ラノベを目指してみよう
グース・カピーこと九重十造が人様を楽しませられるレベルの文章を目指して色々書き連ねる場所です。          軽く楽しく読める話を書ければいいなと思ってます。
白衣の英雄30
 ――――不意に、懐かしい声が聞こえた。

 振り向くと、色白で細身だがしっかりとした筋肉のついた足が見えた。
 そのまま視線を上げると、怖い顔をした女性が自分を見下ろしている。
 足が勝手に動き一目散に逃げようとするも、その前に襟首を掴まれた。
 ジタバタと手足を動かしても、虚空を切るばかり。
 抵抗空しくクレーンで吊り下げられるかのごとく、女性の顔を真正面から見る羽目になった。
 ちびりそうなほどに怖いが、視線を逸らすというのは出来ない。
 逸らしたが最後、尻千叩きが天国に思えるほどのお仕置きが待っている。
 
「海人? あれは何かな?」

 す、と指を真横へ向ける。
 その先にあるのは、ズタボロになった動物。
 全身に包帯を巻かれてはいるものの、それが所々赤く染まっており傷の深さを物語っている。
 今にも息絶えそうなそれに視線を向ける事も無く、海人は質問に答えた。 

「食肉目イヌ科の哺乳類。古くから人間との関係が深い種で、ペットから狩猟までありとあらゆる用ぐぎゅ!?」

 犬の説明を延々と語ろうとした矢先、顔を掴まれて黙らされた。
 そのまま彼女は手を持ち替えて両手で海人の頬をむにむにと揉んだ。
 年相応の子供らしく、海人の頬は柔らかくすべすべしており、よく伸びる。
 その感触を一頻り楽しんでから、女性は再び問いかけた。

「……どして? 怒らないから言ってごらんなさい?」

「おかーさんがそう言って怒らなかった事って無いと思うんだけど」

 作り笑顔で大法螺を吹く母――月菜の顔を見つめながら、海人は涙した。
 こうなってしまってはもはや一切の言葉が無駄に終わる。
 話に耳を傾けてくれないわけではないのだが、母が作り笑顔をしている時は既にお仕置きは確定している。
 ぶっちゃけてしまえば、母の問いは自分の罪状を読み上げろと言っているにすぎない。
  
「いーから言えっての馬鹿息子」

「えっと、実は……」

 母の剣幕に圧され、海人は事情を詳細に説明した。
 事の起こりから現在に至るまでの全経緯を。
 その間、月菜は可愛い息子の言葉を終始笑顔で聞いていた。
 
 説明が終わると、月菜は一際優しそうに微笑んだ。
 そのままやや小柄な息子を優しく地面に下ろし、
 
「うん、ちゃんと説明できたわね。そんじゃ、お仕置きね。
三十数えてあげるから頑張って逃げなさい? いーち、にーい……」

 頭を一度優しく撫でてから、地獄へのカウントダウンを始めた。
 三十数えると言ってはいるが、騙されてはいけない。
 彼女の数え方はやたら早口なため、海人に残された猶予は実質十秒も無い。   

「やっぱりぃぃぃぃっ!?」
 
 あまりにも予想通りな結果を嘆きつつも、海人は必死で弱っちい手足を動かした。
 学校の徒競走で常にビリという言葉が小賢しい頭をよぎるが、それでも彼は全力で走った。
 既にお仕置きの準備を整え終えている母から一ミリでも遠く離れるために。

 だがその努力もむなしく、カウントダウンが終わった直後――
 
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 海人は絶叫と共に夢から覚めた。

 息が、荒い。
 心臓はバクバクと激しい鼓動を打ち、そればかりか全身の血管が脈打っているかのように体が熱い。
 うす暗い森の中で、むしろ若干肌寒くてもおかしくないはずだというのに大量の汗を掻いている。
 頬を伝った汗を拭いつつ、息を落ち着けていると、刹那が心配そうに声をかけてきた。
  
「……だ、大丈夫ですか? えらくうなされておられましたが」

「も、問題ない……ちと昔の夢を見ただけだ」

 ふう、と息を一つ吐いて周囲を見回す。

 当然ながらここは元の世界の屋敷などではなく、ここ一週間ですっかり見慣れた森の中だった。
 採掘は比較的順調に進んでいるが、発光が分かるようになるのは夜間のみなので時間がかかっていたのだ。

 現状を思い出しつつ雫の姿を探すと、丁度彼女が海人に向かって笑顔で手を振ったところだった。
 彼女の横では飯盒で米が炊かれ始め、猪型の魔物が丸焼きになっているが、その音はしない。
 どうやら寝ている海人に気を使って魔法で調理の音を遮断してくれていたらしい。

 海人の息が落ち着いたのを見計らって、刹那が木製のコップに入った水を差し出しながら訊ねた。
 
「そんなに恐ろしい夢だったのですか?」

「いや、むしろ懐かしい夢だったんだが……な。もう少しマシな夢を見たかった」

 適度に冷やされた水を一口飲み下し、嘆息する。

 今のは未だに恐ろしいお仕置きの記憶だったが、海人の親との思い出には楽しい記憶も数多くある。
 というか、数としてはそちらの方が多い。
 基本的には子煩悩な両親であったし、海人自身当時は比較的良い子だったので怒られる回数も多くは無かった。

 だというのに、久方振りに見た母の夢が思い出したくも無い悪夢の記憶。
 成長し、むしろあれは母の愛情の一つだったと頭で理解はしているのだが、やはり子供の頃に刻まれた恐怖は拭い難い。
 
「いやー……でも、海人さんの寝顔はちょっと可愛かったですよ?」

「可愛いと言われてもな。君の趣味、相当歪んどらんか?」

「えー? そんな事ないですよー。ね、お姉ちゃんだってそう思うでしょ?」

「……否定はせん」

「そこは否定すべきでは!?」

 そう言って思わず慄いた海人に、刹那は困ったように顔を逸らした。
 
 彼女には、雫の言葉を否定できない理由があった。
 
 気付いたのは森に入って三日目。
 樹に背を預けて俯いた状態で寝ていた海人が、たまたま寝返りで頭を動かした時だ。

 森に入った初日の海人はかなり険しい顔で寝ていた。
 魔物が跋扈する森に入った緊張感からか、刹那達に気を許していなかったためかは分からないが、
なまじ美形なだけにかなりの迫力があった。

 その日も相変わらず迫力のある寝顔ではあったのだが、初日とはかなり印象が違った。
 警戒と緊張が全面に表れていたそれに、若干のあどけなさが覗いていたのだ。
 初めは気のせいかと思ったが、少し観察しているうちに見間違いではないと確信した。

