ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄19
 一時間後。海人達は先日購入した屋敷にいた。
 リリーの見舞いを終えた後、海人がここに来るよう二人に頼み込んだために。
 その時既に夕方になっていたため最初は渋ったのだが、
いつになく真剣な海人の目に気圧され、二人は渋々承諾した。
 そして現在、二人は理解不能な事を始めた海人を戸惑った目で見つめていた。

「まずはこれを川に放り込んで、と」

 超重量の錘付きのマイクロ水力発電機を激流の川へと放り込む。
 それと同時に屋敷内部に固定された蓄電器に充電開始を示すランプが灯る。
 これで、朝までには確実に限界まで電力が溜まっているはずだ。

 この小型水力発電機、名前こそマイクロ水力発電だが、海人がこれを開発する前の定義であれば小水力発電と呼ばれていた代物である。
 彼が持ち前の魔王的頭脳によって異常極まりない効率の小型水力発電機を開発して以降、世界の定義が変わってしまったのだ。
 
 とはいえ水力発電という言葉の意味すら分からぬ二人にはそれが妙な金属の塊にしか見えず、ひたすら首を傾げていた。 
 
「ま、その反応は無理もないな」

 蓄電器を電源にし、そこから用意しておいた延長コードをひたすら長く繋げていく。
 本音を言えば蓄電器を直接地下室に持って行きたいところだったが、未だ電力は満タンではない。
 急ぎでもあるので、発電しつつ消費するという手法を使わざるをえなかった。

 コードをこの部屋から地下室まで届かせるに十分な長さに繋げたところで、海人は二人に頼み込んだ。

「私はこれから地下室に行くんだが……すまんが、二人は遠慮してくれるか」

「……なんでよ」

 ルミナスの目が若干細まり、声が低くなった。
 横ではシリルも似たような顔をしている。二人共あからさまに不機嫌そうであった。

「見られるとちょっと、な。私の隠し事に直結しかねないと言えば分かってもらえるか?」

「むうう……そんなに私達が信用できない? あんたの私達への評価ってそんなに低いの?」

 頑として譲る気を見せない海人に、思わず詰問口調になる。
 
「いや、極めて高い。が、その高さゆえに見せられん。
……すまないが、言えるのはこれだけだ。無理を言うが、分かってもらえないか?」

 深々と、営業用でもなんでもなくただ真摯に頭を下げる。
 そのあまりにも殊勝な態度に、二人は一瞬怒りのやり場を失った。
 が、即座に怒りの方向性を変え、改めて海人にぶつけた。

「ぬぬぬ……そんなに素直に頭下げられたら何も言えないでしょうが!
知りたくば素っ裸になって胸を揉ませろとか言えばとりあえずぶん殴れんのに!」

 むきーっ! と怒りながら海人の頭にヘッドロックをかける。
 冗談めいた事をしながらもやはり怒っているらしく、海人の頭がミシミシと悲鳴を上げる。

「いだだだっ!? というか冗談でもんなこと言ったら、確実にシリル嬢に惨殺されるだろ!?」

「御心配なく。お姉さまの胸に頭を押し付けられている現状だけで惨殺するに足りますわ。
遺言はありませんわね?」

「待て待て待て! せめて用事を済ませてから! それからなら死なない程度に相手するから!」

 清々しい笑顔で海人の頭蓋に手を伸ばすシリルを恐れ、海人はルミナスの拘束から必死で逃れた。
 本気ではなかったが、それでも彼女の拘束から強引に抜け出すには相応の苦痛を伴う。
 いつになく本気で逃げ出した海人に、シリルは怪訝な目を向けた。

「やけに必死ですわね。そんなに急がねばならない用事なんですの?」

「急いだ方が良い事は間違いない。じゃ、行ってくる」

 心の奥底まで覗き込んでやろうか、と言わんばかりのシリルの目から逃れるように、
海人はスタコラサッサとコードを抱えて部屋を出て行った。

 開けっ放しにされたドアを眺めながら、シリルが呟く。

「……あからさまに挙動不審ですわね。どうなさいます?」

「諦めるしかないでしょ。見せたくないってんだから。
和菓子とお茶、果物、ついでにお酒まで用意してった事に免じて、今日は素直に従いましょ」

 そう言うとルミナスはベッドに腰掛け、海人が先程蓄電器とは別に作った食料が置いてあるテーブルを手元まで引き寄せた。
 シリルも溜息を吐きながらそれに倣い、ルミナスの横に腰掛けた。
 そして二人は雑談しながら海人が戻ってくるのを待ち始めた。
 せっかくの美味い物の味をなんとなく苦く感じながら。

 
 













 ルミナスとシリルが苛立ちながらも律儀に待っていたとき、
海人は地下の隠し部屋で難しい顔をしていた。
 
「……どういう事だ?」

 思わずそんな声が漏れる。

 創造魔法を使って様々な道具を一気に作り、部屋全体を滅菌した上でリリーの血痰を検査したところまでは恐ろしいほど順調だった。
 博打の側面があったリリーの血痰の作成も上手くいったのだ。
 
 今まで作った物や昨日酒を作れた事からもなんとなく感じてはいたが、
やはり創造魔法の植物以外の生物は作れないという制約は、微生物は対象外だったらしい。
 
 顕微鏡と染料を用いた塗沫検査と簡易検査キットを用いた核酸増幅検査も上手く出来た。
 結果は両方とも陽性という悪い結果だったものの、順調に終わった。
 
 残るは海人が改良した液体培地を用いた培養検査の結果と、成分分析機にかけたリリーの服用している薬の分析結果を待つだけであり、余程の事が無い限り、今回最大の目的であるリリーの命はほぼ保障されたと言える。 

 しかし、問題はその後に起こった。
 万が一作れる薬ではどうにもならなかった場合に備えて研究用のパソコンを作ったのだが、
見事なまでにデータがなかった。OSすらも。
 ファームウェアだけは残っているようだったが、当面研究ができない事に変わりはない。

 とはいえそれ自体は大問題ではあるが、ある程度楽観できる。
 海人が薬を作れる以上リリーの命が危ぶまれる可能性は隕石の直撃を頭に受けるぐらいの低確率であるし、
OSを含めた大半のデータは記憶しているため、時間を掛ければ再生は可能だ。
 
 しかし、原因が分からないのは不気味だった。ソフトが再生できないというのなら、ファームウェアが残っているはずが無いし、
内部コンピューターで管理している成分分析機も培養検査用の機器も働かなかったはずなのだ。
 それらの齟齬が気になり、目の前のパソコンと完全に再生できた機器の相違点は何か、と海人はしばし思考の海に沈んだ。
 
