とはいえ、いちいち欠点を指摘して改善指導をしてやる程お人好しでもない。
 屋台がもう少し好調であれば、閉店後に軽い助言ぐらいはしたかもしれないが。

 そんな事を思いつつ、どう売っていくべきか思案に暮れていると、件の屋台に白衣を纏った青年が入っていった。
 顔見知りらしく、何やらちょこちょこ話し込んでいる。

 そうしてやりとりする事しばし――――白衣の青年が何やら話を打ちきり、イライザの屋台へやってきた。

「すみません、注文よろしいですか?」

「いらっしゃいませ! 何になさいますか?」

 値段を見ても物怖じする事無く注文してくれる客に、満面の笑みを返す。
 
「お薦めはなにかありますか?」 

「少しさっぱり系であれば、イチゴとアーモンドと生クリーム、
濃厚な物がお好みであればバナナと生クリーム、チョコレートチップをお薦めしています。
勿論お客様のお好みでトッピングを組み合わせる事も出来ますので、お気軽にお申し付けください」

「ふむ、ではイチゴとアーモンドと生クリームを」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 イライザは笑顔で頷くと、手早く調理に取り掛かった。

 最初にスライスしたアーモンドを軽く火で炙り、香りを出す。
 次に取り出したイチゴを細かくカットし、ボウルに移した。
 そして冷やしておいた生クリームを取り出し、必要量に少量の砂糖を加えてホイップし、
あらかじめ仕込んでおいた生地を鉄板に薄く伸ばして焼いていく。
  
 生地が焼き上がったところで、生クリームを乗せてアーモンドを散りばめ、
たっぷりのイチゴを乗せていくと、最後に中身ごとくるくると巻いていく。

「……お待たせしました! イチゴとアーモンドと生クリームのクレープです! 千五百ルンになります」
 
「では丁度で」

「はい、確かに! ありがとうございました!」

「……お、美味いな。生クリームが軽いのに、たっぷりのイチゴに負けていない。
イチゴも上質な果汁がたっぷりだし、アーモンドの香ばしさも良いアクセントだ。
生地ももちもちしているし、ほんのり味わい深い甘味がある。
ふむ、千五百は高いと思ったが、これならむしろ安いか……」

「うう、やっぱり千五百は高いですか……?」

「っと失礼……まあ、高いは高いでしょう。これだけの素材をたっぷり使っていれば仕方ないと思いますが。
ところで、幾つか伺いたい事があるんですが、よろしいですか?」

「はい、なんでしょう?」

 イライザが頷くと、白衣の青年―――海人は本題を切り出した。

 内容は主にこの町における商取引のルール。
 絶妙な聞き方で、重要度の高い内容から手早く聞き出してきた。

「……なるほど、割と自由度が高いんだな。これぐらいなら制約は無いに等しいか」

「あそこの屋台の方のお手伝いですか?」

「ええ。見ての通り、彼はあまりに商売に向いてないようなので、多少手助けをと思いまして」

「ふふ、良い人なんですね。でも、商売は難しいですよ?」

「承知しています。というか、あんな惨状でもなければとても手を貸そうなんて言えません」

「あはは……まあ頑張ってください。あちらにお客さん入ればこっちに流れてくる方もいると思うので。
また値段で敬遠されちゃいそうですけど」

「ふむ……でしたら、安い物を作ればよろしいのでは?」

「これ以上となると材料費削るしかないんですけど、質は落としたくないんですよ」

「ええ、それはわかります。小さい物を作ればよろしいのではないかと思うのですが」

「……は?」

 ぽかん、と口を開けて固まるイライザ。
 思ってもみなかった事を聞かされた、そんな表情だ。
 
「例えば一口サイズにすれば、材料費はかなり抑えられるでしょう。
あの手際からすると作る事自体は可能でしょうし。
値段も抑えられますから、外れても仕方ないと割り切れる人が増えるかと。
そして、私見ですがこの味なら食べてさえもらえれば普通サイズの物を食べたいと思う人は多いでしょう」

