FC2ブログ
ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄101
 夕食後、刹那と雫は眼前の光景に思わず見入っていた。
 粛々と進められる、海人とローラのコーヒー試飲会に。

 事の始まりは、夕食直後。
 二人が海人からコーヒーは好きか尋ねられた事に始まる。
 
 この問いには、雫はおろか刹那でさえも若干顔を顰めた。
 
 それもそのはずで、二人は美味しいコーヒーという物を飲んだ事がなかったのだ。
 今まで飲んだコーヒーという物は、例外なく何が良いのかわからない苦い液体。
 砂糖とミルクをたっぷり入れれば飲めるレベルにはなるし、コーヒーの香りはアクセントにもなるが、
味としては素直に砂糖入りのホットミルクでも飲んだ方がマシ、そういう物だけだった。
 一定量流通しているのは、あの苦味だかえぐみだか判別のつかない独特の味を好む奇特な人間も世の中に多い、そうとしか思っていなかったのだ。
 
 なのであまり好きではないと伝えたところ、ローラがティーセットを引っ張り出し、二人に紅茶を淹れてくれた。
 同じ茶葉でも淹れ手の技量でどれほど変わるのか思い知らせてくれる、極上の一杯を。

 そして、二人揃って部屋の端の方へ寄ったかと思うと、何やら色々な機材を用意し、
コーヒーを淹れ始めたのだが、その光景が異様だった。

 一杯一杯ローラが丁寧に淹れているのだが、味見するごとに手元の紙にメモを取っている。
 豆の種類、水の産地、挽いた豆の粗さの程度、抽出時間、温度など事細かく記し、味の感想も二人の最初の意見を併記しつつ、それをすり合わせた最終的な結論を記しているのだ。

 二人で同じカップのコーヒーを回し飲む光景は恋人同士のようにも見えそうなものだが、
海人の真剣な顔つきとローラの無表情が見事なまでに甘い空気を消し飛ばしている。

 にもかかわらず、二人の空気は妙に馴染んでいた。

 時に顔が触れそうなほどに近づく時でさえ、甘やかではないが違和感もない。
 互いを許容しているが、夫婦ではなく、家族でもない、それでいてただの友人というにも首を傾げる空気。
 二人の間にあるのは、そんな不思議な雰囲気だった。   
  
「……これは苦味は強いがコクに欠けるな」

「ええ。悪くはありませんが、それ止まりですね。
こちらは……酸味が強すぎますね。となると、次のもう少し煎りの深い物の方ならば」

「そうだな。うん、これは悪くない。
欲を言えばもう少しコクが欲しいところだが」

「ええ。ですが、クッキーと合わせるならば及第かと。
もっとも、それならば紅茶の方が相性が良いですが」

「となると、わざわざコーヒーにする意味がないな。
もう少し深く煎った物ならコクも出るんだろうが……」

「……これは苦味が強まりすぎて、味のバランスが崩れていますね」

「ままならんな。そろそろ次の豆に変えてみるか?」

「そうですね。挽きも抽出時間もある程度は試しましたし、妥当かと」

 頷きあい、海人とローラは豆を変える事にした。

 先程から、二人は同じ豆を煎り具合ごとにのみ分けて試している。
 本来であれば煎ってからの時間経過まで含めて試したいところだったが、
そこまでやると流石に時間がないので、今回のところはこの場で煎った豆をその場で挽いていた。

 が、それでもかなりの量ではあり、一杯を二人で分け合っている事を加味しても、
そろそろ胃袋的な限界が近いはずだが、二人の手が止まる様子はない。

 コーヒーを美味くもなんともない飲み物だと思っている人間からすると、その光景は異様だった。

「あの~、さっきから砂糖もミルクもなしで山のように飲んでますけど、苦くないんですか?」

「苦いは苦いが……飲んでみるか?」

 新しく淹れたコーヒーを、雫と刹那に差し出す。
 二人はおそるおそるといった様子でそれに口をつけ、

「……およ? 苦いは苦いけど、甘みもあって意外に飲めますね」

「これなら、香りも良いですしそのまま飲んでも菓子と合わせても良さそうですね」

 軽く目を見開き、高評価を口にした。

 今口にしたのは、かつて飲んだコーヒーとはまるで別物だった。

 苦いには違いないが、不思議と不快感を感じない苦味。
 苦味の奥に隠れつつも主張する、ほのかな甘味。
 そしてそれらをまとめ引き締める、適度な酸味。
 
 これならば、このまま飲んでも気にならない。
 むしろ、紅茶や緑茶より甘味との相性はいいのではないかと思える。

 そんな二人に対し海人は悪戯っぽく微笑んだ。  

「ちなみに、このコーヒーに適量の砂糖を加えると……」

 言いながら、海人は二人のコーヒーに砂糖を入れる。
 そしてそのまま手早く撹拌して砂糖を溶かすと、二人に飲んでみるよう促した。

「……うわっ! 苦味も酸味もありますけど嫌な感じ全然しないです! むしろ香りの良さが際立って……!」

「素晴らしい味わいですね。少し酸味が効いてますが、むしろそれが魅力というか……」

 砂糖を混ぜたコーヒーを味見して、宝蔵院姉妹が感嘆の声を上げる。

 砂糖の甘みによって程よく引き立たせられる、コーヒーの柔らかな酸味。
 主張がやや減るものの、依然として主役たる存在感を放つ苦味。
 そして苦味が引っ込んだ分より強く感じられるようになった、鮮烈な香り。
 砂糖一つ入っただけで、まるで別の飲み物だった。
 
 二人の反応を見て、今度はローラが動く。

「さらに生クリームを適量加えますと、こうなります」

 優れた武人姉妹に反応すら許さず、それぞれのカップに生クリームを注ぐローラ。
 そして先程の海人と同じように攪拌し、味見を促した。

「……おおー……香りが若干弱くなりますけど、かなり飲みやすくなりますねー……あたしはこれが一番好きです」

「ふむ……これも美味しいですが、拙者は砂糖だけの方が良いですね。どうもコクが出た分味が濁った気がします。
とはいえなにも入れずとも美味しいですし、何か加えるたびに劇的に味が変わるのは面白いですね。
以前飲んだコーヒーとは、まるで違います」

「質の良いコーヒーであれば、こうなのです。
砂糖やミルクを入れる事自体は何も問題ありませんが、そうしなければ飲めないというのは誤解も甚だしいですね。
もっとも、この大陸で一般的に流通している物はほぼ全て大した質ではないので、無理もないのですが」

