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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄21
 すっかり遅くなってしまった海人が宿に戻ると、帳場には誰もいなかった。
 空き部屋の清掃をしているような音もしない。
 どうやら、ここの女将は買物か何かで外出しているらしかった。

 これに関してはある意味幸運。海人はそう思っていた。
 正直、顔を合わせたら八つ当たりで一番厄介な人間に厄介な情報を回した人間をぶん殴りかねなかった。
 実のところかの御老女は若き日には護衛いらずと呼ばれた武闘派貿易商人であるため、
海人程度では返り討ちが関の山なのだが、彼がそんな事を知る由も無かった。

 身の程知らずな安堵をしつつ目的の部屋に入ると――空気が沈んでいた。
 その空気の発生源は彼の同居人二人。
 普段なら海人がドアを開ける前には勘付いている二人が、今回は部屋に入っても気付いていない。
 訝しげに思った海人がルミナスに声を掛けようとしたところで、二人は彼の存在に気付いた。 

「……あ、おかえり。遅かったわね」

「あ、ああ、色々手間取ってしまってな。
詫びというわけではないが、おまけにそこでクッキーなど買ってみた」

 珍しく暗い雰囲気のルミナスに戸惑いつつも、海人はすぐ近くの店で買ったクッキーを差し出した。
 封を開けると、途端に甘い香りが部屋中に広がった。
 その匂いを嗅いだ瞬間、心配そうに叔母達を見ていたリリーの表情が一変した。

「わ、美味しそう! ねえねえ食べてい~いっ!?」

「どうぞどうぞ」

 海人の言葉とほぼ同時に、リリーはバクバクバクッ! と凄まじい勢いでクッキーに齧りついた。
 が、リスのように頬張る彼女とは対照的に、普段なら食いついてくるであろうルミナスとシリルの反応が悪い。
 一応二人共美味しそうにクッキーを頬張っているのだが、あからさまに食べる速度が鈍いのだ。

 原因を探るべく、海人は心配そうな目で妹達を眺めている女性に小声で訊ねた。

(アリス女士、私がいない間に何かありましたか?)

「え、ええ、ちょっと……なぜか急に落ち込み始めたんですけど」

 海人の問いに、アリスはどもった。
 彼女は先程海人より一足早く帰ってきた二人から、捜しに行った事に関しては言わないよう口止めされている。
 一応リリーも同様に口止めを受けているが、元々が天真爛漫お気楽極楽暴走食道楽娘。
 甘い香りを放つ焼きたてクッキーを目にした瞬間、落ち込んでいる叔母達への心配はひとまず棚上げし、
母達の会話も耳に入らない様子で食べる事に専念していた。

「別に落ち込んでないわよ、お姉ちゃん」

 弱々しく微笑んだルミナスの言葉――正確にはその一部に、アリスの目が細まった。
 すっと妹の頭に両手を伸ばし、強引に自分と目を合わさせた。

「シリルちゃんとカイトさんの分の宿代も出すから今晩はここに泊まってきなさい。
お部屋もここの両隣は空いてるから問題ないわ。
じっっっっっくりとお話聞かせてもらうわよ」

「ほ、本当に大丈夫よ。なんでもな……」

「ルミナス? お姉ちゃん聞き分けの無い子嫌いなの忘れたかな?」

 妹の言葉を遮り、しとやかな笑みを向ける。
 その笑みには異様な迫力があり、抗えない気迫があった。
 その迫力たるや、アリスの背後にいてそれを全く目にしていない海人ですら脂汗を流しているほど。
 リリーも食べる手は止めていないながらもいつの間にか海人の背後にすっぽりと隠れており、シリルまでルミナスの背後に隠れている。
 当然、それを真正面から向けられたルミナスの反応は、推して知るべしだ。 

「は、はい……悪いけど、カイトもいい?」

「別に否やはないが、先程戻ってきた時の様子からすると、今女将がいないようなんだが」

「あ、大丈夫です。帳場の所に空室チェックのカードが置いてありまして、
使う部屋の番号の横に名前を書いておけばいいんですよ」

「では、書いてきましょう。ここの両隣ですね?」

「ええ。それと……申し訳ないんですけど、カイトさんには席を外していただきたいんです。
女同士でしか出来ない話というのもありますので……」

「分かりました。私も私で少し考えたい事がありましたので、名前を書きがてらそこらの店で適当に時間を潰してきます」

 言うが早いか、海人は早々に踵を返した。
 が、ドアノブに手が触れる直前、ルミナスが慌てた様子で彼の腕を掴んで止めた。
 
「ちょ、ちょっと、絡まれたらどうすんのよ!? 
いくら荒くれ者が減ったって言っても夜中は危ないんだから、部屋で大人しくしてなさいって!」

「それに関しては大丈夫だと思うがな。気は進まんが、いざとなればある程度対処できる事は知っているだろう?」

 その言葉に、ルミナスは渋々手を離さざるをえなかった。
 運も絡んでいたし最後は危なかったが、海人は以前エルガルドの精兵数人を返り討ちにしている。
 素手では危なかろうが、装備さえあればそこらのチンピラなぞ物の数では無い。
 が、もしもの事を考えて、注意は付け加える事にした。

「……分かった。でも、やばい事になったら逃げながら派手にやらかしなさい。
即座に助けに行くから」

 心配そうなルミナスの言葉に海人は薄く微笑み、頷いた。
 そしてそのまま軽く後ろ手を振りながら部屋を出て行った。
 そしてしばし待ち、窓から海人が宿の外に出たのを確認し、アリスは娘に声をかけた。

「それじゃ私はルミナス達とお話してくるから、大人しくしててね?」

 はーい、という元気な返事を聞きつつ、アリスは隣の部屋へと移動した。
 間取りは泊まっている部屋と同じだが、この部屋は清潔感で溢れている。
 使われていなくとも清掃は一切怠っていない事が良く分かる部屋だ。

「さ、何があったのか言ってごらんなさい」 

 ベッドに腰掛けながら話を促すアリスに、ルミナス達はぽつりぽつりと一通りの事情を説明した。
 ただし、リリーの治癒に関する事などの詳細な情報は隠したまま。
 自分達が知らぬ間に海人に大きな恩を受けていた事のみを。