「……それ採用っ! そーよ、小さいの作れば良かったのよ! 何で思いつかなかったのかしら!?
いえ、こういうのは聞かされればしょーもない事だけど思いつくのは難しい……ああもう、あなた天才!」

「ただの思いつきですが……まあ、役に立ったなら良かったです。
思いつきついでにもう一つですが、一口サイズで作るならお試し皿みたいな感じで、
何種類か盛り合わせた皿を作っても面白いかもしれませんね。
無論手間は尋常ではなく増えますが、数を限定して出せば子供などは喜ぶのでは?」

「――――それも採用! 手間は技と気合と根性で何とでもなるもの! 
素晴らしいわ! 一緒にお店やらない!?」

「今の仕事がありますので、謹んでお断りします。
では、お店頑張ってください」

 きっぱりと断ると、海人は一礼して元いた屋台――――ゲイツの屋台へと戻っていった。
 それを見送りながら、イライザは呟く。 

「残念……でも、素晴らしい収穫だったわ。
ふっふっふ……早速小型サイズの試作と原価計算、新商品の届出もした方が良いわね。
まだまだ勝負はこれからよっ……!」

 うっしゃあ! と気合を入れ、試作に取り掛かるイライザ。

 ――――実際の試作は、困難だった。

 生地を手早く、慣れた形ではなくかなりの小型に焼き上げる技。
 焼き上がったそれに手早くトッピングを行い巻き上げる技。 
 そして確実に多くを売る為に、複数を同時に仕上げる技。

 これらをモノにするにはかなりの労力を要したが、イライザは宣言通り培った技と気合と根性で翌朝には習得していた。
 その後唐突に大繁盛した向かいの店から流れてきた客を捌きながら。

 ――――そして、翌日にはその技を存分に披露し、夕方前に多めに用意していた在庫を全て売り切る事に成功する。

 特に売れたのが海人の言ったお試し皿で、一皿で色々楽しめると大人から子供まで大人気だった。
 これらの勢いは向かいの屋台が無くなっても持続し、惜しまれつつ最終日を迎える。
 そしてその実績によって、町の長老達から次はもっと良い場所を斡旋される事となった。 

 それを足掛かりに順調に上り詰めていき、ゆくゆくはこの国中に名を轟かせる事になるのだが――――それはまだ、先の話。






 番外編118




 
 刹那は、思う。
 自分の主はお人好しだ、と。

 そもそも、最初の出会いからしておかしい。
 魚と交換で塩が欲しいという要求を受け入れたのは、理解できる。
 基本属性魔法が使えない上に体も貧弱で、折角の便利な道具も秘密主義ゆえに易々と使えないというあの時の彼にとって、
創造魔法で作れない食材はまさに宝石に等しかっただろう。
 そこは、むしろ喜々として受け入れておかしくない。

 が、その後刹那に申し出た事は、お人好しという他ないだろう。

 米を見た途端意識がそれにしか向かなくなり、ふらふらと近寄ってくるずぶ濡れの女。
 それも直前まで激流の川に身を沈めて魚を乱獲し、挙句背後から岩をぶん投げられても、
ただ正気に返るだけだった化物だ。
 どこの世界にこんな危険生物相手に米を食べるかと勧める人間がいるだろうか。
 対価の方は今となっては彼にとって大した負担ではない事が分かっているが、
見ず知らずの超生物を共の食事に誘った事実には変わりがない。
 
 その後再び屋敷にやってきた時の対応も、正直甘い。
 宿泊と食事についてはやや過大だが伝言を持ってきてくれた礼と受け止められなくもないが、
あの時の海人は刹那が雫に襲われて激戦を繰り広げた事を見抜いていた。
 姉相手に全力で刃を向ける様な人間、普通は泊めたくないだろう。
 仮に女二人を野宿させる事に気が咎めたせいだとしても、多少は躊躇するはずだ。
 なのに、あの時の海人はそれを気にした素振りもなかった。
 危険に慣れているというのもあるだろうが、根が寛容なのだ。

