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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄109
 シェリス・テオドシア・フォルン。
 シュッツブルグ王国のフォルン公爵家の一人娘だ。
 彼女は社交界において、時に聖女とも称される傑物である。
 
 その容姿は公爵家に相応しい華やかさでありながら、可憐。

 パーティーに出れば着飾った妙齢の美女達をよそに注目を集める華を持ちながら、
成人前の女性しか持ちえない愛らしさも持ち合わせているという、絶妙なバランス。
 人目がある場所では彼女の横に並びたくない、そう嘆く貴族女性は数多い。

 その立ち居振る舞いは、全貴族の鑑とも称される優美さ。
 
 パーティーでグラスを受け取る仕草一つとっても、極めて優雅。
 グラスを差し出した男性がその指先の動きに魅了され、しばらく動けなくなったという逸話さえある。
 背すじは常にピシッと伸ばされ、それでいて一切の緊張を感じぬ自然さ。
 時に貴公子にさえ見紛うというその姿勢は、フォルン公爵家の誇りとも呼ばれるほどの気高さに満ちている。

 知性も極めて優れており、社交界に出るいかなる人物とも談笑できる域。
 趣味の読書で身につけたというその教養で、あらゆる話題についていく。
 それでいて知識をひけらかす事はなく、あくまでも相手との会話を弾ませる一手段としている。
  
 そして何よりも称賛されるのは、その人格。

 社交界においては誰に対しても穏やかな笑顔で接し、多少の無礼は微笑み許す。
 それでいて言うべき時には穏やかに、だが毅然と気高く主張する。
 以前農民などいくらでも増えるのだから気にする必要はないとのたまった貴族を窘めた時など、
穏やかな態度で相手を終始否定はせず、それでいて巧みに話の流れを操作して、相手は勿論、
周囲で聞き耳を立てていた貴族達にもフォルン公爵から教えられたという農民の重要性を、深く理解させたという。
 
 また、領地の視察に赴く際も気品に満ち、かつ親しみやすい人格に多くの民が寄ってくる。
 老若男女問わず優しい笑顔で接するその姿の魅力は筆舌し難く、視察を楽しみにしている民も数多い。

 その優雅可憐にして清廉潔白と評判の聖女様は現在――――――友人に固め技を極めていた。
 
 「あだだだだだだっ!? シェリス嬢、技に殺意感じるんだがぁぁぁぁぁっ!?」

 友人――天地海人は、御令嬢のえげつない固め技に身も蓋もない悲鳴を上げる。

 技自体は、そう珍しいものではない。
 うつぶせに倒れている相手の背に乗り、両足を両脇に抱え込んで反り返らせる。
 それだけと言えばそれだけの技で、地味といえば地味な技だ。

 が、見た目は地味でも腰と胸部の圧迫は凄まじく、れっきとした殺人技である。
 ましてかけられているのは貧弱な海人で、かけているのはレベルの高い武人であるシェリスだ。
 彼女がその気になれば、海人の命は一瞬で尽きる。

「あら、妙な事を仰いますね――――殺意が滾ってるんだから当たり前でしょうがぁぁぁぁっ!!」

 雄叫びながら技の威力を上げていくシェリス。
 それに伴って声量の上がっていく悲鳴に、彼女の顔に満足げかつ邪悪な笑みが浮かぶ。

 表向きの彼女しか知らない者が見れば、己の目を疑うだろう。
 暴力や争いを厭い、いついかなる時も言葉での解決を探る聖女じみた公爵令嬢。
 それが豪快に大股広げながら若い男に技をかけ、邪悪な笑みを浮かべているのだから。

 が、いつの世も邪悪は滅びるが習いである。

「そろそろ、カイト様の許容限度が近づいているかと」

 静かな言葉と共に、シェリスの後頭部に強烈な前蹴りが叩きこまれる。
 
 その凄絶な威力はシェリスの意識を一瞬で刈り取り、海人を強制的に解放させた。
 それでも運動エネルギーは消費しきれず、シェリスの体は激しく地面を転がっていく。

 が、あわや門にぶつかるか、というところでシェリスの体はピタリと止まった。
 潰された虫の如くピクピク痙攣しているが、幸か不幸か呼吸はしっかりしている。

 そんな主君を一瞥すると、ローラ・クリスティアは海人に頭を下げた。

「主が御無礼をいたしました」

「なに、大した事はない。というか、少々心外だぞ。私とてあの程度で怒る程狭量ではない」

「承知しておりますが、シェリス様は元々甘えが強い上に最近は心労が溜まっておりますので。
いささか寛容すぎるカイト様相手では、気が緩んで度を超す恐れがございます。
後々を考えますと、軽く戒める必要があるかと」