「……もしかして、あれか?」

 一つ思いつき、海人は創造魔法の詠唱を行った。
 作る物は一人乗り用の小型ヘリコプター。サイズ的には海人が唯一覚えている術式でも作れるはずの大きさ。 

 ――しかし、詠唱完了後いくら待っても物は出現しなかった。

 それを確認し、海人は自分の予想に確信を持った。 
 作ろうとした物は彼が設計した物なので構造は熟知している。完成品も見ている。
 ただし自分用の物ではないため、今まで作った機械とは一つだけ決定的に違う点があった。

「分解経験、あるいはパーツ全部を肉眼で見ていないと作れんのか」

 かつて頼まれて飛行機械を設計した時を思い出しながら、納得する。
 今作ろうとしたヘリコプターは設計図面は引いたが、実際の作成は専門業者に任せた。
 完成品は見て試運転もしたものの、自分が所持していた物ではないので分解した経験は無い。

「となればデータが再生できなかった理由は、データが記録された状態のハードディスクを分解した経験が無いから、と」

 結論を出し、海人は肩を落とした。
 
 元々海人は興味を持った機械を分解する悪癖があり、自分の所有する機械はほぼ全て一度は分解している。
 今回使った検査用の機器は全て彼が設計した物ではあるが、オーダーメイドではなく既製品。
 当然ながらすぐ使えるようあらかじめ全てのデータが入力されている。 
 そして色々敵の多かった彼は、何か仕掛けられている可能性と己の趣味によって届いた瞬間に分解した。
 が、そんな海人も流石にメインで使っているコンピューターのハードディスクを分解した経験までは持ち合わせていない。
 
 現段階で考えられる限りでは、これ以外の結論はなかった。
 
(となると、結局一から作り直すしか……ん、待てよ)

 海人が諦めてOSから作り直すことを覚悟した矢先、ふと先程蛍光顕微鏡ごしに見た物が彼の脳裏をよぎった。
 それがやたらと気になり、海人はそれが打開策に結びつく可能性を考え始める。
 先程見たのは肺死病の原因である細菌類。そしてその周囲で蠢く微生物。

 そこまで考え、海人は一つの可能性に思い当たった。
 あくまで可能性だが、試す価値はありそうに思えた。

「駄目で元々、やってみるか」

 創造魔法を使って海人は一枚のディスク状の記憶媒体を作成し、パソコンのドライブに放り込んだ。
 駆動音と共にディスクが読み込まれ、現れた結果に海人は思いっきりガッツポーズを取った。
 ディスクに記録されたバックアップデータによって、海人開発のオリジナルOSをはじめとしたデータが次々にインストールされていく。

 見えてはいても認識はできていない微生物が作れるのなら、
ディスク内部に刻まれた微細な凹凸なども作れるのではないか、海人のこの予想は見事に的中したのである。
 最後にバックアップを取ったのが少し前であったため若干データが古いだろうが、この際十分。 
 復元が完全に終わらなければ断言は出来ないが、成功していれば研究に必要なプログラムは揃っているはずだった。
 となれば、とりあえず当面は待つ以外やる事は無い。

 インストールが終わるまでの間に、海人はルミナス達の元へ戻る事にした。


















 




 一方で、待たされっぱなしのルミナスはがぶがぶと温かい玉露を飲みながら、海人を待っていた。
 シェリスの屋敷では眠りへと誘うほどに安らがせてくれた飲料だったが、今は役に立っていないらしい。
 こういう時は酒を飲んで気分を晴らすのが一番だが、今の精神状態では酒の勢いで地下室へ突撃しかねないので自制している。
 それがよりいっそうストレスを増加させ、彼女の機嫌を傾けていた。

 やがて痺れを切らし、ルミナスの歯がギリギリと音を鳴らし始めた。

「むうう……遅い! 遅すぎるわ!」

「お姉さま、まだそれほど経ってませんわ」

 いきり立っているルミナスを、シリルがやんわりと宥める。
 怒りを露にしている上司とは対照的に、彼女は比較的落ち着いたものだった。
 気炎を吐いているルミナスを眺めながら、玉露と和菓子のハーモニーに舌鼓を打っている。
 ただ、彼女も和菓子を食べるペースが異様に速く、やはりストレスはあるらしかった。

「分かってるわよんなことは! ったく、あの馬鹿どうしてあそこまで隠すのよ!」

「はあ……お姉さま、なぜそんなに怒ってるんですの? 
人は秘密を抱えて生きるもの。普段のお姉さまならば詮索はなさらないと思いますが?」

 溜息を吐きながら、シリルは問いかける。
 
 彼女の言うとおり、普段のルミナスならば悪意の無い隠し事程度で怒るような事は無い。
 それどころか他人が詮索しようとしたら、さり気なく話題を変えてくれる事も多い。
 それが今回に限っては怒り、率先して詮索したがっている。
 
 シリルからすれば理由は明白で、それを考えると海人に怒りすら感じる。
 が、実のところ彼に罪は――無いとまでは言わないが、少なくとも悪気は一切無い。
 じゃれ合い程度ならともかく、そんな相手に理不尽な本気の怒りをぶつけるほどシリルの自制心は弱くない。
 
 かといって、当のルミナスに理由を教えてあげられるほど、お人好しでもないが。

「隠し事されて愉快なわけないでしょうが! ああ、もうっ! なんか異様にムシャクシャする!」

「……気持ちは分からないでもありませんけれど、カイトさんが話さないからには相応の理由があると思いますわ。
お姉さまだって、それは理解されているでしょう?」
 
「ぐ……そりゃそうだけどさ」

 シリルの言葉に、ルミナスは勢いを失った。

 隠し事隠し事とうるさく言っているが、実際はそれほど隠し事はされていない。
 それどころか海人が妻を亡くした経緯など、本来は隠したいであろう事まで教えてもらっている。
 だが、どうしても気になるのだ。なぜか、たった一つの隠し事で生じる距離感がえらく遠い物に感じられる。
 近くにいて一緒に笑っているというのに、一瞬目を離したらそこから消えているのではないか、そんな不安を感じさせられてしまう。
 理不尽である事は重々承知。だが、それでも教えてほしいという気持ちが治まらない。