 それで興味を引かれて翌日も観察したのだが、前日よりもさらにあどけなさが強くなっていた。
 同時に過剰な警戒と緊張も少し緩んでおり、寝顔から険が取れていた。
 その表情がなんとも母性本能をくすぐられるのだ。

 以来毎日変化する海人の寝顔を観察しているのだが、その印象は強まるばかり。
 先程もうなされる直前までは安らかでどこか可愛らしさがある寝顔だった。
 
 だからこそ雫の言葉を否定できなかったのだが、
まさか毎日寝顔で楽しませてもらってますと暴露するわけにもいかず、刹那はごまかすしかなかった。
 ここで適当な嘘をでっち上げれば良い、という発想が浮かばないあたり、彼女の性格が良く表れている。

 事情を知っていてあえて海人を誤解させる方向に誘導した小悪魔の額に指弾を飛ばしつつ、どう説明したものかと考えていると、海人が冷や汗を垂らしつつさり気なく刹那から距離を取った。
  
「むう……雫嬢がサドっぽいのは感じていたが、刹那嬢までとは……」

「ち、違います! 雫のような加虐趣味と一緒にしないでください!」

 海人の言葉が半分冗談だとも気付かず、刹那は思わず詰め寄った。
 その剣幕に圧され、海人が若干体を逸らした時、

「痛っ……!」

 弾みで近くの樹のささくれに右手の甲が引っ掛かった。
 寝起きで強化を解いていた事が災いし、数箇所少し切れている。
 これといった手当てが必要なほどではないが、血がはっきりと滲み出ていた。
 
「やれやれ、我ながら間抜け……ん?」

 血を拭い終えた時、海人は刹那達が自分の手を見ている事に気付いた。
 二人共やたら真剣な面持ちで、まるで食い入るように見つめている。
 刹那の視線にはかなりの熱が篭っており、雫にいたっては――

「……二人共」

「はっ……!? な、なんでしょう?」

 刹那は我に返ると同時に姿勢を正し、表情を引き締めた。
 その佇まいは普段の三割増ほど凛としており、先程の様子が幻だったかのような変貌振りだ。
 が、その程度でごまかされるほど海人は甘い男ではない。

「まさかとは思うが、吸血族か?」

「な、なぜそうお思いに……?」

「雫嬢の顔を見れば一目瞭然だと思うが」

 そんな海人の言葉に反応し、刹那は慌てて後ろの妹を見た。

 慌てた様子で隠してはいたが――雫は文字通り目の色を変えていた。
 普段の艶やかな黒の瞳から、乾く前の鮮血のような深紅へと。

 言い逃れができない事を悟り、刹那は直角に頭を下げた。

「……申し訳ありません。折を見て話そうとは思っていたのですが……少々言い辛く」

「ん? どうしてだ? 別に吸血族は隠さなきゃならんような種族ではないだろ?」

 海人はシェリスの図書室で得た知識を頭の奥から引っ張り出し、首を傾げた。

 吸血族とは、その名の通り血を吸う事を好む嗜好を持つ種族の事だ。
 吸うのは人の生き血。それも獣人族や飛翼族のような亜人系ではなく、通常の人間族の血に限られる。
 さらに言えば、生き血を傷口から直接吸引する事を好む。
 そして人間の血を吸う事によって魔力と身体能力、そして再生能力を爆発的に跳ね上げる能力を持ち、
興奮状態になると瞳の色が深紅に変わる特徴がある。
 
 とはいえ、彼らは基本的には普通の人間である。
 
 確かに人の生き血を啜る事を好むが、吸われたところで多少血が減る以外の害は無い。
 普通の食事で生きていけるし、血を吸わないと禁断症状が出るわけでもない。
 彼らの能力に関しても平均的には発動から十分前後の短い間の話であり、
能力を使うためには相応の量の血を生きた人間の傷口から直接飲まなければならないという制約がある。
 一応血が本人の嗜好に合えば合うほど必要量は減るのだが、コップ一杯程度ですむ人間ですら数万人に一人程度と稀少。

 そんな文献の内容からすれば、はっきり言ってまるで隠す意味が無い。
 やや種族的に凶暴性が強い傾向にあり、外見も普通の人間とは明らかに違う獣人族が社会的に受け入れられているのだから、
その程度の性質が受け入れられないはずがない。

 海人はそう思っていたのだが、現実は違った。

「人の血を吸う種族、というだけで恐れられる事も多いのです。
田舎の方の町など行きますと、吸血族に血を吸われたら化物になって死ぬまで苦しむとか、
若さも吸われて老人になるとか、現実離れした迷信があったりもするんですよ」

 今までの人生経験を思い出し、刹那の目が若干やさぐれた。

 都会の方では吸血族と知られたところで害が無い事の方が多いのだが、田舎だと思わぬ憂目を見る事がある。
 怖がられて宿に泊めてもらえない事や、出て行けと石を投げられる事などはまだ可愛い方で、
ひどい場合になると宿に泊まった晩に村人総出で宿に火炎魔法の集中砲火を浴びせられ、焼き殺されそうになった事もある。  
 実際はそんな迷信が残っている田舎などそう多くはないのだが、
持ち前の不運によってかなりの頻度でそれを引き当ててしまう刹那達が知る由もなかった。

「それは大変だな……しかしそうか……となると、さっきのは君らにとっては結構勿体無かったのか?」

「そこは分かんないですね。御存知かとは思いますけど、感じる味の個人差ってかなり大きくて飲んでみるまで分からないんですよ。
でも大概の人の血はほのかな甘味があって、変なジュースより美味しいです」

「話半分かと思っていたが、そんなに差があるのか?」

「拙者はそう多く飲んだ事があるわけではないので確証はありませんが……父曰く、
まるで口に合わないと胃ごと全て吐き出したいほど不味いが、
完璧に適合した血であればこの世のものとは思えない至福の恍惚に浸れる、だそうです。
しかも能力の発揮も一口足らずで十分なのだとか」

「おや、君達の父上はそこまで適合した血を見つけているのか」

 海人は軽く目を瞠った。
 コップ一杯で済む人間が数万人に一人と言われている以上、一口で済むような相手はそれこそ生涯出会わなくとも不思議はない。
 まして、血の味を確かめなければならないという点まで踏まえれば見つけるのは奇跡的だろう。
 娘二人と違って父親は余程運が良いのだろうか、などと若干失礼な事を思っていると、