「なるほど、それで様子がおかしかったのね」

「……うん。正直、まだ混乱してる」

 話してもらえなかった理由は、分かる。

 実際、リリーの病が既存の薬では治らないと聞かされても、素直に信じたかどうかは疑わしい。
 下手をすれば海人が妙な事をしないか警戒し、チョコレートを食べさせなかったかもしれない。
 妙な所で甘い性格の海人の事だから、自分達に心労を掛けないように、という目的もあっただろう。
 
 それでも話してほしかった、という思いは拭いきれないが。

「う~ん……あなたはどうしたいの?」

「とりあえず、どうにかして恩は返さないといけないと思ってるんだけど……どうすればいいのかしら」

 ルミナスは非常に困っていた。

 可愛い姪の命を助けてもらった事は感謝してもしきれない。
 言葉などではなくもっと直接的な礼をしたいが、創造魔法が使える海人相手では大概の物が空しくなってしまう。
 海人は今職に就いているわけではないので、仕事の手伝いも不可。
 となれば出来る事なぞ肩揉み程度のものだが、いくらなんでもそういうわけにはいかない。

 むむむ、と珍しく難しい顔で悩んでいる妹に、アリスは一つ問いかけをした。
  
「一つ聞きたいんだけど、カイトさんはあなた達にそれが知られないように振舞ってたのよね?」

「そうみたいだけど……」

「なら、大それたお返しをするべきじゃないんじゃないかしら。
それこそ、いつもより美味しいお料理を食べさせてあげるとか」

「いや、さすがにその程度じゃ――」

「ルミナス、逆の立場で考えてみなさい。
あなたが本人に悟られないようにカイトさんの命を助けたとして――そんな凄いお返しされたら、かえって悲しくならない?」

「あ……」

 姉の言葉に、ハッとなった。
 確かにアリスの言う通りであった。
 恩を受けてそれに見合ったお返しをするのは悪い事ではない。
 だが浅い付き合いの人間ならばともかく、友達にそんな事をされたら他人行儀のようでむしろ悲しくなる。 

「そういう事。ただし、知ってしまった事はちゃんとカイトさんに言いなさい。
気遣いのつもりでもどうせ一生隠し続ける事は出来ないんだし、早めに言った方が問題は起こらないわ」

「……ん、分かった。ありがと、姉さん」

 姉の言葉にしばし考えた後、ルミナスは頷いた。
 同時に、海人へのお返しを何にするかも決めた。
 自分のレパートリーの中で最高の味を誇る、まだ海人に食べさせた事が無い自信作を作ろう、と。
 
「いいのよ。さて、それでシリルちゃんは何を悩んでるのかしら?」

 すっきりした顔になった妹を嬉しげに見やった後、アリスは先程から考え込んでいるシリルに話を向けた。
 さっきから何か話したそうにはしているのだが、どうにも話し辛そうな顔をしていた。
 
「ん~、これについてはアリスさんに相談するわけにはまいりませんわ。
お姉さまと二人で話し合うべき事柄ですので」

 若干申し訳ないと感じつつも、シリルは説明を断った。
 彼女の悩みは海人が最後に漏らした独白。
 そして、それから連想される最悪の事態への想定。
 どうしても説明の過程でアリスに聞かれてはまずい話が出てしまう。

「そう……なら、私はリリーの所に戻った方が良い?」

「ええ、そうしてくださいますと助かりますわ」

 
















 
 宿を出た海人は暗くなり始めた空を眺めながら、適当に時間を潰せる場所を探していた。
  
 多種多様な店が揃うこの町だが、それでもこの先の時間まで営業していて時間を潰せる店となると、酒場か娼館ぐらいしかない。
 後者は初めから選択肢に入らない。亡き妻の事もあるが、元々彼は金で抱ける女性には興味が無いのだ。
 さらに言えば、行ったと仮定しても帰りが翌朝になってしまう。
 
 となれば酒場しかないが、揉め事に巻き込まれる事を心配してくれたルミナスの手前、比較的安全そうな場所を探さねばならない。
 そのため、騒動とそれから発展する喧嘩の坩堝である賑やか過ぎる酒場は却下。
 考え事をする事まで考えれば、なるべく静かで落ち着ける酒場を探さなければならなかった。
 それも、可能ならばいざという場合に備えて宿に近い場所で。

 が、当然そんな都合の良い店などそうそう見つかるはずがない。
 妥協して多少賑やかな店に入るか、はたまた少し足を伸ばすか、と考え始めた時、質素な木の看板が目に入った。
 
「……賑やか歓迎、喧嘩は御法度――ロンドの酒場」

 ふと建物の方に目をやると、素っ気無い店名が描かれた看板が目に入った。
 明かりはついているのだが、客がいないのか少ないのか、静かなものだ。
 今日見た酒場の中では間違いなく一番落ち着いた店。
 海人はすぐさま店の扉を潜った。
  
「いらっしゃい」 

 店に入ると、中年の男特有の低い声が海人を出迎えた。
 声の方を見ると、体格の良い禿頭の男性がグラスを磨きながら笑顔を向けている。
 ざっと店を見渡した限り、賑やか歓迎というだけあって明るい内装だった。
 メニューは素っ気無いボードに羅列されているだけだが、値段はなかなかに良心的だった。 

「マスター、何かお勧めの酒とつまみはあるか?」

「ん~……あんた、酒は強いかい?」

「それなりには」

「なら、この酒と当店特製レバーパテだな。相性は最高だぜ」

 どうする? と訊ねてくる店主に海人は軽く頷きを返した。
 それを確認すると、店主は取り出したグラスになみなみと透明な液体を注いだ。
 そして、見るからにクリーミーな色彩のレバーパテを皿に乗せ、パンを添えて出した。 

 海人が早速味見をすると、お勧めなだけあってなかなかの味だった。
 まず、レバーパテにレバー特有の臭みがほぼ皆無。
 基本といえば基本だが、良く味わっても簡単には気付かないとなると、これはかなり珍しい。
 しかもレバーの旨味をたっぷりと残しながら、生クリーム系の濃厚さが加わっている。
 それを乗せるパンはさして特別ではないが、それでも濃厚なパテを受け止めるだけの力はある。
 
 さらに出された酒とつまみを合わせると、これがなかなか相性が良かった。
 かなり強い酒ではあるが、パテと合わせるとの旨味を膨らませつつも濃厚な後味をさらりと流し、
飲んだ後にはすっきりとした酒の後味しか残さない。
 酒の質自体は高い物ではないが、きちんと吟味して勧めている事が良く分かる相性の良さだった。