 寂しそうに床に目を落とすルミナスに、シリルは柔らかく声をかける。

「待ちましょう、お姉さま。そもそも私達はカイトさんとの付き合いが長いわけではありません。
ふと忘れそうになってしまいますけれど、まだ一月半ぐらいですわよ?」

「うううっ……! それは分かってるけど釈然としないのよ! 
ええいっ! 戻ってきたら理由こじつけてとりあえずひっぱたく!」

「あの~……お姉さま、流石にそれは理不尽すぎるのではないかと」

「いいの! とりあえず先に謝ってからひっぱたく! んでその後にまた謝る! 
許してもらえなかったら許してもらえるまで謝る!」
 
 冷や汗を垂らしながら宥めようとする部下にそう宣言し、ルミナスは一息で湯飲みに入った玉露を飲み干した。
 シュッシュッ、と素振りを始めた上司を眺めながら、シリルはもはや説得が無理な事を悟る。
 哀れではあるが諦めてもらうしかない、そんな事を考えているうちに海人が戻ってきた。
   
「……待たせてすまん」

 戻ってきた男を見て、ルミナスの目が鈍く輝いた。
 危険な輝きを瞳に宿らせたまま、彼女は笑顔でスタスタと海人の元に歩み寄る。
 そしてそのまま胸倉を掴み、

「あれ? ちょ、どうしてそんなに疲弊してんの!?」

 その瞬間、一転して心配そうな表情で、倒れかけた海人の体を支えた。
 実際その判断は正しく、海人はここまで戻るのがやっとだった。

 結果として作業は順調に進んだが、今日の彼の魔力消費は莫大だった。
 なにせ、規格外の消費魔力を誇る創造魔法の使用回数が尋常ではない。
 朝シェリスへの土産とリリーのお見舞い用の品を作る際に計二度。
 そしてここに来てからはルミナス達の前で二回使い、地下室では作る機材のサイズの問題と一度の失敗のせいで計六回使っている。
 総使用回数実に十回。これは海人が一日に使用できる限界回数だ。
 特に屋敷に来てからの連続使用は、今になって海人に一時的ながら強い脱力感を誘発している。 

 それでも海人はこのまま意識を失いたいという弱気を押さえ込み、ルミナスに笑顔を向けた。 

「ちょっと、魔法を使い過ぎただけだ。大した事は無い」

 ルミナスの腕から離れ、軽く首を振って立ち上がる。
 まだ足元が若干おぼついてないが、とりあえず倒れそうではなかった。

「……持ち直したようですからお訊ねしますけど、いつまでここに滞在すればいいんですの?」

「とりあえずは、明日の朝までだ。すまんな、家を一晩空けさせてしまった」

「んな事はいいん……いや、代わりと言っちゃなんだけど、しばらくリリーの見舞いに付き合ってくれない?
宿で母親と二人っきりじゃ寂しいだろうから、ある程度良くなるまでは小まめに顔見せしてあげたいのよ」

 お願い、と頭を下げる。

 普段活発に動き回っている姿を知る身としては、今のリリーは哀れだった。
 今でも病人にしては元気すぎるが、普段は忙しなく楽しそうにあちこちぴょんぴょん跳ね回っている娘なのだ。
 少しでも元気付けたい、そう思うのは肉親として当然だった。

 そして、言うまでもなくこの申し出は海人にとっても好都合だった。 

「そんな事なら喜んで受けよう。ところで、リリー嬢はチョコレートなどは好きだろうか?」

「大好きよ。あの子は甘い物全般好きだからね。でも、別にお見舞いまで持ってかなくてもいいのよ?」

「なに、ああも元気な子供がベッドから動けないのも気の毒だ。
それに美味い物食べてれば回復も早いかもしれんだろ?」

「そうかもしれませんわね。ところでそのチョコレート、私達も御相伴に与れますの?」

「あ、シリル。あんまり期待しない方が良いわよ。
前食べたけど、チョコレートは普通の味だったわ」

 以前食べたチョコレートの味を思い出し、シリルに釘を刺す。
 期待に現実が届かなかった時の落胆を打ち消すためだったが、
その言葉は他ならぬ海人に否定された。

「いや、今度はちゃんと最高品質の物を用意するぞ」

「え? ならなんであの時は……」

「あれは私のおやつ用だったからな。チョコレートは最高品質の物よりあのぐらいの物の方が好きなんだよ」

 ルミナスの疑問に軽く肩を竦めて答えた。
 海人の味の好みは大体値段が高い物なのだが、チョコレートに限っては高級なブランドの物より、
駄菓子屋で買えるような物が好みなのである。

「へえ~、変わってるわね。そんなら楽しみにさせてもらおうかしらね」

 楽しみだな~、と一転して子供のようにうきうきしているルミナス、
そしてそれを眺めて微笑んでいるシリルを眺めながら、海人もまた静かに微笑んでいた。

  
 















 翌日。丁度太陽が真上に昇った頃、
海人達は三人で話しながらアリスが泊まっているホテルへと向かっていた。

「そんじゃ、今日は見舞い終わったら家帰っていいのよね?」

「ああ。当面あの屋敷じゃないと出来ない事は無くなったからな」

「そーいう事を言われますと、あそこでしか出来ない事ってなんなのかって問い詰めたくなりますわね」

「失言だったから睨まんでくれ。ま、代わりと言ってはなんだが、今日は帰ったら色々良い食材を用意するつもりだ」

 そんな話をしながら歩いていると、三人はある広場に差し掛かった。
 時間帯の割には人がまばらで、カナールの町の一角とは思えないほどに閑静だった。
 広場中央には華やかな花壇が存在するが、人が少ないおかげで歩きながらでもその美しさを存分に楽しめる。 

 海人が横の二人に花壇の花の解説などしながら歩いていると、隅のベンチ一つを独占しているカップルが視界に入った。
 勝気そうな女性がやけにズタボロな状態の男に膝枕をしながら、そっとその頭を撫でている。
 三人はすぐその二人が知人である事に気づいたが、邪魔するのも悪いと思い、そのまま立ち去ろうとした。
 が、その前にともすれば聞き逃しそうな、それこそ精も魂も使い果たしたかのような力ない声がかけられた。

「……う~っす、なんか久々だな、お前ら」

 広場のベンチで横になったまま、ゲイツは力なく右手を上げた。
 そしてそれと同時に彼を膝枕していたスカーレットもひらひらと手を振った。
 彼女の方は二人きりの時間を邪魔されたためか若干不満そうな顔をしている。
 
「スカーレット女士。何でゲイツはこんな状態になってるんだ?」

「知らないよ。今回は死にかけた回数数えるのが馬鹿馬鹿しくなったとは言ってたけどね」

 太陽の光を浴びながら実にまったりとした顔をしている婚約者の頭を撫でながら、スカーレットは嘆息した。
 
 彼女の腿を枕にしているゲイツの全身はくまなくボロボロである。
 ミスリル鋼の鎧には先日見た時の数倍の傷が付き、横に立てかけてある大剣とそのホルダーは所々腐食している。
 体の方は比較的無事だが、それでも痕が残ると確信できる傷が幾つかある。
 命を落とさず、重傷も負わずに帰ってきたのだから褒めてやるべきなのだろうが、とてもそんな気分になれるような状態ではなかった。