 ローラが、溜息を吐く。

 別に、ミルクや砂糖などを入れる事が邪道だとは思わない。
 むしろ味のバランスを考えればどちらか、あるいは両方を入れた方が良い事は多い。
 苦味を苦手とする人間が楽しむなら、両方入れる事を推奨しても良いぐらいだ。
 
 が、それらを入れなければコーヒーは飲めない物という認識は許しがたい。

 本当に美味いコーヒーは、なにも入れずとも飲める物。
 そのままの味わいを楽しみ、そして追加で砂糖やミルクを入れて味の変化を楽しむ。
 しかも些か繊細すぎる味わいの紅茶とは違い、コーヒーの味わいや香りは力強い。
 ミルクを入れても味や香りは易々と損なわれはせず、その分楽しみの幅も広いのだ。

 それを知っている身からすれば、この大陸の一般認識には忸怩たるものがあった。

「そこまで腹立たしいなら、今度コーヒーの苗木と栽培法をシェリス嬢に売ろうか?」

「……コーヒー栽培まで網羅しておられるのですか?」

「自分の手での実践まではしとらんがな。
コーヒーに限らず、今まで品種改良に関わった物はある程度把握している」

「つくづく、規格外ですね。では、この国で質の良い物を安定生産出来る箇所の当てはございますか?」

「標高がある程度高い山なら大概該当しそうだが……この近隣だとローベルク山か。
あそこの山頂付近なら条件的には十分合致する。ただ、どの山にも言える事だが鳥型の魔物が厄介だ」

「良質なコーヒーの栽培に適する程の高地に定住する鳥型の魔物は、総じて縄張り意識が強いですからね。
一度周辺を一掃して栽培スペースを確保したところで、遠からず戻ってくる可能性が高いでしょう。
自力で追い払える栽培農家でもいればいいのですが」

 小さく、唸る。

 鳥型の魔物、それも高地に生息するのは群れが多く厄介だが、一度追い払うだけならなんとでもなる。
 ローラでなくとも、シェリスの部下の誰かしらを一人派遣すればそれで事足りる仕事だ。

 が、厄介なのは縄張り意識。

 高地に住まう鳥型の魔物は、総じて縄張り意識が強い。
 それも、一度追い払われても時を置いて奪い返しに戻ってくる程に。
 それらを悉く追い払うとなると、人手がいくらあっても足りなくなる。

 栽培農家本人が追い払えるのなら話は速いが、一般人には無理難題というものだ。
 冒険者ですら、山の山頂付近で上空から飛来した魔物に食い殺される事はままあるのだから。
 
「……まあ、そのあたりは今考えても仕方あるまいし、今度考えるとしよう。
そういえば、売るとしてもシェリス嬢の懐事情はどうなんだ?」

「しばらく出費がかさむので、今はあまり大きな額を出せません。
先日のナーテア教の一件の余波のカバーにもかなり出していますので」 

「ああ、そういえば農村丸々とかいうのが幾つかあったと言っていたな。
よし、そういう事なら栽培法の対価は後払いで構わん。
豆が売れた後の純利益の一割程度なら、負担も軽かろう」

「それは流石にシェリス様を甘やかしすぎです」

 海人の提案を、にべもなく切り捨てるローラ。
 それに対し、海人は軽く肩を竦める。

「今回のメインはあくまで君のやるせない思いの解消だ。
シェリス嬢が大きな利益を得たとしても、それはついでにすぎんよ」

「む……ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきましょう」

 悪戯っぽく笑う海人に、ローラは静かに頭を下げる。
 そんな彼女の後ろで、雫と刹那が改めてブラックのコーヒーを味見していた。
 
「ん~……改めて飲むと、なにも入れない状態でもチョコレートとか濃厚な御菓子は紅茶より合いそうですね~」

「そうだな。濃厚なチョコレートケーキなどは特に良さそうだ」

「レアチーズケーキなんかも良さそうだねぇ」

 楽し気に笑いあいながら、案を出しあう姉妹。
 そんな護衛二人を海人は微笑まし気に見つめながら、口を開いた。

「なら、明日カナールに行って食べるか?
持ち帰り可能な店も多いし、一式持っていけばコーヒーを淹れるのはそう難しくない。
町中でやるには目立ちそうだが……草原で青空眺めながら食べるのも悪くはあるまい」

「カイト様。僭越ながら申し上げますが、カナールで材料のみ仕入れ、ここで私が作るのが最善かと。
カナールの店よりも種類は少なくなりますが、味の質は上回る事をお約束いたします」

「それはありがたいが……いいのか?」

「意中の殿方の胃袋を掴むのは、基本中の基本かと」

 表情は変えぬまま、声音に悪戯っぽさを滲ませるローラ。
 そんな彼女に、海人は苦笑を返す。

「……なるほど。が、それなら大概の材料は私が作れると思うが?」

「卵も必要になりますし、小麦粉などもただ良い物であれば良いとは限りません。
折角ですので、明日はそれについての実践も行ってみましょうか」

 表情は動かぬながらも、自信を感じさせる口調でローラは海人に答えを返した。

















 ローラが気が付くと、視界に女性の後姿があった。
 印象的なのは、白いシャツにタイトな黒のパンツという服装。
 どこにでもありそうなその衣装は、整った体型と伸びた背筋によって非凡な美しさを生み出している。

 それに見入っていると、女性が振り返った。

 深い海のような、蒼い双眸。
 鼻筋は見事に通り、唇も神品の如き形状。
 単品でも全てのパーツが美しいのに、全貌になるとさらに魅力が増す。
 
 そんな美貌に太陽のような笑顔を浮かべ、女性はこちらに歩み寄ってきた。 
 
「ほほ~う、なかなか美味しそうにできたじゃない。
その年でこれだけ上手く盛り付けられるなんて、さっすが我が娘。将来有望ねぇ」

「お母さんの盛り付けいっつも見てるもん。これぐらい出来て当然だよ」

 母の褒め言葉に対し、むんと胸を張るローラ。
 それを微笑まし気に見つめながら母は――――フローネ・クリスティアは話を続ける。 

「で・も! 肝心要は味よ。どんな美味しそうなケーキだって食べて美味しくなければがっかりする。
いえ、美味しそうに見えて美味しくなかったら、不味そうで不味いケーキよりも酷いと言えるわ!」

