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ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄119
 血走った眼で、ゲイツは戦い続けていた。

 大剣の一振りが、いとも容易く金色の獣の胴を引き裂く。
 通常なら即死のそれですら獣は動き続けるが、それでもほんの一瞬止まる。
 そこを狙って追撃の大剣が幾度も振るわれ、獣は粉々に消え去った。

 獣が消えるその陰から大型犬程度の獣が飛び出してくるが、それすらも彼はものともしない。
 
 足に力を溜め、太い脚で蹴りを放つゲイツ。
 恐るべき膂力と質量を伴うそれは一匹の獣の体を豪快に引きちぎる。
 蹴りの威力は獣をただ両断するにとどまらず、脚の軌道上にあった部分を衝撃で根こそぎ吹き飛ばしていた。
 
「ガァルルルルッ……!」

 今しがた生んだ戦果では不満、とばかりにゲイツは次なる獣達に襲い掛かる。

 今のゲイツを突き動かしているのは、純粋な戦闘衝動。
 燃え上がるような闘争本能の赴くまま暴れ回る、その快感。
 紙一重で頬を掠める獣の爪すらも、今の彼には戦いのスパイスでしかない。 
 むしろそのスリルを楽しむかのように、よりギリギリの回避で攻撃を苛烈化させている。

 そして、今のゲイツには近づくだけでも多大な危険を伴う。

 つい先程までは、かろうじて理性が残っていた。
 そもそもの動機は突如の災厄に襲われた王都の人々を守ろうという人助け。
 見境なく叩き潰しては本末転倒、それが脳裏に残る程度には。

 が、敵は全てそれなりに手強い上に再生などという特殊能力持ち。
 仕方なく再生前に全力で粉々に倒していたら、再生を防ぐ手立てがあったという情報。
 過ぎた事は仕方ないと気分を切り替えれば、どういうわけか倒しても倒しても尽きない敵の数。
 
 元より沈着冷静とは言い難い彼は、あっという間に我慢の限界に達した。

 戦闘衝動の赴くまま戦う彼に、もはや理性はない。
 視界に入った生物は例外なく敵であり、獲物だ。

 しかも防御こそおろそかになっているが、攻撃能力はむしろ向上している。
 大物狩りを得意とする、若手冒険者トップクラスの超人が、だ。
 生半可な実力で止めようとすれば、即座にミンチである。
 
 避難民達から離れている今はまだ無害だが、それも時間の問題。
 次に最も近い獲物へと向かえば、たちまち大惨事。

 そのはずだったが、 
  
「――――――獣に堕ちましたか、ゲイツ様」

「っっっっっ!?」

 突如響いた冷たい声に、ゲイツは思わずその場を飛びのいた。

 理性が戻ったわけではない。
 先程の声を聞いた肉体が、勝手に動いただけだ。
 そして肉体は今も勝手に動き続け、生まれたての小鹿の如く震え始める。

 闘争本能に支配されたはずの脳髄が、恐怖という警報を最大音量で鳴らしていた。 

「残念ながら、いつぞやの事は教訓になっておられなかったようですね」

 足音もなく徐々に近づく声に、ゲイツの震えがさらに大きくなる。

 心臓がバクバクと激しい音を立て、呼吸が荒くなっていく。
 震える手から愛用の大剣が重々しく地面に落ちるが、それすら気にならない。
 攻撃が首を掠めた時すら生温い、極上の恐怖が全身を駆け巡り続ける。

 が――――それが幸いし、吹っ飛んだ理性が僅かに戻った。

 おかげで、声の主が絶望の象徴であるという事だけは思い出す。  
 生物にとって最も恐れるべき、死という終焉。
 それが魅力的に感じるほどの何かだと。

 あまりの恐怖に、振り向いて相手の姿を確認する事すら出来ない。
 気配さえまるで感じられないので、逃げようにもどこに逃げるべきかすら不明。
 なにより、とにかくその場を離れようとした足すらも震えるだけで機能しない。
 
 先程までの血の滾りはどこへやら、噴き出た汗が全身を冷たく侵している。

「さて……一応、最後にお尋ねしましょう。ゲイツ様、貴方は躾けるべき獣ですか?」

「すんませんでしたぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 どうにか甦った理性の命令の元、残った力を総動員して声の主に土下座を敢行するゲイツ。

 完全に戻った理性が、記憶が教えていた。
 ここで対応を間違えば、待っているのは惨劇。
 身は打ち砕かれ、心は砕けすぎて粉末と化した拷問。
 二度味わうなど考えたくもないそれを、確実に超えてくるであろう地獄。
 自身の愚かさを心底悔い、その証明を示さねば、それが我が身に振りかかる。

 示したところで振りかかる可能性が低くなる程度。
 そんな事は重々承知であったとしても、やらぬわけにはいかなかった。

「……あれ?」

 数秒経ち、ゲイツが怪訝そうな声を上げた。

 これだけの時間が経過しているのに、何も起こっていない。
 頭を蹴り飛ばされないのは状況で見逃されたとしても、頭を踏まれてすらいないのは不自然。
 彼女は後で拷問にかけるから、とこの場で何もしないような聖女では断じてない。

 おそるおそるゲイツが顔を上げると、そこには怪しげ極まりない白装束仮面の三人組が立っていた。
  
「正気に戻ったようでなにより」

 軽い調子でゲイツに声をかけると、海人は刹那と雫を伴って踵を返す。

 種明かしをすれば、非常に単純。
 完全に気配を断った状態の雫が、海人製の変声機を使いローラの声を再現しただけだ。
 まるで気配を感じない状態で響く、ゲイツにこの上ない恐怖を与える声。
 加えてかつて彼に振りかかったであろう惨劇を想起させる発言内容。
 いかに理性が吹き飛んでいようが、高確率で正気に戻る。

 用は済んだ、と海人が刹那と雫を伴って立ち去ろうとした時、ゲイツが我に返った。 

「待て待て待て!? お前ら何者!? 
怪しすぎるしあの事知ってんのはほとんどいねぇはずだぞ!?」

「いや、そこまで分かってるなら気付け。
多少なりとも知っている可能性があって、この体格の三人組なら答えは出てると思うが?」

 呆れ交じりの海人の言葉にゲイツは一瞬怪訝そうな顔をするが、すぐに悟った。

 ゲイツがかつて体験した地獄を多少でも知る者は、極めて限られる。
 その場で見ていた者を除けば、十にも満たないだろう。
 その中で三人組と括れるのは二組だけで、片方はこんな姿をする理由がない。
 
 改めて見てみれば、二人はこの国では珍しい武器を携えている。
 彼らを知っているゲイツからすれば、正体は一目瞭然だった。

「……なんでそんな姿してんだ?」

「どこもかしこも人だらけの王都で素顔で目立つ気はない。
いつぞやの時とは状況が違いすぎる」

「なるほど。んで、俺もお前らと一緒に行動した方が良いか?」

「状況を考えれば分散するべきだ。避難民は各門へ均等に分散しているからな」

 ゲイツの問いに、海人は悩ましそうに答える。

 王都の騎士達の避難誘導の手際は、間違いなく見事。
 安全な避難経路の確保もさることながら、なにより分散が上手い。
 王都に存在する全ての門に避難民を均等に分散し、効率化と民の焦りの低減を図っている。
 
 が、その分戦力も分散する必要があり、戦力の一極集中など以ての外になっていた。

「あいよ。そんじゃ俺はあっちの方に……ん?」

 ゲイツが駆けだそうとした瞬間、彼の視界に複数の獣の姿が入った。

 すっかり見慣れた、金色の獣達。
 形こそ獣だが、生態はどこまでも無機質。
 威嚇の唸りもなければ、殺気すらもない。
 それでいて下手な魔物より余程強力かつ執念深い。
 
 一斉に襲い掛かってきたそれらをゲイツが迎撃しようとした瞬間――――銀光が閃いた。

『御怪我は?』

「ない。ありがとう」

 確認してくる刹那と雫に、海人は鷹揚に頷く。
 二人が一瞬で十の獣を粉々に切り刻んだ事など、驚くに値しないとばかりに。

(……え? 何あの速度。俺の全速力軽々超えてなかった?)

 手を出す暇すらなかった蹂躙劇に、ゲイツは思わず己の目を疑った。

 戦った事こそないが、刹那と雫が強い事は分かっていた。
 普段の身のこなしからなにから、隙があるように見えても実際はない。
 少なくとも対人戦能力では自分でも勝てない、そう分析していた。
 
 が、流石に基本能力で負けているとまでは思っていなかった。

 ゲイツは獣人族のハーフだ。
 種族的に普通の人間より筋力は優れている。
 鍛錬量が同じなら、否、鍛錬量に倍の差があってもその差はそうそう覆らない。
 機動力で劣る事は十分あり得るが、最高速で劣る事は流石に考えにくかったのだ。

 自信を喪失しかけているゲイツを横に、海人は獣が消え失せた後を見て何やら考え込んでいた。 

(……妙だな。集まってきたにしては早すぎる)

 これまで集めた情報を元に、状況を分析する海人。

 先程上空から見た限り、金色の獣達の数は三百三十二。
 倒せる人間自体限られるとはいえ、倒し方も判明した以上そろそろ遭遇頻度が減ってしかるべきだ。
 
 にもかかわらず、先程からかなりの数の獣と遭遇している。

 ポール達を助けた時の獣に、海人達の前でゲイツが片付けた獣、そして先程の獣達。
 仮に他の人間と遭遇する事無く動き回っていたにしても、短時間に集まるには数が多すぎる。
 
 となれば、再生不能となった個体が消滅しているのではなく、
自ら分解して別の場所で再生している可能性が考えられるが、それにしては上空にいた際その様子が見受けられなかった。

 これらのおかしな点は考えずに放置するには、あまりに危険すぎる。
 そう判断した海人は、さらに深く思考に沈んでいく。 
   
「お、おいカイ……」

 熟考し始めた海人に声を掛けようとするゲイツを、刹那が手で制する。

 刹那には、今の海人が纏う空気に覚えがあった。
 それは、先日友人の為に最強の武器を作り上げた時。
 時間制限がある中、あらゆる手段を考え試みた、その時の空気。
 
 現状を考えれば、間違いなく成すべき最善の対処法について考えているはずだった。 
 
(再生速度の設定をわざわざ遅らせているとすれば、理由は何だ?
術式の目的が生物の追い払い主体なら一定範囲を超えれば追撃が緩むはずだ。
だが空から見た限り追撃自体はまるで緩んでいない。
となれば、効果範囲にいる生物を殲滅する為の魔法と考えるのが妥当。
それを主目的とした場合、わざわざ再生速度を緩める理由は……)