「ん~……まあ、見つけたには見つけたみたいなんですけどねぇ……」

 雫が言葉を濁した。
 横を見ると、刹那も妙に沈痛そうな面持ちをしている。

「どうかしたのか?」

「父は元傭兵なんですけど、戦場で戦ってピンチになった時に一か八か敵に噛み付いた時だって言ってたんですよ。
腕に噛み付いたらしいんですけど、相手は全身汗だくで体毛モジャモジャのむっさいおじさんだったらしくて……」

「……それはなんというか……辛いな」

「そのおかげで力を跳ね上げて無事帰っては来たんですけどねー……あ、御飯できましたね」
  
 そう言うと、雫は焼き上がった丸焼きを短刀で切り分けて木製の皿に盛った。
 手渡された皿に各自炊き上がった飯盒の米を横に盛り、仕上げに生で食べられる野草を横に添えた。
 そしてこの環境下でありながらなかなか栄養バランスの取れた食事が完成した。
 
 三人は揃って行儀良く手を合わせてると、ゆっくりと食べ始めた。

「そーいえば、結局海人さん最初の一回以外戦いで手出ししてませんよね」

「最初の連中より強い魔物に当たっていないからな。
エンペラー・カウとまでは言わんが、せめてシルバーウルフあたりじゃないと使う意味が無い。
それ以前に、魔物との遭遇頻度自体が少なかっただろ?」

「あー……この間来た時にエンペラー・カウ含めてかなり狩っちゃったんですよね。
シルバーウルフはそんなに数狩ってないと思いますけど。
っていうか、海人さんの『器用な戦法』ってのが凄い気になるんですよ……どんな物なんです?」

「大した物ではない。おそらく誰でも思いつく戦法だ。
ちなみに攻撃魔法は使ってないぞ」

「むう……ありゃ、お客さんか」

「だな。しかも噂をすれば、だ」

 海人を背に庇いながら、刹那は木陰に潜む魔物を見据えた。

 その毛並みは鈍い銀色の輝きを放っており、一種の神々しささえ感じさせる。
 だが、その美しさとは裏腹に戦闘能力は極めて高い。
 口に並ぶ鋭い牙は強靭な顎の力と相まって鎧ごと人間を噛み千切る事もあり、前脚の爪だけでも生半可な鎧は切り裂いてしまう。
 
 狼と似た姿でありながら群を作らない孤高の魔物――シルバーウルフだ。

「んふふ、お目当てのが来ましたけど手出しします?」

「ああ。数も多くないし丁度良い」

 海人が不敵な笑みを浮かべると同時に、周囲の魔物が襲い掛かってきた。
 やはりシルバーウルフの速度は凄まじく、いの一番に雫へと肉薄し――直後、鈍い音と共に大地へと沈んだ。
 あまりに唐突に倒れた魔物とその原因となった現象に、雫は思わず目をぱちくりと見開いた。

 魔物が沈んだ原因は極めて単純。
 その脅威的な瞬発力を最大限生かした突撃速度のまま――突如出現した光の壁に頭を打ち付けたからだ。
 しかも壁の位置がまた惨く、鼻先には当たらず丁度眉間の近くに衝突し、突撃の勢いそのままに回転して全身を壁へ叩きつけてしまっていた。
 それが終わると壁はすぐさま消えてしまったが、脳を激しく揺らされた上に全身に衝撃を与えられた魔物は身動きが取れない。
 
 結局彼はヨロヨロと立ち上がろうとしたところを雫に斬られた。
 他の魔物も既に刹那が斬り捨てており、十を超える魔物達は見事に瞬殺されていた。

「なるほど……確かに器用な戦法ですねー」

 小太刀の血を拭いながら、感心したように頷く。
 
 防御魔法は発動時間さえ満たせば顕現は一瞬。
 ゆえに相手の行動を先読みして加速が最大限になる地点に防御壁を出現させれば、それは回避不能の攻撃と化す。
 後は防御壁を破られさえしなければ相手の自滅が確定する。
 しかも、動く必要がないので運動能力も不要。
 言葉にすると簡単そうに思える。

 しかし、それを実現するためには迫り来る魔物を相手に平静を保つ精神力と的確に相手の動きを読む行動予測力が不可欠だ。
 まして今回のように防御壁の端に相手の頭部が当たるように調整するとなると、さらに難度が高まる。
 同じ芸当が出来る人間は職業戦士でもかなり少数だろう。

 ――もう一つ、これを可能にしたであろう要素まで踏まえるとさらに少ないだろうが。

 先日偶然から気付いた海人の能力を思い、雫はそんな結論を出した。

「ま、相手が突っ込んでこなければ使えん不便な方法だがな」

「確かにそうですが……そう仰る割には随分手馴れておられるように見受けられますが?」

 刹那はそう言って首を傾げた。

 不便な方法と自分で言っている割には海人の戦法は非常に洗練されている。
 卓越した思考速度と計算能力があれば可能とはいえ、海人の狙いはあまりに完璧すぎた。
 刹那もやれと言われれば似たような芸当は可能だが、ここまでの域に達するには相応の慣れが必要となる。

 少なくとも、昨日今日思いついて試した次元の技量ではなかった。

「……諸事情で少し前まで同居していた相手に毎日使っていたんでな」

 ふ、と遠い目になる。

 ルミナス達との同居生活は楽しかった。それに疑いはない。
 だが、異性同士の同居となると問題が起こりやすいのも事実。
 これは元々二人を怒らせてしまった際、間を空けて怒りを冷ますために培った技術だった。 

(事故で怒られるのは若干理不尽を感じなくもなかったが……ま、二人共年頃の女性だし仕方ないよな)

 そんな事を思いながら、寛大な気分で懐かしそうに空を仰ぐ。
 実は二人を怒らせる頻度が最も多かったのは海人のひねくれた性格によるものだったりするのだが、
彼はその事実をさらっと記憶の彼方に放り投げ、遠い空の下にいるであろう大事な友人二人に思いを馳せた。
 


 






















 グランベルズ国境付近のとある町。
 そこでルミナスとシリルは買物を楽しんでいた。
 
 カナールは世界的に見ても良質な物が揃う店が多い部類だが、その分一定以下の質の商品は排除されている。
 決して悪い事ではないのだが、そのせいで衣服のデザインも無難な物が多い。
 カジュアルからフォーマルまで一通り揃ってはいるのだが、面白味に欠ける物が多い。
 