「……軽く、か?」

 海人は呟きながら、シェリスに視線を向ける。

 地面を抉りながら転がったせいで、色々と酷い姿だった。
 よく手入れされた金色の髪は見事に土を巻き込みつつその形を変え、
シンプルながらも良く似合うライトグリーンのドレスも同様。
 地面に突っ込まれたままの顔も、さぞ悲惨な事になっているだろう。
 もっと言えば、先程までの痙攣すら今は止まっている。
 
 海人は公爵令嬢にあるまじき姿を数秒眺めた後、軽く肩を竦めた。
  
「ま、君の教育方針に口を挟むのも野暮か。
で、先日持たせたコーヒーがそれだけ衝撃的だったという事でいいのかね?」

「はい。生産地確保に動く前に試飲していただいたのですが、相当衝撃が大きかったようです。
器用な事に、カップを口につけたままの状態でたっぷり一分も硬直してらっしゃいました」

「なるほど。しかし、ここまで自制が利かなくなるというのは少々意外だな」

 海人は、素朴な疑問を口にする。

 これまでもシェリスに怒りをぶつけられた事はあったが、かろうじて手は出していなかった。
 最大でも、唾が飛んでくるレベルの怒声ぐらいだったのだ。
 
 それが、今回は門前で出迎えた海人を挨拶するなり引き倒してエビ固め。
 怪我はさせないよう気を遣った動きではあったが、逃す気もまるでなかった。
 いくらなんでも、一気にエスカレートしすぎている。
 
「一通りダイヤを掘り尽したと一休みして腰を上げた途端、尻の下からカットまで終わった特大のダイヤが見つかる。
そんな事を何度も繰り返せば八つ当たりしたくなるのも人情かと」

「……ごもっとも。とはいえ、わざとやってるわけではないからなぁ……」

「気になさる必要はないかと。そもそもが貴方の御厚情あっての話ですし……頭が冷えても気絶したフリをする程度には反省の色がありませんので」

 ローラの言葉と同時に、シェリスの体が一瞬ビクリと跳ねた。
 その後汗で体にドレスが張り付き始めたシェリスを眺め、海人がニヤニヤと嗤う。

「はっはっは、あの力なく倒れる姿が演技なら、なかなかの役者だと思うが?」

「白々しいですね。痙攣の仕方が不自然だった事ぐらいお気付きでしょう? それに、演技でないなら尚更問題です。
今のシェリス様の実力で本当に気絶したのであれば、とても見逃せない油断と怠慢。
三日ほどかけてでも、武人の心構えを叩きこみ直す必要があるでしょう」

「ふむ……気絶していないのであれば、それもそれで問題だな。
出迎えた相手に笑顔のままエビ固めなんぞあまりに暴挙。
その上反省の色がないとなれば、これはもう私自慢のくすぐりで地獄を見せても罰は当たるまいな?」

「あら、それは大変ですね。御二人は、どちらの方がマシだと思われますか?」

 海人の言葉に乗り、ローラはこれまで黙していた彼の護衛二人に話を向ける。

「……難しいですが、ローラ殿の再教育の方が多少マシかと」

「あたしは一回で終わるくすぐりに一票ですかねー……死んだ方がマシでしょうけど」

 根性悪二人組の問いに、嘆息しながら答える宝蔵院姉妹。

 ローラの再教育とは、おそらく彼女との組手。
 圧倒的な力で心を、体を、全てをへし折り続ける無情のそれが三日。
 控えめに言っても、地獄である。

 かと言って海人のくすぐりがマシかと言われれば、断じて否。
 悪夢のような呼吸困難を強いられ、抵抗しようとしてもこみ上げてくる笑いがその力を封じる。
 当然ながら処刑後の姿も涙やら涎やら汗やらで凄い事になっており、女としては憤死レベルの恥辱。
 公爵令嬢であるシェリスなら、あるいは衝動的な自決すら考えられるかもしれない。

 ―――二人としては、少しばかりシェリスが気の毒だった。

 主君への暴行は許しがたいが、それが起きた理由は誰もシェリスを止めなかったからだ。
 シェリスの踏み込みが始まる前に主君を地平の彼方に蹴り飛ばせたはずのローラは、看過。
 シェリスの笑顔に偽りを見ていたであろう海人は、シェリスが動く前に護衛二人とペットに手出し無用の合図。
   
 超人共の掌の上で処刑台まで駆け抜けてしまったシェリスには、些か同情せざるを得ない、と。
 
 だが、二人はまだシェリスという人間を過小評価していた。
 処刑台に固定されてさえ諦めない、その生き汚さを。
 
(……まだ、まだよ! 決が下るまではまだ猶予がある! 打開策を……!)