 そしてミドガルズ鉱石発掘に誘われた時の対処も、今にして思えば甘い。
 目的は実戦における新魔法の実験だったようだが、頻度は極めて少なく刹那達の邪魔になるような動きはしない、
むしろ手出しをする時は手助けになるぐらいだったのだ。
 あれならば、本来は追加で手に入れた鉱石の三割程度を要求されても文句は言えない。
 そもそも、海人無しならば刹那達はどこにあるとも分からない鉱石を集める為、
森の中を延々探し回る羽目になっていたのだから。
 
 もっとも、刹那の気分的には授業の実験台にされた事で釣り合いは取れた、
むしろ自分にとってはマイナスではなかろうかとも思っているのだが。
 ツボ押し程度ならともかく、くすぐりは本気で地獄だったのだ。

 とはいえ、その後の雫の一件や雇用条件など諸々含めれば、やはり甘い主だと思う。
 これほどの男と巡り合えた事は、間違いなく人生の誉れだろうとも。
 
 が、それでも不満が皆無というわけではない。

「あー……刹那、機嫌直してくれんか?」

「知りません」

 宥めるように話しかける主から、ぷいっと顔を背ける。

 そう、刹那は怒っているのだ。
 いくら窘めても、懲りずに愚妹と組んで悪戯を仕掛ける主に対して。
 
 ある時は、冷蔵庫から取り出した飲み物が超激苦の青汁だった。
 ただ苦いだけでなく、口に含んだ瞬間猛烈な青臭さが広がり、しばらく匂いが鼻に残るシロモノだ。
 性質が悪いのは一見普通の緑茶で、冷蔵庫に作り置きした水出し玉露と見た目が変わらないという点である。
 おかげで朝にグラスに移して目覚まし代わりにくいっとやった瞬間、派手に噴きだした。
 横で仕掛けた二人がハイタッチしていたのが、なんとも怒りを煽ってくれたものだ。
 前日の夜に仕込んでいた海人のカレーに醤油一瓶ぶち込んでしまって台無しにした報復だったので、文句は言えなかったが。

 ある時は、紅茶用の砂糖が全て塩にすり替えられていた。
 注意深く観察していれば気付く程度の悪戯だが、
夜のうちに屋敷に点在するシュガーポットの中身を塩に変えているなど考えもしなかった為、
なかなか愉快にぶち壊された紅茶の味を味わう羽目になった。
 その時は身に覚えがなかったので、いつ引っ掛かるか賭けをしていたらしい愚妹と主をはっ倒して説教したものの、 
反省した様子が見受けられなかったので熱々な同じ味の紅茶を二人の喉に流し込んだ。
 
 そして今日だが、掃除の練習用にあてがわれた部屋が一夜でビックリハウスに変わっていた。
 おかげで今の刹那はずぶぬれで顔が所々黒くなり、固まった粉が服のあちこちに付着しているというなかなかシュールな格好だ。

「だから言ったじゃないか雫。流石に練習用の部屋に悪戯仕掛けるのはまずいと」

「えー、でも、物壊さなきゃただの部屋になんでしょー?
つまり海人さんの寛大極まりない配慮が碌に役に立ってれば何事もなく、
役に立ってなければ今までのヌルい練習じゃ甘いってことであれぐらいは妥当だと思いまーす」

「ぐ……!?」

 雫の容赦のない物言いに、思わず呻く。

 反論は、正直難しい。
 確かに海人の仕掛けたトラップは、どれもまともに掃除できていれば発動しないものばかりだった。
 机を綺麗に磨いた時は何も発動せず、窓ガラスを罅一つなく磨いた時も同様。
 それに油断して戸棚の一部を粉砕した瞬間頭上から白い粉が噴射され、
慌てて粉を掃除しようとして床をぶち抜いた瞬間周りの床から顔めがけて黒い粉が噴射、
苛立ち紛れに噴射装置を破壊したら、天井から水が落下した。