「美味いな。ついつい酒が進みそうだ」 

「そりゃ良かった……で、兄ちゃん、悩みがありそうな顔してっけど、何かあったのかい?」

「む、そんなに顔に出ていたか?」

「いや、実は半分勘。あんた、あんまり表情変わらねえよ」

「そうか……」

「誰かに話すと楽になるって事もある。気が向いたら話してくんな。
どーせ今日は他に客いねえから、立ち聞きされる心配もねえ」

「普段は客が多いのか?」

「まあ、今よりはな。常連の爺さんが、一人でもやたら賑やかだったおかげで
それに釣られて入ってくる客が多かったんだが、な……」

 やたらと遠い目で、天井を見上げる。
 まるで戦場に散った友人を偲ぶかのようなその様子に、海人は黙した。
 しばし、店に静寂が満ちる。音は海人が時折グラスを傾ける音のみ。
 陰気と言えば陰気な空気ではあったが、考え事をするにはもってこいの雰囲気だった。
 が、程なくしてそれは粉々に打ち砕かれた。 
 
「ふぉ~ふぉっふぉっふぉ、邪魔するぞい!」

 威勢の良い笑い声を上げながら、豪放磊落な老人が入店した。
 聞き覚えのある声に、海人は思わず酒を噴出しかけた。
 そんな海人に気付く事無く、店主は甦った死者を見るかのような面持ちで

「オ、オーガスト爺さん!? 再起不能じゃなかったのか!?」

「ふ、流石にかなりのダメージがあったが……あの程度でどうにかなるワシではない!
むしろ、わしは今回の復活に当たってパワーアップを果たした!」

「パワーアップ?」

「ふっふっふ……踏まれ蹴られなじられるも美女相手であれば快楽となる!
それに開眼したわしを止められる者はもはやこの世にはおらぬ!」

「パワーアップって変態の度合いかよ!? って、どうしたい兄ちゃん、派手に突っ伏して」

「あ、あれだけの目に遭わされてよくもまあ……」

 木製の重厚なカウンターに突っ伏しながら、海人は呻いていた。
 正直やりすぎたかと思っていた事を己の糧に変えてしまった老人に、もはや言葉も出なかった。  

「おお、カイト殿ではないか。どうしたんじゃ、こんな所で」

 そんな海人に含む様子もなく、オーガストは気軽に声をかけてきた。
 どうやらこの老人、海人の悪魔の所業を気にも止めていないらしい。

「……諸事情により日付が変わるまで時間を潰さなければならなくなったんですよ。
で、ちびりちびりと酒とつまみを楽しんでいるところです」

 グラスを掲げ、オーガストに見せる。
 本日一杯目のその酒はまだ半分以上残っており、脇にある皿も一口二口しか手をつけられていない。
 
「そりゃあちょうど良かった。前言った酒奢るって約束まだ果たしてなかったかんな」

「お、ゲイツもいたのか。ここには良く来るのか?」

「いんや。今日は爺さんとの生還祝いだ。普段は酒場自体あんま使わねえ」

 海人の問いに苦笑いを浮かべる。
 ゲイツは普段、酒場にはあまり来ない。
 酒場に限らず店で飲む場合、大概の場合は酒を自分で買って飲むより高くつくためだ。
 加えて酒を飲めばつまみも欲しくなるため、どう足掻いてもかなりの出費になる。
 そこで、彼はあらかじめ安い酒をまとめ買いして、自分でつまみを作って家で飲んでいる。
 結果として変な店に行くよりは安く、そして上質な楽しみを得ている。

 これだけ聞くと倹約家のようだが、実際は婚約者に言われた事をほぼそのまま実行しているだけであり、
ゲイツ自身は経済観念に乏しい。
 結婚前からしっかりと手綱を握られ、既にカカア天下が確定している、ある意味幸せな男であった。

「いかんぞゲイツ。若い頃にしっかりと美味い味を楽しんでおかねば。
年をとれば楽しめなくなってしまうのじゃからな」

「婚約者がいて結婚資金貯蓄中の身としちゃそうもいかねえっすよ。
ま、どーせ結婚してからも財布の紐は握られっぱなしだと思いますけどね」

「ふぉっふぉっふぉ、スカーレット嬢ちゃんはしっかり者じゃからなあ。
で、どうしたんじゃカイト殿。妙に沈んどるようじゃが」

 身を乗り出すわけでもなく、オーガストは極めて自然体で訊ねた。
 が、さり気なく海人の横の席に座ったあたり、興味が無いわけではなさそうだ。

「う~む……強いて言えば、自分の間抜けさに嫌気が差していると言ったところでしょうか」

「ほう、何があったのじゃ?」

「……まあ、今の生活に関してかなり致命的な失念をしていたという事です」

 真横にいるオーガストに視線を向ける事無く、海人はぼやいた。
 
「今の生活って……たしかお前ルミナスのとこに居候してるんだったよな?」

「ああ。なかなか楽しい生活を送らせてもらってる」

 ゲイツの言葉に、苦笑で応える。
 だが、一応は薄い笑みを作っているその表情は、どこか暗い。
 その視線も物憂げに揺れているように見える。
 それを見て、オーガストは海人の悩みに勘付いた。

「……なるほど、それが続かぬ事に気づいてしまったんじゃな?」

「まあ、その通りです。他にもありますが、ね」

 労るようなオーガストの視線を受け流しつつ、海人は視線を宙に彷徨わせる。
 実のところ、今の生活が続かない事自体は諦めがつく。
 平穏が続かないという事は身を持って知っているし、元々一人には慣れている。

 それに、家を出たところで会えなくなるわけでもなく、友達関係を続ける事は無理では無いだろう。
 
 ――それをひっくり返してしまう、最悪の可能性さえ考えなければ。

















 リリーのいる部屋のドアが閉まる音を確認し、シリルが部屋に遮音魔法を使った後、ルミナスが問いかけた。

「で、あんたの悩みってのは?」

「最後のカイトさんの独白、お姉さまもお聞きになりましたわよね?」

「そりゃあ、ね。私も似たような気持ちだし……でも、会えなくなるわけじゃないし、
仕事が終わったらあいつの屋敷に遊びに行けばいいだけじゃない」

 寂しげに、呟く。
 理性で納得はしていても、感情が納得していないのが良く分かる様子だった。
 しかし、シリルが問題にしているのはそこではない。
 それどころか、ルミナスにとっては考えたくも無いであろう最悪の可能性。
 ただでさえ落ち込んでいる彼女に言うのは躊躇われたが、シリルは意を決して口を開いた。
  
