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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄20
 それから八日後。海人の目論見通り、リリーはすっかり元気になっていた。
 血痰が出なくなるどころかもはや咳一つせず、微熱で若干赤くなっていた顔の色も平常に戻っている。
 が、最大の違いはその活力。一応大事をとって大人しくしてはいるが、その分話す時の勢いが凄い。
 言葉はマシンガン、表情は超高速スロット、子供特有の身振り手振りは残像で体の部位が増えて見える。
 
 薬を飲ませ始めた翌日から続く、今までの反動という一言では片付けられない元気ぶりを眺めながら、
海人は今日こそアリスに訊ねた。

「あの、娘さんはいつもこんな感じなのでしょうか?」

「お恥ずかしながら……不謹慎ですが、もう少し病気が長引いてくれてもと思ってしまいます」

「可愛い娘が元気になったのを悲しむなんて酷いよお母さん!
でもでも良い子で通している私は笑って許してあげるから外で遊ばせて!」

 もはや芸術的とさえ言える超高速の舌の回転と体の動きを披露しながら、
母の服の裾をこれまた凄まじい速度で何度も引っ張る。

「駄目よ。ようやく病気が治り始めたのに、またぶり返したらどうするの」

 ここ数日、毎日繰り返されたやり取りに溜息を吐きつつ、アリスは上着の裾を娘の手から奪い返した。
 毎日のように引っ張られ続けたせいで、今着ているカーディガンの裾は伸びきってしまっている。
 
「魔力使わないでちょっと町を全速力で一周するだけ!」

 ビシイッ、と擬音が鳴りそうな程に雄々しく人差し指を立てる。
 ちなみにこの町の外周は、強化しない状態の海人だと一割も走れれば拍手喝采に値するほど長い。

「聞き分けの無い事言わないの! 少しは我慢しなさい!」

「……駄目かなあ、カイトお兄ちゃん」 
 
 小首を傾げ、海人を円らな瞳で見つめる。
 演出過多にならない程度に純真そうな風情を装い、ギリギリ分かる程度に目を潤ませている。
 器用にも程があるんじゃないか、と言いたくなる演技力だったが、異常な観察力を誇る海人の目は誤魔化せなかった。
 
「演技する体力があるならとっておくように。ぶり返したらまた動けなくなるんだぞ?」

「うう、こんな狭い所に閉じ込められて可哀想な私……」

 今度はよよよ、とこれ見よがしに泣き崩れ、チラリと叔母を見る。
 手を変え品を変え、なんとも芸の細かい少女である。
 これで五歳なのだから、末恐ろしいとしか言いようが無い。
 
「いーから大人しくしてなさい。それとも昨日みたいに拳骨で眠りたいのかしら?」

「ごめんなさい」

 しゅばっ、とベッドの上で土下座。
 
 昨日受けた叔母の拳骨はとても凄かった。
 なにせ、昨日の夕方から今日の昼まで目が覚めなかったのだ。
 おかげで夕飯と朝食を食べ損ねてしまった。
 この宿の食事は美味しいから、毎食楽しみにしていたというのに。
 
 今日も同じ目にあってはたまらない、とリリーは無条件降伏した。
  
「ま、元気になった事自体は良い事だ。しかし、もうしばらくは大人しくしていないとな」

「うう……分かってるけど、分かってはいるんだけど! 普通に遊びたいの!
ええい、かくなるうえはルミナスお姉ちゃんが来る前にどうにか外に出るしか……!」

「はあ……少しは気分が紛れるかと思って、今日は約束のチョコレートの前座を持ってきたのに。
そんな悪い子にはあげられないかな」

 海人は嘆息しつつ、風呂敷から艶やかな黒で彩られた大きな正方形の器を取り出した。
 が、悲しそうな口調とは裏腹にその唇は意地悪げな笑みを形作っている。
 
「……それ、美味しい?」

 ピタリ、と動きを止めて訊ねる。
 蓋をされているが、器は大きい。しかも昨日まで食べさせてもらったチョコレートはどれも絶品だった。
 いかなる美味がそこに隠されているのか、彼女でなくとも気になるところだろう。

「昨日までのより、きっと美味しいだろうなぁ……でも、悪い子にはあげたくないから皆で食べてしまおうか。
シリル嬢もチョコレート好きだったよな?」

「ええ、大好きですわ。実を言いますと、今朝詰めてらした時から味見したくてたまりませんでしたの」

「カイトお兄ちゃん、私良い子だよ? ほら、ベッドで大人しくしてるし」

 リリーは目にも止まらぬ早業でベッドの中に舞い戻っていた。
 掛け布団を腰の辺りまで掛け、けほけほとわざとらしい咳をしている。 

「我侭を言うのは構わんが、お母さんに逆らって勝手に抜け出したりはしないな?」

「しないしない」

 海人の念押しに、首をぶんぶんと横に振る。
 その笑顔に偽りが無い事を確認すると、海人はおもむろに蓋を開けた。 

「おおおおおおっ!? え、これ全部チョコレート!? すごいすごいすっごぉぉぉぉいっ!」

「……ねえカイト、流石にこれは多すぎやしない? いや、文句を言ってるわけじゃ無いんだけどさ」

「毎日のように見ている君の大食らいぶりから推定し、余裕を見ていたらこの量になった。
まあ……正直多すぎた気はするが」

 自分が持参したチョコレートの山を眺め、海人はポリポリと頬を掻いた。
 
 目の前に有るのは桶。より正確に言えば、特上寿司の寿司桶である。
 その中には海人の世界では高名なブランド数十社のチョコレートが所狭しと詰められている。
 子供用なので酒入りの物は全て省いたが、その分気に入った味を何度か楽しめるように同じ物が複数入っている。
 この容器に詰め直す際に色や形状の配置も考えたため、見ていてもちょっと楽しい。
 
 ちなみに、海人はリリーが帰る日にはこれを十段重ねた量を用意するつもりである。
 好きなだけ食べさせる、という約束を守るため、どう足掻いてもまず食べきれない量を用意する事にしたらしい。