 確かに、普通なら何事もない類の罠なのだろう。
 刹那のような破滅的家事能力の持ち主を除けば。

「まあ、確かにそうなんだが……ほら、最初に比べれば間違いなく進歩はしてるだろう?
正直、まだ五歳の子供の方がはるかにまともな掃除をするとは思うが」

「最初のは自称掃除と呼ぶ事すら冒涜的な破壊活動じゃないですか。
それが自称掃除と呼んでも冒涜的とまでは言わなくてもいいんじゃないかなーってぐらいですよ?」

「それでも進歩は進歩だ。部屋全壊だったのが、今や半分近く無事なんだぞ?
確かにそれでも十分おかし……刹那?」

「……知りません、どーせ拙者は家事壊滅の無能女です」

 ぷいっとそっぽを向く刹那。
 完全に拗ねてしまったらしく、声に抑揚がない。

「あー、言い方が悪かった。間違いなく進歩はしてる。
頑張ってるし、結果も出てる。うん、気を落とす必要はない」 

「……今更優しい事を仰っても無駄です」

 どうにか顔を合わせようとする回り込む海人から、再び顔を背ける。
 その柔軟性を存分に活かし、彼女の表情は海人から一切見えない。

「い、いや事実を言ってるだけだ。それに最近は料理も上達してきてるし、家事壊滅は言いすぎだ」

「……数多の食材を無駄にした挙句、未だ海人殿にも到底及びません」 

 懲りずに回り込む海人から、今度は体ごとそっぽを向く。
 しかも、今度は海人が動こうとする度逆方向に回っている。
 意地でも顔を合わせるつもりはないようだ。

 困り果てた海人が、どうしたものかと悩んでいると、

「海人さ~ん、お姉ちゃんの顔笑ってますよ~?」

「なっ、馬鹿……!」

 妹の暴露に、思わず慌てる。
 それこそが雫の言葉の真実性を証明してしまうというのに。

「刹那……ちょっとこっちを向こうか?」

「……これでも女なので、黒い粉塗れで濡れた顔など殿方にはとてもお見せできません」

「いやいや、さっき見た限り粉は結構水で流れてたぞ? むしろ濡れた髪のせいで普段より多少色気が出ていたぐらいだ」

「……まあ、拙者もいじけすぎました。今回は雫に唆されたようですし、許しましょう」

 内心脂汗を掻きつつも、上から目線な言葉でどうにか優位に立とうとする。
 無駄だとは百も承知であったが。

「それはありがたいな。ところで刹那―――私は正直者が好きだぞ?」

「申し訳ありませんでしたぁっ!」 

 振り返り、即土下座を敢行する。
 この機を逃せば、間違いなくくすぐりが待っているからだ。
 
「よろしい。ま、確かに今回はやりすぎた。
君が真面目に頑張ってるところに水を差すのはよくない。すまなかったな」

 ぺこり、と頭を下げる海人。

 それを見て刹那は一瞬呆気に取られ、次いで苦笑した。
 困ったように、それでいて嬉しそうに、僅かな艶を漂わせながら。 
 
 


 番外編119





 天地月菜は、鼻歌を歌いながら自宅を闊歩していた。
 その足取りは、どこからか穏やかな音楽が聞こえてきそうな程に軽快だ。

 今日は、彼女の誕生日。
 三十路を越えて三年経過という忌々しい日でもあるが、家族が祝ってくれる日でもあった。

 夫は仕事を入れずに、慣れぬケーキ作りに朝から奮闘している。

 好きな料理しか得意じゃない彼の手作りケーキの味には期待できないが、
味の調整に悪戦苦闘しながら、大きな手のごっつい指で頑張って少しでも綺麗な物を作ろうとしている姿は、
この上ない愛情が感じられて月菜の心を満たしてくれていた。
 生クリームを味見しすぎて足りなくなり、町まで駆け抜けていった姿はどうにも情けなかったが、
それもより良い物を妻にという思いの表れだと思えば悪くない。