 動かぬまま、シェリスは必死で頭を巡らせる。

 動いても動かなくても地獄行きしかない。
 そうは思うのだが、活路が残されていないか必死で探る。
 命乞い、開き直り、逆ギレ、あらゆる手段が検討され、却下されていく。

 その果てに―――――あまりにも容易な活路が残されている事に気付いた。

 ローラが動き始めるよりも一瞬早くシェリスは立ち上がり、海人の前まで全速力で駆け抜ける。
 あっ、とか、その手が、とか聞こえるが、全てを無視して海人の前に辿り着く事を優先させた。
 
「カイトさん、突然の暴挙申し訳ありませんでしたぁっ!」

「よろしい。素直に謝れるのは良い事だ」

 華麗な土下座を敢行したシェリスに対し、海人は鷹揚に頷いた。
 

















 しばらくして応接間に通されたシェリスは、紅茶で喉を潤していた。

 ローラが淹れた、いつも通りに美味い紅茶。
 最初に飲んだ時は良い茶葉と良い腕、それが揃えば飲み物一つでこれほどまでの幸福感を得られるのだと驚かされた。
 飲み慣れた今でも非の打ちどころはなく、以前はこれこそが唯一至高とさえ思った時期もあった飲料。
 
 が、先日そうではないと改めて思い知らされた。

「さて、改めまして……あの素晴らしいコーヒーの苗木と栽培法を用意していただけるとの事でしたね?
ただ、栽培に適した土地が標高の高い場所で、人材の調達が難しそうだとか」

「ああ。だから、私としては栽培成功後に純利益から分けてもらえればいい。
人材が調達できずに立ち消えとなる可能性もあるからな」

「何とかするつもりではありますが、お気遣いは助かります。配分は二割ほどでよろしいですか?」

「一割で構わん。そもそも、さして利益は出んかもしれんしな?」

「御冗談を。あれはこの国独自の、それも最高級の特産品になりえます。
仰るように作れる農家の条件が厳しいので生産量はどうしても少なくなりますし。
高値でも確実に全てを売り切る事が可能で、希少価値もある商品。
間違いなく利益は出ますし、交渉材料としての価値も含めれば、二割でも安いですよ」

 何食わぬ顔で試してくる海人に、シェリスは微笑みながら答える。

 ローラに味見させられたコーヒーは、シェリスにとってまさに驚天動地の衝撃だった。
 それは味の良さもだが、それ以上にこれまでコーヒーという飲料に抱いていたイメージを覆された事が大きい。

 魅力らしいと言えば、その香ばしい香りのみという飲料。
 その香ばしさすら、豆を煎っている時や挽いている時の期待値に比べ大きく劣る。
 味自体には可能性を感じなくもないが、常に苦味やえぐみが前面に出てしまう為、先行きは真っ暗。
 最も多い用途は、濃厚な甘味や脂の後味をその強烈な苦みで打ち消す事。
 食後の気怠さを引き締めるには丁度良い、その程度の物。
 当然、紅茶と比べれば飲み物としての質は比べるべくもない。

 そんな固定観念が、見事にぶち壊された。

 唯一最大の魅力といっても過言ではなかった香りはそのままに、苦味はあれどえぐみは一切ないその味。
 甘味や酸味も存在を主張し、苦味がそれをさらに引き立てる。
 その上紅茶ではありえない強いコクが、飲料らしからぬ満足感を醸し出す。 
 また、紅茶よりも強い味ゆえにミルクや砂糖による味の変化をより幅広く楽しめる。

 タイプこそ違えど、間違いなく紅茶に比肩しうる素晴らしい飲料であった。

 味の質だけでもそれだというのに、これまでの固定観念を根こそぎぶち壊すという価値まで加わるのだ。
 情報が広まり始めれば各国の美食家がこぞって欲するだろうし、
生産量が少ないとなればその価値は時に金銭で換算可能な領域を超える。
 美食家には有力者が多く、中には一つの食材を手に入れる為に国の機密情報すら売り飛ばす者もいるのだ。
 また、仮に美食家本人がそこまで動かずとも、別の条件でそれを行う者に繋ぎを作る事は可能。
 