「確かにそーだねー……ホント」

 がっくりと肩を落とし、少し前の事を思い出す。

 その日は、久しぶりに町に行くついでに町一番と評されるケーキを買った。
 この村にはない色鮮やかなフルーツをふんだんに使ったケーキはどれも美味しそうで、食べるのを楽しみにしていたのだ。
 店にあるケーキ全種類を試す為にコツコツ貯めたお小遣いを使い果たしたが、悔いはなかった。
 
 ―――帰って食べるまでは。

 実際に食べたら、涙が出てきた。
 鮮やかな色彩で見栄えは良かったものの、味はダメダメ。
 折角フルーツの風味が良いのに、生地に入ったシナモンの香りで台無しになったり、
甘すぎるクリームでフルーツの甘みが殺されていたり、燦々たるものだった。
 
 お小遣いを全てはたいてまで買ったケーキは、日頃食べ慣れた母のケーキの足元にも及ばなかったのだ。

「んっふっふ、良い勉強になったでしょ?」

「分かってたならもっと早く言ってくれるのが思いやりだと思いまーす……」

 にっこにこ顔で娘を見下ろす母に、弱々しく抗議する。 

「違うわね。あらかじめ防いじゃったら、印象に残らない。
あーやって実際に痛い目見てこそ、二度と同じ失敗をしなくなるのよ。
そう! これこそが真の思いやり! 娘の成長の為にあえて見過ごしたのよ!」

 まるで悲劇を演じる女優の如く仰々しく語るフローネ。

 演技力の欠片もないわざとらしさだが、その美貌ゆえに一応の形にはなっている。
 もっとも、物凄く楽しげに弾んだ声はごまかしようもなかったが。

 そして、当然の如くローラの目が恨めし気に細められた。  

「ふぅ~ん『どう? どう? やっぱりお母さんのケーキより美味しい? 
そうよね、お小遣いはたいてまで買ったケーキ、美味しくないはずないわよね!』
とか言って私の頬っぺた突きまくったのも思いやり?」

 皮肉をたっぷりと込めた声で母の言葉に多大な疑義を呈するローラ。

 味の感想を聞く母は、実に楽しそうだった。
 悪戯っ子と言う言葉がこの上なく似つかわしい表情、
楽しくってたまらないとばかりに弾んだ声、顔を背けてるのにしつこく覗き込もうとする態度。
 真下から顔を覗き込まれた瞬間、怒りに任せて頭突きしたぐらいだ。
 見事に避けられ、取り押さえられ、ほっぺたを突きまわされたが。

 そんな娘の言葉などなんのその、フローネは一向に悪びれない。
  
「ふっ……涙堪えてるローラが可愛すぎるのがいけないのよ」

「はあ、まったく……お母さんはいつもそうなんだから。もういいから試食してよ」

「了解了解」

 クスクスと楽し気に笑うと、フローネは娘の手作りケーキの味見を始めた。

 その瞬間、フローネの表情が一気に切り替わる。
 先程までの軽い雰囲気はどこへやら、今纏うは緩みなき凛然たる空気。
 ゆっくりと目を閉じ味わうその顔は、まるで思慮深い女神のようだ。
 
 そうしてじっくりと味わった後、フローネはおもむろに口を開く。

「……うん、生地とクリームの味は丁度良し。
ちょっと主張が強いけど、イチゴの味と上手く釣り合ってるわ。
でも、香りがダメね。クリームの香りが強くてイチゴの香りが霞んでるわ」

「う……でも、クリームの量ギリギリまで減らしたんだよ?」

 母の指摘に、ローラは思わず反論する。

 その欠点は味見した時に気付いたのだが、どうにもならなかったのだ。
 母のケーキに追いつく為、良いイチゴを使い、良い粉を使い、良いクリームを使った。
 おかげで味は良く仕上がったが、クリームの香りがイチゴの鮮烈な香りを殺してしまっていたのだ。
 なので味のバランスが崩れない範囲でクリームの量を減らしたのだが、それも完全ではなかった。
 
 これ以上は、正直どうすればいいのか分からないのだ。

「甘い、甘いわねぇローラ。そんなんじゃあこの偉大なるお母様には到底届かないわ」

「むう……じゃあ、お母さんならどうするの?」

「いつも私が作ってるショートケーキに答えがあるわ。
味を思い出しながら、自分で考えなさい」

「ええ~……」

「なお、今日中に答えを見つけられなかった場合、罰として頬っぺたぷにぷにの刑一時間です」

「なんで!?」

「私がしたいからよ!」

 文句あるかとばかりに堂々と言い放つフローネ。
 我儘勝手もここまで開き直ればいっそ清々しい。

「どうして私の頬っぺたにそこまでこだわるの!?」

「さ~て、どうしてかしらね~? ま、頑張んなさい。
後で貴女の大好きなコーヒー差し入れしてあげるから」

「ちょっ! お母さんまだお話終わってないよ!? お母さんってば!」

 高笑いしながら去っていく母の背に手を伸ばし――――ローラは夢から覚めた。

「…………懐かしい夢だこと」

 ベッドから起き上がり、ローラは呟く。

 懐かしい、そうあまりに懐かしい夢だった。
 母と娘二人っきりの、けれど温かかった家庭。
 何も知らず、ただその温かさに身を浸していられた記憶。
 その時が終わるなど、まして自分の未来が血塗られているなど想像もしなかった時の思い出。

 あの時は母が娘をどれほど愛していたのか知らなかったが、今なら多少は分かる。
 それが支えていたであろう、胸に秘めた強い覚悟も。

(……まずいわね。抑制が弱まってる)

 大きく息を吸い、限界まで吐き出す。
 それと共に、中で高まり始めた感情の熱を排出するかのように。

 が、それでも火種は残り、再び燃え盛り始める。
 どれほど燃え上がらせても尽きる事のない、感情の焔が。
 
 何度深呼吸を繰り返し排熱しても、追いつかない。
 呼吸を早めたところで、焼け石に水。むしろ焦りが感情をさらに燃え上がらせる。

 このままではここに滞在する事も出来なくなる――――そう思った瞬間、熱が霧散した。

(……我ながら、手の施しようがないわね) 

 今しがた浮かんだ顔を思い出しながら、胸に手を当てる。

 ひとまず危険はなくなったが、未だ火は燻っている。
 種火は消えるはずもないが、周囲にある油ぐらいは排除したいところだ。

 そこで、ローラは時計に視線を移す。
 まだ早い時間ではあるが、もう三十分もすれば起床しても健康的で済ませられる時刻だ。
  
「そうね……少しだけ、踏み込ませてもらおうかしら」

 そんなどこか悪戯っぽい響きの言葉を呟くと、ローラは身支度を整え始めた。 
 


 