 対してこの町は決して良品ばかりではないが、その分デザインの幅が広い。 
 服を選ぶ楽しみ、という点では若干この町に軍配が上がった。  

「ん~……どれにしよっかなぁ」

「お姉さま、こちらなどいかがです?」

「ヘソ出すのあんま好きじゃないって知ってるでしょ。これにしよっと」

 白のワンピースを選ぶと、ルミナスはそれを持って会計へと向かった。
 が、その途中で足を止めた。

 そこは男物の衣服のコーナー。
 品揃えの特徴としては高級感というには些か足りないが、安物ではないといったところだ。
 値段も比較的手頃で普段使いの服としては理想的であった。

 ルミナスの脳裏に、長らく同居していた男の姿がよぎる。 
  
(……美味しい物用意してくれるって言ってたし、お土産ぐらいは持ってかないと駄目よね、うん)

 そんな事を思いながら、大きめのサイズで安くて質の良い物を探し始める。
 ただの手土産を選んでいるわりには随分と楽しそうであった。

 一方でシリルも上司の考えている事を察して、選別を始めていた。
 ルミナスの態度には色々と思うところがあるのだが、土産を買っていく程度でいちいち目くじらを立てるのもみっともない。
 それに海人は見栄えがするので、シリルとて彼の服を着せ替えるのは楽しみではあるのだ。

「男物の服……ひょっとして同居してたって方へのお土産っすか?」

 そんなハスキーボイスと共になにやら見覚えのある影が視界の端に映ったが、二人は揃って無視した。
 気のせいだ、周囲の女性客の目が背後に集まっている気がするが錯覚だ、と自己暗示をかけながら。

 その後もなにやら幻聴が聞こえたが、二人はひたすらに無視を貫き、
そこそこ安く良いデザインの物を数着購入して店を出た。

「完全無視は寂しいっすよー」

 が、店を出た途端見覚えのある幻覚が先回りしていた。
 これみよがしに涙を滲ませ、二人に批難の眼差しを向けている。

 それも無視して通り過ぎるのだが、ひたすらに周囲の視線が痛い。
 中年のおばさま方にいたっては、ひそひそと二人を批難する言葉を囁き合っている。
 傍から見ていると美形の青年を無慈悲に袖にしているようにしか見えないので当然だが。

 しばらくそれに耐えて歩き続けた二人だったが、ついにシリルが音を上げた。

「……お姉さま。いい加減、限界ですわ」

「しょーがないでしょ。そのうち飽きるわよ」

 珍しくげんなりしている副官の頭を撫でつつ、背後からついて来ている人物に視線を送る。
 
「早いとこ思い出した方が精神衛生上良いっすよー?
自分は本気でしつこいから家までついてっちゃうっすよー?」

 そこでは大会が終わって以来、ルミナス達に付き纏い続けている男装の麗人が憎たらしい笑みを浮かべていた。

「だーかーらー、マジで心当たりないんだってば。やたら腕が上がってた理由なんて」

「さすがにそれ信じろってのは無理があるっすよ。
ルミナスさんはまだしも、シリルさんがケルヴィン負かしちゃったんっすから」

 爽やかな笑みを引き攣らせつつ、アンリは肩を竦めた。

 今回の大会の結果は大概順当ではあったが、三位だけ誰も予想だにしなかった結果に終わった。
 仮にも三番隊隊長であり接近戦を専門とするケルヴィンが、
さほど広くもない闘技場で一番隊副隊長で遠距離戦を専門とするシリルに敗北したのだ。

 当然、楽勝だったわけではない。
 ケルヴィン愛用の大斧が使えないよう超近接のヒットアンドアウェーを挑んだシリルだったが、
相手は獣人族の中でもトップクラスの筋力の持ち主。
 しかもシリルは鍛え抜いてはいても、普通の人間で小柄な体格というハンデがある。
 巧みな戦法で隙を作り、的確に急所を狙う事で補ってはいたが、試合が終わる頃には彼女も痣だらけでボロボロだった。

 だが、最後の仕事の時のシリルでは勝つ事は出来なかったはずだ。
 前の大会の時もそうだったが、予測攻撃軌道の微妙な誤差一つで大きく体勢を崩され、その隙に決定打を打ち込まれていただろう。
 それが無かったのは、以前にも増して正確さを増した先読み能力、そして一際上手くなっていた力の緩急加減だ。
 
 前者も凄まじかったが、後者はアンリをして思わず感嘆せしめるほどの技量だった。
 なにせ踏み出された右足の膝を砕くべく前蹴りを放つのかと思いきや、そこを足場にして顎に肘。
 易々とは悟られぬ程度に疲れで少しづつ攻撃の速度が落ちていると思いきや、ケルヴィンが大振りをした瞬間に最大加速で鳩尾に拳。
 どちらも結局決定打にはならなかったものの、アンリとの特訓が無ければ確実にそこで終わっていた。

 ルミナスもシリルと比較すれば目立った結果ではないというだけで、同様に腕が上がっていた。
 なにしろ準決勝で戦ったケルヴィンも決勝で戦ったアンリも、前の大会の時の半分以下の時間で叩きのめされた。
 しかも、前回アンリと戦った時はそれなりに傷を負ってたというのに、今回は肉体強化を一時間やっていただけで完治してしまった。

 団長と副団長は元々の放任主義に加え、多忙のためすぐ別の場所へ向かわなければならなかった事もあって深く追及はしなかったが、 
意外に負けず嫌いなアンリはどうしても追及せずにはいられなかった。

「んな事言ってもただの事実よ? 私もシリルも本当に平常通りの鍛錬しかしてなかったんだから。
休みが長かったからシリルとの組手の時間がかなり増えてたのは間違いないけどさ」  
 
「……ホントっすかぁ?」

「嘘言ってもしょうがないでしょ。あんたらが強くなれば私達の生存率だって多少上がんのよ?」

「むう……ごもっともですけど……ええい、時間切れっす!
今度の召集の時までに思い出しといてください!」

 最後にそう言い残すと、アンリは走り去っていった。

 実のところハッタリはかましたものの、アンリはいつまでもルミナス達に張り付いている事など出来なかった。
 困った事にケルヴィンがシリルに負けた翌日に『鍛え直しだぁぁぁっ!』と、
やや遠く離れた場所にある強力な魔物が跋扈する危険な森へ入っていってしまったのだ。
 
 殺しても死ぬような男ではないのでそれ自体は問題ないのだが、
その森に入るには冒険者ランクAのライセンスか許可証が必要で、勝手に入ると短期の懲役が科せられる事もある。 
 当然ケルヴィンはどちらも持っておらず、しかも堂々と入っていったものだから目撃者が多数いた。
 アンリの人脈を使って懲役は勘弁してもらったものの、彼女の手で連れ戻すよう条件をつけられてしまった。
 期限は明日までなので、もはや時間は残されていない。