 つまり、海人のコーヒー豆は使い方次第で金で解決できない難題すらも解決しうる手札となるのだ。

 苗どころか栽培法、それもほぼ確実に成功するそれの提供をして、対価が以後の販売純利益の二割。
 シェリスからすれば、安すぎるにもほどがある条件だった。

「流石にそのあたりは計算済みか」

「ええ。正直三割出したいのですが、カイトさんは嫌がるでしょうしね。
まったく……あまり欲がないのも困るんですけどねぇ」

「と言われても、現在の生活に満足しとるしなぁ……」

 シェリスのぼやきに、海人もまた困った顔になる。

 稼げる内に稼ぐべき。
 それは分かるのだが、今回のようなケースは海人にとってはあぶく銭。
 元の世界で他人が育み繋げてきた苗を創造魔法で作り、他人が連綿と受け継ぎ積み重ねてきた知識を売るだけ。
 知識を分かりやすくはしているが、海人からすれば大した労力ではない。
 あまり利益を得ると、詐欺でもやってる気分になってしまう。

 それでも何かしら金の用途があるというのならまだ割り切れるのだが、
海人の生活は彼にとってあまりに満ち足りており、金で手に入る範囲では欲しい物がない。
 護衛二人の給料を上げてやりたいとは思うが、それすら最近は他の収入で賄えてしまいそうなのだ。

 加えて、シェリスには秘密だが今回の主目的はローラが嘆くこの大陸のコーヒーについての認識改善。
 主目的自体はシェリスが達成するので、海人の本音としては金など受け取らなくても良いぐらいなのだ。

 とはいえ、貴族という立場に誇りを持つシェリスがそれで納得できない事も理解は出来ているので、
なかなか困りどころであった。

「別に、金や物でなくてもいいんですよ?」

「ん~……参考までに聞きたいんだが、王城の蔵書の質と量は?」

「残念ながら、どちらも私の屋敷の図書室の方がはるかに上です。
今計画中の王立図書館が完成すれば、そちらの全蔵書を閲覧できるよう手配するつもりですが……私の図書室の蔵書を超えるのはまだ先ですね」

 即座に、はっきりと断言するシェリス。

 海人の問いは、王城ならば量は限られても貴重な蔵書があるだろうと見越しての事だが、
その予想は大きく外れている。
 貴重な蔵書は確かに存在するが、どれもシェリスの図書室にもある書籍。
 もっと言えばシェリスの図書室は、王族を含めた貴族の蔵書の完全上位互換だ。
 
 現在建築計画を練っている王立図書館はそれをさらに超える予定だが、箱はともかく中身の完成はまだまだ先になる。
 娯楽作品などならともかく学問系の書籍は大概の国で取り締まりが厳しく、入手が難しいのだ。
 あらゆる手段を用いて十年かけて集めたシェリスの蔵書を超えるには時間がかかる。 

「そうか。かと言って、他国の図書館に足を運ぶのも面倒だしなぁ……」

「一応言っていただければミュルツガンフェの主要図書館の入館許可証もすぐ取れますので、気が向いたらどうぞ」

「ほう? まさか≪叡智の図書館≫もか?」

 驚いたような顔で、海人は問い返す。

 ミュルツガンフェ王国は、学問の国として名を馳せている。
 とくに有名なのが、正当な審査を経れば見込みのある研究には国から資金提供が行われる制度。
 その審査においては老若男女はおろかそれまでの実績すら一切考慮されず、判断基準はあくまでもその研究の価値。
 審査は非常に厳しいが、それゆえにかの国ではこれまで多くの若き天才や奇才がその頭角を現している。

 そして、かの国で生まれた知識は世界に公開されていく。
 知識の普及こそが人類の益となる、建国時より続くその理念に基づいて。
 公開された知識は書物にまとめられ、各地に点在する図書館の蔵書として納められる。
 また、ほとんどの図書館は他国の人間にも多く門扉が開かれており、極論窃盗しない人物と保証されてさえいれば、誰でも入れる。

 ゆえに―――シェリスが言っているのは、入館制限が厳しい場所のはずだ。

 ミュルツガンフェが知識を公開すると言っても、国力維持の為に最先端知識は秘されている。
 それでも学者が研究しやすいよう秘匿レベルに応じて選ばれた図書館それぞれの特別区画に収められているが、
全てが収められたのが王家直轄の≪叡智の図書館≫と呼ばれる場所のみ。