 そこまで考え、海人はあまりに危険すぎる可能性に気付いた。
 血相を変え、全員に指示を飛ばす。

「まずいっ!! ゲイツは北に最高速で王都外壁まで駆け抜けろ!
私達は南へ行く! 予想が当たっていれば、外壁近辺全域が本命だ!」
  
 言うが早いか、海人は自身を刹那に抱えさせ、雫を伴い王都を駆け抜けていった。 








 
  












 シュッツブルグ王城謁見の間。
 現在そこには、多くの人間が集まっていた。
 顔ぶれも明日の仕込みを行っていた料理人、泊まり込みで働く侍女、
夜を通して書類を処理していた文官、深手を負った警備の騎士達など実に豊富だ。

 これだけの人間が集まれば騒がしくなりそうなものだが、室内は静けさに満ちていた。
 
 謎の獣達への怯え、ではない。
 中にはここに来る途中で九死に一生を得た者もいるが、その時の震えは収まっている。
 国王の目の前では恐れ多くて無駄口を叩けない、というわけでもない。
 ここに入った直後は誰もが安堵から口を開いていたし、国王も特に咎めなかった。

 では何故か。

 原因は、国王の斜め前に佇むソニア。
 全身黒の衣装に仮面という姿は、それだけでも威圧感が強い。
 それが抜き身の剣を携えているものだから、余計に悪化している。

 が、それは最大の原因ではない。
  
「ふっ……!」

 突如、軽く鋭い呼気と共にソニアが駆けた。

 直後、謁見の間の入口の壁を突き破り、金色の獣が侵入する。
 猪らしき形のそれは止まる事無く謁見の間を突き進み、近くにいる人間に襲い掛かろうとしたが、

「甘い」

 冷徹な声と共にソニアが駆け、補助魔法の冷気を帯びた剣が閃く。
 
 声の冷たさとは裏腹に、その剣は炎の如く苛烈。
 目にもとまらぬ速度で獣の四肢を斬り捨て、そのまま瞬時に全身を刻む。
 剣にかけてあるのは斬った箇所を凍らせる魔法だが、あまりの速度に効果を発揮する前に獣が霧散した。

 ソニアが駆けてから獣を始末し国王の元に戻るまで、まさしく電光石火の早業であった。 

「お目汚し、失礼いたしました」

「よい。しかし、キリがないな。今ので何匹目じゃ?」

「十五匹目かと」

「ふぅむ……討ち漏らしが多かった、という事か?」

「いえ。そうであればもっとまとまった数が来ているはずです。
数が少なく間が空いているという事は、おそらく今も数が増え続けているのではないかと」

「……余が前線に出れば、お主も動けるな?」

「可能ですが、極めて悪手です。
陛下の危険が増す事もですが、そうなれば騎士達の意識も陛下に向きやすくなります。
最悪、現状は上手くいっている避難誘導が一気に崩壊しかねません」

 王の言葉を、にべもなく切り捨てるソニア。

 己の命を張ってでも民への被害を減じようとする気概、それ自体は良い。
 この場面で恐怖由来の保身しか頭にないような王ではあまりに頼りない。
   
 が、成果はまったく期待できなかった。

 ソニアが城下に出向けば戦力は一気に向上するが、王の危険が増える。
 それに伴う弊害を考えれば、ソニアの戦力追加を踏まえても悪手でしかない。

「むう……」

「加えて、現状ではここから出る過程で多大な問題が発生いたします」

「なに? どういう意味だ?」

「こういう事です」

 王の言葉に応えた瞬間、ソニアの手が霞んだ。

 それと同時に、深手を負った騎士達の一部から悲鳴が上がる。
 彼女が放った、投げナイフによって。 

「な、なにを……!?」

「一見流血が酷く深刻な怪我に見えますが、その割に顔色は良い。
加えて細かな動きも重傷者のそれではありません。
そしてなにより、今ので即座に殺意を向けてきました」

 思わず立ち上がろうとする王を制し、ソニアは静かに説明する。

 深手の怪我を装いここに避難した騎士であれば、恐怖に負けた敵前逃亡。
 この状況では断じて許される話ではないが、害はない。
 この場では見逃して問題なかった。

 が、ソニアが投げたナイフへの反応が問題だ。

 それが刺さった瞬間、彼らはソニアに殺意を向けた。
 敵前逃亡者であれば、恐怖や戸惑いが先に来るはずなのに。
 
 であれば、状況からして答えは一つ。
  
『うおおぉぉぉぉあああああああっ!!』

 負傷者に化けていた侵入者達が、刺さったナイフを一斉にソニアへ投げる。

 ソニアはそれを剣の一振りで薙ぎ払うが、その間に侵入者達は攻撃態勢に移っていた。
 手近にあった剣を構え、手傷など知った事かとばかりに全速力で突撃。
 バラバラに駆けているようだが、その実位置取りは考え抜かれている。
 ソニアがどう迎撃しても、三人全てを始末するには時間がかかる位置関係。 
 一見ヤケクソのような特攻に見えるが、明確な連携攻撃だ。

 が、ソニアは全く動じなかった。  

「…………その程度か」

 つまらなそうにソニアが呟く。

 強者と呼んで差し支えない男三人が向かってきているにもかかわらず、動揺は皆無。
 ゆっくりと、そして無造作に男達の方へ歩み寄りながら、剣を構える。 
 その途端男達の速度がさらに増すが、ソニアの速度は緩慢なまま。
 
 そしてついに男達の振り上げた武器がソニアに肉薄し、

「練度がまるで足りない」

 心底下らなそうに呟くソニアの剣が、ようやく振るわれる。

 その剣の軌跡は、まるで舞の如く優雅。
 傍目には防ぐ事は容易そうにも見える斬撃。

 が、結果は剣舞には程遠かった。

 ソニアの剣が、あまりにも自然に男達の腕を斬り落とす。
 振るわれた武器と一合交える事すらなく、まるですり抜けるように。
 そしてそのまま舞うように男達の体に刃を通し、切り刻んだ。

 その間、実に一秒未満。
 ソニアが僅かに付着した剣の血を払うと同時、侵入者達はバラバラに崩れ落ちた。 

「……恐るべき剣の冴えよな。実に頼もしい」

「まだ未熟です。ですが、今ので一つ情報が入りました」

「情報、とな?」

「私の見立てが正しければ、連中の主目的は宝物庫かと。
陛下の御命については奪えればなお良し、と言ったところでしょう」

 再び王の前に待機し、ソニアは述べる。

 上手く癖を隠してはいたが、斬り捨てた男達が使っていた剣技はエルガルド王国系。
 それも、騎士などの国家から正規の訓練を受けた者の特徴があった。
 
 となると、主目的は宝物庫と見当がつく。

 先日流していた情報に引っかかったエルガルドの鼠は、それにこそ食いついていたのだから。
 本命のつもりで流した国王の警備状況の偽情報には、見向きもしなかったと聞いている。

(……だとすれば、予測の可否はともかく私達の失態。
またシェリス様が頭抱えそうね)

 机に突っ伏す主君の姿を想像し、仮面の下でソニアの頬が緩む。

 流した情報を手に入れたエルガルドの鼠達が、宝物庫を狙ってくる事は読めていた。
 少数精鋭であくまで隠密に事を運ぶなら、王都に待機した仮面騎士の誰かが処理。
 万全を期して戦力を整えてくるのであれば、時間がかかる。

 なので、海人に危害が及ばないよう早期の旅行を企画したのだが、裏目に出た。
 エルガルドの連中が王都外に出て戻ってきていない事も確認していたが、それで割り切れるシェリスではない。

 ソニアが見ていて飽きない主の百面相を想像して楽しんでいると、王が訝し気に声をかけてきた。 

「……剣の君よ。随分落ち着いておるようじゃが、何か策でもあるのか?」

「特には。必要もないでしょう。そもそも、私の役割は陛下の護衛ですので」

「……宝物庫に向かった仮面騎士はそこまでの実力者なのか?」

「少なくとも、墓に入ったところは見た事がありません」

「警備担当の騎士達の命までは望めぬか?」

「状況次第かと。可能であれば守るでしょう」

 王の言葉に、淀みなく冷静な言葉を返すソニア。
 ある意味誠実ではあるのだが、それゆえに人間味が感じられない言葉でもあった。

(……勘違いされてるわね。無理もないけど)

 室内の人間の顔色を見ながら、ソニアはそんな事を思う。

 先程返した言葉は、全て偽りない本音だ。 
 現在最優先で守るべきは、王の命であり、安全。
 そしてそれを担うべきは、現在王都にいる仮面騎士最強たる自分。
 仲間を助ける為にこの場を離れるなど、出来ようはずもない。

 が、それだけでもなかった。

 たかがエルガルドの諜報員程度なら、レザリアは問題なく片付ける。
 屋敷最底辺の武才だが、それでも最古参メイドの一角。
 地獄のような戦場の数々を渡り歩いた猛者である。

 最古参屈指の御人好しでもあるので、余裕があるなら騎士も守るだろう。

(……とはいえ、余計な希望を持たせるのも良くないでしょうし)

 そっと、息を吐くソニア。
 どうせ毎度のように余計な不運に襲われているであろう同僚の無事を、一応祈りつつ。
 

   

 

















 カーナは、全速力でひっきりなしに王都を駆け巡っていた。

 細かい事は一切考えていない。
 おそらくこちらに行くべきだという勘に従って移動。
 そして道中及び移動先にいる獣を全力で叩き潰す。
 救った人間の称賛や感謝の声に応える事すらなく。
 
 ただそれだけで相当な戦果を挙げていたが、仮面の下にある彼女の顔は焦燥感に満ちていた。
 
(……ええい、なんなんだいこの嫌な感じは! 敵を潰しても潰しても増してくとか初めてだよ!?)

 苛立ちをぶつけるように、炎を纏った鎚で獣の全身を轢き潰していくカーナ。

 嫌な予感それ自体は、カーナにとって珍しいものではない。
 軍師の策に従って行軍した結果待ち伏せにあったり、後方の補給部隊が壊滅して一週間まともに食えなくなったり、
敵兵ごと味方の拳圧にぶっ飛ばされたり、そんな時は必ずこういった予感があった。
 そしてそのことごとくが的中している。

 しかし、勘に従って行動していれば大体改善されていたのだ。
 改善されない時もあったが、その時は大抵そもそもの状況が詰んでいた。
 敵軍との衝突時、最前線に一撃で構えた盾も防具も、ついでに意識も消し飛ばす化物がいたりとか。

 それが今回に限り原因であろう獣をいくら倒しても軽くならないどころか、増していく。
 速度が足りないのかと思って殲滅速度を強引に上げもしたが、まったく変わらない。
  
(ああああああああああ! なんかヤバい! めっちゃヤバい! 
それは分かるのに何がヤバいのかが分かんねえっ!
ええいこうなったら……!)