「……お姉さま、私達は所詮傭兵。雇われてこの国の敵方につく事も不思議ではありませんわ」

「あ……!」

「先に申し上げておきますけれど、それほど心配の必要はありませんわ。
シェリスさん達が上手く立ち回り続ける限りは、問題ないでしょう。
いつぞやの一件のような事態はそうそう起こるものではありませんし」

「確かにそうだけど……そうか、そうよね……考えられない話じゃないんだ。
はあ……気が緩んでたわね」

 顔を激しく顰め、自戒する。
 たしかにシリルの言うように可能性は高くはない。
 だが、傭兵団の一隊を預かる者として、考えておかなければならない事でもあった。
 今までまるで考えていなかったのは言い逃れも出来ない怠慢。
 長期間続いた日常ですっかり自分の意識が弛んでいた事に気づき、ルミナスは猛省した。

「そうですわね。ですが、悪い事ではありませんわ。
傭兵だからといって平和を楽しんではいけない法はありませんもの。
休みの時ぐらいゆったりのんびり過ごしたくなるのは当たり前ですわ」

「ん、まあそうだけど、我ながら緩みすぎてたと思ってね。
万が一だろうがなんだろうが、この国と敵対する可能性は考えておかなきゃいけなかったわ。
その時にカイトがどう動くかは分からないけど――あらかじめ、ちゃんと話しておかないといけなかったのよ」
 
 厳しい表情で拳を握り締める。
 いざこの国と戦うとなれば、海人の存在は放置できない。
 また、シェリスやローラが確実に放置しない。
 そうなれば、海人に直接刃を向けるような事も考えられない事ではない。
 友達であればこそ、それは話しておかなければならなかった。

「で、どう切り出すおつもりですの?」

「そのまんまよ。もしも敵対する事になったら――」

 そこで、ルミナスの言葉が止まった。
 今まで何度となく行ってきた事を口にするだけ。
 そのはずだというのに、舌が動かず音にはならなかった。
 代わりに出たのは、ギリ、という鈍い歯軋りの音。

 シリルは強く握り締められたルミナスの手を優しく握り、声を掛けた。

「その点は安心なさってよろしいかと。
あの方の事ですからもしそうなってもそう簡単に殺されてはくださらないでしょう……問題があるとすればその後ですわ」

「なんで? お互い生き残ったんならそれで万々歳じゃない」

 一転して深刻な面持ちになったシリルに、ルミナスは首を傾げた。
 
 ルミナスの感覚からすれば、敵対しても海人が死ぬような事にならなければ問題は無いはずだった。
 傭兵としてはそれが当然なのだが、彼女は決定的な事を忘れている。
 
 ――否。海人に刃を向ける可能性を話しておかなければならないと思っている事からすれば、
無意識に考えないようにしているのだろう。
 
 それをひしひしと感じながら、シリルは苦しさを押し殺し、現実を突きつけた。
 
「色々常識外な方ですから忘れておられるのかもしれませんが……カイトさんは一般人ですわよ?」

 努めて淡々と述べられた言葉に、ルミナスの顔が青褪めた。






















「……ふむ、あの二人が侵略者になる可能性かの?」

「鋭いですな。流石は年の功、と言うべきでしょうか?」

「伊達に長生きしとらんでな。それに、それぐらいしかお主が憂う事は考えつかぬわ」

 老獪に笑い、店主から差し出されたジョッキをぐいっと煽る。
 そして一息でなみなみと注がれた麦酒を飲み干してしまった。
 
 たいした酒豪だ、と海人が見事な飲みっぷりに感心していると、

「あー……話が見えねえんだけど」

 困惑した様子のゲイツが訊ねてきた。
 どうやら二人の会話の意味がよく分からなかったらしい。

「やれやれ、頭の回転が鈍いのう。あの二人はエアウォリアーズの一番隊隊長と副隊長じゃぞ?
となればいつまでも一緒に暮らせるはずもなし……雇われて侵略者になる可能性もある。
よしんば本心で嫌がっていたところで、あの二人は部下を捨てて団を抜ける事はすまい」

「あ……そうか」

「実のところ今の生活が続かない事は、受け入れられるんだがな。
もしも彼女らが侵略者になった場合は……正直、どうするべきか分からん」

「家で布団被って寝てな。お前は基本一般人なんだから戦う事なんかねえし、
出来る事も……あ゛」

 労りのつもりで現実を突きつけようとしたゲイツは、言い終える前に自分のミスに気付いた。
 どうにも一般人かそれ以下の体つきしかしていない故に忘れていたが、目の前の男は戦闘における能力を以前実績で示している。
 詳しい事は聞かされていないが、ローラと一緒に戦い、そして極度に珍しい彼女の称賛を受けていた。
 出来る事が無いどころか、戦争が起きたらどこぞの絶世の美女に強引に戦場に放り込まれても不思議では無い。
 最悪、最前線で二人と戦う羽目になりかねなかった。

 言葉を探して空しく人差し指をくるくる回しているゲイツを眺めながら、海人は息を吐いた。

「思い出したか。出来る事があり、それが普通に考えて放置してもらえる事では無いからこそ悩んどるんだ。
実際、シェリス嬢に駆り出される可能性は否定できんし……ルミナス達もプロだから、仲間の事を考えれば放置はできんだろ。
そして、どちらかに付く気にもなれん」
 
「なんじゃ、ルミナス嬢ちゃんの方に付けばよかろうに」

「いえ、シェリス嬢達の事もそれなりに気に入ってるんですよ」

「見事に板ばさみだなぁ……当然俺はシェリス御嬢側になるけど」

「お前だったら遠慮は不要。敵対したら問答無用で暗殺してやるから、遺言はあらかじめ紙に書いておけ」

 くいっ、と一息にグラスを空にし、海人はゲイツに不敵な笑みを向けた。
 単に殺す、ではなく暗殺と言ってるあたり、微妙に冗談に聞こえない。  

「ひでえっ!? お前男女差別激しすぎだろ!?」

「気にするな、一割ほどは冗談だ」

「ああ、そう……ってほとんど本気じゃねえか!?」

 一瞬納得しかけた後、ゲイツは驚愕の声を上げた。
 慌てふためくゲイツを実に愉しそうに眺めながら、海人は冗談だ、と告げた。
 そして安堵の息を吐いたゲイツにギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、ボソリと呟いた。