 ひょっとして入れるのか、海人のそんな僅かな期待を、シェリスは苦笑しながら否定する。

「初等区画ならなんとか可能ですが、やめた方が良いでしょう。
入館者が限られているので、普通に行けば間違いなく顔を覚えられます。
さらに魔法発動を感知する古代遺産も設置されていますし、変装を見抜く達人もいるとか。
カイトさんですと、行く利益よりリスクの方が圧倒的に大きいかと」

「ふむ……となると、各地の図書館の特別区画の閲覧許可か?」

「そちらもかなり管理が厳しいので、やめた方が賢明でしょう。
御存知ないようですが、ミュルツガンフェの図書館の入館許可取得は緩いですが、自国民以外は時間がかかるんですよ。
ですが、私の伝手を使えば短期間で許可証が手に入ります」

「なるほど。まあ、どのみち当面は面倒が先に立つな。気が向いたらお願いするとしよう。 
ところで、君の用件はこれで終わりという事でいいのか?」

「そうですが……何か?」

「ちょっとな。ローラ女士、それの中身は先日のあれで間違いないか?」

 シェリスの疑問を軽く流し、海人はローラの方に視線を向ける。
 通常の手荷物を入れているにしては、明らかに大きすぎる布袋に。
 
「はい。確認ですがあの量は休日用も含めて、ですね?」

「そうでなければ困るだろう?」

「そうですね。さらに言えば、きちんと採寸も取っていただきたいところです。
それと細かい要望を書いた紙を布と一緒に入れてありますので、御検討願います」

「分かった。そういう事であれば、すぐに採寸に取り掛かろう。
雫、そこの採寸キットを使って別室でローラ女士の採寸を。使い方は覚えているか?」

「勿論です」

「あら、カイト様が採寸してくださるのではないのですか?」

「服を脱いでもらった方がより正確な寸法が取れるんでな。
そうなると、私が採寸するというわけにはいくまい」

「私は構いませんが。どうせいずれ見られるのですから」

「私が構う。そして今後見るつもりはない」

 絶世の美女からの魅惑的な提案を、海人はにべもなく断る。
 そんな海人の言葉に気を悪くした様子もなく、ローラはさらに言葉を返す。 

「あら、先日はなかなか情熱的な視線を向けられた記憶がございますが?」

「だから余計にだ馬鹿たれ。君の採寸なぞしたら良識どころか理性を保てるかすら怪しい。
いくら私でも、そこまで最低にはなりたくない」

「それだけ、魅力的だと思ってくださっているのですね?」

「……答えるまでもあるまい」

 瞳を覗き込むようにじっと目線を合わせてきたローラから、視線を逸らす。
 まるで機嫌を損ねたかのように唇を尖らせながら。
 それでいて、何かをごまかすかのように。

「やはりつれませんね。まあ良いでしょう。では、シズク様よろしくお願いいたします」

「はーい」

 元気よく返事をすると、雫はローラを伴って部屋を後にした。
 一瞬部屋に静寂が満ちるが、すぐさま海人の溜息が響き渡る。

「……シェリス嬢、色々と台無しな顔になっとるぞ」

「私も女ですから人の色恋沙汰は気になりますよ。
それで、情熱的な視線とは? メイベルの色仕掛けすら軽く流した貴方がどうしてです?」

 わくわくとした内心を隠そうともせず、シェリスは問いかけた。

 ローラが持ってきた布とやらも気になるが、ここまで語られなかった以上、教えてもらえない事は明白。
 それどころか、下手に詮索すれば帰り道地面を引きずられながら帰る羽目になりかねない。

 ならば、もう一つの興味が湧いて仕方ない事について聞くのは当然だった。

 なにせ、海人はこれまでいかなる相手にも情熱的な視線など向けた事がない。
 聖人さえも一晩で堕落させると噂の色事の達人でさえ、にべもなく返り討ちになった程なのだ。
 ローラも例外ではなく、絶世の美貌を持ってすら、海人にあっさり袖にされた。

 それが情熱的な視線を向けたとなれば、何があったのか気になるのは当然。

 ローラのどんな姿に海人は心を奪われたのか。
 その姿になった経緯はいかなるものなのか。
 普段と変わらないように見える海人の表情の下も、本当に変わらないのか。
 考えれば考える程好奇心が湧き、興味が尽きない。
 