 敵を潰しても潰しても増していく嫌な予感に、カーナの忍耐力が尽きた。

 まったく全貌が掴めない現状に対する怒り。
 潰しても潰してもどこからか湧き出てくる獣達への憤怒。
 あらゆる激情を燃料に変え、感情を燃やす。

 仮面の下の形相を猛獣の如きそれに変え、カーナは吠えた。

「おらおらおらおらおらおらおらぁぁぁぁぁぁぁっ!
しぶてぇだけの害獣共が、邪魔すんじゃねえぇぇぇっ!!」 

 怒鳴り散らしながら、獣達を片っ端から蹂躙し始めるカーナ。

 小型の獣は鎚の一振りで体の大半を潰され、消滅。
 大型の獣は体の大部分を消し飛ばされ、硬直している一瞬の追撃で残りも消滅。
 群れでかかってこようがその勢いは衰える事無く、むしろ好都合とばかりに返り討ち。

 先程までの殲滅速度を旋風とすれば、今の速度はもはや竜巻。
 鎚の軌道に入ったが最後、バラバラに引き裂かれる。

 ――――行っている事は、至極単純。

 元より野性的な戦い方を好むカーナとて、無意識の制限は存在する。
 それを感情の爆発によって強引に吹き飛ばし、数段上の力を手に入れたのだ。

 先程暴走していた、ゲイツのように。

 大きな違いは、闘争本能に呑まれたゲイツに対し、カーナは理性を保っているという点。
 思考能力は低下しているが敵味方の判別はつき、建物への余計な被害すら避けている。
 
 だが、カーナにとってこの状態になる一番の利点は、

(ここ、あそこ、あっちぃっ! いいねいいねぇ、絶好調だ!)

 鋭さを増した直感と決断力によって、避難効率を極大化していくカーナ。

 野生の獣さながらの荒々しい戦いぶりながら、結果は完璧。
 騎士達の対応が遅れる所に出てきた獣を優先的に叩き潰し、避難ルートに出てきた獣を消し飛ばす。
 その順番が的確極まりなく、まるで予知能力の如き正確性を維持している。  
 
 が、この状態は長くは続かない。

 感情を爆発させつつ理性を維持するというのは、荒業でありながら非常に繊細。
 感情を爆発させすぎれば理性が飛び、理性を維持しすぎれば感情が収まっていく。
 加えて長時間続ければ、感情の強さそのものが弱まってしまうのだ。

 カーナにとって奥の手と言って差し支えないその手札を今使用した理由は、ただ一つ。    

「こっちかぁぁぁぁぁっ!」

 雄たけびを上げながら、カーナは全速力で勘が示す方向に突進した。

 そこは今しがた近場の獣達が完全に排除された場所。
 その手前ではこれまで閉ざされていた王都の外への道が開かれ、安堵や歓喜の声が聞こえている。
 当然敵などいようはずもなく、いたとしても周辺の騎士や冒険者達が対応するはずだ。

 が、カーナは迷わない。

 そこにいる者達では対応できない何かが起こると絶対の確信を持ち、駆け抜ける。
 整然と並んだ避難民の列を横目に建物の屋根を駆け、跳び、ただひたすらに。

 そして何もいない、避難民達がこれから通るはずだった場所に到達した瞬間、

「っだぁらっしゃああああああああああっ!」

 カーナは己の周囲を薙ぎ払うように、鎚を振るった。

 手加減抜きの、本気の薙ぎ払い。
 風圧だけでまだ距離のある避難民達を吹っ飛ばしかねない一撃。

 それが――――突如地面から現れた金色の人型達に、叩き込まれた。

「はっ! 頑丈じゃあないか……!」

 上等だ、とカーナは仮面の下で唇を舐める。

 カーナの鎚を受けた人型達は、ただ吹き飛んだだけだった。
 王都を守る外壁に深くめり込んではいるが、すぐに這い出てくるだろう。
 先程まで相手にしていた獣であれば、間違いなく消し飛んでいたというのに。
 しかもそれがこの時を待っていたとばかりに、どんどん地面から生えてくる。

 それは瞬く間に広がっていき、折角開いた王都の外への道を完全に塞いでしまった。   
  
(つまりこいつらが本命かい……! まずいねぇ……!) 

 ちっ、と舌打ちをするカーナ。

 人型共を片付けるだけなら、そう大きな問題はない。
 より強い力でぶん殴り、より速い速度で叩き潰す、それだけの話。

 が――――カーナの背後には避難民がいる。

 それらを守りながらとなると、非常に分が悪い。
 容易くは仕留められぬ相手が多数なのに対し、まともに対抗できるのはカーナ一人。
 冒険者や騎士も奮闘はしているが、確実な足止めには一体に五人は必要だ。

 可能ならば避難民にすり抜けてほしい所だが、それも無理難題。
 殺意満々の人型がどこから生えてくるか分からない状況で、
巻き込まれたら即死の激戦の脇を通り抜ける度胸など、一般人にあるはずがない。
 どうにか列を乱さず後退してくれている現状でも、称賛に値する。

 どうしたものか、と考えていると、カーナの感覚にこちら突撃してくる三人組の気配が引っ掛かった。

 その速度たるや、ローラを除けば屋敷で最高速を誇るカーナすら上回る程。
 危険は感じないのでおそらく海人達だとは思うが、いくらなんでも速すぎた。
 古代遺産の大当たりでも使わない限り、彼らにこの速度を出せるはずがない。

 そうしてカーナが驚愕している間に、白装束の三人組がカーナの近くにいた人型を消滅させながら着地した。

「ええい、嫌な予想ほどよく当たるな……!」

「ともあれ、片付けるべきかと……お前はあちらを」

 舌打ちする海人を宥めつつ、刹那が雫に指示を出す。

「はいはいっと」

 雫が指示された方向に飛ぶと同時に、刹那は襲ってきた人型に斬撃を返す。

 先程までとは違い、剣で防がれるが、慌てる事無く刹那は逆の手で首を刎ねた。
 そして人型が一瞬硬直した隙に、全身に斬撃を浴びせて粉々にする。
 息つく間もなく次なる人型が槍を構えて襲ってくるが、今度は攻撃を受け流しつつ片手で上空に投げた。
 同時に逆の手で海人を引き倒し、彼の背後に迫っていた斧を構えた人型を蹴り飛ばす。

 その間に落ちてきた槍持ちを仕留めるべく斬撃を放つも、槍で防がれ取り逃がしてしまった。

「……獣達とは全く手応えが違いますね。少々手間取りそうです」

 立ち上がった海人を背後に庇いながら、刹那はそんな分析を述べる。

 先程まで相手にしていた獣達とは違い、この人型は手強い。
 人型なのでやりやすくはあるのだが、その分人型らしい技がある。
 剣、槍、斧などそれぞれの武器で基礎をしっかり押さえた動き。

 そこまで優れた技巧ではないが、獣と同等以上の攻防速という条件が加わっているせいで手強くなっている。
 
「最大の理由は技か?」

「はい。防御力はそこまでではありませんが、これまでのように即座に切り刻むのは無理です」

「……仕方あるまい。 タマ! ≪ドラグナー・ブレイズ≫を使え!」

「了解しましたけど、やっぱりその偽名どうにかなりません!?」

 海人に抗議しつつ雫は魔法を詠唱し、発動させる。

 発動と同時に現れたのは、炎で出来た粗雑な細工の東洋竜。
 頭部の造形はそれなりに精巧だが、胴体部分はさながら炎のチューブだ。
 
 とはいえ――――威力は折り紙付きだ。

「わーお……」

 手は止めないながらも、カーナは思わず言葉を失う。

 炎の龍は、人型を次から次にバクバクと食い散らかしている。
 ある時は牙で引き裂き、ある時は丸のみといった具合に。
 
 当然人型も黙ってやられてはいないのだが、どうやら攻撃魔法らしく、
斬っても突いても怯む事なく暴れ回っている。
 再生は出来ないらしく体は徐々に欠損しているのだが、なかなかしぶとい。

 結局、炎の龍は消滅するまでに人型四体を葬っていた。
 
 この魔法があればいける、カーナがそう思った矢先、

「おかわりぃっ!?」

 再び地面から出現した人型が、驚く雫に襲い掛かった。
 数は二体と雫が葬った数より少ないが、問題は出現地点。
 この人型はカーナの到着と同時に現れた連中より、門に近かった。

「くっそ……! 避難民を先に逃がしてもその先に連中が現れる可能性があるって事かい!」

「ええい、古代人なんだろうが考えた奴は本気で根性腐ってるな……! 
仕方あるまい! タマ、お前は逆回りで外壁周辺の敵を駆逐しろ!」

「了解! でもやっぱり偽名については帰ってからきっちり話し合いましょう!」

 偽名についての抗議は忘れず、しかし雫は素直に海人の指示に従い逆方向に駆けていく。 
 
 それを見送りつつ背を向け、海人と刹那も駆除にかかった。
 海人が障壁で人型達の攻撃を防ぎ、刹那はそれによって生じた隙に人型を切り刻む。
 ただそれだけの連携であったが、隙らしい隙が一切ない。

 海人が防ぐのは、自分や刹那のみならず避難民への攻撃もである。
 それによって刹那は攻撃に専念でき、殲滅速度が劇的に向上していた。
 強いて難を挙げれば海人の移動速度だが、刹那が彼をこまめに掴んで移動する事で上手く補っている。
  
 とはいえ、それでも手数が足りない。
 王都外壁の敵を全て片付けるには、これでも不足。
 片付ける事自体は出来るだろうが、その間に膨大な犠牲が出てしまう。

 だからこそ海人は更なる効率化の為に、先程から何故か一緒に戦っている仮面騎士に苦言を呈した。

「……仮面騎士殿。命令するつもりはないが、あっちの方に行った方が効率が良かったと思うんだが?」

「分かってるんだがね、こっちに行くべきだってあた……私の勘ががなり立ててんだよ」

「勘に頼るなとは言わんが、外れてる可能性も考えるべきだろう。
この状況、控えめに言ってもほぼ最悪だぞ?」

 海人は、口惜しそうに舌打ちする。

 彼の視線の先には、どうにか人型共からの攻撃を逃れた避難民の姿。
 脱出口の方に唐突に敵が現れたという事実にパニックを起こし、王都中心の方に逆戻りしている。
 それも騎士達の誘導すらまともに聞かず、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように。