 一方、息子も息子でなんとも嬉しい事をやってくれている。

 少し前に、息子から誕生日プレゼントの要望を聞かれた。
 ちょっとした思いつきで息子の手作りの品、そしてお守り代わりに持ち歩ける物と答えたのだが、 
生真面目な息子は本気で考え込んだ。
 大好きな母の為なのだから、少しでも気に入ってもらえる物を、そして仕事の邪魔にならない物をと。
 正直それだけで母としては大満足だったのだが、その後結論を出して練習を始めた物は更なる感激を呼んだ。
 
 彼が練習を始めたのは、根付。
 どこにでも持ち歩けて邪魔にならず、かつ見て楽しむにも便利な物だ。
 それもシンプルな物が好きな月菜の為に、木彫りで良い味を出せるよう頑張っていた。

 まあ、その為にえげつない程の切れ味を持つ彫刻刀を開発したのは我が息子ながらどうよと思ったが、
少しでも良い物を作る為に時間短縮とイメージ通りの彫り方に近付けやすくする事を狙っただけなのは分かるので、
素直に感動しておくことにする。
 言ってくれれば彫刻刀ぐらいいくらでも買ってやったのに、と思わずにはいられないが。
 
「さーて、どんな物ができるかしらねー」

 歩きながら、花壇の一角を眺める。

 そこに咲くのは、色とりどりの花々。
 月菜の好みに合った、見ていて心が明るくなる色彩だ。
 アクセント程度に加えられた暗めの色彩の花が、結果として全体を華やげている。
 
 この一角も、今日の為に夫と息子が用意してくれたものだ。

 抜群のセンスを持つ息子の指示に従い、夫が作り上げた花壇。
 息子では重くて思い通りに動かせないレンガを、夫が息子のイメージ通りに配置した事で完成した一品だ。
 作ってる途中あまりに細かい指示のせいで息子が何度も転がされていたが、紛れもなく父子協力あっての物である。

 うんうんと嬉しそうに頷いていると、足にもふっとした感触がした。

「あら、起きたのね」

 微笑みながら、足元に寄って来た愛犬を撫でてやる。

 昔息子が大量に拾ってきた中で、唯一里親が見つからなかった犬だ。
 昔は警戒心が強く甘える事などなかったが、ここ2、3年はこうして甘えにくるようになっていた。
 最近では月菜達にも腹を見せるようになり、すっかり昔の面影はない。

(でも……そろそろ限界でしょうね、あなたも)

 ふ、と目が悲しげに細まる。

 この子は、息子が拾って来た時点で結構な年になっていた。
 それから三年以上経った今、いつその命の焔が消えてもおかしくない。
 実際、最近は寝てばかりで飼い主一家の誰かが寄ってきた時のみ、
構ってちょうだいと言わんばかりにゆっくり寄ってくる。

 去年までは息子の投げたフリスビーをキャッチして遊ぶのが大好きで、
彼がフリスビーを持った瞬間駆け寄り、勢い余って押し倒してしまう事もままあったのだが、
ここ何ヶ月かはフリスビーを投げても視線を向けるだけで動かない。

「……できるだけ、長生きしなさいね。海人、あなたの誕生日どうやってお祝いするか考えてるんだから」 
  
 ころんとお腹を見せた愛犬の腹を掻いてやりながら、語りかける。
 言葉に反応するように返された愛犬の目は、穏やかに輝いていた。

「おか~さ~~~んっ! 準備終わったからその子連れて食堂来て~~~!」

 頭上の窓から、息子の声が響く。
 見上げれば年の割にまだちんまい手をぶんぶん振っている。

 月菜は承諾を返すと、愛犬を伴って屋敷の中へと入っていった。




 



 