 
  
 





















 

 海人は、ベッドの中で微睡んでいた。

 意識は一応起きているが、せいぜい半覚醒といったところ。
 眠気は未だ失せず、残り半分の意識に絡みついて離れる気配がない。
 気を抜いた瞬間起きている意識まで侵食し、惰眠の海に引きずり込まれそうな感じだ。

 夢心地の中で、海人は考える。
 起きるべきか、二度寝という甘美な堕落に身を委ねるべきか。

 瞼の向こうから感じる光量からして、時刻は早朝。
 朝食までは言うに及ばず、起きて身支度をするにも早い時間帯。
 起きたところで刹那や雫は鍛錬中で、話し相手もいないだろう。

 ならば、この意識に絡みつく睡魔に身を委ねても悪くはないはず。
 そう思って意識を手放そうとしたところで、

「ん……?」

 左頬に触れた細く柔らかい感触に、顔を顰めた。
 半ば反射で頬へ手を伸ばすが、当たるのは自分の頬の感触のみ。

 まあいいか、そんな弛みきった思考と共に再び眠ろうとして、

「んむぅ……」

 今度は右頬に触れた感触に、顔を顰めた。
 再び頬へ手を伸ばすが、やはり当たるのは自分の頬だけ。

 気にはなったが、既に九割方睡魔に捕らえられた思考ではその思いも長続きしない。
 海人は寝返りを打ちながら、軽く身を丸めた。

「むー……」

 今度触れられたのは、鼻先。
 柔らかく当たった何かが、ふにふにとそこを突いている。

 今度こそ捕まえんと先程よりも勢いをつけて鼻へ手を伸ばすが、やはり空振り。
 それどころか、なまじ勢いがついていた分自分の鼻を引っ叩く形になり、意識が一気に覚醒した。

 そして両目が開かれ、先程から悪戯していた犯人を目の当たりにする。

「おはようございます、カイト様」

「……おはようローラ女士。起きなきゃならんほどの時間だったか?」

 相変わらずの無表情でしれっと挨拶するローラに、不貞腐れたような声をかける海人。

 それもそのはずで、時刻はまだ6時半。
 海人の生活リズム的にはまだ惰眠が許される時間帯だ。
 ローラ滞在中は地下室を封鎖しているので、やる事すらもない。
 せいぜい部屋においてあるトランプでトランプタワーを作るぐらいだろう。
 
「接触の機会を増やしていただけるという事でしたので、時間も延ばせたらと思いまして。
熟睡してらっしゃるようでしたら寝顔を楽しませていただくつもりでしたが、ほぼ起きてらっしゃったようですから」

「……まあいいがな。ん?」

「折角ですので、コーヒーもご用意いたしました」

 恭しく頭を下げ、ローラは小さなグラスを差し出した。

 中身はアイスコーヒーと生クリーム。
 コーヒーの上に生クリームの層が綺麗に乗っており、見た目に美しい。
 また、グラスに滲む水滴がなんとも朝に相応しい清涼感を醸し出している。

 海人は礼を言ってグラスを受け取ると、ゆっくりとそれを飲み始めた。

 唇に触れる、生クリームの柔らかな感触。
 その下から流れ込んでくる、程良く酸味の利いたコーヒー。
 適量の砂糖を入れてあるそれは、背筋が伸びる苦味を維持しつつ、柔らかな酸味と甘味を楽しめる。
 次いで流れ込んできたクリームが加わると、そこに強いコクが加わった。
 冷えている為香りは弱いが、それだけに味の確かさがよく分かる。

 量としては二口か三口分程度だったが、満足感は凄まじかった。 

「……美味いな。それだけにもう少し量が欲しくなるが」

「朝食もございますので、今はそれで御容赦を」

「それもそう……ん?」

 ローラの言葉に納得し、軽く伸びをしたところで、海人の耳に足音が聞こえてきた。
 足音の主はどんどん近づいてきて、海人の部屋のドアの前で止まる。
 ノックの音に海人がどうぞと返すと、雫が元気よく入ってきた。

「おはよーございまーす! ローラさん、今ちょっといいですか?」

「はい、なんでしょう?」

「折角またいらしてるんで、今あたしと姉の二人だけで挑んだらどーなるのかちょっと試してみたいんです。
よろしければ、またお相手願えません?」
 
 挑むように、雫はローラに問いかけた。

 勝てない事は重々承知。
 ルミナスとシリルも含めた四人がかりで手も足も出なかったのだから、当然だ。

 しかし、あの時指摘された改善点はある程度修正した。
 ならば以前とは多少なりとも違う結果になるだろう。

 それでも到底届くまいが、改善は繰り返してこそ。
 そんな雫の向上心が滲む言葉に、ローラは鷹揚に頷いた。

「一度大敗している相手に臆する事無く、現状を正確に確かめようとする気概は大変素晴らしいです。
私でよろしければ、喜んでお相手させていただきましょう」













 二十分後、屋敷の中庭で刹那と雫は地面に倒れ伏していた。

「ぐ、ぐぐぅ……相変わらず、なんてデタラメな強さ……」

「二人がかりでは勝機どころか、隙さえ作れんとは……!」

 地面に這いつくばりながら呻く、宝蔵院姉妹。

 分かっていた事ではあるが、次元がまるで違う強さだ。
 単純な身体能力そのものもだが、戦闘技術の洗練具合が比べものにならない。
 ふわりと柔らかく刹那の攻撃を受け流したかと思えば、雫に防御をまるで考えてない超威力の打撃。
 雫の小太刀をまとめて強引に蹴り払ったかと思えば、刹那の意識の間隙を縫うかのように腕を取っての投げ。
 剛の技も柔の技も等しく極めて高い次元まで磨き上げ、状況に応じて使い分ける。
 まさに剛柔自在とも呼ぶべき戦闘技術だ。
 
 果たして体が衰える前にこの高みに辿り着けるのか、才気溢れる二人をしてそう思わされる一戦だった。

「それほど落ち込まれる必要はありません。
先日組手をした時に比べ、かなりの成長を遂げておられます」

「や、前回と変わらずボッコボコにされてそれって説得力欠片もないですよ?」

「猫が虎に変わったところで上位ドラゴン相手ではさして意味はない。それだけの事です」

「……そこまで、差がありますか」

「現状では。ですが、成長速度は胸を張ってよろしいでしょう。
この速度を維持できるのであれば、あるいは十年程で私も奥の手を使わざるを得なくなるかもしれません」

 淡々と語りながらも、ローラは事実感心していた。

 前に組手をした時より、明らかに二人共動きの質が向上している。
 特に連携技術の向上は目覚ましく、連携の隙がかなり減少していた。
 あれからまだ一月も経っていないというのに、だ。