 ――――無理もない。

 やっと安全な場所が見えてきた、もうすぐ助かる。
 そう思った矢先に道を塞ぐように現れた、これまで以上に恐ろしい敵。
 これで一般人にパニックを起こすなという方が無理だろう。
 むしろここまで大きなパニックを起こさず、避難誘導に従っていた事を称賛すべきだ。

 とはいえ、状況が極めて悪くなっているのも事実。

 騎士達の一糸乱れぬ誘導は、少数の騎士で避難民を守る為でもある。
 バラバラに逃げられては、とても全員を守るなど無理な話だ。
   
「敵の追加さえ封じられりゃ、なんとでもなるんだがねぇ!」

「それが出来れば苦労はしない。やるとすればおそらくこの王都の地下深くにあるであろう――――」

 言いかけて、言葉を切る海人。
 攻防の手は止めぬまま、思考に沈む。

「どうした?」

「大博打、いや、術式を工夫すれば最悪でも十分程度は封じ―――」

「それだぁぁぁぁっ! それをやってくれ!」

 海人の言葉を遮るように、カーナが叫んだ。

「いや、勝手に言ってくれるがこれには色々問題が……」

「あた……私の勘があんたの案が最善だと言っている! こういう時に外れた事はほぼない!」

 渋る海人の言葉を再び遮り、カーナは断言する。

 海人が大博打と言った瞬間、カーナの脳裏に脳をつんざくような閃きが迸った。
 これまでの経験上、この感覚が生じた時はそれ以上の解決策がない。
 しかも時間が迫っている事が多く、迅速の決断が不可欠。 

 渋る理由は分からないが、なんとしても海人を動かさねばならなかった。 

「ぬう……その勘とやら、君の怖い方の上司はどの程度信頼している? 鼻提灯生徒」

「ぶっ!? え? ちょ、ちょまっ、なんで!?」

 海人の言葉に、思わず手を滑らせかけるカーナ。

 海人が、今のカーナを判別できるはずがない。
 仮面騎士の衣装は、顔だけでなく男女の判別すら困難にする。
 仮面騎士の正体を知っていれば屋敷最大の体格で判別できるが、それは重要機密。
 海人にも教えていない、それは三年の任務から戻ってきた時に通達されている。
 
 にもかかわらず、海人はカーナと特定してきた。

 鼻提灯生徒というのは、海人が初回の授業で居眠りしたカーナに付けたあだ名。
 そして、海人の狭い交友関係で他にこんな珍妙なあだ名を付けられた生徒がいるとは思えない。

 極秘事項を看破された事に動転するカーナに、海人は容赦なく追撃をかけた。

「さっさと答えたまえ。多少カマかけも混ざってた事含め全部報告するぞ?」

「今ぐらい確信できる時はそれ元に総隊長が三日かけた戦術も組み直します!」

 動揺を一気に吹き飛ばし、はきはきと答えるカーナ。
 全て包み隠さず報告されたら、間違いなくローラの拳が飛んでくるのだ。
  
「よろしい。なら、今から頼む事を実行してくれ。
ただし、可能であればだ。無理だけはしないように」

 コクコクと頷くカーナに、海人は作戦を説明し始めた。
 
 
















  




   


 宝物庫では、レザリアとドラングによる激戦が繰り広げられていた。

 ドラングの戦法は、一言で言えば荒々しい剛の剣。
 老いて尚凄まじい膂力と速度で獲物を狙う様は、まるで狩人。
 だが、幾度もレザリアの拳や蹴りを受けながら怯まぬその様子は、狂戦士と言う他ない。

 対するレザリアの戦法は、回避に特化した柔の拳。
 次から次に襲い来るドラングの剣、そして稀に混ざる蹴りや拳すらもしなやかに受け流す。
 その手法は実に多種多様で、手足はおろか時に床に転がった剣やドラングが砕いた床の破片すらも使う。
 時折ドラングの攻撃がかすりはしているが、あくまでもかすり傷程度。
 
 が、疲弊しているのはレザリアだった。
 
 攻撃を一方的に当てていると言えば聞こえはいいが、実際のダメージは微々たるもの。
 鎧やら強靭な肉体やらに阻まれて、威力が減衰しているのだ。   
 それでいてレザリアは一手間違えればあの世に直行する攻撃の乱舞を回避せねばならない。
 基礎体力の差もあり、恐ろしく戦況は悪かった。
   
「ふっ、ふっ……!」

「大したものよ。わしを相手にこれだけ生き延び、その程度しか息が切れんとはな。
が、それもここまでじゃ!」

 ドラングの剣が、これまでよりもさらに速度を増す。

 一撃、二撃、三撃と徐々に加速し、威力も増していく。
 先程までは服を掠める程度だったそれが、明確に服に当たり始める。
 レザリアはそれでも体に当たる事は回避するが、ドラングの猛攻撃に徐々に苦しくなり始めた。

 そして――――ついに、腕を覆っていた生地が切り裂かれる。

「その筋肉の付き方……ふむ、女だったか」

「そーですよ。男が女にムキになるとか、みっともないと思いません?」

 バレたならば取り繕う必要もない、とレザリアは口調を素に戻す。

「ふははっ! なかなか生き汚いようじゃな! 
しかし、見事なまでの回避よ。ここまで仕留められんのは何年振りじゃろうな」

 感心しつつ、これまでの戦歴とレザリアを比較するドラング。

 眼前の仮面騎士の戦法自体は、極めて単純。
 基本は回避に徹し、必殺の一撃を叩き込む隙を伺う。
 防戦一方に見せかけてカウンターも狙ってくるので、油断ならない。
 覚えているだけでも、十回はあと一歩で致命傷だった場面がある。

 冒険者時代で連想されるのは、上位ドラゴン。
 当たれば必殺の超攻撃力に、全力の攻撃以外では傷もつかない超防御力。
 流石にあれと比較すれば可愛いものだが、あの時の先の見えなさが想起される。

 傭兵時代では、該当者すらいない。
 当時ドラングが全力で襲い掛かれば、大半の敵兵は枯葉も同然。
 防御しようとした者はそれ諸共打ち砕き、回避しようとした者はそれより早く真っ二つ。
 中には手応えのある猛者もいたが、それとてこうも見事に回避を続けられなかった。 
   
「御迎えの近い御老人の攻撃に当たるのも問題でしょう?」

「ぬかしよる」

 笑みを深めると、ドラングは再びレザリアに襲い掛かった。

 愛用の剣を上段から叩き落とす、剛の剣。
 その威力たるや、巨大な魔物すら頭から唐竹割りに出来る程。
 まともに受ければ即死、かすっただけでも大きく弾き飛ばされる。
 
 そんな一撃に対し、レザリアは迷う事なく側面から蹴りを叩き込んだ。
 蹴りの威力で剣の軌道が僅かに逸れ、さらに蹴った足を軸に回転する事で無傷での回避を行う。
 そればかりか、そのままドラングの側頭部に向けて空中で後ろ回し蹴りを放った。

「甘いわ!」

 眼前に迫る足を目の当たりにしながらも、ドラングは不敵な笑みを深めた。

 ドラングは即座に剣から手を離し、レザリアの足を掴もうとするが、
レザリアは体幹を使い強引に蹴りの軌道を上に変えると、
そのままバック転して着地し、床に突き刺さった剣を蹴り飛ばす。

「ちっ……!」

 軽く舌打ちをしながらレザリアが後ろに跳ぶと、彼女のいた場所をドラングの拳が通過する。

 そしてそのまま彼の拳はレザリアが蹴り飛ばせなかった愛剣を掴み、追撃にかかった。
 予想外の事態でも咄嗟にその場を離れる反応速度は大したものだが、それでも態勢は崩れている。
 徐々にレザリアの反応が遅れて回避が拙くなり始め、危うくなっていく。
 そこを逃さずドラングは一気呵成に責め立て、ついにレザリアの胴体を僅かに切り裂いた。

 が、それと引き換えにレザリアは一気に距離を取り、体勢を立て直す。
 
「……凄まじい」

 ドラングは、レザリアの肌を見て思わず呟いていた。

 分厚い布に隠されていた肌は、一言で言えば無惨。
 微かに残る色白な肌を除けば、全てが多種多様な傷痕。
 斬られたような痕、抉られたような痕、焼けたような痕、
それらが何重にも重なり、見えている部分だけでも一体幾つの傷があるのか分からない程だ。

 歴戦の戦士なら古傷は付き物だが、レザリアのそれはあまりに多すぎた。

「なにぶん弱っちいもんで。ま、良い副産物もあるんで気にしちゃいませんがね」

 己の傷を気にした様子もなく、レザリアは肩を竦めた。

 この傷痕は、腹どころか全身に同じような物が刻まれている。
 顔や手足は比較的軽度だが、それでも化粧なしには表に晒せない有様。
 背中などにいたっては、傷痕を特殊なパテで埋める必要すらある。
 服を選ばず堂々と表を歩けるようになるには、かなりの研究を要した。

 傷痕を隠す為の技術が高じて、千変万化の変装術と化した程に。

「並々ならぬ執念よな――――だからこそ、お主のような凡人がそれ程の力を手に入れられたわけか」 

「……どういう意味です?」

 ぴくり、とレザリアの体が震えた。
 それを見たドラングは、軽く鼻を鳴らし言葉を続ける。
 
「先程からのお主の動き、見事ではあるがまるで才を感じぬ。
数え切れぬ攻撃を浴び、その中でどうにかこうにか生き延びる為の技を培ったといったところじゃろう」

「へえ? 知った風な事を言いますね?」

 嘲るようなドラングの言葉に対し、軽く応じるレザリア。
 しかし、その声音は先程よりも僅かに平坦になっている。 
  
「より顕著なのは攻撃じゃ。反撃に転じる際の調子が単調すぎる。
一応変えてはいるが、それすらも読みやすい。面白みがない」

「その割には当たってますけどねぇ?」

 明らかに見下したドラングの言葉に、レザリアは嘲笑を返す。

 偉そうな事を言ってはいるが、事実としてドラングは未だレザリアを仕留められていない。
 それどころか単調だと評する攻撃に幾度となく当たっている始末だ。 

「あんな軽い攻撃、避けるまでもないわ。
むしろ、攻撃をしたお主の方がダメージを受けておるのではないか?」

「さて、どうでしょうね?」

「強がりもそこまで来れば見事よな。が、そろそろ飽きた。
わしが戦いたいのは、真に才ある強者。お主如き凡人に用はない」   
 
「あっはっは――――身の程知らずにも程があるよ、死にぞこない」

 レザリアの声が、変質した。
 それまでの軽いものから、ぞっとするほど冷たいものへと。 

「何?」

「真に才ある強者? ええ、いますとも。あたしなんぞ足元にも及ばない化物はゴロゴロと。
あたし程度なら一分かからず殺せる化物なんて、珍しくもなんともない」

 言葉を切り、ドラングを睨み付けるレザリア。

 本気になれば何が起こったかすら分からぬままぶっ飛ばされる姉貴分。
 剣を握ったが最後、磨き抜いた剣技で一方的に蹂躙してくる同僚。
 得意の間合に持ち込まれたが最後、大して手傷も負わせられない実姉。
 