「あの……さすがにこれだけの物をこれだけの量ではお値段も相当張……」

「お気になさらず。ルミナスには世話になりっぱなしなんです。
こういう事で恩を返しませんと、彼女の性格上恩返しの機会がほとんどありませんので」

 恐縮しているアリスの言葉を遮り、海人は彼女に耳打ちした。

「あー、なるほど」

 ポンと手を打ち、アリスは納得した。
 彼女の妹は人からの借りには敏感だが、自分からの貸しには疎い。
 そのため借りを作ってしまうと返す機会がほとんど無いのだ。
 それを返すためというのなら、一応納得は出来た。
 それでも妹の受けるべき恩恵を横取りしているようで後ろめたさはあったが。

「それに、どうせあの量では残るでしょうから、美女・美少女に囲まれてのお茶会を過ごす機会が得られます。
一石二鳥ですな」

「あらあらお上手ですね……って、リリー!? 貴女もうこんなに食べちゃったの!?」

 海人と会話していた短い時間で六割ほどに減ったチョコレートを見て、アリスが驚愕の声を上げる。
 母の驚きにも構わず、リリーはリスのように膨らんだ  

「はっへおいひ~んはもん。ん~、でもそろそろお茶が欲しいかなぁ」

 もきゅもきゅごっくんとチョコを飲み込んだリリーはそう言って二カッと笑う。
 どう考えても彼女が食べられなさそうな量なのだが、まだまだ余裕そうである。
 
 苦笑しながらルミナスがお茶を淹れようとした時、その手が止まった。

「ありゃ、お茶っ葉が無いじゃない」

「え~っ!? お茶無しでこれはキツイかも!?」

「……やれやれ、しょうがないな。ひとっ走り買いに行ってくる。いつも買っている物でいいだろ?」

 言うが早いか、海人はドアへと向かう。
 ルミナス達とこの町に茶葉を買いに来た事もあるため、彼女の贔屓の店の場所は知っている。
 ここから近くはないが、それほど時間はかからない場所だ。 

「あ、私が行くわよ。パズル貰ったうえにチョコまで貰って、色々悪いし」

「――ルミナス、容姿に優れた女性の特権というものを知っているか?」

 椅子から立ち上がろうとしたルミナスを遮り、海人はドアを開けた。
 未だに顔は部屋の中に向いているが、既に彼の体は半分外に出ている。

「なによそれ?」

「男を顎でこき使えるという事だ。せっかく類稀な美人なんだから、もう少し立ち回りを覚えた方が良いぞ」

 悪戯っぽく笑い、海人は部屋を出た。
 その直後にルミナスが赤面し、シリルが窓から矢を射かけてやろうかと弓に手をかけ、
そんな二人をアリスが楽しげに眺めていたりもしたが、振り返らなかった彼は一切気づかなかった。
 




















 海人が茶葉を買う際、ほとんど手間はかからなかった。
 毎回ルミナスと一緒だったため、顔も買う品も覚えられていたのだ。
 ただ、帰り道は人が多く混雑し始めていたため、少し時間がかかっていた。
 どこか抜け道は無いか、と考えていると背後から聞き慣れた声がかけられた。

「こんにちわ、カイトさん」

「おや、シェリス嬢――今日はシャロン嬢なのか」

 シェリスの背後で一礼する女性を見て、海人は軽く目を瞠った。
 今日の随伴者はいつもの絶世の美女に比べて雰囲気がとても柔らかい。
 しかもなかなかの高水準な容姿でありながら、シェリスには一歩及ばず質素な服装と相まって主を引き立てている。
 あえて存在感を消さなければ主をくってしまうローラと比較すると、彼女の方がより使用人らしいと言えるだろう。
 
「ええ、ローラは少々用事で王都の方へ行ってますので。でも、シャロンも優秀なんですよ?」

「ま、そうでなければ彼女の代理など任せられんだろうな。
で、何か用か? これからこれを届けにゃならんので、あまり悠長に話していられんのだが」

 購入した茶葉入りの袋を掲げる。
 リリーが待っているというのもあるが、
店主が贔屓にしてくれているおまけとして付けてくれた少量の最上級の茶葉の味もまた興味があった。
 早めに戻ってさっさと試飲したかった。

 が、そんな海人の思いとは裏腹に、シェリスは真剣な面持ちで宣言した。

「申し訳ありませんが、今から少しお時間をいただきます。
今の機会を逃せば、お互いに困る事になるでしょうから」

「――いつになく真剣だな」

 海人の目が猛禽類の如く鋭く細められる。
 
 シェリスの様子は明らかに普段と異なっており、穏やかさよりも威圧感が強い。
 なにより彼女にしては珍しく、拒否を許さない言葉だ。

 試しに後ろに一歩下がろうとすると、その瞬間シェリスが海人の腕を掴んだ。
 痛みを感じるほどではないが、振りほどく事は出来ない絶妙の力加減。
 害を成す気は無いが、逃がす気も無い、とその力が何よりも雄弁に語っていた。

 さらに、それに気を取られている隙にシャロンが海人の背後に回っていた。
 振り返った海人の迫力溢れる凶眼に睨まれながらも、真正面から見返している。
 以前彼に作られたトラウマのせいか極僅かに腰が引けているが、それも常人には分からぬ程度。
 
 前後どちらの女性も不退転の意思を漂わせていた。
  
「申し訳ありませんが、そこの路地まで来ていただけますか?
可能な限り時間が短くなるよう努めさせていただきますので、お願いします」

 一礼し、シェリスはすぐ脇にある路地を指差した。
 
 極端に狭くはないが、店が何も無いため、本当にただ通るだけの道。
 それもやや薄暗いせいで無意識に敬遠されるらしく、通っている人間がほぼいない。
 仮に何が行われようと、そうそう表沙汰になる事は無い場所だ。  