 とりあえず追及できなかった鬱憤、余計な面倒をかけさせた恨み、その他諸々全てを出会い頭に叩きこむ事を心に決め、
アンリは鞭と棍棒を携えて町の外へと駆け抜けていった。

 瞬く間に去っていった同僚の背を見送った後、ルミナスは疲れたように肩を落とした。

「やっと行ったか……心当たりが無いもんはしょうがないのにねぇ」

「あら、お姉さまは本当に気付いておられませんでしたの?」

「は? あんたは思いあたる要因あったの?」

 シリルの言葉に、批難がましい視線を向ける。
 早く言っていれば、アンリに何日も付き纏われずにすんだはずなのに、と。

「その様子ですとまだお気づきではないようですけれど……計三回お姉さまの下着姿を真正面から見、
挙句逃げるために私を盾にした事まである御馬鹿さんの事をお忘れですの?」

「……あ゛」

 ようやく思い至ったルミナスの顔が一気に引き攣った。
 
 同時に、シリルがアンリに伏せていた理由も理解した。
 アンリの性格からして、知ればどうにか自分も同じ事をやってみたいと考えるだろう。
 
 そうなると、基本平穏な生活を願っている海人に迷惑がかかるのだ。
 一筋縄ではいかないアンリの性格まで考えると、あまり良い未来は浮かばない。
 海人の性格まで考えると凄惨な未来さえ浮かんでくる。
 ケルヴィンあたりに話が回ったら、それは現実になる可能性も高い

 冷や汗を垂らしているルミナスをよそに、シリルは感慨深げに呟いた。

「私も気付いたのは昨日ですが……本気で日常の一幕と化してましたものねぇ」

 はあ、と息を吐いて肩を落とす。
 海人のおかげで強くなった事は分かっていたものの、彼女は素直に感謝する気にはなれなかった。
  
 というのも、そもそもの原因は海人が毎日のようにルミナス達を怒らせていたからだ。
 うっかりのせいの事もあるが、明らかに自業自得の事も多かった。
 
 例えば夕食の献立の相談でルミナスの部屋に行った時。
 ノックをしたはいいものの、うっかり返事を聞く前にドアを開けてしまい、彼は下着姿のルミナスと鉢合わせた。
 挙句、素直に一発引っ叩かれればいいものを、わざわざ先読みして強力な防御魔法で防いで逆にダメージを与えた。
 その後も海人は頭を下げる事も素直に殴られる事もなく、体力が切れるまで逃げ続けた。
 
 まあ、これはだけなら酌量の余地もある。
 防御魔法で防ぐのは恐怖心からの反射的なものであるし、頭を下げなかったのもルミナスに追いかけられてその暇がなかったからだ。
 彼女のあられもない姿を見た段階で土下座していれば、そもそも殴られる事もなかったという事実はさておき。

 が、問題は逃げる途中である。
 事もあろうに海人は傍観を決め込んでいたシリルを盾にしたのである。
 それも障害物的な使い方ではなく、文字通り防御壁の変わりとして。
 折角普段ならぶち切れる事件をあえて無視していてやったというのに、だ。

 結局、その日以来シリルは海人が何かしでかす度にルミナスと二人がかりで追いかけるのが日課となってしまった。
 巻き込まれる前に元凶を潰してしまえ、というわけである。
 結果として海人は一時の防御の為にその後の脅威を増やしてしまったのである。 
  
「ほとんど毎日のようにあいつにお仕置きしてたからねぇ……。
そりゃ、先読みと力加減は磨かれるか」

 気付いてしまえば、ルミナスも納得がいった。
 ルミナスもシリルも、理由は時々で違えど毎日のように逃げる海人を捕らえていた。
 あの男は開始距離がルミナス達の手の届く範囲なら無駄を悟って大人しく捕まるのだが、
少し距離が離れていると途端に逃亡を試みるのである。
 
 その際に海人は二人の行動を読みながら巧みに防御魔法を使って逃げていたのだが、これが厄介だった。
 海人の絶大な知力を生かした先読みは半ば予知能力と化していたし、防御壁の強度はそこらの高級防具などよりも高い。
 そのせいで海人がそれを始めた当初は動いた先に壁が唐突に現れて鼻をぶつけ、
隔てている壁を破壊する頃には海人は既に別の場所に逃げ、と散々だった。

 が、おかげで先読み能力と力加減がやたらと磨かれた。
 
 海人の先読みがいかに凄かろうと、身体能力の差は絶大。
 魔法の発動時間も最短一秒弱と短くはあるが、家の広さの関係で間合いはそれほど空けられない。
 ゆえに、いくら動きを読んでも海人の行動できる範囲には限りがあった。
 そこから手順を導き出し、最速で壁を壊して近付いていけば手間はかかるが確実に捕まえられる。
 ただ、その流れに一つでも穴があると海人はあっさり別の階に逃げてしまうため、正確な読みが要求される。
 しかも迅速に組み立てないと海人が位置を変えてやり直しになってしまう。
 これのせいで、正確かつ迅速な先読み能力が磨かれた。   

 さらに、いくら怒っているとはいえ彼女らは万一にも海人を殺す気はない。
 そのため防御壁は全力で即座に打ち砕きつつ、海人を射程内に収めたら瞬時に力を緩める必要があった。
 防御壁を砕いた勢いのまま海人に打撃を当ててしまえば、肉体強化の有無を問わず即死なのだから。
 そのせいで無自覚に力の加減が上達した。 

 ただ、それほどその時間が長かったわけではない。

 海人はあれで女性達との同居生活にかなり気を配っており、
その系統のトラブルの原因は大概が手が滑ったなどのちょっとした弾みだった。
 例として挙げたケースも丁度その時階下からシリルに呼ばれ、
その拍子に手をかけていたドアノブを回してしまっただけだ。
 ルミナスの部屋の窓が換気のために少し開けられていなければ、風で一気に開くような事もなかっただろう。

 ――完全に狙ったとしか思えないほど間の悪い時に居合わせてしまう事もあったが。

 一番多かったトラブルは彼の若干ひねくれた性格から来る口の悪さによるものだったが、
そちらも自覚はあったらしく、彼なりに自重する努力はしていた。

 ――ボードゲームで二人を大人気なく惨敗させた時などは、調子に乗りすぎて怒りをかっていたが。

 いずれにせよ海人は毎日のようにルミナス達に追いかけられるような事をしていたが、
その回数は多くても日に二度。
 しかも逃げる時間が長引くと二人は大概落ち着くので、追いかけられる時間自体もそれほど長くなかった。 
 