 他にも山のような化物共を知るレザリアからすれば、ドラングは愚か者でしかない。

「そんな相手と戦いたい? あたし程度にこんだけ手こずってる三下が?
はっ! 無知なボケ老人に教えてあげますけど、それは殺されたいっていうんですよ」

「……なるほど、そうして諦め負け犬になった、か。
みじめよな。足掻きもせずに見上げるだけとは」

「足掻きもせず……? ふざけるな! どれだけ足掻いて、どれだけ無力を突きつけられ!
その果てに届かないと見切ったか、お前如きに分かるもんかぁぁぁっ!」

 地下全域を震わせるようなレザリアの怒声が響き、直後強烈な踏み込みの音が響き渡った。

「愚か者めが!」

 これまでで最高の速度で突撃してきたレザリアに、ドラングは会心の笑みを浮かべた。

 先程までの言葉は本音だが、その本質は挑発。
 レザリアの回避は見事な技術だが、冷静さを欠けば精度は半減。
 これまで紙一重で避け続けている事を踏まえれば、間違いなく致命的だ。 

 その為に怒りを煽ったのだが、想像以上に効果があった。

 これまで以上の速度ではあるが、動きは単調で読みやすい。
 正しく最強の一撃を放とうと、動きを読まれてしまえばただの的。
 相手が速度でも膂力でも勝るとなれば、尚の事。
 
 勝利を確信したドラングは、全身全霊の斬撃をレザリアに向かって振り下ろした。
 
(――――ま、怒りは怒り、勝負は勝負なんだけどね)

 踏み込んだ脚とは逆の足のつま先を地面に突き立て、強引に体を引き戻すレザリア。

 それによって、ドラングが必殺と確信した一撃は虚しく宙を斬った。
 勝負を決めるつもりで放った全力の一撃であったがゆえに、外した隙は大きい。
 ドラングは咄嗟に肉体強化の限度を超えつつ、全力で防御態勢に移行しようとする。
 危うい状況だが、これでこの瞬間の敗北は免れる。  

 そのはずだったが――――直後、レザリアの拳はドラングの剣を砕き彼の胸を貫いていた。

「ば、馬鹿……な、こんな、速度、威力……それに、確かに、怒り、を………………」 

 ごぶっ、と血を吐いている事すら気に留めず、ドラングは大きく目を見開く。

 この状況は、それほどまでにありえない事だった。
 先程のレザリアは、間違いなく怒りに我を忘れていたはずだ。
 表情や口調もだが、体幹のブレや踏み込みの粗雑さがそれを物語っていた。
 にもかかわらず、突如怒気が消え、渾身の一撃を避けられたのだ。

 しかも、その直後に叩き込んできたとどめの一撃がこれまたありえない。

 技それ自体は、先程までとまるで変わらぬ、才能を感じない一撃。
 肉体強化の限度越えをしたところで威力は知れており、どう転んでも即死はありえない。
 そのはずだったのに、見立てを軽々と上回る速度と威力で愛剣ごとドラングの胸を貫いた。
 それでいて、胸を貫く拳は折れている様子すらなく健在。 

「……あたしは確かに凡人ですし負け犬ですがね」

 ふん、と鼻を鳴らし、レザリアは拳をドラングの胸から引き抜く。

 力を失った肉体を支えていたものが引き抜かれ、その勢いで老冒険者の巨躯が崩れ落ちる。
 ドラングはなおも足掻くかのように手をレザリアに向けるが、届く事はない。

 未だ己の敗北を認められずにいる老戦士に向かい、レザリアは吐き捨てる。

「それでも、努力の足りない天才如きに負けた事はないんですよ」

 その言葉と同時に、ドラングの手から力が抜け、目から光が消えた。

「あー……キッツかったぁ……」

 どさり、と思わず腰から崩れ落ちるレザリア。

 実のところ、勝利はかなり危ういものだった。
 ドラングの実力は本物であり、レザリアは追い詰められていた。
 純粋な実力のみで言えば、勝率は二割に満たなかっただろう。

 勝因は、主に二つ。

 一つは、ドラングが勝負を焦った事。
 しぶといレザリアに焦れて、彼女の才を貶め怒りを煽る事で早々に勝負を決めようとした。
 周囲の天才共とは比較にもならない凡人、自らをそう断定するレザリアに対し。  
 結果、とどめの一撃でつもりで放った攻撃をあっさりかわされ、大きな隙をさらした。

 もう一つは、彼の生涯があまりに堅実すぎた事。

 だからこそ、レザリアの底力を想定すら出来なかった。
 命の危機に晒され、初めて習得の可能性が生まれる戦闘技術。
 レザリアが仲間内では最も習得の機会が多かったにもかかわらず、一番最後に身に付けた技術。
 ドラングが冒険者らしい人生を歩んでいれば、才と年齢からして身に付けている可能性は高かった。
 そしてもしそうであれば、今頃レザリアは屍になっていただろう。
 レザリアより、間違いなく力の保有量は多いはずだったのだから。

 そんな事を考えているレザリアに、同僚を抱えて隅に避難していた騎士が声をかけてきた。  

「……な、なあ……」

「なんですか? 正直、疲れて喋るのも億劫なんですけど」

 問いかけてきた騎士に、レザリアは視線すら向けずに答える。
 疲れきっているだけで他意はないのだが、騎士からは恐縮するような様子が感じられた。

「……そんだけの力得るのに、どれだけ時間かかったんだ?」

「9年ぐらいですかね。代償はこの通りですから、真似しない方が良いですよー?」

 服を大きくめくりながら、軽い調子で答えるレザリア。

 騎士は、目の前に晒された光景に思わず息を呑んだ。

 そこにあったのは、どんな拷問を受けたのかと叫びたくなるほど無惨な傷痕。
 先輩騎士達と風呂に入った時などに見た古傷など、比較にも値しない程に痛々しい。
 男でも人前に出る事が躊躇われるそうなそれを、女性が負っている。

 その心中を慮り、絶句する他なかった。

「んーな目しなくても、気にしちゃいないですよ。
こんだけの傷に見合う対価は得てますんでね」

 からからと、笑う。

 体の傷は勲章、とまで開き直れはしないが悔やんではいない。
 その代償に手に入った力や技能を考えれば、安い代償。
 レザリアはそう考えているからだ。

 そもそも武才のみで言えばレザリアは、シェリスの屋敷において最下位だ。
 最古参どころか、選び抜かれた後輩達にすら大きく劣る。
 将来有望すぎる後輩達の姿に落ち込んだ事は一度や二度ではない。

 それが天才揃いの最古参の一角、それも最下位を免れているのは、経験の賜物。
 幾度となく体を切り裂かれ、抉られ、殴られ、死にかけ、身をもって様々な武術を学習した。
 今では世に数多存在する流派だけでなく、我流への対処法すらも習得している。

 加えて、傷をどうにか隠そうとした過程で生まれた変装術。
 あれに関しては並ぶ者もそう多くはいない、そう胸を張れる。

(とはいえ、流石に今日は限界だねぇ……おかわりきたら今度こそ死ぬかも)

 騎士の質問が終わった事を感じ、レザリアは呼吸を整えた。
 怒りに任せて使いすぎた力を、少しでも温存するために。

 
  
  
 
 

















 王都のほぼ中央の上空。
 眼下で繰り広げられる阿鼻叫喚を見下ろしながら、海人は呼吸を整えていた。
 無属性魔法の障壁に腹を乗せ、背には巨大な翼のような形状の無属性魔法で作った物質を背負っている。

「……照準良し、と」

「……確認いたしますが、本当に仰る魔法は存在するのですね?」

「ああ。魔力を溜める手間を少しでも省く為に考えた術式だったが、いつ何が役に立つか分からんものだな」

 刹那の念押しに、海人は肩を竦めながら答える。

 これから海人が使う魔法は、空気中に散った魔力を集めて再利用する為の魔法。
 魔法などに使用してしまうと魔力は変質し、多すぎて消費しきれなかった余剰魔力も再利用できない。
 通常の魔法ならまだしも、莫大な魔力を要する聖武具製作となると、この量は馬鹿にならない、
 それこそ武具一つに付き海人の全魔力一日分程の差が出てしまう。
 
 それをどうにか再利用する為に考えたのが、今使おうとしている魔法。

 無属性魔法で作ったフィルターを通し、空気中の魔力をろ過。
 そしてそれを術者の肉体に取り込み、保持する。
 
 今回はそれを元に、海人が開発した無属性攻撃魔法を使用する。
 起動に海人の全魔力の数倍を要するなど多々問題があり、結局使い物になってなかった魔法を。

 海人は刹那にカーナと決めた合図を出すよう指示すると、予定通り詠唱を行った。

「……主なく揺蕩う力よ、我が声を聴け。
我こそは力の渇望者。世界を呑まんとする強欲を振るう者なり。
我こそは汝らを受け入れる器。我こそは汝らに意義を与える者。
汝らの力と引き換えに、我は汝らに価値を与えよう」

「こ、これは……!」

 魔法の発動と同時に目の前で起こり始めた現象に、刹那は思わず声を震わせる。

 地上で金色の獣たちが霧散する度、魔力と思しき光が海人に集い吸収されていく。
 そしてそれは彼を通しその背にある無属性魔法の物質に流れ込む。
 流れ込む量が増えるに従い、物質の輝きがみるみる増していく。
 後先を無視した全力で暴れ始めたカーナによって、その勢いはさらに増している。
 騎士や冒険者達もそれに負けじとばかりに殲滅速度を上げ始め、勢いはさらに加速していた。
  
 ――――それだけでは、ない。

 魔力が集まるにしたがって、周囲の鳴動が強くなっている。
 初めは砂山が崩れる程度の音だったのが、今や大地震のようだ。
 
(これほどの力を扱って、海人殿は無事で済むのか……!?)