 が、海人がそれに付き合う義理もなかった。

「答える気はない。というか、君こそどうなんだ? 公爵令嬢なら普通は婚約者ぐらいいるだろうに」

「普通ならそうなんですけどね。残念ながら、現状私が結婚するのは不利益が大きすぎるんですよ」

「……それだけ若手に有能な貴族がおらんという事か」

「ええ。同世代の貴族は私の異名すら知らない者しかいませんので。
他国の貴族との政略結婚にしても、今は私が抜ける穴の方が圧倒的に大きいですね」

 海人の察しの良さに笑顔を深め、シェリスは補足した。

 基本的に、この国の貴族男性は女性が政治の場に首を突っ込む事を良しとしない。
 もしもシェリスが彼らと結婚する事になれば、その活動は大きく制限される。

 事情を知り、シェリスが活動する事を許容する、あるいはシェリスの築いた物を受け継ぎそれ以上に活用できるような人材ならば話は別だが、生憎とこの国のシェリスと同世代の貴族にそんな人間は一人もいない。
 社交会で話題になる恐怖の代名詞のような≪傀儡師≫の正体が彼女であると知る者さえも。
 また、仮に年齢を問わなかったとしても、今のシェリスが抱えている仕事全てを引き継げる者はいない。
 加えて、シェリス最大の手札である最古参メイドは、あくまでもシェリス個人を気に入って仕えている為、
シェリスが退くと同時に離反する可能性がある。
 総合すれば、何が起ころうと国内貴族との結婚など言語道断なのだ。

 他国との政略結婚にしても、いかなる相手であれシェリス一派という手札を失う程の価値はない。
 彼女が抱えている案件はそれだけ膨大で、重大な内容ばかりなのだ。

 とはいえ、結婚自体が絶対不可能というわけでもない。

「あ、カイトさんでしたら構いませんよ? 本来平民との結婚など許されない立場ですが、
私なら美談に仕立て上げられますし、何より貴方なら結婚後もこれまでと変わらず動けますので」

「はっはっは、面白い冗談だな。それならまだ雫に求婚するぞ?」

「……分かってても、そこまで一顧だにされないと地味に傷つくんですけど」

 一瞬の戸惑いすらなく笑い飛ばした海人に、恨みがましい視線を向ける。

 海人には慕情なぞ微塵も抱いていないが、それはそれとして即断されるのは面白くない。
 社交界で被っている仮面にあっさり騙される馬鹿ばかりとはいえ、これでも求婚者には事欠かないのだ。
 
「それは失敬。別に君に魅力がないとは言ってないんだから軽く流してくれ」

「あら、魅力自体は感じていただけているんですか?」

 意外そうに、目を見開くシェリス。

 シェリスとて、容姿には自信がある。
 生まれ持ったものが良かった事と、公爵家に生まれた事でそれを磨けた事。
 それによって目の肥えた社交界の男達にすら、お世辞抜きで称賛される容姿に仕上がっている。

 が、それでもローラには遠く及ばない。
 
 顔立ち、ボディライン、姿勢、全てが完璧。
 気配断ちなしでは男が邪魔で町を歩けなくなる程の、究極。
 唯一欠点を上げれば無表情だが、そんなものはあの美貌の前では瑕疵とすら呼べない。
 
 そんなローラを袖にした海人に魅力を認められるというのは、なかなか嬉しい事だった。

「そうでもなければ今の関係はありえんよ。
君は知るまいが、私がここまで権力者と深く付き合うのは極めて珍しいんだぞ?」

「あら……それは光栄ですね」

「まあ、感じているのは女性としての魅力ではないわけだが」

 海人が笑顔で放った言葉に、シェリスは思わずテーブルに頭をぶつけた。
 彼女はゆらゆらと起き上がりながら、引きつりまくった笑顔で口を開く。 

「……不敬罪ってご存知ですか? 一応我がフォルン公爵家も適用対象なんですよ?」

「無論知っているとも。なぁに、その程度の罪ならうちのペットを王都で遊ばせれば忘れ去られるだろう」

「やらないでくださいよ!? 本気で洒落になりませんからね!?」

 けっけっけ、と意地悪く笑う海人に、シェリスは全力で釘をさす。

 通常ならペットを王都で遊ばせるなど微笑ましいだけだが、
海人がそれをやると誰もが泣いて逃げ惑う地獄絵図に早変わりだ。
 なにしろ、彼のペットは災害とさえ称される凶悪生物。
 軽く遊び回っただけでも王都全域が瓦礫の山になってしまう。
 その中には、裁判所はおろか王城さえも含まれている。