 正直気乗りはしなかったが、海人はしばし迷った末にそちらの路地へと入った。
 
「で、何の用だ?」

「リリーさんの病を癒した薬、その製法を譲っていただきたいのです」

「――肺死病の特効薬の製法など、本を読めばすぐに分かるだろう?」

 シェリスの言葉に一瞬息を呑むも、瞬時に焦りも見せず取り繕う。
 が、次の令嬢の言葉で、それは容易く崩壊させられた。

「ええ、通常の肺死病の特効薬ならば。ですが、リリーさんが患っていた肺死病は通常のそれでは無いでしょう?」

「順を追って説明しろ。場合によっては相応の対応になる」

 海人の視線の質が変わった。
 それが鋭い事自体は先程から変わっていない。
 が、先程までとは違い、そこには不機嫌さだけではなく若干の敵意が宿っている。
 
 一瞬で豹変した海人の態度に戸惑い、シェリスは僅かに後退る。
 海人の性格からしてこの状況は気分良くはないだろうが、敵意を向けられるほどではないはずだった。
 自覚しないまま何かしでかしてしまったかと、数瞬考え――思い当たった。
 今の言葉では、誤解を招きかねない、と。

「失敬。どうも私も冷静さを欠いているようです。
まず誤解を解いておきますが、誓って先日お会いした段階では全く知りませんでした。
そして、全ての情報が揃ったのは昨日の話です」

 常人ならば腰を抜かしかねない海人の眼光を真っ直ぐに見返し、説明する。

 そう、先程の言葉だけでは、先日会った時に何故言わなかったのかと思われてしまう。
 言ったところでリリーの病状は変わらないとはいえ、効かないと分かっている高価な薬を無駄に買わせる事は防げただろう、と。
 実際、シェリスがその時知っていれば、酷を承知で教えていたはずだ。
 
 過失ならともかく、誤解で海人からの評価を下げるわけにはいかなかった。

「なるほど――疑って悪かった」

「いえ、私のミスです。では順を追って話しましょう――実はここ数年、例の薬の偽薬の噂がありました。
しかも、その出所がこのカナールではないかという不名誉極まりない噂が。
ですが、あれの品質管理はここの長老のお一人の直轄。私も目を光らせております。
薬の信頼そのものを揺るがす偽薬など、作ろうとした段階でその者は闇に葬ります」

 絶対的な自信を秘めた顔で、断言する。
 実際カナールで生産される肺死病の特効薬はその信頼性から、半ば絶対的な評価を受けており、
噂を信じている人間はほぼいない。
 ただ、そうであってもシェリスとしては看過出来ない噂ではあった。

「……ふむ、それで?」

「根も葉もないデマにしては長く残っていましたので、去年から噂の元を調べておりました。
ですが、この町はおろかここから流通したとされるどの国でも偽薬の影も形もなし。幾つか目星をつけていた人間も全てシロでした。
正直、どこから偽薬の噂が流れたのかも分からない状況だったのですが――先日、洒落にならない事態が判明しました」

 思い出されるのは、ほんの数日前の出来事。
 調査に出向かせていた部下の一人が、息せき切って屋敷に舞い戻った時。
 いかに慌てていようと挨拶はするよう徹底的に仕込まれた部下が、それすら忘れてしまうような悪夢の報告が届いた時。
 最初信じていなかった――否、信じたくなかったその情報は、報告書を読めば読むほど信憑性が増していった。
 
「間違いなく正規の薬を飲んだのに死んだ人間がいた、といったところか?」

「ええ。それも一人二人ではなく――各国合わせ、ここ数年で三十人ほど。
何度も表沙汰になりかけたようですが、その度に当事国が圧力をかけて口止めを行っていたそうです。
曰く、九割以上の人間が治っている現状、そんな情報の流布は要らぬ混乱を招くだけ、と」

「ふむ……まあ、妥当な判断かもな」

 シェリスの沈痛な言葉を、海人は冷静に聞いていた。

 人道的に見ればたしかに褒められた事ではない。だが薬は高価で、長期間飲み続けなければならない。
 海人の記憶では、適度な肉体強化を行いつつ、例の特効薬を三ヶ月飲むという治療法だったはずだ。
 
 しかもこの世界の医療技術では薬をちゃんと服用しない限り、効くか効かないかは分からず、服用すれば九割以上の人間は治癒する。  
 となれば、効かない可能性があるなどという噂は、治る可能性の高い患者に薬の服用を躊躇わせ、かえって被害を増大させかねない。
 ならば統治者側が当面噂を握り潰す事を選ぶのにさほど不思議は無い。 

 ただ、それでも疑問は残る。
 海人が問いかけるような視線を向けると、シェリスは深い、内臓全て吐き出しそうなほどに深い息を吐いた。 

「……もちろん、この国での犠牲者もいましたし、各国から外務大臣に内々に情報がいったようですが、
内務大臣の腐れハゲが国内の情報を握り潰した挙句、外務大臣からの調査要求を表面上取り繕って誤魔化したせいで、
私の方にはこれまで情報が回ってきませんでした……まったく、ドレイク卿もあの害虫の戯言を鵜呑みにするなど何を血迷っておられたのやら……」

「苦労しとるようだな」

「いえ、結果としては多少膿を出す良い口実が出来ました。
今回の件と今まで集めておいた各種罪状をその証拠と一緒に全て国王陛下に直接送りましたから、直にお家取り潰しになるでしょう」

「……なるほど。だからか」

 珍しく獰猛な笑みを浮かべた御令嬢を見て、海人は悟った。
 なにゆえ、ローラが王都へ行っているのかを。
 とりあえず、国王に届く前に証拠が握り潰される心配だけはなさそうだった。
  
「っと、少し話が逸れましたね。本筋に戻りましょう。
死亡した犠牲者達に関する調査をした結果、全員に共通点がありました。
最初は薬が効いて症状が和らいでいたというのに、徐々に薬の効力が弱まり、終いには悪化し、死に至ったと」

「……そうか。で、それだけではどう考えても私には結びつかないと思うんだが?」

 重ねて、問う。今までの話では海人が関わる要因が出ていない。
 リリーの事をあらかじめ把握していたにしても、詳細な病状まで把握していたとは考え難い。
 何故この短期間で自分まで辿り着いたのか、海人は訊ねずにはいられなかった。