「そういう事にしておこう」

「聞こえてっからな!? って、あれ? 今度は否定しねえの?」

 底意地悪くからかわれている事に気づかず、急に無言になった海人へ三度身を乗り出すゲイツ。
 これ以上無いほど見事な反応を見せてくれる男を微笑ましく思いながら、海人は二杯目を注文する。
 そしてオーガストの横で、否定しろよ!? と慌てふためいている男を見る事もなく、注がれたグラスを傾けた。
 そうする事によって、ゲイツから巧みに楽しげに吊り上っている口元を隠している。

 とりあえず人をからかう余裕はあるらしい海人を見て、オーガストは穏やかに笑った。
 本当に心底まで思い悩んでいる時は、往々にして悩みにしか頭が回らず、他人を気にかける余裕は無いものだ。
 それだけの余裕があるという事は、既に自分の中で何らかの答えを見つけているはずだ。
 が、一応人生の先達として、そしてこの国の事情を知る者として言葉を掛けることにした。

「ま、あまり気負わぬようにな。
現在はこの国の能ある貴族が全員侵略を未然に阻止する方向に動いておる。
この間のような事がそうそう続くわけもなし、杞憂で済む可能性の方が高いのじゃからな」

「それは知っていますが……諸事情で万が一の可能性とやらが異常に怖くなってましてね」

 再び、視線を宙に彷徨わせる。

 実のところ、海人は理性では心配が杞憂に終わる可能性の方が圧倒的に高いと理解している。
 だが、それで心配が消えるかと言えば、そういうものでも無い。
 今回薬の事がシェリスにバレたのも情報不足と低確率の偶然が重なった末の出来事。
 まして、万に一つどころか億に一つも無かったはずの実験事故によって失った者を思えば、尚の事。

 こみ上げてきた苦々しい感情を飲み下すように、海人は杯を鋭角に傾けた。




















 数時間後、海人達は酒場を出てゆっくりと道を歩き始めていた。
 海人は夜風に当たって酔いを醒ましながら、オーガストは肩で風を切って豪快に歩きながら、
そしてゲイツは酔いつぶれてオーガストに抱えられながら、道を進んでいた。

「……なんだか申し訳ありませんな、私まで御馳走になってしまいまして」

 気前良く全員分の勘定を支払ってくれた老人に礼を言う。
 細かい計算を待つのが面倒だということで、オーガストは豪快に札束をカウンターに置いたのだ。

「よいよい。若い者が遠慮なぞするでないわ。
少しはこの遠慮の欠片もなく飲み食いしまくりおったこの馬鹿ガキを見習った方が良いぞ」

 肩に担いだゲイツを指差しながら、笑う。
 オーガストも飲み食いの量は尋常ではなかったが、ゲイツはその上をいった。
 飲む量もだが、食べる量が凄まじく、そのペースはオーガストのほぼ倍。
 結局ほとんどオーガストとゲイツの二人だけで店のつまみを根こそぎ平らげてしまっていた。

「満腹で動けなくなった上、結局酒の飲み過ぎで暢気に寝入ってる武人を見習うのもどうかと思いますが」

「お主に足りんのはそういう馬鹿さ加減じゃよ。
気楽に、とは言わんがもう少し肩の力を抜いて生きる事がお勧めじゃぞ」

「御忠告、ありがたく受け取っておきます」

 好々爺然としたオーガストの言葉に、神妙な面持ちで頷く。
 
 海人とて自分が真面目すぎる、というか悩みすぎる傾向にある事は自覚している。
 生来の性格に由来するところも多々あるので、治そうと思っても簡単に治るものでもない。
 が、人生の先達からも指摘されるのであれば、治した方が良い事は間違いない。

 思いのほか素直な海人にオーガストは満足気な笑みを浮かべた。 

「素直でよろしい。あ、それともう一つ」

「なんでしょう?」 

「警戒心が強いのは分かるんじゃが、今度はもう少し腹を割って話したいのう」

「……考えておきます」

 ニヤリ、と笑う老人を見ながら海人は敵わない、と思った。
 実のところ、彼の悩みはオーガスト達に話した事以外にもう一つある。
 上手く隠していたつもりの事をあっさりと見抜かれていた事に、人生経験の差を感じずにはいられなかった。

「そうしとくれ。お、どうやらお主のお迎えが来たようじゃな」

 その声に反応してオーガストの視線の先を見ると、空に同居人二人の姿が見えた。
 キョロキョロと地上を見回している事からすると、どうやら海人を探しているようだが、まだ見つけていないらしい。
 それに気付いたオーガストが、真上に向かって下位魔法の光球を放った。

 近くに上がった光の出所を確認した二人がすぐさま下りてくる。
 それを確認すると、オーガストは後ろ手を振ってゲイツを引き摺りながら去って行った。
 程なくして二人揃って海人の前に着地した。

「二人共、どうしてここに?」

「どうしてって……日付変わってから二時間以上経つのに帰って来なかったからよ」

「誘拐でもされたんじゃないかって心配しましたのよ?」   

「そうか、もうそんな時間だったか……心配をかけた。すまないな」

 呆れた顔をしている二人に頭を下げる。
 隠し事は抱えていたものの、なんだかんだでオーガスト達との酒宴は楽しかった。
 なんだかんだで二人共インドア派な海人とは対照的なアウトドア派。
 海人にとっては冒険の話から何から非常に興味深く楽しい話が多く、つい時間の確認を忘れてしまっていた。
  
「ううん、気にしないで。というか、謝らなきゃいけないのこっちだし」

「ん? 特にそんな覚えはないが」

「こっちにはあるのよ。宿に帰ったら説明するから。
眠いかもしれないけど、もう少し付き合ってね」














 海人は宿に着くなり、遮音魔法を使った部屋で二人から一通りの説明を聞かされていた。
 シェリスとの会話を傍受していた事と、その経緯を。

「――っつーわけで、とりあえずありがとう。それと覗き見してごめんなさい」

 ルミナスがペコリと頭を下げ、シリルもそれに倣う。
 が、数分経っても海人の反応が無い。
 それほど怒っているのか、というルミナスの不安を肌で感じたシリルが、恐る恐る口を開いた。

「あの、覗き見を怒られるのは無理もありませんけれど、悪気はありませんでし……ど、どうなさいましたの!?」

 シリルが顔を上げると、海人はガックリと燃え尽きたかのように項垂れていた。
 その脱力ぶりたるや、軽く息を吹きかければそのまま飛んで行ってしまいそうなほど。
 会話の合間にボロを出さないように、と一週間以上神経を尖らせ続けていた男の、哀れな末路であった。
  