「色々あったからなぁ……ああ、町がこんなに安らぐ場所なんて考えた事なかったなあ」

「安らぎというのは無理があるような気がするが?」

 ゲイツの言葉に、海人は首を傾げた。
 
 威勢の良い呼び込みの声、遊び回る子供たちの高く大きな声、そして行き交う人達の無数の会話。
 少し離れているために弱まってはいるが、町のあちこちから聞こえる雑多な音は人の少ないこの広場にまで響いている。
 婚約者の膝の上でのんびりまったりしているとはいえ、その音は安らぎには程遠いはずだった。
 
 ゲイツはそんな海人の疑念を、疲れきった笑みで否定した。

「安らぎだよ。あの地獄に比べりゃあな……」

 遠く、どこまでも遠くを見つめ、ゲイツはサランディアの森での出来事を思い出す。

 まず、森に入って一時間もしない内に足元に潜んでいた食獣植物に食われかけた。
 咄嗟に植物には大概有効な火炎魔法を放つも、特殊な粘液で湿っていたそれは全く燃えなかった。
 時間稼ぎにすらならず、魔力を無駄に消費している間にも、緑色の頑丈な顎は迫っていた。
 直後にオーガストが凍結魔法で植物を凍らせてくれなければ、強力な酸で鎧と皮膚を融かされて重傷を負っていただろう。
 
 オーガストのおかげで命からがら難を逃れるも、次に待っていたのは背の高い樹の上を根城にする巨大な大蜘蛛のモンスター。
 真上から吐き出す糸の不意打ちを受けた彼はあっさりと捕らえられてしまった。
 しかも運の悪い事に両腕ごと強靭な糸でグルグル巻きにされたため、自力での脱出が出来なかった。
 オーガストが糸を引き千切ってくれなければ今頃蜘蛛の胃の中だっただろう。

 しばらくして喉が渇いたが、魔力を節約するために手近にあった泉で飲み水を調達する事にした。
 念を入れて周囲を確認し、泉の中も注意深く観察したうえで水を汲もうとしたのだが、
全身を透明化させて大口を開けていたインビジブル・アリゲーターには気がつかなかった。
 オーガストに咄嗟に後ろへ引っ張られなければ彼の頭は食い千切られていただろう。

 もう帰りたい。そんな思いを心の片隅に抱えながら、しばらく何事もなく進んだ。
 途中かなり危険なモンスターにも襲われたが、もはやその程度の事は気にもならなかった。
 ある程度進んだところで、オーガストが夜営を提案し、ゲイツもそれを受け入れた。
 周囲の植物を根こそぎ刈り取るだけではなく、地面を剣で滅多刺しにして潜んでいるモンスターがいないか確認するほどの警戒ぶりだったが、その甲斐あってしばらくの間ゲイツは穏やかな睡眠をとれた。

 ――――いつの間にかフォレストウルフの群れに取り囲まれていた事に気づくまでは。

 愛用の大剣で周囲の樹ごと群をひたすら薙ぎ払う事で難を逃れたものの、
オーガストに叩き起こされるのがあと数秒遅れていれば、確実にゲイツは狼達の晩飯になっていただろう。

 森に入った初日だけでそれである。
 森の奥深くに行くに連れて危険が増大していく森だというのに、である。
 それから何があったのかは筆舌しがたいものがある。

 思い出した事で地獄から生還したという安堵を強く感じたのか、
はたまた婚約者の柔らかい腿の感触と暖かな日差しによるものか、ゲイツの瞼が徐々に下がり始めた。
 そして、数秒で外見からは想像も出来ない静かな寝息を立て始めた。

「ったく、もう寝ちまいやがったよこの馬鹿。呼び止めて悪かったね」

「ううん、こっちこそ邪魔しちゃってごめんね。それと悪いけど起きたらこれ渡しといて。
屋台の取り分だって言えば分かるはずだから」

 ルミナスは手に提げていた買い物用の布袋から布に包んだ札束を取り出し、スカーレットに手渡した。
 彼女は「あいよ」と受け取った札束入りの包みを鞄にしまうと、眠る婚約者の顔を眺め始めた。
 三人は今度こそ二人の時間を邪魔しないよう、静かに速やかにその場を離れた。

   









「しかしゲイツは無事帰ってきたか。何よりだな」

「ん、そうね」
 
 ルミナスは海人にそんな生返事を返しながら、先程の友人カップルの様子を思い出していた。
 
 ルミナスは今まで誰かと恋愛した経験が無い。
 幼い頃の初恋は告白もせぬまま霧散し、成長してからは眼鏡にかなう男性に当たらず、結果として恋人いない暦二十六年である。
 それが良い事だとは思っていないが、悪い事だとも思っていない。
 気に入らない相手と付き合うぐらいならば、一生独身でいた方がマシ、そう思っているからだ。
 
 だが、ああも幸せそうなカップルを間近で見ると、やはり羨ましい。
 先程のスカーレットは憎まれ口を叩いてはいたが、ほとんど膝の上で眠る婚約者から視線を外さなかった。
 その顔がまた幸せそうなのだ。自分もこんな顔が出来るようになりたい、そう思ってしまうほどに。

 いつかは自分も恋人が出来るのだろうか、だとすればどんな相手なのだろうか。
 そんな事を夢想しながら歩いていると、

「具合でも悪いのか?」

 上の空であったルミナスを心配した海人が彼女の顔を覗きこみ、額に手を当てた。
 並んで歩いていたため、元々距離が近い。
 そこからより接近したのだから、二人の顔の距離は言うまでもない。
 ルミナスが正気に返った時には海人の端整な顔が息がかかるほど側にあり、

「んきゃあ!?」

 思わずボディーブローを放っていた。
 彼女の顔は赤く、心臓はうるさいほどにバクバクと鳴っている。
 痛いほどのそれを堪えながら、まずは反射的に殴ってしまった男に頭を下げようとし――そこで彼の姿が無い事に気づいた。

 はて、と思い、横で呆然と下の方を見ているシリルの視線を追う。
 なにやら見慣れた姿が横たわっている。気絶しているのか、ピクリとも動かない。
 その意味を理解する前に、シリルが我に返った。 

「ちょっ、カイトさん、しっかりしてくださいまし!」

 慌てて長身の男の体を起こし、呼吸を確認する。
 どうやら咄嗟に肉体強化を行っていたらしく、呼吸はしっかりしていた。
 というか、冷静に見れば目はしっかり開いている。激痛で声が出ないようではあるが。
 