 焦燥感が、刹那の胸を締めつける。

 魔力というのは、利便性は高いが万能ではない。
 宝石に溜めた自分の魔力を取り込むのも、最大魔力量は越えられない。
 一応強引に取り込む事自体は可能だが、声も出ない程の激痛に襲われる。
 そして一瞬でも気を抜けば、取り込んだ魔力はあっという間に霧散してしまう。

 刹那も一度試した事があるが、最大魔力量を超えた魔力を体に取り込むのは、完全な拷問。
 一秒取り込んだだけでもあまりの痛みに集中が切れ、転げ回る羽目になった。 

 いかに魔力をろ過するとしても、あれだけの量の魔力を体に流し続けて、無事で済むとは思えなかった。

(ぐ、うぅぅぅっ! あぐ、うがげごああ゛あ゛あ゛ぁァァっ!!)

 海人は仮面の下で大量の脂汗をかいていた。

 一つだけ、海人は刹那に嘘を吐いた。
 一度変換されたものの使用されず、空気中に霧散した余剰魔力を再利用する術式。

 それ自体は確かに存在するが――――まだ未完成なのだ。

 掌に魔力のろ過装置とも言える物を発生させる。
 そこを通過する時点で魔力は海人の魔力と同質となり、負荷なく取り込める。 
 それが完成系だが、現状はそのろ過装置が不完全。
 
 ただ異質な魔力を取り込むよりは余程マシだが、それでも凄まじい激痛を伴う。
 それは例えるならば、全身の血液に棘が生え血管を切り裂いているかのような、
あるいは幾万幾億の細い針を全身に突き刺し抉り回すような、そんな痛み。

 それに耐えながら術式を維持するとなれば、流石の海人も無事ではいられない。

(ががががああああああっ! 術、式だげあががぁぁぁあああっ!!)

 かろうじて残った知力で術式を維持するも、海人は限界を感じ始めていた。

 術式の完成までは、残り二分。
 それまで耐え抜き魔法を発動させれば、最悪でも王都の人間が避難するまでの一時しのぎにはなる。
 もしも王都地下に術式盤がなかったとしても、あるいは海人の魔法がそこまで届かなかったとしても。
 今発動している魔法は、一度海人の魔力として取り込まれた魔力を再利用する事は出来ないはずだからだ。   
 いかなる魔力も再利用可能なら、魔力で再生阻害などという事にはなっていないはずだ。
 
 しかし――――その二分があまりに遠い。

 脳内のカウントは八分という正確な時間を告げているが、海人の主観的にはその数百倍。
 僅か一秒でさえ十分近い時間に感じられる程の、耐えがたい激痛なのだ。
 痛みで脳が壊れたのではないか、と思う程に時間感覚が狂っている。

 が、ここで失敗すれば次はない。
 一度中断してしまえば、確実に気を失う。
 叩き起こされて再挑戦しようにも、また同じ事を繰り返す勇気があるとは限らない。
 間違いなく、多大な死者が出る事になるだろう。

(ごごまでやっでぞんあああああああああああああああああっ!!) 

 崩れかけた術式を、寸前で立て直す海人。

 だがもはや、痛み以外何も感じない。
 何をやっているのか、それすらも分からない。
 何のためにこんな苦痛を味わっているのか、それすらも。
  
 ついに意識を失いかけた時――――ふと柔らかい温もりを感じた。

(――――――あ゛あ゛、ぞうだっだ)

 その温もりの方に視線を向け、海人の精神は持ち直した。

 そこにいたのは、ずっと横にいた刹那。
 仮面で表情は隠れているが、手の震えから心配が伝わってくる。
 止めたい、その衝動を押し殺している心情さえも。

(自分で決めた事だだだだっ! 一人でもななな゛ない!)  

 歯を食いしばり、体に力を入れ直す海人。

 当然ながら、痛みは変わらず海人の体内で暴れ回っている。
 むしろ精神が持ち直した分、より苦痛が克明になったぐらいだ。
 さっさと発狂しろ、諦めろ、自分で開発した術式がそう嘲っている錯覚さえ覚える。
  
 しかしそれでも、退けぬ理由がある。

(ごれぼどの信頼に応えずしで――――何が男か!)  
 
 おぞましい痛みを振り払うように、海人はかっと目を見開く。
 そしてそのまま取り戻した強い意志の元、仕上げの詠唱にかかった。

「魔力よ、無垢なる赤子にして、未来の申し子よ!
我が意に従いその形を変え、我が祈りに従い迸り狂乱せよ!
我が敵を貫き、穿ち、無為の骸へと変ずる事こそ汝らが使命! ≪スパイラル・ブラスター≫!」

 詠唱の完成と同時に、海人の手から凄まじい魔力の奔流が迸った。

 夜空を白く染める膨大な光の砲撃が螺旋を描き、大地を抉り貫いていく。
 上位魔法ですら確実に止まる深度に到ってさえ、その勢いは衰えを見せない。
 人が扱うにはあまりに絶大な魔力によって、力尽くで地面を掘削していく。

 そして――――王都に劇的な変化が起きた。

「残っていた獣たちが消えていく……! やりました! もう大丈夫です!」

 叫ぶ刹那の視界には、勝利を示す光景が映っていた。

 地上で暴れ回っていた金色の獣や人型が動きを止め、金色の粒子となって上空へ消えていく。
 内部で凝縮されていたのか、一体から放出される粒子の量は非常に膨大。
 それがまるでタンポポの綿毛が風に飛ばされるかのように、空へ散る。

 ある種、幻想的とも言える光景であった。  

「……そ、そう、か……よか、った……」 

 刹那の声に、張り詰めた海人の気が抜ける。
 同時に体を空中に固定していた無属性魔法も消えるが、

「――――お疲れ様でした」

 海人の体が落下する前に、刹那がその体を抱き留めた。
 


























 エルガルド国境付近のとある森。
 そこでシェリスとローラは仮面騎士の姿で、ある一家と会合していた。

「では、こちらが身分証です。今後の働きに、期待させていただきますよ」

「は、はい……! ですが、本当にあれほどの好待遇をしていただけるんですか?」

 シェリスの言葉に、おそるおそる問い返す男。
 その横では、彼の妻も似たような表情でシェリスの反応を窺っている。
 
「すぐにバレるような嘘は吐きません。
無論、貴方が待遇に甘え怠惰になれば、契約通り全ての優遇を取り上げますが」

「怠けるだなんて滅相もない! 必ずや、期待に応えて御覧にいれます!」

「結構。では、励んでください――――ああ、忘れるところでした」

 踵を返そうとしたシェリスはふと思い立ち、一家に振り返った。
 そして、懐から取り出した飴玉を男に手渡す。
 
「王都で人気のある飴です。特に子供が好むようなので、よろしければどうぞ」

 そう言うと、シェリスは母の腕に抱かれる少年に手を振り、今度こそ踵を返し、姿を消した。
 そして馬車で去っていく一家を彼らの死角から見送り終えると、シェリスは大きく息を吐く。

「……とりあえず、これで最後ね。まだ惜しい候補はいるのだけど」

「先日申し上げたように、欲張りすぎない方がよろしいかと」

「分かってるわよ。でも、本当にエルガルド首脳部が馬鹿で良かったわ。
あのレベルの人材なら活用の道はいくらでもあるのに、ね」

 ころころと上機嫌そうに笑うシェリス。

 先程の男達、より正確にはここしばらく国内に引き込んだ者達は、元エルガルドの武具職人一家。
 技量が一流職人には届かない、と王国上層部から軽視されていた者達だ。

 そもそもの始まりは、エルガルドの代替わりにより方針転換。
 国防の要たる騎士達の待遇はそのままに、当時過剰であった武具職人達への待遇を見直したのだ。
 それによって、一流職人達は変わらぬ庇護を得られたが、二流以下は仕事の減少に伴い生活が苦しくなっていた。
 一定レベル以下の職人にいたっては、大半が廃業してしまっている。

 ――――実に、愚かしい。

 国の方針の正誤はさておき、かつての軍事注力によりエルガルドの武具職人の質は総じて高かった。
 二流と称される者達でも、他国でなら十分にその腕だけで食べていけるほどに。
 その腕を正確に認識せず、援助を打ち切ってしまったが為に、他国への流出を招いた。   
 材料を輸入して彼らが作った武具を輸出する、その流れを作るだけでも今よりはマシな財政状態になったはずだというのに。
 
 加えて、シェリスの調査では彼らが二流に甘んじていた主たる原因は、受け継がれた知識。
 一流と呼ばれる職人は九割以上が代々の武具職人であり、先達が培った膨大な知識を持っている。
 才能自体は、決して一流と呼ばれる者達に劣ってはいなかったのだ。

 これがまた、シェリスにとっては好都合だった。

 シェリスは、老いて後継者がおらず廃業する鍛冶屋を巡り、その知識を集めている。
 出すのを渋る者も多いが、多くは死ぬまで食っていける金と完全に途絶えるよりは、と出してくれる。 
 知識の多くは内容が被ってもいるが、それでも誰も知らぬ秘伝、画期的な技術が稀にある。
 
 シェリスは、それを今回引き込んだ者達にも伝える事にした。

 それによって、いずれは一流、あるいはそれに迫るであろう武具職人が多く手に入ったのだ、
 職人達は安定した仕事と収入に魅力的な知識を得られて、幸福。
 シェリスは彼らが国にもたらす利益によって、幸福。

 エルガルドを除けば、皆が幸せな素晴らしい話である。

「そうですね。今回に関しては、満足してもよろしい成果かと」

「いいえ、やっぱり最上位の職人も一人ぐらいは引き抜きたかったわ」 

「リスクが大きすぎるでしょう」

 呆れ交じりの口調で、ローラがシェリスを諫める。

 当然ながら、最上位レベルの職人の引き抜きは容易ではない。
 元々受けている待遇に不満がなく、名声も十分すぎるほどにある。
 それらを手放し、住み慣れた国を離れるとなれば、余程魅力的な条件が必要だ。
 愛国心諸々を考えれば、過程でエルガルド側に発覚する恐れが高く、他の引き抜きに多大な悪影響を及ぼす恐れがある。