 ――これまでのやり取りの時間が、心配性な家主を動かすに十分すぎる事にも気付かぬまま。
 
 
 
 














 その少し前、宿で待っている者達は難しい顔で考え込んでいた。
 理由は海人の帰りがやけに遅い事。
 道が混んでいたとしても、時間的に既に戻ってきているはずだった。

「……妙に遅いわねぇ」

「ええ、たしかに。基本的に行動が早い方ですのに」

 海人と同居している二人が、首を傾げた。
 買物に行った男は基本的に寄り道はあまりしない。
 まして、今回はリリーが彼の帰りを待っている。
 行動パターンからしても性格からしても、普段なら十分前には帰って来ているはずだ。

「カイトお兄ちゃん、何かあったのかなぁ……?」

 リリーが心配そうに窓の外を眺める。

「ん~、ちょっと探してくるわ」

 姪の頭を軽く撫で、そのまま窓から外へと出る。
 幸い通行人はあまりいなかったため、着地は楽だった。
 
 海人が揉め事に巻き込まれた可能性は低いだろうが、楽観は出来ない。
 この間のエルガルドとの戦いの際も、ルミナス達の動きを封じるためだけに攫われかけた。
 その時の対応力から考えれば危ない事もなかろうが、安心は出来ない。
 街中でやる可能性は少なかろうが、海人の場合接近されて一撃入れられれば成す術が無い。 
 
 その光景を想像し、ルミナスの足が自然と早くなる。

「お姉さま、私も参りますわ」

 その直後、シリルが追いかけてきた。 
 どうやらルミナスと同じ可能性を考えているらしく、その目は普段より鋭い。
 二人は一瞬視線を交錯させ、とりあえずは海人が向かった店がある方へ歩き始めた。

 ――が、二人は五分としないうちに足を止めた。
 
 賑やかな町にそぐわぬ不穏な気配。
 戦いの直前に流れる一種独特の空気が、平和な町の一角から漂っている。 

「……これ、気のせいじゃないわね」

「ですわね――急ぎましょう」

 二人同時に頷き合い、地を蹴って建物の屋根へと飛び移る。
 そして気配を殺しつつ、足音も立てず屋根の上を疾走した。
 不穏な空気の出所はそう遠くなかったため、ものの数秒で近くまで辿り着く。
 息を殺しながら遠隔視の魔法を使って少し先の路地を覗き込むと、案の定見慣れた白衣の男がいた。
 さらにその対面には、これまた見慣れた、だが珍しい組み合わせの主従がいる。

「……シェリスとシャロンさん?」

 海人と対峙している二人を見て、一瞬気が緩む。
 が、すぐさま引き締め直した。

 表情こそ笑っているが、双方の間には相当な緊張感が漂っている。
 周囲を探った限りシェリスのお供はシャロンだけのようなので、海人に危害を加える可能性は低いだろうが、油断は出来ない。
 これだけの緊迫感がある場では、戦いが起こらない可能性の方がむしろ低い。
 さらに言えば、シェリスはどうしても必要と判断すれば、友人も迷わず斬り捨てられる決断力がある。
 
 二人は短く視線を交わし、それぞれの武器に手をかけた。
 
「どうやら遮音魔法を使っているようですが、この位置からなら」

「唇読めば粗方内容は分かるわね……やばそうだったら即座に動くわよ」

 遮音魔法と遠隔視の魔法が存在するこの世界では、読唇術はかなりポピュラーな技術だ。
 まして、一つの情報が生死を分ける事も珍しく無い傭兵であれば、専業の斥候でなくともそれなりの技巧はある。
 二人は双方の会話を分析しつつ、徐々に路地の方へと距離を詰めていく。
 
 不穏な言葉が出た瞬間、確実に割って入るために。 











 
「この町の薬を統括する長老はイザベラ・リジャルディという方です。
元々薬の販売で有名な商会の創業者で、薬の知識はそこらの医者の及ぶところではありません」

「――なるほど、あそこの宿の女将とやらが」

 宿の名前を思い出し、海人は嘆息した。
 ついでに言えば、あそこの宿の女将とは帳場や廊下で何度か顔を合わせている。
 その時は化粧と生気で見事に若々しさを演出している御老人だな、と若干失礼な敬意を抱いていたが、
今となっては逆に僅かな恨めしさを感じてしまう。

「ええ、イザベラ老です。で、先程お話した内容をほぼそのまま話したところ、思いもよらぬ情報をいただきました。
リリーさんの様子が、まさに特効薬が効かない肺死病そのままで――どういうわけか、ありえない速度で症状が治まったと」

 シェリスの言葉を聞き、海人は頭を抱えた。

 実のところ、治療速度で誰かしらに疑念を抱かれる可能性は考えてはいた。
 そもそも海人が新種の抗生物質を開発するまでは、完治に半年以上を要した病だ。
 こちらでは肉体強化を併用した治療のおかげか、遥かに効果の劣る薬を服用して三ヶ月と言われているが、それでも長い。
 
 ――当然、症状が治まるまでの期間も違う。

 海人の使った薬が一日で症状を消してしまうのに対し、こちらではおよそ二週間と言われている。
 専門知識のある人間ならば、明らかに異常な回復ペースだと見破られる可能性は考えていた。
 が、会話の合間にそれとなく探ったところアリスに専門知識は無く、
この町でかかっている医者もほぼ薬を売ってもらうだけの関係だと聞いたので、問題は無いだろうと思っていた。
 さらに言えば、よしんば勘付かれたところで、証拠は無いのだから惚ければいいだけの話。
 そもそも相手にとっては常識外の話なのだから、そういう事もあるだろうで押し通せる。

 そう思っていたというのに、現実には勘付かれた上に、簡単には惚けられないシェリスに話が回ってしまった。
 しかも、この間の騒動の際海人はこの世界の医術では治癒不可能だった彼女の部下を人工血液の輸血で蘇生させており、
疑われるには十分すぎる材料が揃っている。
 おおよそ考え得る限り最悪の展開であった。 