「……わ、私は何か悪い事をしたのか?」

「ち、違うわ! その、顔が妙に近かったから反射的にっ! ホンッッットにごめんっ!」

 どうにか搾り出された海人の問いに、ルミナスは我に返って今度こそ頭を下げた。
 両手を頭の前で合わせ、体を直角に曲げている。
   
「あー、そういえば君は意外に初心なんだったな……気にしとらんから顔を上げてくれ」

 海人の言葉に従ってルミナスが顔を上げると、その目の端に雫が光っていた。

「ホ、ホントにごめんね……お腹大丈夫? 駄目なら今日は見舞いやめて、帰って手当てを……」

「いや、問題ない。ほれ、大丈夫だからそんな顔をするな」

 半泣きで過剰なまでに心配するルミナスの頭を、ポンポンと優しく叩く。
 本当に普段と変わらぬ海人の様子に、彼女は深い安堵の息を漏らした。
 
「よ、よかったぁ~……」

 安堵のあまり、思わず崩れ落ちそうになる。
 先程の一撃は完全に無意識だったため、どの程度の威力だったのか分からなかったのだ。
 手に残る感触からして致命傷を与えたとは思わなかったが、海人の貧弱さでは万が一もありえた。

「私も無遠慮に近付きすぎた。君の年不相応な初心さは計算に入れるべきだったな、うん」
 
 意地悪げに笑う海人に、ルミナスが不満げな視線を向ける。
 殴ってしまった負い目があるため何も言えないが、評価には文句があるらしい。
 怒りたくても怒れず、顔がむくれているルミナスを、海人は楽しげに眺めている。

 そんな光景を眺めながら、シリルはひっそりと深い溜息を吐いていた。
 しかも頭痛を堪えるかのように、額を揉んでいる。 
 
「……あれ? 向こうが騒がしくない?」

「あら、ホントですわね。何かあったのでしょうか」

 ルミナスの言葉に反応し、耳を澄ませるとこの雑踏の中でなお埋もれぬ騒音が聞こえた。
 何の騒ぎかと思ってさらに深く集中し――ガックリと肩を落とした。
 横では同じ音声を聞いたであろうルミナスも頭を抱えている。
 
 唯一それが聞き取れていない海人が二人の反応に首を傾げていると、 

「長かった……長かったぞ! これだけ長期間の禁欲生活は!
今日は町の美女のスカート全てを捲りつくすまで止まらん! 否、止まれんぞぉぉぉぉぉっ!」

 程なくして彼の耳にも聞き覚えのある、しわがれてはいるが力強い野太さを持つ雄叫びが聞こえた。
 同時に年若い女性と思しき甲高い悲鳴と怒声も聞こえるが、数十人分であろうその声よりも雄叫びの声量の方が上回っている。
 
 雄叫びの主はだんだんこちらへと近づいているらしく、徐々にその耳をつんざく声と女性の罵声と悲鳴も近づいていた。
 それを感じ、ルミナスとシリルは己の愛用の武器に手をかけた。
 静かに、だが確かに女性としての義憤を滾らせている二人から、海人はさり気なく距離をとる。

 それと同時に、通りの向こうから複数の女性の怒声と妙に重々しい足音が響き渡った。

「待ちなさいエロジジイ! 今日という今日は許さないわよ!」

「タダ見が許されると思ってんの!? 対価は余命全部で勘弁してやるから大人しく捕まりなさい!」

 そんな声を背中に浴びながら、一人の老人――オーガストが広場へと繋がる通りを一直線に駆け抜けてくる。
 ゲイツが精根尽き果てボロボロになっていたのとは対照的に、彼は元気が有り余っているらしい。
  
 筋骨隆々とした肉体を超重量の赤銅色の鎧で覆っているにもかかわらず、その動きはまさに疾風。
 何十年か前にこの国の王から賜ったという、流麗な意匠の白銀色の手甲を纏った両腕を使い
周囲の女性のスカートを捲くりつつ、人込みをブレーキすらかけずにすり抜けている。
 しかも捲くっているのは一定水準以上の容姿を持つ女性のみ。
 並大抵の実力では決して成し得ぬ、まさに達人の技巧。
 心なしか、美しく陽光を反射する手甲が泣いているような気がするが。
 
 そんな光景を眺めながら、ルミナスとシリルは視線を交わし、無言のままにお互いの役割を決めた。

 最初に、無詠唱の風魔法で加速された剛弓の矢が、近づいてくる老人の足の甲へと放たれた。  
 が、オーガストは凄まじいまでの反射神経と敏捷性によってジャンプで回避した。
 そして余裕の笑みを浮かべながら飛翔魔法で体勢を整えようとする。
 魔法発動までのタイムラグこそがシリルの狙いだった事に気付かぬまま。 
  
「落ちなさい女の敵っ!」

 ごく僅かな発動時間が満ちる前に、先回りしていたルミナスが、怒声と共に老人を剣の鞘で大地へと叩き落した。
 上昇中に後頭部に容赦の無い一撃をぶち込まれた老人は隕石の如き落下速度で石畳へと落下していく。

「なんのぉっ!」

 またしても老人は見事な危機回避能力を見せた。
 飛翔魔法と体術を併用し、石畳に罅一つ入れる事無く華麗に着地を決める。
 そして彼はほんの一瞬不敵に微笑み、再び駆け出す。
 常人なら頭など粉々に吹き飛ぶような攻撃を受けてなお、その動きには一切の揺らぎもなかった。

「ええい、まだ甘かったか!」

 仕留め損なった老人を追いかけながら、ルミナスが舌打ちする。
 
 オーガストの防御力を侮っていたわけではない。
 そもそも中位ドラゴンに噛みつかれても、牙が内臓に達する前に筋肉で止めてしまうような老人だ。
 一般人をどうにか一撃必殺出来る程度の打撃では痛みすら感じない。
 それを踏まえての力加減のはずだったが、まだ加減が甘かった。
 
「ふぉっふぉっふぉ! スカート捲って七十余年のこのオーガストを舐めるでないわ!
この調子で今日はこの町の絶景全てを堪能し続けるぞい!」

 哄笑を響かせながら人込みをすり抜けながら駆け抜ける。
 
 流石にスカートを押さえながら進路上から逃れる事で回避しようという女性が多くなったが、
オーガストは慌てる事無く風の無詠唱魔法を使って見事にスカートを捲り上げていた。
 
 進んで人込みに突っ込んでいる以上もはや打つ手が無いか、とルミナスが諦めかけた時、

「へぶあっ!?」

 オーガストが何かに衝突した。
 先程まで無かったはずの障害物に目を丸くする。
 それは光り輝く壁。極めて高い強度を誇る、無属性の防御魔法。
 凄まじい衝撃を受けたにもかかわらずびくともしなかったそれは、役目は果たしたと言わんばかりにすうっと消えていった。
 誰がこんな物を、と老冒険者が思うも束の間。