「いや、つくづく今回はツイとらんと思ってな。何だこの状況は。
リリー嬢の完治以外は根こそぎ目的がひっくり返されとるじゃないか」

「それに関しては……まあ、頑張ってくださいとしか言えませんわね」

「頑張ってどうにかなるもんでもないが……今更だが、覗き見の謝罪はいらんし、治療の礼も不要だ。
心配して探しに来てくれたわけだし、治療は頼まれもしないで勝手にやっただけなんだからな」

「それじゃ私の気が済まないけど……ま、その話は後にしましょ。
一番重要なのは、次の話だから」

「む――どんな話だ?」

 真剣な面持ちになったルミナスを見て、海人は姿勢を正した。
 彼女の瞳はこれから始まる話が穏やかな物ではないと何よりも雄弁に語っていた。

「私もシリルも傭兵。で、当然だけど、この国の敵側に雇われる事も考えられるわ。
いつまでも、基本一般人なあんたと一緒に仲良く暮らせるはず無いわよね」

「ひょっとして、最後の独り言も聞いていたか?」

「うん……でも、もしこの国と戦う事になっても私とシリルはあんたを殺したくなんてない。
でも、あんたの能力を知ってる以上放置はできない。部下を無駄に殺したくも無いから」

 ぎゅっと手を握り締め、ルミナスは海人を見据えた。
 海人を殺したくない。その気持ちには嘘偽りは無い。
 だが、放置などできるはずが無い。
 海人が以前使っていた凶悪極まりない武器と創造魔法の組み合わせはある意味ローラ以上に恐ろしい。
 
 ルミナスはまず、自分達にとって理想的な案を提示する事にした。 

「そうなる前にうちの傭兵団、入ってくれない?」

「却下だ。分かってるだろう?」

 ルミナスの言葉を、海人は一瞬たりとも迷わず却下した。

「うん、我ながら馬鹿な事言ってるわね」 

 分かりきっていた答えに、ルミナスは儚げな笑みを浮かべた。
 
 海人が却下した理由は先日ハロルドの誘いを断った時と全く同じ理由。
 創造魔法を隠すためには、組織に所属するなど愚行の極みでしかない。

 だが、受け入れてさえもらえれば海人と敵対する可能性自体が消える、最高の案でもあった。

「同じ理由でだが、私はシェリス嬢側に付く事も無い。
私はとりあえず関わりの無い者として無視しておくというのはどうだ?」

「今度はあんたが馬鹿な事言ってるわね。これでも私は一隊率いてる長よ?」

 海人を放置しても大丈夫な可能性もあるにはある。
 トラブルは極力避けて通る海人が自分から危険に突っ込んでくる可能性は低いし、仮にシェリスに協力を強要されたとしても、
海人の性格からして脅されて従うぐらいなら敵を道連れにしての死を選ぶだろう。
 何をしでかすか分からないこの男の事だから、捕まる前にどうにかしてとんずらする可能性もある。

 しかし、シェリスがあらかじめ貸しを幾つか作っていれば、彼女に明確に味方する事はなくとも助力をする可能性は否定できない。
 直接ルミナス達を狙う事はなくとも、味方を潰される事は十分考えられる。
 傭兵団の一隊を統率する隊長として、戦いに際しては危険な可能性を極力潰さねばならない。
 なにより、海人より遥かに長い付き合いの部下や仲間が大勢いるのだ。
 私情のために彼らの危険を増やすなど、できるはずがない。 

 たかが二ヶ月足らずで家族のような関係になった友達。
 数年来共に戦場を駆け抜けてきた数多の部下と仲間。
 どちらも重く、天秤に掛ける事自体間違っているのだろうが、選ばなければならない。
 そして、ルミナスの立場であれば、責任感が強い彼女であれば選べる選択肢は一つしかない。

 ルミナスは悲壮な思いを胸に、海人の目を真っ直ぐに見据えた。

「結局、そうなったらどうしようもないから……お願いが、あるの」

「どんな事だ?」

 不思議と穏やかに尋ねる海人を、ルミナスは微かに息を呑みながら見つめ返す。

 ここが正念場。この要求は傭兵同士の暗黙のルール。
 果てもなく得る物も無い仇討ちの応酬を防ぐための物。
 だが、一般人や軍の正規兵などにはほぼ理解されない、狂気とも言える秩序。
 むしが良い、ありえない、壊れている、などなど多数の言葉で否定されてしまう物。
 ゆえに、言葉を出せば怒鳴りつけられてもおかしくない。
 それどころか、その瞬間に今の海人との関係が崩壊する危険もある。
 この国と敵対する可能性の低さまで考えれば、言わない方が賢明だろう。
 
 それでも、言わずにはいられなかった。
 訊ねずにはいられなかった。

「――もし、もし私が殺そうとしても、戦いが終わったら、水に流して友達に戻ってくれる?」

 やっとの思いで搾り出した言葉と共に、涙が零れた。

 傭兵同士であれば、決して無茶な要求ではない。
 仕事の恨みを戦いが終わった後まで持ち越す事は傭兵の間では疎まれ、それをすれば余程有能な人間でない限り仕事を干されてしまう。
 何度も戦場で殺し合いながら、平時には酒を酌み交わしている者達が珍しくないような業界なのだ。
 
 だが、状況次第で殺人も非道も躊躇わぬ男ではあるが、海人は基本的に一般人。
 そして、敵意を向けた相手にはおおよそ容赦が無い。
 例え仕事が終わった後に両者無傷で生き残ったとしても、今のような関係に戻れる可能性は低い。
 
 ――そんな事は分かっているが、どうしても確かめずにはいられなかった。
 
 返される答えへの恐れから海人の顔を真っ向から見れず、俯く。
 そんな彼女を、男としては若干細い、だが大きな両腕が包んだ。

「心配するな。例え状況ままならず君に殺されようと――友達である事に変わりは無い」

 優しく掛けられた言葉に、ルミナスの涙腺の堰が切れた。
 くぐもった声を上げながら、海人の胸でしゃくりあげる。
 嬉しさと、ありがたさと、そして何よりも大きな安堵によって、ルミナスは実に数分の間海人の胸に頭を預けていた。 
 やがて、顔をごしごしと豪快に拭い、ルミナスは海人から離れた。