 本人達の自覚は薄いが、二人の実力の急上昇は自身の才覚によるところが大きいのである。

「しかもこっちの行動パターンを把握してどんどん逃げ方が上手くなってましたものね。
まったく、素直に謝ればいいだけだというのに」

「それはあんたのせいでしょ。一回即座に土下座した時、いつもの癖でぶん殴っちゃったじゃない」

「……そんな事、ありましたかしら?」

 ふい、そっぽを向きながらとぼける。
 が、ルミナスから背けたその表情は控え目に言っても引き攣っていた。

「とぼけないの。あれでヤバイと思ったら即逃げが確定しちゃったんでしょうが」

 こつん、と副官の頭に拳を落とし、嘆息する。

 一度だけだが、海人は二人が動く前に土下座した事があった。
 それはもう謝意を疑いようも無いほど完璧に。

 しかし、その時は極めて間が悪かった。

 海人がその場で頭を下げる事はまず無い、という認識が固まりつつある時期だったので二人共即座に攻撃に入ってしまったのだ。
 ルミナスの方は拳が当たる直前でどうにか止まったのだが、シリルの方は止まらなかった。
 咄嗟に威力を減衰させたものの頭を下げたままの海人の頭頂に拳を叩きこんでしまい、見事に彼は昏倒した。

 その後は起きるまで甲斐甲斐しく世話を焼いたりはしていたものの、海人からすれば謝った瞬間殴られた事実が変わるわけではない。
 結局その後は何かやらかしたらとりあえず一時撤退が彼のスタンダードになった。

「……そもそも毎日怒らせるカイトさんが悪いんですわ。
あそこまで毎日騒ぎを起こせるって、あれも才能ですわよ?」

「ホントよね……私らがいない間に何も起こってないといいんだけど。
あいつはつくづくトラブルに愛されてるからねぇ……」

 そう言って、ルミナスは天を仰いだ。
 普通に考えれば屋敷に一人で引き篭もっているだろうからトラブルなど縁がないはずだが、
どうにも海人の場合は安心できない。
 なんとなく、普通なら予測もできない事でいらない揉め事に巻き込まれそうな気がするのだ。
 
 シリルも同意見だったらしく、いつの間にか彼女も天を仰いでいる。
 
 それが見事に当たっている事を知る由もなく――二人は今は遠く手が届かない大事な友人を思った。
























 海人が友人達への感傷的な気分を打ち切って下を見ると、
若干不機嫌そうな雫の顔があった。

「……な~んか口元が緩んでますよ~?」

「そうか? ま、楽しい生活だったからな」

「むう、今は楽しくないと?」

 唇を尖らせ、面白くなさそうな顔になる。
 こんな森の中で魔物を警戒し、毎晩毎晩発光を探しては穴掘りを眺める生活。
 
 普通ならそれが楽しいはずもないが――雫は楽しかった。 

 海人との会話は良く弾むし、姉もいつもより笑顔が少し多くなった。
 姉と二人で旅を始めて以来初めて、と断言できるほどに今は楽しい。
 その気分が共有されていないのは仕方ない事だが、やはり面白い事ではない。

 雫の問いは否定してほしい、そんな思いを込めての言葉だった。

 が、返ってきたのはひねくれ者の海人らしい、予想の斜め上をいく言葉だった。
 
「楽しいぞ。刹那嬢は美人だし、性格も可愛らしいからな」

「お姉ちゃんだけ!? この超絶美少女かつ性格も抜群なあたしは!?」

「外見に関しては異論を挟まんが、性格に関しては反論せざるをえんな。
悪いとは言わんが、サドっ気の強い性格は滅多に抜群とは呼ばれないぞ」

 案の定の反応に、海人はなおも雫をからかった。
 無駄に胸を張ってこれみよがしに見下しているあたりがまた雫の感情を煽る。
 しかも海人の悪党顔ぶりがそれにさらなる拍車をかける。

 だが、雫もやられっぱなしでいるような大人しい少女ではない。
 にたり、と邪悪な微笑を浮かべ見事に応戦した。

「あたしの性格の良さが分からないとは……これはなんとしても理解してもらわなければなりませんね! 
鞭と蝋燭どっちがお好きですか!?」

「史上稀に見る恐ろしい二択だな!? というか何をするつもりだ!?」

 やいのやいのとやりあう雫と海人。
 
 実の所、ここ数日夜間に採掘している時以外は大概こんな調子だった。
 二人は互いをからかい合い、時には結託して横から傍観している刹那をからかう。
 色々問題のある会話も多いが、傍から見ているとまるで兄妹のように仲が良く、息が合っている。

 そんな和やかさを感じながら、刹那は同時に後ろめたさも感じていた。

 自分達は海人にまだ全てを語ってはいない。
 それは話が途中で中断したせいもあるが、なにより心情的な要因が大きかった。
 元々明るく人懐っこい雫だが、あそこまで懐くのは家族以外では海人が初めてだ。
 話して拒絶された場合、どれほど傷つくかを想像するととても言えない。

 だが、そうそう危険な事にはならないとはいえ、なった場合にかかる物は命。
 雫の状態が目に見えて安定している事を差し引いても、話さない事は問題だ。
 
 一応、大概の場合はどうにでもできる自負がある。
 現実的にありえる最悪のケースの際に海人を逃がす暇がなかったとしても、どうにかする自信もある。
 
 しかし――起きたのは過去一度だけだが、刹那でも対応しきれない事が起きる可能性は0ではない。
 
 ゆえに話すべきだと頭では分かっているのだが、かつてなくはしゃいでいる妹の姿を見るとどうしても口に出せない。

 ――そんな刹那の葛藤を、海人は横目に見た表情から漠然と感じ取っていた。

 と言っても、内容が分かっているわけではない。
 話したいのに、どうしても話せないという雰囲気を感知しているだけだ。
 自分もルミナス達相手で経験があるだけに、海人はあえて追及はしない事にした。

(ま、どうせ害は無いだろうしな)

 そんな事を思いながら、海人は暢気に二人が話す気になる時を待つと決めた。

 実は海人は二人の隠し事について、ある程度予測をつけていた。

 戦いに際して、時折雫の雰囲気が怪しくなる事があるのだ。
 戦闘狂なのかはたまた別の何かかは不明だが、その時はかなりの凶暴性が感じられる。

 だが、同時に彼女がそれを自制しようと努力している事も気付いていた。
 その雰囲気が顔を出すのは数回に一度、それもほんの数秒の話である。
 しかも瞳の色が変わる事は一度もなかった。
 海人が雫の変化に気付いたのは、二人の戦いを注意深く観察していたからこそだ。
 危険には違いないのだろうがほぼ確実に自制が効く、海人はそう読んでいた。