「あらあら、悪運尽きたわね」

 凄絶なまでの悪寒を感じて振り向くと、こめかみに井桁を浮かべた多数の美女。
 慌てて踵を返して逃げようとするが、そちらにも怒りを滾らせた多数の女性。
 いつのまにか町の一角が処刑台へと変貌していた。

「……こ、ここまでじゃというのか……」

 周囲を取り囲む鬼神の如き形相の女性達を見渡し、口惜しそうに唇を噛む。
 一人二人なら容易にすり抜けられるが、彼を囲んでいる数は数十人。
 ならば、と再び上空へ逃げようとするも、人の輪から少し頭を出した瞬間、シリルの矢が彼の頭を掠めた。
 スカートの中を巧みに隠しつつ上空に逸らされた矢を回収するルミナスを見て、ついに老人は膝をついた。
 
 万策尽きた彼に、女性の一人が声をかける。

「遺言は?」

 その問いにオーガストは、笑った。
 清々しいまでに、己の生涯に一切の悔いは無いと言わんばかりに。
 そして、己の喉を引き裂かんばかりの雄叫びを上げた。

「出来心だったんじゃ! 許してくぎょぇぇぇぇぇっ!?」

 土下座する老人に、容赦なく鉄槌が下された。













「……凄まじいな。化物か、あの御老人は」

 袋叩きにあっている老人眺めながら、海人はそんな感想を漏らした。
 
 先程からとても打撃音とは思えない轟音が騒動の中心から鳴り響いている。
 頑丈な鎧に攻撃が当たっているせいもあるだろうが、それにしたって凄まじい。

 にもかかわらず、未だにオーガストの元気に満ち溢れた声が聞こえていた。
 しかも考える余裕がありそうにない状況で、体が勝手にとか悪霊に操られていたとか神の声がとか、
見え透いてはいるがネタを尽きさせずに嘘八百の弁明を繰り返している。
 
 自分ならば悲鳴を出す間もなく屍と化す惨状の中で余裕を保っている老人に海人が戦慄していると、ルミナス達が戻ってきた。

「おや、もういいのか?」

「今日は私達には実害なかったからね。捕獲の手助けに止めんのが筋でしょ。
……にしても、誰があの魔法使ったのかしら」

「そうですわね。あの様子ですと被害者の方々ではないようですし」
 
「あれは私だ」

 オーガストを処刑台に放り込んだ実行犯が何でもなさそうに答えた。
 その言葉に、二人は少し意外そうな顔を見せる。
 
「へ? そりゃまたどうして。いつもなら放っておきそうなもんなのに」

「我関せずとばかりにスルーするとばかり思っていましたのに」

 二人共目の前の男は悪人では無いと思っているが、断じて正義漢では無いとも思っている。
 自分に関係ない限り、ほぼ確実にトラブルをスルーする男だ、と。 

「あの調子で街中駆け回られたら、リリー嬢が落ち着いて静養できんかもしれんだろうが」

 嘆息と共に、海人は言葉を吐き出した。
 
 オーガストが本当に町中を駆け抜けた場合、確実にこの町全体が騒がしくなる。
 それではリリーの病状に好影響を与えるとは言い難い。
 最悪の場合、元々活発そうで遊びたい盛りの彼女が宿を抜け出して見物に行く事も考えられた。
 だからこそ、早めに騒ぎを収めるためにオーガストを止めたのである。

「そこで男としての義憤からって言わないとこはあんたらしいわねぇ」

「あれでいちいち義憤を抱くほど私は出来た人間ではない。
それに、見たくなる事自体は男として理解できなくもないしな」

「……見たい?」

「見たくないと言えば嘘になるが、どのみち命と引き換えは嫌だな」

 からかうような笑みを浮かべるルミナスをさらりと受け流していると、再び女性達の悲鳴が響き渡った。
 
 何事かと思いそちらを見ると、オーガストが仰向けの状態で不気味に地面を這い回っていた。
 どうやらダメージがほぼ無い事を利用し、踏まれながらスカートの中を覗いているらしい。

 低いブリッジ状態のまま器用に動き回る技術は凄いのだが、
その動きは不気味で先程まで怒り狂っていた美女達が一転して悲鳴を上げている。
 とはいえ、それでも踏み潰さんと足を振り上げる者が多いのだから、逞しい女性達である。
 
 が、その光景は一応自制していた二人の女性の箍を外すには十分であった。
 
「……やっぱ私らが仕留めましょ。同じ女として放っとけないわ」

「同感ですわね」 

 どこまでも懲りないスケベ老人を撃沈すべく、ルミナス達が動く。
 あの体勢の相手を潰すとなれば覗かれる危険はあるが、攻撃の位置さえ考えればどうにでもなる。
 いざ天誅を下さん、と二人が不埒な老人の元へと向かおうとした時、
 
「まあ待ちたまえ。そんな事をする必要はない」

 海人がそれを押し止めた。
 出鼻を挫かれた形の二人は不満そうな顔で彼を睨みつける。
 が、海人はそれすら意に介さず非常に愉しそうに笑い、

「オーガスト老、その状態ですと男の急所が剥き出しです。気をつけた方がよろしいでしょう」

 地面を這っているオーガストに邪悪極まりない忠告を行った。

 当然ながら脚の密林の地面を這っているオーガストに聞こえる以上、彼を取り囲んでいる女性達にも聞こえる。 
 怒れる女性達の視線が自分の股間に集中した事を感じ、オーガストは青褪めた。
 それとは対照的に、先程まで半泣きだった女性たちは実に爽やかな笑顔を浮かべている。

 ――直後、悲痛な断末魔が町中に響き渡った。







 

 とある老人の世界を震撼させんばかりの断末魔からしばらくして、
海人は少々引き攣った顔をしている二人を引き連れながら、目的地にやってきた。

「やあ、リリー嬢、どのぐらい出来たかな?」

「あ、カイトお兄ちゃん! ほらほら、もうこれだけ出来たよ!」

 えっへんと胸を張り、窓辺を指差した。

 そこにあったのは、狐や熊などといった昨日のパズルを完成させた彫刻。
 完成した数は持ってきた数の半分ほどではあるが、この調子だと今日中に全て完成させてしまいそうであった。