「……ありがと。ごめんね、みっともないとこ見せちゃって」

「気にするな。ただ、もしもの話でそこまで思いつめるのはどうかと思うぞ?」

「うん、分かってるんだけど、気付いたらなんか凄い不安になっちゃってさ……」

「そうか……ところでシリル嬢、先程からとっても恐ろしいので出来ればその殺気を緩めて欲しいんだが」

 海人はルミナスと向かい合ったまま、いつの間にか自分の背後を取っていたシリルに懇願した。
 話の間は空気を読んで大人しくしていた彼女だが、話が一段落した今は昂る感情を抑えるつもりはなさそうだった。
 はあ~、はあ~、と背後から聞こえてくる荒い吐息が今まで堪えていた感情をこれでもかと伝えてくる。
 
 振り向きたいのは山々だったが、海人には現在のシリルの形相を見る度胸はなかった。
 何より、この濃厚な殺気からすると振り向いた瞬間に神速の矢に貫かれかねない。
 だらだらと背を流れる脂汗を感じながら、海人は表情を引き攣らせる事しか出来なかった。

「ふふふ……それだけ羨ましさで鼻血が出そうな状況を満喫なさったんですもの。
思い残す事など無いはずでしょう?」

 その声と同時に、シリル愛用の剛弓が背から外された音がした。
 しかも、その直後に矢筒から矢を一本引き抜いた音も聞こえた。
 
「いやいやいや、冷静に考えてみよう。
あの状況で胸を貸さなかったら私は空気を読めない馬鹿野郎として君に命を狙われていた気がするぞ。
それを回避したのはむしろ褒めてもらっていいと思うんだが」

「なるほど、あの状況に陥った段階で末路が確定していたわけですわねぇ?」

 ギギギィィィッ、と弓が引き絞られる音が鳴る。
 その重厚さを感じさせる甲高い音は、その威力をこれでもかと想起させた。
 矢が放たれれば回避は不可能、そして威力を考えれば即死。
 そして、音の近さからしてルミナスが助けようとしたところで、それより先に矢が海人を貫く。
 そう感じた海人は慌ててさらに説得を続けた。

「ちょっと待とうシリル嬢。忘れているかもしれないが、私はか弱く儚い一般人だ。
君にかかれば象と蟻。否、ドラゴンと蟻以上の差があるだろう。
そんないじめと言うにも生温い無慈悲な虐殺をして君のプライドが許すのかね?」

「感情は時として自尊心を上回るものですわ。というわけで御覚ごぎょえっ!?」

 突如蛙がひき潰されたかのような悲鳴に変貌したシリルの声に海人が振り向くと、
彼女は床の上で喉を押さえてジタバタもがいていた。
 そして、その横にはいつの間にか呆れたような顔のルミナスが立っていた。
 
「カイトで遊ぶのが楽しいのは分かるけど、夜中なんだから少しは自重しなさいっての」

 嘆息しつつ、ルミナスは悶え苦しんでいる部下を見下ろす。
 悶え苦しみながらも弓はしっかりと握っているが、矢は握っていない。
 というより、初めから矢は握っていなかった。
 シリルが引き抜いた矢は彼女の腰のベルトに差されており、持っていたのは弓だけだったのだ。
 海人が怖くて振り向けない事を利用した、恐怖を煽るためだけの悪戯であった。 
 
「うぐぐぅ……だからと言って喉に手刀は酷いですわ……」

「やかましいっての。大体、まだ話は終わってないでしょうが」

「……お姉さまをああやって抱き締められたというだけで十分至福だと思いますわ。
これ以上となると流石に私の堪忍袋の緒が切れてしまいますわ」

「いーから黙ってなさい。で、話戻すけど、礼なんかいらないって言われても私の気が済まないのよ。
だ・か・ら……材料費の関係で年に一回しか作らないし、誰にも食べさせた事が無い私の特製シチュー! 
月一回作るシチューよりはるかに美味しいあれを御馳走してあげるわ!」
 
 ビシッ、海人の鼻先に指を突きつけ、宣言する。

 ルミナスは本業が無い時は月に一度の楽しみとして贅沢なシチューを作る習慣がある。
 海人も以前食べさせてもらっていたが、その味はレストランで出したとしてもなんら恥じる事の無い、見事な味だった。
 それをはるかに超える味となれば、食への感心が強くない海人といえども期待せざるをえない。  
 
「それは嬉しいが……普段から十分良くしてもらってるから、些か後ろめたいんだよなぁ……」

「単に住む場所と食事提供してるだけじゃない。いーから遠慮しないで。
他にも要望があれば大概の事は聞いてあげるわよ?」

「……なら一つだけ。せっかくだからシリル嬢も一緒に三人で食べたい」

 海人が苦笑しつつ、先程から不貞腐れているシリルに視線をやると、彼女は気まずげに目を逸らした。
 
 今回ルミナスが作ると言っているシチューは、味も極上だが、かかる費用も極上だ。
 出汁は大量のストームドラゴンの骨とすね肉から搾り尽くし、野菜はこの辺りで手に入る新鮮な物を使い、
ワインや塩胡椒なども質は高いが値段も高いため普段は使わない最高級の物を使う。
 そして出来上がったシチューから出し殻になった肉を抜き、代わりに下味をつけてこんがり焼いたアースドラゴンの尾肉の塊を投入する。
 総材料費、実に五十万ルン。材料費があまりに馬鹿馬鹿しくてシェリスの屋敷でもまず食べられないような珠玉の一品。
 
 普段ならば大きなずん胴一杯全てをルミナス一人で食べ尽くしてしまうそれを、食べさせる。
 なんとも大盤振る舞いだが、リリーの命を救ってもらった恩から考えればそれでも安すぎる。
 それは分かっていても以前こっそり盗み食いしようとして共犯者である部下諸共半殺しにされたシリルとしては、色々複雑だったのだ。

「あんたってホント、変なトコでお人好しよねぇ……いいわ! シリル、今回は特別に食べさせてあげる!」

 海人の言葉に苦笑しつつも、ルミナスはそれを素直に受け入れた。

「本当ですの!? ああ、カイトさん、感謝いたしますわ!」

 感極まったかのように、シリルが海人の手を握る。
 純粋に感謝しているらしいが、彼女の握力は並ではない。
 握られた海人の大きくも華奢な手がミシミシと嫌な音を立てている。
 とはいえ、痛いには痛いが、その手は非常に柔らかく、温かい。
 顔に浮かんでいる笑みも、裏表がなく、純粋に心を和ませてくれる。 

(結局、これがいかんのだろうなぁ……)