 無論成功さえすれば最先端かつ最高位の技術が手に入るわけだが、
それを踏まえてもあまりにリスクが大きすぎる。
 
 が、それを重々承知のはずのシェリスには、一切悪びれる様子がない。

「分かってはいるけど諦められないのよ。
ま、今更言っても仕方ない……どうしたの?」

 シェリスが、言葉の途中でローラに怪訝な視線を向けた。

 今しがた、ローラの顔が唐突に別の方向に向いたのだ。
 しかもそのまま固定され、シェリスには一瞥もくれていない。  

「……いえ、あちらの方から強力な大気の震えを感じまして」

 視線を僅かに鋭く細めるローラ。

 遠隔視の魔法を使っても元を視認できないが、間違いなく大気の強い震えが伝わってきた。
 時間としては決して長いものではなかったが、その強さは脅威的と言う他ない。
 最上位魔法ですら、この距離で大気の震えを感知できる程の威力ではないのだ。

 その方角にあるどこかで、何か余程の事件があったと考えるのが妥当だろう。

「……気のせいじゃなければ、貴女が向いてる方向に王都があるのだけど?」

「正しい方向感覚です。間違いなく王都がございます」

「今日でここまで伝わってくるような何かって、どう考えてもカイトさん絡みの厄介事よね?」

「断定にはまったく材料が足りませんが、同感です」

 死んだ魚のような目で断言する主に、一応の苦言は呈しつつも賛同するローラ。

 方角的に、ここまで力の余波が伝わってくるような現象となれば、ほぼ確実に発生源は王都。
 そして今日は海人達一行がそこに居合わせている。
 判明しているのはこれだけで、海人の関与を断言する客観的根拠はない。

 が――――彼には、今までの実績がある。

 ほぼ隠遁に近い生活を送っているのに、大事件の立役者になっている実績が。
 人里離れた屋敷で普通に暮らしている時でさえ、亡国の王女が突撃してきた事があるのだ。

 ローラの答えに、シェリスは数秒頭を抱えていたが、  

「――――よし、とりあえず忘れましょう!」

 顔を上げると、割り切ったように笑顔を浮かべた。

「よろしいのですか?」

「ええ、不本意ではあるけれど、何があったにしても王都に大きな問題はない。そうでしょう?」

 揺るがぬ確信をもって、シェリスは断言する。

 海人という男は非常に事件に巻き込まれやすいが、反面その事件の被害は軽視できる。
 口でどう言おうが、目の前で発生すると分かっている多大な犠牲を放置できる男ではない。
 そして彼が解決に動くのであれば、いかなる災厄であろうが塵芥。
 それに最古参メイド三人まで加われば、尚の事だ。

 そんなシェリスの確信を、ローラも軽く頷いて肯定する。
 
「そんな事を気にするよりは後の事を考える方が有意義、そういう事ですね?」

「ええ。また感情を乱して貴女にぶっ飛ばされるのも嫌だしね?」

 茶目っ気を滲ませ、シェリスが答える。

 今回の海人の旅行は、かなり資金を使った。
 主に、海人が旅行中余計な揉め事に巻き込まれないようにする為に。
 詳細な計画を立てて実行したのはレザリアだが、その出費を承認したのはシェリスなのだ。

 それが借りを返すどころか、更なる借りを積み重ねる結果になった。
 少なくない、どころかやりようによっては国家事業を一つ行える額を使ったのに。
 海人に土下座して謝罪する立場ではあるが、今会うとそれを忘れて掴みかかりかねない。
        
 なので、一度頭を冷やす必要がある。
 幸いにして、それに都合の良い材料も手元にあった。

「だから――――予定を少し繰り上げてエルガルドに滅びてもらいましょう。
きっと、良い憂さ晴らしになるわ」

 シェリスは獰猛に笑い、無自覚に今回の元凶に死刑宣告を下した。 
 

 









 











 王都の騒動が終わり、人々が各々の家や宿に帰った頃。
 刹那もまた、気を失ったままの海人と共に宿に戻っていた。

 やった事が事なだけに、騎士団に探される可能性も考えたが、
幸いにして彼らは民間人のケアに忙殺され、それどころではないようだった。

 雫も一度帰ってきていたが、彼女は何やらやる事があると言って再び出かけてしまっている。

「……つくづく、無茶をなさる御方だ」

 嘆息し、海人の体を見つめる刹那。

 宿に入る前に脱がした白装束の下にあった海人の姿は、控えめに言って汗だくだった。
 全身くまなくびっしょりと濡れ、服の重さが変わっている。
 まるで、川の中に飛び込んだかのような有様だ。

(……さぞ苦しかったでしょうに、それでも続けられたのですね) 

 ソファに横たえた海人の頬を、刹那は憐れむように撫でる。

 この状態の原因は、間違いなく魔力を集めた時の苦痛だ。
 あれだけの魔力を集めて体を通し続ければ、本来発狂していてもおかしくない。
 大量の汗程度で済んでいるのは、むしろ軽い代償だろう。

 が、だからこそ憐れでならなかった。
 苦しくとも耐えてしまう、耐えられてしまう海人の今後が。

「……っと、このまま寝かせるわけにはいかん、が……むぅ」

 海人の姿を改めて見直し、刹那は軽く唸った。
 その頬が、かすかに赤く染まっている。

 これだけ汗まみれで寝かせてしまうと、確実に体を冷やす。
 風邪を引いても肉体強化で治せるとはいえ、間違いなくよろしくない。
 
 となれば着替えさせる必要があるわけだが、ここには刹那しかいない。
 もっと言えば雫がいてもやらせるわけにはいかない。
 あれでも、一応穢れない少女だ。

 刹那とて穢れなき乙女だが、姉と妹どちらが体を張るべきかと言えば、当然姉の方である。

(……し、下の方を脱がす時はなるべく見ないように……)

 頬を赤らめながら刹那は海人の服を脱がし――――唐突にその手が止まった。

「これ、は……」

 海人の背中を見て、思わず言葉を失う刹那。

 そこにあったのは、大量の古傷。
 傷痕自体はそこまで酷くないが、数が膨大だ。
 刃物により傷が一番多いが、一部刹那には見覚えのない系統の傷もある。
 
(銃、か……? いずれにせよおそらくこれは……!)

 ギリッ、と刹那は思わず歯を食いしばる。

 背中の傷の量に対し、前面の傷はほとんどない。
 もっとも多いのが斬られた痕という点も加味すると、どうしても嫌な想像が浮かぶ。 
 
 ――――幾度となく、背後から命を狙われた光景が。

 ただ刃物で命を狙われただけなら、前面の傷痕も多くてしかるべきだ。
 それがこれだけ少ないとなれば、背後から不意を打たれたと考える他ない。
 その上で逃げに徹した、あるいは反撃で敵を短時間で仕留めた。
 それゆえの傷である可能性が高い。

(本当に、これで良かったのだろうか……)

 海人の汗を拭きながら、刹那は葛藤する。

 海人の本音を引きずり出し、多くの人を救った。
 正体も大半の人間に知られておらず、悪影響はない。
 ハッピーエンド、そのはずだった。

 が、この傷を見ていると、そうは思えなくなってくる。

 かつての海人が、悪事を働いていたとは思えない。
 配慮不足で誰かを不幸にした事はあったかもしれないが、それとて回数は多くないはずだ。
 そういう事があったと知れば、即座に対応し改善するのが海人だ。

 にもかかわらず、これだけの傷を負う程命を狙われた。
 その果てに、ようやく誰かを救いたいという願いを封じ忘れられた。

 それを今回、思い出させてしまったのだ。
 
(……いずれにせよ、賽は投げられてしまっている、か。御供いたします、どこまでも)
 
 迷いを振り切るように、刹那は海人を柔らかく抱きしめた。
 
 

 

 















 ある女が、必死で地下通路を駆け抜けていた。
 あまりの焦燥に時折足がもつれるが、それすらも気にする事無く。 

(馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な! あ、あああああ、あそこから地上までどれぐらいの距離があると!?)

 つい先程真横を掠めていった砲撃を思い出し、女は身を震わせる。

 何も起こらない、起こるはずがない任務だった。
 王都地下深部にある古代魔法の術式盤を指定された時間に起動する、ただそれだけ。
 万一何か起きたとしても、それは古代遺跡へのショートカットを見つけた侵入者への対応のはずだった。

 にもかかわらず、地上から魔法で巨大術式盤がぶち抜かれたのだ。
 もう三歩程術式盤に近い所にいれば、女もあの砲撃に巻き込まれ跡形も残らなかっただろう。
  
 状況が信じられず思わず術式盤の穴から地上を見上げたが、見えたのは紛れもない月。
 さらに駄目押しで状況を突きつけるかのように、破片らしき何かがパラパラと落ちてきた。

(お、落ち着け、落ち着け……! 追手がかかっていない以上、私の存在はまだ悟られていないはず。
この情報を持ち帰らねば、事は我が国の存亡に関わる……!)

 おぼつかない足で時折転びながらも、女は必死で走る。

 シュッツブルグがあれほどの攻撃魔法を秘匿していたとなれば、まさに国家存亡の事態。
 エルガルドが侵攻され、軍にあれを撃たれでもすれば、その段階で勝敗が決する。
 あんな馬鹿げた威力と射程の魔法に巻き込まれれば、どんな超人でも死ぬ。 
 
 仲間がどうなったか気にはなるが、もはやそれどころではない。
 あとで裏切り者と罵られたとしても、この情報は持ち帰らねばならなかった。

「よ、ようやく出口か……」

 古代遺跡の扉を開け、地上へのほら穴を上っていく。
 穴を掘り、土製の梯子状の取っ手を地属性魔法で固めたそこは移動しづらいが、
女は腐っても諜報員でありこの手の作業は手慣れたものだった。

 そしてついに偽装に大量の土を被せた入口をこじ開け、

「こんばんは、良い夜ですねぇ♪」

 どこからともなく響いた声に、思わず心臓が凍てついた。
 硬直する女に構わず、声の主は言葉を続ける。

「誰だか知りませんが、本当にふざけた真似をしてくれましたね。
人が軟着陸させられるよう色々考えてたってのに、全部無駄にしてくれやがりまして」

 位置の分からない、だが明確な怒気を感じる声に、女は思わず戦闘態勢を取る。
 彼女とてエルガルドの諜報員、戦闘力も相応に高い。

 それは事実だったが、

「あっはっは、抵抗ですか。良いですね。その方が少しは鬱憤が晴れるってもんです」

 そんな声と共に、女の四肢に苦無が突き刺さった。
 殺気すら、一瞬たりとも感じないまま。

「ぐああっ!?」

「ふふ……本当に、ねぇ? ここまで怒り狂うの、久しぶりなんですよ。
うちの御主人様すんごい優しいし、怒る必要自体なかったですから」

 声が途絶えると同時に、再び女を苦無が襲う。
 先程とは違い、苦痛を与える為ではない箇所を。

(あ、脚の腱を断たれた……! くっ、これでは情報を持ち帰る事は……!)