 が、せめてもの足掻きとして、シェリスに疑問を投げかける。

「で、見舞いに来ていた私が何かしでかしたと思ったわけか。
そのイザベラ老とやらが、宿に入った人間とその日付を全て覚えているわけでもあるまいに、短絡的だと思うがな。
大体、あそこの宿の女将とは面識はあるが、名を名乗った覚えは無いぞ」

 我ながら苦しい、と海人は心の中で自嘲した。
 一流の商人であれば一度自分の宿に来た人間の顔と日付は全て覚えているだろう。
 しかも海人が訪れたのはここ数日の話。忘れているはずが無い。
 名前に関しても、少し会話を小耳に挟めば分かる可能性は高い。

 それを見透かされたのか、シェリスは哀れんでるとも微笑んでるともとれない微妙な表情で
淡々と海人の悪足掻きを打ち砕いた。

「思ってもいない事を言うものではありませんよ?
それに、先日の屋台の大繁盛は当然ながらイザベラ老も御存知でした。
何度か遠目に観察もなさっておられたそうですので、貴方の顔と名前は覚えておられます。
まして、傭兵業界の有名人二人が毎回一緒に来ているんです。
仮にあの方の記憶力が衰えていたところで覚えていないはずがありませんよ」
 
 そこで一旦言葉を切り、海人の様子を伺う。
 案の定ガックリと肩を落とし、両手で頭を抱えている。
 その様子をシェリスは黙って見守っている。

 今回の話で焦りは禁物。シェリスは自らにそう定めていた。
 なにせ今回の発覚は海人の油断などではなく、不運の連続によるもの。
 一気に話せば海人といえど混乱をきたす可能性は否定できない。
 冷静さを失われて、感情任せに交渉決裂に到っては拙いのだ。
 
 困った事に今回発覚した事は現状の解決策が海人の手元にしか無い。
 今はどうにか口止めで済んでいるが、解決する術がないまま時が過ぎればそれも遠からず限界が来る。
 それを打開するためにはなんとしても薬が必要で、そのためには海人の機嫌は損ねられない。
 
 損ねた場合に失うであろう物を考えれば、慎重になりすぎるという事は無い。
 焦れったくはあったが、ゆっくりと順を追って説明をしなければならなかった。

 海人が正確に飲み込めるまで待とう、と思っていると、唐突に彼は天を仰いだ。

「――どうやら今回の私の運の悪さは筋金入りだな。なんだ、この図られたとしか思えない状況は」

 予想が不可能だったとまでは言わない。
 だが、かなりの低確率の連続であった事は疑いようも無い。
 
 そもそもの始まりがルミナスの姪がたまたまこの世界の既存の薬では治癒しない病で、
たまたま薬の在庫が切れてこの町に来て、たまたま頼まれてやっていた花屋の屋台にたまたまルミナスの姉がやってきた。
 さらに彼女の泊まった宿の女将がたまたま肺死病の特効薬を管理している長老だった。
 そのうえで、海人が知らないところで、既存の薬が効かない肺死病の話が流れていた。

 どれか一つでも偶然の要素が欠けていれば今回の事態はなかっただろう。
 しかも、その偶然のおかげで後々ルミナスが悲嘆に暮れる可能性を一つ潰せたわけだから、文句ばかりも言えない。
 ここまでくると笑いすらこみ上げてくる、というか実際に彼の口から虚ろな笑い声がこぼれていた。

「えーっと……さらに追い討ちをかけるようですが、
イザベラ老は泊まり始めの時期から暇を持て余していたリリーさんの話相手もなさっていたらしく、
ここしばらくも皆さんが帰った後に話相手をなさっていたそうです。
その際に、カイトさんが毎日一粒ずつチョコレートを食べさせている、という事も聞いたらしいです。
食べ始めた翌日から急激に症状が良くなった事も。本人達は薬が一気に効いたんだと疑ってなかったようですが」

「すまんが、頭痛がしてきたんで帰っていいか。
当分何やっても碌な事になりそうに無い気がするんで、家から一歩も出ないで大人しくしていたい」

「……そうしたらそうしたで今度はルミナスさんの家に隕石落下でも起こりそうな気もしますが」

「あっはっは、まったくだな。
この際聖女だろうが神官だろうが怪しげな祈祷師だろうが構わんから、私の運を改善できそうな人間はいないか?」

 半ば本気で訊ねる。
 元々運が良い方だとは思っていないが、流石にここまで不運が続いた事は無い。
 もはや今回のような不運の連続が起こらないようになるなら、怪しかろうが如何わしかろうが構わない気分だった。

「残念ながら寡聞にして存じません――ところで思い切ってお訊ねしますが、今度は何が御気に触ったのでしょうか?
今回悪気はありませんので、気に触ったのであれば土下座でも何でもしてしまうんですけど」

 シェリスはやたら引き攣った笑顔で海人に問いかけた。

 先程から――開始直後からずっとそうだが、海人は終始凄まじい迫力を醸し出している。
 しかもイザベラの話が出た辺りからは、それはほとんど物理的な圧力と化していた。
 その圧力たるや、シェリスをして矜持でどうにか平静を取り繕っているだけで、背中や手に汗をじっとりと滲ませている。
 
 普段の海人との会話ではありえない現象に、シェリスは再び自分の失態を疑っていた。
 
「む……そう見えたか?」

「はい。率直に言ってしまいますと、怒っている時のローラ並みに恐ろしいです。ねえシャロン?」

 主の問いに、シャロンはコクコクと頷いた。
 彼女は先程からずっと気が気ではなかった。
 冷静に客観的に見れば、海人が何をしようが自分はおろかシェリス一人でも何もさせずに取り押さえられる。
 
 が、その判断を疑ってしまうほどに、海人の雰囲気は恐ろしかった。
 強い、凄い、とかそういう過程を全てすっ飛ばして純粋に恐怖だけを煽られるのだ。
 反射的に臨戦態勢レベルの殺気を放ってしまうほどに。
 