「おお、大したものだ。では明日あたり、もう少し難しいのを持ってきてあげよう。
だが、できるかな?」

「ふっふっふ、まっかせなさ~い!」

 からかうような海人の言葉に、リリーは不敵な笑顔で応えた。
 
 相変わらず病人のわりに元気な娘であったが、直後に咳き込んだ。
 咄嗟に自分で口を塞いだものの、その小さな手は赤い液体に塗れてしまう。
 アリスが慌ててハンカチを取り出す前に、海人が動いていた。

「元気が一番だが、病人なんだから少し控えめにな」

 軽く叱りつつ、リリーの手をハンカチで拭っていく。
 手を綺麗に拭き終えると、次は口元を拭い始めた。
 不快感を与えないようにするためか、その手つきは迅速でありながらも優しい。
 全部拭き終わると、リリーは嬉しそうに笑った。

「えへへ、カイトお兄ちゃん優しいね~」

「大げさだな、少し手と口を拭いただけなのに」

「そんな事ないよ~。だってここに来るまでの馬車じゃ、汚いとか言って怒る人も何人かいたもん」

「リリー、そいつらの特徴教えなさい。二度とそんな事ほざけないようにぶっ飛ばしてくるから」

 親馬鹿ならぬ叔母馬鹿を発揮して物騒な発言をするルミナス。
 よほど気が急いているのか、既にその手は愛用の剣の柄にかかっている。

「落ち着いてルミナス。言った人達はもうボコボコにしてあるから」

 今にも飛び出していきそうな妹をやんわりと宥めるアリス。
 が、穏やかな笑顔のまま放たれた剣呑な発言は、しっかりと海人の耳に残っていた。
 
 引き攣った顔で似た者姉妹? とシリルに視線で問うと、何でもなさそうに頷きが返ってくる。
 海人がその返答に慄いているのをよそに、シリルはアリスに苦言を呈した。

「腕は鈍っておられないのかもしれませんけど、
現役を引退なさって長いんですからあまり派手な事はなさらない方が良いですわよ?」

「それも考えて高いお金払って武装商団に乗り合ったんだけどね。
護衛の一部の人達があまりに腹に据えかねたから」
 
 穏やかな笑みの裏で、アリスは怒りを滾らせていた。
 リリーの一件だけでも許せなかったが、その連中はその後あろう事か娘が寝ている横でアリスを押し倒そうとしたのだ。
 その場で急所を蹴り飛ばし、目的地についた瞬間に二度と足腰立たない程にズタズタにしたところで誰が責められようか。

「つーか、帰りどうすんの? んな事したんじゃ帰りは同じ商団使えないでしょうが」

「元々何回か問題を起こしてたみたいで、他の人達はちょうど厄介払いになったって言ってたわ。
それに昨日宿の女将さんがこの町の武装商団がうちの村の近くに行く予定があるって言ってたから、
今朝それへの乗り合い手配をしたの。出発は二週間後らしいけど、その方が安全でしょ」

 姉の言葉を聞き、ルミナスは安堵の息を吐いた。
 この町の武装商団は護衛の質が高いため、それこそ軍隊に襲われでもしない限り問題は起こらない。
 そこらの盗賊程度なら、逆に身包み剥いで荒野に放り出してしまうぐらいの人材が揃っている。
 とりあえず帰りは心配なさそうであった。

「ならいいけどね。……っと、そういやカイト、お見舞いあるんじゃなかったの?」

「ああ、今出す」

 肩に下げていた布袋から小さな缶のケースを取り出し、蓋を開ける。
 中に入っていたのは大きな五粒のチョコレート。
 四粒が色が濃いのに対し、一粒だけ色が薄い。
 海人は色の薄い物をリリーの口に運び、缶を三人に差し出した。
   
「ん~、美味しい~! 普通のチョコレートよりとっても美味しいよ!」

 海人手ずから口に運ばれた大粒のチョコレートに、リリーは歓喜の声を上げた。
 彼女用のチョコレートは最高級品のミルクチョコレート。
 子供も嬉々として食べられるマイルドな味わいの物である。
 実は多少混ぜ物をしてあるのだが、幸いリリーは気付かなかったようであった。

「……うわお。大したもんだわ、この気品」

 一方で、ルミナスはダークチョコレートの気高い味に目を瞠っていた。
 カカオの旨味は濃厚。甘味と苦味のバランスは苦味が若干強い、大人の味。
 まだ幼いリリーには食べさせにくいが、素晴らしい品だった。
 横を見るとアリスとシリルも満足そうに頷いている。
 それを見ながら海人が最後に残った一粒を口に入れた時、  

「カイトお兄ちゃん、もっとないの?」

 リリーがキラキラと目を輝かせ、上目遣いで見つめてきた。
 しかも手は海人の白衣をちょこんと掴んで、小さくクイクイと引っ張っている。

「今日はこれでお終い。でも、明日から毎日一粒ずつ持ってきてあげよう」

「えー……それなら一度に持ってきてほしいよ~」

 駄目? と、どこで覚えたのか、しなまで作って海人を見上げる。
 色気こそ無いが、その仕草は小動物的な保護欲をそそる可愛らしさがある。
 が、海人はその程度では揺らがない。

「駄目だ。食べ過ぎるのはあまり良くないからな」

「ぶう~」

 ぴしゃりと自分の要求を却下され、リリーは河豚の如くぷく~っと頬を膨らませた。
 先程までの媚を全て捨て、あからさまに不満を露にする。
 この辺の行動は、やはりまだまだ子供であった。

「それじゃ、こうしようか。これから一週間一日一粒で我慢できたら、帰る日に好きなだけ食べさせてあげよう」

「ホント!? 約束だよ! 私い~~~~っぱい食べるからね!?」

「ああ、私は嘘は吐かないよ」

 やった~、と無邪気に喜んでいるリリーを眺めながら、海人は内心で安堵していた。

 今朝方判明した検査結果で、リリーの病は悪質なタイプと出ていた。
 病の原因となる菌が特定の薬物に耐性を獲得しており、その耐性は彼女が今まで服用していた薬への物だった。
 全てが耐性菌というわけではないだろうが、いずれにせよこのままでは一定時期を過ぎた段階で薬が全く効かなくなる。
 
 といっても海人が開発した抗生物質数種を一週間毎日一回服用すれば病は治癒する。
 それは薬の成分分析と菌の種別で確定した事だ。
 だが、サランディアの聖水を用いた薬が絶対的な信頼を置かれている現状では、事情を説明したところでまず信用はされない。
 