 なんのかんので自分に笑顔を向けてくれる外見少女を見ながら、海人は内心で頭を抱えていた。
 シリルに限らず、この世界に来て以来海人は特に裏の無い笑顔を向けられる事が多い。
 ある程度の打算込みでの付き合いのシェリス達でさえも、それは同様。

 非常に嬉しい事ではあるのだが――それは海人の最大の悩みを作り出している要因でもあった。
 
 悩ましいジレンマを抱えながらも、海人は二人に穏やかな笑みを向けていた。
 どうせ二人と暮らしている限り悩みは解消できないだろう、という一種の諦観と共に。





テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント
更新お疲れ様です。
待ってましたとも。


今回は暴露話の裏側とルミナス達の葛藤とル ミ ナ ス 一 家 は 素 敵 に 無 敵
という事の再確認な感じですね。

うん、あれです。アリスお姉様…戦場から退いて結構経ってるのにソレは…スバラシイです。

そして1年に一度のシチュー…50万て…どこまで極めたシチューなんでしょうか…

さりげなく思うのは…カイトの自宅周辺は勿論の事緊急時には洒落にならないオーヴァーテクノロジー満載な罠をしきつめそうですね…

1部で登場した金板とか強化しちゃえば遠距離魔力砲とか余裕で弾きそうですし…

むしろ跳ね返しそう…

所でルミナスフラグは立つのでしょうか?(違)
[2010/03/21 20:55] URL | リョウ #- [ 編集 ]

お疲れ様です
今回も面白かったです。
なんか、海人の悩みって他人から見て一言で言えばリア充氏にやがれって感じがしないでもないですね。
オーガスト老からすれば今回変態度アップも加わって、ぜひ変わってくれといいたいところでしょうけどね。
[2010/03/21 21:00] URL | とある人 #- [ 編集 ]


自分にとって日曜日の、いや、一週間で一番の楽しみの時間です
待ってました!
今回も実に面白かったです!
傭兵業とは大変ですなー
でも、昨日の友達が今日の敵になるなんてことはこういう世界ならいくらでもあるんでしょうねー
いや、現実でも少しはあるでしょうが

オーガスト老、まだ変態値の上がる余地があったんですね……
[2010/03/22 00:31] URL | 華羅巣 #zR7lJLBY [ 編集 ]


更新お疲れ様です。
オーガスト・・・ついにM属性まで身につけてしまったか・・・
これでは次からは股間への攻撃もご褒美になってしまうwww
まあ男連中連れてきて踏ませれば問題ないかもしれませんがwwww

それにしてもシチュー高すぎるwww
それだけ旨いんでしょうが普通の人には手が出せませんな。
[2010/03/22 00:50] URL | ズー #B1FehmyE [ 編集 ]

五十万のシチュー
五十万のシチューとありますが、創造魔法によって作り出せないものは材料の中ではアースドラゴンの尾肉のみの気がするのですが、製作過程で海人が手伝えば結構な頻度で食べられるような気がします。それも作業が楽になって。
そのことは誰も気がつかないのでしょうか?
ちなみに海人は、ABC兵器を作れる気がするので本気になってしまったら、国を滅ぼすのは簡単だと思います。
[2010/03/22 11:09] URL | √3 #yciqGnUI [ 編集 ]


少し気になったのですがどうもいちいち料理の説明が多い気がします。
その料理を話題にするならともかくもう少し簡単でも良いかも。
[2010/03/23 12:26] URL | arch #EcIghc0I [ 編集 ]


感想を書くのは初めてですが、理想郷時代から愛読してます。

ところで前々から気になっていたのですが、シェリスは無事、様々な和菓子を食することができたのでしょうか?
ある意味グルメ小説だと思っているので、もっと料理がいかに美味しそうかの描写や美味を堪能している食事シーンを増やしてほしいところですw
[2010/03/23 20:30] URL | あきら #Mx09nRN2 [ 編集 ]

なんだかな
ルミナスがなんか女々しすぎるかな。
敵対するのが嫌なら傭兵やめればいいだけの話じゃないのだろうか。
傭兵なんてやってる人間は恨まれて当然と理解してそうなんだし、戦いが終わったら水に流してとか口にするのは情けなさすぎる。
海人もかなり情けないけど。
[2010/03/24 15:54] URL | とーる #uv1J38xk [ 編集 ]


傭兵をやめればいいなんてのは社会に出たことのないおこちゃまの言い草。
傭兵をやめてどうやって仕送りの金を稼げと言うのか。
しかも部下に対する責任についても言及されているのに「やめればいい」とか。
親の金でヌクヌクと暮らして自分で責任をとったことのない、おこちゃまならではの浅知恵だな。
まぁ、適当な人生を送っている薄っぺらな人間って可能性もあるが。
[2010/03/24 21:32] URL | 社会人 #mQop/nM. [ 編集 ]


やっぱり肩書きと責任がある立場と、
規格外だけど一般人だと戦時になると大変な事になりそうだな。
[2010/03/31 14:13] URL | とある通りすがり #- [ 編集 ]


理想郷の捜索から来ました。

ここまで素晴らしい出来の小説があるなんて・・・

今まで知らなかったのを恥ずかしく思います。

これからも頑張ってください。
[2010/04/03 23:37] URL | ばしょう #- [ 編集 ]


ルナミスはちょっと都合が良すぎるでしょ、その言い分。
殺しちゃっても恨まないで、とは到底普通の人なら受け入れられないと思いますが。
まぁ海人はイカれた価値観を持ってるので受け入れるでしょうが、共感はしませんね。
早くルナミスと海人が殺しあうシーンを見たいです。
[2013/04/30 16:43] URL | #- [ 編集 ]


ルミナスに甘すぎ。
部下に対する責任があるから傭兵はやめられない。それで海人と殺し合って戦いが終わったら仲良くしようなんてよく言えますね。
傭兵やめて仕送りの金をどうするっていうのもありますけど、そんなのは自分が頑張ればいい話。
それも無理ならどっちか大事なほうを選べばいい。
どちらも選べるなんて考えがおかしい。
[2014/06/24 01:14] URL | #- [ 編集 ]


ルミナスはカイトを殺そうとすることは考えてるけどカイトに殺される考えはなかったのだろうか? カイトの実力を甘くみてるのか、カイトは自分を殺さないっていう信頼なのか...。どちらにしても自分だけに甘い考えな気がする。
[2015/07/25 10:36] URL | ten #iWfHidvU [ 編集 ]


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