 結果として海人の放つ殺気じみた剣呑な空気と合わせ、開戦直前のような空気が流れてしまっていた。
 しかも今回、主からは何があろうと手出し無用と厳命されている。万一でも海人を殺すわけにはいかないのだと。
 
 いざとなれば己の命に代えてもシェリスを守らなければならない身としては、命をカンナでガシガシ削られている気分だった。 
 
「それはすまなかったな。我ながらまだまだ修行が足りんようだ」

 軽く会釈すると、海人は数度深呼吸を行い始めた。
 深い息が吐かれる度に、彼の剣呑な雰囲気がどんどん和らぎ、深呼吸を終える頃にはいたって普通の空気に戻った。
 それを見て、シェリスとシャロンの肩の力が抜けた。
 双方で作り出していた不穏な空気も霧散し、和やかな物へと変わる。

「単なる苛立ちからの八つ当たりだ。悪かった」

「いえ、こうも不運が重なれば苛立つのも無理はありませ……あ、言い忘れましたが、アリスさん達があの宿に泊まった事だけは偶然ではありませんよ」

「ん? どういう意味だ?」

「元々あの宿はイザベラ老が病人の静養のために造った宿なんですよ。
この町は子供連れの観光客も多く訪れるんですが、以前は利便性の関係で表通りにしか宿がなかったんです。
それだと来る途中で病にかかった時に落ち着いて休める宿が無い、という事で建てられたんです。
で、そのまま現在もこの賑やかな町で病人がゆっくり休める唯一の宿なんです。
そういうわけで、病人がこの町を訪れた時はほぼ必然的にあの宿に泊まります」

「……なんの慰めにもならんが、不運の要素は一つ消えたか」

 額を揉みながら、海人は弱々しく呟いた。
 
 とりあえずアリス達が偶然あの宿に泊まった、という点は消えた。
 リリーの性格を考えれば休ませるためには静かな場所しか選べないだろうし、
それが無くとも完治までにかかる薬代を考えれば、少しでも安い宿にするのは主婦として至極当然の心理。
 情報が不足していただけで、不運というほどのものではない。 
 
 が、だからと言って現状が変わるわけでもなく、海人の落ち込みが改善されるほどの話ではなかった。   
 
「落ち込んでおられるところ悪いんですが、結局あれが貴方によるものだと認めていただけるんでしょうか?」

 ずい、と身を乗り出し、海人の顔を真っ直ぐに見つめる。
 
「状況証拠だけとはいえ、揃いすぎているからなぁ……ま、認めるしかなかろう」

 投げやりに天を仰ぎ、海人は明確に認めた。
 どこかヤケクソ気味な男に、シェリスは満足半分、同情半分な頷きを向ける。

「それは何より。では確認しますが、チョコレートに混ぜたと思しき薬。
通常の肺死病にも同様の効果はありますか?」

「ある。ちなみに治療期間は最長一週間だ」

 実際はもっと短くなりそうだが、という言葉はあえて飲み込んだ。
 肉体強化の併用を行えば間違いなく一週間はかからないはずだが、検証するためのデータが無い。
 データを集めるためには患者一人一人を己の手で診断する必要があるが、海人はそこまでする気は無かった。

「それはなんとも理想的ですね。ちなみに、最初のお願いの御返答は?」

「……その前に、シャロン嬢をこの場から外してくれ。今から話す内容は聞かれたくない」

「分かりました。シャロン、護衛はいいから近くのカフェで紅茶でも飲んでなさい」

「そ、そういうわけには……」

 絶対であるべき主の命に、シャロンは素直に頷けなかった。

 理由自体は納得できる。信用の有無に関わらず、聞かれたくない話はあるだろう。
 が、彼女は護衛である。しかも普段はローラ以外の者が護衛をする時は三人以上付くのだが、今日は一人。
 急なローラの出張だったので人手が足りず、街中という事もあってシェリスが一人で良いと言ったためだ。
 とはいえ、いくらなんでもその一人が主から離れて休んでいる事などできるはずがなかった。
 
 主の命は遵守という使用人精神と護衛としての責任感の狭間で葛藤するシャロンに、海人が助け舟を出した。

「会話さえ知られなければいいわけだから、表通りを向いて路地の入り口にいるだけでも構わんぞ」

「ありがとうございます。シャロン、従いなさい」

「は、はい……」

 主の二度目の命令と、一応有事には一瞬で駆けつけられる位置という事で、シャロンは渋々頷いた。
 トボトボと背中に不安そうな影を背負い、言われたとおりの場所へ向かう。
 スカートの下から取り出された組み立て式のハルバードが組み上げられる様子を眺めながら、

「さて。率直に言うが、あれは製造過程に色々特殊な工程が絡むんで、ぶっちゃけ教えられん」

 海人は彼にとって当然すぎる返答を口にした。
 当然ながら海人が使った抗生物質の製造過程は近代技術のオンパレード。
 教えられるはずがなかった。 

「――私、とっても困ってしまうのですが」

 きっぱりとした言葉に、シェリスの顔が引き攣る。
 素直に教えてもらえるとは思っていなかったし、彼女はそれを想定して破格の条件を用意してきていた。
 が、流石の彼女も交渉する前にとりつく島もなく断られるとは思っていなかった。
 
「私としても困る。こんなつまらん事で折角の良好な関係を崩したくは無いし。
ここはお互い妥協するのが最善だと思うが?」

「……具体的にはどのような案でしょう? それによって随分変わります」

「必要な分の薬を必要に応じて私が用意するというのは? 私としては相当な譲歩なんだが」

「そうかもしれませんが……その特殊な工程とやら、どうしても教えていただけないんでしょうか?」

「教えられん――やはり、製法が必要か?」

「はい。これでも貴族の端くれですから。民の未来を考えて行動せねばなりません」
 
 真っ直ぐに頭一つ大きな男を見据える。
 薬を貰うだけでは、どこまでいっても一時しのぎにしかならない。
 製法があれば、材料さえ揃えば遠い未来でも薬が尽きる事は無い。
 民の幸福を考えるべき貴族として、製法を手に入れる事を第一に考えるのは当然だった。  