 そう考えた海人は一計を案じ――今日リリーに食べさせたチョコレートに、薬を粉砕して混ぜたのだ。
 一週間一日一粒食べていれば、完治するように。

 食べたい盛りの子供に一日一粒の条件を受けてもらえるかは賭けだったが、リリーは嬉々として受け入れた。
 この調子なら、素直な良い子である彼女が約束を破る可能性は低い。
 先程聞いた話からすれば病状が好転しても二人共二週間は滞在するため、治療途中で中断される心配も無い。
 そして、薬を混ぜ込んだチョコレートは既に必要な分作成してある。
 欲を言えばリリーが使っている薬の服用もやめさせたいところではあったが、それは流石に高望みだろう。
 多少問題はあれどまずは一安心。誰にも悟られずにリリーの治療は終わる。海人はそう思っていた。

 ――――この時、海人は失念していた。

 いかに情報を分析し、万全を尽くしたところで所詮その情報自体に限りがある事を。
 彼が知らぬところでも世界は動き、流れているという事を。
 
 予期せぬ方向から予期せぬ形で何かが発覚する事など、珍しくも無い。
 ここしばらく続いた穏やかな生活は、そんな慣れ親しんだ事すら海人に忘れさせてしまっていた。

 



 
  







テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

ちょっ!ここでおわりですか!?
なんという生殺し……
いつも以上に次回が気になる終わり方ですね

しかし海人の魔力量って異常っていう意識が強いですけど
創造魔法だけ考えればそういえば10回が限度なんですよねー
まあ、個数は関係ないのでそこまで不便じゃないでしょうが
ただ個数制限がないって能力内容もあわせて結構なチートですよね、今更ながら
まあ、そのチートがなければ困る能力ですけど

あといつもながらオーガスト老は懲りませんねー
あの人の存在自体がチートレベルだからこその行動でしょうが

では、次回も期待しています
[2010/02/21 01:42] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


更新お疲れ様です。
徐々にマッドサイエンティスt・・・もといカイトの研究室?ができてきましたねぇ
それにしてもバックアップとかも創造できるとか・・・うらやましいですわwww

チョコに混入ww
バレたら薬を入れたにしろ逮捕されても文句はいえないでしょうなww
[2010/02/21 01:52] URL | ズー #- [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/02/21 04:28] | # [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/02/21 09:30] | # [ 編集 ]


カイトの魔力量の現在値って幾つなんでしょうか?

最初の鑑定所の会話的に『魔力量は成長する』様ですが、だとすれば今幾つなんだろう?

≪創造魔法:砦規模≫の消費魔力量が不明では在るのですが、少なくとも古の【城塞王】は
『砦規模を一日に5つ』と言う逸話を持っていた事を考えると相当伸びシロがありそうですね。

[2010/02/21 10:25] URL | 無刃 #pOiywxxs [ 編集 ]

はじめまして
伸びシロの可能性もありますけれど、
大きなサイズの創造魔法がどれくらいの消耗かが分かっていないと思います。
非常に複雑だとは有りますが、複雑さと消耗が比例するかどうかは作者様の設定次第でしょうし。

大きなサイズの創造魔法をまだ覚えようとしていないのが不思議な気はします。
[2010/02/21 16:55] URL | MT #pEkFk7LI [ 編集 ]

おおっ・・・なんという幕引き
更新お疲れ様です。
最近は感想カキコも増えてきて、ついついカキコをサボりそうになっていたGfessです。

いつかの感想に書いていたものは、やはり水力発電でしたか。
二人は秘密の地下室には入りませんでしたが、ここの人達が機械郡を見たら、どういった反応をするのでしょうか。

やはり、一番言いたいのはタイトルにある通り、この幕引きです。
気になります。
海人が見逃したミス。いったい何なのか?
来々週までお預けですか!!!!!!!!
是非とも、頑張って来週に更新を・・・・よろしくお願いします!!!
[2010/02/21 22:19] URL | Gfess #knJMDaPI [ 編集 ]


これはあれですかね…。
海人が渡したチョコレートで難病が治癒したことが広まって、海人の平穏に影が差すようになる…とか?
想像の域は出ませんが、どうなるのか楽しみにしています^^
[2010/02/21 23:04] URL | ニーア #pU0LBAj6 [ 編集 ]


魔法的要素で微生物が…となるのかな。
地球的分析は完璧のはずだから、海人が知りえない情報といえば、魔法関連しかないでしょう。
この世界の医学レベルはかなり低いので、魔法的分析はされていないと思われますし。
[2010/02/22 01:20] URL | パンデミック? #- [ 編集 ]


オーガストの爺さんまじパないですねw一流冒険者のゲイツがボロボロになるようなところから帰ってきて元気いっぱい(いろんな意味で)だなんてw

てか、この作品で名前の出てるキャラって、今のところこの世界のトップクラスの人たちなんですよね。
オーガスト>>>>ローラ>>>>ルミナス>>シリル>>シャロン=>ゲイツ=>シェリス=>スカーレット>>>>メイド>>>>>越えられない壁>>>>海人
って感じですかね?結構適当ですし、今後もチートな方々(団長とか)がでてきてすぐに順位入れ替わりそうですけどww

今回の話も面白かったです。前回以上に後が気になる終わりですし続きを期待して待ってます。

P.S 没ネタも毎回楽しく拝見させてもらってます。
[2010/02/24 00:59] URL | あさり #GAkJEmLM [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/02/25 18:58] | # [ 編集 ]


はじめまして、一気読みさせていただきました!!
そして最後気になる終わり方!
とうとう創造がばれるのか・・・?
[2010/02/26 15:59] URL | RON #- [ 編集 ]


ついに追いついてしまった…。

続きに期待ですね。
あぁ、主人公が逆境に立ち向かっていく様はたまらない…。
[2010/03/05 22:06] URL | ときん #7/8/acBQ [ 編集 ]


うーん。
この世界の食文化レベルがイマイチわかりませんね。
私達が現在食べているようなチョコレートが発明されたのは19世紀後半。
てっきりファンタジー世界お約束の『チョコレートは医薬品』って認識かと思ってました。
[2010/09/02 16:22] URL | #- [ 編集 ]


初めましてになります。勘違いかもしれないのですが気になる部分があったので・・
>海人が横の二人に花壇の花の解説などしながら歩いていると、隅のベンチ一つを独占しているカップルが入った。

と言う部分は
> 海人が横の二人に花壇の花の解説などしながら歩いていると、隅のベンチ一つを独占しているカップルが”目に”入った。

だと思います。
[2010/12/18 05:33] URL | #- [ 編集 ]


今頃この作品を知り、読ませて頂きました。

お話は面白いんですが、ルミナス嬢にどうしても魅力を感じません。
理不尽な要求、タカリに暴力……ツンデレへの発展途上にしても酷すぎる。

ここまで楽しませて頂きありがとうございました。ギブアップです。
[2013/10/08 18:17] URL | #- [ 編集 ]


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