 このままいけば、本当に十年で自分に奥の手を使わせる域に届くかもしれない。
 ローラをしてそう思わせる程の、驚異的な成長速度。

 ローラからすれば手放しの称賛に近い内容なのだが、雫はがっくりと肩を落とした。 

「じゅ、十年……ってか奥の手って……え? これでも全然本気じゃないんですか?」

「少し語弊があります。確かに本気ではありませんが、奥の手はあくまでも奥の手です。
本気と呼ぶに値するのは、安定して恒常的に出せる力のみ。
博打な上に短時間しか使えない力など、とても実力とは呼べません」

 雫の言葉を、ローラは静かに訂正する。

 ローラの言う奥の手は、あくまでも一時的な強化。
 それも加減や制御を誤れば自殺になりかねない、博打とも言える技法。

 そんなもの、ローラからすれば本気などと呼ぶに値しない。
 
 最高でここまでの力を発揮できる、だからそれが実力というのは戯言に過ぎない。
 そうであれば、質の良い刃物を持ち肉体強化の限度越えを行えば、
理屈の上では百億回に一回ぐらいは一般人でも中位ドラゴンに勝てるかもしれないのだから、それが実力という事になる。

 無論、そんなはずはない。

 実力とは、あくまで安定的に発揮できる力。
 制御は可能とはいえ、一時的でしかない力など実力とは呼べない。
 それがローラの考えであった。 

「……ひょっとして奥の手とは、聖武具が増幅するという力ですか?」

「はい。念の為申し上げておきますが、くれぐれも習得は考えませんように。
習得・使用共に、聖武具があったとしても安心はできないほどにリスクが大きい力ですので」

「……メルヴィナ殿が、もし習得する事があれば、まず心を鎮めるようにと仰っていたのですが」

「可能不可能は別として、正しい忠告です。
それ以上の対策はないと言っても過言ではありません。
それと、貴女方は習得の可能性が無視できませんので、
カイト様に聖武具を作っていただいた暁には、肌身離さぬ事をお勧めいたします。
安心はできませんが、リスクは減るはずですので」

「……やはり、今回いらした目的の一つは聖武具ですか」

 当然か、と刹那は納得する。

 海人が虚偽を感じなかった以上ローラの海人への想いは真実だろうが、彼女の立場は重い。
 日常の業務もさることながら、有事における国内最大戦力なのだから。
 となれば、関係を深めるついでに聖武具を手に入れる、あるいは手に入れられる可能性を探るのは至極当然だ。

 そんな刹那の推測を、ローラは静かに、だがはっきりと否定した。

「まさか。無駄な、いえ害悪ですらある希望を抱く程愚かではありません」

「害悪、ですか?」

「いかなる交渉材料でも却下される事が目に見えていますし、
物が魅力的すぎて一度探り始めれば私も引き際を誤る恐れが極めて大きい。
目的の物はまず得られないのに、愛する殿方から嫌悪される恐れは絶大。
これが害悪でなくてなんでしょうか?」

 淡々と、だが若干早口で答えるローラ。

 それを見て、刹那と雫は思わず目を見開いた。
 一度を除いて、ほぼ動いたと認識できた事がない鉄壁の無表情。
 それが、僅かに崩れていたのだ。

 そこに浮かぶのは忌々し気な、それでいて苦悩するかのような色。
 彼女にしては珍しい、人間味のある表情だ。

 それを見て、雫は思わず唸った。
 
「うーん……海人さん愛してるのは確かなんでしょうけど、そこまでですか?」

「でなければ、何度も大した意味もなく休暇を使って訪れはしません。
まして、物や情報を対価に支払ってまでなど」

 雫の疑問に、ローラは当然のように答える。

 今回はまだしも、前回海人に払った対価は安くない。
 まだ残っているとはいえ、歴史的な偉人の手記。
 表に出せば、それこそ値段は天井知らず。

 対海人用の手札としても、本来短期間の宿泊権程度で収めるべき価値ではない。
 記されている創造魔法の術式の有用性を考えれば、一冊でも交渉次第で海人製の魔法を一つ二つ手に入れられるだろう。
 それをその程度に収めたのは、ローラ・クリスティア個人にとって、ここに泊まれるという事がそれだけの価値を持っていたからだ。 

「ふーん……」

 立ち上がりながら、雫は気のない声を出す。
 が、その声には僅かに不安の色がにじみ出ていた。  

「……とりあえず貴女の懸念を払っておきますが、私がカイト様と結ばれたとしても御二人を排除するつもりはございません。
戦力が多いに越した事はありませんし、既に家族と化している貴女方を排除すればカイト様も悲しまれる。それは本意ではありません。
また、その場合存在価値を嘆かれる必要もありません。人手が多いに越した事はありませんし――――側にいるだけで心安らぐ、それも立派な存在価値です」

『!?』

 ローラの言葉に、宝蔵院姉妹が揃って目を剥いた。
 
 当然だ。ローラの想いの強さを知って、再び沸き上がった雫の不安。
 それを的確に言い当てた上に、雫が明確に安堵できるような理由まで語っている。
 これで驚かぬはずがない。 

「……あの、なんで」

「シズク様の表情から、明言しにくい不安がある事は分かりましたので。
現状で不安を覚える可能性が高い内容と、そこから派生しうる可能性の高い悩みを推測しただけです。
外れていましたか?」

 首を傾け、問いかける。
 相変わらず表情が変わらない為、まるで人形の首が傾いたような風情だ。

「いや、思いっきり大当たりなんですけど……実は心の声が聞こえるとか?」

「そんな便利な能力があれば、戦闘ももっと楽になっていましたね。
さて、かなり消耗されたでしょう。朝食はこの場に持って参りますので、しばしお待ちください」

 深々と頭を下げると、ローラは踵を返し颯爽と屋敷の中へ消えていった。













 正午過ぎ、海人達はカナールにやってきていた。 

「セツナ様の値切り技術はとても参考になりますね。見事なお手並みです」

「いえ、拙者の場合日常生活で取柄と呼べるのはこれぐらいですので」

 ローラの称賛に、どこか居心地悪そうに頬を掻く刹那。
 
 他意なく褒めてくれているのだろうが、その無表情がどうにも警戒心を呼び起こされる。
 実は皮肉で言ってるのではないか、上げておいて気を抜いたところで落とすつもりなのではないか、と。
 