「だろうな。正直、君のそういう点は好ましいんだが、こちらとしても譲れない」

「――私の全力を注ぎ、カイトさんの存在の隠蔽を行います。それでも駄目ですか?」

「駄目だ。そもそもいかなる隠蔽も完全でないというのは君も分かっているだろうが」

「ならば薬だけいただいたとしても条件は同じはずです」

「いいや。薬だけなら、君と私の取引で済むが、製法となれば他の多くの人間が密接に絡む。
その分隠蔽が崩れる可能性も高くなる」

「それは、そうですが……」

 海人の言葉で、シェリスの口調に淀みが生じた。
 彼の言うように、どんな隠蔽工作も完全はありえないし、関わる人間が多くなればなるほど綻びの数も増える。
 そして、一箇所綻び始めれば、隠蔽内容が全て露呈するまでさほどの時は必要ない。
 言葉を否定できず、さりとて引き下がる事も出来ずにいたシェリスに、海人は一気に畳み掛けた。

「必要に応じて薬をその都度都合する。これが最大限の譲歩だ」

 海人の纏う空気が、再び圧力を伴う。
 これを受け入れなければ交渉は完全に打ち切られる。
 シェリスはそう悟り、これ以上の条件を引き出す事を諦めた。

「はあ……これ以上は無理ですか。分かりました。
では、必要に応じてその都度お願いするという事で。ちなみに、報酬はどのぐらいが御希望ですか?」

「全部ひっくるめて五百万」

「その程度でよろしいんですか?」

 シェリスは目を見開き、思わず問い質した。
 それほどに要求額は少ない。現行の肺死病の治療薬を使った、一人当たりの完治までの費用にも届かない。
 その程度の価値とはとても思えなかったがゆえの言葉だったが、

「一応少しだけ悪いとは思ってるんだ。君の立場からすれば製法が欲しいのは当然だからな」

「その詫び、ですか……なら、ありがたく受け取っておきます」

 海人の態度で、シェリスは言葉に嘘が無いと悟った。
 未練はたっぷりあるが、これ以上は相手の気分を害するだけで益は無い。  
 そう判断したシェリスは笑顔を作り、海人に一礼した。

「予想以上に時間をお掛けしてしまいましたね。
貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」

 遮音魔法を解き、路地の入り口で待機している部下を伴ってシェリスは去って行った。
 その背中はどこか暗く、交渉結果に対しての無念さをうかがわせる。
 その寂しげな様子を見送りながら、海人はポツリと呟いた。 

「……もう少し私の心が強ければどうにかなったんだろうが、な」

 海人は内心で歯噛みしていた。
 実のところ両者に都合の良い解決策が無かったわけではない。
 研究機材を使える以上、海人の頭脳を持ってすれば、この辺りの技術で可能な薬の作成法の開発は不可能ではない。
 まして、こちらには魔法という技術や彼の世界には無かった薬草などもあるのだ。やりようはいくらでもある。

 しかし、彼はそれを選択できなかった。
 研究機材を使うためには、また屋敷に行く必要がある。
 何をどう足掻こうが、またルミナスに連れて行ってもらわねばならなくなるのだ。
 当然ながら事情の説明などできるはずもないため、また理由を語らず頼みをきいてくれという話になる。
 先日のルミナスのもどかしそうな、悲しそうな表情を思い出すととてもそんな事は出来なかった。
 
 そこまで考え、海人は一点、ただ一点だが、あまりに致命的な見落としをしていた事に気づいた。

「――ははっ、どこまで愚かなんだ私は。少し待ってもらえばそれで済んだ話じゃないか」

 早く帰らねばならない事も忘れ、海人は悲しげに笑った。
 
 海人がルミナスの家に居候している期間は、彼女に次の仕事が入るまで。
 そして、その日はさほど遠くないはずだった。
 ルミナスとシリルは一流の傭兵であり、高名な傭兵団の一部隊を率いる隊長と副隊長。
 海人の居候からだけでも既に二ヶ月近く経過している。
 これだけ期間が開けば、もはやいつ召集がかかってもおかしくないはずなのだ。 
 その後ならば、研究などいくらでもできる。

 いつのまにか、あの家での生活が当たり前になっていた自分に気付き、海人は自嘲した。

「ああ――ルミナスもシリル嬢も優しいからなぁ……いつの間にか、甘えていたんだな。
あの温かい家でいつまでも暮らせるわけが無いというのに――」   

 ここしばらくの穏やかな生活を思い返しながら、海人は空を見上げた。
 その色は、同居人二人の心根を示すかのようなどこまでも澄んだ爽やかな蒼。
 しばしそれを見上げた後、海人は息を一つ吐いて宿へと歩き始めた。
  
 ――近くの建物の上に、呆けている同居人達がいた事にも気付かず。





コメント
はじめまして
某掲示板時代から読ませていただいていた者です。
今回の海人は前の人工血液の件があるのにうっかりが過ぎますよね。
いっそのこと、素直にシェリス嬢にこの薬を自前で作成する予算を計算して言ってしまうというのも手かもしれませんが、そうなると国家予算何百年分になるんだろうか…
破格の条件っていっても最大に見ても一都市の年間予算程度でしょうしね。
[2010/03/07 22:35] URL | とある人 #vXeIqmFk [ 編集 ]


リリーのテンションが予想以上に高かったです……
今回もおもしろかったです
最近は日曜日のこの更新が1番の楽しみと言っても過言ではないかもしれません
海人のプレッシャーはどれだけですか……
一応非戦闘員が超ハイスッペク戦闘員のローラレベルってすごすぎでしょうに
海人は個人の戦闘能力と気配は微妙にアンバランスですよね
まあ、知識と武器が以上なのでそれ相応と言えばそれ相応ですが
さて次回の同居人の反応がどうなるやら
[2010/03/08 00:42] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