 もはやこれまで、と女は自決しようとするが、その前に彼女の頭を衝撃が襲った。
 混濁した意識の中、背後から何かを無理矢理飲まされ、白い布を噛まされる。

「ああ、当然ですけど自決なんてさせてあげません。
前にしくじって自決された事があるんで、同じ失態はやりません」     

 心胆を凍てつかせるような声と共に、ようやく声の主が姿を現した。

 その姿は、まさしく魔性。
 紛れもない少女の容姿でありながら、妖艶。
 艶やかな黒髪、艶めかしい唇、妖しい魅力に満ちた幼い顔立ち。
 そしてなによりも、夜の闇にあっても煌々と紅く輝く瞳。 

 人の形をした化生、そうとしか表現できぬ生物がそこにいた。

「ま、そうは言ってもあたしがやるのはここまでですけどね。
嬲り殺しにしてもあたしの気が晴れるだけで意味ないですし。
もっと怖い人の所に売り飛ばしてあげますよ」

 悪魔のように微笑む少女――――雫の言葉を最後に、女は意識を手放した。

















   









 翌日早朝、海人達はレザリアと朝食を取っていた。
 が、海人はおろか刹那や雫も自分の朝食にまともに手を付けていない。

「もぐもぐもぐもぐもぐ……すいません、皆様。見苦しい所をお見せして」

「いや、良い食べっぷりだし見ていて気持ちいいぐらいだが……凄いな?」

 そう言ってレザリアを、正確には彼女の前にある料理を見る海人。

 そこにあるのは、小山の如きステーキの山。
 それが、消しゴムで消すかのような勢いで消えている。
 こんな大量のステーキでは食べきる前に味が落ちてしまう、そう思っていた海人達を嘲笑うように。

 しかも恐ろしい事に、この皿は二皿目である。
 海人は当然ながら、大食いの自覚がある刹那や雫も唖然とする他ない。

「昨日ちょっと働きすぎましたんで、少しでも回復しとかないといけないんです。
明日から通常業務ありますので」

「……大変だなぁ、君も」

 しみじみと呟く海人。
 
 レザリアが帰ってきたのは、今朝海人が目覚めた時。
 一仕事終えた海人達が快眠に沈んでいる間、彼女は事後処理に追われていたらしいのだ。 

「いえ、脳筋馬鹿二人の後始末ですんで、あとで他の仕事押し付けてバランスとります。
それはそうとシズク様、アレの代金は本当によろしいんですか?」

「きっちり処理してくれればそれで十分で~す♪」

 レザリアの問いに、雫は朗らかに答える。

 アレというのは、レザリアに引き渡したエルガルドの諜報員だ。
 地獄行きが確定した以上、雫としてはもうそこまで興味はない。
 
 その存在の可能性に気付かなかった刹那と、
一応気付いてはいたものの確認前に気絶した海人に褒められただけで充分だった。

「ともあれ、今回は本当にありがとうございました。
正式な謝罪と謝礼は、後日主が戻ってからになってしまいますが……」

「気にする必要はないんだがな。逃げていいところで勝手に首を突っ込んだだけだ」

「ま、そう仰らないでください。カイト様が寛大でも、主の気が収まりませんので」

「……そういう事なら仕方ないがな。しかし、あれだけの事があった割には、活気が凄いな」

 言いながら、海人は周囲に視線を向ける。

 町の建物はあちこち壊れ、昨日の戦いが嘘ではない事を証明しているが、それ以外は前と大差ない。
 どこの店も普通に営業し客足も大して鈍っておらず、むしろ割引サービスなどで賑わいを増している。
 客の方も実に逞しいもので、昨日の夜食べられなかった分今日は食うぞー、などと叫ぶ集団までいた。

 町のあちこちでハンマーの音が響き、建材の輸送が忙しないが、活気に満ちている。

「幸いにして民間の死者は出てないようですし、王都在住の人間には戦争を潜り抜けた方も多いですから。
どこかが壊れただのなんだの落ち込むより先に、とりあえず仕事しようって事みたいですよ。大工系は大量の仕事が降って湧いたわけですしね。
観光客はタフな人多いですし、こんなもんでしょう」

 言いながら、レザリアは軽く肩を竦める。

 今回の戦い、驚くべき事に民間人の死者は0だった。
 最大の理由は、騎士達の避難誘導と冒険者達の奮闘。
 騎士達や冒険者が足りない手を必死で酷使して守り抜いている間に、海人が元凶を断ったからこその奇跡である。

 壊れた建物を直し、受けた損害を補填さえできれば元通り。
 王都の人間はそう思って前向きになった者が非常に多かったのである。

 そしてこの世界、観光客というのは存外逞しい人間が多い。
 馴染みのない町での危険もそうだが、なにより道中で魔物に襲われる危険も多いので、それなりにタフなのだ。
 旅行好きにいたっては、魔物に襲われて命からがら逃げ伸びても懲りない人物が大半である。
 無論貴族や金持ちなど安全が強く確保された観光客も多いが、少数派だ。
 
「なるほど……その逞しさには感心させられるな」

 そう言って、海人は穏やかに町を見渡し――――ポンと手を打つと、部屋に戻っていった。

 




 













 後日、ソルジェンスのアトリエ。
 主たるソルジェンスは、創作活動に勤しんでいた。
 
 題材は、先日王都で起きた恐るべき戦い。
 突如現れた金色の獣達、雲霞の如き避難民、民を守る騎士や冒険者。
 それに加えて、仮面と衣装で正体を隠した勇士達。
 それら多くの人々が巻き起こす感情の坩堝。

 ソルジェンスは、その刺激をどうにか芸術に昇華しようと奮闘していた。  

 手始めに描いたのは、絵画。
 あの戦場の一場面を切り取り、表現しようと試みたのだ。
 それはおおむね順調に進んだのだが、終盤でふと手が止まった。

 あの戦場はたかが一場面で表現できるような光景だっただろうか、と。

 そう思って改めて製作途中の絵画を見てみれば、破り捨てたくなる出来。
 獣達の恐ろしさ、避難民の恐怖、それを守ろうとする人々の奮闘。
 それは表現出来ていたが、他の要素がまるで出ていなかった。
 正体不明の者達の、神話じみた英雄的な活躍すらも。

 ならばとそれらを含めて描いてみるが、今度は作品の焦点が曖昧になった。
 これではあの戦場の印象的な場面を複数切り取っただけであり、芸術ではない。

 が、何に焦点を当てるべきかが悩みどころだった。
 あの戦いを体感し、自分が何を感じたのか、どうもそれが明確にならない。
 あれほどの体験をした以上、相応の作品を作らねば芸術家失格だと言うのに。
 
 ソルジェンスが悩んでいると、入口の方から声が響いた。
 
「ええい誰だこんな時に…………!」

「お邪魔しまーす」

「む、レザリア殿……それは?」

「カイト様からの贈り物です。
本来直接渡すべきところですが、諸事情でご挨拶は改めて、との事でした」

「おお、あの時の青年の作品か! 早速見せてくれ!」

 レザリアからひったくるように、絵を奪い取るソルジェンス。
 彼はそのまま時間が惜しいとばかりに、絵を覆う布を乱暴に引っぺがす。

「……おお、これは……おおおおっ! 素晴らしい! そうこれだ! これでこそ芸術だ!」

 ソルジェンスの反応に、レザリアは少しだけ芸術が理解出来た気がした。

 ソルジェンスの手にある絵画の題材は、復興している王都の姿。
 似たような題材が多くの芸術家の手垢に塗れ、何をやっても先人の二番煎じ。
 これまでにない斬新さなど、望むべくもないものだ。

 だが――――恐ろしく心を引き付ける。

 建材を調達し、運んでいく商人。
 建物の修復の為、鎚を振るう大工。
 この程度で店を閉めてたまるか、とばかりに営業する屋台。
 そしてなにより、それらの中心で力強い表情を見せる通行人達。
 それらが全て晴れ晴れとした青空の下に描かれ、なんとも清々しい。  

 それ自体は前に見た絵も似たようなものだったが、この絵は決定的に違う点があった。

 技術の精緻さ、それによる美しさ。
 それら全てがどうでもよくなるほどに、見ていて心地良い要素がある
 
 それこそが、おそらくは海人が心の底から描きたいと思ったもの。

(……うん、みんな良い笑顔だ)

 活力と生気が漲る笑顔に満ちた絵画に引きずられるように、レザリアも微笑んだ。 




コメント

空中の余剰魔力を使った極大魔力砲撃…よく魔法使いの話では稀に聞く術式ですが、未完成ならここまで辛いんですねぇ……フィルターの術式を何かの道具で代用出来ればいいんですが…
後、海人が吹っ切れたようで何よりです。

追伸
シェリス配下のメイドの中で、ローラを除いて一番戦闘力が高いのは誰ですか?
[2019/08/12 18:52] URL | コスモ #Y2SfxCmk [ 編集 ]


なかなかの濃い内容……!
次回以降にあるであろう、シェリスのリアクションが気になるところw
[2019/08/12 22:04] URL | #- [ 編集 ]


海人製の大型バンカーバスターあたりがあればもっとお手軽に地下に届いたんじゃないかと思わなくもない
[2019/08/13 04:50] URL | #- [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2019/08/13 12:07] | # [ 編集 ]

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[2019/08/14 07:56] | # [ 編集 ]

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[2019/08/15 00:52] | # [ 編集 ]

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[2019/08/15 01:19] | # [ 編集 ]

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[2019/08/15 01:22] | # [ 編集 ]


〉もう三歩程術式盤に近い所にいれば、女もあの砲撃に巻き込まれ跡形も残らなかっただろう。

それだけ近かったら直撃はしなくても鼓膜が破れたり、余波でダメージ負いそう
[2019/08/17 19:22] URL | #- [ 編集 ]


カーナとソニアって古参組のメイドだと思うのですが、今までに出てきてましたか?
[2019/08/18 00:10] URL | #- [ 編集 ]


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