 しかもさり気なくではあるが、刹那は戦闘中常に海人と雫の間に身を置いている。

 となれば、海人としては早急に二人を問い質す要素は無い。
 問題が起こったとしても、刹那が防いでくれるはずなのだから。
     
 ――そう、思っていた。

 海人は自分の考えの甘さに気付かなかった。
 なまじ山のようにあるシェリスの図書室の本を読破した事で、得た知識を過信していた。
 
 いくら文献の内容を頭に叩きこんだところで、載っていない情報などいくらでもある。
 そんな至極当たり前の事を、海人は完全に失念していた。
























 シュッツブルグ国内のとある山奥。
 そこに安っぽい、それこそ夜露をしのぐ程度にしか使えぬ木造の建物があった。
 森の中にひっそりと佇むその建物は、一見するとただの山小屋でしかない。
 
 しかし、その地下にはある貴族が国に秘匿している近くの隠し鉱山から運び出されたミドガルズ鉱石が隠されている。
 建物の作りが粗いのもいざという時に建物を瞬時に焼却して痕跡を隠すためだ。
 いざという時の痕跡隠しを迅速かつ確実に、そしてもしも秘密を知られた場合その人間を確実に抹殺するために、
この建物にはそこそこの手練が五人以上詰めている。
 やや離れた所にも同様の建物が幾つか点在し、それらにも同様に見張りがいる。

 そんな建物の中を――鮮血に染まった床を、ローラとオーガストが悠々と歩いていた。

「……ここですね」

 ローラは立ち止まると、足元の床を右足で踏み抜いた。

 その下から現れたのは、夜にあってほの青く輝く鉱石の山。
 純度が低いためか一つ一つの輝きはさほど強くないが、数が多いため床下全体が青白く照らされている。
 まるで澄んだ海を思わせるその光景はなかなかに幻想的で美しい。

「ふーむ……思ったより少ないのう」

「溜め込むよりも早く金に換える事を優先していたようですから仕方ないかと。
皆様、どうぞお入りになってください」

 その言葉に従い、入り口から数人の男達がわらわらと入ってきた。

 彼らはローラに軽く会釈すると、迅速に自分達の仕事を始めた。
 
 まず足を滑らせたりしないように踏み抜かれた床から入り口までの血を綺麗に拭い、
それが済むと一人が床下に飛び込んで鉱石を上の者に投げ渡し始めた。
 そのままバケツリレーのように入り口まで数人を経由して手渡し、最後の人間が外の頑丈な木箱に放り込む。
 一連の動きは実に手馴れており、一切の無駄が無く言葉すら発しない。
 結局、大量にあったはずの鉱石はものの十分もかからず全て外に運び出される事になった。
 
 最後に闇の魔法で周囲を覆いつつ小屋を完全に焼却すると、彼らは会釈して迅速に去っていった。

「流石は盗賊ギルドの精鋭。良い仕事をなさいますね」

「なんだかんだでプロじゃからの……しかしシェリス嬢ちゃんもえげつないのう。
前々から情報は掴んでおったのに、採掘量減少に備えてあえて鉱山を隠しとった貴族を放置しておったとは」

「特に問題はないかと。鉱山の隠匿は露見すれば一族郎党の処刑に至りかねない罪状。
それがこれまで生きながらえ、死者も当主一家のみで済むのですから」

 この一週間で本家の血筋が絶えた貴族達について、ローラは冷淡に判を下した。
 事実、今回の死者は当主一家のみ。
 今回の事が露見した場合には最低二親等以内が処刑される事を考えれば、数は少ない。
 そもそも色々法に反した行為を行って私腹を肥やし遊び呆けていた貴族に同情する必要など無い。
 それが彼女の考えであった。

 オーガストもそれに異論は無かったので、あっさり納得した。

「ま、その通りなんじゃがな。
ところで、各領地を管理する貴族はもう決まっとるのかの?」

「はい。既に血縁で有望な方に話をつけ、継承されるよう手を回してあります」

「それは何よりじゃ。で、あとどのぐらい残っとるんじゃ?」

「ここで終わりです。あとは崩れた鉱山を再び掘り起こすだけです」

 そう言うローラの声は僅かばかり普段より低くなっていた。

 というのも、今回は予想外に仕事を片付けるのに手間取っているためだ。
 シェリスがあらかじめ集めていた情報はある程度正確だったのだが、隠されていた鉱山には知られざる細工が施されていた。
 鉱山内部の坑道の大半が普段は入り口を岩やら何やらで偽装されていたり、鉱山奥部に飼い慣らされた魔物が多数潜んでいたりと、
なんのかんので色々と時間がかかったのだ。

 極めつけがこの近くの隠し鉱山で、緊急時の証拠隠滅用だったらしいが宝石をはめ込んだ純金の板に魔力を流し込むと
その瞬間に落盤が起こって鉱山を埋め尽くす仕掛けだった。
   
 先程ローラ達が周囲の山小屋を八割ほど制圧したところで盗賊ギルドの人間が突入したのだが、危うく生き埋めになりかけたらしい。
 それ自体はどうでもいいのだが、問題は掘り起こす作業にローラも向かわねばならない事だ。
 集めた鉱石が予想量に若干不足しそうな現状と照らし合わせると、それを迅速に終えてからドースラズガンの森に向かわなければならない。
 
 一応余裕を持ったスケジュールを組んではいたが、これ以上不在時期が伸びると後に影響が出る。
 それを考えれば、徹夜で坑道を掘り返した後にその足で森へ向かわなければならない。
 
 ミドガルズ鉱石を溜め込んでいた盗賊団十以上の壊滅を始めとした大量の荒事系の仕事のせいで、
この一週間ローラはほとんど休んでいない。
 途中オーガストも幾つかの仕事を手伝ってはくれたが、それでも負担は大きかった。

 さすがの彼女も、表情に若干疲れが出始めていた。   

「その事じゃがな。わしがやっとくから森の方へ行って構わんぞ。
どうせ、ひたすらに掘るだけの単純作業じゃし……あっちの方はお主以上の適任はおらんからのう」

 珍しく疲労を覗かせているローラを見かね、オーガストがそう声をかけた。

「……ありがとうございます。礼と言ってはなんですが、今度上物のワインを一樽御用意させていただきます」

「いやいや酒などいらんから少しばかりお主の乳を揉ぶぎゅ!?」  

 付き合いの浅い刹那達の前では見せなかった本性をさらけ出そうとした老人は、その瞬間にローラの眼前から消えた。
 わきわきと指を蠢かせながら伸ばした腕はそのままに、何も存在しない虚空を揉みしだいている。
 当然ながら風圧の感触以外は何も感じず、楽しくもなんともない。
 