更新お疲れ様です。
いやー、リリーの体調が良くなっているようでなによりですわww
しかし薬物混入バレましたな。
これで取引相手がシェリスでなく強欲な人とかだったら監禁されて搾り取られるでしょうなぁ・・・

取引を盗み聞き(見?)してた家主+αの反応がきになりますwwww
[2010/03/08 01:26] URL | ズー #B1FehmyE [ 編集 ]

はじめまして^^
某掲示板でこの作品に出会いかなりの偶然を伴いここにたどり着いて一気に読み漁りました。

何度も読み返せる良い作品だなぁと思いつつニヤニヤしながら読んでました。

さて今回の感想ですが、今回の件は確かに海人のうっかりというか低確率が乱立しまくったとしか思えない複線に吃驚ですねぇ…

八つ当たりで最凶メイドと同等の圧力かますとか…白衣の中に水爆でも仕込んだのかと…(マテ

まぁそれでもリリーちゃん全快は良かったです。

もしかして…とか思った時もしばしばありましたので…

そして読唇術を使って会話を聞いてしまったルミナス達はどういう行動をするのか…

私的には別れとかは好きじゃないのでそういう方面に行って欲しくはないのですが…

というか…いっそ三人で小規模はーれm(黙れ)

とにもかくにもこれからも楽しみにしております。
[2010/03/08 11:06] URL | リョウ #X5HgHQV. [ 編集 ]

はじめまして
以前から読ませて頂いていたのですが、今回初コメントを

毎回面白い、のですが、毎回首を傾げてしまいます……

明確に説明できないのにこの様な指摘もお門違いかとも思いますが

敢えて言うなら、降りかかる災難が恣意的に思えます。

もちろん小説なので作者様の考えによる災難なのですが

今回の不幸に起因する薬事件だけでなく、他の事件もどこか原因に納得しかねると言うか

ストーリーの為に強制的な道筋がつけられている様に感じました。


個人的に、自分の中での自然な流れというものを気にする性質故の意見ですが、一考してもらえれば幸いです。

続きに期待しています。

忙しい中更新も大変かもしれませんが、応援しています。
[2010/03/08 20:14] URL | ナリ #RFphBmaY [ 編集 ]

おはつに~
朝から一気に読みました。初めは色々な検索サイトに引っかかる程面白いのか疑問でしたが進むにつれてとても面白く引き込まれました。

科学が露見すると間違いなく国家規模で追われる技能ですし

更新楽しみにしてます
[2010/03/11 13:21] URL | 匿名希望? #aEmTB4nk [ 編集 ]

はじめまして
某所の頃から楽しく読ませて頂いています。

前回、今回の感想なのですが、なぜ、シェリスは立場上まだしもルミナス達に、ここまで研究施設(科学技術)?を隠さなければいけないのかが、いまいちわかりませんでした。

もちろん他の人たちにばれるのはマズイと思うのですが、創造魔法、高性能銃器、ロケットブースター?、爆弾、未知のおいしい食べ物等、粗方知られてるわけで、もしルミナス達から秘密が漏れると思っているのなら、こんだけバレてる時点でアウトじゃないのかと。
個人的に秘密の重要度からいって創造魔法>科学だと感じたのでなおさら疑問に思いました。

と、なんか批判的な感想ばっかで申し訳ないのですが毎回楽しみにさせて頂いています。
次回も期待しています。

[2010/03/11 16:53] URL | レキ #wLMIWoss [ 編集 ]

はじめまして
更新お疲れ様です
こういう大人な方の異世界来訪物は本当に少ないので、楽しませていただきました
無駄に熱血なのが多いですからね…本当に面白かったです
創造魔法…彼との組み合わせは本当にチートです
彼なら…戦略or戦術兵器とかもバラしてそry
何にせよ、これからどんな展開になるのか目が離せません
どうか無理せず更新頑張ってください
[2010/03/12 10:47] URL | ライ #8BzXdzEE [ 編集 ]

カイトが呪われてる?
読唇術でカイトの功績とリリーの病気が重病「だった」ことなどを知ったルミナスとシリルの今後の行動が楽しみです。

この20話は、なんとも、創造神「九重十造」の意図が出すぎているように感じます。
リリーが重病だったことは、単なる不幸であったと言えることですが、リリーが普通の肺死病でないことが偶然知られたこと、チョコレートは美味しいがカイトが一日一個しかくれないことを愚痴ってた相手が「偶然」大物であったこと、リリーの親が予約した宿が「偶然」大物所有の宿だったこと、なんとも偶然が多い…。

あえて偶然を否定するなら、リリーが通常の肺死病でないかもしれないことを大物が知る。その新肺死病に対する従来の薬の効きをコッソリと実地で知ろうと画策。これくらいのことならありそうだと思うのだが…。
[2010/03/18 20:55] URL | Gfess #knJMDaPI [ 編集 ]

なんだかなぁ
基本的には面白いので読み進めているのですが、主人公に対する理不尽が過ぎるような気がします。女性陣のわけの分からない理由での過度な暴力、情報の開示するのが当然だと言うように迫る横暴さなどです。主人公がそれを当たり前かのように受け止めているのもなんだか気持ちが悪いです。独立してほしくなる……。
[2012/12/09 21:01] URL | #9ncSqkdU [ 編集 ]

うーん
女性陣がかなりウザい。意味不明で理不尽な暴力、魔法で作ったもののカツアゲ、情報開示の強要。(登場する女、どいつもこいつもジャ○アンばっかり)
主人公は恩義を感じてるみたいですが、実際はあんまり助けてもらってないから。
一見親切そうに振舞ってるけど、実は主人公に迷惑しか掛けてない。(特にシリルは精神が未熟だからしかたないのかな・・・と思ってたら、実は二十歳だったとか・・・、成人してる人が、この態度とるのは、ちょっと頭おかしいんじゃないかと思う)
物語(主人公の活躍)は、面白くて楽しんでいますが、正直、女性陣の態度が不愉快でしかないです。
[2014/12/05 00:20] URL | ひさちん #- [ 編集 ]


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