(笑えぬわけではないのだから、笑顔でも浮かべてくだされば……いや、その方がもっとまずいんだった)

 一瞬浮かんだ考えを、即座に振り払う。

 前に一度だけ見たローラの笑顔は、もはや兵器だった。
 誇張でも比喩でもなく、あれ一つで国を傾けられそうな程の魅力。
 視界に入るだけで同性の心をへし折る絶世の美貌でさえ、真価には程遠かったと思い知らされた。 

 もうちょっと感情を表情に出してもらった方が助かるのは事実だが、その場合別の問題が生じる恐れがある。
 そしてそれは、刹那にとっては何をおいても避けるべきリスクだ。 
 少なくとも、多少居心地の悪さが改善される程度で許容できる事ではない。 

「で、これで一通りの材料は揃ったのか?」

「はい。これだけ揃えば、コーヒーに合う良いケーキを何種類か作れます。
あとは折角ですので、肉と魚も買っていきましょう。
何か今日の夕食の要望はございますか?」

「うーむ、私はステーキかな。塊を豪快に食べたい気分だ」

「かしこまりました。御二人は何かございませんか?」

「あたしらは御主人様に合わせますよ。みんなで食べた方が美味しいですしねー」

「その通りだな……おや? あれは……」

 話しながら歩いていると、刹那が前方に見覚えのある人物を見つけた。

 ハロルド・ゲーリッツ。
 この町の長老の一人にして、国内有数の大商会の会長でもある人物だ。
 その彼が、珍しく難しい顔で唸りながら歩いていた。  
  
 気になった海人が、声をかけてみる事にした。

「ハロルド老」

「おお、何かと思えばお主らか。どうじゃな絵の進捗の方は?」

「それでしたら、今描いている最中です。
どういう構図にするか決めかねているので、まだ時間はかかりますが」

「いやいや、描いてくれるならそれで十分じゃて。
時間をかけて納得のいく作品に仕上げてくれればいいわい」

「ありがとうございます。
ところでなにやら難しい顔をしておられたようですが、何かありましたか?」

「あーそれが……いや待てよ。あやつは確かあの絵は気に入っとったはず……なら……」

「何か?」

「海人殿、この町の≪エレガンス・タイム≫には行った事あるかの?」 

「ええ、以前教えていただいた美味しい店のリストに載っていましたので。
過ごしやすい良い店ですから、何度か行っています」

 ハロルドの問いに、海人は頷きながら答えた。

 ≪エレガンス・タイム≫はカナールで人気のある喫茶店の一つだ。
 客に優雅で安らげる一時を提供する為の腐心が、店の端々に感じられる

 テーブルや椅子一つとっても、年代を経た上等な物。
 確かな作りの物が、時間をかけてそれに相応しい風格を放っている物ばかり。
 内装も、それに見合ったとても良い作りだ。
 壁紙、照明、床板にいたるまで見事に風格のある仕上げにしてある。
 全体的に暗めの色調だが、あれは品のある落ち着いた風情と言うべきだろう。

 接客も文句の付けどころがない。
 店員の数は四人ほどだが、それでそこそこ広い店内を完璧に管理していた。
 新しい客が入ってくれば誰かがすぐに出迎え、客が注文を決めた時には呼び止められる前に自然に注文を取りに来て、
紅茶のカップが空になる頃合にはポットに残る紅茶を注ぎにやってくる。
 基本的と言えば基本的な内容ではあるが、終始自然な笑顔でこなしているあたり、よく訓練されている事が窺われた。
 
 ケーキと紅茶の質も、文句なし。
 ケーキは定番商品をしっかり揃えつつ、旬のフルーツを用いた物なども出している。
 味のレベルもかなり高く、近くに来たらとりあえず寄ろうと思うレベルの味だ。  
 紅茶も、良い茶葉を丁寧に淹れたレベルの高い物。

 なので、カナールに来ると海人達もたまに立ち寄っている。

「それなら話が早い。あそこの店主なんじゃが、支店の計画を随分前から練っておるのに、まだ店の案すら出来上がっとらんのじゃよ」

「手を広げれば管理も甘くなりますし、あれぐらいしっかり店を作っている方なら仕方ないのでは?」

「それならまだ良かったんじゃがな。原因は、支店に求める雰囲気なんじゃよ」

「というと?」

「どうせなら本店とはまるで違う雰囲気の、明るく子供でも入りやすい店にしたいと言っとってな。
でまあ、わし含めいろんな人間が協力して案を出したんじゃが……全然お気に召さなくての。
どーしたもんかと考えながら歩いとったんじゃ」

「で、私達と遭遇し、前に私が貴方に渡した絵をあそこの店主が気に入っていたのを思い出した、ですか?」

「その通り。カイト殿のセンスで描かれた案なら気に入るんじゃないかと思っての。
どうじゃ、お願いできんか? 無論、報酬は十分な額を用意させてもらう」

「ふむ……没になった案は見せていただけますか?」

「うむ、さっき没になったのがこれじゃ。他はわしの家にある」

 言いながら、海人に先程没になったばかりのイメージ図を見せる。
 海人はそれを見て、数瞬考え込んでから口を開いた。

「……支店を出す候補地は既に決まってますか?」

「王都の、人通りが多く陽当たりの良い通りじゃ。
もう土地も買っとるっつーのに、かれこれ一年まるで動かんでな。
前の建物壊すにも時間がかかるっつーのに、それすらも手付かずなんじゃよ」

 まったく、とハロルドは溜息を吐く。

 王都では景観を重視する為、人通りが多い場所にある建築物の破壊には許可を取らねばならない。
 そしてその許可は次に建てる建物が決まり、その設計図を提出して初めて下りる。
 なのでどうしても新築には時間がかかるのだが、件の店主は一年経った今も頑としてこだわりを譲らない。
 せっかく結構な大金を払って購入した場所が、ずっと眠りっぱなしなのだ。
 にもかかわらずいつ良い案が出てもいいよう、一時的でも人に貸す気はないという。
  