 そしてそれを防げる人材は、王都に常駐していない。
 仮に騎士団総力で襲い掛かっても、海人のペットのおやつになるだけだ。
 加えて言えば、それすらも海人のペットが野良と変わらぬ能力で可能な事。
 海人という叡智の怪物に飼われている今では、この世に対抗策が存在するかどうかさえ怪しい。
 
 最悪、そのペットの遊びとやらで現体制崩壊どころか国家滅亡である。

「そう心配せずとも軽々にやるつもりはない。万一うちのペットに傷でもつけられたらたまらんからな」

「気にするのそこですか!? フリでも無辜の人命気にしましょうよ!?」

「うちのペットの怪我と顔も知らん人間数十万の命どっちが大事だと思ってるんだ!?」

「数十万の人命に決まってるでしょうがぁぁぁぁっ!」

 本気で心外そうな海人に、全力で抗議するシェリス。
 怒鳴りすぎてぜぇ、ぜぇ、と肩で息をしているシェリスを眺め、海人は満足げに笑う。

「うむ、からかい甲斐があって結構な事だ」

「そうだと思いましたよこの性悪っ!」

 私は愉しいです、と書いてあるような海人の笑顔を怒鳴りつけるシェリス。
 が、髪が震える程の声量を浴びても、海人の余裕は崩れない。

「やれやれ、嘘は言っとらんのになぜ責められねばならんのやら」

「なら余計に問題ですよ、まったく……」

 白々しくとぼける海人に、疲れたように息を吐くシェリス。

 海人という男は基本的には人格者というのがシェリスの見立てだ。
 その気になればこの世の全てが思いのままにできそうな絶大な能力を持ちながら、基本は温厚。
 自分に対しての無礼も非礼も、そこに悪意さえなければ軽く許す。
 今日のシェリスが軽く許されたように。

 が、明確な害意や悪意を向けてきた相手には、一切の容赦がない。  
 
 これまで海人に牙を剥いた相手は、例外なく酷い目にあっている。
 ある者はその場で虫けらのように殺され、ある者は死体さえ残らない。
 殺されない場合もあるが、それにしても大概は洗脳による精神的な死を迎えている。
 さらに身内に途轍もなく甘いので、顔も知らない数十万の人命よりペットの怪我を重視する可能性は非常に高い。
 
 つまり先程までの倫理的にどうかと思われる会話は、全て真実。
 海人が必要を感じれば、何の躊躇もなく引き起こされる惨劇なのだ。

 滅多な事では起こらないとはいえ、シェリスとしては可能性も許容しがたい。
 少しでも、あのやり取りを嘘に近づけておきたいのが本音だ。

「となるとやるべきは……ふむ、悪くない手かしらね」

「なにかな?」

「いえ、二人が戻ってきてからにいたしましょう……というか、少し遅くありませんか?」

 不思議そうに、シェリスは首を傾げる。

 どれほど細かく採寸するとしても、それほど時間がかかる作業ではない。
 熟練の職人であれば、正確に測れたのだろうかと心配になる程の時間で終わる。

「そうだな。測る箇所が多いとはいえ、効率化してあるからここまで時間かからんはずだが……」

 海人もまた、首を傾げる。

 雫に渡したキットは、正確さを維持しつつ手軽さを極限まで追求したもの。
 海人が服を作る為のデータはかなり細かいので、体形が変わった時用に作ったのだ。
 なので猿でもできるとは言いすぎだが、文字さえ読めれば子供でも採寸出来る。
 要領が良い雫なら、なおのこと時間がかかるはずがない。

 加えて言えば、雫は前に一度キットを使っている。
 他ならぬ、刹那と雫の寸法を正確に測る為に。
 であれば、余計時間がかかるはずがない。 

 刹那に様子を見に行ってもらうか、と思ったところで部屋のドアが開いた。
 
「ふ、ふふふ……御主人様、採寸終わりました……そしてあたしは燃え尽きました」

「雫っ!? ちょ、何があった!?」

「生気が根こそぎ抜け落ちたような顔になっているぞ!?」

 どさりと崩れ落ちた雫に慌てて駆け寄る海人と刹那。
 
 今の雫は、控えめに言ってもひどい有様だった。
 生気に満ちた瞳はどんよりと淀み、頬には明らかな涙の跡。
 打撃の跡の片鱗すら見つからないのに、全身滅多打ちにされたかのようにしおれている。