   
 その夜、月菜は屋敷の庭で月見をしていた。

「ん~、良いお月様ねぇ……」

 くいっと杯を傾け、吐息を漏らす。

 良い誕生日だった。

 夫の手作りケーキは予想通り味は普通、見た目は拙いと物自体はいまいちだったが、
そこに込められた愛情が途轍もなく嬉しかった。
 思わず、ホールの半分を平らげてしまったほどだ。
 息子と協力して作っていた料理にいたっては、見た目も味もなかなかで結構な量を胃に収めた。
 
 誕生日プレゼントも、嬉しい物だった。

 夫が用意してくれたかんざしは、自分の雰囲気に良く合っていた。
 使い所は限定されるが、浴衣を着て家族で祭りに行く時などには重宝するだろう。
 細かい事は考えず勘で選んだそうだが、そうとは思えない程に気に入った。
 嬉しさのあまり息子の前でいちゃいちゃしそうになったのは要反省だが。

 息子が自作してくれた根付は、文句のつけようなどなかった。
 物は、シンプルで可愛らしい造形の子犬。
 木彫りで仕上げられたそれは、素朴ゆえに温かみが強く、眺めているだけで心が穏やかになる。
 いつでもどこでも持ち歩ける点と相まって、とても嬉しいプレゼントだった。
 嬉しすぎて、息子を絞め殺しそうになったのは反省せねばなるまいが。 
 
 毎年嬉しいイベントだが、今年も例外ではなかった。

「これがいつまでも続けられればいいんだけど、ね」

 それは叶わないだろう、そんな確信がある。

 相変わらず素直で良い子だが、最近の海人は疑念を持ち始めつつある。
 これまでは親の言う事にただ従い、その才をひた隠しにしてくれていたが、
早ければ中学入学時点で理由を説明しなければならないだろう。
 
 海人は間違いなく史上最高の、それこそ漫画に出てきそうなレベルの天才であり、
悪い人間に利用されないようにする為、その才能を隠さねばならないと。
 そうしなければ、海人に待っているのは絶望の未来だけなのだと。
 漫画や小説に出て来る悪役なんて、本物の悪党に比べれば可愛いものなのだから、と。

 ―――――正直、素直に受け入れてくれるとは思っていない。

 自分達夫婦の息子だと言うのに、海人は優しすぎる。
 そのくせ意志力は夫のそれを受け継ぎ、極めて強靭だ。   
 それが規格外極まりない自分の能力のレベルを自覚すれば、
世界の残酷さを諭されたところで、かえってそれを変えてやると意気込むだろう。

 防ぐ為の案は長年かけて用意してあるが、それは海人の心を壊しかねない猛毒でもある。
 同時に自分達夫婦の心さえも打ち砕きかねない、そんな危険のある案だ。
 それでも息子の命を危険に晒すよりはマシ、そんな内容なのである。
 
「……やだなぁ」

 覚悟はとうに決めていたつもりだが、使用の時期が近付くにつれて恐怖が増していく。
 幸せな現在。それを自らの手で砕いてしまうかもしれないと。

 身を震わせていると、背後から彼女の頭が撫でられた。

「が、親としちゃあ覚悟決めるしかねえだろ」

「……あなた。起きてたの?」

「ま、な。女房が可愛い息子の事で悩んでる事ぐれえ、俺にだって分からぁ」

「そっか……そうよね」

「大丈夫だ。あいつは俺らの息子だし、俺はともかくお前は今までたっぷり可愛がってきたんだ。
しばらく引き篭もるぐらいはするかもしんねえが、悪い結果にゃならねえよ」

「そうね……そう信じないとね」

「そうそう、信じるこった! 自慢の息子なんだからよ!」

「……うん。それじゃ、気分直しに一杯付き合ってくれる?」

 悪戯っぽく微笑み、杯を差し出す。
 差し出された杯を受け夫―――神明はぐいっと一息に飲み干した。
 それに応えるように月菜も返された杯に酒を注ぎ、ぐいっと飲み干す。
 それを繰り返すうちにどちらからともなく笑いが零れ、酒盛りが盛り上がっていく。
 その内にあまりの騒がしさに目を覚ました息子さえも巻き込み、結局朝まで宴は続いた。

 ―――先に待ち受けるであろう不穏の陰を打ち払わんとばかりに、明るく。


  
 

 番外編120





 シャロンは、同僚の姿に人知れず溜息を吐いていた。

 普段しゃきっと伸びた背筋が、若干猫背になっている。
 事務作業をしているので当然は当然なのだが、些か角度が急すぎた。
 しかも無意識だろうが体が全体的に縮こまり、自分より僅かに大きいはずの体が小柄に見えてもいる。   
 仕事自体はてきぱきとこなしているが、その背中は明らかに煤けていた。

 仕事に支障はなさそうだが、放置も好ましくない。
 そう思ったシャロンは、意を決し声を掛けた。

「アーリア。落ち込むべきだとは思うけど、落ちこみすぎも良くないわよ」

「うう……そう言われたって、組手でへし折れたなんて間抜けどころの騒ぎじゃないわよぅ……」
  
 くすん、とアーリア・ピアットラントが泣き言を零す。
 
 彼女の左足は、現在がっちりと固定されている。
 組手に熱が入りすぎ、本来後退すべき場面で前進を選んでしまった。
 振り下ろされる槍の柄を左足で受け流しつつ攻撃しようとしてしくじり、へし折られたのである。
 
 組手自体は痛みを堪えながら放った最後の一撃で勝ったが、骨折は大怪我である。
 肉体強化していればそう時間はかからず完治するが、しばらくはまともに歩けない。
 当然業務にも支障が出ており、彼女が赴くはずだった野盗討伐を同僚に代わってもらう事になった。

「まあ、確かに間抜けなんてレベルじゃないわね。
昨日は組手だったからよかったけど、実戦だったら最悪お葬式よ?
後で行動制限がかかる類の肉を切らせて骨を断つ戦法は、どうしようもなく追い詰められた時の奥の手。
その場合も犠牲にするなら足以外で即死の危険がない場所を最優先。
総隊長だけじゃなく、先輩達にも散々言われた事じゃない」

「……反省してるわよ。おかげであんな目に……あうう」

 ふるふると震えながら、昨日の惨劇を思い出す。

 左足が折れて痛みに悶える自分に、いつの間にかやって来ていたローラが手を差し伸べた。
 医務室まで肩を貸してくれるのだろう、そう思っていたのだが、

「流石に総隊長はブレないわよねぇ……まさかあそこで腕掴んで地面に叩きつけるとは思わなかったわ」

「なまじ一回目半端に耐えたもんだから、二回もね……」

 激痛に歪む意識の中で見た光景を思い出し、背筋が凍る。

 腕を掴んだローラは、先程シャロンが言った内容を静かに語った後、アーリアを地面に叩き付けた。
 その勢いは尋常ではなく、叩き付けた箇所に大きな穴が出来上がった程だ。
 常人であれば確実に即死だっただろう。

 が、皮肉な事にアーリアはその威力に耐えて意識を保ってしまった。
 それゆえに、大地を揺るがすような叩き付けを二発も受ける羽目になったのだ。
 
「まあ、それでも折れた足のまま野盗狩ってこいとは言われなかったんだし、いいじゃない」

「……言われてみればそうね」

 シャロンの言葉に、納得したように頷く。

 確かに、ローラにしては随分と慈悲深い。
 彼女の性格とこれまで注意された回数を考えれば、折れた足のまま仕事に向かわなくて済んだのは僥倖だ。
 長年体に刻み込んでなお染みついてないとあらば、実際に足が使えない事がどういう事態を招くか体験して来いと言われてもおかしくなかった。
 