 あまりに、勿体ない話だった。

「では、その建物を含めたその土地の情報をいただけますか?」

「それもわしの家にあるが……どうすんじゃ、そんなもん。
土地の広さや建築制限だけで十分じゃろ?」

「いえ、案を考えるのであればとりあえずの形は作るべきでしょう。
申し訳ありませんが、お宅にお邪魔させていただいてもよろしいですか?」

 その問いに首を傾げながらも頷くハロルドに、海人は短く礼を言った。










 しばらくして、ハロルドの家。
 その一室で、ハロルドは驚愕に目を見開いていた。

「……カ、カイト殿? これは……」

「見ての通り、イメージ図と設計図です。
資料からして前の建物の造りが良いようなので、一応新築案とリフォーム案両方作りました。
どちらも構造上問題はなく、概ねイメージ図通りに出来ると思います」

「いやいやいやそこではなく! なんでここまで完璧な設計図描けるんじゃ!?
しかも使う建材全部指定しとる上に、施工方法まで詳細に書かれとるではないか!」

 海人から渡された案を手の甲で叩きながら、ハロルドは叫んだ。

 海人に期待していたのは、あくまでも新たな店のイメージ図である。
 店主が気に入った絵の作者である海人の案なら、納得してくれるのではないかと思っていただけだ。
 その代金として仕事は仕事、と絵の価値に見合う大金を支払う用意も始めていた。

 が、いざ蓋を開けてみれば出されたのはもはや企画書と呼ぶべき代物。
 
 外観だけでなく内観、それも会計場や客席はおろか厨房やトイレまで詳細に描かれ、
絵を見ていると実際その店を移動している気分になるイメージ図の束ですら、序の口。

 イメージを現実に顕現させる為に必要な建材、塗料、さらには施工方法まで事細かに記した設計図。
 その中には建物どころか、椅子やテーブルなどの備品の製造方法まで記されている。
 さらにはより短時間で効率的に建てる為の人員の配置までも。

 リフォーム案にいたっては、既存の建物をどう活かすかまで記されていた。
 当然のように、それを完璧に実践する為の工程まで、事細かに。

 そして、それらの案は多くの新店を生み出したハロルドの目から見ても隙が無い内容。
 それどころか、海人に大金払ってでも今後の店の新築・改築に流用させてもらいたいアイデアが幾つもある。 
 
 これだけでも十分異常だというのに、これらはすべてフリーハンドで描かれたのだ。
 それも一瞬たりとも手を止める事すらなく、道具を使って書いたとしか思えないほど正確に。

 そんな歴戦の老商人の驚愕などどこ吹く風とばかりに、当の本人は出された紅茶を飲んでいた。

「イメージ図通りにとなると、そうしないと仕上がりませんので。
ただの理想形と思われては心外ですし、作り方ぐらい書くべきでしょう。
実際は相手の好みもあるでしょうから、それを元にすり合わせて作っていく事になるでしょうが」

「……そーではなく、じゃな」

 果てしなくズレた返答に、ハロルドは頭を抱えた。
 この若き超天才に、どう対応するべきかと。

 思い返せば、以前絵を渡された時も揉めたのだ。

 それは、プチドラゴンの件が片付いたと聞かされた翌日の事。
 ちょっとした用事のついでにとその前に頼んだ絵を持ってきてくれたまでは良かったが、
過去描いた物の模作なので金は受け取れない、今後売る物のサンプル品として受け取ってくれと言い出したのだ。
 
 その前に見た木炭画とは違い、瑕疵らしい瑕疵など見当たらなかったのに、だ。
 それも多くの名画を取り扱ってきたハロルドの目から見ての話だ。

 結局その時は今後買い取る絵に評価額を少しずつ上乗せすればいいと考え妥協したが、今回の問題の片鱗は見えていた。

 つまるところ、海人の基準はあくまでも自分なのだ。
 どれほど優れていようが、自分にとって大した労力でなければ価値を感じない。
 そして本人の性格ゆえに何かを引き受ければ最大の結果を求めてしまう。

 これは普通なら美点にもなりうるが、海人の場合は別だ。

 今ハロルドが知る限りでも、ローラが共に戦う事を要請する戦闘能力、
物が良ければ臨時屋台を大繁盛させる商才、シェリスの屋敷の事務を代行可能な処理能力、
高いレベルの絵画技術、物を問わぬ異常な速度の設計能力と一つでも信じがたい能力が揃っている。
 
 用心深く警戒心も強いようなので迂闊な相手に披露する事はあるまいが、それでも見せられる相手はたまったものではない。
 これだけ披露できる程に信頼してくれるという事は嬉しいが、それにしても心臓に悪い。悪すぎる。
 万一これ以上の隠し玉が出てきたら、孫娘の花嫁衣裳を見る前に心臓が止まるかもしれない。 

 そんな老商人の苦悩を、ローラが即座に解決する。

「カイト様と付き合う上でのコツは、そんなものだと強引に納得する事です。
さもなくば、寿命の前に心労で死に至りかねません」

「酷い言われようだな!?」

「いや、実際そんぐらい驚いたんじゃが……ふむ、しかし内容は素晴らしい。
店主が気に入れば、そのまま建築に取り掛かれるしの。
じゃがこれ、礼金いくら払うべきなんじゃろうな……」

 ぬう、と思わず唸ってしまうハロルド。

 これが普通のデザインと設計図であれば、まだ問題ない。
 通常なら一割が相場だが、完成速度を考えれば二割払っても惜しくはない。

 が、その中身に次の儲け話に繋げられるネタがこれでもかと詰め込まれているせいで話が変わる。
 全て使い切ればどれだけの儲けを生み出せるかを考えたら、とても適正金額が思いつかない。
 下手をすれば、各業界に大変革を巻き起こすような内容まで含まれているのだから。

 仮に店主がこの案を気に入らずとも、考えてもらった手数料以上に支払う必要がある。

「いや、そこまで難しく考えなくとも……」

「馬鹿もん。この中にどれぐらい儲けの種が詰め込まれとると思っとんじゃ。
特にこのテーブルの曲線の作り方とか、かなり革命的じゃぞ?」

 なだめようとする海人の言葉を、ぴしゃりと遮る。

 ハロルドが見る限りまったく自覚はないようだったが、海人の出した案は宝の山だった。
 建築過程での人の動かし方、木材を美しく正確な曲線に加工する為の技法、加工における人のミスを減らす為の必要十分な設計図、
どれもこれも今までの標準を塗りつぶし、新たな標準になりそうなものばかり。 

 これの対価を真剣に考えぬなど、商人としてやっていい話ではなかった。  

(……この世界の技術水準で問題なく発想できる範囲にとどめたが、まだ甘かったか)