 一方で、その原因と思われるローラはいつも通りの無表情。
 常と変わらぬ微動だにしない美貌で、雫を静かに見つめている。
 海人にしか分からぬ程僅かに、居心地悪そうにしつつ。

 力なく、雫が声を絞り出し始める。

「……知ってます? ローラさんのお肌って、すんごいんですよ?
軽く触れた瞬間、自分との差異に絶望するぐらいに……あれを採寸なんて拷問ですよぅ……」

 しくしくと涙を流し始める雫。

 こうなった原因は、ローラの採寸を行った事。
 まず、彼女が下着姿になった段階で心がボキッと折れる音がした。

 白磁のような肌という言葉があるが、ローラのそれは次元が違う。
 明らかに人間の生気が通った色彩でありながら、幻想的な美しさまで兼ね備えている。
 風呂場で見た事はあったが、湯煙や湯船の色すら障害物だったのだと思い知らされたのだ。

 それでも気を取り直して海人製の採寸キットを使って採寸を始めたのだが、
その過程で肌に触れた時、心が粉々に爆散する音が聞こえた。

 肌の感触が、雫とは明らかに違うのだ。
 肌の表面を指が滑っても何も引っかからないのに、指を押し込めば吸い付いてくる。
 その吸い付き方も心地良く、海人に任された作業中でなければ何度繰り返してしまっていたか分からない。 
 雫とて肌の感触には自信があったのだが、そんなもの根こそぎ消滅させられた。
  
 しかも海人の採寸法はかなり細かく複数の箇所を調べる方式なので、
終わるまでその絶望的な格差を何度も何度も体験させられたのだ。

「そ、そうか……御苦労だった。後で何か御褒美を用意しよう。
白玉ぜんざいの食べ比べ、またやるか?」

「今回ばかりは普段も食べられる物じゃキッツいです……」

「こら、雫。気持ちは分かるがあまり我儘を言うな。
普段手厚すぎるぐらい手厚くして下さっているのに、違う物など無理難題だろうが」

 涙を流しながら力なく答える妹を、刹那が窘める。
 
 普段も食べられるとは言うが、それは海人が普段から雫に甘いからだ。
 もっと言えば、他にも普段から出来る限りの事はやっている。
 普段と違う物と言うのは容易だが、準備するのは難しい。
 
 が、海人はそんな刹那をやんわりと宥める。 

「構わんよ、刹那。外食……もカナールでは芸がないな。
かと言ってあそこで食べられる物と同等の質となると……」

「ふふ、丁度いいですね。カイトさん、その御二人と王都観光に行ってみませんか?
王都なら、美味しい料理屋もたくさんありますよ?」

 にっこりと微笑み、シェリスは海人にそんな提案をした。

コメント

こういってはなんだが、ある意味いつも通りのドタバタですねぇ。シェリスは…気持ちはわかるが自業自得ですが(笑)
雫は…御愁傷様としか。ローラと比べられても困りますか

追伸
和楽器ネタはいかがでしょうか?
[2018/07/16 06:49] URL | コスモ #Y2SfxCmk [ 編集 ]

まさかの更新に歓喜
ローラさんのヤクザキックで錐揉みしながら吹き飛ぶシェリス嬢
からのスライディング土下座で朝から笑いました

11部は王都編っぽいので新キャラメインでのドタバタ劇かな
王都ってカナールからどれぐらいの距離とかありましたっけ?

この暑さで体をやられないようにご自愛ください
[2018/07/16 07:04] URL | どんじゅ #- [ 編集 ]


あれぇ…感動的な108話からの落差が…
何か色々なものが薄れてしまいました
[2018/07/16 16:20] URL | #- [ 編集 ]


ローラさんがどんどん可愛くなってきてるような……
そしてシェリス嬢はどんどん芸人っぽく……(笑)
[2018/07/18 07:54] URL | #- [ 編集 ]


シェリスとカイトは今の関係のままが、おもしろいかな?
将来的に、国の舵取りで敵対する可能性はあるとは思いますが。

カイトが何時もの感じで、とんでもない事をする

シェリスが笑いながら問い詰める

ローラが仲裁(実力行使)をする

この流れが好き~
[2018/07/22 21:02] URL | 飛べないブタ #t50BOgd. [ 編集 ]


更新ありがとうございます。ローラさんの規格外っぷり凄いっすね。
[2018/07/23 21:37] URL | ロボット三等兵 #- [ 編集 ]

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[2018/07/24 15:01] | # [ 編集 ]


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