 普通に考えれば倫理的にまずありえない可能性だが、あの上司ならばやりかねない。

「そんな非効率的な事を命じるはずがないでしょう」

『っ!?』

 唐突に響いた声に振り向く二人。
 そこには、いつのまにかやって来ていた上司がなにやら花束を持って佇んでいた。

「あ、あのー……いつからいらっしゃいました?」

「心配しなくとも、今来たばかりよ」

 引き攣ったアーリアの言葉に答えながら、彼女の前に花束を置く。

「あ……すっごい綺麗! しかも真ん中のってラウシュテンゲルプ……!
わざわざ買ってきてくださったんですか!?」

「そんなはずないでしょう。カナールで押しつけられただけ。
良い物には違いないし、捨てるのも勿体無いから持ってきたのよ」

 しれっとしたローラの言葉に、部下二人が揃って肩を落とす。
 おそらくその言葉は真実だろう、と思ってしまったがゆえに。

 この花束、買えばどう安く見積もっても一万ルンはするだろうが、
ローラを口説く為なら迷わず出す男がいてもおかしくない。
 これだけの美女、普通は一生で一度お目にかかれるかどうかだろうから、機を逃すまいとする男はいるだろう。
 つれないローラにしつこく付き纏い、その後ぶっ飛ばされる姿まで目に浮かんでしまう。

 では、自分達ならどうだろうか。
 そう思うと、落ちこまざるをえない。

 それなりに恵まれた容姿を磨いている為か、休暇中に町に出向けば口説かれる事はある。
 御茶を、食事を、お薦めの甘い物を、色々と奢るからというお誘いも珍しくなかった。
 
 が、流石に初対面で金額が万単位の物を差し出してきた人間はいないし、これからもいるとは思えない。
 この屋敷の人間にそんな事が起きるとすれば、公爵家令嬢である主、あるいはこの場にいる絶世の美女、
それか現在不在の色事の達人な先輩ぐらいのものだろう。 

 少なくとも、自分達には現在は勿論未来も不可能そうだ。    

「くうっ……! 世の中不公平だよぅっ!」

「いらないかしら?」

「……いえ、ありがたくいただきます。綺麗で凄い気に入りましたから。
療養中の良い清涼剤になります」

 礼を言い、改めて貰った花束を見る。

 中央にアーリアの一番好きな花が鎮座し、周囲を色の異なる花々が覆っている。
 多くの明るい色が使われているが、毒々しさはなくむしろ爽やかな色彩だ。
 試しに鼻を近づけてみると、多くの香りが混ざって心地良い清涼感を感じる。
 
 何から何まで非の打ち所がなく、例え上司のおこぼれだとしても手放す気にはなれなかった。

「そう、それは良かったわ」

 にこりともせず踵を返すと、ローラは部屋の外から紐で括られた紙束を抱えて戻ってきた。
 そしてそれを、どん、どん、と重々しい音を立てながらアーリアの脇に配置する。

「……あの、総隊長、これはなんでしょうか?」

「見ての通り、書類よ。体の鍛錬がおろそかになる間、頭の鍛錬をなさい。
もし今日中に終わらなかった場合、相応の罰が下ると覚悟するように」

「……ぐ、具体的にはどのような?」

「その時まで秘密よ。まあ、どうしても気になるのなら怠ければいいでしょう。
その時は過去の自分を撲殺したくなるかもしれないけれど、それも良い経験でしょうし」

「ぜ、ぜぜぜぜ絶対に、何があろうと今日中に終わらせます!」

「よろしい。それと、明日の昼は私との組手よ。
片足が使えないという事がどれほど致命的か、魂の髄まで刻み込んであげるわ。
それじゃあ、今日の所は書類仕事を頑張りなさい」

 言い終えると、ローラは足音も立てずに退室した。
 背後の部下達が、止める間すら与えずに。

「……ねえシャロン」

「なにかしら?」

「今からこの足で逃げて、逃げ切れると思う?」

「両足無事でも不可能ね。諦めるしかないと思うわよ?」

「………いぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁあああああああっ!?」 
 
 明日に待ち受ける地獄を確信し、アーリアは屋敷中に響き渡る悲鳴を上げた。  



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