 それを嘆きながら、オーガストは思った。   

(今日こそは掠るぐらいはできると思ったのにのう……移動時間を省く優しさをどうしてそっちに回してくれんのじゃ)

 正確に目的地の鉱山へと向かっている己の現状を鑑みながら、涙する。
 
 一方でローラは遥か高き天空へと舞い昇った伝説の冒険者へ向かって優雅に一礼すると、
すたすたと何事もなかったかのように歩き去っていった。
 
  

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

コメント

更新楽しみにしていました。30話もとても面白く読ませていただきました。次回の更新も頑張ってください。
[2010/07/28 23:51] URL | 死識 #- [ 編集 ]

予告通りの更新ご苦労様です
白衣の英雄30、更新ご苦労様、今回も面白かったです。海人と宝蔵院姉妹の方も、ルミナス達傭兵団の方もストーリーがちゃくちゃくと進んでいますね。宝蔵院姉妹の秘密も明らかになり始め次回あたりかな、雫の秘密も明らかになるのは…?
一方ルミナス&シリルはやはり海人のおかげ(海人のせいの方が正しいか?)で実力が上がったみたいですね。海人は防御中心の戦い方が身に付いてきた様で。
最後にローラさんとえエロ老人も出てきましたが、相変わらずって感じですね。

次回はどうなる事やら、楽しみにしています。

海人の母親(父親もかな?)生きているのかな…。
[2010/07/29 00:09] URL | 戸次 #Wjzbkqqg [ 編集 ]


吸血鬼という予想が当たって嬉しく思います。
今回のルミナス達の話で言うと海人はいつも死と隣り合わせにいたのですねぇ。
いくら海人でも子供のころは可愛かったようですね。
また無理を言いますが、ifもので子供の海人が今の海人の代わりにやって来たらというものを見たくなりました。
次回の更新も楽しみにしています。
[2010/07/29 00:23] URL | fuji #- [ 編集 ]


 更新お疲れさまです。
さてさて次はどんな展開になるのか。
 海人母の回想も入っててよかったっす。
[2010/07/29 00:30] URL | ヤッホー #- [ 編集 ]


更新お疲れ様でした
今回の話を読んで思ったんですが、海人さんてある種のツンデレ?(^_^;)
そろそろ宝蔵院姉妹にデレそうな予感……!

何かと忙しいとは思いますが,次話を楽しみにしています
[2010/07/29 01:15] URL | さとやん #- [ 編集 ]


更新お疲れ様です
今回も楽しく読ませていただきました

しかし海人の魔法……
「防御」魔法なのに攻撃用として使うって……
いや、壁ができる事から一応防御としても存在していますけど

そろそろ雫たちの事が全部わかりそうな雰囲気ですね
今回の一番気になるところですから楽しみです

次回の更新もいつも通り楽しみに待たせていただきます
[2010/07/29 08:11] URL | 華羅巣 #/pWL97dA [ 編集 ]


更新お疲れ様です。
むさい毛むくじゃらのおっさんの血・・・
いやすぎるwwww
噛みついた時口の中に体毛が残りそうですなぁ
[2010/07/29 12:28] URL | ズー #B1FehmyE [ 編集 ]

デレフラグ?
猫+マタタビ=デレ  なら
海人の馬鹿魔力の宿った血+吸血鬼=デレ?とか、もう一生離れられませんフラグとか?
[2010/07/29 12:30] URL | kkk #J8TxtOA. [ 編集 ]

うーん・・・雫の隠しているのはなんなんでしょうね?
 うーん・・・バーサークと吸血だけじゃないのか。 本に載っていない知識は確かにあるでしょうけど・・・なんなんでしょうね?
 かかるものは命ということですから、前に予想したような能力吸収(Wiz系エナジードレイン)みたいなのではないようですし。
 無差別に魅了して血を吸うとかそういうのでしょうか?
 第三部が終わるまでに雫絡みで一騒動あるのかな。それとも第四部か第五部に持ち越し? その場合だと第四部はどたばたらしいから第五部になるのでしょうかね。
[2010/07/29 20:34] URL | ぼるてっかー #USanPCEI [ 編集 ]


更新早いですね。その調子でがんばってください。

あと、雫嬢が個人的に好きなキャラですから、これからもガンガン登場させてくれると嬉しいです。
[2010/07/30 09:26] URL | てぃんく #lwdeC1mQ [ 編集 ]

お疲れ様です
雫の隠していることって、実は好みの血だと吸うのを止められず相手を吸い殺してしまうとかじゃないかな?

本の知識としては確かに命に別状がない程度の量でいいし、大概の場合はそれで済むのだろうけど、過食症のごとく本人でもとめることができず好意を持った人間ほど吸い殺してしまう確立が高いとかじゃないかなぁと思ったり。
[2010/07/31 02:01] URL | 巨大なヒト #vXeIqmFk [ 編集 ]


初めてコメント書かせていただきます。
更新お疲れ様です^^

毎回楽しく読ませていただいています。雫の秘密がどのようなものかかなり気になりますね、更新楽しみにしています。頑張ってください!
[2010/08/02 15:18] URL | baru #ZujHqT5A [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2010/08/03 00:00] | # [ 編集 ]

ちょっと気になったので
29話にて…
>抽選の結果、順当に行けばアンリは準決勝でシリル、決勝でルミナスと戦う事になる。

30話
>仮にも三番隊隊長であり接近戦を専門とするケルヴィンが、
さほど広くもない闘技場で一番隊副隊長で遠距離戦を専門とするシリルに敗北したのだ。


との記述から
準決勝1ルミナスVSケルヴィン
準決勝2シリルVSアンリ

そして3位決定戦が行われてシリルが勝利し3位になったのだろうと思われますが
3位決定戦の存在自体に触れてないので少し分かりにくかったです。
[2010/08/22 10:58] URL | 冥 #heXXx5yE [ 編集 ]


コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://nemuiyon.blog72.fc2.com/tb.php/91-0d96a9ca
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

九重十造

Author:九重十造
FC2ブログへようこそ!



最新記事



カテゴリ



月別アーカイブ



最新コメント



最新トラックバック



FC2カウンター



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QRコード