 頭を抱えるハロルドを眺めながら、海人は天を仰いだ。

 今回書いた内容は、海人本来の知識からすれば粗雑も良いところ。  
 この世界の技術水準を元に、ちょっとした発想で合理化できる範囲を合理化しただけ。
 いつ誰が思いついてもおかしくない内容であり、海人が発想したとしても不自然ではない内容だ。
 さらに思い付きである事を強調する為、あえて本来考えた内容より全体的に質を落としている。

 これなら問題ないだろうと思っていたのだが、予想以上にハロルドの反応が大きい。
 このままだと、話に手間取る事になりそうだった。

 そんな海人の様子を横目に見ていたローラが、ゆっくりと口を開く。

「ハロルド老。カイト様にとっては、目立たぬ事が最優先です。
その知識の価値に相応しい対価となれば、貴方個人の資産から支払うというわけにもいかないでしょう。
とりあえず、この場は借り一つで収めるべきかと」

「いや、これ借り一つでは収まらんのじゃが」

「ならば二つでも三つでも適正な数を割り出せばよろしいでしょう。
信じがたいでしょうが、カイト様にとってそれらはあくまでも軽い思い付き。
それで大きな対価をもらえば後ろめたく、ましてそれで面倒事に巻き込まれるリスクが増えるとなれば、まさしく踏んだり蹴ったり。
彼にとっては、貸しとせいぜい小遣いレベルの代金で収めるのが最善なのです。御理解いただけませんか?」
  
「むう……ならば無理強いしても得られるのはこちらの自己満足だけ、か。
仕方あるまい。カイト殿、今後何か困った事があればなんなりと言ってくれ。
これでもそれなりに影響力はあるから、大概の事は力になれるはずじゃ」

「はい。お言葉に甘えさせていただきます」

 海人はハロルドの申し出に頷き、礼を言う。

 そうそう頼る事があるとは思えないが、それでも大商人の後ろ盾はありがたい。
 陰で動き、貴族としての立場があるシェリスでは対応しにくい事も彼なら対応できる可能性がある。

 上手い落としどころを提示してくれたローラに礼を言おうと海人が顔を向けると、

「……差し出がましかったでしょうか?」

「まさか。非常に助かった。ありがとう」

 僅かながら不安の色を滲ませたローラに、海人は笑顔で礼を言った。

コメント

コーヒーは…奥が深すぎて今一分からないんですよね。比べられるほど飲み慣れていないんで(笑)そういや、どこかでコーヒーは昔、薬の一種だったって聞いたような…?
海人は…まだまだ自分の知識の価値を理解しきれていないんでしょうか?それとも甘さが戻ってきているのか…

追伸
ゼリーネタはいかがでしょうか?
[2017/08/14 15:23] URL | コスモ #Y2SfxCmk [ 編集 ]


もうカイトの超人ぷりにいちいち突っ込まんけど対価問題が厄介やな~
カイトにとってはロハか二束三文の価値しかないものでも相手からすると~

もう面倒だからその手のはいっそ対価を要求しないことを対価にするとかにすれば(適当)
[2017/08/14 19:01] URL | #- [ 編集 ]


ローラさんと海人、良い雰囲気ですな……
ラストの内助の功とか、たまらんですたい!
もう夫婦になっちゃえばいいのに!
[2017/08/14 20:38] URL | #- [ 編集 ]


更新、お疲れさまです。今回も楽しく拝読させてもらいました。
ローラの来訪の目的、深層心理的には武器も含まれていそうですが、1番はカイト自身になるんでしょうか、これからが楽しみです。
カイトも、武器作成から知識の流出に寛容になったのか、これからのシェリスの反応が楽しみです。既に絵画に続いて建築技法を老に先んじられてますけど(笑)
[2017/08/15 07:10] URL | ガリナオ #KGAhWzec [ 編集 ]


更新楽しみにしています。ローラさんは底が知れないですね。
[2017/08/16 03:28] URL | ロボット三等兵 #- [ 編集 ]


更新お疲れ様です!
今回も楽しませていただきました!
ローラさんの超人ぶりがとどまる事を知らないw
[2017/08/23 01:14] URL | #- [ 編集 ]


私は帰ってきたーーー!!
まあ、また不定期で顔を出すようになっただけなんですが。
ウフフ、銀行の人とお話をしたり・・・色々あったな・・・借金だめ、ゼッタイ!

まあ、それはそれとして。
ぬ~だんだんとローラさんが可愛く見えてきたな・・・
そして、コーヒー。コーヒーはいいぞぉ~

あ、遅ればせながら百話到達おめでとうございます。
ここを初めて訪れたときは、50話いってなかった位かな?
そう思うと、感慨深いものがありますね。

これからも、応援しています。
[2017/08/27 17:08] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]


カイトたちは水出しコーヒーは好みの範疇外かな?
一度飲んだことがあるけどメッチャ美味しかったので是非作中でも試してほしい。

ただでさえカフェイン濃度が高いのにリットル単位で飲んでしまい、夜全く寝られなくなったぜ……。
[2017/08/29 20:26] URL | #- [ 編集 ]


>つまるところ、海人の基準はあくまでも自分なのだ。
 どれほど優れていようが、自分にとって大した労力でなければ価値を感じない。
 そして本人の性格ゆえに何かを引き受ければ最大の結果を求めてしまう。

主人公がそれで楽しんでる以上あまり言うのもどうだと思うけどたしかに酷い欠陥ですね。
まして自覚的に主人公を自分たちの発展のために利用しようとするような貴族が近くにいればなおさらですね。

そういう意味では、カイトに頼りすぎたら対応力が低下していざいなくなったとき困るとか言っていたころのほうが性格的に魅力的って感じはしますね。

 
[2017/09/18 07:03] URL | シャオ #xDU5tAck [ 編集 ]


修正版読みました。
涙堪えるローラさんとか・・・何、それ。スンゴイ見たい!
しかし、こうやってみるとカイトと似てるのかな?特に親との幸せな記憶があって、それが失われたみたいな描写もありましたからね。

本編の続きももちろん読みたいが、「シェリス嬢の楽しい?日常」も読んでみたい。
他にも「爺さん達のおもろい話」も楽しみだ。
本編の合間の日常回も読みたいんだよなー
次回も楽しみにしています。
[2017/09/18 20:56] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2017/09/27 03:49] | # [ 編集 ]


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://nemuiyon.blog72.fc2.com/tb.php/579-1d0d3424
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

九重十造

Author:九重十造
FC2ブログへようこそ!



最新記事



カテゴリ



月別アーカイブ



最新コメント



最新トラックバック



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード